第14話 ロヒインの強化訓練~その2~
「なんだよ~、こんな朝っぱらから。見ろよまだ日も昇りきってないぜ」
ろこつに眠そうな顔をするコシンジュにムッツェリは不満げに腕を組んだ。
「不測の事態に備えて早めの時間に行動するのが登山の鉄則だ。
これからはこの時間に起床するから今のうちにしっかり慣れておけ」
コシンジュが横を見ると、メウノとロヒインも同じようにだるそうにしている。
イサーシュだけがピンピンしている。どんだけ健康バカなんだこいつは。
「で、今日は何から始めればいい」
意気ようようとしているイサーシュにあわせ、ムッツェリもこっくりとうなずいた。
「今回の登山のために、とっておきの物を用意した。これを見てくれ」
4人が彼女指し示した方向を見ると、底には薄明かりのために影しか見えない、4つの黒い物体があった。
目をこらしてみると、なんだか大量の薪がのせられたかごのように見える。
コシンジュはおもむろにそれを指差した。
「あれを背負えと?
言っとくけど薪背負いは村でも普通にやってたぞ。あんぐらい……」
「おい、よく見ろよ」
イサーシュがアゴをしゃくる。たしかになんだか違和感がある。
それを見たムッツェリが、手招きして4人をそれに向かって引き寄せる。
「……ていうか何コレッ! デカイッッッ!」
近寄って見ると、それは尋常な大きさではなかった。
ゆうに自分たちがうずくまったほぼ倍ぐらいの大きさはある。
「こんなんムリッ! ムリムリッッ!」
嫌がるコシンジュにムッツェリはあきれた表情になった。
「なにを言っている? この山脈を縦断するには2日や3日では足りないんだぞ?
荷物量も相当なものになる。これぐらいの量を背負うのは当然のことだ」
しかし、いつまでたっても冷静なイサーシュは平然と前に進み出る。
「ほう、面白い。どれ、まずはこの俺が試してやろう」
そう言って端の薪をつかむと、若干苦しげな顔を浮かべながらもなんとか持ち上げた。
「違う違う、そうじゃない。
まずは腰を落として背中を張り付け、両側の帯を肩に背負って立ちあがるんだ」
ムッツェリのいうとおりにすると、少し苦戦しながらもなんとか薪を背負って立ちあがった。
「ぐっ! なかなかの重さだな。
だが持てないことはない。少し練習すればなんとかなりそうだ」
「うむ、しっかり足腰を鍛えているようだな。
慣れればすぐに歩き回れるようになるだろう」
満足げに腕を組むムッツェリの視線が、続いてコシンジュのほうを向いた。
「ほら、次はお前の番だ。
ガキの分際で勇者を名乗るくらいなら、これくらいは朝飯前だろう」
言われて不機嫌な顔をしながらも、いざ薪の目の前に立つと不安な表情を隠せなくなる。
「うう、しんどそうだなぁ……」
そして先ほどの説明通りに薪を背負う。
やっぱり重い。相当重い。ていうかクッソ重い。
「ぬおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……!」
それでも勇者の意地にかけ、両足を力いっぱいふんじばると、なんとか薪が浮かび上った。
途中でバランスを崩しかけながらもなんとか立ち上がる。
「おお、やったぁ! すごいっ!」
ロヒインが拍手を送る横で、ムッツェリはゆっくりと首を振った。
「まだまだだな。足がふらついている。下半身の鍛錬が足りないな。
練習前にスクワットを200回以上こなせ」
「にっ、200回っっっ!?」
「そいつを持って岩山を歩くんだ。当然だろう」
がっくりとうなだれるコシンジュをよそに、ムッツェリの目は次なるターゲットに注がれた。
「さて、残るは最大の不安要素、か」
そう言って彼女はメウノ、ロヒインの両者を交互に見やる。完全に相手をナメきっている目つきだ。
するとここでおもむろにメウノのほうが手をあげた。
「あ、あのっ! 私がやります!」
少しびっくりしたコシンジュはおもむろに片手をあげる。
「おい、ムチャはすんなよ……」
言われてメウノはうなずきながらも、スタスタと薪のほうまで歩いていき、腰をおろして両肩に帯をかけた。
そして「う、うんしょっ」と言いながら両足に力を入れる。
コシンジュは開いた口がふさがらなかった。
メウノはよりによって、すんなりと立ち上がり、さらにはかなり重いはずの薪を動かして姿勢を整えたのである。
「「……え、ええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっ!」」
コシンジュとロヒインがすっとんきょうな声をあげる。
これにはさすがにイサーシュやムッツェリまで目を丸くしている。
イサーシュのほうが消え入りそうな声をあげた。
「これは、さすがに予想外だ」
対するメウノは照れ臭そうに頭をなでる。
「えへ、実は修道院時代に薪割りを担当してたんです。
それでもって大きな施設なものですから、量もかなり多くて。
おかげで足腰はけっこう鍛えられました」
するとメウノはとても重い荷物を持っているとは思えないほど、軽い足取りであたりを歩きまわった。
ムッツェリががく然としながらも言う。
「お前が最初の試練をこんなに軽々とクリアするのにはおどろいた。
そこまでやれるのなら、この中で最も早くこなせるだろう」
そしてその視線は、残る最後の1人に絞られた。
「さて、女の身ですら持ち上げられる荷物だぞ?
ここは男のはしくれとして負けてられないんじゃないか?」
するとロヒインは真剣な表情でうなずき、残り1つになった薪に向かって歩き出した。
仲間たちと同様に座って帯を肩にかける。
「よし、やってやる! メウノなんかに負けてたまるかっ!」
そして勢いよく息を吹くと、両足に思いきり力を込めた。
「ぬおりゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」
ところが、これではロヒインの腰が妙に浮いてしまうだけで薪は持ちあがらない。
「バカッ! ムチャすんなって!
勢いだけで持ち上げても薪は上がらねえぞっ!」
コシンジュの声に続くようにしてムッツェリもアドバイスする。
「その通りだ。まず足をあげるよりも上半身を起こせ。
ヒザをぴったりと張り付ければ自然にもちあがるはずだ」
「わ、わかった……」
そして言われたとおりの姿勢でふんじばる。
ところが、薪は少しだけ上がっただけですぐに地面についてしまった。
ついでにロヒインの腰も地面にぶつかる。
「あだっ! いたたたたた……」
「ちょっと肩を外して立ちあがってみろ」
ムッツェリのアドバイスに従い言われたとおりにすると、ロヒインの真横に立ってその姿勢を上下にながめた。
ジロジロ見られているだけにロヒインはとまどいを隠せない。
「やはりな、まず姿勢が悪い。ちょっとじっとしてろ」
するとムッツェリはロヒインの真後ろに立ち、いきなり両肩を持って後ろに引っ張り上げた。
そして相手が「うぅっ!」と言っているあいだに、片手を離して背中の中央に押し当てる。
ロヒインは胸を大きくはったような姿勢になった。
「よし、これでいい。これが本来とるべき人間の姿勢というものだ」
「そうなんですか?」
ロヒインがメウノのほうを見ると、相手はこっくりとうなずいた。
「人間は直立歩行をする生き物ですが、重い頭や両手がある上半身を支えているのは、背骨1本だけです。
肩とおなかの筋肉をしっかり鍛えておかないと、背骨に負担がかかり自然と前傾姿勢になってしまいます。
ロヒインさんはおそらくウォーキング以外は体を鍛える習慣がなかったので、そのような姿勢になってしまったのでしょう」
さすが医療従事者。健康に関してはいろいろと聞いてみよう。
ロヒインのほうを見ると、ずっと胸を張ったまま(健康にはいいらしいが)、なんだか苦しそうにしている。
「うぅっ、こんなにしっかり胸を張らなければいけないんですか?
自分としては正しい姿勢のつもりでいたんですが、こんな状態をずっと続けなきゃいけないなんて、なんだか筋肉痛になりそうなんですけど」
「ロヒイン、あともう少し頭を下げろ。そう、そうだ」
「ムッツェリさん、これじゃ足元が見えない」
「どうせ山登りするんだ。地面は目の前にある。コケる心配はない」
「い、今いるのは平地だって……」
文句たれるロヒインを無視して、今度はコシンジュのほうを見た。一瞬ビクッとしてしまった。
「お前もどちらかと言えば姿勢が悪い。練習が終わったらお前も同じように胸を張るように」
「うぅ、はい、わかりましたぁ」
オドオドしている姿を知らない人に見られたら、とても勇者だとは思えないだろう。
いまだ薪と格闘しているロヒインを置き去りにして、ムッツェリは3人を近くの山場に連れていった。
「ここがメインの練習場だ。お前たちには数日間ここの岩場を上り下りしてもらう。
1人1日5回往復すれば認めてやろう」
聞いたとたん、コシンジュはろこつに嫌そうな顔をする。
それほど目の前の坂は急だったのだ。
「え、ここ、かなり急こう配なんじゃねえ?
ていうかなにあれっ!? 上のあたり坂っていうよりもはや断崖絶壁じゃねえっっっ!?」
「おいおい、あんな場所を重い薪を背負って登ったらいくらわたしでも危ない。
お前たちに上ってもらうのは途中にある足場までだ。
山脈を縦断するルートにはクライミングは入っていない。お前たちにはトレッキングだけで十分だ」
「な、なんだ。ビックリした。でもそれでもキツそうだなぁ」
「なにを言っているコシンジュ。山脈はこんな場所であふれ返っているんだぞ。
これくらい登れないようでは、とてもお前に勇者の資格を名乗る価値があるとは思えないな」
「くそっ! 勇者の名前を出せばノリ気になると思いやがって! 実際そうだし!」
するとムッツェリはメウノのほうを向いた。
「まずはわたしが手本を見せよう。メウノ、いったん荷物を降ろしてわたしによこせ」
メウノがいわれたとおりにすると、彼女は同じように腰をおろして薪を背負い込む。
しかしその動きはメウノの倍くらい早かった。
「わ、すごい。さすがプロはなれてらっしゃる」
感心するメウノは、しかしなぜか不機嫌な表情になった。
きっと先日のことを思い出してしまったのだろう。
そんなことにもお構いなしにムッツェリは肩の荷を直しながら斜面に立つと、あろうことか軽々とした足取りで、かなり急なはずの坂をスタスタと歩いてしまった。
「ぎゃぁぁぁ!
アイツ絶対人間じゃねえよ! きっと魔物の血が混ざってやがるんだ!」
「だまれ勇者!
いいか、コツは常に前傾姿勢を保つこと、それでいてなお背筋はまっすぐ伸ばすこと。
足をまっすぐ伸ばすためにかかとの筋肉が柔軟じゃなければ、すぐに背中の荷物に引っ張られ真後ろに転倒するぞ! 山の中腹ではこれが命取りになるっ!」
すると少しだけ顔をこちらに向けていたムッツェリが完全にこちらにふりむき、手招きをする。
「まずはここまで登って見せろ!
最初はメウノ、次にイサーシュ、最後はうだうだ文句ばかりタレるだけの落ちこぼれだ!」
「あいつきちんとオレの名前呼ぶつもりないだろっ!」
文字通り文句ばかりたれるコシンジュを無視し、メウノが坂の前に立つ。
すると背中の荷がないことに気づいたムッツェリがこれまたスタスタと斜面を下りていく。
「やっぱりあいつ人間じゃねえ!」
言っているあいだに背中の荷物を交換したメウノ。
意を決したようにうなずき、そして斜面を登り始めた。
少しぎこちなかったがなんとかムッツェリのいる場所までたどり着いた。
「ふぅ、やはり平地と坂道では背中の負担の度合いが違いますね。
油断すれば一瞬で倒れ込んでしまうでしょう」
どこがだよ、とコシンジュが首をひねっているうちに、今度はイサーシュが坂の前に立った。
さっそく坂を登り始めると、案の定足取りが重い。
「ぐぅぅ。こんな坂、背中の荷物さえなければどうということはないのに……」
「うむ、やはり初心者はこれくらいか」
「ムッツェリ、お前イサーシュには優しいよな。
その優しさオレにも分けてくれよ」
コシンジュのつぶやきをよそに、イサーシュはメウノの倍近くの時間をかけ、2人のもとにたどり着いた。
ムッツェリはねぎらうように肩をポンと叩く。
「あせるな、まだ時間はある。
じっくり時間をかけて足腰を鍛えておけばいい」
イサーシュが肩を上下させながらもうなずくのを確認して、ムッツェリはコシンジュに目を向けた。
「さぁ、残るはお前だけだこのヘタレ勇者!」
「なんだかどんどん呼び方がひどくなってねぇ!?」
そう言いながらもしぶしぶ坂の前に立つ。
目前の坂道は思った以上に急こう配で、一度は決めた覚悟もすぐにしぼみそうになる。
「ちゅうちょするなコシンジュ!
山脈を渡れなくても、代わりに俺が棍棒を持っていくだけだから安心して登ってこい!」
「くっそ~~~~~~~~~~~~っ!」
イサーシュに触発されたコシンジュは坂を登り始める。
しかし踏みしめた斜面は予想した以上に重圧がかかり、今にも前に倒れ込みそうになる。
何とかこらえて前に進むのだが、一歩一歩進むごとに胸が熱くなり、息が勝手に荒くなる。まわりの喧騒が遠くに聞こえる。
「コシンジュさ~ん! しっかり~!」
メウノの声援にこたえている余裕は全くない。
ムッツェリの言うように前傾姿勢でかかとをしっかり伸ばすのだが、聞いた通り油断しているといまにも前に倒れ込んでしまいそうだ。
重い荷を背負った状態で身体をうちつけるのは危険だろう。
「もう少しだっ! と言ってもまだ試練は終わりじゃないぞ!
ここで倒れ込んでしまってはとてもじゃないがあとがもたん!」
ムッツェリが言っているうちに、コシンジュは3人のいるところまで何とかたどり着いた。
メウノがねぎらうようにその肩をポンと叩く。
「やりましたねっ! コシンジュさん!」
返事をすることができない。
口からもれるのは荒々しい息だけで、何か言葉を発しようにも全く出てこない。
考える気力も残っていない。
「なにを言っている。全然ダメだな。
これじゃすぐに次の課題に進むことはできん。しばらく休憩して様子を見よう」
しかしさすがに体を鍛えているだけはあって、コシンジュの息はすぐに治った。
しばらくはいやがっていたが、イサーシュとムッツェリの挑発に乗りすぐに次の課題に進むことになった。
「……って、これ、さっきより地形が複雑なんですけど」
コシンジュがいうとおり、底から先はかなりでこぼこの岩山になっていた。
足の踏み場は少なく、中にはどう登ったらいいかわからない場所もある。
「コシンジュ、そこにある岩場に薪をおけ。お前はもう少し休憩だ」
コシンジュはうんうんとうなずいた。
正直薪を背負いっぱなしだったので足の負担が尋常じゃなかったのだ。これはありがたい。
上が比較的平らな岩場に薪を降ろすと、今度はそれをムッツェリが背負う。
彼女が上の方に向かっているあいだにコシンジュはそこに腰を下ろした。
「いいか、ここからが本当の練習だ。最低でも今日1回は登れるようになれ」
そう言って身近な岩に手を置きながらどんどん斜面を登っていく。
「いいか、ここからはできるだけ腕の力を使うな。
強く握ってもいいが体重をかけるなという意味だ。腕力は魔物を殴る時のためにとっておけ」
相変わらず不安定な足場を器用に登っていくムッツェリの職人芸に3人はおどろくばかりだ。
彼女は突然足を止めてこちらに振り向く。
「こういった場所でも足をしっかり伸ばしておくことは重要だ。
必ずまっすぐにしてから次の一歩を踏み出せ。そして岩場は常に不安定だということだ。
日ごろ風雨にさらされる岩はもろくくずれやすい。くれぐれもそのことを頭に入れて登るように」
すると突然彼女は逆方向に戻り始めた。
あっという間にコシンジュ達のもとについた彼女は岩場に座る少年にあごをしゃくる。
「いつまで休むつもりだ。変われ、早く準備しろ」
「お、鬼ぃ……」
泣きそうな顔をしながらも言われる通り岩から降り、ムッツェリが荷を下ろすのに従ってコシンジュは再び薪を背負った。
再び重すぎる荷物と、見上げるとそびえたつ岩山に本当に泣きそうになった。
「わあぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」
コシンジュはつい前に転倒しそうになり、しかしすぐにムッツェリの腕に取り押さえられた。
「気を抜くなって言っただろうっ!
ヒザや頭を打つと危険だぞっ!? それをわかっているのかっ!」
コシンジュは力なくムッツェリを見た。
そんなことはわかっていても、次第に頭の意識が薄くなっていく中では、どんなに気をつけていたとしてももたない。
「くそっ、仕方ない。わたしが支えてやるからしっかり登れ。どうせあともう少しだ」
ムッツェリに腕を支えながらもなんとか登りきると、さすがのイサーシュやメウノでさえ腰をおろして肩を上下させているのが見えた。
しかしそれに目を配る余裕もなく、コシンジュは腰を落として背中の荷物から肩を外し、その場に倒れ込んだ。
「まったくだらしない奴だな。
しかしこうなってくると身体を鍛えている以前に年齢の問題か? お前まだガキなんだろう」
「大丈夫ですよ。
もしコシンジュに体力的な問題があるとすれば、その時点で神々からNGが出ているはずですから」
変わりにメウノの返答が出てくる。それでもムッツェリは首をかしげた。
「俺も奴とは1歳しか歳が離れていない。俺に問題がなければ奴も大丈夫だろう」
イサーシュが言うと、ムッツェリだけでなくメウノまでおどろいた。
「えっ!? イサーシュさんまだ15歳なんですかっ!?」
初耳のメウノがおどろくのも無理はない。イサーシュはそれほど年齢の割に立派な体格をしているのだ。
「よく言われる。
だがこれで、コシンジュが俺に妙なライバル意識を持つのはわかるだろう?」
「そ、そうなのか……」
なぜかムッツェリが残念そうな声をあげる。メウノはそんな彼女を見上げた。
「ムッツェリさんはおいくつなんですか?」
「誕生日は忘れた。マスターによると23だそうだが」
それを見たメウノはキラーンと目を輝かせる。
「そうなんですか。わたしはてっきりまだ二十歳を超えていないと思っていましたが……」
言われてぶぜんとするムッツェリ。さすがに子供扱いされたとわかったのだろう。
「まだ昨日のことを根に持っているのか……」
ようやくコシンジュの息が戻った。
するととたんにムッツェリの顔がそちらに向いた。
「落ち着いたか。では練習を続けるぞ」
「え~っ! 頼むからもう少し休ませてくれよ~っ!」
「そんなこと危険な山中で言ってられるか!
いいか、すぐに荷物を背負ってわたしについてこい!」
しかしである。ムッツェリの足は先ほど上った岩場ではなく、そばにあった比較的平らな斜面に向かう。
コシンジュは思わず下を指差した。
「あれ? 今度は逆に進むんじゃないの?」
相手はクルリと振り向きあっけらかんとした顔で告げる。
「なにを言っている。そんな場所、大きな荷物を持って進めばあちこちに引っかかって危険だ。
降りるときは安全な場所を進む。それがダメなら逆に急こう配からロープを使って荷物だけを先に下ろす。時と場合によって手段を変える」
それだけ言ってムッツェリは岩場の影に消えてしまった。
降りる時も結構な負担がかかった。
滑らないように直立しながら、うしろに倒れそうになるのをこらえなければならない。
「山登りでは登りよりも実は下りのほうが危険だ。そのことを良く頭に叩き込んでくれ」
そう言って3人を最初に平地に戻した。
しかし課題をクリアしたことに安堵している余裕はなかった。
4人の前には、両足を震わせながら重い足取りで薪を背負い歩くロヒインの姿があった。
「ロヒイン……」
コシンジュが思わずつぶやく。
歩く姿はまるで生まれたばかりの小鹿のようで、今にも倒れ込みそうだ。
メウノが思わず声をあげる。
「ロヒインさん、ムチャしないでください! 今日はもう休みましょう!」
「ダメだ。
少なくとも今日中に最初の坂を登れるようにならなければ、いくら時間があっても足りないぞ」
ムッツェリは首を振るが、イサーシュはそんな彼女を見ながらロヒインを指差す。
「見てみろ。あんなに荷物負けしているんだぞ。
あんな状態で急斜面を登れば、力尽きて倒れ込んでしまうに違いない」
それを聞いてか否か、それまで苦しそうにしていたロヒインは目を見開いてウーウーとうなり始めた。
コシンジュはそれを見て戦慄した。
彼がこんなに怖い顔をしたところは初めて見た。
しかしそれで力尽きたのか、ロヒインの薪が前後にゆれてとうとう後ろ向きに倒れてしまった。
腰を強く打ちつけたのを見てすぐにコシンジュとメウノが駆け寄る。
「ロヒインさんっ!」「ロヒインっ! 大丈夫かっ!」
2人に支えられ、ロヒインはゆっくりと荷物を降ろす。
「ロヒインさん、お尻は痛くないですか? かなり強く打ちつけたように見えましたが……」
しかしその表情はそれ以上のショックでがく然としている。
コシンジュはそれを見て胸が締め付けられるような思いにかられた。
しかし、そんな彼らの前に不吉な影が現れた。
「これではまるでダメだな。
正直連れて行けるかどうかも微妙なところだ」
「……そんなっ!」
メウノにつられてコシンジュもムッツェリを見上げた。
朝日に照らされた彼女の影は、より圧迫感を覚える。しかしひるんではいられない。
「待ってくれムッツェリ!
ロヒインはずっと勉強ばかりだったから、本格的なトレーニングをしてないだけなんだ!」
「だとしたら基礎体力が足りないな。
勇者のあとにホイホイついて行くより、研究室でおとなしく勉強していたほうがお似合いだ」
ロヒインは顔をあげようとしたが、痛いところをつかれて顔をまっすぐ見ることができない。
「待て。今日一日で判断するのはまだ早い。
せめてもう少し様子を見たらどうだ」
さすがのイサーシュも声をかける。
ここまで一緒に戦ってきた仲間が離脱するなんて耐えられない。彼もそう思っているのだろう。
3人のまっすぐな視線に耐えかねたのか、ムッツェリはあきれたように首をブンブン振った。
そしてまっすぐロヒインを見下すと、これまでにも増して冷徹な声で告げる。
「『6日間』だけ待ってやる。それがダメなら迂回したほうがまだましだったということになる。
あきらめてお前はここに残れ」
それを聞いたロヒインが悲痛な顔で彼女を見上げる。
コシンジュは思わず胸を打たれた。こんな必死な顔をした彼は初めて見る。
理由はわかっているつもりなんだが、しかし……
「待ってください。だとしたらこの先はどうするんです?
魔導師の力がなければとても魔物には対抗できませんよ?」
「簡単だ。わたしが代わりに奴らと戦えばいい。
山を降りたら新しい魔導師を探せ、南の地方にも優秀な魔導師はいくらでもいるだろう」
「そんなっっっ!」
ロヒインが思わず大声を張り上げる。
それを聞いたムッツェリは一層不機嫌な顔をする。
「おいムッツェリ、お前がつくった矢が強力だということはわかる。
しかし奴らを甘く見るな。俺にしてみれば、昨日の奴は今まで戦った連中のなかでは大したことがない」
イサーシュに言われ、さすがに反論することができない女狩人。
「……やります!
言われた日数以内に、わたし絶対にこの崖を登り切って見せますっ!」
不意をつかれたムッツェリが視線を落とすと、その強い視線に思わずたじろいだ。
「本当にやれるんだろうな。
もしダメだったら本当に置いていくからな。今のうちに覚悟を決めておけよ」
ロヒインはしっかりとうなずいた。コシンジュはそれでも不安げな視線を向ける。
こうしてロヒインの挑戦が始まった。




