第8話 森の中の追いかけっこ~その2~
よぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉしっっっ!
やっとチャンスが巡ってきた!
この魔界随一の暗殺者マドラゴーラ、勇者の父に張り付いてずっと様子をうかがっていたが、なにせこいつ筋肉バカのクセして妙に慎重だから、なかなか連中に近寄れやしなかった。
森の中を単独行動してもよかったが連中を見失うと怖いからな。
しかし向こうからこちらに近寄ってくるとなれば問題はない。後は適当に脅して勇者の命か棍棒のどちらかを奪えばいいだけだ。
そうすればようやくご主人さまに顔を合わすことができる!
「ぐぉぉぉ、きさまぁぁぁぁぁ……」
クククク、勇者どもの目から隠れるようにして、奴の父親が俺に手を伸ばそうとしておるわ。
だがもはや貴様の力もうばわれた。こいつが我が障害になることはない。
しかし、奴らに俺の正体が割れることがあってはならん。ここは隠れて奴らの姿をうかがわねば。
フン。どうやら奴ら、この事態をなんとなくつかんでいるらしい。おびき寄せて一網打尽という手は通用しないか。
それならそれでこの状況を利用するか。
魔導師の奴、杖をかまえだしたぞ。
「……おっとぉっ! その必要はねえ! ていうか魔法をかけると承知しねえからな!」
「てめえ! いったい何者だっ!」
勇者どもはこちらの様子をうかがっているようだが、まさかこの俺の姿が見えているはずはあるまい。
「そいつは言えねえなぁ。とりあえずお前らの命を奪いに来た暗殺者、とでも言っておこうか」
「暗殺者……!? そうか、お前カンタの町でオレたちをおそった、目に見えない魔物だなっ!?」
「ほーう、なかなか覚えのいい奴だな。だがそれならそれで対処法がわかっているわけではあるまい」
「おそらく、広範囲のワナにかける魔法でしょう。みなさんうかつに近付くわけにはいきませんよ!?」
「魔導師! お前らにその気がなくともこっちは人質を抱えているんだ!
おとなしく棍棒をよこすなり勇者の命と引き換えにしてもらわなくては困るなぁ!」
勇者の父親が必死の形相でこちらに手を伸ばすが、もう這いつくばる力も残っておらず、俺の身体に届くことはない。クククククク……
「さあ! 俺は一切の手加減もしていないぞ! 早く決断しなければ父親の命が危なくなるぞっ!」
しめしめ。勇者の奴、顔をしかめながらも棍棒を両手に下ろして近寄り始めたぞ。
さて、ここからどうしてやろうか。
……なかなかむずかしいな。勇者の命を父親ごと奪えばこちらが無防備になる。
だからと言って棍棒を抱えて逃げる力は俺にはねえ。味方がいればそいつに対処させればいいのだが、あいにくここにいるのは俺1人だ。
クククク、倒れた馬のすぐ後ろにいるとも知らずに、あたりをキョロキョロしよって。
「おい、もっと近づけ。棍棒が届く範囲までそれを置いておけ」
……ん? なにをしやがる。いきなり棍棒を振り上げて、適当に見当をつけてぶったたくつもりか? なんてバカな奴……
「……ってああああああああああっっ! 何やってんだよてめぇっ! テキトーな場所に棍棒を投げてんじゃねえよっっ!」
「おい、姿を見せろよ。暗殺者だか何だか知らねえけど棍棒を拾わなきゃ逃げらんねえだろうが」
「そんなことできるわけねえだろっ!? 姿を見せたらそこであっという間にやられちゃうよね!」
ていうか後ろにいる人たちこっち狙ってるよね!? みんな武器を構えてこちらを狙ってきてるよねっ!?
「うちのオヤジを人質に取ってんだろ? だったら盾にすりゃあいいんじゃねえか。なんでそうしない?」
それは、盾にするにはあまりに都合が悪すぎるからで……
「お前の父親がどうなってもいいのかっ! いいからお前だけでももっとこっちに寄れっ!」
「オヤジをやれるもんならやって見やがれこの野郎っっっ!
そしたらテメェをギッタギタのケチョンケチョンにしてやるから覚悟しておけっっ!」
ああまずい。オレが自由の利かない立場だって言うことがバレてるよ。どおりで勇者の奴、あっけなくこっちに近寄ってきたわけだ。
まずい。今さら魔法を解除するにしても正体がバレてる父親に握りつぶされる。かといって父親を殺せばこっちは確実に助からない。
……いったいどうすりゃいいんだぁ~~~~~~~~~~~~~~~っっっ!
コシンジュはだいたい察しがついていた。例の声はどうやら馬のあたりから聞こえているらしい。
「いい加減出てこないかよ。じゃあお前、オヤジをさっさと解放してくんねえか?」
「なっ、なに言ってやがるっ! そんなことしたら俺はっ!」
「おいおい、それを言ったら、オレは勇者だぜ?
下手に抵抗できない相手に無意味に攻撃なんかするような奴に見えるか?」
「どどど、どうしてそんなことが言えるっ!?」
コシンジュは馬のいる場所をのぞきこんだ。まだ魔法は続いているかもしれない。
でなければとっくにオヤジがそいつをとっ捕まえているからだ。
「もしお前に敵を一撃で片づける能力があるなら、そいつを使ってオヤジを盾にできるはずだ。
そんなことをしないっていうことは、つまりお前には敵を即死させる能力がないってこと」
返事はない。それならそれで、とコシンジュはその場に立ち止まって両腕を組んだ。
「よし、じゃあとりあえず姿を見せろ。魔法はかけたままでいい。ゆっくりと隠れている場所から出るんだ」
「ほっ、本当に攻撃はしないなっ!?」
「しないしない。ある程度能力の割れてるお前相手にビビるオレなんかじゃないって」
コシンジュは待った。すると、息も絶え絶えの馬の尻のあたりから、ひょっこりと小さい何かが姿を現した。
「ああ、そうか、そういうことだったのか……ぷっ! くふふふふふふふふっっ!」
「わっ! 笑うなっっ! 恥ずかしいっっ!」
現れたのは、一見どこにでもありそうな一本の花だった。しかしただの花ではなく、明らかに意志を持ってヒョコヒョコと動いている。
赤い花の間から、2つの黒い円のような瞳がのぞいている。あまりにこっけいな正体だったので、コシンジュだけでなく後ろにいる仲間たちも声をおさえて笑っている。
「あ、あのう……」
「ぷぷぷぷ……あ、いや、お前、名前は?」
「マ、マドラゴーラです……」
動く花は完全におびえている。こんな不思議な生き物が、あんな恐ろしい暗殺魔法を備えているとはとても信じられない。
「よ、よしマドラゴーラ。今からゆっくり横方向へ動け。ある程度離れたら魔法をすぐに解除しろ」
「わ、わかりましたです……」
マドラゴーラは根っこが束になったような足を2つに分けてヒョコヒョコと動かす。
馬から少し離れたところで、そいつのいた場所の雰囲気がどこか変わったような気がした。
すると馬が首を振り、ゆっくりと立ち上がる。そのすきまからオヤジの姿が少しだけ見えた。
「うぅ、不覚だ。まさかふところに忍び込まれていたとは……」
鞍の上から顔を出したチチガムに、コシンジュはみけんにシワを寄せて告げた。
「変なことで頭がいっぱいになってるからだよ。もういいかげん子離れしろよ。
息子をかげで支えるどころかとんでもなく足引っ張っちゃってんじゃねえかよ」
「うう、すまん」
チチガムは素直にあやまった。
しかしコシンジュの視線はこっそり逃げ出そうとしているマドラゴーラのほうに向かった。
「おい、どこいくんだよ」
「へぇぇっ!? 俺にはもう用はないんじゃないですかっ!?」
振り返ったマドラゴーラは花弁からのぞく瞳を大きく見開いている。
コシンジュはすぐに相手のもとへと駆け寄り、生きている花の茎の部分をひっつかんだ。
「あっ! ちょっと待てっっ! はなせっっ!」
コシンジュはうごめくマドラゴーラに向かって真っすぐ指をさした。
「そういうわけにもいかねえな。お前、魔界にくわしいんだろ?
ちょうどよかった。いい案内役が見つかった」
「くそっ! ふざけんな! いつか寝首をかいてやるっっ!」
「やってみろよ。どうせ即死能力なんかないくせに。
お前が何かしでかしたと思ったとたんぶっつぶしてやるからな。覚悟しておけよ」
息子が魔物を脅しつけている光景を見てチチガムはガッツポーズをとった。
「ナイスだコシンジュっ! その調子で魔界の情報をどんどん引き出せっ!」
「うっさいっっ! オヤジはゴタゴタ言ってないでさっさと母ちゃんの待ってる村に帰れっ!」
コシンジュはまだジタバタしているマドラゴーラをつかんだまま、馬を通り過ぎて先ほど投げた棍棒を拾い上げた。
「貴様っ! 自分が今何をやっているかわかっているんだろうなっ!
魔界の情報源を手に入れた以上、魔王軍がどれほど必死になることかっ!」
「なんだお前。もう情報屋になったつもりか。
お前こそわかってるんだろうな。オレたちに協力するってことは、もうあっちの世界に戻れないってことなんだぜ?」
ギロリとにらむコシンジュに、マドラゴーラはビクリとする。そしてわかりやすいほどうなだれた、いやしおれた。
「こうなってしまった以上、おめおめと魔界には帰れん。第一向こうの許可を得ない限りはな。
それに帰ったところで、俺にはみじめな運命が待っているだけだ……」
「処刑されるのか?」
「もっと悲惨な運命だ。あまりにひどすぎて口にすることもできん……」
その時だった。森のほうから、小さく何かの音がひびき渡った。
コシンジュは耳をすます。なんだかドシンドシンという音が立て続けにひびいてくる。
「……それじゃ、さっそく教えてもらおうか?
あんな風に派手な音を立ててやってくる魔物は、いったいどんな奴なんだ?」
するとマドラゴーラは何も言ってこない。
先ほどのやり取りで、自らを犠牲にするほど魔王軍に対する忠誠心はないと判断したのだが……
「引きちぎるぞっっ!」
マドラゴーラは「ひぃっ!」と言うだけだ。
見ると、マドラゴーラの全身はブルブルと震えている。コシンジュはいやな予感がした。
コシンジュは顔をあげて父親に向かって大手を振った。
「オヤジ逃げろっっ! 何かとんでもない奴がこっちにやってくるっ!」
「コシンジュっ! ここは俺がおとりになるっ! そのあいだにお前はみんなと一緒に逃げろっ!」
「アホかっ! 敵の狙いはこっちなんだからオヤジが出張ったって無視されるだけだ!
よく聞けよっ! あのものすごい音、どんどんこっちに近づいて……」
そこで気付いた。轟音はあきらかに異様なスピードでこちらへと近づいてくる。
コシンジュがそちらのほうを振り向くと、はるか遠くの木々がありえない速さでどんどん押し倒されていく。コシンジュは父親に向かってどなりつけた。
「いいから早く逃げろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっっ!」
危機を察したチチガムが急いで馬にまたがったのを確認して、コシンジュは反対方向を振り向いて急いでかけだした。
「コシンジュっっ! 急いでっ!」
遠くの仲間たちが必死に手招きする。しかし彼らの顔も横に向いた。
もう間に合わないと思ったコシンジュは、全力で前に向かって身を投げ出した。
靴の先がほんの少しかすっただけで、コシンジュの身体はブーメランのように空中で回転しだした。
信じられない思いながらも地面にたたきつけられる前に必死で受け身の態勢をとる。
「のわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!」
「「「「コシンジュッッッッ!」」」」
仲間たちが一斉に呼び掛ける。一瞬気を失いそうになったが、なんとか上半身だけを起こす。
「オレは……大丈夫だ……」
そして自分の安全を確かめる。
全身に土ぼこりを浴びているがケガはない。棍棒もすぐそばにあり速攻で手に取った。もう片方の手は……
「マドラゴーラっっ! 大丈夫かっっっ!」
握られた手の上で妙な具合にねじれているが、やがて茎からのびる葉を動かして頭を持ち上げた。
「うぅ……なんとか……」
「……落ちぶれたなマドラゴーラ。よもや敵に情けをかけられるとは。
これで貴様が魔界に戻れる算段はつかなくなったな」
普通にしゃべっているだけなのに、声が異常なほど大きい。
コシンジュは振り返る、そして「うおわぁぁぁぁぁっ!」とおどろく。
目の前には見上げなければならないほど巨大な、全身の筋肉をむき出しにしたかのような赤い化け物の姿があった。
長い両腕を地面についてちょうど地面に座っている犬のような姿勢を取っている。また、赤く染め上げられた筋肉にはなぜか妙なスジがあちこちから飛び出している。
そして小さな小屋が丸ごと入りそうな巨大な顔はこちらを向いているが、そこに目のようなものは付いていない。
「うるさいっっ! 仲間がいるにもかかわらず突進して来やがってっっ!
お前のような奴がいるところになんか2度と戻るもんかっっ!」
マドラゴーラは葉を持ち上げて必死に抗弁する。コシンジュはチューリップ形の魔物を背中に持っていった。
「袋の中に隠れてろ」
言われる通りマドラゴーラが普段棍棒を入れている袋(母のお手製)の中に隠れるのを確信し、コシンジュは立ち上がって棍棒を両手で構えた。
「くそっっ! 魔界にはこんなバカでかい化け物がウヨウヨしてやがるのかっ!
しかも木々をなぎ倒して無理やり道を作りやがってっ! このとんだ環境破壊ヤローがっ!」
瞳のない化け物はこちらを覗き込むようにして顔を近づける。いったいどんな手段でこちらの動きを認識しているのだろう。
「あいにく魔界はこんなチンケな森なんか話にならないようなとてつもないジャングルが広がっていてな。
しかもいまお前が背負っているマドラゴーラのような殺人植物ばかりだ。オレのように細かいことは気にしねえほどタフでねえと生きていけないのさ」
「じゃあここで死ねっっっ!」
「やってみやがれっっ!」
巨大な化け物は巨大な拳を振り上げた。しかも結構な速さで持ち上げていくため、ちょっとした突風が吹き荒れる。
そのあまりの迫力にコシンジュはおどろいたが、いける、と直感した。コシンジュは棍棒を背中まで振り上げ、上空を見つめた。背中で叫ぶ声がする。
「やめとけ坊やっ!
この『バックベアー』の叩きつけ攻撃を食らってまともに済んだ奴なんて誰もいやしないぜっっ!」
「だろうなっ! だけどこの棍棒だってそうだっっ!」
コシンジュは一瞬息を止め、敵の攻撃が当たるタイミングを見計らう。
もう少し、というところでコシンジュは上空に向かって思い切り棍棒を叩きつけた。
閃光。あまりの衝撃にコシンジュはヒザを地面に叩きつけられたが、それ以上の圧迫感はなかった。
見上げるとバックベアーの腕は大きく投げ出され、それに引きずられるようにして怪物がのけぞっている。
「ぐおぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!」
コシンジュは相手がひるんでいるそのスキに、急いで反対側に逃げ出した。
仲間たちが馬を反対方向に向けながらコシンジュを待ち受けていた。
「はやくっっ! 乗ってっっ!」
ロヒインにうながされて馬にまたがると、すぐに4頭はかけだした。
「森の中に逃げるしかない! このまま道を進むのは危険だ!」
「なに言ってるイサーシュっ!? このままみんなで奴をやれ……」
震動とともに轟音がひびき渡って一同がそちらを振り返った。
バックベアーが押し上げられた手のひらをふたたび地面にたたきつけていた。
「てめえらっ! 逃げられると思うなよっっ! 引きつぶしてやるっっっ!」
そして一瞬こちらを向いて鋭い牙がむき出しの口をゆがめると、すぐそばの木々に向かって突進した。
木々は瞬く間になぎ倒され巨大な身体はあっという間に見えなくなる。そして再びドシンドシンという音がひびきわたる。ヴィーシャが叫ぶ。
「あの突進攻撃は棍棒じゃ防ぎきれないわよっ!? あんたアイツと心中するつもりっ!?」
彼女の助言にコシンジュはくやしがりながらもうなずいた。
「仕方ねえっ! 森を巻き込むが今はほかにできることがない!」
「あっちの方向に行きましょう! あの音を聞く限りこちらに回り込んでくるつもりですよ!」
指をさすメウノに従い、4頭の馬は急いでうっそうとした森の中へ駆け込んだ。
すべてを見届けたチチガムは、馬上でぼう然としていた。
「コシンジュ……イサーシュ、ロヒイン……」
あんなとてつもない化け物を相手に、息子たちは戦っているのか。
自分ではなく、コシンジュが。そして息子とほとんど歳の変わらない若者たちが。
自分に何かができるとは思えなかった。出遅れた自分に、あれほどの怪物と戦う覚悟はできていない。
チチガムは今さらながら、その現実を思い知らされた。
どうする? このままあとを追うか? それとも村に帰っておとなしくしているか。
どちらもできない選択だった。このままコシンジュ達のほうに向かったところで、何も知らない自分は先ほどのように足を引っ張るだけだ。
だからと言って村に帰れば、まるで逃げているようでふがいない。
チチガムはどちらの選択をとることもできないまま、情けない思いをかみしめながらいつまでもその場にとどまっていた。




