第14話 ロヒインの強化訓練~その3~
定められた日数は今日を入れてあと6日。
この日は結局山登りの訓練をなんとかこなすだけで1日が終わってしまった。
ロヒインはメウノの疲労回復治療を受けながらも、結局斜面を一度も登ることができずじまいだった。
誰もが疲労困憊の重苦しい夕食が終わり、倒れ込むようにして一夜を明かした。
翌日は筋肉痛がひどかったが、メウノの治療のおかげで何とか持ち直した。
「ゴメンなメウノ、お前も苦しいだろうに」
「いいんです。わたしはみなさんと違って余裕がありますから」
言うとおりその日のメウノは昨日と違って少し軽快になった。
コツをもいち早く覚えたようで斜面を軽々と登っていく。まるでムッツェリの動きを見ているようだ。
イサーシュはまだ苦戦している。
昨日今日で完璧にマスターするのがおかしいのだから、これが未経験の普通の状態なんだろう。
だとしても体を鍛え抜いている奴でさえこれか。
コシンジュはもっと苦労していた。最初の斜面を登り終わる時には息も絶え絶えになっており、休憩なしでは岩山に進むことができない。
容赦ない視線を送るムッツェリの声が飛ぶ。
「おい勇者。いくらスクワット200回こなしたからと言って、最初の斜面で休憩しているようでは身が持たないぞ。
お前も早く休憩なしで岩場を登れるようになれ」
「ハァ、ハァ、そんなこと、言われても……」
コシンジュが顔をあげると、斜面をこなすようになっていたメウノもいまだ岩場では苦戦している。
イサーシュはそれ以上だ。彼の場合最終的には休憩なしで岩場に挑戦しなきゃいけないため、まだまだ先は長いだろう。
コシンジュは自分のことは棚にあげて、今度は下の方に目を向けた。
ロヒインはいまだ下の広場で背中の薪と格闘している。
足がふるえないほどには歩けるようにはなったものの、坂を登れというにはまだ足元がおぼつかない。
不意に最初にスクワットした時のことを思い出した。
一緒に並んでスクワットするのは少々気恥しかったが、元気づけるためには仕方ない。
それでも段々ロヒインのほうが遅れはじめた。
コシンジュが何とか200回やりこなしたのに対し、ロヒインは100回立たないうちにとうとう倒れ込んでしまった。
「まるでダメだな。それに今日また姿勢が戻っていたぞ。
しっかり胸を張って腹の筋肉をつけろ!」
「ふっ、腹筋を鍛えます!」
「上体起こしをするつもりか?
あれはやるな。腹筋よりも腰に負担をかける。
それよりも一日中きちんとした姿勢をとるようにすれば、十分な筋力がつく。
だからどんなに疲れていても一日中姿勢を正せ」
ムッツェリに容赦という言葉はない。
少し厳しすぎるとも思ったが、これくらい乗り越えられなくてはお話にならない。
「なにをぼさっとしている! いつまでも休憩ばかりしていないで早く登れっ!」
言われてコシンジュはうんざりした顔をしながらも岩場に向かった。
この日は結局、メウノでさえノルマの5回に到達せずに終わってしまった。
しかし彼女の場合はもうすぐカタがつくだろう。イサーシュやコシンジュでさえ着実に前へと進んでいる。
問題はロヒインだ。結局彼はこの日も斜面に向かうことができずに、一日中広場を歩きまわるだけで終わってしまった。
本当に決められた日数以内に、岩場の上まで登りきることができるのだろうか。
翌日、昨日よりも激しい筋肉痛におそわれ、メウノの力がなければ立ち上がることも困難だった。
我ながらよほど無理をしているのだろう。口では文句ばかり言っているくせによくやるわ。
「が、がんばってるねコシンジュ。前よりもしっかり足腰が鍛えられてるみたい。
これならムッツェリさんの言ってた5回到達も不可能じゃないね」
ともにスクワッドを終えたロヒインが、息をつきながらも話しかけてきた。
「そういうお前こそ、前よりスクワッドできるようになったじゃねえか。
昨日は見てて不安になったけど、案外いけんじゃねえの?」
そう言ってポンと肩をたたくが、当の本人はうかない顔だ。
「でも、これでいいんだろうか。
最低でも1回登り切ればオッケーって言ってくれたけど、みんながやってるような5回往復にはまだまだ時間がかかる。
ノルマを達成してもわたしはきっとみんなの足を引っ張ることになる」
「大丈夫だって。山の中は急勾配ばかり続くわけじゃねえんだ。
きっと終わりのころにはお前もスタスタ歩けるようになるって」
あくまでも元気よく言うコシンジュだったが、内心では自分でもそのことが気にかかっていた。
おどろいたことに、この日メウノは早くも5回目に到達してしまった。
「ここまできたら、さすがにお前の力を認めざるを得ないな。
わたしも感服するよ」
ムッツェリが観念したように言う。メウノはここぞとばかりに、不敵な笑みを浮かべて仲間たちに親指を立てた。
イサーシュはそれをほめている余裕はない。コシンジュにいたっては見てもいない。
メウノはがっかりしたような顔をするが、ムッツェリはそんな彼女に肩をかけた。
「なにをうかうかしている。いち早くノルマ達成したお前には別にやってもらうことがある。
明日からはキャンプ用のテントの組み方を習ってもらうぞ」
うぅっ、と言いながらもメウノはうなずく。するとムッツェリは別のほうを向いた。
「イサーシュ、お前にも話がある。あとでわたしについてくるように」
不意をつかれたイサーシュはおどろきを隠せない。そんな彼に相手は深くうなずいた。
3人が斜面を登り降りると、ロヒインがまっすぐ山の上を見つめていた。
「ロヒイン、やるのか」
彼はコシンジュのほうを見もせずにうなずく。
そしてゆっくり斜面に足を乗せると、身体を目にかたむけて体重をかけはじめた。
「……ぐぅぅっっ!」
とたんに顔をしかめながらも、言われたとおりに足をしっかり伸ばして大地を踏みしめる。
そしてゆっくり片足を離していく。
「がんばって、ロヒインさん……」
メウノの声援にこたえるように、ロヒインは着々と前へと進んでいく。
それは誰よりも遅いものだったが、彼にとっては着実な進歩だった。
しかし、そんな足取りは斜面の半ばでより一層遅くなってしまった。
3人が祈る気持ちで見守る中、しかしどんどんロヒインの歩みはとどこおっていく。
「もう日が暮れる。暗くなればより危険だ。もうそれくらいにしろ」
ムッツェリが言うとおり、夕日はもう山の中に消えさっている。
「だ、だだだ、だ……」
「ロヒイン! 無理してしゃべるな!」
しかしそんな彼の声に相手は意を決したように叫ぶ。
「ダメですっ! 今日中にここを登れるようになるんですっ!
そうしないといくらなんでも間に合わない!」
「あれじゃダメだ。どう見ても昇りきる前に力尽きる」
イサーシュが小さな声で言うと、メウノが見かねて叫んだ。
「ロヒインさん!
いいから肩の荷をおろして! 明日登れるようになればいいっ!」
しかしここであきらめるようなロヒインではない。コシンジュは知っている。
「登れ、登りきるんだ……」
ところが、それを言ったとたんロヒインがバランスを崩した。
そして突然薪が横方向に倒れた。
「……うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」
ロヒインの悲痛な叫び。異変が起こったようだ。
メウノがあわてて薪をおろし、斜面をかけのぼって彼のもとに向かう。
コシンジュ達もすぐにあとを追う。ロヒインの苦痛にゆがむな顔が目に飛び込む。
「大変っ! ヒザを思い切りぶつけたようですっ!
痛めたようでとても立ち上がれるものではありません!」
「なんとかならないのかっ!?」
責め立てるような口調のムッツェリにメウノは落ち着いた調子で振り向く。
「大丈夫、わたしの治療術ですぐに直せます。
しかし今日の練習はもう無理かと……」
コシンジュとイサーシュはそろって顔を見合わせた。
彼らの心に、初めて不安の色が宿った。
残る日数は、あと3日しかない。
大きな不安を残しながらも、イサーシュはムッツェリに連れられ、彼女が住んでいる小屋らしき場所に向かった。
「こんな場所に何の用だ? 俺よりもロヒインのほうを心配すべきだろう」
「なにを言っている。
あいつもかなり問題だが、お前もやっかいな悩み事を抱えているんだろう?」
イサーシュは立ち止まった。
隠していたつもりだったが、なぜか彼女には気付かれてしまったようだ。
「ちょっとそこで待っていろ」
そう言ってムッツェリは小屋の中に消えてしまったが、すぐに何かを持って出てきた。
「お前ももうすぐ試練をクリアする。
そうなれば次はこいつの番だ」
イサーシュは差し出されたものを見てびっくりした。
それは彼女が普段持ち歩いているものと同じ、大きめなサイズの弓だった。
「どうして、こんなものを?」
「いい加減とぼけるのはよせ。
わかっている、メーヴァーと戦った時にはっきりしただろう。
お前には空中を飛び交う敵を相手にする手段がない」
なにも言い返せずにけわしい目を向けていると、ムッツェリは腕を組んで不敵な笑みを浮かべた。
「言いたいことはわかっている。
お前も剣一本でやってきたんだろう? わたしも似たようなものだ。だからお前の気持ちがよくわかる」
「しかし俺は……」
「剣士としてのプライドがあるのもわかる。
しかしそれと生き残る意志とは無関係だ。
本当にこの山を生きて渡りたいのなら、こだわりを捨てて弓矢も覚えたらどうだ?」
目は泳いだがイサーシュは相変わらず視線を向け続ける。
「大丈夫だ。メーヴァーを倒したときの手際を見て思った。
お前にはそのスジがある。きっと弓矢も早く覚えられるだろう」
そう言ってムッツェリは片手を離し、グローブからむき出しになった人差し指を手元に向けた。
思ったよりきれいな指に、思わず視線が吸い込まれる。
「ためしに引いてみろ」
仕方なしに首を振りながらも、言われたとおりに弓を胸の前にかかげ、ツルを引っ張り上げた。
「違う、そうじゃない」
するとムッツェリはイサーシュの前に立ち、背中に胸を押しつけるように密着してきた。
イサーシュはとたんにビクリと身体をふるわせる。
「なにをあせっている。別に取って食おうというわけでもないのに」
そうは言っても、顔は一瞬で熱くなり、心臓が跳ね上がりそうになる。いまの顔は絶対に見られたくない。
そんなこともお構いなしにムッツェリは両腕をとり、勝手に上の方に持ち上げる。
「両手はもっと上にあげていい。目線まで上げれば狙いやすくなるからな。
ただしあまり顔に近づけすぎるな。矢が飛んでいくさいにほおをケガするからな」
あまり話は聞こえていなかったが、言われたとおりにすると相手は勝手に満足した声をあげた。
「そう、それでいい。
やはりお前はスジがいい。やはり訓練を積んだ剣士は違うな」
意図しているわけでもないだろうに、その声はどこか艶めいている。
そんな彼女が身体を離したことに気付き、まるで名残惜しいと言わんばかりにふりむいてしまった。
「なにをそんな顔をしている。心配しなくてもすぐに覚えられるようになるさ」
見当違いの言葉を発するムッツェリ。
夜更けなので顔色がよく見えないのかもしれない。
「じゃあ、また明日な。山登りももうすぐ達成だ。がんばれよ」
意気揚々(いきようよう)と肩をたたき自分の小屋へと消えていくムッツェリ。
イサーシュはそんな彼女をただ見送ることしかできなかった。
しばらくぼう然としていた彼はあわてて首を振り、若干急ぎ足で仲間たちの待つ小屋へと舞い戻った。
曲がり角に入ったところで、壁にコシンジュがもたれていることに気づいた。
「ヒューヒュー! お熱いね、この野郎!」
「てめっ! 見てやがったのかっ!」
イサーシュが拳を振り上げると、コシンジュは観念したように両手をあげた。
「すまん! のぞき見するつもりはなかったんだ。
けどたまたま通りかかったら、ついね」
あきれたイサーシュが手をおろすと、コシンジュはなだめるように言った。
「あいつ、カワイイよな。性格はサイアクだけど」
「カン違いするな。口は悪いが面倒見はいい奴だ。
なんだかんだ言って俺たちに的確なアドバイスをしてくれる」
「さぞイサーシュさんとは気が合うんでしょうねぇ。
ひょっとしてヨメさんにはぴったりじゃない?」
イサーシュは相手のほうを見もせずに指差した。
「お前のほうこそ、もっとロヒインの奴を大事にしろ」
「大事にって。わかってんのか?
あいつ心は女だってはっきりしたけど、しょせん男だぜ?
友達としてはいい奴だけど、オレははっきり言ってノン気だし」
あきれるような声をあげるコシンジュにふりむくと、明らかに面倒そうな顔をしていた。
イサーシュはそんな彼にははっきりと人差し指を向ける。
「だからこそもっと奴の気持ちをくんでやれって言ってるんだ。
受け入れるのはムリでも、その件に関して突き放すような態度をとるのはやめろ」
「自分としては精いっぱいやってるよ。
それに人の気持ちがよくわからない奴に言われても説得力がない」
首をすくめるコシンジュに、イサーシュは首を振ってこたえた。
「何年奴と友達をやってると思ってる?
コシンジュ、お前もだ」
そう言ってイサーシュは再び歩き出した。
コシンジュは両手を上にあげて再び首をすくめた。
「ハイハイ、出来るだけがんばりますよ」
しかし、その日の夕食のロヒインはあまりにもひどい有様だった。
目の前の食事にもありつこうともせず、力なく見つめるばかりだ。
「ロヒイン、気持ちはわかるがしっかり食わねえと体力がもたねえぞ」
そう言っても、2,3口かじりついただけですぐに手を下ろしてしまった。
「ムッツェリが見ていたら、ここぞとばかりにバカにするだろうな」
イサーシュが言うと、ロヒインは一瞬彼のほうをにらみつけたあとすぐに鳥にかじりついた。
コシンジュが感心してイサーシュに目を向ける。彼は勝ち誇ったような顔を向けた。
いつもはイラッとさせられるが、この時ばかりは感謝せずにいられなかった。




