第12話 ドラゴン・リアリティショック~その3~
その背中にはコウモリを思わせる羽根が生えている。それは天をおおわんばかりに、大きく大きく広げられている。
その付け根にはどっしりとした重量感のある、爬虫類を思わせる頑丈そうなウロコにびっしりおおわれた、均整のとれた獣の肉体があった。
その両脚からのびる爪は石畳を砕き、全容がうかがえないはずなのにまがまがしさを感じさせる。
長く太い首の上にある巨大な頭部には、これまた天を突くように伸びる長い一本の角が生えている。これを軽く突き刺しただけで、どんな堅い城壁をも貫いてしまうだろう。
その両わきにある小ぶりの角の下には、こちらをまっすぐ射抜くようににらみつける瞳があった。
金色にかがやく虹彩の中央に、鋭い一本の黒い筋が走る。これだけで深く突き刺さりそうな威圧感を覚える。
そのさらに下にはするどい切っ先を持つ無数の歯が並び、ひとたび噛みつかれればひとたまりもないことは一瞬で分かった。
その全身は赤い。真っ赤な血を塗りたくったとも、すべてを焼き尽くす炎のようだとも言える。
誰もが話に聞いていた、しかし誰も見たことがない圧倒的な様相を持つ、
『ドラゴン』の姿が、そこにはあった。
「ど、どら……どら……」
もはや言葉になっていないコシンジュ。代わりにイサーシュが弱々しく口を開いた。
「ま、まさか、この時点でドラゴンに遭遇するとは。
しかも想像していたよりもはるかに大きい……」
「ただのドラゴンと一緒にするでない……」
突然あらぬ方向から声がひびいた。ドラゴンは首を持ち上げなければ見ることもできないほどの高さにある頭部を、自らコシンジュ達の目の前まで持っていった。
その顔が近づくと自分たちの存在などまるで豆粒のようにさえ思う。
「我は『竜王』、魔界におけるあらゆるドラゴンを統べる、ドラゴンの中のドラゴンよ」
ドラゴンは口を開いているわけでもないのに、間違いなくしゃべったのはこいつだと直感できた。
竜は声ではなく、心でしゃべることができるらしい。たしかそんなふうに聞いたような気がする。
「竜王っ!? そ、そんなバカなっっっ!」
ロヒインがすっとんきょうなことを言ってコシンジュははじめて敵がしゃべった内容をはっきりと自覚する。
それでもコシンジュは口を開くことができず、かわりにイサーシュが応える。
「竜王……数百年の齢を重ねて言葉をかいするようになったトップクラスのドラゴンの中でも、さらにその頂点に君臨する存在という……そんなバカなっっ!」
「いくらなんでも早すぎるっっ!」
途中で声を荒げたイサーシュにロヒインも反応する。
そばにいるメウノはもはやパニック状態でひたすらあたふたするばかりだ。
「……早すぎるだと? バカな、むしろ今まで静観していたくらいだ」
ドラゴンの目はまっすぐこちらを見つめる。
パニックが収まらないコシンジュとメウノを差し置いて、イサーシュとロヒインだけが眉間にしわを寄せる。
コシンジュはそのやり取りのあいだにメウノをつついた。
敵はいつ攻撃してくるとも限らない。こんな巨大なドラゴンがさっきの火炎攻撃をしてきたら、どれだけ距離をとっていたとしても逃げ切れるとは思えない。
防御魔法を使っていないロヒイン以外に頼れるのはメウノの持っている魔法のダガーだけだ。
「わからないのか? 貴様らがここまでやってくるまでに、いったいどれだけの同胞が犠牲になった?
それを差し置いてまで、私が貴様たちの前に現れた事実を無視などはできまい」
ところが、相手は反応しない。口をパクパクさせながら巨大なドラゴンを見上げるだけだ。
「それでも、お前が出てくるには早すぎる……」
ロヒインの声はあまりにも弱々しかった。
「貴様らはやりすぎた。
あそこまで多大な犠牲を払い、だまって静観する我々だとでも思ったのか。
そろそろいい加減決着をつけようではないか」
コシンジュはあせった。わき腹をつつくヒジの勢いが強くなり、ようやく彼女はこちらに目を向ける。
コシンジュはふところに手を入れるジェスチャーを送るが、相手はそれでも意味がわからないのかぽかんとしている。
「ダガー……ダガー!」
コシンジュは相手に悟られないように少しだけ声を張り上げると、メウノはようやく激しく何度もうなずいた。
そしてふところに手を差し入れるが、手が震えるに震えてうまく入らない。
「さあっ! 思い知るがいいっ!
数ある魔族の中でも、もっとも強大な力を持つ、ドラゴン王の死の息吹をっっ!」
ドラゴンが勢いよく状態を上にあげ、大きく息を吸い込んだ。
来る! ロヒインがしまったと言わんばかりにこちらを向いた。
それと同時にメウノがピンク色のダガーを取り出したのだが、
なんとここでポロリと地面に落してしまったのである!
「わっ! わあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」
ロヒインがもはやこの世の終わりと言わんばかりの声を張り上げる。
しかしそこにコシンジュの身体がすべりこみ、とっさにダガーを拾い上げてロヒインに手渡した。
ロヒインがそれを上空にかかげたとたん、上空を赤い雲がおおった。
とたんに目の前が赤と黄色の入り混じった光一色になり、コシンジュ達はあわてて身をかがめた。
肌が焼けつきそうなほどの強い熱を感じる。少しだけ顔をあげると、巨大な炎の海はロヒインが持ったダガーを中心としてドーム状に拡散していた。
どうやら自分の判断は正解だったらしい。
コシンジュは何かしゃべろうとしたが、炎が周りを焼いている音が予想以上に大きかったのであきらめた。
そうしているあいだに目の前から炎が消えた。
「ほう、例の魔法のダガーか。予想以上の効果だな。
よもや私のファイアブレスすらかわすことができるとは……しかしこれならどうだっ!」
するとドラゴンは一瞬頭を後ろにひっこめた。
「危ないっ!」
イサーシュが勢いよくロヒインのローブを引っ張り上げた瞬間、ものすごい勢いで竜の頭が彼のいた場所に突っ込んできた。
額から生える巨大な角の威力はすさまじい。すぐ後方にいたメウノの足元で破片が砕け散った。
「わあぁぁっっ!」
メウノはおっかなびっくり後ろにピョンとはねた。
しかし直後に床の破片を浴び、彼女は不自然な格好で地面に倒れる。
「メウノッッ!」
コシンジュはあせってメウノのもとへかけつけた。
そこへ再びドラゴンの頭部が迫る。しかしコシンジュがすぐに棍棒を横に振ると、さすがにまともに食らってはまずいと思ったのかすぐに角を引っ込めた。
「フン、らちがあかん」
そう言ってドラゴンは巨大な羽根をバタつかせる。
すると強い風が発生してコシンジュ達は動けなくなる。
もしかしたら炎のブレスが飛んでくるかもしれないと思ったが、いつの間にかドラゴンの巨体は少しずつ浮かび上がっていた。
「貴様らの所業を後悔させてやる。
よく見ているがいい。同胞の死がいかに深く胸に刻み込まれるかということを」
「あっ! 待てっっ!」
ロヒインが無意味に手を伸ばすも、ファブニーズがひときわ大きく羽根をバタつかせると、あっという間に天空高く舞い上がってしまった。
そしてそのまま巨大なドラゴンの影はすぐ真上を通り抜けて建物の影に隠れて見えなくなってしまう。
「ちょっ! あいつ何をするつもりなんだよっっ!」
轟音がひびいた。そして建物の後ろのあたりから人々の悲鳴がひびき渡った。
その場にいた一同の顔が真っ青になる。
「まさか、街を焼いているの……?」
ロヒインの消え入りそうな声に、コシンジュは見えないドラゴンに振り返った。
「冗談じゃないっ!
こんな胸クソの悪い街が焼かれるのはどうでもいいが、人々が巻き込まれるのはまっぴらごめんだっっ!」
突き出した窓からながめる風景は、夜の闇を映し出している。
下から見える街の光がぽつぽつとあちこちにちりばめられ星空のように美しい。
それでも出窓に腰かけもたれかかる、豪華なドレス姿のヴィーシャの心は浮かなかった。
今まで散々見慣れてきた光景だからというだけでなく、これからいつまでこの光景をながめ続けることになるかわからないからだ。
ヴィーシャは反対方向に目を向ける。天井の巨大なシャンデリアのおかげで比較的明るい室内には、あちらこちらに豪華な調度品が置かれている。
3人しかいないベロンの後継者。唯一の王女であるヴィーシャにも広い部屋を与えられているが、それでもこれからずっとこの部屋だけが生活圏になると言われれば、慣れているぶんよけいに牢獄のように感じられる。
「姫さま、そんな暗い顔をなされないで。
これからずっと退屈な日が続くことになりますが、わたしがなんとか気を紛らわせるようなものを用意しますから」
お付きの侍女が半分申し訳なさそうに、半分どこかほっとした顔でほほえみかける。
いろいろ迷惑をかけられたぶん、これからはおとなしく部屋に引きこもると聞いて安心していることもあるだろう。
そう思うとなんだか申し訳ない気持ちにさせられる。
「……がっかりした? わたしの裏の顔があんなことになっているなんて……」
言われた侍女はとまどった表情になったが、すぐに首を細かく振った。
「そんな。姫さまがまさか盗みに手を染めていたなんて聞いて、びっくりはしましたけれど。
ガッカリしただなんて……」
そして少しだけほほえみを浮かべる。
「でもこれで納得できました。
姫さま、わたしにだまって出かけられることが多いので何事かと思いましたが、そういうことだったんですね?」
「幻滅したでしょ?」
ヴィーシャはとぼけたような目線を向けたが、相手は真剣な目で返してきた。
「仕方ないことだと思います。姫さまはずっと前から追い詰められておいででした。
それがどんな形で吐き出されることになったとしても、お仕えしてきたわたしには不思議なことだとは思えません」
「お前はずっとわたしに使えてきた。女官としてこの城に勤め続けて、正直何か思うところはなかった?」
侍女はずっと胸につかえていたとばかりに胸に手を当て、こっくりとうなずいた。
「おかしいと思います。自分たちがぜいたくしたいばかりに、国中の人たちから重い税金をしぼりあげて。
それで本当に豊かな国だと言えるのでしょうか?」
ヴィーシャはもう一度窓の下に目を向けた。
「見えていないのよ。自分たちの生活の下で、人々がどんなに苦しんでいるのか。
だからどんな状況になっても自分たちの暮らしを改めようとしない。軍がクーデターを起こそうが、魔王軍が迫ってこようが、自分たちの生活はずっと守られるとのんきに信じ込んでる」
「すみませんでした……」
振り返ると、侍女は深く頭を下げる。顔をあげるとその表情は悲痛そのものだった。
「わたしが、きちんと心情を打ち明けて姫さまのお心をお支えするべきでした。
そうすれば姫さまをあそこまで追い込まずにすんでいたのに」
ヴィーシャはすぐに首を振った。
「ちがう。これはわたしがまいた種なの。コシンジュ達との旅の話は覚えてるわね」
「今日はずっとその話でしたから」
「あいつらにこう言われたの。
『わたしに本当の勇気があったなら、盗賊としてではなく王女として、国に立ち向かっていたはず』だと」
「ずいぶんぶしつけな方々ですね」
侍女がいぶかしげな顔を向けると、ヴィーシャはもう一度首を振った。
「わたしがそう接するように望んだから。それに、あいつらが言ったことは本当のことよ」
相手が「どういうことです?」というと、思わずさみしげな顔になる。
「本当はもっと勇気を持って、正々堂々と戦うべきだったの。
どうせ自室謹慎になるのなら、真っ正面から父上たちは間違っているというべきだった。
今なら本当にそう思える」
「なぜそこまでして陛下と対立しなければならないんです?」
「質問が逆よ。なぜそうしなかったのか。それは、わたしが今の生活が壊されるのが怖かったから」
侍女の「怖い、ですか?」という言葉にヴィーシャは深くうなずいた。
「わたしは父上たちのやり方で育てられた。ぜいたくな暮らしが当然だと言わんばかりの教育を受けて、国民を見下せと教え込まれた。
わたしにはその生き方が染み付いてる。そしてそれを失ったら生きていけないとばかりに。
たとえ盗賊稼業に身を染めても、完全に王女としてのぜいたくな暮しからは抜け出せないように、父上たちに洗脳されているのよ」
「そんなっ! 姫さまは決してそのような方では……!」
「だったらなぜ、よりによって人の物を盗むということでしか、父上たちに反抗することができなかったというの?」
「それは……」
侍女が口ごもっていた、その時だった。
窓の外から轟音がひびき渡る。
ビックリして窓に目を向けると、城下の街並みがこうこうと赤く光を放っていた。
「なにごとっ!?」
「聞いてきますっ!」
侍女は素早く振り返り、部屋の扉に消えていった。
しばらく開いた扉に目を向けていると、彼女ではなく礼服を着た兵士が入ってきた。
「大変ですっ! 魔物がこの街におそいかかってきましたっ! ドラゴンですっ!」
「ドラゴン……」ヴィーシャはつぶやきながらも、あまりおどろかなかった。
コシンジュ達はとうとうそんな敵まで相手にしてしまうことになったのかと思い浮かべる。
ふたたび窓に目を向ける。そこには異様な光景が映っていた。
暗がりでもはっきりとわかるぐらい、伝説に聞いた通りの姿をした巨大なドラゴンが、街に勢いよく火を噴きかけながら空を飛び交っている。
それを見てつくづく思い知らされる。とうとうそんなところまで来てしまったのだ、彼らは。
伝説の怪物までおそいかかるほど、彼らは追いつめられたのだ。思わず窓ガラスに手を当てた。
一方の兵士は取り乱さない姫に戸惑いながらも、若干上ずった声で告げる。
「陛下の申し出によると、姫さまにはしばらくここでおとなしくしていただくように、とのことです」
「決して安全とは言えないこの部屋で待機か。娘の安全より己の保身というわけだな?」
ヴィーシャが窓を向いたまま告げると、兵士はとまどった声色を浮かべた。
「そんなこと言われましても。とにかく姫さまはこの部屋の安全なところに身を隠して下さい。
それでは私は警護に向かいますので、これで!」
相手の気配が消えたあと、ヴィーシャは振り返った。
誰もいなくなったのを確認して、深いため息をつく。
まだ奴らは気付かないのか。こんな状況になってまで、国を守るということがどういうことなのかを思い知ることができないとは。心にズシリと重い何かがのしかかる。
そこへ再び誰かが部屋に入ってきた。ヴィーシャは目だけをそちらに向ける。
侍女が戻ってきたのかと思ったが、違った。
そこに立っていたのは、なぜか金をかけた豪華な城にはふさわしくない、みずぼらしいローブをまとった老人。
「迷っているようだね。もしよければ、この私が1つアドバイスをしてあげようか?」
「誰なの? その身なりでよくここまで来れたわね」
眉をひそめるヴィーシャの質問には首を振るだけで、老人はこう告げた。
「確かにお前さんには長らくしつけられた王族としての暮らしが染み付いている。
だけど本当に、乗り越えようとしても乗り越えられないものなのかい?」
ヴィーシャは目を見開いた。その話は、コシンジュ達と侍女しか知らないはずだ。
「あなた本当にいったい誰なのっ!?」
思わず立ち上がるが、それでも相手は質問に答えない。
「だけど覚えておきなさい。一歩足を踏み出してしまえば、案外それはどうにでもなってしまうもんだよ」
「質問に答えなさいっっ!」
声を思い切り張り上げると、老人は両手をあげてようやく質問に答えた。
「私は君の本性を知る人物。
目の前にいないながらもそれを知ることができる人物。聡い君にはそう言っても理解できないかい?」
「まさか……あなたは……」
ちょうどその時、「何者ですっ!」という侍女の声が聞こえた。
扉から彼女が現れたことを確認すると、ヴィーシャは手のひらを向けて制止した。そしてもう一度老人に声をかける。
「さっきの言葉、もう一度言って」
老人は深くうなずく。
「君は単に恐れているだけだ。
どんなことが待ち受けているかわからないから、そこに足を踏み入れるとどうなるか想像できないだけだ」
そして老人はにっこりと満面の笑みを浮かべた。
「だけど、コシンジュ達を見てごらんよ。
彼らはいちいち、先に待ち受けている未来にいちいちビクビクしているように見えるかね?
むしろ逆じゃないかね」
ヴィーシャは雷に打たれたかのようになった。
そうだ、コシンジュ達は先に何が待ち受けているかもわからないのにもかかわらず、自ら進んで冒険の旅を続けているのだ。
かつて旅の道中、一同が無数の蛍の光につつまれた時を思い出す。コシンジュはこんなことを口にした。
――こういうことがあるから、旅っていうのはやめられないんだよな――
そうだ。自分はいったい何を恐れていたんだろう。
自由になれば、つらいことやわびしい思いをすることになるかもしれない。
だけど自分は知っている。怖いくらいに知っている。
旅の先には、それをはるかに超える深い感動が待っていることを。
「どうだね? 君はちゃんと知っているだろう。自由が持っている本当の快感を」
老人に言われ、ヴィーシャは深くうなずいた。
そしてそのまま急いで侍女のもとに駆け寄り、その肩にポンと手を置いた。
「手伝ってほしいことがあるの。いいわね?」
侍女は戸惑いの表情を浮かべながらも、ゆっくりとうなずいた。
ヴィーシャは最後に、老人に振り返って「ありがとうっ!」と告げた。老人は笑みを浮かべ、片手を振る。
彼女たちが扉の向こうに消えて言ったのを確認して、ヴィクトルはうなずく。
「これでよし、あとは芽吹いた種がどう成長するのか、見守るだけだな……」
そして笑みを浮かべた顔を少し真剣な表情に変える。
「果たして気づくだろうか。自分の身に、いかに重要な役割が与えられているのかを……」




