第5話 表の顔と裏の顔~その2~
「ほお、それでイサーシュはこの場に出席しないと」
国王は残念そうにつぶやいた。横にいた王子がため息をつきながら言う。
「いいんですよあいつは。いたらいたで夕食がまずくなるだけだ」
「そのようなことをおっしゃらないでください。
すみませんが陛下、お手数ですが給仕係の方に、彼の部屋へ食事を持っていっていただくようお願いします」
ロヒインが頭を下げると、国王はうなずいてすぐにそばにいた召し使いに声をかけた。
ロヒイン達は夕食の席にも招かれた。
昼とは違い、屋上にあるテラスでいくつかのテーブルを囲んでの席となる。
他のテーブルには王妃と姫君のほかに、コシンジュとメウノ、ヴィーシャ姫やイノベッドをはじめとした評議員や城の重臣たちが集う。
勇者出発の壮行会のようなものだ。
「そういえば、だ。お前たち、この後はどうするつもりなんだ。
昼間はイノベッドの話でうやむやになってしまったが」
王子がロヒインにたずねる。
姿はまだ少女なのだが、国王と王子はすでに事情を知っているようで、すぐに身元が割れてしまった(本当に恥ずかしいので口止めしておいた)。
「わたしたちですか?
これからの予定でしたら、明日の朝すぐに出発して、南の大陸に向かおうと思います」
すると王子はすぐに眉間にしわを寄せた。
「すると、帝国にも支援を願い出るということか。
悪いことは言わない、やめておけ」
「なぜそのようなことをおっしゃるのです?」
王子はいちど細やかな装飾が施されたグラスに口をつけた後、ため息をつきながら続けた。
「いいようにさせておけ。
奴らはただでさえ国中にいるレジスタンスや海と山の賊に悩まされている。
その上に魔王軍が襲いかかってくるとなれば、帝国の奴らも大いに弱体化するだろう。
そうなったあとで我々が正々堂々と協力を申し出ればよい」
ロヒインは虫の居所が悪くなってきた。
「あまり帝国のことをよく思ってらっしゃらないようですね」
「当然だ。帝国だぞ帝国。
昔から帝政を抱く国家というのは、支配欲に飢え常に他国の領土を欲するものなのだ」
「あの国までその定義に当てはまるとは限りません」
王子はもう一度、テーブルに乗った料理を口に含み、飲み込んでから告げる。
「それにあの国は、砂漠や湿地といった不安定な土地ばかりだ。
北の大陸の実り豊かな自然を欲しないとも限らん。
たとえ今はその可能性がなくとも、不安要素は魔王軍とともに消えてくれるに限る」
「そういうわけにはまいりません。
おそらく帝国にその気がなかったとしても、我々も連合国も魔王軍の遠征には間に合わないでしょう。
かの国の弱体化にはそれで十分です。
もし1度目を退けたとしても、2度目までもつでしょうか?
それがやって来る前に、我々は南の大陸へと急ぐ必要があるでしょう」
「なるほど、帝国に恩を売る、というわけか」
途中から会話を聞いていた国王が割って入る。ロヒインはうなずいた。
「身軽なわたしたちが、先に帝国に入ります」
「我らの挙兵を待つ気はないと?」
「ええ。わたしたちは魔王が放った刺客に常に狙われています。
ここにとどまればいくら屈強な兵士と優秀な魔導師に囲まれた王国であっても、大きな危険にさらされ続けるのです。
どうせ旅立たねばならぬのなら、わたしたちはできるだけ多くのことをしたいと思うのです」
「その、なんだ……」
国王は似つかわしくないほど口ごもっていた。
なんだろう。妙に複雑な顔色を浮かべている。
どうしても引き留めたいと思っているような、そんな気がする。
「難しいのではないか? 帝国は我ら北の大陸に対する心証が悪い。
こころよく承諾してくれるとは思えないのだが」
「ですが、神に選ばれし者である勇者の要請には、さすがの帝国民も応えざるを得ないでしょう」
王はため息をつくだけで、何かを言おうとして結局やめる。
そこまでしてためらうのは、一体なぜか。
「それに、ただでさえ魔族に狙われるうえ、道中も険しくなるはずだぞ」
そこで王子が指でテーブルの上に何かをかき始めた。
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ずっと南に下るのなら、まずはこの先にある大森林を抜けなくてはならない。
道は整備されているが、敵が待ち伏せするには絶好の場所だ。
そのあとは標高の高い山々が続く。
迂回するにしろ山越えするにしろ、けわしい道中になるだろう。
とくにヴィーシャ姫が住むベロン王国のさらに南にある大山脈、は抜けるのに相当の苦難を強いるだろうな。
そのあとは海だ。
渡るには大帆船に乗る必要があるのだが、まずそれを管理する都市国家の許可が出るかどうか。奴らやたらとガメツイからな。
ましてや海の上でも魔物におそわれる可能性が高い。
いくら船が頑丈につくられていても、無事に海を渡れるかどうか。
最後に待っているのは、帝国の首都へと続く大砂漠地帯だ。
これは本当にお勧めできない。
しばらくは人里にたどり着けないだろうし、そのあいだ水や食料もセーブし続けなければならない。
だいいち昼間は干からびるように熱く、夜は凍えるような寒さの中、消耗しきったお前たちを待ちかねたかのように魔物が狙ってくるだろう。
湿地帯を迂回する手もある。
だがそうなれば、恐らく時間を大幅にロスするだろう。
そうなれば恐らく我々の軍が南の大陸に到着してもいい頃あいになっているだろう。
お前たちの要請は間に合わん。どのみち帝国の奴らがわが軍を歓迎してくれるとは限らんしな。
❦
「わかっているな。
お前たちが南の大陸を渡るということは、はっきり言って自殺行為にも等しい。
正直そんな道中を進むのはばかげている」
しかし王子はグラスに口をつけた後、ため息まじりにつぶやいた。
「とは言っても、それくらいの試練を乗り越えられないようなら、魔王に勝てるとも思えんのだが」
「おっしゃる通りです。
これは自分たちを鍛えるための旅でもあるのです。
きびしい旅を乗り越え、その上で迫りくる追手たちを退けてこそ、わたしたちは魔王を倒すにふさわしい勇者パーティになることができるでしょう」
「ダメだ。ダメだダメだ。あまりにも危険すぎる」
国王が何度も首を振った。
単純に身を案じている以上に、なにかが心に引っかかっているようにも見える。
「わかってます。ですが、いいんですか?
ここにはご家族や国民の皆さんがいらっしゃいます。
わたしたちがとどまり続けるには失うものがあまりに多すぎるのです」
「しかし、しかしだ……」
国王が言うのをためらっている、そのときだった。
「ちょっ! いくらなんでもそれはないんじゃないんですかっ!?」
コシンジュの声だ。
振り返ると、まわりの人間もそちらに目を向けている。
「……いいや、事実だね。
シウロはああやって自分の弟子をきちんと育てたつもりなんだろうが、本当はすべてを忘れたくて田舎に引きこもったんだ」
相手は何やらむやみやたらと金の刺繍がほどこされたローブをまとっている壮年の男性だ。
ロヒインは王族の2人に目配せし、そちら側のテーブルに歩いていった。
「宮廷魔導師の『サコンヴァ』さまとお見受けします。
わたくしはシウロの弟子、ロヒイン……の妹ニーシェと申します。
本日は兄に面会にこちらまでかけつけました」
何か言いたげに口をゴモゴモさせているコシンジュをよそに、サコンヴァはこちらを見てバツが悪そうな顔つきをする。
「そうか、すまないね。
てっきり本人がいないから大丈夫だと思ったのだが、これは失礼した。
ところで君も魔導師のようだが?」
ニーシェは何事もないかのようにうなずく。
「ええ、わたくしはキロン王国に残り、首都の魔術院で修業中の身です。
ですから事情をよく知らないのですが、シイロ先生のご評判にそぐわないおっしゃり方がどうしても引っかかってしまいまして」
すると相手がシウロの身内だとも知らず、ふんぞり返って声を荒げた。
「フンッ!
あのとぼけたジジイめ、あやつが言うには、『魔法のある世界に未来はない』、そんなことをほざきおったわ!」
これにはニーシェもさすがにおどろいた。本人からはそんな言葉は聞いたこともなかったからだ。
コシンジュが思わず口を開いた。
「この人が言うには、世の中には魔法が使える人間と、使えない人間がいる。
シイロ先生はそれを指して、魔法の存在が社会の発展を阻害してるって言うんだ」
「その意見、私も賛成ですね」
同じテーブルに座るノイベッドだ。
彼はあきれたように首を振る。
「魔法を扱える人間は、ともすればそうでない人々を差別する傾向があります」
「我々はそのような接し方をしたことはない」
「そうでないとしても、世の中の知識人はどうも魔術の探求にのめり込みになりがちです。
それでは志向が内にかたよりがちになり、公共の利益をかえりみなくなってしまう。
知識は万人の利益のために使うべきです」
「お前は公共の利益のために自分の頭を使う人間だからな。
いや、お前のような奴だけで十分だろう」
サンコヴァは吐き捨てるような口調になる。
どうやらノイベッドともそりが合わないらしい。
「そのような態度をとられていると、まるで自分たちだけが知識を独占すればいいという考え方の持ち主と取られかねませんが」
宮廷魔導師が「こやつっ!」と席を立ちあがりそうになったので、ロヒインは口をはさんだ。
「お言葉ですが、ノイベッドさんもそのような言い方をなさるのは危険だと思いますが」
「どういうことかね」
科学主義の評議員はメガネを押し上げながら問いかけてくる。
ロヒインはひるまない。
「あなたはおそらく、技術革新で誰にでも有効活用できる道具が、活用される社会を望んでらっしゃるのでしょう。
ですが急速にその方針を打ち出されるのは危険だと思います」
コシンジュが早々に頭をかかえ出すが、ニーシェは無視する。
「現代の知識人の大半が、おっしゃるように魔法研究にかたむいています。
科学のほうを優先した学術制度を推し進めてしまうと、そう言った多くの知識人の方々の居場所がなくなってしまうと思われるのです。
あなたはそのような事態に追い込まれた人々の苦悩を察してそのようなことをおっしゃるのですか?
今はそのようなことを声高に主張するより、なぜそのような思想が必要なのか、世の魔導師たちにしっかり説明を行い、説得すべきなのではないですか?」
「だいたい、『科学』なんぞという流行りものに手を出すのが間違いなんだ。
自然に無理やりメスを入れ、触れてはならぬ真理をのぞき込むなんぞ、恐れ多くて誰にも理解されんわ!」
サンコヴァが身ぶるいするように言うと、ノイベッドはそれを鼻で笑った。
「たたりが恐ろしいというんですか?
もしそうだとすれば私はすでに罰を受けてますよ」
サンコヴァが相手をにらみつけるが、動じる気配はない。
「それより、魔法にすがるほうが恐ろしいと思いませんか?」
「魔法のほうが恐ろしいと?」
ニーシェのほうが口を開いた。ノイベッドはうなずいた。
「私からすれば、どういった原理で動いているかわからない技術に身をあずけているほうが、不思議でならないということです。
あなた方は魔法というものを無自覚なほど信用し、まったく安全なものだと思い込んで、日常的に扱っている」
そしてもう一度メガネを直して、こちらをのぞき込むかのように腕をテーブルに押し付けた。
「魔法というものが、本当に世に必要だと思いますか?」
ニーシェが、それを聞いて口ごもる。今までそんなことを考えたこともなかったからだ。
「……はははっっ! バカバカしいっ!
だからこそ呪文というものが必要なのだっ! 呪文を唱え、母なる自然に許しをこうてこそ、はじめて魔法というものが発動される!
その制約がある限り、人はあやまって魔法を乱用することはない!」
「省略、という手があるでしょう」
ノイベッドのひとことにサンコヴァが瞠目する。
痛いところをつかれたようだ。
「省略と手順をさらに推し進めると、強いイメージを浮かべるだけですぐに魔法を発動できるようにさえなる。
あなたも、まったく呪文を唱えることなく扱える魔法がいくつかあるはずですが」
「そ、それは一流の使い手だからだ。
長い修行を経て、分別を持った魔導師にのみ許されることだ」
「あくまできびしい修行を経た結果じゃないですか?
使い手が本当に自然に敬意を払っていると言いきれますか?」
サンコヴァが言い返せないのをいいことに、ノイベッドはさらに続ける。
「そしてその先にあるのはなんです?
数ある魔導師の中には魔界と契約し、本物の魔物になった者もいるでしょう。
さらに魔物という存在は、魔法という理のもっとも恐ろしい側面を具現化した姿、という言い方はできませんか?」
それ以来、魔導師の2人は何も言えなくなった。
ここまで論破された彼らを見て、その場の雰囲気全体が悪くなってしまった。
空気を断ち切るように、ノイベッドはイスに背中をあずけてため息をつく。
「まあもっとも、魔法の需要はまだまだ高い。
魔法抜きでは動かすことができないテクノロジーも多いし、なにより今は魔王軍の手が迫っている時期です。
科学技術が進んだところで、あなた方の仕事がなくなる気配は、当分来ないでしょう」
技術士官出身の評議員は言うが、それで夜会の雰囲気が元に戻る気配はない。
ニーシェが視線をかたむけると、さすがに話の趣旨がわかっているのかコシンジュが心配そうな目を向ける。
ニーシェは彼に向かって、にっこりとほほ笑んだ。
そして声を出さずに「大丈夫」とつぶやいた。
でも本心では真逆のことを考えていた。
今初めて、自分が歩んできた道に疑問を持ちはじめていた。
ニーシェは今まで、魔法を素晴らしいものだと信じてうたがわなかった。
だけど、2人の話を聞いてその夢にゆらぎが生じた。
なぜノイベッドにとことん言い返せないでいるのだろう。
なぜシイロ先生までが、自分が長年歩んできた道にうたがいを抱いているのだろう。
そのことについて長く考えている時間はなかった。
「たっ! 大変ですっっ!」
兵士が突然会場に入りこんで、まっすぐノイベッドのもとに向かってきた。
「どうしたんだ。まあいまの雰囲気を打ち破るのにかえって助かったが」
ノイベッドはそういいながら兵士から手紙を受け取る。
どこか見覚えのあるその封筒を見てコシンジュとロヒインは目を合わせた。
ノイベッドは中の文面を呼んで兵士をにらみつけた。
「重要な書類は私を屋内に呼びつけてから渡すように」
兵士があわてて謝るなか、宮廷魔導師は突然笑い声をたてた。
「ハハハハッッ! とうとう傲慢な流行気取りの家に、賊の手が押し寄せたかっ!
こいつは面白い! 日ごろ我々をバカにしたバチが当たったということだ!」
それは関係ないだろう、とコシンジュとニーシェは顔を見合わせた。
間違いない。
ノイベッドに手渡された手紙は、ラナク村長の杯を盗み出したあの盗賊団が持っていたのと同じものだった。




