第14話 ロヒインの強化訓練~その4~
翌日、筋肉痛は昨日よりも収まっていた。
着実に身体はムッツェリの要求通りに鍛えられている。朝のスクワットの苦痛も和らいでいた。
ロヒインもスクワットの回数がだんだん増えている。
ただ予定までに200回に到達するかは微妙だった。
あせったように肩をいからせる姿を見て、つい声をかけた。
「なあロヒイン」
「な、なあにコシンジュ」
ロヒインは息を切らしながらも、先ほどとは打って変わって笑顔を見せた。
「お前、どうしてそこまでして、オレたちについていこうとするんだ?」
「……今さらそんなこと聞く?」
なんだか不機嫌な表情になっている。コシンジュはあわてて取りつくろった。
「違うよっ! カン違いすんなよ!
ただきちんと、お前の決意を聞きたい、そう思っただけだよ!」
すると、相手は妙に顔を赤らめてうなずく。
「コシンジュのことが、好きだから」
「聞くんじゃなかった……」
「なんでそんな顔するんだよ。
コシンジュだけじゃなくて、イサーシュや、メウノのこともだよ」
「ええっと、それってつまり」
「もちろん、仲間としてだよ」
はっきりと応えるロヒインの顔を、コシンジュはまじまじと見つめた。
返事を待たずにロヒインは続ける。
「わたしは、みんなと一緒について行けることを誇りに思ってる。
みんなと一緒に楽しいことやつらいことを共有して、いつか一生のほこりにしたいとも思っている。
こんな中途半端なところで終わらせたくない。出来れば、最後の最後まで」
「ロヒイン、ここではっきり言っておくぞ」
一瞬、彼の顔がこわばった。
賢いだけになにを言いたいのかよくわかるのだろう。
「その最後の最後ってやつが、お前の望んでる形じゃないとしたらどうなる?」
「だけどそんなこと……」
「ダメだ、『そんなこと考えたくない』って答えは聞きたくないぞ。
そんな中途半端な気持ちで臨んでいるぐらいならさっさとあきらめろ」
すると、ロヒインはより真剣な表情を向け、こっくりとうなずいた。
「わかってる。たとえどんな結末になるとしても、この旅の最後をしっかりとこの目に焼き付ける。
それくらいの覚悟はできてる」
「それならお前は大丈夫だ」
言いながら立ち上がると、コシンジュはロヒインの肩をポン、と叩いた。
「オレは、お前のことを信じる。だから最後まであきらめずにがんばれ」
それを聞いて、ロヒインは再び顔を真っ赤にしてうつむいた。
練習もここまでこなすと、だいぶ楽になってくる。
さすがに5回はムリだが、予定日までには確実にこなせるようになっているだろう。
メウノは夕方にならないうちに5回目に到達した。
彼女はムッツェリに呼ばれると、「じゃあ下でマスターの弟さんが待ってるんで」と言って先に降りてしまった。
どうやら彼がテント張りのレクチャーをしてくれるらしい。
イサーシュはいよいよ念願の5回目に到達しようとしていた。
コシンジュも悪戦苦闘しながら上を見上げると、彼は必死に岩場にしがみついてもうすぐ頂上にたどり着こうとしている。
人のことにかまっている余裕はないので、コシンジュは自分の作業に集中する。
やっとのことで昇り終わると、しかし念願をかなえたはずのイサーシュはうかない顔をしている。
「これでは弓の練習はできん。もっと時間さえあれば……」
「なにを言っている? 弓の練習なんぞ山の縦断中にもできる。
出発までに確実に使いこなせなんて一言も言ってないぞ?」
ムッツェリはそう言って、腰を落とすイサーシュに向かって片手を向けた。
「そんなことより、ノルマ達成おめでとう。これでお前は初心者脱出だ」
イサーシュは一瞬その小さな手に視線を送ると、しっかりつかんで自分の足で立ち上がった。
コシンジュがここぞとばかりにほくそ笑んでいると、イサーシュは顔をしかめて声を荒げた。
「うかうかしている場合じゃないだろう。
お前も早く5回目をこなせ。勇者ができるようにならないと俺たちは出発できないんだ」
「ほいほい、がんばりますよ」
下に降りる途中、なんとか斜面を登り切ったロヒインが岩場を前に立ちつくす姿を見かけた。
「いよいよ最後の課題か。くれぐれも足元には気をつけろよ」
ムッツェリがめずらしくねぎらうような声をかけると、ロヒインは少し驚きながらも大きくうなずいて岩場に手をかけはじめた。
「オレが下から様子を見てくる!」
コシンジュはもう一度一番下の斜面に戻ると、今ではもう慣れ切ってしまった坂をすたすたと登り始めた。
ロヒインにはすぐに追いついた。四苦八苦するロヒインに、小さな声をかける。
「大丈夫か?」
一瞬動きが止まったが、うなずくとふたたび岩場を登り始めた。
しかし、この日は結局岩場の中盤にも到達できずに日暮れとなった。残りはあと2日しかない。
次の日から、ロヒインが本格的にコシンジュ達の輪に加わることになった。
いち早くノルマ達成したメウノに大きく遅れながらも、着実に最初の斜面を登れるようになってきている。
「がんばれ、ロヒイン」
追いぬく仲間たちに声をかけられる。
その声に勇気づけられながらも、しかしなかなか岩場の上までたどり着けないでいた。
このころになると仲間たちは指定されたルート以外の、少し難しい斜面を登れるようにまでなっていた。
コシンジュはロヒインを追い越さなければならなかったので仕方ない部分もあったのだが、それでもなんとか上に登りきるようにはなっていた。
おどろいたことにメウノは昼食になる前に登り切ってしまった。
これにはさすがのムッツェリも拍手せざるを得ない。
「まさかここまでになるとはな。
いいだろう、明日はここを登る必要はない。マスターの弟にいろいろレクチャーしてもらえ」
「ありがとうございます」
最初は険悪だったにもかかわらず、ここ数日でメウノとムッツェリのいがみ合いはなくなっていた。
まるで師匠と弟子の関係を見ているようでほほえましくもある。
イサーシュも当然、ノルマの5回を達成した。
登りきるなり彼は勝ち誇るようにコシンジュを見下ろす。
「コシンジュ、早くここまで来い」
岩場の前に立つコシンジュは、しかし悔しさはなかった。
彼もこれでもう5回目。ノルマ達成は目前に迫っている。
しかし気がかりなのはロヒインのことだ。
岩場の頂上まであと少しというところで、しかしまったく動けないでいる。
「ロヒイ~ン、大丈夫かぁ~っ!?」
返事がない。危ない状態かもしれない。
コシンジュは急いで岩場を登る。
「おいあせるなっ! 気をつけないと足を踏み外すぞっ!」
言われなくてもムッツェリ先生のいいつけはきちんと守っている。
コシンジュはすでに岩場の危険性をはっきり認識していた。
それでもロヒインのそばにたどり着くのには時間がかかった。
おどろいたことに彼はほとんど先に進んでいない。
「ロヒイン、気をしっかり保て」
言われて相手はこちらに振り向こうとした。
少しのぞいた顔は、しかし元気がない。
胸を打たれたと思ったその時、彼の身に異変が起こった。
よりによって彼はこちらの方に向かって倒れ込もうとしている。
「危ないっっ!」
急いでロヒインの真後ろに立つと、その薪を押し上げて逆に岩肌に押し付けた。
とたんに彼の体重が片手にのしかかる。
「ムッツェリィィィィィィィッッッ!」
「イサーシュッッ! ロープを持てっっっ!
わたしが彼を縛りあげるっっ!」
上の2人の姿が見えないコシンジュは不安にかられる。
手にのしかかる重圧がよけい身にしみる。
やがてロヒインの真横にロープに縛られたムッツェリの姿が現れた。
彼女は自分を結んだロープの先を持つと、さらにロヒインの身体を縛りあげる。
大きな薪を背負って岩場に押し付けられているにもかかわらず、鮮やかな手つきだ。
「よし、このまま3人がかりで持ち上げるぞ!
まずは気絶しかけてる本人を起こすっ!」
そしてムッツェリはひたすらロヒインに声をかける。
しばらくすると再び彼の身体が動き始めた。
ムッツェリが先に真上に移動すると、コシンジュの腕の負担が軽くなった。それに合わせてコシンジュも最後の力を振り絞り、のろのろとロヒインの身体を前に押し上げる。
4つの力が合わさって、ようやくロヒインの身体が頂上にたどり着いた。
コシンジュもそのあとに続いたが、ノルマを達成したという喜びはなく、すぐに背中の荷を下ろしてロヒインのそばに寄った。
「大丈夫か!」
背中に薪を背負ったままのロヒインは、ぼう然と山のふもとを見つめる。
遠く離れた屋根の数々を、しかし彼はみていないようだった。
しかし、ここで突然顔を両手でおおった。そして低いうめき声をあげる。
「うぅっ、うぅぅぅぅぅぅぅっ……!」
どこかで深いため息が聞こえた。当然ムッツェリだ。
「今日はここまでにしよう。お前たちはゆっくり休め」
誰も声がなかった。
ムッツェリだけが、不安げにロヒインを見つめて坂を下りていった。
最後の日の朝。
コシンジュは一切の痛みを感じることなく、ベッドから飛び起きた。
窓から差し込むわずかな光。
意気揚々(いきようよう)としていた彼だが、現実を思い出し少し落ち込む。
後ろを見ると、まるで死んだように眠るロヒインの姿があった。
この日ばかりは、無理やり叩き起さずに寝かせてやりたかった。
外に出るとさっそくイサーシュが、矢を弓につがえ、遠く離れた的に狙いを定めている姿が見える。
邪魔にならないようにコシンジュは声をかけた。
「お、サマになってるじゃねえか。どうだよ弓矢の具合は」
「今集中している。声をかけるな」
言われたとおりにすると、イサーシュは早速矢を放った。
しかしまっすぐ放たれた矢は的をかすっただけで、すぐ後ろにある立て板に突き刺さる。
「こんなものだ。確実に的を射ぬけるようになるには、まだまだ時間がかかるらしい」
「そうかなぁ、カスるだけでも大したもんだと思うけど」
「相手は止まっていない。常に動いているんだ。
少なくとも油断している時に当てられるくらいにはならねば」
ふたたび弓をつがえようとしているイサーシュに、コシンジュは軽く腕を組んであごに手を触れた。
「それにしてもお前、よくムッツェリの要求に素直に従ったよな。
これもホレた弱みってやつか?」
するとイサーシュは弓矢をコシンジュに向けようとする。
相手があわてたそぶりを見せると、すぐに矢を下ろした。
「あいつじゃない。ロヒインだ」
コシンジュが「へ?」と間抜けな声を発すると、イサーシュはうなずいた。
「あいつが苦手な分野にいどんでるんだ。俺が尻ごみなんかしてどうする?」
「あ、なるほど」
するとイサーシュは前に向き直り、ふたたび弓の弦を絞った。
「俺はもうしばらくこいつの練習をする。お前とロヒインは先に岩場に向かってくれ」
コシンジュは「わかった」とだけ言うと、急いで酒場までかけて行った。
コシンジュがなんなく200回のスクワットをこなし終えると、腰をおろしてロヒインのほうを見た。
「ひゃくきゅうじゅ~~~~~ななっっ!」
彼のスクワッドはいよいよ大台に達しようとしている。
コシンジュはそれを温かく見守る。
ところが、あと少しと言うところでロヒインは、ひざを折り曲げたまま動かなくなってしまった。
「おいっ! あきらめんなよっ! あともう少しだろっ!?」
ロヒインは顔を伏せたまま声を発した。
「コシンジュ……」
「な、なんだよ……」
「これ、200回達成したところでどうにかなることないんじゃないの?」
まずい、ロヒインは肉体的にも、精神的にも限界に追い込まれている。
「バカ言ってんじゃねえよっ! お前確実に筋力ついてるよっ!
こんなところであきらめてどうするってんだよっ! 大丈夫だよ絶対やれるよっ!」
ロヒインは少しだけ顔をあげた。
そのうらめしげな視線にコシンジュはドキリとする。
「……本当に?」
一瞬とまどったが、コシンジュはしっかりとうなずいた。
するとロヒインは意を決したように、ゆっくりと立ちあがって行く。
「ひゃくきゅうじゅ~~~~~はちっ!」
少し休憩したおかげか、ロヒインはすぐに座り、そして再び立ち上がろうとする。
「ひゃくきゅうじゅ~~~~~きゅうっ!」
「あと一回っっ!」
しかし、ここでロヒインはすぐに立ち上がることができなかった。
今度は精神的なものではなく、単純に肉体が悲鳴をあげているようだ。
「ぬぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……」
それでも、ロヒインは懸命に歯を食いしばり、必死に立ちあがろうとする。
その腰が少しずつ、少しずつ上へと上がろうとしている。
「がんばれっ! もう少しだっ!」
「……にひゃくっっっっっっっ!」
完全に立ちあがると同時に、その全身から力が抜けてすぐに地面に倒れ込んだ。
コシンジュはすぐにロヒインのそばにより、ユサユサと肩をゆらす。
「おいっっ! すげぇよっっ!
最初やった時は100回にも届かなかったのに、もう200回達成だぜっ!?
お前って本当にやればできるじゃねえかよっっっ!」
「……やったの? わたし、本当に200回やったの?」
今さら信じられないと言わんばかりの表情をするロヒイン。コシンジュは何度もうなずく。
「やれるよっ! 今日絶対やれるよっ! 絶対絶対、間違いねぇっっ!」
昼を過ぎたころ、ロヒインをのぞいた仲間たちが全員岩場の上に立っていた。
全員がいまだ登り切っていないロヒインを見下ろす。
ほかならぬムッツェリまでが、固唾をのんで彼を見守る。
しかし、当の本人はもはや限界と言わんばかりだった。
もう体力は使い果たし、あとは気力だけで手足を使い続けている。
仲間たちは、それをだまって見続けることしかできない。
ここで、一瞬ロヒインの身体がよろけた。全員が「あっ!」という声をあげた。
しかし彼は自力でなんとか持ち直すと、岩に懸命にしがみついている。
しかし、そこからまったく動かない。
ぼう然と顔をあげると、今にも泣きそうな顔になっている。
「……ダメだよ、コシンジュ。
無事にここをクリアできたとしても、この先はずっとずっと長い長い道のりなんだよ?
それなのにこんなところでつまずいて、先に進んでいけると思う?」
「ダメだ。あきらめちゃいけない。お前はオレたちとずっと旅を続けてきたんだろ?
それをこんなところで終わりにするつもりか?」
しかし、疲労が極限に達したロヒインにはそれが届いていない。
岩場に顔を伏せると、低い声で泣き始めた。
ムッツェリがコシンジュにしか聞こえないほど小さな声でつぶやいた。
「もうダメかもしれない。
彼には悪いが、ここにとどまってもらった方がいいと思う」
まずい、彼女の心情が悪い意味で変化してしまっている。
このままじゃ本当にまずい。
どうすればいい? 何かロヒインの心に、しっかり響くような言葉をかけて……
「……あ~~あっっ!」
あきれ果てたと言わんばかりの声をあげ、ポリポリと頭をかいたコシンジュ。
まわりの目が一斉にこちらに注がれる。
「お前、いったい何を……」
いさめようとするイサーシュを手で制した。そして深く息を吸った。
「……がっかりだよっ! お前には本当にがっかりしたっ!」
ぼう然としてコシンジュを見上げる当のロヒイン。
そんな彼に対し、コシンジュは冷たい瞳を向けた。
「オレは、信じてたぞ。お前が絶対、ここまで登ってくるのをな。
なのに登りきる前に、やれこれから先が不安だとか、それ朝のスクワッドの時も聞いたよ!」
「コシンジュ?」
信じられないとばかりのロヒインに、なおも冷たい声を発する。
「くだらない弱音は聞きあきたんだよっ!
そんなことウダウダ言ってるようなら、本当に置いてくぞっ!
オレを心の底からがっかりさせるな!」
「コシンジュッ!?」
「叫んでないでさっさと来やがれっ!
俺の知ってるロヒインはこんなところであきらめるような、やわな奴じゃなかったぞっ!」
「コシンジュお前いい加減に……!」
イサーシュが見かねてつかみかかろうとするのを、メウノが手で制した。
「なぜ止めるっ!」
「だまっててっ!」
メウノがあごで下を示すと、ロヒインの表情に変化が現れた。
意を決したかのように、目前の岩をにらみつける。
「……うおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっっっ!」
ロヒインは力強く岩をにぎり、全身に力をみなぎらせ、必死に前へ前へと上がる。
しかし、すぐに疲労を思い出したのか、次第にゆっくりした動きになる。
それでもあきらめることはない。
見たこともない懸命な表情で、着実に前に進んでいる。
「がんばれロヒインっっ! あともう少しだっ!」
両手のこぶしをにぎるコシンジュ。
仲間たちもかたずをのんでそれを見守る。
そして、最後の岩をつかみ、残された気力をしぼって、ロヒインは見事岩場の頂上へと登り切った。
「やったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」
コシンジュが両腕の拳を高くかかげるなか、ロヒインはその場に腰を落として肩の荷を下ろした。
その姿は今にも気絶しそうにぼう然としている。
これにはさすがにイサーシュとメウノの2人がハイタッチする。
コシンジュはそれを見てかがんでロヒインの両肩をつかんで激しくゆらした。
「やったぞっ! ついにやったっ!
これで旅が続けられるぞっ!」
「……本当に? わたし、本当に旅を続けていいの?」
「……まだまだだな」
ところが、たった1人だけ冷静な人物がいた。
言うまでもない、ムッツェリだ。
おびえた表情で、2人は彼女のほうに目を向ける。
いつになく真剣な表情をするムッツェリが、押さえた口調で告げる。
「お前は仲間たちに比べ、たった1回しか登頂を果たしていない。
そんな調子で、体力をつけた仲間たちについて行けると思うのか?」
「おい、待てよ。彼は最初にスクワットノルマを達成した。
最初から疲れた状態で、なお訓練を続けてきたんだ。その辺を考慮すべきだろう」
イサーシュが見たこともないほどあわてている。
ムッツェリは彼を一瞥したあと、こちらに向き直った。
「だが、今までの努力を認めよう。
このまま懸命に我々についていけば、目的地にたどりつく頃にはそれなりのものになっているはずだ」
いまの言葉が信じられないと言わんばかりのコシンジュとロヒイン。
ムッツェリはそんな2人に対し、いままで見せなかった穏やかな笑みを見せた。
「おめでとう。そしてようこそ、マンプス山脈へ」
コシンジュとロヒインは顔を見合わせた。
お互いの表情が歓喜に包まれる。
「「やったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっ!」」
2人はがっしりと抱き合った。それを見ていたメウノも「やったぁっ!」と行ってバンザイする。
イサーシュもまるで自分が成し遂げたかのように拳をにぎって上にかかげた。
大笑いする2人だったが、途中でロヒインが身体を離した。
「ありがとう、これも全部みんなの、そしてコシンジュのおかげっっ!」
「なに言ってんだよ。こいつはお前が自分でやったことだ……ておいっ!」
言いかけたところでロヒインが顔を近づけてきた。
あわててそむけるコシンジュだったが、そんなことお構いなしにしきりにほっぺたにチューしてくる。
「ありがとうっ! コシンジュっ、大好きっっっ!」
「やめろっ! 感動はしたが別にお前のことが好きになったわけじゃないぞっ!
ていうのかやめろ、やめろってっ! いいのかお前、性癖がバレるぞっっ!」
3人がそれを見て笑うなか、ふとイサーシュがムッツェリの肩をたたいた。
「ん? なんだ?」
ムッツェリが振り返るのを確認して、イサーシュは頭を下げた。
「ありがとう」
ムッツェリは急に気恥ずかしくなって、顔をそむけてほおをポリポリかいた。
そばでは、それを温かく見つめるメウノの姿があった。
翌日、5人は酒場の裏にある登山道入り口に集合していた。
「しかしこれ、本当に重いな。いったい中身はなにが入ってんだ?」
コシンジュは荷物を背負いなおす。
これまでなじみとなっていた薪よりも小ぶりだったが、当然それと同じくらいの重さはある。
「いろいろ入っている。着替え、いざという時のための非常食。
そしてなにより重要なのは、テントだ」
ムッツェリが何気なく言った一言にコシンジュはびっくりした。
「テントォッ!? マジかよ、こん中にそんなもんが入ってんのかよ!」
「全部じゃない。だがいつどこが寝床になるかわからんのだ。
全員が寝泊まりできる準備はしっかりしておかなければいかん」
「おうおう、お前らすっかりサマになってるじゃねえか」
「まるで見違えるようだな。
これなら無事に南の端までたどり着けそうだ」
マスターとその弟が並び、お互いの顔を見合せながらうなずく。
入口には他にも何人かの村人たちが着ていた。
その中には最初好意的でなかった者もいた。だがここ数日の彼らのがんばりを見て、態度を改めたらしい。
「おおそうだ。実は出立する前に、どうしても会ってほしい奴がいるんだった」
全員が振り返ると、マスターの弟が集団に向かってあごをしゃくる。その中から誰かが前へと進み出る。
数日前にコシンジュ達をののしった、あのくたびれ中年だ。
最初不機嫌な顔をしていたが、意を決したように深々と頭を下げた。
「すまねぇっっ! この通りだっ! 許してくれっ!」
「え? どうしちゃったんだよ……」
コシンジュが代表して声をかけると、顔をあげた中年は切実な表情をした。
「お前らだってさんざんつらい目にあってるのに、まるで疫病神みたいに扱っちまった!
いくら不安だったとはいえ、あんなむやみやたらにあたり散らすこともなかったのに……!」
するとコシンジュは中年のそばまでより、その肩に手をポンと置いた。
「大丈夫だ。そういう扱いは慣れてる。別に気にしてねえよ」
すると中年が、今度はコシンジュの肩をつかんだ。その顔は今にも泣きそうだ。
「負けんじゃねえぞ! 魔物どもにも、山にもな!」
「……もちろんだっ!」
コシンジュが笑顔で親指を立てると、中年は泣き笑いの表情になった。
そして、一行は多くの人々に見送られオランジ村を出発した。
両者長々と手を振り続け、やがて見えなくなると5人はまっすぐ前を見つめた。
そこには左右をきり立つ山と山に挟まれ、うっすらと光に照らされた細い一本道があるだけだった。
「いよいよ、次のステップだね。コシンジュ、今まで迷惑かけてごめんね」
「なに言ってんだよロヒイン。本番はこっからだ。
お前だけじゃなく、俺たち全員にとってな」
そう、この先にはけわしい山々だけでなく、魔王軍が用意した手先たちも待ち構えているはずだ。
これまでずっと旅を続けてきた4人だけでなく、新たに仲間に加わったムッツェリにとっても大きな試練になるに違いない。
当の本人はこちらに振り返ることもなく、ひたすら前の坂道に向かって一歩一歩進んでいる。
その手前にいるイサーシュとメウノはこちらにほほえんだあと、同じようにしてまっすぐ進んでいった。
コシンジュとロヒインが、そのあとに続くようにしてしっかりと歩を進めた。
こうして5人の新たな旅が幕を開けた。
これから先、どのような試練が待ち受けているのだろう。
そしてどのような光景が、彼らを出迎えてくれるのだろう。
しばらく忘れていた気持ちを思い出しながら、コシンジュ達はまだ先の見えない未来へと進んでいく。




