第52話 卑劣な妨害~その5~
コシンジュが馬を進めると橋は、血まみれのまだら模様からどう磨きあげたらこうなるのかわからないくらいの、純白のものになった。
それとともに橋は終わりが見えてきている。
広場まで来るとコシンジュは白馬を止めた。
前方には長い階段があり、神殿がある山の頂上まで延々と続いている。
コシンジュは颯爽と馬を下りた。
目の前にはくずれかけた建物が広がっている。
「隠れてないで出て来いよ。
大勢いるのはわかってんだからよ」
「……殿下はおっしゃった。
コシンジュは、必ず来る。
余を追って、必ずこの山のふもとまでやってくる、てな」
アーチ状の円柱から出てきたダークエルフはロングコート姿だが、前をはだけておりたくましい胸板や腹筋があらわになっている。
両手にはいくつもの刃がついた禍々しいダガーを手にしている。
「こうもおっしゃってましたわ。
コシンジュがもし来たのなら、あたくしたちが彼を引きとめてあげてと。
ここから先に、人間の出る幕はもうないのですもの」
肌にぴったりと密着する衣装のせいで整った体形が浮かび上がり、胸の谷間と太ももが露出した背の高い女ダークエルフが現れる。
その手には、伸ばすと長すぎるのではないかと思うほどのムチを手にしている。
となりから別のダークエルフが飛び出してきた。
「キミが、ロヒインちゃんの恋人だね?
キミが来るのを待ってたよ~。
ひょっとしてもう間に合わないんじゃないかと思ってたけど、なんとか間に合ったね!」
となりの女性よりはいくぶん小柄だがスタイルはそれなりに整っていて、小麦色の肌を上下の毛皮が最低限の部分を隠している。
両手をうしろに組んでいたが、前に出すと少女とも言える姿にはふさわしくないほどの物騒なカギ爪がはめられていた。
アーチの柱から、次々と人影が現れた。
その数、ざっと11名ほど。
正面に立つのは、髪の毛の代わりに無数のヘビを生やした目つきの鋭い女性だ。
「やってきたなコシンジュ。我々は魔王殿下の最精鋭。
ここでお前を足止めすべく待ちかまえていた。
抵抗せず、さっさと街に戻るがいい。さもなくば痛い目にあわせるぞ」
他は大海岸で見たような気がするが、リーダーらしき女性には会ったことはないはずだ。
「たった1人の人間相手にこれだけの数かよ。
いくらなんでも警戒しすぎだ」
横にいた女性デーモンが、身体の周囲にある巨大な円輪を軽く回しながら告げる。
「殿下はあなたの死をお望みではないわ。ロヒインさんがいることだしね。
だから生け捕りにしようと思うのなら、これぐらいの人数が必要になるというわけ」
となりにいた子供らしきデーモンが、肩に担いだ巨大な剣をブラブラさせる。
「お前なんか、オレ1人で十分だと思うけどな。
だけど魔王サマの命令じゃ、仕方ねえや」
横にいる彼そっくりの少女デーモンが、大槌を持っていない方の拳を突き上げて「そうだそうだー!」と声をあげる。
その横から獣に近いデーモンが進み出る。
「かつて神に仕えていたコシンジュよ。
なぜお前はここにやってきたのだ?
単なる私怨を晴らすためならば、それはお前自身のくだらぬこだわりにすぎん。
そのような者がこの山を登ったところで、ムダに命を落とすだけだ。
あきらめて引き返せ」
コシンジュは眉をひそめてデーモンたちを向いた。
「ところがそうでもないんだ。
俺がここにやってきたのは、ヴィクトル神がヴェルゼックの奴を警戒して依頼してきたからだ。
どうやら上に登った連中だけじゃ心もとないらしい」
「はっ!
だったらだったでこの試練を切り抜けられないようじゃ、どっちにしろあいつには勝てないぜ!」
少年デーモンが不敵に笑うと、コシンジュも同じ顔をした。
「だったらかかってきたい奴だけかかって来い。
お前は、どっちかって言うと俺と戦いたくてウズウズしてんだろ?」
「わかってるじゃねえか。だったらさっさとやろうぜ!」
そう言って少年は大剣を正面に構えた。
「おいおいちょっと待った!
その前に、こっちの自己紹介をさせてくれよ!」
振りかえると、腕がつながった初老の双子男性が、それぞれ自分を指す。
「とはいっても、実は初対面じゃないんだな。
ほら、覚えてるか?
前にスキーラと一緒にいた、2頭のサーペント」
「……あれ、お前だったのかっ!
どおりでうまく連携してると思ってたら、下で身体がつながってたのかよ!」
「はははは、もとの身体でつながってるのは首だけだよ。
普通のサーペントと違って、胴体があって4つのヒレがついている」
「と言うことは、そっちにいるのは、ニズベック?」
コシンジュは双子のとなりにいる、レースをまとった露出度の高い少女を指差した。
「お久しぶりですコシンジュさん。
あの時はまだ未熟者でしたが、つい最近になって私もドラゴニュートとなることができました」
「と言うことは、話をしたことがないドラゴンの長は、真後ろにいるあいつだけか……」
コシンジュは振り返る。
橋の上に立っている全身白づくめの男がポケットに両手をつっこみ、けげんな表情でこちらを見る。
「とんだ場所に顔を出したもんだな、元勇者。
例の棍棒もなしにその物騒な黒斧だけで、これだけの数をまともに相手できるとでも思ったのかよ?」
片手を出してふりあおぐする白い竜人に、コシンジュは背中にかけた黒斧を引き出した。
「そのために、半年間ずっと修行してたんだ。
この純正アダマンチウム製、重さがマジハンパじゃねえんだよ。
その苦労くらい察しろよ」
すると竜人は口の片側を吊りあげた。
「そんなこと知ったことか。
お前はファブニーズの角をへし折ったドラゴンスレイヤーだが、あの時あいつは完全に油断していた。
俺はそうはいかないぜ」
もう一方の手もポケットから出し、白い男は両方の腕を顔の位置で交差させた。
とたんに、男の全身から白いオーラが立ち上る。
「おい待てっっ!
ドラスク、お前まさか変身するつもりなのかっっ!」
オーラは見る見るうちに大きくなり、白服の男も消えた。
彼が立っていた橋の両側にある天使と思わしき彫像が砕け散り、湖の中に消えていく。
コシンジュが見上げると、全身をトゲ状の結晶におおわれた、真っ白なドラゴンの姿が現れた。
氷におおわれた立派な二本角のトカゲの頭から、青い瞳がにらみつけてくる。
『手加減など一切しない!
ここで凍りついて死ぬがいいっ! コシンジュッッ!』
言うなりドラゴンは口を大きく広げ、そこから氷のしぶきを吐きだした。
「だから俺が死んだらロヒインがブチ切れるんだってばっっっ!」
言いながらもコシンジュはすばやい勢いでかけ込み、ドラゴンのふとい前足めがけて黒斧を振り下ろした。
指と指の間から、赤い色をした氷のしぶきが飛ぶ。
「グギャアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッッッッ!」
ドラゴンの全身が、ふたたび白いオーラに包まれた。
あまりの寒さに思わず退いたコシンジュ。
白いオーラの中からふたたび白服の男が現れる。
ドラスクはあまりの痛さに顔をしかめ、縦に断ち割られ血がとめどなく流れ続ける手に氷の息を吹きかけた。
手を氷漬けにすることで応急処置をしたようだ。
「くっそぉぉっっ! やりやがったっ! 俺の手が真っ二つにっっ!」
「切断されたんじゃないんだから、すぐに元に戻るだろ」
後方から、何者かがやってくる。
コシンジュが振り返ると、ドラスクのブレスによって現れた氷柱から少年デーモンが飛びあがり、巨大剣を真正面に振りかぶった。
「コイツを受けてみやがれっ! 立ってられるかっ!?」
コシンジュは迷わず黒斧を振りあげた。
上下から振られた2つの刃物が、甲高い音を立ててかち合う。
ところが少年が地面に降り立ったとき、自らの大剣に異変が起こったことを悟った。
刀身に、無数のひび割れができているのだ。
「なあぁぁぁぁぁぁぁっっ! うっそだろぉぉぉっっ!?」
妙齢の女性デーモンが呼びかけた。
「ドゥシアス! その斧は純正のアダマンチウムよっ!
圧倒的な硬さだけじゃなく、あなたの剣に込められた魔力をも打ち破る力があるっ!
正面から受けてかなうわけがないわ!」
「ああちきしょう!
オレの出番はもう終わりかよっっ!」
ドゥシアスと呼ばれた少年デーモンは大剣で氷の壁を乱暴に叩き割りながら、しぶしぶ引き下がった。
それと入れ替わりに、複数の敵がコシンジュの前に現れる。
「ダークエルフいちの闘士、マルシアス! 行くぜっっ!」
「同じくダークエルフ幹部のマーファッ! 覚悟なさいっっ!」
「デーモン族長の腹心、エルゴルッ!
我が炎の力を受けて無事ですむかっ!」
「土竜ワームの長ニズベック、参ります……」
コシンジュは彼らを一瞥し、不敵な笑みを浮かべた。
「なるほど、取り囲んで四角から狙うってか。
たしかに俺の斧じゃどんな攻撃も無効だからな」
ニズベックが石畳に落ちていたガレキをつかみ、その腕がおびただしい血管におおわれる。
反対の手のひらを向けると、そこからこなごなになった土のしぶきが飛んだ。
「懐かしいなっっ!
岩を砕いて吐きだす能力もあるのかっっ!」
コシンジュはかけ込んで氷柱の裏に隠れる。
そこへ上の方から飛び上がっていたエルゴルが、下に向かって炎の弾を投げつける。
コシンジュは斧を盾に構えて受け止めると、火はあっけなく消える。
しかしそれはどうやら陽動だったらしい。
円柱の裏側が細かく砕け散る音がひびく。
「隠れ場所をくまなく吹き飛ばしてやるよっ!」
見れば半透明の氷柱の向こうから、マルシアスが空気の刃を飛ばして氷柱を粉々にしようとしている。
長くはもたない。
コシンジュは飛び出した。
砂のしぶき、空気の刃、上空からの炎と、立て続けの攻撃にコシンジュは逃げ回ることしかできない。
そこでコシンジュは黒斧を振りまわしながら、身構え立ちふさがる女デーモンを退け、アーチ状の柱の裏に隠れた。
「まだまだぁぁっっ!」
コシンジュが上を向くと、アーチの梁からドゥシアスが下にいるこちらに向かって、大剣の切っ先をまっすぐ突き刺そうとしている。
コシンジュは素早くかわし、床に突き刺さった大剣を横から黒斧で払う。
今度こそ大剣は砕け散った。
くやしげな顔をするかと思いきや、ドゥシアスの顔には笑みが浮かんでいた。
「今だっっ!
やれピモン! 遠慮なんかすんなっっ!」
柱の裏から「うんっ!」と言う声がひびき、ドゥシアスが側転してかわすと同時に、柱が吹き飛んだ。
無数のガレキが飛んできてコシンジュは黒斧を使って身をかばうが、当然すべてのガレキを防ぐことはできず、腕や足にガレキが当たる。
痛みに耐えながら、コシンジュは黒斧から向こう側をのぞく。
少女は手に持つにはふさわしくない巨大な槌を振りまわした直後だった。
「……ぬああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」
コシンジュはダメージを受けたにもかかわらず、猛烈な勢いで押し迫った。
ピモンはすばやく大槌で身をかばったにもかかわらず、黒斧はハンマーの打面に深々と食い込み、下へと押し下げられた。
コシンジュは足で押さえて斧を抜きとり、とどめと言わんばかりにピモンが両手で握る細い柄の先を打ち砕いた。
「……あ、うそ」
後ろにいた女デーモンが、そのあいだに上に向かって巨大な円輪を飛ばしていた。
ピモンの槌が破壊されたところで弧を描いてこちらへと落下してきたそれを、コシンジュは黒斧を振りあげることで防いだ。
円輪は一部を黒斧に裂かれ、頭上で止まる。
しかしそれも、敵のワナのひとつだった。
上に向けた斧の柄が、すばやく何かにつかみとられた。
マーファが投げつけた長すぎるムチだとすぐに気づいた。
コシンジュはすぐに斧を引っ張り上げた。
鍛え抜かれた筋力を持つ少年と背の高い女ダークエルフの力は拮抗し、まるで綱引きの形となる。
「ニズベック! 少しは手加減をなさってよっ!」
横から、砂のしぶきが叩きつけてきた。
「あだだだだだだっっ!」
さすがに手加減をしてらしく、とにかく痛いが死ぬことはない。
砂のしぶきが止むと、前方からマルシアスが刃物を構えかけよってくる。
後ろからもエルゴルが翼をはためかせ急降下しているようだ。
そこでコシンジュは黒斧をひるがえし、刃先をマーファの伸び切ったムチに押し当てた。
あっさりと真っ二つになる。
「ああもう!
これで2度目、まったくいやになりますわっ!」
マーファが叫ぶころには、目前に迫ったマルシアスがするどい刃を突き出そうとしていた。
しかしそれはコシンジュの肩を狙ったものなので、反対側にある足を思い切り前に突き出し、ガラ空きになっていたむき出しの腹筋を靴底でけりつけた。
「ぐふぉぉぉっっ!」
背中から何かが覆いかぶさる。
エルゴルの太い腕がコシンジュの身体を締め上げたが、コシンジュはわずかに黒斧を持つ手が自由になっていることに気づき、その柄をエルゴルのわき腹に叩きつけた。
「うぐぅぅぅっっ!」
大の成人男性であるダークエルフとデーモンが、そろってうずくまり胃の中身を戻した。
「まあ、なんてはしたないっ!
たかが人間の蹴りとわずかな当て身でどうしてそんなことになりますのっ!?」
マーファの叫びに、コシンジュは首を振りつつ答えた。
「前のダークエルフも身体を鍛えてるみたいけど、極限まで筋トレした俺の蹴りに負けたみたいだ。
後ろのデーモンが吐いたのはコイツがアダマンタイトだからさ」
「……仲間をほとんど片づけてるからって、余裕ぶってるつもり?
残念だけど後ろがガラ空きだよ!」
いつの間にか、真後ろにダークエルフの少女が飛び込んでいた。
しかしコシンジュは振りかえりざま、黒斧で突き出された大きなカギ爪を受け止めていた。
「もちろん、油断なんかしてないさ。
お前がいつの間にか消えてたことには気づいてた」
「……すっげぇ。
さっすが、ロヒインちゃんのカレシ」
ダークエルフの少女は驚きと喜びが入り混じった表情になっていた。
「お前、本気でやってないだろ。
だまってれば俺の身体に入ってたのに」
コシンジュは姿勢を正すと、相手もそのようにした。
彼女は首をすくめた。
「お前、じゃない。ちゃんとヴェルって名前がついてる。
名乗ってなかったから仕方ないけど。
それにロヒインちゃんの彼氏を傷つけちゃ、かわいそうだしね」
「お前、ロヒインと仲がいいのか」
「もっちろん!」するとヴェルは飛び跳ねてコシンジュの肩に手をかけてきた。
ニッコリとほほ笑む。
「ロヒインちゃん、慣れないころはいつも1人だったから、つい声をかけてあげたくなっちゃうんだよね!」
「そうか。
お前のおかげで、ロヒインはさみしい思いをしなくてすんだんだな」
「アタシが呼びかけて、ここにいる他のみんなとも打ち解けたんだよ!
感謝してよね!」
ヴェルは親指を立てた。コシンジュの顔に笑みが浮かぶ。
「わかってるよ。ありがとう」
コシンジュはそう言って後ろに振り返る。
ヴェルの顔が紅潮していることには気づかなかった。
「そこにいるあんたらは、もうやる気がないのか?」
ズメヴ兄弟は首をすくめ、ニズベックは首を振る。
「これだけやられたら、もう我々が手出ししてもムダだよ」
「我々の広範囲攻撃でダメージは与えられるかもしれません。
ですがヴェルゼックを討つという使命を受けたあなたを、これ以上攻撃するのは危険だと判断しました」
目から下をレースでおおったニズベックが、コシンジュの顔をまじまじと見る。
彼女もまたかなりの美少女で、見つめられてムズかゆくなった彼は周囲を見回した。
破壊された武器を平然と、あるいは意気消沈して拾い上げる者と、腹を打たれながらもなんとか立ち上がろうとするもの。
すべてがコシンジュに熱い視線を送っていた。
今だ橋に立ちつくすドラスクだけが、怒りに近いまなざしでこちらを凝視している。
「みんな、ロヒインをありがとな。
それと俺と手合わせしてくれたことにも感謝してる。おかげで自信がついた」
「急ぎなさい!
早くしないと、ヴェルゼックの奴めがなにをしでかすかわかりませんよ!?」
ウィネットに叫ばれ、コシンジュは「わかってる!」と言って階段を駆け上がり始めた。
ここからは、馬を使うことはできない。自分の足だけが頼りだ。
「おおっとぉ!
このわたしを、忘れてはいなかったかっ!?」
とたんに、階段の上にヘビの頭髪を生やしたエドキナの姿が現れた。
「コシンジュッ! わたしの目を見ろっっ!」
彼女の赤いほうの目が光る。
しかしその時にはコシンジュは目を伏せ、突き出した2つの指がエドキナの目に入り込んでいた。
とたんにエドキナは両目を手でふさぐ。
「あだっっ! いだぁぁぁっっ!
てめっ! 遠慮なく指入れやがってっっ!
いくら魔物っつったってこっちは痛いんだぞこらぁぁっっ!」
あまりの痛さにエドキナが座り込んでいるうちに、コシンジュはそのわきを通り抜けた。
「絶対許さんからなぁ~っ!
今度会ったら、絶対ギャフンと言わせてやるから、おぼえてろよぉぉっっ!」
階段を駆け上っていくコシンジュに向かって、エドキナは拳を高くかかげた。
下にいた者たちはクスクスと笑ってその光景を見上げていた。




