第16話 メウノの願い~その2~
ここで突然、舞台は遠く離れた勇者の村に移り変わる。
この村からふたたび勇者が旅立ったという熱狂は今ではすっかり収まり、魔王軍の影に少し不安を覚えながらも平穏を取り戻している。
しかしコシンジュの父チチガムが運営する道場は違った。
集う剣士たちは一様に神経をとがらせ、来るべき魔王軍との戦いに備えている。
「えいっ! とうっ! とりゃぁっ!」
剣士たちが正しく隊列を組み、華麗な動きで一斉に剣をタイミング良くふるう。
「まだだぁっ! ワキが甘いっ!
それでは魔物にスキを見せているようなものだぞっ!」
イサーシュと並び称される高名な弟子が、ひときわ大きな声で檄を飛ばす。
彼らはいずれ強靭な魔物たちとの戦いの先陣を切ることになるのだ。一切の甘えは許されない。
そのとなりで、チチガムは統率のとれた動きをながめる。
自らは言葉を発せずに冷静に見守る彼だが、ここ最近は何やら呆然と眺めているだけに見える。
弟子はそんな彼に視線を送った。
「師匠、もっとしっかりなさってください。弟子たちが見てますよ」
「う、あ、うむ……」
しかしいつもは厳粛なオーラを放っている彼に覇気はない。
声をかけてもこんなふうばかりだ。弟子はため息をついた。
「まあ無理もありませんが。
勇者となったご子息やイサーシュのことが心配なんでしょう」
「すまんな。来るべき時に備え毅然とした態度をとらんといかんとわかっていても、
あいつらのことを考えるとつい、な」
「シウロ先生の弟子がついてるんです。大丈夫ですよ」
「ロヒインのことも含めて、だ。
旅の途中でさらに仲間を増やしたみたいだが、それでも強大な魔王の軍勢に立ち向かうのは、どうにもな」
「自分も一緒について行きたかった、そういう顔ですね?
あまり師匠が大きな顔をしていると弟子が甘えてしまう、と私は思いますが」
「そうも言ってられんだろう。
敵は魔王軍、そろそろ1人でも多くの仲間が必要な頃なんじゃないだろうか」
「わかってますよ。師匠がこの村にとどまっている本当の理由は、奥方様なんでしょう?」
そう言われてとうとうチチガムはうつむいてため息をついてしまった。
「コシンジュが出て行ってリカッチャは少しやつれているようだ。
この上俺まで家を空けてしまうとなると、残されたあいつはどうなることやら」
弟子は前に向き直り、2,3弟子を注意してから顔を向けずに告げる。
「今日はご自宅に帰ったらどうなんですか?
奥方様とともに過ごされれば、少しは元気づくかもしれません」
「それもそうだな……」
家に帰ったチチガムは、それでも気分が収まらずコップ一杯の酒をちびちびと飲み続ける。
ここのところ頭の中で1つの考えが浮かんでいる。
もし勇者に選ばれるのが、息子ではなく自分だとしたら、リカッチャはどう思うだろうか。
いや、恐らく自分が勇者に選ばれたとしても妻は深く傷ついただろう。自分たち夫婦は周囲が煙たがるほどいまだに愛し合っている。倦怠期の夫婦のように送りだしてせいせいした、というようにはならない。
仮にイサーシュだとしたら。それがリカッチャにとっては最良の選択だ。
自分にとっては手塩にかけて育てた最高の弟子だが、それでも自分は喜んで送り出したに違いない。
だが偉大なる神々はコシンジュを選んだ。あの子は本当は優しい子だ。
自分で望んでいたとはいえ、相手を手にかけ続けることに内心痛みを感じ続けているはずだ。そんな子をなぜ神々は選んだのだろう。
「また考え込んでる。子供たちが見たらよけいな心配をかけるわよ」
リカッチャだ。チチガムはコップをすすりながら、ほおづえをつく妻を見すえた。
「最近考えてることがある。
もしイサーシュが勇者に選ばれたならば、俺たちはここまで傷つかずにすんだだろうか」
「まさか。あの子だってわたしたちの息子みたいなものよ?
コシンジュと比べるなんて考えられない」
「そうか……」
いらない選択だった。彼が旅立ったとしても心配で寝付けない日々が続くに違いない。
勇者の村に住む者にとって、村人たちはみな家族のようなものだ。
住みつくようになって数年しかたっていないロヒインだって、自分たちにとってはかけがえのない存在だった。
そんな自分たちの息子3人が、今こぞってこの村から姿を消している。
いつもは彼らの笑いやケンカの声が絶えて聞こえなくなった道を歩いて、自分だけでなく村人全員がさみしげな目をしている。
彼らが下手をすると2度と戻ってこない。そんなことはいやでも考えたくなかった。
「クソッ!」
いけないとはわかっていても空になったコップをたたきつけてしまう。
それを見かねたリカッチャがそっと夫の手に触れた。
「自分もついていきたい、そんな顔してるけど」
チチガムはおどろいた。
自分があとを追いかけてからここに戻ってきて以来、彼女は一言もそのようなことを言ったことがなかったからだ。
「なにを言ってる?
お前は耐えられるのか? コシンジュも俺もいないこの家にいることが」
「わたしも最初はそう思ってた。だけど最近ある予感がするの。
いつかどこかで、コシンジュがあなたを待っているような気がするって」
「リカッチャ?」
チチガムが問いかけるようなまなざしを向けると、相手も同じように返してきた。
「なんだか最近悪い夢を見るの。
コシンジュがとんでもない悪いことにあって、深く悩んでいる光景」
多分彼女が言ってることは正しいだろう。
いつか息子は気付くだろう。自分が背負っているもののあまりの重さに。
チチガムはコップから手を離し、妻の手を強く握り返した。
「リカッチャ。俺の仕事はこの国を守ること、そして愛する家族を守ることだ」
「わかってる」
「それは勇者を直接守ることとは違う。
コシンジュが選ばれたのは奇妙なめぐり合わせだが、それでも俺たちのかけがえのない息子だ。
俺は自分の愛する者を守りたい」
するとリカッチャは自分の手をより強く握った。
「あたしは大丈夫、なんて言えない。
だけど、このまま指をくわえて見ているよりは、あなたがしたいようにすべきだってこと、それだけはわかってる。
そう思うだけで、あたしは耐えられる。何となくそう思うの」
そしてリカッチャはうつむいて、少しだけ顔を赤らめた。
「だけどひとつだけ、お願いがあるの。
旅立つ前に、あたしを強く抱きしめて。いっぱいいっぱい抱きしめて」
チチガムは思いきり立ち上がり、妻のそばに立つと体上がらせてがっちりとかき抱いた。
「もう1つあるだろう。
必ずコシンジュを無事に連れて帰ると、言えば俺は必ず約束を守る」
決意をみなぎらせてまっすぐ前を見据えると、リカッチャの両手がより強く自分を抱きしめた。
「あともう1つだけ。あなたも絶対無事に帰ってくると約束して」
村からまた1人、勇敢な戦士が旅立つことになった。
「ぐぉ~~、まだ寒い~! ここはどんだけ寒いんだ~!」
ブルブル震えるコシンジュに、振り返ったイサーシュが心底イヤそうな顔をする。
「それはお前が冷たい水でムリヤリ身体を洗ったからだ!
だいたい何だ、あんなに時間をかけて!
おかげで若干急ぎ足なのにまだ身体があったまらないとはどういうことなんだっ!」
コシンジュ達はかなり標高の高い場所まで歩を進めた。
そこでは小さな岩がむき出しになった斜面のあちらこちらに、まだ白い雪が残っている。
もはや恒例どころではなくなったコシンジュとイサーシュのいつものやり取りに、メウノが横やりを入れる。
「大丈夫ですよ。
休憩のときにわたしが体調を見ますから、もしカゼをひいてたとしても早めに対処すれば問題ありません」
「ほらっ! お前はよけいなところで医者の面倒をかけるんじゃない!」
それでも口ゲンカをやめようとしない彼らをよそに、ロヒインはムッツェリに声をかける。
「ふうっ、ふうっ、かなり高いところまで来ましたね。
わたしはもうついて行くだけで精一杯ですよ」
「大丈夫かロヒイン、標高が高いところは若干空気も薄い。
ましてや先を急ぐのだからお前の負担は重いだろう」
「まだ何とか。さいわい歩きやすいのでまだ大丈夫です」
「そうは言ってられんぞ。ここから先に最大の難所が待っている。
その前に休憩を入れるからしっかり休んでおくといい」
「な、難所、ですか……」
ロヒインはあたりに目を向けた。
低い山ならもう目線の位置にまできているが、あたりに目をこらしてもそのような場所は見当たらない。
「どこを見ている。わたしが言っているのはこの先の曲がり角のことだ」
ムッツェリは先を指差した。
小高い山の先は青空になっているだけでどうなっているかわからない。
「わ、わぁぁっっ! なんなんだこれっ!」
コシンジュがすっとんきょうな声をあげると、小さなやまびこが返ってくる。
目の前に広がるのは、山の斜面すべてを白一色に染め上げた、あまりにも巨大な扇型の斜面。
ところどころヒビが割れ、うっすらと青みがかっている。
「ここがジョルジョ山と並ぶオランジ村ルート最大の名物、『ミッシェル氷河』だ。
これを見たさに反対側からやってくる登山者も多い」
そしてムッツェリは氷河をなぞるように指差す。
「しかし渡る際には最大の難所となる。
上のあたりはすべすべに凍っていてアイゼンがあっても滑りやすい。
下の方はクレバスの温床で転落死の危険と隣り合わせだ。
どちらを通るにしても慎重に渡らなければならん」
「へぇ、見てるだけなら最高なんですがね」
メウノがいうのに合わせて、ムッツェリは軽くため息をついた。
「観光に来てるわけじゃないんだ。
南に渡りたいのなら他の場所は通れん。単なる縦断登山だけなら、こここそが正念場になるだろう」
「勝手に落ちて死ぬだけなら魔王軍も世話ねえや」
コシンジュがいうのに合わせてイサーシュもつぶやいた。
「魔物どもが指をくわえて黙っているだけのことを祈ろう」
休憩地点でどちらのルートを通るのかの相談を行った。
あいにく疲労がたまったロヒインが仮眠を取ったため最大のブレーンが抜けた形となったが、メウノが的確なアドバイスをくれた。
「もし敵があそこで待ちかまえているとしたら、クレバスルートは危険です。
不安定な場所で空中攻撃に対処するのは難しいですから。
上の氷上ルートも危険この上ないですが、万が一敵の攻撃をかわすことになっても即死しないだけましだと思います」
それを聞きムッツェリもうなずいた。
「わたしもそう思っていたところだ。
渡るところはかなり上の方がいいだろう。クレバスから距離もあり横幅も小さい。
よし、ロヒインを起こしたら断崖を登るぞ」
コシンジュ達は白い扇の上のあたりまで登ることになった。
大小の岩が転がる急斜面はロヒインにとっては酷だったが、ここ数日ですっかり足腰を鍛えられていたので何とか仲間たちについていくことができた。
氷の上を渡るにはストックと足につけるアイゼンが欠かせない。
履き替える途中でムッツェリがロヒインに問いかけた。
「そうだ。事前に渡されていた魔物の矢じりが少なくなっている。
ハーピーの骨で矢じりを作ったのだが、少々問題があってな」
「風の魔力がついてることですね?
大丈夫ですよ。いったん属性を解除して、新たに無属性の魔力を付加すればいいんです」
「そんなことができるのか?」
おどろいて目を丸くするムッツェリに、得意げにロヒインは言う。
「わたしは魔導師ですよ?
夜あたりに矢じりを渡してください。すぐに完了できますよ」
アイゼンを履き終え、ムッツェリは慎重に氷の上に足を下ろす。
するとアイゼンはザクッという音を立てて思ったより深く沈みこんだ。
「よかった。このあたりはあまり氷が堅くない。
太陽に照らされて溶けかかっているから思ったよりも簡単に歩けるぞ」
しかしそれでもでこちらに振り返って神妙な顔をする。
「しかし油断はするな。それでも気を抜けばあっという間に滑り落ちる。
それにまだ固まった場所もあるかもしれん。みなわたしの歩く場所にそって進むんだ」
コシンジュ達はムッツェリのアドバイスに従い、ロープをくくりつけたストックを手に5人は慎重に白一色の地面を進む。
アイゼンは食い込むものの、たしかに若干つるつるとしている。
下を向けば谷底に引き込まれるような気がしたので、あまり目を向けないようにする。
息をのみつつ初心者の4人はムッツェリの後に続いていく。
みな言葉が出てこない。緊張と恐怖を必死に飲み込み、ストックの先を氷に突き刺しながら必死に前に進む。
「よし、ようやく半分まで来た。
みんな、先は見えてきたがまだまだ時間がかかる。決して気を抜くなよ?」
気の遠くなるような時間がかかったにもかかわらず、まだ半分しか到達していなかったらしい。
足元を見るのに必死だったコシンジュは思わず深く息を吐いた。
下を見るのはまずいので、少し上のあたりを見上げる。
斜面のはるか上は、ジョルジョ山に負けるともおとらない鋭い切っ先を天に突きつける。
だが白い扇はそんな2つの尖塔に挟み込まれたような場所からずっと続いている。
扇と言うよりは、固く凍りついてしまった白い川のようだ。いやだから氷河っていうんだっけ。
視線を戻そうとした時、不意に目の前の白い氷が異様なまでに膨れ上がっているような気がしていた。
気のせいかと思ったが、なんだかイヤな予感がしてコシンジュは思わず立ち止まってしまった。
「いや、ちょっと待って……」
その瞬間、白いふくらみが、一瞬にしてはじけ飛んだ。
思わずコシンジュ達はその場に身を伏せる。
それだけでなく、とたんに体中に冷たい何かが吹きかけられ、コシンジュは身を伏せたまま動けなくなった。
さらには、とたんに意識がもうろうとなり、コシンジュはまたたく闇の世界に引きずり込まれてしまった。




