第6話 本当の出発~その2~
窓から転落したイサーシュは、クルリと身をひるがえし芝生の上に着地した。
真上から敵が迫ってくるのを察し、ローリングして敵の突き刺し攻撃をかわす。
そして振り返ってゴッツが芝生からカギ爪を引き抜くのを確認する。
「お前の身のこなしが俺には通用しないことはわかっているだろう。
それでいてなぜ俺に挑む?」
ゴッツは長い舌で鋭い爪をなめながら答える。
「お前のほうこそ気付いてるんじゃないのか?
あれだけのやり取りでおれのすべてをわかっていると思うな。行くぞっっ!」
ゴッツは瞬く間にイサーシュの前に現れる。
素早くつきだされる連続攻撃を次々と剣で弾いた。
そうしているあいだにゴッツは前蹴りを繰り出し、イサーシュの胸当てにぶち当て後ろにローリングした。
「まだまだぁぁぁっっ!」
ゴッツは続いてまわりこむように駆け抜けると、イサーシュの死角を狙おうとした。
その攻撃も振り向いて剣で弾く。
ゴッツはあきらめることなく回り込み攻撃を続けるが、まるでそのすべてが見えているかのごとくすべて防いだ。
そのうちゴッツのほうにわずかにスキが生じ、イサーシュは剣を真横に振るう。
ゴッツはそれを何とかかわしたようで距離を取って立ち止まった。
「なぜだっ!
ただの人間のくせにっ、なぜこうもおれの攻撃をかわせるっ!?」
「ゴッツとやら。動きは中々だが、戦士としてはまだ半人前のようだな」
ゴッツが「なにぃっ!」と叫ぶと、イサーシュは不敵に笑った。
「俺の言っている意味がわかっていないようなら、お前は永久に俺には勝てん」
すると、ゴッツはなぜかかみつぶすような表情から、ただただ睨みつけるだけの表情に変わった。
何かが癪にさわったのか。
「教えろ。今すぐ教えろ。でなくば後悔することになるぞ」
「なぜ知りたがる。
もうすぐ死ぬ運命にあるというのに聞いたところでどうなる」
すると突然ゴッツは叫び始めた。
「決まっているっ!
貴様から極意をうばい、ゴブリンの王になるのだっ!
あのジャレッドをも超える真のゴブリン王になっ!」
「ほお、ゴブリンの王か。
よくもまあそんな小さなくらいで満足できるものだ」
「なにぃぃっ!?」
ゴッツは再び苦虫をかみつぶすような表情になった。イサーシュは笑う。
「俺はいずれ勇者をも超える英雄になる。
優れた戦士になるからには、それほどの大きな野望を抱かなくてはな」
「ぬかせっ! 言っただろう! 後悔することになるとなっ!」
ゴッツは両側カギ爪を下に向けて身構えた。
イサーシュも構えを取る。しかしゴッツは向かっては来ずに、いきなりその場で両サイドの爪を振り上げた。
その瞬間、するどい勢いを持った空気の揺らぎがこちらに向かってきた。
イサーシュはあわててかわすが、鎧におおわれていない肩の下あたりが切り裂かれ、血が飛び出してしまった。
「ぐむっっ!」
短く叫んでイサーシュは転がりながら立ち上がる。
そして一心に相手をにらみつける。
「だまされたとでも思ったのかっ!? バカめっ!
おれは風使いだっ! 素早く動き回るだけがおれの芸だと思うなよっ!」
一杯くわされたと思ったが、よく考えれば敵が隠し玉を持っていることなど十分あり得ることだった。
なぜそんなことも思い浮かばなかったのか。
イサーシュはため息まじりに笑った。コシンジュにいつも言われていることだ。
どうやら俺は奴とは違い、カン働きがあまり良くないらしい。自分ではあまり自覚できないことなのだが。
だがそれを深くは考えないことにした。
戦場ではカンの悪さは命取りになる。それはいやでも素直に認めざるを得ない。
だが自分にはそれを補って余りある武器があるはずだ。
とりあえず今はそれを信じることにした。
「なにをニヤニヤしてやがるっ! 来ないんならこっちから行くぞっ!」
ゴッツは爪を振りかぶり、新たな空気の揺らぎをこちらに投げ飛ばした。
片方ずつなら、かわすことも難しくはない。
ゴッツは連続で空気の刃を飛ばす。
進みづらいが、それでもなんとか繰り出される攻撃をかわしつつ、なんとかゴッツのいる位置に押し迫る。
しかし、そうしているうちにイサーシュの息も上がってきた。
それに比べ、相手はまだ動じる気配を見せない。
当然だ。こちらは生身の人間、対して向こうは人の力を超えた魔物だ。
空気の刃をよけ続け、そして息を切らし始めているうちに、ある疑問が生じてきた。
将軍に言われたことだ。
自分はこれほどの化け物を相手に、どこまで生身で戦い続けていられるか。
しょせん歳をとることもない怪物相手に、人間ごときが立ち向かうのは無理のある話ではないのか。
前例があるにもかかわらず、次第にイサーシュはそのことで頭がいっぱいになっていた。
そこをつかれたのだろう。
ゴッツが両腕を下に伸ばし、一気に胸の位置で交差させた。
2つの刃が同時に向かってくる。気を取られたイサーシュにそれをかわす余裕はない。
仕方なく剣を構えて防ぐが、空気の刃は形を変えつつもイサーシュの身体を切り裂いた。
「ぐぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」
はじかれたイサーシュの身体は吹き飛ばされ、バウンドしながら地面に倒れ込んだ。
「ハハハッッ! ぬかったなっ! それとももう体力が尽きたかっ!」
呼びかけられイサーシュは顔だけをあげる。
笑うゴッツを延長線上に自分の身体を眺めると、身体のあちこちを切り裂かれて血だらけになっている。
致命傷にはなっていないらしい。
剣では案の定防御できなかったものの力は弱まったらしく、身体の表面だけを傷つけただけで済んだようだ。
「ククククク……! しょせん人間ごときもここまでよ!」
ゴッツは少しずつ近寄ってくる。
よし、いいだろう。そのままゆっくり近づいてくるがいい。
至近距離に近づいてきた途端にお前の心臓に剣を突き刺してやる。
ところが、ある程度まで近づいたところで突然ゴッツの動きが止まった。
と思いきや突然斜めにのけぞった。
そしてイサーシュの頭の後ろをしきりににらむ。
「ちっ! 外したかっ!」
ゴッツではない声にイサーシュが半身を起こして後ろを見ると、建物のかげからナイフを構えるメウノの姿があった。
それを見てイサーシュは叫ぶ。
「手を出すなっっ!」
「えっ!? なんでっ!?」
ぼう然とするメウノを無視し、前方に顔を戻しながらそばに落ちていた剣を再び取り上げた。
「くそっ! まだ動けたかっ!」
ゴッツが歯ぎしりしながらカギ爪をふるうが、それはにぶく光る剣にさえぎられる。
相手の武器を払って追撃しようとするが、そうなる前に相手は再び距離を取った。
「ククククッ! 女ぁっ! おれは風の魔物だ!
細かい空気の流れまで敏感に読み取れる能力もあるのだよっっ!」
「奇襲はムダということかっ!
イサーシュさん、私も援護しますっっ!」
「だから手出しをするなと言ってるだろっっ! だまってそこで見ていろっっ!」
イサーシュはメウノのほうを見ずに叫んだ。相手はすぐに反論してくる。
「なにをバカなこと言ってるんですっ! あなた血だらけなんですよっ!?
しかも相手は遠距離攻撃が得意ですっ! その身体で避けきれると思ってるんですかっ!?」
「うるさいっっ!
これくらいの魔物、自力で倒せないような剣士が先を進めると思うなっっ!」
今のやり取りを聞いていたゴッツは再び顔に怒りをみなぎらせる。
「散々バカにしやがって。まあ確かにそうなのかもしれんな。
こんなおれでさえ、あとに続く魔王の軍団のほんの下っ端にすぎん。
特におれの知っている風の魔物の集団は……」
「黙れ。俺はお前からウンチクを学ぶ気はない。
だまって俺の剣を受けやがれ」
その瞬間、相手はブチ切れたかのような顔になった。
「せっかくこっちがありがたい話を聞かせてやろうと思ってたのに……」
そして思い切りカギ爪を振りかぶる。
「じゃあそうなる前に死にやがれっっっ!」
すさまじい勢いでやってきた風の揺らぎに、正面から切り込む。
「バカかっ! 自分から死ぬ気かっっ!?」
そうではない。
イサーシュは刃が目前に迫ったところで真横に飛びあがり、空中を一回転しながら再び着地した。
「くそっっ!」
ふたたびカギ爪をふるうゴッツ。
真横に振るわれたそれをスライディングしてかわし、同時に相手との距離を詰める。
今度は両手をふるってX字に刃を飛ばしてくる。
イサーシュはその場を飛びあがり、人とは思えないすさまじい跳躍力を見せる。
剣を振り下ろしながら着地したが、相手に今一歩届かなかった。
そのスキを突いてゴッツはカギ爪を振りかぶる。かわすのはかなり難しい。
イサーシュは思い切って剣を振りかぶり、それを相手に向かって真っすぐ投げつけた。
投げつけられた刀身は、ゴッツが振りきらないうちに右胸に吸い込まれた。
「ふぉあぐらっっっ!」
これには相手もさすがに地に伏せざるを得ない。
そのあいだにイサーシュは詰め寄り、倒れながらもカギ爪を振ろうとしたゴッツの身体を蹴りつけ、のけぞった身体に突き刺さった剣を思い切り引き抜いた。
真横に振りかぶろうとすると、アゴをのけぞらせたゴッツがまっすぐこちらを見つめる。
「お見事だ小僧。
しかし、魔の力を使わずに、どこまでおれたちと渡り合うことが、できる……か、な……」
最期にニヤリと笑ったのを見て、イサーシュは剣を真横に振りはらった。
「ぐぅっっっ!」
すべてが終わった後、イサーシュはその場にヒザをついた。
「イサーシュ……!」
メウノが近寄ってきても、イサーシュはそちらを確認しようとはしない。
剣を芝生につき立て、いまいましげに敵の亡骸をながめる。
メウノが手を差し伸べようとする。
それを払いのけようとしたが、自分が血だらけになっているのを思い出し手を止める。
そのうちにななめ後ろでぼうっと青白い光がともった。手かざしが始まったようだ。
「あなたは……一体何を目指しているんですか……?」
イサーシュは振り返ってにらみつけようとしたが、よく考えてみればその通りなので、視線を戻していまいましげに首を振った。
「わからん……まったくもってわからん……」
後はしばらく、彼女のされるがままになっていた。




