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第7話 森の木かげのボランティア活動~その2~

 ロヒインの予告通り、勇者一行は夕方になる前に村にたどり着いた。

 入口に入ったところで、1人の男がコシンジュ達のもとへとかけ寄ってくる。


「ゆっ、勇者さまがたっ! お待ちしておりましたっ!」

「うわっ、もうここまで話が広がってるよ。ここでも熱烈歓迎?」


 少しうんざりしているコシンジュだったが、男はなぜか首を振った。


「そうしたいのも山々なのですが、皆さまにお願いがありまして、どうしてもお力を貸していただきたいのですっ!」





 村人に案内されて役場に案内されると、大勢の村人が集まっていた。

 その中の1人、妙齢(みょうれい)の女性が立ち上がる。


「あ、あなたさまが勇者のご一行ですかっ!?」


 何だか死にそうな顔をしている。いやな予感がしてきた。

 しかし無視するわけにもいかないので、コシンジュはうんとうなずいた。


「どうかっ! どうかうちの娘を助けてくださいっっ!」


 そう言って女性はコシンジュにしがみついてきた。あわててそれを抱きとめる。


「ちょっ、大丈夫ですか!? しっかりしてくださいっ!」


 村人たちの中から別の人物が進み出た。白ひげの老人だ。


「この村の長を務めておるものです。事情はわたくしのほうから」


 コシンジュ達がうなずくと、老人は奥の部屋へと彼らを案内した。


 その部屋へと入ったとたん、何が起こっているのか容易に想像できた。

 一台のベッドの上に、小さな女の子が寝かされている。

 彼女は真っ青な顔じゅうに大粒の汗をかきながら、うなされているかのごとくしきりに首をゆすっている。

 少女の前には茶色いローブをまとった男がずっと手かざししている。この村の僧侶のようだ。


「これはっ!」


 メウノが驚いて近寄ろうとすると、手かざししていた男がこちらにふりむいた。


「あなたがたが勇者一行の皆さんですか。でそちらが同行している僧侶の方」

「はじめまして、カンタ修道院のメウノです」


 メウノがかしこまったあいさつをすると、相手も同じようにした。


「この村で司祭をしておるものです。それにしても、ずいぶんご立派なローブだ」


 司祭の目がメウノの真っ白なローブに向けられたので、彼女はあわてたそぶりを見せる。


「も、もうしわけありません。お見苦しい恰好(かっこう)をしてしまいまして」

「僧侶は自ら金銭を求めず、信者のお布施(ふせ)によって生活が成り立っております。

 カンタ修道院はさすが勇者の村の近くにあるだけあって、ずいぶん羽振りがいいようだ」


 少し責めるような口調にメウノは困っている。コシンジュはたまらず口を開いた。


「おい、今はそんなグチを言ってる場合じゃないだろ。その女の子、あんたの手かざしでも効果ないようじゃないか」

「さすがは勇者さま、たいそうな口を聞きなさる。まあいいでしょう。彼女をごらんなさい」


 4人は少女の顔をのぞき込む。ロヒインは不安いっぱいに問いかける。


「魔物の……呪いでしょうか」


 ところが、僧侶は的外れと言わんばかりに首を振った。


「このあたりにひそんでいる蛇による猛毒(もうどく)です。

 村人たちには散々注意をうながしているのですが、この子は不注意があったのか、あるいはよほど運が悪かったのでしょう」

「それほど警戒されてるのでしたら、治療法もあるはずでしょう」

「最後まで話を聞きなさい。もちろん血清はあります。

 ですがそれをつくるためには例の蛇自体の血に加え、村の近くの沢に自生している、効果を活性化させるための特殊な薬草が必要になるのです。

 この村秘伝の治療薬を持ってしか、この子の身体にまわっている毒を抜ききることはできません」

「その治療薬がなくなってしまったというわけか」


 コシンジュが口をはさむが、僧侶はみけんにしわを寄せて目を閉じる。


「そこで魔物の登場、というわけです。

 奴らはどこで事情を知ったのか、薬草を治めていた倉庫に火つけてしまいまして。みなさん気付いてらっしゃらないと思いますが、村の裏手に焼け跡が残っているはずですが」

「で、我々に依頼したいこととは?」


 納得がいかないとばかりのイサーシュ。

 だったらその薬草を取りに行かないのはなぜだと言わんばかりだ。これには村長のほうが口を開く。


「実はこの子の治療の相談を司祭様とご相談している際に、その話を何者かに聞かれてしまったようなのです」

「姿形は?」

「まったく目にしていません。屋根の上で話を聞いていたらしく、ですが去り際に人とは思えないほどの重みのある足音を立てていきました。

 とても人間とは思えない大きさのそれが倉庫に火をつける姿を見た者もいて、それが恐ろしくて数人の村人でこっそり様子を探りに行ったところ、とんでもないものを見てしまいまして」

「なんなんです?」


 メウノが緊張気味に問いかけたところ、村長はツバを飲み込んで


「例の沢のあたりで、とても人とは思えない姿をした者たちが、手当たりしだいに野草を引っこ抜いている姿を見たんです」

「なんてこった……」


 真っ青になるコシンジュに、イサーシュは険しい目を向ける。


「すべての野草を根絶やしにできるかどうかはともかく、早くしないとこの子を治療できる草はなくなってしまうぞ」

「申し訳ありません……わたしたちがこの道を通ったばかりに……」


 深く頭を下げるロヒインに、村長はあわてたそぶりで手を差し伸べる。


「そんなことをおっしゃらないでください。あなたさま方は魔王軍という、とてつもない敵を相手になさっているのです。

 責められるべきは手段を問わない魔物どものほうでしょう」

「そんなこと言われましても。以前訪れた村では村の方々に多大なご迷惑をかけてしまい、追い払われてしまったので。本当にこちらとしても申し訳ないと思っています」


 2人のやり取りにメウノが口をはさんだ。


「事態は一刻を争います。村長様、例の沢へのルートと薬草の特徴をお教えください」

「ええ、すぐに書き留めを用意します。少々お待ちを」


 村長が部屋を出ていったあと、コシンジュはロヒインに向かってつぶやいた。


「奴ら、どんどん手段を選ばなくなってるな。このままだと本当に関係のない人が犠牲(ぎせい)になっちまうぞ」

「わかっているならコシンジュ。先を急いだ方がいいよ。

 変なこだわりは捨てて用がすんだらさっさとこの村を出たほうがいい」

「それはどうでしょうかね」


 2人は問いかけられた方向を見る。司祭がこちらを見ないで口を開く。


「それではみなさんはどうなるのです? そうやって旅を急いで、疲れを引きずったまま魔物たちと戦えますか? ろくに休みをとらないで旅を続けていると、いつか奴らに足元をすくわれますよ?」


 そして顔だけをこちらに向け、予想外なほどにっこりとした。


「悪いことは言わない。今日はこちらにお泊まりなさい。村人たちには私のほうからよく言っておきます」


 コシンジュは目を丸くし、あっけらかんとしてつぶやいた。


「あんた、以外といいヤツだな……」


 司祭はていねいに頭を下げたあと、優しい口調でコシンジュにさとした。


「目上の人にはもっと礼儀正しく接しなさい。まあ、今のところはそういう性格なのだと受け取っておきましょう」





 コシンジュ達の気力はまだ余裕があったので、その日のうちに例の沢へと向かうことになった。

 日はだいぶ沈みかけていたが、夜になるまでは目的の場所にたどり着けるだろう。


 村の奥の森はうっそうとしているが、比較的歩きやすく一行はまっすぐ進んだ。


 万が一村人たちに正体が判明してはいけないので、それまではフードを深くかぶり一切口も開かなかったヴィーシャ。

 ようやく自由になった解放感からか、意気揚々(いきようよう)とフードをとる。


「それにしても、本当に偶然なのかな」


 しかしその口調はどこか浮かない。コシンジュが相手する。


「女の子が毒に蛇におそわれたことか? そりゃないだろ。もし魔物がこの村を狙うんだとしたら、わざわざ蛇におそわせる必要なんてない。

 話を聞くまでは治療方法がややこしいなんて知るはずもないし、おれたちをさそいこむんなら普通に女の子を連れ去ったほうが手っ取り早い」

「屋根裏から様子をうかがって、話を聞いているうちにこの状況を利用したほうがいいと考えたんじゃないでしょうか。

 わざわざ足手まといになる人質をかかえるよりも、動かない薬草を独占したほうが労力が少ないですからね」


 ロヒインの次にイサーシュが口を開く。


「どちらにしろ、敵は凶悪なワナを張っているだろう。細心の注意を払うに越したことはない。

 特に現場に到着する時間には夜になっていることに注意するべきだ。魔界の生物は夜目が利く。夜間の戦闘はこちらも経験済みとはいえ、向こうのほうが有利と考えた方がいいだろう」

「あっ! あれ見てっ!」


 ヴィーシャが前方を指差すと、森の向こうが少し開けている。耳を澄ますと水の流れる音も聞こえてくる。


 5人は足早にそちらに進むと、森が開けて小さな川が現れた。

 水流は比較的穏やかで、とても()み切っており、ときどきキラリと水を反射する。水の流れを分ける岩々の上にはびっしりとあざやかな緑色をしたコケでおおわれている。


「わぁ~、きれ~い……」


 ヴィーシャが感激のあまり声をもらす。コシンジュやイサーシュも感動に言葉がない。


「これは素晴らしい清流ですね。珍しい生物がたくさん住みついてそうです。例の薬草もその1つなのかもしれません」

「この流れをまっすぐ進めば、例の魔物たちの居場所にたどり着くわけですね。比較的わかりやすいルートで助かりました」


 しばらく清流のわきを進んでいると、遠くにそびえたつ山が見えた。夕日に照らされた山は途中までが木々におおわれ、切り立つ頂上は岩肌がむき出しになっている。


「大森林といっても、山が近いんだな」


 コシンジュはそれを感慨深げに見上げるが、ヴィーシャの反応はあまり良くない。


「そりゃそうでしょ。山から水が流れてこなきゃ木々なんて育たないんだから。

 このあたりは数々の小高い山があちこちにあるの。そう言った山々にこの森は養われているのよ。わかった?」

「うん、ありがたい話だけどもうちょっと柔らかに説明してくれ。感動が台無しになる」





 歩いているうちにすっかり日が暮れてしまった。先頭を歩いているコシンジュが足を止めた。


「どうした? もう目的地か?」


 イサーシュは身構えるが、コシンジュは首を振りながら前方を指差した。


「そうじゃなくて、あれをよく見て」


 4人は目をこらすと、沢の上を無数の黄色い光が行ったり来たりしている。ヴィーシャが両手を胸で組んでまたしても感動的にもらす。


「わぁ~、ホタルだホタルぅ~」


 そして足早にコシンジュ達の前を抜ける。

 4人はあわてて引きとめようとするが、小走りしながらも音を立てずに軽快に進んでいく。さすがは盗賊。

 全員で前に進むと、5人はあっという間にホタルたちに取り囲まれる。グルグルと見回しながらコシンジュがつぶやく。


「こういうのがあるから、いくら危ないって言われても旅はやめられないんだよな」


 それを聞いていたロヒインがうれしそうにこっくりとうなずく。





 ホタルの群れを抜けると、前方に異様な気配がただよってきた。

 5人は慎重に歩みを進めると、先には開けた場所があるらしい。


 広場の手前は色とりどりの花々で多い茂っている。進むとヒザの高さまで隠れてしまいそうだ。

 ところが、広場の一番奥は様相がちがう。

 すべての草が引きちぎられ、あるいは根元まで引っこ抜かれ無残にも土をさらしている。即席の広場は見事に荒れ放題になっていた。


 そんな広場の上に、無数の人影がたむろしている。だが明らかに人間の形をしていない。


「オークの集団か?」


 イサーシュが声をひそめて言うと、ロヒインは首を振った。


「いや、あれより少し小柄ですね。体格もあれよりスマート、というよりやせ細っています。

 伝承(でんしょう)を信じるならおそらく『コボルト』と呼ばれる別の種族でしょう」


 コシンジュが鼻をおさえながら話に加わる。


「うわっ、ここまで来ると連中のにおいがするな。まったく毎回毎回このにおいをかぐのはたまらんぜ」

「下級種族を相手にするんなら避けられないでしょうね。それよりどうします?」


 メウノが首をすくめながらわりこんでくる。ヴィーシャも続いた。


「こういう集団を相手にするんなら、まずボスを叩くべきよね。で、どいつが連中の親玉?」

「魔界の簡易ゲートで通される人数はごくわずかです。あんなオークよりおとる小者だけであるはずがありません。

 ボスはおそらくコボルトの上位種に当たるでしょう。でしたら身体的に大きな特徴があるはずです。見たところ、あの集団の中にそのようなものは……」


「……お前たち、一体何の話をしているんだい?」


 全員が振り返った。自分たちの真後ろに、見上げんばかりの巨大な獣がいたからだ。


 獣は爪を立てた手を振りかぶり、コシンジュ達に向かって素早く振り下ろした。皆があわてて、思い思いの場所に散らばる。

 敵を仕留めそこなった獣は、広場にいるコボルト達の呼び掛ける。


「お前らっ! 出番だよっ! この哀れな人間どもを料理しておやり! 特に女を狙うんだっ!」

「てめぇっ! 卑怯(ひきょう)だぞっ! 女の子を集中的に狙うなんてっ!」


 コシンジュが獣と距離を取りながら棍棒を手に取って構える。

 獣はコシンジュを見てニヤリと笑った。


「あら、じゃあアタシもその“オンナノコ”だって聞いたらどう思うの?」


 コシンジュは「はぁっ!?」と言いながら相手の風貌(ふうぼう)を確かめた。

 たしかに2本足で立つ巨大な獣の胸のあたりは大きくふくらんでいおり、太ももがあらわになった腰巻と同じ薄緑の布でおおわれている。


「あっ! そう言えば魔物特有のにおいがしねえ!

 っていうか別のニオイがきついっ! 強いて言えば香水くさいっ!」

「失礼ねっ! レディのたしなみにケチつけんのやめてくれるかいっ!?

  ビースト系の魔物はこれくらいやんないとニオイを消せないのよっ! ていうかなに恥ずかしいことしゃべらせてくれんのさっ!」

「ていうかメスかよっ! そりゃあり得るとは思ってたけどぶっちゃけ不意をつかれたよっ!

 ていうか見た目変わんねー! 胸になんかついてる以外は何の見分け持つかねーっ!」

「さっきからうるさいわねこのガキはっ! つべこべ言ってると食っちまうわよっ!」


 しかし巨大コボルトは途中からコシンジュの顔をのぞき込み、突然顔色を変える。


「あら、カワイイじゃない。あんた殺すにはもったいないわね。

 もし息の根を止めずにすんだら魔界にお持ち帰りしてペットにしようかしら」


 コシンジュは思わずひきつった顔でのけぞる。


「やっ、やめろっっ! オレ人外はシュミじゃねえぞっ!」

「そんなこと言わないでちょうだい。悪いようにはしないわ、あんなことや、いろんなことしてたっぷり楽しませちゃうわよ」


 ニヤリと笑う女魔物にコシンジュはしきりに首を振る。


「いやだぁっ! きれいなお姉さんだったら何をされてもいいけど!

 お前みたいな奴には何をされても絶対コーフンしねぇーっ!」


 その時巨大獣の横からイサーシュが現れ、素早く切りつける。

 しかし相手はそれを予測していたようであっけなくかわす。


「くそっ! こいつデカブツのくせに動きがすばやいっ!」

「ウフフフフ、あんたもかわいいわね。どっちかでも生き残れたらすぐにペットにしてあげるわ」

「……だまれぇぇぇぇぇっっ!」


 イサーシュは素早く突きを繰り出した。ところが、巨大獣はその目にもとまらないはずの攻撃を、爪を使ってあまりにもあっさりとイサーシュの剣をつかんでしまった。


「……そんなバカなっ!」


 おどろくイサーシュを、女魔物は剣を持った彼まるごと軽々とほおり投げてしまう。

 彼は「わぁっ!」と叫びながら地面に転がる。


「イサーシュッッッ!」


 コシンジュはすぐに彼のもとへ駆け寄る。イサーシュは片手をあげて無事を示す。

 ちょうどその時、すぐそばにヴィーシャの姿が現れた。彼女はコボルトの繰り出す剣攻撃をきれいにかわし続けている。


「ヴィーシャッ! お前は逃げろっ!」


 彼女はちらりとこちらを見た。それをスキだと思ったのか、コボルトは突きを繰り出した。

 ところがヴィーシャはそれをくるりとかわし、突き出されたコボルトの両腕をとって軽々と投げてしまった。背中から叩きつけたコボルトの手から見事な手際で剣をとり上げる。


「敵のスキをうかがってただけよっ! 一流の盗賊の腕をなめないでっ!」

「あ、なんだ。お見事……」


 そう言っているあいだに、巨大魔物が迫ってくる。ヴィーシャはコボルトを上から剣を突き刺しながら言った。


「ザコはアタシたちに任せてあんたたちはボスをっっ!」


 3人は散らばってボスの振りおろし攻撃をかわす。

 その場を立ち去るヴィーシャをよそに、コシンジュとイサーシュはそれぞれの武器の先を相手に向けた。


「コシンジュ。こいつは強敵だ。さすがに2人でやったほうがよさそうだな」

「お前にしちゃやけに素直だな。実はどう説得してやろうか考えてたところだ」


 獣は横から爪を振りかぶる。ものすごく速い勢いにイサーシュはバク転してかわさざるを得ない。

 残されたコシンジュはその場を動かずに棍棒を構え、正面から敵の攻撃を受け止める。


 閃光。瞬間的に獣の腕ははね飛ばされ、本体も大きくバランスを崩して2,3歩下がる。


「いまだイサーシュッ!」


 コシンジュの合図にイサーシュは人間離れした速さで敵に詰め寄り、真横に一閃した。

 ヒザを突いた獣のヒザ小僧のあたりが、血が飛び散ってパックリと割れる。


「ぐぅっっ!」


 顔をしかめる巨大獣。コシンジュはとどめをさすべく、握る棍棒に力を込めた。

 そうしているあいだに獣は爪でイサーシュを払おうとするが、彼はバックステップしてそれをかわす。


 しかし、そこでなぜか敵の動きが止まった。イサーシュは警戒して動きを止める。


「敵が何かを仕掛けてくるぞっっ!」

「だったらさっさととどめをさせよっっ!」


 そう言ったとたん、巨大な獣は深手を負っているにもかかわらず、突然真後ろに向かって大きくジャンプした。多少の血を飛び散らせながら、獣は広場のはしのあたりで着地する。


「なにをしているっ!? そんな動きをしたら傷口が開くぞっ!」


 言われればたしかにその通りだが、獣は突然両手を広げて大きく口を開いた。

 そこからものすごい咆哮(ほうこう)がひびきわたる。コシンジュとイサーシュは両耳をおさえる。


「わぁぁっっ! なんだぁぁぁっっ!」


 2人が必死に耳をおさえているあいだに、獣に変化が起こった。

 両腕を地面につくと、その全身がメキメキとうごめき、骨が折れているのではないかと思えるほどすさまじい音が響きわたると、次の瞬間には敵の姿勢は違和感のあるものに変わっていた。


「なんだ……敵の体格が変わった?」


 イサーシュの言うとおり、先ほどまでは2足歩行に(てき)していた肉体が、今では両手を地面についていなければならないほどいびつなものになっている。そうではない。獣は完全に4足歩行の普通の動物の姿と化していたのだ。


「変身能力かっ!」


 イサーシュが叫んだとたん、獣は恐ろしいほどの速さでこちらに向かってきた。

 コシンジュとイサーシュは分かれてそれをかわそうとするが、あまりの勢いにかわしきることができない。


「ぐわぁぁぁぁっっ!」


 イサーシュは相手が突き出した前足にはじかれる。

 一方のコシンジュは地面に伏せたまま振り向く。その眼前には巨大な獣の顔があった。


「あ、待って待って待って待ってっっっっ!」


 遅かった。コシンジュは見事に獣の鋭い歯の列に飲み込まれてしまう。左胸のあたりに激痛が走る。


「ぐわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!」


 コシンジュは両目をあり得ないほど見開き、断末魔の様な叫びをあげる。

 しかし次の瞬間には眉間をしかめ、残った力を振り絞って棍棒を獣の口の上に叩きつける。


「いでぇっっっ!」


 獣はコシンジュを口から離した。地面に激突したコシンジュは、意識がもうろうとしながらも傷口を確かめる。

 胸の中央に手を触れる。真っ赤な革鎧に穴は開いていない。あれだけの勢いがあったにもかかわらず傷1つついていないとは、さすがギンガメッシュの鎧だ。


 しかしこの激痛はなんだ。あまりにも胸が痛い。痛みのあまり立つことができない。


 巨大な獣の前には、イサーシュが1人で立ち向かっている。獣はニヤリと笑う。


「これがこのアタシ、『変わり身のルーガル』の能力さ。

 この『ビーストモード』では通常の倍以上のスピードで動きまわることができる。さっきの『ノーマルモード』でもずいぶん苦労したんだから、この速さにはついていくことができないんじゃないのかい?」

「黙れバケモノッ! コシンジュッ!? なにをしている早く立てっ!」

「ム……ムリっ! ひょっとしたら身体のどこかをやられたかも……」


 情けないと言わんばかりにイサーシュは舌打ちをした。そうしている間にルーガルと名乗る獣が突進してくる。

 イサーシュはなんとかかわすが、それで精いっぱいだった。地面に倒れたイサーシュの目の前に、口を開いた獣の顔が迫る。


 その時、ルーガルの胴体のこちらから見えない部分が突然炎に包まれた。


「ギエェェェェェェェェェェッッッ!」


 獣は素早く退き、地面を転がって煙をうち消そうとする。そのあいだにイサーシュはそちらを確かめた。


「大丈夫ですかっ!?」


 ロヒインの姿だった。苦労したのかとんがり帽子が脱げてうすい赤毛の髪が見えている。


「すみません! コボルトの攻撃に手間取ってしまって! メウノやヴィーシャに助けてもらって抜けてきました!

 ていうかいま男の姿なのになんで狙われたんでしょう!?」

「さあな。弱そうに見えたんじゃないか?」


 イサーシュがつっこんでいるあいだにコシンジュのそばから声がかかった。


「コシンジュさんっ!」


 振り向くとメウノの姿があった。泣きそうな表情でコシンジュのそばに座りこむ。


「ゴメン、やられちゃった……」

「しゃべらないでくださいっ! 今調べますから……!」


 メウノは早速手かざしをする。そして驚いた表情でコシンジュを見た。


「大変っ! 肋骨(ろっこつ)が折れてますっ!

 ギンガメッシュの鎧を着ていてもアゴの圧力までは防げなかったんですねっ!?」

「治せる……?」

「少し時間がかかります! ボスは2人に任せて、じっとしていてください!」


 メウノは目をギュッとつぶって、本格的な治療に入る。そのあいだにコシンジュは2人の様子を見る。

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