第53話 ダブル・ネクロマンサー~その2~
死神姿のルキフールが杖をふるうと、そこからのびる長い脊椎がしなるように空に振られた。
巨大なハエの姿をしたヴェルゼックは4つの羽をばたつかせ、空中を舞い上がる。
脊椎をかわした直後、4つに割れた口から黄色の粘液を吐きだした。
ルキフールは素早く横にかわす。
石畳に叩きつけられたそれは、飛び散るとともに勢いの強い蒸気をあげる。
まるで高温でゆでられたかのように、粘液はブクブクと泡立っていた。
ヴェルゼックは素早く空中を飛び交いながら、両手からさらに粘液を飛ばした。
矢継ぎ早に繰り出されたそれをルキフールは次々と華麗にかわしていく。
しかし相手は器用だった。
ルキフールが退いていった後方には、紫と土気色の使者の群れが互いに組みあって暴れ回り、たがいの身体に食いついて、引きちぎりあっている。
ルキフールは真っ黒な目を向けた。そこに飛び込めば自身も危ない。
ヴェルゼックが口を開き、粘液を吐きだした。
ルキフールは身をかがめ杖を振った。
脊椎が前方へと長く伸び、先頭についている胎児の頭が「フギャアァァァァァァァッッ!」と言いながら頭を前に向ける。
その口から飛び出す鋭利な鎌が、向こう側の白い石畳を貫いた。
ルキフールが飛び出すと、その身体はピンと伸びた脊椎に引っ張られていく。
脊椎は先頭の胎児の中におさまっていき、ルキフールはその頭を目前にしたところで止まった。
即座に立ち上がろうとしたルキフールの目前に、ヴェルゼックの姿が現れる。
巨大なハエは肩の突起からおびただしい量の緑色のガスを噴射した。
ルキフールは身を伏せたまま、何度も回転して後方に引き下がる。
ロングコートをひるがえすとともに、伸ばした腕から鎌の先が伸びて、ヴェルゼックの身体を狙う。
「ギョオォォォォォォォォォォォッッ!」と叫ぶ胎児の口から飛び出した巨大な鎌を、ヴェルゼックはすれすれでかわす。
そしてそのまま両手を前に突き出し、粘液を飛ばす。
ルキフールはジグザクに飛び跳ねながら、クルリと杖を回した。
鋭い先端が上を向くと、ルキフールはそれを思いきり振るい、脊椎を長く伸ばした。
長い脊椎が、空中を飛び交うヴェルゼックの逆関節の足に絡みついた。
ぐいと引っ張られ体勢をくずしたヴェルゼックは、口から黄色の粘液を吐きだす。
ルキフールはそれを身体を斜めにしてかわし、勢いを込めて脊椎を引っ張り上げる。
ヴェルゼックの身体が、押し負けて引き込まれた。
ルキフールの頭上をかすめ通り、後方の石畳に叩きつけられる。
あともう少しで死者の軍団に飲み込まれる寸前で、ヴェルゼックは6つの手足をふんじばってこらえた。
息を整えたルキフールは下ろした杖をクルリと戻し、胎児の顔を下にしてルキフールのほうへ悠然と歩いた。
「ナグファルの力を授けられたと言っても、しょせんはグレムリン上がり。
貴様の力はこの程度よ」
歩み寄る黒い死神に対し、同じ色の巨大バエはゆっくりと立ち上がった。
「確かに、純粋な魔族としての力は俺の負けだな。
だがネクロマンサーとしての力量はどうかな」
4つに割れたアゴとはいっても、ゆがめるとはっきり笑っていると見て取れる。
いつもと変わらない怪しげな笑みを浮かべたヴェルゼックは、おもむろに両手を広げた。
「ムダだ。
ネクロマンサーとしてのお前も、私の精強な軍団の前では大したことはできまい」
そう言って禍々(まがまが)しい杖を眼前に構えるルキフールだが、対するヴェルゼックは広げた両手を思いきり真ん中で叩きつけた。
ルキフールは立ち止まった。
あきらかに、敵の背後にいる死霊どもの様子がおかしい。
最初の変化はわずかだったが、徐々に紫の軍勢が、ルキフールの操る土気色の軍団を押しのけている。
「……バカな。
この私の軍団と、お前の軍団とでは戦闘力に違いはないはず。
死霊は死霊、理性なき無類の軍団にすぎぬ。すべて均等で力に差はないはず。
使い手が変わっても同じはずだ……」
そこまで言うと、ルキフールの軍団がヴェルゼックの力に押し負けている様子がはっきりとした。
土気色の集団は紫の集団に押し倒され、いいようにやられている。
その前に立つ巨大バエが悠然と上の両手を広げた。
「確かに、ゾンビの軍団に個人差はない。
そしてすべてのネクロマンサーが扱う、すべてのゾンビにおいても同様だ」
ここで、ヴェルゼックははっきりと口の端をゆがめた。
「ただ1つ、たった1つの条件をのぞいてはな……」
異変が起こった。
完全にルキフールの軍団を押しのけた死霊たちが、はっきりとこちらの方を向いたのだ。
ルキフールは黒い瞳を見開いた。
「んなっ! バカなっっ!
操ることができぬはずの死霊どもを、貴様、完全に手なずけているというのかっっっ!?」
一歩引き下がったルキフールに、ヴェルゼックは一歩進み出る。
それとともに死霊の軍団も少し前に進んだ。
ヴェルゼックは余裕たっぷりに両方の手のひらを上に向けた。
「通常、ネクロマンサーは魔導研究により、死者を操る術を身につける。
さまよう死者は人を呪うことに飢え、手なずけることすらできない。
そこで術者は死者を拘束し、完全に感情を奪って魂を完全に沈める。
こうすることでいつでもどこでも召喚できるようになるが、理性を失った彼らはまともに制御ができず、現れれば術者以外の者を見境なく襲う」
言い終わると同時に、ヴェルゼックは一歩一歩前に進み出た。
それとともに、ルキフールもまた後ろ後ろへと引き下がらざるを得ない。
「い、今さら当たり前のことをっ!
私が言いたいのはなぜ制御不可能である死者たちを、お前は完全に操っているかということだっ!」
「わかりませんか?
俺の本当の主人は、地中奥深くに眠るナグファル様です。
ですがあの方は強い封印のために、簡単に他者に力を分け与えることができない。
では、俺はその力をどうやって手に入れたのか……」
言われ、ルキフールは黒い目を見開いた。
「……き、貴様っっ! まさか、
『永久の憎悪』に足を踏み入れたのかっっ!?」
「さよう、そこで俺は、深い恨みと憎しみにとりつかれた死者の力を手に入れた……」
にたりと笑うヴェルゼックに対し、ルキフールは必死に首を振り続けた。
「バカなっ! 『呪いの霧』の先にある絶対不可侵の地だぞっ!?
生身で入り込んで、無事ですむはずがないっっっ!」
一歩一歩近寄るヴェルゼックは、おもむろに4つの腕を広げた。
口元は笑うが、目は怒りに満ちているようにも見える。
「あるんですよぉぉぉぉぉぉぉっっ!
たった1つ、方法がねぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっ!」
するとヴェルゼックは下にある片腕を突き出して「呪えっっっ!」と叫びあげた。
とたんに無数の死霊たちが飛びかかり、ルキフールの身体を取り巻いた。
「ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!」
憑依した死霊は紫色のオーラとなり、ルキフールの全身を蝕みはじめた。
のたうちまわり、階段から転げ落ちないよう必死に前を進みながら、石畳にヒザをついた。
それでも死霊たちは消えず、ルキフールは必死で両腕を振りまわす。
いまだいくつかの死霊たちを従えながら、ヴェルゼックは4つの腕を高らかに掲げた。
「それは死を受け入れることっっ!
絶望を友とし、すべてを破壊することを受け入れることだっっっ!
ありとあらゆるしがらみをかなぐり捨て、主の命に従い生きとし生ける者すべてに死をもたらすことっ!
その使命を受け入れたとき、呪いの力は完全にわがものとなるっっっ!」
高らかにうたいあげるヴェルゼックの声を、ルキフールは薄れゆく意識の中で聞き届けた。
「それで、強大な力を、手に入れたとしても、待っているのは、死……のみだぁぁっっ!」
ルキフールの必死の弁明に対し、ヴェルゼックは舌を打ちならして人差し指を左右させる。
「それでも構わんのだよ、こっちとしては。
世界が滅びるまでの間、俺はせいぜい戦いとその後に待っている殺戮を楽しめばいい。
それはそれで、楽しい人生なんですよ。
ま、守るべきものがあるあなたには永遠にわからないでしょうがね」
巨大バエはもう決着がついたかのように、ルキフールから背を向けた。
ルキフールはなんとか立ち上がろうとするが、紫色のオーラはいまだとりついて離れようとしない。
「ゴブリンの大出世物語も、これで終わりだな。
だが俺にとってはまだ始まりにすぎない」
そしてヴェルゼックは再び4つの腕を大きく掲げ、顔もまた大空を見上げた。
「ナグファル! ナグファルッッ!
絶対的な死よっっ! 究極の絶望よっっっ!
あなたが目指した、世界の滅亡はもう目の前ですっっっ!
どうかこのわたくしに、忠実なるあなたのしもべに、さらなる力をっっっ!」
ハエ頭の魔物の動きが止まった。
顔を下げ、階段のほうを凝視する。
駆け上がったコシンジュが、息を切らしながら背中の黒斧に手をかける。
「遅かったなコシンジュ。
もう俺と、ルキフールとの戦いには決着がついたぞ」
コシンジュは別のほうを向いた。
見慣れぬ姿をした魔物が、こちらに向かって手を振り仰ぐ。
「来るなコシンジュッッ!
私にとりついているのはすべてのものに死をもたらす強力な呪いだっっ!
触れればお前さえも確実に死にいたるっっ!」
聞き覚えのある叫び声をあげた。
コシンジュは迷わずそちらの方にかけ込んだ。
腰から赤いダガーを取り出し魔物にとりついた紫のオーラに向けると、徐々に蒸発していった。
「おいおいおい、すべてを呪う憎悪のかたまりが、たった1つの平和への願いに押し任されてしまうとはな。
死した英雄はそんなにポジティブ根性の強い奴だったか?」
愛する者の平穏を願いのたれ死んだ男の伝説を思い出しながら、コシンジュは全身がボロボロになった死神のような姿に手をかけた。
相手は少しだけこちらを向いた。
「恩に着る。
もう少しで私も奴らの仲間入りするところであった」
「正直、両方信じられないくらいキモい外見してたから、どっちを助けたらよかったのか迷ったよ」
「そうか……クククククク……ごほっ、げほっ!」
ルキフールと判明した死神がせき込んだ。
コシンジュは背中をさすって「しっかりしろ!」と呼びかける。
「だ、大丈夫だ。それよりも気をつけろ。
奴は呪いの力を完璧に操る。どおりで常々自信に満ちあふれているわけだ」
コシンジュは紫の死霊を従える巨大なハエ男に目を向けた。
階段の下で見た奴の手下より、ずっと禍々(まがまが)しい風貌をしている。
「そんなにか」
「隠していた能力だが、私と奴には死霊を操る力がある。
とりついた相手を確実に殺す恐ろしい能力を秘めているが、完全に手なずけることができるのは奴だけだ」
コシンジュは立ち上がり黒い斧に手をかけつつ、赤いダガーの切っ先を巨大バエに向けた。
「だとしたら、お前をファルシスに会わすわけにはいかねえな。
戦いに疲れ切った奴を、今のお前なら確実に殺せる」
言われ、巨大バエの姿をしたヴェルゼックがいぶかしむような目を向けつつ首をかしげた。
「はぁ、今さらになって、お前か。
お前はあれこれひっかきまわすだろうと思って、大海岸で徹底的に壊してやったというのに。
ヴィクトルの奴の仕業だな?
いったいなんだってお前みたいな用済みの奴を復活させたんだ? 意味がまったくわからん」
「今の俺なら、お前に確実に勝てると思ったんだろ」
「はぁぁ? なに言ってんの?」
そう言ってヴェルゼックは下の両腕を広げた。
「お前ごときで、この俺にっ、勝てるわけがないだろっっっ!」
言うなりヴェルゼックはその両腕を振って、左右から死霊をオーブにして投げつけた。
コシンジュは赤いダガーを片手で器用に振るい、オーブを次々と消し飛ばしていく。
「勝てるはずがないと言った手前、お前に出来るのはこれだけか?」
「まだまだぁっ!
お前には、特別な相手を用意してやるっっっ!」
ヴェルゼックが上の両腕を広げ、あおむけにのけぞると、どこからともなくすさまじい量のオーブがやってきた。
それがヴェルゼックの足元に広がると、そこからぬうっと何かがはい出してきた。
コシンジュの顔が、ひきつった。
それは今までコシンジュが、魔王討伐の旅を続けていく中で出会った、魔物たちの群れだった。
コシンジュは思わず後ずさる。
「どうだぁ? こいつらならどうだぁ。
今までの死霊は、やり場のない怒りをかかえていたさまよう魂の群れに過ぎなかった。
しかしここにいるのは、コシンジュ、お前が殺し、あるいはお前がかかわったことで命を落とした、魔物たちの魂だぁぁぁぁ……」
ヴェルゼックの人に近い片目が、あり得ないほど見開かれる。
「当然、お前に深い深い憎しみを抱いているのさぁぁ。
果たしてそのちっちゃなダガー1本で、この憎しみの力を防ぎきれるかなぁぁぁぁぁぁ?」
いくらなんでもムリだ。
集まったおびただしい数の死霊は、すべてコシンジュに憎しみのまなざしを向けている。
その圧倒的な殺意にやられ、コシンジュは立っているのがやっとの状態になった。
額からは冷たい汗を流しながら、じりじりと後ずさる。
そうしているうちに、コシンジュの足がルキフールの腕にぶつかった。
そのとたん、コシンジュの腹に何かが巻きついた。
見ると真っ黒な脊椎である。コシンジュは心臓が凍りついた。
と思いきや、それがあらぬ方向へとコシンジュを追いやり、投げつけた。
石畳に叩きつけられる寸前で受け身を取ったコシンジュは、あわてて立ち上がり黒斧を引きだした。
前を見れば、ルキフールがヒザ立ちのまま、猛烈な勢いで向かってくる死霊たちのオーラを受け止めている。
コシンジュは力の限り叫んだ。
「ジジイィィィィィィィィィィィィィィィィィィッッッ!」
「か、かまわぁぁぁぁぁぁぁんっっ!
呪いをいったん受けた者の命は、長くはもたぁん!
いずれ死ぬ身だっっ! この命、喜んで捧げてやるぅぅぅぅぅぅっっっ!」
ルキフールは鼻から下をおおった仮面を外し、まるでドクロのようにやせ細った顔を死霊たちに向けた。
「貴様らが死したのは、ひとえにこのルキフールのせいだぁぁぁぁぁぁぁっっっ!
殿下のためとはいえど、貴様らの死の原因はっ、このルキフールにあるぅぅぅぅっっっ!
呪わば、のろえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっ!」
死霊たちはルキフールに殺到する。
彼らもやはり、自分たちの死の原因がルキフールの無策にあると気づいたに違いない。
一方のヴェルゼックは、しらけた表情で4つの腕を組み、羽ばたきながらこちらにやってきた。
「おいおい、完全に奴にとりついちまったよ。
まったく現金な奴らだ。殺すべき相手はこっちにもいるというのに」
コシンジュはそんなヴェルゼックに黒斧の先を向けた。
「ゆるさねぇぇっっ!
お前だけは、絶対にゆるさねぇぇぇぇぇっっ!」
ヴェルゼックの片目が、しらけた視線をコシンジュに投げつける。
「はぁぁ? お前、まだ俺に勝てると思ってんの?」
ヴェルゼックの上の方の両腕が広げられると、無数についている突起から、おびただしい量の緑色のガスが噴射された。
またたく間にヴェルゼックの全身を覆っていく。
「ヒャハハハハハハハァァァッッ! このガスは即死性の猛毒だっっっ!
少しでも肺に入ればその場で昇天っ!
身体の穴にわずかでも入ったら、お前は数日中にもがき苦しんで死んでしまうというわけだっっ!
どうだ、これなら死霊と同じくらいの効果はあるだろうっっっ!」
コシンジュが、平然とその場で黒斧を横に構えた。
それをいきなりふるうやコシンジュはその場を動かずに、クルクルと斧の重さに任せて回転し始めた。
「は? お前、何やってんの?」
その行為の意図がわからず、ヴェルゼックは空中で首をかしげる。
しかしやがて異変が起こった。
回転するコシンジュが巻き起こした風にあおられ、猛毒ガスがヴェルゼックの身体から離れていく。
「ぐっ! 黒斧の魔法無効化のあおりを受けてんのか!」
左右を見たヴェルゼックは目を見開き、口から黄色の粘液を吐きだした。
コシンジュは身体の軸をずらしただけで、ヴェルゼックの攻撃をかわした。
粘液は黒斧の刃に飲み込まれるが、純正のアダマンチウムの表面を溶かすには至らなかった。
さらに黒斧を地面にたたきつけると、その身体が宙に浮かびあがり黒斧の重さにあおられ回転する。
おどろいたヴェルゼックは赤い目を見開く。
「ぬぅぅぅぅぅおぉぉぉぉりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!」
コシンジュがふいに足をついたとたん、ようやく黒斧をもちあげ、大きく投げつけた。
意表を突かれていたヴェルゼックはかわそうとしたが間に合わず、わき腹に黒斧がめり込む。
その重みに引きずられるように、ハエ男は石畳に叩きつけられた。




