第53話 ダブル・ネクロマンサー~その3~
少し息があがったコシンジュが向こう側を見ると、ルキフールにとりついていた死霊がまたたく間に消え去っていくのがわかる。
ルキフールはその場に倒れた。
「ジジイッ!」コシンジュはすぐにかけよって、蒸気をあげる肉体を抱き寄せた。
相手はただ「うぅ、うぅ……」とうめくだけだ。
「しっかりしろっっ!」
「あれ、なんだこりゃ?
ちょっと予想外だぞ、これ……」
ヴェルゼックは身体に突き刺さった黒斧をなんとか引き抜き、あらぬ方向に身体を引きずっていく。
コシンジュはそれに目を向けた。
「死霊の力さえなければ、お前なんてしょせんその程度さ」
ヴェルゼックの動きが止まった。
そしてこちらに振り返り、割れた口をニヤリとさせた。
「だが、今のは面白かったぞ。
おかげで1つ、勉強になった」
コシンジュは眉をひそめ、「勉強?」と繰り返す。
「どうやらおれは、お前への対処を間違っていたようだ。
お前はあの浜辺で壊すんではなく、『育てて』やるべきだった。
そういう意味では、俺は確かに間違いを犯したようだな」
コシンジュはゆっくりとルキフールを寝かせ、立ち上がってヴェルゼックのほうを向いた。
「育てる? どういうつもりだ?」
「お前は、自分を善良な人間だと思ってるだろう。
だがそうじゃない、むしろ逆だ。
お前はその心の底に、深い絶望をかかえている。
それを徐々に大きくしてやれば、やがて破壊の快楽のみを追いかける、ナグファルの忠実な舎弟になる。そのはずだった」
コシンジュはヴェルゼックのわき腹からドクドクと流れる血に目を向けた。
「なんでそんなことを言う? 俺のことをはっきり見抜いているつもりか?
そんなにまで頭がいいつもりか」
「クククク、俺にはわかる。わかるのだよ。
普通の連中には見えない、この世界の真実って奴がね……」
ヴェルゼックはコシンジュを見上げると、より不敵な笑みになった。
「俺は闇の破壊神、ナグファルに仕える。
ナグファルはこの世にあるすべてのものの破滅を願う、絶大なる力を持った世界の破壊者だ。
それゆえ、破壊神を含めた神々すべての手によって、魔界の地下深くに封印された。
封印は完璧、あの方は自力では動けない。
だからその声を聞き入れた俺はあの方の案内に従い、魔界のもっとも呪われた土地、『永久の憎悪』に足を踏み入れた。
ナグファルが神々の手によって倒れる前に、その巨大な口から出た吐瀉物から生まれた、深い深い立坑だ……」
コシンジュはだまって、相手の会話に聞き入る。
「そこで俺は真実を見た。
永久の憎悪では、どれだけの時間を経ても晴れることのない、死した者たちの恨みの声を聞いた。
無残な方法で命を奪われた者、
愛するものをみじめにも失った者、
裏切られ孤独に死んでいった者。
ありとあらゆる恨みと憎悪がそこらじゅうに渦巻いていた」
コシンジュはいつの間にか落ちていた赤いダガーを拾い上げる。
「死霊たちは俺を見るなり、すぐにとりついた。
普通の者なら苦悶の果てに死んでいくだろう。
しかし俺は、どうやら適性があったようだ。
もともとこの姿に近い醜い容貌で生まれ、ただでさえ最下級の魔族としてうとまれたグレムリンの仲間たちからも誰も、相手にされなかったからな。
1人孤独に死んでいくはずの俺を、ナグファル様だけが手を差し伸べてくれたのだ」
「同情すると思ってんのか。
いくら助けてもらった恩があるからって、世界を破壊する理由にはならないぞ」
「クククク、確かにそれまでの俺なら、ただのいじけた小魔族さ。
だが呪いの力を受け、立ち上がった俺は悟った。
悟ったのだっ!」
ヴェルゼックは目を見開き、思い切り口をゆがめた。
「この世の真理はっっ! 混沌にこそあるっ!
あらゆる生物が己の生死をかけて競い合い、勝った者は新たなる獲物を追い求め、敗れた者はみじめに死んでいく、死んでいくどころか苦痛に身もだえながら徐々に命を失っていく者もいるっっ!
ナグファルさまは、そのようなあさましき節理の上に成り立つ世界をあわれみ、そのすべてを破壊することにしたのだっっっ!」
黒斧を拾い上げようとしたコシンジュが、わずかに動揺する顔を見せた。
「その中でもっとも醜いのが、人、魔族、そして天界の住民どもだっっっ!
彼らは下手に知恵を身につけたおかげで、相手を欺き、時として残酷な方法で殺害する方法を身に付けた!
そのせいで、どれだけの者たちがだまされ、苦痛に身もだえ、絶望の中で死していったと思うっっっ!?
そんな世界に、価値などあるかっっ!?」
「なにが……言いたい?」
それは実に、コシンジュが心の奥底で疑問に思い続けてきたことだった。
なぜこの世界は、これほどなまでに残酷な出来事ばかりなのか。
「この世界に、真の平和が訪れるとでも思ったのかっ!?
人々が安穏とした暮らしを遅れる日々がやってくるとでも思ってたのかっっっ!
バカめっっっ! そんな日は永遠にやってきはしないっっっ!
世界は常に憎悪にあふれ、争いを求め無数の殺意が今日もあてどなくさまよい続けているっっっ!」
コシンジュは、思い切るように黒斧を拾い上げた。
「もしお前とファルシスが今日この日を勝利で締めくくるとしよう!
それで世界から悲劇がなくなると思うか違うなっ!
お前たちの目の届かないところで今も誰かが関わりのない悲劇で泣き叫ぶっっ!
お前たちの手の届かぬ場所で今日も誰かが虐げられる命を奪われるっ!
それらすべてにお前らは手を差し伸べることができるのか出来るわけがないっっ!
お前らがここでなにをしようと奴らは悲劇から逃れられないのだっっっ!」
コシンジュは急いで、ヴェルゼックの真横に歩みを進めた。
「そしてまた『永久の憎悪』に哀れな魂がつき落とされる! 救われる日が来ないまま延々とさまよいそしてこのヴェルゼックの代わりとなるものを待ちかまえる! この俺をここで殺してもムダだそういう魂がこの世に存在する限り第2第3の俺が次から次へと現れるぞっ! お前らはその1人1人をしらみつぶしにしてくつもりか!? 出来るんかんんっっ!?」
コシンジュが、すばやくまくし立てるヴェルゼックに向かって思い切り黒斧を振りあげる。
「いいかこの世界に真の平和をもたらすには真の平穏をもたらすにはすべてを破壊するしかない、この世は混沌に満ちており破滅はむしろ秩序だ絶対の無こそが真の平穏平和、それを実行するためには一切の容赦をしてはならずただひたすら破壊破壊破壊破壊……」
コシンジュは斧を振り下ろした。
「破壊あるのみだあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
ヴェルゼックの、饒舌が止まった。
「もういい。お前はもう、一切しゃべるな……」
「……うぅ、ううぅぅぅ……」
ルキフールの手が、おもむろに上へと伸ばされている。
コシンジュはきびすを返して戻り、血にまみれた黒斧を乱暴に落としてその身体を抱き寄せた。
いつの間にか、ルキフールは黒いマスクを顔にはめていた。
そこからシュコー、シュコーと言う音がひびく、管がついたこのマスクには呼吸を楽にする効果でもあるのか?
「ルキフールッ! しっかりしろっ!」
コシンジュが激しくゆさぶると、真っ白な顔はマスクをつけていてもわかるくらいの笑みをもらした。
「ぐふっ、ぐふふふふ……
死を迎えるならば主君の腕の中でと思っていたが、よりによってその宿敵の腕の中だとは。
なんとも皮肉なものよ……」
「もういい、しゃべるな!」
コシンジュが言うと黒い手甲に包んだ手が腕をつかんだ。
「言ったであろう。
一度呪いを受けし者は、必ず死を迎えると。
どのみち死は免れなんだ、覚悟して臨んだことよっ、グフッッ!」
せき込んだルキフールの身体を、コシンジュはしっかり支えた。
「殿下のためにこの命を役に立てること、もとより本望。
殿下が呪いの苦しみを受けずにすんだこと、これほど喜ばしいことなどない」
ルキフールの黒い瞳が、たしかにコシンジュを向いたとはっきり分かった。
「ただ唯一の心残りは、今の殿下のこと。
最大の脅威は散ったとはいえ、殿下は最強の敵を相手にしている……」
コシンジュの腕をつかむ手の力が、ぐっと強くなった。
「かくなる上は、お前に殿下のお命を託す。後は頼んだぞ」
「聞いてやってもいいけど、俺、あいつをぶんなぐるためにここまでやって来たんだぜ?」
したり顔で答えると、ルキフールは力なくフフフ、と笑った。
「かまわんよ。
たとえそのつもりでも、お前ごときに、殿下は容易に、殴られは、せ……ぬ……」
ルキフールの表情から、生気が消えた。
それとともにつかんだ腕も離され、ルキルールの頭ががっくりと下にたれた。
コシンジュは首を振り続けながらゆっくりと石畳に寝かせると、暗い眼孔の中にあるこれまた黒い瞳をゆっくりと閉じた。
もっとも黒いせいで閉じていても一緒だったが。
コシンジュが黒斧を拾い上げ昇り階段のほうを見ると、そこに見覚えのある屈強な老人の姿を見た。
「なんだ、そこで見てたのかよ。
で、どうするの? 俺とやるの?」
アミスはコシンジュを見て、ゆっくりと首を振った。
「ここで起きたやり取りを目にし、戦意が完全に失せた。
もはや兄者を守ろうとする気力などみじんもない」
アミスは十字槍を階段に置き、ゆっくりと立ち上がった。
「コシンジュよ。見事な勝利であった。
その力を見込んで、頼みがある」
コシンジュはなにも言わず、黒斧を背中に収めながら近寄った。
「兄を、あの道を踏み間違えた兄を、止めてほしい。
その処断の是非は問わん」
頭を下げるアミスに対し、コシンジュは首を振った。
「もとからそのつもりだ。
それに、頼まれなくっても俺は奴をやる。
俺が、奴をやる」
アミスのそばを通り過ぎたとき、相手が声をかけた。
「たとえファルシスの邪魔をすることになってもか」
コシンジュは立ち止まり振りかえると、アミスは力尽きたルキフールのもとへ歩み寄る。
その様子をじっとながめると、彼はルキフールのなきがらを抱きかかえ、立ち上がった。
コシンジュは皮肉まじりの笑みを向ける。
「おいおい、いいのかよ。
そのジイさん気味わりいだろ」
「かまわん。彼はこの世界を救った英雄だ。
神といえども、称賛に値する」
ルキフールを抱きかかえて階段を下りていくアミスの姿を見届けて、コシンジュは階段をかけ足で登っていった。
半分が崩れ落ちた神殿から、ひとかたまりのガレキが飛んだ。
それは大きく弧を描き、遠くに広がる雄大な大草原の中へと落下していく。
そこには人や生物がいるのかもしれないが、ガレキを吹き飛ばした当人たちはそれに気づかう余裕がないか、もとより気にしていない。
ガレキの山の中から巨大な立方体のついた黄金の鎖を振りまわす老人が、横殴りに相手を狙う。
対する全身をトゲにおおわれた獣人が飛びあがると、立方体は別のガレキに当たって大空へと吹き飛ばしていった。
今度は獣人のほうが、高くとびあがってから鋭い爪を振りかぶった。
そこから猛烈な勢いで黒いオーラが発生する。
爪を振り下ろせば、4つの黒い刃が老人めがけてはじけ飛ぶ。
老人もまた分銅を足元に叩きつけ、その勢いで空中に舞い上がると、4つの刃は残されたガレキを粉砕した。
ガレキの上に立った両者が、じっと互いをにらみつける。
「どうした? 何か違和感でもあるのかね……」
にらみながらも口元をゆがめるフィロス神に、魔獣ファルシスは首を振った。
「貴様、余を罠にかけたな?
ここはお前たちの聖域、わざわざ懐に飛び込んだ我らは弱体化し、本来の力を発揮できずにいる」
ファルシスは下をにらみつけた。
本来ならばもっと素早く立ちまわることができ、ガレキを粉砕する爪もより破壊をもたらしたはずだったが、今はそれができない。
「フン、本来はもっと不利な状況に追い込めたというに、なかなかしぶとい奴だ。
やはりナグファルから盗んだ力は伊達ではないな」
「あの大海岸とは違い、お前しかいないこの場所では力をふるうのに遠慮はいらん。
だが今はあの時と同じ状況でしかない。今頃はお前を地に伏せさせているというのに」
「クククク、これこそ神の知恵よ。
どうして我々が地上に攻めよせなかったのか、疑問に思わなかったのか?
頼りにならぬ兵を率いるよりここにとどまっておびき寄せたほうが、はるかに安易ということだ」
「小癪な手を使う。
もとより敵の懐に飛び込むことを覚悟でここまでやってきたが、お前たちの姑息な策略を目にするたび、大いに失望させられたぞ」
フィロスは鎖を持ち直し、すぐ下についた立方分銅を見せつけた。
「お前たちもなかなかやるではないか。
それだけの戦略を乗り越えて、ここまでやってきたのだからな。
しかし、それももう終わりだ……」
そしてフィロスは鎖を頭の上で振り回し「そして死ねっっっ!」と叫ぶと真横から分銅を投げつけた。
ファルシスの頭あたりを狙っていたので、獣人はその場に身を伏せた。
分銅はガレキの山にあたり、それが後ろにくずれだす。
ゴロゴロと山の斜面を転がる音がひびいた。
かがんだファルシスは手足を踏ん張り、そのままかけぬけた。
まるで獣が疾走するような姿に意表を突かれ、フィロスは突進した相手の頭突きを腹に食らってしまう。
その場に倒れ込んだフィロスに対し、ヒザ立ちになったファルシスは両手の爪をいっせいに突き立て、そこからオーラをたちのぼらせる。
どれも先端が鋭い。
フィロスが半身を起こし、拳を握りしめるとバチバチ光を放った。
そのままファルシスの獣の頭部を殴りつける。
倒れ込んだ獣人を、フィロスは拳に鎖を巻きつけ、上から殴りつけた。
ファルシスはオーラを発生させる両手でそれを受け止めると、開いた足で相手の腹を蹴りつけた。
相手はよろよろとよろめき、両足をはね上げて立ち上がると、獣は両手の爪を次から次へと振り下ろした。
しかしこの時はオーラをまとってはいないため、するどい爪はフィロスが突きつけた分銅と鎖を巻いた拳にはじかれてしまう。
ファルシスはクルリと回転し、逆関節の足をまっすぐ突き出した。
こちらもフィロスの腹にヒットし、とうとう相手は後ろに会ったガレキに激突。
それがズルズルと後ろに下がり、山の斜面へと落下していく。
そのため視界が一気に開けた。
なんとか体勢を立て直そうとするフィロスに、ファルシスは少しずつ近寄る。
片手の爪を下につき立て、オーラの刃を発生させていつでもとどめをさせる準備をする。
フィロスが突然目をむき、一気に体勢を立て直した。
「ぉぉぉぉおおおおおおおおおおがああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!」
フィロスが両腕を一気に広げると、その全身が光かがやいた。
一瞬身を伏せるファルシスだったが、思いなおして握った両手を腰のあたりにやり、正面に構えると暗黒のオーラを全身から噴出させた。
「ぬうううううううぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅんっっっっ!」
しかしこれは、実は危険な賭けである。
先ほど自身で気づいた通り、この神々の宮殿では闇の魔族の力は弱体化する。
これまでの戦いでは獣人ゆえの身体能力と経験を積んだ戦闘術ゆえ、その差を覆すことができたが、単なる魔力の打ち合いではこちらの方が明らかに不利だ。
ふと、神殿の外で戦っているロヒインのことを思い返した。
ヴィクトル神なら状況にあわせ手加減をしてくれるだろうが、目の前の長兄は今の状況を大いに利用するだろう。
獣人の口が、くやしげに牙をむいた。
ネクロマンサー・ルキフールは作者お気に入りなんですけど、ここで見納めなのはちょっともったいないです。




