第52話 卑劣な妨害~その2~
廊下を進むヴェルゼックの前に、マサムネの姿があった。
彼は剣の鞘に手をかけている。
「おやおや? いったいどうしたのかね。
そうやって殺気をみなぎらせて」
殺気とはいっても、マサムネのそれは実に静かなものだ。
「さすがだねぇ。
それが剣豪の殺気って言うのかい?
周囲の空気をざわつかせず、ただ相手ののどもとに見えない刃を突きつけるかのようだ。
いったいどんなところでそんな技術を学んだんだ?」
「貴公の命、拙者が奪う。
身命に覚悟せよ」
マサムネの鯉口がチャキリと鳴った。
それとともにマサムネの構えがより無駄のないものになる。いつでも臨戦態勢だ。
「いい構えだ。さすがは水の守護を倒しただけのことはある。
だけど、この俺は倒せないよ?」
沈黙するマサムネの目が、ヴェルゼックを凝視した。
すると突然、ヴェルゼックは両手を広げた。
その身体からわずかに、暗黒のオーラが吹き出る。
突然、マサムネの目が見開かれた。
鞘から手を離すと、まるで逃げるかのように壁際に張り付いた。
それを見たヴェルゼックは意気揚々と彼の前を通り過ぎていく。
「あり得ぬ。
貴様のような存在、この世にあるはずがない……」
ヴェルゼックの背中が、笑いでかすかに震えた。
マサムネは驚愕を目に浮かべたまま、その姿を見送ることしかできなかった。
神々の宮殿へと続く長い橋は、すべてかがやくような白で統一されている。
だがこの日は半分以上がくすんだ血の色で染められている。
先日の激戦の生々しい痕跡である。
転がる死体がほとんどなくなったあとを、いくつもの人影が走りぬける。
先頭を行くのは、もちろんファルシスである。
「本当にわたしたちだけで大丈夫なのですかっ!?
もう我らの軍勢は使わなくてもよろしいので!?」
そばでかけるエドキナが問いかけると、ファルシスは首を振った。
「もう天界には有効な戦力は残ってはいまい! 伏兵も我らには無効だ!
我らの敵は、もはや神々の兄弟のみっ!」
「いよいよ、最後の決戦ですなっ!
不本意ながら、少々ワクワクしておりますぞっ!」
ズメヴ兄弟の黒髪が叫ぶが、返事がない。
ファルシスには何か考えがあるようだ。
一行が橋を抜けると、そこは白い円形の広場だった。
周囲にはアーチ状の列柱だけがある。
警戒しつつ、立ち止まったファルシスは後ろを向いた。
「残された敵は、4つの神だけだ。
ゆえに、ここにいる全員は連れては行けぬ」
家臣たちの何人かは意気消沈した顔をしたが、数名は納得した表情をしている。
「寄ってたかってつぶすのはかわいそうなのか、俺たちじゃ足手まといなのか」
ドラスクが問いかけると、ファルシスは「両方だ」と答えた。
「神々と対峙する選抜メンバーを発表する。
ロヒイン、ルキフール、ファブニーズ、ベアール、スターロッド……」
そして最後に、ヴェルゼックのほうを向いた。
少しためらっているようだ。相手は軽く手を広げた。
「仕方あるまい、お前も一緒に来い。
お前をここに残すと何をしでかすかわからん」
黒い貴族は怪しげな笑みをくずさぬまま、胸に手を当て頭を下げた。
「お待ちください。
わたくしもいまや殿下の最精鋭です。一緒に連れて行ってはくださらないのですか?」
エドキナが問いかけると、ファルシスは首を振った。
「ダメだ。
お前の能力は強力だが、使い勝手が悪い。本来なら魔導具を用意すべきだぞ」
言われてはっとしたエドキナは、やがて意気消沈してうつむく。
「……うかつでした。
最後の戦いだというのに、お役に立てず申し訳ございません」
「よい。
アーミラにもらったその命、大事にせよ」
エドキナがうなずくと、大剣を肩に担いだドゥシアスが前に出る。
「ちぇっ、オレたちはお留守番かよ。
仕方がねえけど、正直まだ暴れ足りないぜ」
言われてファルシスは顔に笑みを浮かべた。
「案ずることはない。
お前たちには、特別な相手が用意されている」
ニズベックは「特別な相手?」と言い返した。
ファルシスは小さくうなずいた。
「名前を聞けば、お前たちもすぐに納得できるだろう」
宮殿の前広場には、かつての勇者一行が集まっていた。
ロヒインをのぞいた7人は、そろって大門に背を向ける。
「遅いなコシンジュ。なにをやっている?
早くしないと最後の決戦が始まっちまうぞ」
腕を組み、イライラした様子のイサーシュ。
横からムッツェリが呼びかける。
「決着がつくならつくで、それはいいことじゃないのか?
まあ、あの気味の悪い貴族は気になるが」
チチガムが前を向いたまま首を振った。
「いや、たしかにそれもあるが、この戦いはコシンジュにとっても特別なものなんだ。
少なくともファルシスとフィロスの決着を見ない限り、あいつの心は晴れることがないだろう。
絶対に見届けさせなければ」
周囲が、コシンジュの父親に目を向ける。
彼にとっても、この戦いに息子が参加するのは特別な意味があるはずだ。
広場の奥では、なぜかマサムネの姿があった。
一行を見守るように壁に背をつけ、腕を組む。
「そいつは……どうですかねえ」
突然、あらぬ方から声が聞こえた。
振り返った一行は思わず一歩引き下がった。
大門の手前に、巨大なハエの姿をした魔物がホバリングしていた。
「どうも~。
オレの名は『ユコバック』。
『グレムリン』と呼ばれる、魔界の小妖精の首領で~す」
チチガム達はいっせいにそれぞれの武器を手に取った。
ハエはあわてて4つある手をあげた。
「おおっとっ! みなさんと戦いに来たわけじゃないですよ!?
ここに来たのは、ヴェルゼック様より特別なことづてをあずかったからです」
「貴様っ! ヴェルゼックの手先かっっ!」
ムッツェリに迫られると、ユコバックはあげたままの両手を振った。
「ははは、そんなにカッカしないでくださいよ。
なんせヴェルゼック様は、もともとはオレと同じグレムリンの仲間なんですよ。
逆らえるわけがないじゃないですか~」
「あの人型の魔物が? 似ても似つかないな」
「それがあの方の自慢なんですよ。
そんなことより、さっそく伝言を聞いてくださいよ。
ていうより、まずはこちらを見てもらった方が早いかな」
そう言ったユコバックは、背中から何かを取り出した。
丸い鏡のようなものを両手に収め、チチガム達に見せる。
鏡面がオーラでかがやき、中に映像のようなものが映し出された。
どうやら3人組らしい。しかもどれも年若い少女たちだ。
しばらく凝視すると、誰もが仰天した。
「……ブレベリッッ!」「ソロアッッ!」「姫さまっっ!?」
ネヴァダが、チチガムが、そしてイサーシュがつんざくような悲鳴をあげた。
3人は両手を縛られているらしく、ジタバタもがいている。
そしてしきりに周囲を気にしていると思いきや、彼女たちの前をとても通常ではありえない巨大なハエが通り抜ける。
それがランドン国の姫君の肩に乗ると、彼女は必死にそれを身じろぎして振り払う。
「……きさまぁぁぁっっ! なんてことをぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!」
イサーシュが背中の剣を引き抜き、切っ先をユコバックに向けた。
巨大バエは後ろに引きさがる。
「ら、拉致ったのはオレじゃねえですってっ!
ヴェルゼック様は長いこと、3人の様子をよく観察していました。
特に姫君の警護は厚く、なかなかバレないように連れ去るのは難しかったそうですよ」
イサーシュが、全身から殺気をたちのぼらせる。
敬愛する主君の妹が人質にとられてなければ、すぐにでも斬りかかるつもりだろう。
「それがそれが、姫さま自身が突然城を抜けだしまして。
どうやら彼女、あのコシンジュに一目ぼれしてたらしいんですわ。
おかげで村にいる2人と一緒にまとめて連れ去ることができたと、ヴェルゼック様は大層喜んでいましたよ?」
ネヴァダが、突然両ヒザを床につけた。
目には早くも涙をためている。
「娘をっ、娘を返してちょうだいっっ!
どうしたら3人を解放してくれるのっっ!?」
「なぁに、簡単なことですよ。
ヴェルゼック様はそう大してあなた方に期待はしておりません。
ここで、ちょっと軽くコシンジュさんを、足止めしていただければいいんですよ」
「それで、本当に姫さまたちを返してくれるんだろうな……」
イサーシュの声が、かすかにふるえている。
横からムッツェリが肩に手をかけた。
「あのヴェルゼックのことだ。まったく保証は……」
「言うなっっっ!」
一喝され、彼女はうつむいて「……すまん」とこぼした。
「本当に、本当にそれだけで、ヴェルゼックは3人を返してくれるんだな」
「ヴェルゼック様本人だったら『さあ』とかとぼけるんでしょうけど、あいにくあずかってるのはオレです。保証はできますよ」
頭部はハエそのものなので、表情はわからない。
だがその頭部を前に押し出す。
「ただし、下手なことは考えない方がいい。
オレの子分たちは敏感です。
オレの身に何かがあった時は、容赦なく3人がひどい目にあいますよ」
イサーシュは、どこか迷っている様子だった。
ルサレムの街の門前は、様々な国の騎士たちがたむろしている。
襲ってくる敵はもういないので、彼らはみな余裕たっぷりだ。
もはや彼らの出る幕はないので、どこか安堵しているようにも見える。
そのうちの1人が、目の前に広がる草原のほうを向いた。
はるか先から、白い馬に乗った誰かがやってくる。
騎士たちがそろって前を向いた。
それぞれ武器をとり、じっくり前方をうかがう。
「……戦士か? だとしたらもう手遅れだ。
人間の仕事はすべて片付いてしまったからな」
その時、誰かが「コシンジュッ!」と叫んだ。
青い騎士は言ってしまってからあわてて口をふさぐ。
それ以外の色の騎士が必死にその風貌を観察する。
以前よりたくましくなっているが、間違いない。
大海岸で見かけたあの男だ。
「「「「……コシンジュッッッ!」」」」
赤の騎士が、紫の騎士が、そして黒騎士がいっせいに剣を引き抜いた。
それらがすべて、やってきた白馬の上の戦士に向けられる。
戦士は顔に余裕を浮かべた。
「どうした? 熱烈な歓迎だな。
悪いけど時間がない。そこをどいてくれよ」
赤の騎士が剣をつきあげて言う。
「バカなことを言えコシンジュッ!
貴様のせいで、オレの仲間は魔物に無残にもやられたっっ!
なのに平然とここにやってくるとは!
抜けたいというのなら容赦しないぞっっ!」
「へえ、だとしたら不思議だな。
俺が魔物を呼びださなかったら、お隣にいる黒い騎士にやられてたんだぜ?」
赤騎士が「んなっ!」と口ごもっているうちに、コシンジュはとなりを向いた。
「そこの黒騎士さんたちも、よくもまあこないだの敵と仲良くやっていられるな。
ご先祖様の恨みは完全に忘れちまったのか?」
黒騎士は横を向き、身じろぎして前に向き直る。
「だがお前が魔物を呼びださなければ、俺たちは仲間を多く失わずにすんだっ!」
「その魔物さんのおかげで、お前らはここまでうまくやってこれたんだぜ?」
騎士たちがいっせいに口ごもる。
忘れていた積年の恨みを、思いださせようとしているかのようだ。
見かねて青騎士が呼びかけた。
「もうやめろコシンジュっ!
どうして神々への復讐にこだわるっ!?
おとなしく村に帰るんだっ!」
「悪いけど、それだけじゃないんだ。
その神様の依頼で、俺はこの先でやることがある。
大義名分があるんだから、通してくれ」
1人の黒騎士が「させるかっ!」と言って、剣を振りあげた。
コシンジュは白馬の前足をはね上げた。
騎士たちがあわてて退いている間に、白馬は門に向かってかけぬけた。
「悪いな!
おたくらがついたるんでたもんで、さっさとここを通らせてもらったぜ!」
馬上から手を振るコシンジュを、うかつにも侵入者を通してしまった騎士たちはあわてて追いかけた。
広場の奥には、長く続く階段がある。
魔族たちはその強じんな足腰で、汗をかくことなく登っていく。
かなりの段数を登ったところで、彼らは広い踊り場に出た。
踊り場の奥に、屈強な中年男性の姿があった。
黄金の鎧をまとい、その手には己の背丈ほどもある巨大な剣を手にしている。
白い長髪の神は言う。
「……ここを、通すわけにはいかぬ。
どうしてもというのならば、この神々の次兄クイブスを斬り捨ててからにせよ」
クイブスは巨大な剣を軽々と振りまわし、正面に構えた。
先頭に立つファルシスは片手を横に広げ、少しだけ後ろを向く。
「スターロッド、ベアール、そしてファブニーズ。
相手にできるか?」
「任せよファルシス。
先に進みたいというのならうまく妨害する」
「殿下、先に言っちゃうんですか?
まあこいつの相手をするのも楽しそうだけど」
「我ら3人がかりですか。
まあ神が相手なら、ちょうどよいですがね」
スターロッド、ベアール、ファブニーズは前に進み出て、それぞれの構えを取った。
ファブニーズの熱気のこもった火球が、クイブスめがけて放たれる。
巨大な剣でそれを払いのけようとするが、爆発が起きた。
クイブスがわずかに眉をひそめる。
スターロッドが円環を投げた。しかしそれはクイブスのわきをかすめた。
後方をうかがおうとしたところを、ベアールの黒い剣がおそいかかる。
横からふるわれたそれを、クイブスは正面から受け止めた。
ところが長髪の神の目が大きく見開かれる。
巨大な剣に、深い切れ込みが入ったのだ。
剣を2つに折るほどではないものの、ベアールの剣は深く食い込んで離れない。
つばぜり合いを繰り広げている間に、ファルシスがそばを通り抜けた。
クイブスはあわてて追いかけようとしたところを、後ろからやってきた円環から身を伏せてかわす。
そうしている間に、ロヒイン、ルキフール、そしてヴェルゼックの3者が通り抜けた。
「ぬぅぅぅぅっ! おのれぇぇぇぇぇぇっっっ!」
クイブスはありったけの力を込めて、大剣を大きく振り払った。
これにはベアールもたまらず食い込んだ剣を引き抜いて後ろに引きさがる。
立ちあがった赤騎士の左右を、露出度の高いダークエルフと角を折られたドラゴニュートが陣取る。
「どうやら、我ら3人がかりならうまく立ちまわれそうじゃぞ。
ファルシスの判断は正しかったらしい」
スターロッドは笑みを浮かべるが、ファブニーズは顔をしかめる。
「それはそうかもしれないが、神はまだ3柱もいるのだ。
残る3者だけでそれらを食い止められるか?」
「まあ、それは殿下たちにまかせようや。
それより目の前の相手に集中するぜっ!」
ベアールが構えをとると同時に、左右の2人も同じようにする。
対するクイブスは大剣を大きく振り回し、頭の横に構えた。
「問答無用っ!
貴様らを容赦なくなぎ倒し、先に進んだ魔王たちのあとを追うまでっ!
覚悟せいっっ!」




