第53話 ダブル・ネクロマンサー~その5~
神殿内では、ファルシスが極限まで追いつめられていた。
神殿の端にあるガレキの山に倒れ込み、まばゆいオーラを放つフィロスに追い込まれている。
対するこちらのオーラはどんどん小さくなっていく。
「単なる魔力の打ち合いでは、ワシのほうが有利だ。
このまま我が光の力に押し任され、つぶされるがいい」
獣人姿のファルシスは、ただするどい牙を相手に向けることしかできない。
「クククク。
それにしても、これだけ弱まってもあさましい獣の姿のままか。
このまま化け物の姿をさらして躯になるがいい……」
しかし、フィロスの後方から何かが投げつけられた。
頭髪の薄い髪はそれを素早くかわすと、赤いダガーが円柱に突き刺さる。
ダガーのオーラで光の攻撃を止められ、振り返ったフィロス。
その険しい目つきで、なつかしいが変わり果てた姿を凝視した。
「おどろいたな。なぜお前がここにいる?
そうか、ヴィクトルの差し金だな?
弱りゆく貴様の相棒を見かねて、援護するように差し向けたのか」
「誰が相棒だよ。
その犬っころはずっと俺のライバルだよ」
「……クククク、余を犬っころ呼ばわりか。
一度もこのヒザを屈しさせたこともないくせに、えらそうな口を叩くものだな」
オオカミの風貌をしながらも皮肉まじりの笑みをもらすファルシス。
まさに2体1の状況。
しかしフィロスは余裕たっぷりにコシンジュに向き直り、両手を広げた。
「しかしヴィクトルの奴は阿呆か?
あやつ、まさか肝心なことを見逃しているわけではあるまい」
フィロスは片手のひらを向けた。
コシンジュは黒斧を引っ提げ身構えるが、フィロスの口の端がニヤリとゆがんだ。
「止まれ。『マイケル・ジョージ・カリバーン』……」
コシンジュが「うぅっっ!」と言って、動かなくなった。
懸命に身体をビクビクさせているが、まったく思うようにならないようだ。
その状態では当然黒斧を持っていることはできず両手からとりこぼして、先端が白い床に深々とめり込む。
ファルシスが立ちあがり、胸を押さえながら「なにをしたっっ!?」と問いかけた。
「知っているか?
地上に住む人間たちは、自身が名乗っている名前が本名ではない」
フィロスが振り返ると、コシンジュを指差しながら不敵な笑みをもらす。
「彼らが名乗る名は親か親族が決めるが、本名は我ら天界の住民がつける。
彼らの立場を区分し、管理しやすくするためにな。
こいつの本当の名前は「マイケル・ジョージ・カリバーン」。
マイケルとジョージというのは区分わけのために数多く使われる名前で、かならず2つの名前を組みあわせてつける」
「まるで機械的だな。
そんな組みわけで、お前たちは人間の名前と顔を覚えるわけか」
「それだけではない。
ワシは相手の本名を呼ぶだけで、人間を思うがままにあやつることができる。
その気になれば、どのような命令でも忠実に言い聞かせることができる。
ワシは神だ。そして人間はワシの所有物にすぎない。
そんな所有物たちを、ワシがどうしようが好き勝手。
お前たち魔物には何のかかわりもないこと」
「なんたる非道な!
もはや絶対に許してはおけんっっっ!」
ファルシスは傲慢な神をにらみつけるが、相手は余裕たっぷりに後ろに下がりはじめた。
「えらそうな口を叩いていられるのも今のうちだ。
マイケル・ジョージ! 斧を取れ!
そしてこの犬っころと戦うがいいっっ!」
人狼が振り返った。
コシンジュは腕をプルプルさせながら、床に突き刺さった斧をゆっくりと手に取った。
その顔が、今にも泣きそうになりながら、ファルシスを見る。
頭では、自分の身に起こったことを必死で否定している。
意識を消されているわけではない。ならば……
「コシンジュ、余の声が聞こえるか。
なにか返答を伝える術はあるか」
コシンジュははっきりと何度もまばたきをした。
ファルシスはうなずく。両手を前に向けた。
「わかった、でははっきり言おう。
お前の身にいま降りかかっているのは、単にフィロスが仕掛けた呪縛にすぎない。
お前の意識が残っているのなら、自力でその呪縛を解くことができるはずだ。
コシンジュ、わかるな?」
「ムダだムダだ。
ワシがかけた呪縛は非常に強力だ。
自力で解くことなど、できはしない」
ガレキの上に座りこんだフィロスは、鎖をブラブラゆすりながら高らかに笑う。
「だまれ。
コシンジュ、フィロスの言うことは気にするな。
お前は強い、精神的にもタフだ。
だから、その呪縛は自力で解くことができるはずだ。な?」
ゆっくりと近寄ってくるコシンジュに、後ずさりしながら説得し続けるファルシス。
しかしコシンジュが手にする黒斧が、ゆっくりと振りかぶられた。
「わ、わわわ、わあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!」
猛烈な勢いで振り下ろされる黒斧、ファルシスは若干すれすれでかわす。
それにつられてしまったのかコシンジュの動きは機敏になり、次から次へと黒い打撃を繰り出す。
それをかろうじてかわしていくファルシス。
フィロスはそれを楽しそうにながめた。
「グワッハッハッハッハッハッッ! やれいやれいっ!
もっとその犬っころを追いつめやれっ! マイケル・ジョージッ!」
名前を呼んだとき、コシンジュが横目でにらみつけた。
それを見たファルシスは好機を見た。
「違うっっ! お前の名前はコシンジュだっ!
フィロスが勝手につけた名前に惑わされるなっ!
愛すべき両親につけられた名前をもっと誇りに思えっっ!」
コシンジュはなおも斧を振り続ける。
もう少し、彼の心を奮い立たせる何かがほしい。
「お前は強いっっ! そしてなによりも誇り高い!
だからこそヴィクトルに選ばれたのだっ!
さあ、自分が何者なのか思い出せっっ!
かつての勇者の心をふるいたたせろぉぉぉぉぉっっっ!」
そしてファルシスはいちかばちか、仁王立ちして立ちはだかった。
手足を広げ、振りかぶられた斧をよけようともしない。
コシンジュが、足を止めた。
ファルシスの頭に振り下ろされる寸前で、黒斧は止まった。
全身をけいれんさせ、神の力にあらがうコシンジュ。
フィロスは立ち上がった。
「なにをやっているマイケル・ジョージッッ!
この神の命令が聞けないのかっ! その犬っころを、殺せぇっっっ!」
たまりかねたフィロスが手のひらを向けた。
ファルシスは危険を悟り飛び退ると、黒斧はもといた場所の白い床を貫いた。
全身をブルブルわななかせ、顔は必死の形相でゆがめ、額からは汗を流す。
しかし、黒斧を絶対に引き抜こうとはしない。
フィロスが身じろぎし、手のひらをさらに押し出すが、コシンジュは動かない。
「違う……俺は、そんな名前なんかじゃない……
そんなふざけた……名前なんかじゃない……」
とぎれとぎれだが、たしかに自分の言葉でしゃべった。
ファルシスは思わず獣の顔をほころばせる。
「ついでに、お前の言ってることも間違ってるぞっっっ!
ファルシスッッッ!」
が、コシンジュは顔をあげ、ファルシスのほうをにらみつけた。
「俺は大した奴じゃない。
神々におだてられ、その気になってただけだ。
本当の俺は、戦うのが好きじゃない。争いなんか大っきらいだ。
誰かが死ぬことが何よりも嫌いな、ただの小心者だ……」
「座れっっ! マイケル・ジョージッッッ!」
突然コシンジュのヒザが、がっくり折れた。
コシンジュは全身をわななかせたまま、うつむく。
フィロスが少しずつ、そばに近寄る。
「もういい、お前はそこでじっとしておれ。
まったく、この力も大したことがないな。
それとも先ほどの戦いで、このワシも少しは疲れたか……」
「……そんなおれが、戦う気になったのは、
ひとえに神々に与えられた、『勇者』という称号が、あったからだ……」
フィロスの力を受けながらも、苦しそうに言葉をつむぐコシンジュ。
ファルシスはつぶやく。
「勇者という……称号……」
「そいつがあるから、俺はずっと戦ってこれた。
ずっと嫌いだった何かを殺す行為も、それがあるからこそ、耐えられた。
だったら今の俺が戦っているのは、いったい何のためだ?」
「ついでにその口も閉じろマイケル・ジョージッッ!」
なおも手をかざし続けるフィロス。これで完全に口がふさがれた。
しかしその頃には、その言葉を聞いたファルシスの心で、何かが動いていた。
ファルシスの心で、何かが躍動する。
「……愛する者のためだっ!
地位も名誉も関係ないっっ!
ただ愛するものを守るために、我々は戦うのだっっ!
違うかっっ!?」
ファルシスが叫ぶとその頭がぐぐぐと持ち上げられ、苦しげなコシンジュの顔が見えてきた。
ファルシスは両手を広げた。
「どうしてだっっ!? なぜ気付かなかったっっ!?
余は、魔王たるファルシスは、ずっと気付かないフリをしていた。
見ていないフリをしていた。
だが心の奥底では、ずっと自分を孤独だと思っていたっ!」
コシンジュを押さえつけるフィロスの手が、徐々にふるえだした。
「魔王は孤独だ!
絶大なる力を持ち、幾多もの臣下に囲まれてなお、
孤高の頂点に立つ余の心は誰にも理解できぬ、そう思い続けていたっっ!」
するとファルシスは突き出た鼻の上あたり、つまり両目を手で押さえた。
「ハハハハハハハハハハッッ!
それは勘違いだっっ! 勘違いであったっっ!
余は孤独ではないっ!
ここに、今ここに、このファルシスの心情を真に理解できる者が、最初からいたではないかっっっ!」
ファルシスは思わずコシンジュを指差した。
「そうだ、その通りだっっ!
勇者という者は、単なる称号にしかすぎん!
それとともに、魔王という地位もまた、単なる称号にすぎないのだっっ!
単にナグファルの絶大なる力を借りうけているだけのなっっ!」
「なにを言うファルシスッ!
貴様、まさか自分から魔王の座を降りたいというわけではなかろうな!?
それならそれでこちらとしては好都合だがっ!」
「だまれフィロスッッ!
余はお前のような与えられた地位に甘んじ、思うがままに暴れ狂うお前には何の共感もせぬっっ!
余が共感するのは、ここにいるたった1人、コシンジュだけだっっ!」
そしてコシンジュはフィロスからコシンジュに目を移した。
「いいだろうっっ!
確かに余は与えられたナグファルの力を捨てることはできぬっ!
だが、その心は捨てられるっ!
お前が勇者の称号を捨てるというのなら、余も……
この『俺』もっっ!
魔王としての生きざまを……捨ててやるっっっ!」
そしてファルシスは鋭い爪がついた手を、さっとコシンジュに向けさしだした。
「さあ、立てコシンジュッッッ!
お前はもう、1人ではないっっ!
俺もまた、1人ではないっっっ!
ここに、今ここに、その心情を芯から理解できる、本当の友がいるっっっ!」
コシンジュの顔が、なにかに目覚めたものになった。
「お前の犯した罪は、この俺が一緒に背負ってやるっっ!
さあ、立ち上がれっっっ! そして言ってみろっっっ!
お前は誰だっっっ!
お前の名前を、真の名前を、言ってみろぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!」
コシンジュの、身体が動いた。
徐々に、ゆっくりと、
だが確実にフィロスの制御を離れ、自分自身の力で立ち上がる。
フィロスは見開いた目で叫ぶ。
「バカなっっ! この神の力がっっっ!
単なる人間の少年に……通じないっっっ!?」
黒斧の力にも支えられ、コシンジュはうつむきながら立ち上がった。
フィロスはただ、腕をブルブルふるわせながらその様子を凝視することしかできない。
やがてコシンジュの足が、ゆっくりとフィロスのほうを向いた。
震えながら、だが確実に。
「俺の……俺の名前は……」
フィロスのおびえた顔が、コシンジュの姿を信じられないという目で見つめる。
ファルシスは勝利を確信し、オオカミの顔に笑みを浮かべた。
「……コシンジュだあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっ!」
コシンジュが一瞬で身構えた。
人間であるにもかかわらずオーラがみなぎり、フィロスの呪縛を弾き飛ばした。
年老いた神はあおむけに倒れ込む。
呪縛を解いたコシンジュは肩を上下させ、額から流れる汗を手の甲で拭う。
ファルシスが不敵な笑みを浮かべ、コシンジュの真横に並び立つ。
「行くか……
俺とお前、2人で奴との因縁に決着をつけよう」
「ハァ、ハァ、言うけど、お前大丈夫なのかよ。
追い詰められてたんじゃ」
「確かにな。俺の魔力は、ほとんど残っていない。
動きも幾分か制限されているだろう。
だが、手は考えている」
ファルシスはある方向に目を向けた。
コシンジュもそちらを見る。
「コシンジュ。
あれをとり上げる間、お前は奴を引きつけられるか?」
正面に目を向ければ、フィロスはゆっくりと立ち上がろうとしている。
それまで片手に持っていた鎖分銅を両手に持ちながら。
「はぁ、俺奴に散々もてあそばれて、もうクタクタなんだけど……」
「ハハハハ。お互い限界ということか。
ならばちょうどいいではないか。2人共闘するには」
「ちぇっ、言ってくれるぜ」
言いながら、コシンジュは黒斧を両手に構えた。
ファルシスもまた、一応は構えをとる。
体勢をたてなおしたフィロスは、胸を張ると大声でどなり始めた。
「もおゆるさぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっっっ!
このこぞおどもめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっ!
貴様らは殺すだけでは飽き足らん!
死してなお、魂だけとなった貴様らを永遠にいたぶり、もてあそんでやりゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっっっ!」
ツバをまき散らし、目が泳いでいるフィロス。
ファルシスはコシンジュに言った。
「行くぞコシンジュ。勝負は一瞬でカタがつく。
ほんの少しだけでいい、なんとか持ちこたえろ」
コシンジュは「わかってるってっ!」と叫ぶと、飛び跳ねるように前に出た。
フィロスが鎖を振り上げ、コシンジュに向かって巨大な分銅を投げつける。
コシンジュは正面に構え、黒い斧で分銅を受け止めた。
分銅に、わずかながらヒビが入る。
「なにぃぃぃっっ!?」フィロスがすっとんきょうな叫びをあげている間に、分銅は下に落ちた。
コシンジュはすぐに黒斧を振り下ろす。
分銅は黒い刃に叩きつけられ、白い床にめり込んだ。
しかし、その時にはフィロスが拳に鎖を巻きつけ、コシンジュに殴りかかろうとした。
屈強な腕がコシンジュの眼前に迫る。思わず身をすくめた。
「フィロスッッ! こっちを見ろっっっ!」
神の動きが、止まった。
その目がチラリと声がする方を見ると、大きく見開かれた。
コシンジュも振り返る。
ファルシスの手に、小さいがしっかりとメウノの赤いダガーが握られている。
「ウェイストランド・サヴァイヴァルに宿る霊よ。
余は闇の眷属だが、世界を救うためにお前の力を借りたい。よいか?」
すると赤いダガーを握る手が、赤いオーラで光かがやいた。
それが徐々に前方に広がっていくと、見たことのある何かが現れた。
少し小ぶりだが、それはまぎれもなく、かつてファルシスが使っていたトゲにおおわれた剣だった。
ただ前とは違い、黒ではなく血のような赤い色に染められている。
「ほう、わが魔剣よ。こうなるか」
ファルシスはそう言い、現れた魔剣を胸の位置まで掲げ、目を落とす。
「よかろう。
この新しき力、『クリムゾン・ベヘモス・テイル』と名付けよう」
「な……そんなバカな……こんなこと……あり得ない……」
とぎれとぎれのフィロスの言葉を聞き、ファルシスは剣を颯爽と構えた。
「さあっ! ここからが本番だっ!
魔王としての本領と、平和を願う力、
この2つが合わされば、もはやお前に勝ち目はないっっ!」
「俺もいるぜっっっ!」コシンジュは斧を分銅から離して、すばやく飛び退った。
そしてファルシスとコシンジュは目を合わせ、ともに共通の敵のまえに立ちはだかる。
「……ぬあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!」
フィロスは乱暴に鎖分銅を振りまわした。
お世辞にも、無駄のない動きとは言えない。
それでも分銅は的確にファルシスとコシンジュを狙うが、ファルシスは赤い魔剣でいなし、コシンジュは黒斧で弾き飛ばす。
やがてフィロスの動きが止まった。
おびえる目で、目の前の2人を凝視する。
ファルシスとコシンジュが、まったく同時に飛び出した。
フィロスはあわてて、両腕に鎖を巻きつけ、とっさに身構えた。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっ!」
「うりゃあああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!」
「……やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!」
防御したにもかかわらず、2つの武器は巻きつけられた鎖をいとも簡単に引きちぎった。
それを手にしていたフィロスの両腕から、激しく血がほとばしる。
両わきを、大小の影がすばやく通り過ぎていった。
次話、ついにフィナーレ!
それにしてもフィロスの悪者ぶりがハンパない……
あとマイケル・ジョージと言うのは同性愛をカミングアウトしたジョージ・マイケルにあやかってます(あと大天使ミカエルと聖ゲオルギウス)。ファンの方におわび申し上げます。




