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第20話 いざ、大海原へ~その1~

「死者2名、重傷者多数。

 君たちのおかげで被害は極力おさえられたが、街に住む者たちの心証はいくぶん悪くなったようだな。

 状況的にやむを得ないとはいえ、君たちには肩身の狭い思いをさせる」


 フェルナンは執務(しつむ)席に座り、机にあごをついてあらぬ方向を見る。

 対面するイサーシュは首を静かに振った。


「いいえ。ですがこれは我々にとって痛恨(つうこん)の結果です。

 我々に何のかかわりもない一般の方に被害が及んだのは、この旅初めてのことです」

「そうか、どうやら君たちは今まで幸運に恵まれてきたが、それもここまでだったらしいな」


 フェルナンは立ち上がると、窓辺に立って外の風景をながめた。


「船の出航にも多少の影響が出るだろう。

 果たして優秀な人材が君たちのためにどれほど集まってくれるか、少々心配ではあるな」

「ヴァスコさんがひとふんばりしてくれるでしょう。

 これ以上この街にとどまることは許されませんからね。

 我々には大義名分があるが、だからと言って大手を振って街を歩ける状況ではありませんから」

「ふふ、なるほど……」


 フェルナンが短めのアゴヒゲをさすっていると、イサーシュは話題を変えた。


「ところで。あの娘、トナシェのことですが、前からの知り合いですか?」

「ああ、あいつか?

 あれは、実は私の娘だ」


 これにはさすがのイサーシュもあいた口がふさがらなかった。

 フェルナンはこちらに振り返り、笑いながら告げる。


「つまり神殿の司祭とは夫婦の関係にある、というわけだ。

 娘にはいつもは父母を役職名で呼ばせているものでね。

 お互い役目があるためにこうして離れて暮らしているが、私も休日の際には神殿に行ってあの子の相手をしてやっているのだよ」

「なるほど、得心がいきました。

 世間とはかくもせまいものですね」

「たまたま、お互い人の上に立つ人間として(えん)があったということだけだよ。

 ところで話はそれだけではないのだろう?」

「ええ、彼女の召喚巫女(しょうかんみこ)としての能力、破壊神を呼び出すに限らず、気難しい奴らを手なずけて言うとおりにさせる才能があるようですが」


 するとフェルナンはもう一度アゴヒゲに手をやり、うなずいた。


「うむ、召喚巫女は祈りの修業のほかにそれを御するために術を学ぶのだが、娘は非常に呑み込みが早かったようだ。

 しかしその事実をまともには理解していないらしい。

 もともと思い込みが激しい性格であるにもかかわらず、不思議なことだ」

「父親としては、心配なわけで?」


 イサーシュの意味ありげな発言に、総督は鼻で笑った。


「まあな。あの子は魔法使いとしての素養もあるが、そうは言ってもまだ12歳だ。

 心配するなと言う方に無理がある。しかし妻が自信を持って送り出しているのだ。

 引きとめるわけにもいかんだろう。しかしな……」


 イサーシュが真剣な表情で「なんでしょう?」と応えるのを見てとり、フェルナンは深くうなずいた。


「万が一のことがあっては許さん。必ず娘を無事にこの街に送りどどけよ」

承知(しょうち)つかまつりました」





 数日後、コシンジュ達は港へと足を運んだ。

 コシンジュは波止場のあちこちにつながれている大型船をながめながら告げた。


「リスベンの港もすげえけど、こっちもなかなかのもんだな。

 さすが南の大陸と(じか)でつながってるだけのことはあるぜ」

「北を山脈にはばまれているために輸出はほかの都市にゆずってますが、南からやってくる船にとってはこの街が最短ルートです。

 おそらくここに泊まっている船のほとんどは南の大陸から来たものでしょう」


 ロヒインが言い終えると、イサーシュは眉のところで手をかざし遠くをながめる。


「造形が似通(にかよ)っているから、どれがこちら側の船かはわからないな。

 軍船と聞く限り、特徴的なのには間違いないんだが、こうしてみる限りそれらしきものはないな」


 初めて見る帆船(はんせん)に最初は感動していたイサーシュとメウノも、こうなってくるとだんだん慣れてくる。


「お~い、お前らどこをほっつき歩いてんだ、こっちだぞ~ぅ」


 遠くの波止場でヴァスコが呼びかけてくる。

 5人がそちらに振り返ると、波止場の入口のあたりでとなりの帆船の向こう側を指差している。


「そっちじゃない。

 目に見える場所に軍の船が置いてあるわけないだろうが」


 コシンジュ達がそちらに駆けつけると、ヴァスコは手招きして奥へと案内し始めた。

 しばらく進んでいるうちに、浮かれていた彼らの表情に不安が宿り始める。


 案の定、いやな予感が的中した。

 波止場の奥には、ただ海水がビチャン、と音を立ててはじけるだけで、遠くの城壁までゆらめく水面がひたすら続いているだけだった。


「これってもしかして……」「ドタキャン?」


 コシンジュとロヒインが互いに顔を見合わせる。

 なにか大きなトラブルでもあったというのだろうか。


「おいおい、まさかお前らおれが残念なお知らせを持って来たとか、そういうカン違いしてんじゃねえだろうな。

 そうじゃねえ、あっちを見ろい」


 ヴァスコが指差す方向を見ると、そこはかなり規模がでかいと思われる木製の倉庫だった。

 近づけば相当な迫力があるだろうと思いながら見ていると、入り口の両扉がこちらに向かって開かれる。


 ロープで引っ張り上げる人の小ささにも(おどろ)かされたが、中の暗がりから何艘(なんそう)もの小舟が出てきたときにはさらにびっくりした。


「あの、まさかあれで大海原に出ることになったなんて言うんじゃないでしょうね」

「おいおい、まだ疑ってんのか? 」


 ヴァスコがイサーシュのくだらない発言につき合っていると、小舟集団の奥から黒い物体が姿を現す。


「な、なあ、あれってひょっとして、この波止場にある船よりもっと大きくないか?」


 コシンジュが言うと、それは徐々に日の光にさらされていった。

 全体が黒に塗装された船は、あまりにも巨大だった。


 近づくにつれ、5人はあいた口がふさがらなくなる。

 自分たちが立っている場所までやってきたときには、かなり上の方まで見上げないと全容がわからなかった。


「ま、まさか、たかがわたしたちのために、こんなものを用意してくれるとは……」


 ロヒインが心底おどろいていると、ヴァスコは自慢(じまん)げに言いだした。


「なに言ってやがる。

 魔物どもを相手にするんじゃ、こんぐらいのデカさがねえとダメなんだよ」


 船体には、3層に渡っていくつもの四角い穴があいている。

 おそらく中には大砲が収められていて、襲いかかる敵船や魔物に向かって火を吹くのだろう。


「どうだ、おどろいただろ。

 これこそがおれたちが乗る船、『マジェラン号』だ。

 直前までお披露目できなくて悪かったな。なんせこいつには最新鋭の装備が山ほどつまってる。

 街には南の連中がわんさといるから、中に乗りこまれていろいろ探られちゃ困るんだ」


 ロヒインは船体をキョロキョロ観察しながら消え入りそうな声をあげる。


「それにしても、こんな船見たことありません。

 砲台が3層、そしてマストは4本。こんな船、いったいどうやって作ったんですか?」

「そいつも企業秘密ってやつだ。

 さあ、こんなところで長居はできねえ。すぐにでも出航するぞ、お前らはやく乗りこめ」


 あまりに大きすぎるので、入り口は船体についている。

 橋渡しを使って中に乗り込み、中央階段を2つ3つのぼっていくと、ようやく甲板に出た。

 船上はかなり広めで、前後にある高台はかなり距離がある。


「うっひょぉ~~~~~~っっ! こりゃすげぇ~~~~~~っっ!」


 ハイテンションになったコシンジュはすぐにその場を駆け回る。

 イサーシュが「ガキかっ!」と叫ぶと、ヴァスコは豪快(ごうかい)に笑った。


「はははっ! まぁそう言うなって!

 おれだって最初に乗り込んだときは似たようなもんだったからな!」


 言いきった時には、コシンジュ以外の4人が手すりから外をながめていた。

 気付いたコシンジュがその輪に加わり、そこから見える光景に目をこらす。


「うぉ~~っ! たっけぇ~~~~~~~っっ!」

「よしっ! それじゃさっそく行くとしようか、貨物はすでに全部積み込み済みだ!

 すぐにでも出航(しゅっこう)するぞ!

 おいっ! ホルンを鳴らしやがれっ!」


 ヴァスコが手を振り上げると、乗組員が大きなカーブを描く巨大な笛を鳴らす。

 ブォ~っ! という音とともに、巨大な船がゆっくり前へと進みだした。


()はまだ張らないみたいですね。

 小舟である程度先まで運ぶようです」


 ある程度時間がかかって、船は広めの場所に出た。

 波止場には数多くの人々がに集まっていた。

 手を振る人、腕を組んで静観する人、なぜか物を投げつけてくる人など反応はさまざまである。


「おっしゃぁ~~~~~~っ! じゃあ行ってくるからなぁ!

 みんな期待しないで待ってろよぉ~~~っ!」


 両手を口に当ててコシンジュが叫ぶと、ヴァスコが次の指示を出す。


「マスト広げろぉぉぉぉぉぉっっっ!」


 船員たちが総出でマストにつながれたロープを引っ張る。

 次第に広がっていく真っ白な帆は、やがてコシンジュ達の頭上いっぱいに広がった。


「うぉ~~~~~~~っ! すげぇぇ~~~~~~~~~っっ!」


 コシンジュが両手のこぶしを高く上げる。

 船の前では、ようやく小舟がつないだロープを外し、巨大な船はようやく風の力で動き始める。

 やがて船が波止場から離れていくと、船体が上下に動き始めた。


「うぉぉぉぉぉっっ! なんだこれはぁぁぁぁぁぁっっっ!」

「からだが、からだ全体が大きくゆさぶられるっっっ!」


 初めての経験にイサーシュとメウノが動転する。

 するとイサーシュが突然口を押さえはじめ、手すりの上から身を乗り出した。


「ぅうおおえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっ!」


 あまりの刺激に胃の裏がひっくり返ってしまったらしい。

 それにつられてメウノも手すりに向かう。


「おぼっ、ぼえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっ!」


 メウノのあまりにえげつない吐き方に、コシンジュはそれを見て腹を抱えて笑った。

 ヴァスコが冷静に突っ込む。


「なんだそれ。しょせん経験者が余裕ぶってるだけだろそいつ。

 どうせお前も始めて船に乗った時はおんなじ感じだったんだろ?」

「まったくもう、コシンジュえげつないんだから、そうやって人の不幸をわら……うぅっっっ!」


 ロヒインも手すりに向かう。ますますコシンジュは笑いが止まらなかった。

 そして船首に向かって走ると、階段を駆け上り、さらに前に進んで船首にある台の上に立った。

 そこから見えるのは横いっぱいに広がる一本の線以外には何もなく、ただただ先の見えない上下の青色だけが目の前いっぱいに広がっていた。


「うっっっひょぉぉ~~~~~~~~~~~~~~~っっ!」


 コシンジュはもう一度両手のこぶしをかかげた。

 しばらく高揚(こうよう)感にひたっていると、なぜか急に気持ちが悪くなってきた。

 あわてて口を押さえるが、腹の中にこみ上げてくるものは止められない。


「あぁ、吐いちまったよコイツ。船の中ではしゃぎすぎだ。あとで自分で掃除させるぞ」


 ヴァスコのため息まじりの声に、小さなトナシェはクスクスと笑った。





「……たしかに1度目の襲撃(しゅうげき)は失敗しました。

 ですが今回は一般人にも犠牲が出て、勇者どもに精神的なダメージを与えることができました。

 このままいけばもっと奴らを追い詰めることができます。もうしばらくお待ちを」


 必死に言い訳をするスキーラに、ファルシスはため息まじりに告げた。


「わかったからもう下がれ、今度はもう少し巧妙(こうみょう)(さく)を考えろ」


 恐縮(きょうしゅく)して部屋を出ていくスキーラに、ルキフールが首を振りつつ言葉を発する。


「あの女にも困ったことだ。勇者どもはどんどん強くなっていく。

 そんじょそこらの手練(てだれ)を単に送りつけるだけでは、あの者どもを片づけられぬことくらいわかっておろうに」

「あの女は頭が悪い。

 副官のカプリオンは優秀だが、しかし上官をうまくいさめるほどの力は持っておらん。

 地、風に続き、水の軍勢も破れるであろうな」


 ひじ掛けにアゴをつきつつのたまうファルシスに、ルキフールは振り返った。


「このままにしてよろしいので?

 深海魔団も失墜(しっつい)すれば、マノータス率いる獄炎魔団が増長します。

 さらに奴の背後にはヴェルゼックの影がある。幻魔兵団は実質奴の天下です」

「それどころではないだろう。

 相次ぐ勇者討伐が失敗に終わり、我々の権威(けんい)もまた地に落ちつつある。

 魔族たちの中には、もう勇者どもは放置して地上の侵攻を急ぐべきではないかという声もある。

 ベアールとスターロッドが頼りだったが、それもダメとなると、もう完全にあとがない。

 ルキフール、お前が己で策を考えよ」

「ええ、一応は考えております。

 ですがその前に殿下、何か考えがあるのではございませんか?」


 思考を読み取られた魔王は、一度石造りの背もたれにもたれる。

 するとそこは暗がりになっており、魔王の赤い瞳だけがぼんやりと浮かんでいた。


「我が策、か……考えていないこともない」


 すると、その2つの瞳さえも閉じてしまう。

 暗闇からはみ出した手だけが、玉座の手すりをがっちりとつかんだ。


「……まずは勇者の村を狙う。あそこには奴の最大の弱点がある。

 家族の身柄(みがら)を奪い、魔界に連れ込んでしまえば、奴らは自らこの世界に足を踏み入れざるを得ない。

 そしてこの城に誘い込み袋叩きにする」

「さて、それは実現できるでしょうかな?

 たしかに今勇者の父親は村を留守にしております。

 ですが村には数多くの弟子や、ミンスターから着た兵士たちも多数巡回しております。

 魔導師や僧侶も援護(えんご)に来ていることから、ミニポータルで送れる小規模の軍勢では下手に手出しできんでしょう」

「送る刺客(しかく)にもよるな。

 勇者が今まで倒してきた程度の奴では目的を達成することもできん。

 だからと言って獄炎魔団を送ることは……」

「奴らは常にやりすぎる。下手をすると勇者の家族を皆殺しにすらしかねない。

 弱みをにぎることは敵の心を弱めますが、破壊してしまうとかえって怒りに火をつけかねない」

「頼りにできるのはベアール、スターロッド、そしてファブニーズだが……」

「こちらの方はやりたがらんでしょうな。

 あの冷徹(れいてつ)なファブニーズでさえ、このような姑息(こそく)な手は大いに嫌うでしょう」

「ならば別の手を考えるしかあるまい……」


 そしてしばらく黙った後、魔王は重々しく口を開いた。


「大陸に着いたあとのことだ。

 勇者たちが進む場所とは関係のない場所に軍勢を送りこみ、そこに住む者たちを……無差別に殺傷する」

「よい手でありますな。

 これを大陸のあちこちで続けていけば、それを伝え聞いた勇者たちの士気は大いに下がりましょう。

 大陸における勇者どもの評判も大きく下がり、奴らに協力するものはことごとくいなくなります。そうして身をやつした奴らを打ち倒すのはいとも簡単」


「ルキフールッッ!」


 するとファルシスは突然身を起こした。

 現れた相貌(そうぼう)は怒りで打ちふるえている。


「これを余の口から言わせるなっ!

 このような策はお前の専門ではないかっっっ!」


 ルキフールは冷静な表情をしている。

 まるでこちらの心情を見透かすように。


「なぜお前の方からそれを進言しないっ!

 何か問題があるのなら言えっっっ!」

「お言葉ながら殿下、それは……」


 ルキフールは間をおいた。

 そして沈痛な面持ちで少しうつむく。


「そのような策、今回の侵攻よりはるか前に思いついておりました。

 しかしながらそれを実行することはできませなんだ」

「なぜだ。

 なぜお前はここまで追い詰められていながら、それを言わない?」


 すると、ルキフールはギロリとにらみつけるかのような視線を、自らの主人に向ける。


「あなた様の承認を得られないからでございます」


 ファルシスは押し黙った。

 その目が細くなり、じっと相手を見つめ続ける。


「このような策を進言すれば、殿下はあれこれ理由をつけて採用を延期し続けるに決まっております。

 そしてこのような事態におちいってなお、いまだに実行すべきかどうか迷っておられる」

「なぜそう言いきれる?」


 するとルキフールは目を閉じ、ゆっくりと首を振り始めた。


「……あなたさまはお優しい。

 まるで父君の血を継いでおられないかのようだ」


 それを聞いて、ファルシスは深いため息をついた。

 そして広間の向こうの闇を見つめる。


「もはやほかに手はない。

 かくなる上は余自らが地上におもむき、勇者どもと相対するのみ」

「でんかぁぁぁぁっっ!」


 今度はルキフールのほうが短い叫びをあげた。

 目を丸くして相手を見ると、その方がプルプルと震えているようにも見える。


「それは勇者を打ち倒すためでなく、自らがすべての責任から逃れようとしているだけではありますまいかっ!

 お命をムダに投げ出してっっっ!」


 それを聞いて、ファルシスは両ヒジをヒザにもっていき、おびえるような目で冷たい床を見つめた。


「……出来るわけがないだろう。出来るわけがない。

 余には、余には守らなければならないものがあるのだ……」


 ルキフールにはそれが何なのか察しがついていた。

 だが口では別のことを述べる。


「殿下、これでよいのですか?

 このまま、この城で勇者どもが我々を追い詰めていくさまを、ただ黙って見ているだけなのですか?」

「なにが言いたい?」


 ファルシスはまるで責め立てるような視線をルキフールに向ける。

 相手は動じなかった。


「私の『本当の策』をまだ言っておりませんでしたな。

 ですが、ここまで言えばあなたにはうすうす察しがついているはずだ」


 魔王は口を開かない。

 ルキフールは眉をひそめ、静かに告げる。


「相手を苦しめるだけが、戦略ではありません。

 逆に相手に恩恵を与え、自らの味方に引き入れること。

 それもまた、我々に大いに利することになるのです。闇の世界に生きる我々魔王軍にふさわしいやり方であるかどうかはともかくとして」


 そして今度は相手をさとすような口調になる。


「いや、むしろそれこそが、あなた様のやり方ではなかったのですか?

 今まであなたは、そのようにしてかたむきかけた魔界の軍勢を立て直してきた。

 それこそがあなた様本来の姿です。

 それがなぜ、このようにすべてを我々に任せるようになってしまわれたのですか?

 なぜあなたは、黙ってそこに座っているだけなのです?」


 ファルシスはそれでも何も言わない。

 それどころか相手をこばむかのように、目線を下へと下げてしまった。


「でんかぁぁっっっ!」


 ルキフールはもう一度叫ぶが、相手はびくりとするだけだった。

 それを見て、年老いた姿をした魔物は深いため息をつく。


「今日はこれくらいにしておきましょう。

 ですが殿下、わかっておいでのはずだ」


 そしてルキフールは歩き出した。

 彼のほうからこの広間を出ていくのは初めてのことだった。


「今のあなたは()びついている。

 元に戻るには、時として勇気が必要なのです。

 今のあなたさまには、あの勇者が持っている10分の1の勇気もない……」


 誰もいなくなった広場の中で、若き魔王、ファルシスは1人取り残された。

 一抹(いちまつ)のさみしさを覚えた彼は、組んだ両手に乗せていたあごを下げ、代わりに眉間をつけた。


 今の自分には勇者コシンジュが持っている勇気がはるかに足りない。まさにルキフールの言うとおりである。

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