第10話 壊れかけのダンジョン~その2~
一方次元をへだてた場所では、とてもなごやかな雰囲気になっている場合ではなかった。
「このとんだ恥さらしめがっ! あれほどえらそうな口を叩いてなんというザマだっ!」
「お言葉ですがルキフール様っ!
まさか勇者ども一行の中に、恐怖を感じないような輩が混じってるなどとは思いもよりませんでした!」
古老の魔物ルキフールに、黒いマントをはおった青白い顔のブラッドラキュラーが必死に弁明する。
相手は顔を見ようともしない。
「貴様は元人間だろう! なぜこのような事態を想定できなかったっ!
まったく貴様のような奴を信用した私がおろかではないかっ!」
「……いえ。むしろ元人間であるからこそ、心情を察したつもりになって過信してしまったのでしょう」
2人の姿が小さく見えるほどの大広間の奥の闇から、別の人物が現れる。
額に巨大な角を生やした以外は人と同じ姿をした魔物が、ブラッドから少し離れた場所でひざまずく。
「申し訳ございません。魔界大隊第1回遠征は失敗に終わりました」
「ファブニーズか。いや、話は聞いておる。出来は上々だ。
敵の要塞はかなりの大打撃だと聞いておる。むしろ予想以上の成果だ」
顔をあげた竜王はルキフールの言葉にも合点がいかない表情をしている。
「しかし、オーガ部隊を送り込んでもほとんどの兵士たちが守備を離れないとは、わたくし自身には意外に思えました。ましてや2,3体のオーガと相討ちするとは……」
「お前がそう思うのも無理はない。
しかし奴らの属する帝国への忠誠心を考えれば、私自身には不思議でもなんでもないのだよ」
ルキフールは振り返って青白い炎をあげる燭台を見つめる。
「それほどのものなのですか。南の大陸をすべる大帝の威光というものは……」
「今は負傷しまともに歩けないというが、かつては恐るべき戦闘能力を持ち、人心をすべる能力に長けていたと聞く。
その頃の活躍を兵士たちはよく覚えているのだろう」
ファブニーズはそれを聞いて小さく笑った。ルキフールはいぶかむように振り返る。
「いえ、まるで我らが主のようだ、と思いまして。もちろん殿下の足元にも及ばぬと思っておりますが」
そこまで言ってファブニーズは奥を見つめ、玉座に誰も腰掛けていないのを確かめた。
「殿下は今日も奥に引きこもってらっしゃるようですね……」
ルキフールは竜王のとなりにいるブラッドをアゴでしゃくった。
「こやつの失敗の報を受けてな。怒りにうちふるえるというより、疲れ切ってしまわれたようだ……」
するとブラッドは一歩進み出て声を張り上げた。
「もう一度チャンスをお与えくださいっ! 1度だけの失敗で、わが軍の実力をはかられてしまわれては困りますっ!
どうかわたくしにもう一度機会をっ!」
「そう言って何度も貴重な人材を失ったのだ……」
そしてルキフールは臣下2人を交互に指差した。
「勇者どもはそう簡単に片づけられる存在ではない。刺客として送るべきはそれなりの手練でなくてはならん。
しかしここまで失敗続きとなると、これ以上貴重な人材を失うのは避けたいところだ」
ファブニーズが頭をさらに下に向けた。
「お言葉ですが。もしよろしければ勇者討伐はしばらくの間休止する、ということはできないでしょうか」
「そうもいかん、勇者の存在は魔界に住むすべての者たちにとって最大の関心ごと。
このまま放置しておけば味方の士気にもかかわる。奴が戦い慣れていない、今のうちに片づけておきたいとする意見も無視できんしな」
「ならば、我が魔界大隊から引き抜くのはもはや困難でしょう。大軍勢を統率するには私と副官だけでは手に余ります。
これ以上の損失は看過できません。もし送るとなれば幻魔兵団から送りだすのが妥当でしょう」
「無論だ。どのみち魔界大隊の優秀な手練は出しつくしたのであろう。
これ以上無駄な期待はいだいておらん」
ため息まじりに言うルキフールに向かって、ブラッドは声を張り上げた。
「ですからっ! もう一度わが地底魔団に機会をっ!
今度こそ我が軍勢の手で、勇者どもを一掃して見せますっ!」
ルキフールはじっとブラッドの目を見つめたあと、ほんの少しだけうなずいた。
「よかろう。ただし、これで失敗すれば2度とチャンスは与えないぞ」
「はっ! ありがとうございますっ!」
ブラッドは顔をほころばせ頭を下げたあと、ニヤリとファブニーズに流し目を送った。
「見ておれ。地の眷属は一般魔族より、はるかに優秀であることを証明してやる……」
見つめ返す竜王にこれといった反応はなかった。
「ああ~~~~~~~~~~っっ! くそぉ~~~~~~~~~~~~~っっっ!」
叫んだのはコシンジュではなく、なんとイサーシュであった。
「どこまで行っても森、森、森っ! いったいいつになったら次の目的地に着くというんだっ!」
誰も返事がない。イサーシュ以外の4人はそれより以前に同じようなことを口走ったあと、ひたすら馬上で死んでようにしてうなだれていた。
特に真っ先に根をあげたコシンジュの憔悴っぷりがすさまじい。歩み自体は馬に任せ、あとはひたすら緩慢とした地獄が終わるのを待つしかないといった状況だ。
「もう9日間もこればっかりだ! ヴァルトの街を経ってからも5日だっ!
何かを目印にしようにも、道の上までうっそうと木々が繁っている状況では、変化も何もあったものではないっ!」
「しょうがないじゃありませんか。途中ヴィーシャさんがしびれを切らして駆け足で進んだ時だって、結局は馬のほうがへばって足止めを食らったんですから、こうなったらなるようになるしかないっすよ」
死にかけているコシンジュの、腰からぶら下げられた新品の袋からマドラゴーラが顔を出す。
袋の上部はなめらかなカーブを描く筒になっていて、小さな魔物はそこから自由に顔を出せるようになっている。イサーシュはすぐにそちらに顔を向けた。
「なんだ。てっきりひとりごとになるかと思いきや、お前はまだ大丈夫なようだな。
というよりむしろ活き活きしてないか?」
「そりゃあ、森は俺にとってフィールドみたいなもんですからね。
もちろん魔界の大森林とは勝手が違いますけど、それでも森の空気を吸うと、ぷは~っ!」
「大丈夫かお前。この旅を続けるとなると、山や海のような過酷な環境も旅することになるんだぞ。
そしてとどめは砂漠だ。体力はもつのか」
そう言うとマドラゴーラは意気揚々としていた態度を急に落ち込ませた。
「そこなんですよね。俺は魔物とは言っても実質ただの花にすぎません。
何らかの対策でも立てないかぎり、この森で足止め、ていうことになりかねませんね」
「困ったことだ。魔族の解説役、それを手に入れたのはけっこうなことだが、旅に支障が出るようではな」
「それに関しては様子を見て考えましょう。いざという時は魔法という手もありますし。
それよりどうです? イサーシュさんもそろそろ限界のようですが」
言われてイサーシュは前方をまっすぐ見つめ顔をしかめた。
「まったくだ。こうも先が見えない状況ではさすがに俺も正気ではいられない」
そして彼にしては珍しく、親指の爪をガリっと噛みはじめた。
「何かショートカット出来るような場所でもあればな……」
「……ショートカット」
それを聞いてむくりと起き上がった者がいた。ヴィーシャである。
イサーシュはすぐに彼女に目を向けた。
「どうした。まさかどこかに都合のいいショートカット場所があるとでも言うんじゃないだろうな」
ヴィーシャはこちらにクイッと顔を向けて真顔でうなずいた。
「そのまさかよ。しかもすぐそば。
この先にある『ライン村』ってところに、知る人ぞ知る秘密の抜け道がある。そこを通ればあっという間にベロンの王国までたどり着ける」
「あっ! それわたしも聞いたことありますっ!」
声のほうを見ると、ロヒインが同じようにして起き上がっている。
「このまま街道沿いに進めば、道は小さな山脈を避けるようになっていて、大きく迂回しなければなりません。
ですがライン村というところには大きな規模の洞窟があって、そこの秘密のルートを通れば一気にベロンまでたどり着けるとのことです」
「洞窟っっ!?」
いきなり声を張り上げて起き上がった者がいた。コシンジュだ。
「イヤな予感がしたが、案の定食いついてきたな。この好奇心大王め」
イサーシュが露骨にイヤな顔する横で、ヴィーシャと同じ馬に乗っていたメウノがゆっくりと顔を起こす。こちらはいまだに気分が悪いらしい。
「あ、それ知ってます。たしか『クロンバ大洞窟』ですよね。
ライン村の観光資源になっていて、多くの人が訪れているとか。たしか数多くの鍾乳洞があることで有名でしたね」
「鍾乳洞っ!? 見たい見たい見たい見たいっ!」
やたらはしゃぐコシンジュにイサーシュはより不機嫌な表情になる。
「まだ行くとは限らんだろうが。それよりヴィーシャ。その例の秘密のルートとはどんなところだ」
「本来は進入禁止になってるルートなの。そっちは目玉になる鍾乳石もないし、地盤も安定してなくていつ崩落してもおかしくない状況らしいんだけど、話によると今でもベロン王国の郊外に通じているらしいわ」
「よしっ! 行こうっ! 絶対に行こうっ! ついでに観光も楽しめて一石二鳥っ!」
拳をにぎるコシンジュにロヒインも笑いかける。
「RPGに洞窟は定番のルートですからね。せっかくだから行っておかないと、なにかと損だと思いますよ」
「なに言ってるロヒイン。もしおまえの言うとおりなら、敵にとっても襲いかかるには好都合の場所だぞ。
そして相変わらずの専門用語はやめろ」
イサーシュのそっけない返しに、メウノもアゴに手を触れて反応する。
「確かに、狭い洞窟内でおそわれたら立ちまわりに苦労するかもしれません。
それに崩落の危険性があるというのなら、敵にしてみればこれを利用しない手はありません」
とたんに不安におそわれるメウノであったが、ロヒインは首をゆっくりと振った。
「ですけど、どの道我々は急ぐ旅をしているんですよ。
長い街道をショートカット出来るとあれば、むしろそちらの方を通ったほうがいいんじゃないんですか?」
「秘密のルートならともかく、多くの人が訪れ貴重な鍾乳石もあるメインルートのほうでおそわれたらどうするんです? もしものことになったら責任とれるんですか?」
メウノの切り返しに、ロヒインは「それは……」とつぶやく。イサーシュがつぶやいた。
「どうせ気晴らし目当てに適当に理由をでっち上げただけだろう。お前の魂胆はわかっている」
「ああもうっ! アタシは洞窟行きに賛成っ!
このまま街道沿いにずっと同じ光景を見せられるなんてもう耐えられないっ! なんと言おうとアタシは洞窟に行くわよっ!」
「でかしたヴィーシャっ! そのまま王女さま権限で無理やり押しきれっ!」
「その王女さまに対する敬意が足りない……」
ロヒインがつぶやいた時、前方から馬車が現れた。コシンジュがそれに気づいた。
「お、ひょっとして観光客か? 洞窟からヴァルトに向かうツアー客なら何か聞けるかもしれんぞ」
コシンジュは馬を走らせ、先頭の馬をあやつる御者に声をかけた。
「すみませ~ん、旅の者なんですけどぉ、ひょっとしてライン村とかに立ち寄ったりとかしましたぁ?」
御者はウトウトとしていた顔をあげ、覇気のない顔でコシンジュのほうを見た。
「おや、ひょっとしてクロンバ洞窟に行くつもりなのかい?
だったらやめておきなさい。ていうかもう入れんよ」
「実はついこないだも崩落があってね。しかも観光客がよく来る一般ルートでだ。
なので現在洞窟は閉鎖中というわけだ」
「なんだよまったくっっっ!」
平然と言う村人に向かってコシンジュは地団太を踏んで叫んだ。
メウノがなだめるように声をかける。
「仕方ないでしょう。洞窟というのはいずれ崩壊するものなんです。
たまたま我々が生きている時に寿命がやってきた、それだけのことですよ」
それを聞いたロヒインが腕組みをしながら遠い目をする。
「それにしてももったいない話です。鍾乳石というのは何千何万年もの時間をかけてゆっくり生成されるもの。それが崩壊する時はあっという間なんですから」
「ロヒイン、まさか自然の流れに逆らって無理やり洞窟を保存しようとか考えてねえだろうな?」
コシンジュが思いきり疑わしげな目を向ける。ロヒインはわかりやすいくらいとまどった。
「ま、まさか。そんなこと考えているわけないでしょ!?」
「ハイハイ、思いっきりアヤしいね。ついでにお土産に落ちた鍾乳洞でも拾っておこうか?」
「いらないいらないいらないよっっ!」
ロヒインが両手をふって否定しているあいだにヴィーシャは村の一番奥を見つめた。
見上げんばかり切り立つようにそびえる崖には木の枠組みに支えられるようにしてぽっかりと小さな穴があいている。彼女は振り返って親指で洞窟をさした。
「さて、どうせ崩れる運命ならいっそ中に入っちゃってもいいんじゃない? って一応提案しとくけど?」
「ヴィーシャさん。いくら急いでいるからといって、いつ崩壊するかもわからない場所に足を踏み入れるのは危険極まりないと思いますけれど」
メウノが露骨に不安そうな顔をしている。するとコシンジュが歩み寄り、ポンと肩に手を置いた。
「メウノ、はっきり言っとくぞ。そんなことは百も承知だ。
だけどここから先の危険は、自分の意志を持って確実に殺しにかかってくる危険とは違う。
対して今までオレたちに迫ってきた危険ってやつは、大体がそうだっただろ?」
「なにうまいこと言ってんだよっ!」
ロヒインが後ろからパァンと頭をはたいた。意外と痛かったのでさすりながら振り返る。
「とは言っても、わたしも洞窟の中に入るのは賛成だな。
森の中を迂回するのも単純に苦痛だけど、はっきり言って先を急ぐ旅です。たとえ危険と言われようと、手っ取り早く先に進む手段があるのなら使わないに越したことないでしょ」
「ちょっと待て」
あらぬ方向から声がかかる。先ほど事情をうかがった村人だ。
「さっきから話を聞いてりゃ、あんたたちどうしても洞窟の中に入りたいっていってるみたいじゃないか。
悪いことは言わない。あの中は本当に危険だからやめときなさい」
「コシンジュ」
ロヒインにうながされると、コシンジュは背中の袋から棍棒を取り出した。
真っ昼間なので木製の棍棒の表面を彩る銀細工がきらきらと反射しまくっている。
それを見た村人は目を丸くして軽くあわてる。
「はっ! ははぁっ! そうでしたかっ! これはこれは失礼しましたっ!」
すると村人は急ぎ足で洞窟に向かいながら必死に手招きする。
「勇者さまっ! どうぞこちらへっ!」
そして通りすがりの他の村人たちにも手招きする。
「おらっ! お前ら勇者さまがこの村におこしになったぞっ! お前らちゃんときちんと挨拶せんかいっ!」
「い、いやっ! いいよっ! 下手にかしこまられたらこっちは逆に困るってっ!」
コシンジュの呼びかけもむなしく、村人たちがわかりやすいリアクションをしはじめた。




