第48話 未知への上陸~その3~
執拗な攻撃が終わり、追いついたエドキナの「下がれっ!」の声でようやく解放された時には、絶命した同族たちに囲まれ長のヴァルクは横倒しになっていた。
血まみれで虫の息と化している。
エドキナは疲れ切った表情でゆっくりと近づくと、両手をついて不敵な笑みを浮かべる。
「これが、我が一族の憎悪の力だ。
我らの長年積み重ねられた光の眷属への恨み、思い知ったか……」
エドキナはとどめを刺すべく近寄るが、そこへ白いローブ姿の女性が立ちふさがる。
彼女はエドキナに背中を向けてひざまずいた。
「なにをしているっ!? 敵になにをするつもりだっ!?」
頭までフードでおおった女性は、両手をかざしてそこからまばゆい光を発生させる。
「生きているのなら、捕虜にします。
この生物に恨みをぶつけるのなら、もう十分でしょう」
「バカ者っ! なにを考えているっ!?
傲慢な輩に治癒を与えるとはっ!」
エドキナがどなりあげると、女性はすぐに立ちあがってこちらを向いた。
「大丈夫、完治はさせません。暴れられるほど元気になったら困りますから。
今は命の危険があったので、応急処置を施しただけです」
「ほう、貴様は堕落した勇者つきの僧侶だな?
なんでも神々の一柱に特別な力を授かったとか。
フン、いまだにおろかな神のしもべを務められるのか」
さげすみの目を向けるエドキナに、メウノはぺこりと頭を下げた。
「通常の治療魔法だけでは、施せる人数に限界がありますので。
新しい力をたまわったわたしの力が必要でしょう?」
「恥知らずのクソ坊主めっっ!
貴様の力はいらんっ! 即刻地上に帰れっっ!」
しかし、エドキナは気付いた。
周囲にいる者たちが、彼女に向かって首を振っていることを。
この場に誰も味方がいないことに気づき、ますます表情を硬くするエドキナ。
そんな彼女にメウノはそっと近寄って、両手をかざした。
傷ついた自分をも治療しようとしている。
そう気づいたエドキナは堪忍袋の緒が千切れたかのように、「近寄るなっっっ!」と叫んで手の甲で彼女の両手を払った。
人間の力ではない。
魔物の力強い払い手にメウノの両手は激しくはじかれ、バランスをくずしてその場に倒れ込んだ。
そばにいたウィネットがすぐにかけよってメウノの身体を抱きおこし、エドキナに牙をむく。
「なにをするんですかっっっ!?」
「誰が、誰が愚鈍な人間に頼るものかっっ!」
そう言ったきり、エドキナはよろめきながら両手をついてその場を立ち去る。
彼女のあとをついてくるのは、お世辞にも利口そうには見えない彼女の眷属ばかり。
ウィネットは首を振りつつ、抱きかかえるメウノに目を向けた。
「大丈夫ですか?」
「命はなんとも。
ただ、はらわれた両手に痛みが走ります。うかつなことをしました」
「待ってください、わたしのほうから治療しますから」
ウィネットは呪文を唱え、震えるメウノの両手に向かって手をかざした。
詠唱が終わると鋭い爪が伸びる手のひらからボウッと光が現れる。
そうしているうちに、娘のピモンが不安そうな顔で近づいてきた。「その人、大丈夫?」
ウィネットは娘を見上げ、「大丈夫よ」とほほえみを浮かべた。
「許してあげてください。
彼女の父は先代の勇者に命を奪われたのです。ですからあなた方人間たちに対する恨みが深い。
あのような過酷な態度に出るのは、そういったわけがあるんです」
さとすようなウィネットの言葉を、メウノは半ばぼう然と聞いていた。
その後の行軍は順調に進んだ。
エンジェルたちの軍勢は必死に対抗しようとするが、次から次へと呼びだされる魔物たちの軍勢の前に、なすすべもなく退散を余儀なくされる。
ファルシス達のいる北の浮遊島は、すぐに制圧が完了した。
ここにはメリナという中規模の都市があったが、住民はほとんど抵抗を示さず降伏した。
ここはファルシス達にとって初めての中継施設とされた。
ロングスカイランドのほうが、制圧するのに少々時間を要した。
名称の通りここは細長い形状をした浮遊島であり、敵の猛攻を退けながら南下するには丸一日を要した。
こちらの方には都市と言えるようなものはどこにもなく、ところどころに「無限の泉」と呼ばれる水源をよりどころとした小規模の集落があるのみである。
侵攻初日を経てそれぞれの南端に設置されたゲートを通じ、いよいよ両軍は合流する。
一時はゲートの破壊を危ぶむ声も聞かれていたが、捕虜の話によるとゲートの破壊は神々同士でさえ固く禁じられており、その心配はないとのことだった。
両軍は敵の本拠地となる「南の浮遊大陸」にて、ついにまみえることになった。
飛空艇にて同乗していた騎士たちが、現れた戦友たちと再会を喜び合った。
かつて打倒魔王の旗印をかかげて長旅を続けていた元勇者一行も合流し、半年ぶりの再会に「イエーイ」とハイタッチを繰り返す。
「うわぁ~。トナシェちゃん、大きくなったね~」
少しかがんで頭をなでるロヒインに、相手の少女は「えへへ」と照れ笑いを浮かべる。
「ロヒイン、お前もしばらく見ない間に色っぽくなったな」
チチガムに皮肉たっぷりに言われ、ロヒインは少し困った顔になった。
「なに言ってんですか。
はっきり言って先生はこれからずっとわたしの変わらない顔を見続けるようになりますよ。
わたしなんかより……」
言いながら、ロヒインは後ろの仲間に目を向けた。
そこでヴィーシャが進み出た。
「あらあらあら、これはこれは、ムッツェリちゃんではございませんか。
このたび貴族さまに格上げされなさったんですんてぇ?
いったいどうして、平民出身者が貴族なんかになれるのかしらぁ?
いいえそんなことよりぃ、教養の決して高くないあなたがぁ、他の貴族さま方に大変なそそうを働いてらっしゃらないかぁ、わたくし心配でなりませんわぁ?」
いくぶん身なりが立派になったムッツェリが、うっとうしそうな目を向ける。
「そういうお前の方は、いくぶん俗っぽくなったな。
格好もいくらかくたびれてきているぞ。
さぞや多くの庶民との付き合いでよけい下品な考えを持つようになっただろうな」
ヴィーシャの動きが止まる。
ムッツェリとの間に見えない火花が飛んだような気がした。
「うるせぇっ! 下民あがりの分際でお高くとまってんじゃねえよっ!」
「お前に言われる筋合いはないっ!
だいたいなんなんだそのののしり方はっ!
落ちぶれた王族のなれの果てがそんな口汚い男のような奴だなんてあり得ないぞっ!
元王族としてのたしなみがすっぽり抜け落ちるほどだらしない生活を送っていたという証拠だなっ!」
そしてその後もののしり合う2人を見て、周囲は聞くに耐えられないといわんばかりの表情を浮かべる。
チチガムはつぶやく。
「またこれか。
まったく、半年を過ぎてもこれだけは変わらないな」
「……あれ? メウノさんは?」
ロヒインが周囲を見回すと、合流した3人はそろって残念そうな顔をする。
ネヴァダが代表して口を開いた。
「彼女はいろんなところに引っ張りだこだよ。
それもそうだろう、いま軍にはまともに治療ができる人は多くないからね。
たいていは魔導師かその人たちから治療魔法をおそわった奴らばかり。
軍が彼女に頼るのも無理ないことさ」
「そうか。
メウノさんには効率よく移動できる手段が必要、ってことか」
考え込む表情のロヒインにトナシェが「どうしたんですか」と問いかけると、ロヒインは首を振った。
トナシェは何かを思い出したように表情を曇らせる。
「コシンジュさんのことは、何も言わないんですね……」
ロヒインはなんともいえぬ表情を見せたが、やがて割りきったように強くうなずいた。
「話は聞いてる。
だけどどちらにしても、今はコシンジュと再会するときじゃない。
軍には彼に根を持ってる人も多いからね。
それを考えると、仕方ないよ」
見かねたイサーシュが思い口を開いた。
「本当に大丈夫なのか、ロヒイン。
ここに集まるみんなでさえ、もう半年ぶりだ。
悲しい気持ちを、こらえなくともいいんだぞ」
ロヒインはイサーシュのさみしげな目を見て、彼もまた再会を待ちわびているのだと気づいた。
ロヒインは気遣うように笑顔を向けて、「大丈夫」と強くうなずいた。
さみしくないと言えば、ウソになる。
けれど少なくとも今は、その現実に打ちのめされる時間は多くなかった。
それほど今の自分はいそがしい。
自分はこれからも忙しくなる。
とりあえず今は、目の前のことに集中するべき時だ。
「あ! ここにいたんだ、お~いっ!」
突然の声にロヒイン達だけでなく、言うべきことがなくなってひたすらにらみ合っていただけのヴィーシャとムッツェリも振り向いた。
そして両者眉間を険しくさせる。
駆け足で現れたメウノとともにいたのは、スターロッドに負けじと肌の露出が激しい、毛皮を身につけた少女だった。
惜しげもなくさらされた小麦色の肌がまぶしい。
「いたいた!
ようやくメウノさんの出番が終わったところだから、連れてきたんだよ!
よかったぁすぐに見つかって」
ニコニコしているダークエルフの少女に対し、ロヒインは手を差し出しながら仲間たちを向いた。
「ああ、紹介しますね。
この人、スターロッド様のお孫さんでヴェルって方」
「ああ。あの露出狂ババアの孫か。
どおりでどことなく感じが似ているわけだ」
眉をひそめるムッツェリに続いて、ヴィーシャもしらけた顔で腕を組む。
「どうしてこうして、魔界の連中ってこんなに肌の露出が激しいのかしら。
みんな下着みたいな格好して、よく恥ずかしいと思わないわね。
下心丸見えの男どもが鼻の下伸ばしてるわよ」
ヴィーシャが視線を向けると、イサーシュとチチガムはそろって顔を真っ赤にして視線を泳がしている。
それを見たムッツェリが「イサーシュッ!」と相手のほおをつねる。
対するヴェルは不機嫌な表情で、ヴィーシャとムッツェリを交互に指差した。
「わぁ~。この人たち、感じ悪~い。
なに、ひょっとしてシットとかしちゃってるぅ?」
女2人が「なにぃっ!?」と声を荒げるのに対し、ヴェルはアッカンベーをした。
「まあまあ落ち着いて。
それよりみなさん、本当にお久しぶりです」
陰険な3人をなだめつつ、メウノはロヒイン達にペコリと頭を下げた。
「ずいぶん大変な目にあってるみたいだな。
ヴィクトル神の期待を一身に背負うのは大変だろう」
イサーシュの言葉に、メウノはゆっくりとかぶりを振る。
「いえいえ、わたしなんかとても。
それより、私にこの力を与えて下さったヴィクトル様が今頃どのような目にあわれているか、心配でなりません」
その場に沈黙が起こった。
ヴェルが心配そうに彼らを見回す。
「どうだろ、だって神様たちって、れっきとした兄弟なんでしょ?
いくらなんでも殺すってことは、ないと思うけど。
それを差し置いてもフィロスの奴にとって貴重な戦力なはずだし。
だ、大丈夫っしょ、あはははは……」
苦笑したダークエルフの少女に対し、メウノは強くうなずいた。
「ええ、そうであると期待しましょう。
我々がこの先を進んでいけば、きっとヴィクトルさまを責めているどころではなくなるはずです」
「だが、まったく何事もないというわけにはいかないだろう」
口を開いたムッツェリが上空をふいに見上げた。
そこには雲はひとつも見当たらない。
「あの方には、わたしも助けてもらった経験がある。
もしヴィクトル様の助言を得られなかったら、わたしは今この場に立っていることができなかっただろう」
沈んだ雰囲気の中に、突然別の声がかけられた。
「ロヒイ~ンちゃぁ~ん、ロヒインちゃん、いるぅ~?」
呼ばれた本人が振り返ると、これまたきわどい恰好をしたマーファの姿があった。
それを見てまたしてもヴィーシャとムッツェリは身をよじる。
ヴィーシャが思わず口を開いた。
「げ、なんなのよアイツ。
背が高いくせして胸も尻もありやがる……」
ムッツェリがしらけた顔でヴィーシャの身体を見た。
身長はあるがスレンダーな彼女のことを内心さげすんでいるらしい。
そのことを悟ったヴィーシャがすぐにムッツェリを向いて、2人はまたにらみあいになる。
それを見ないフリをしてロヒインは手をあげた。
「はいはい! ここにいますよ!
ったくもう、せっかく久々に会ったのに、もう行かないと」
残念そうな彼女に、チチガムは腕を組んでおだやかな笑みを向けた。
「それだけ期待されてるってことだ。
行って来い、俺たちはもうどこにも去ったりしないさ」
ロヒインはぺこりと頭を下げ、「みなさん、お気をつけて」と言い、その場を走り去った。
仲間たちはみな手を振って、少しさみしそうながらも笑顔で彼女を見送った。
ヴェルがものほしそうな顔で人差し指を下くちびるに押しつけた。
「みんな、ロヒインちゃんと仲がいいんだねぇ~。
うらやましいなぁ~、アタシも、そのうちおんなじ目で見てくれるといいけどぉ」
ヴィーシャとムッツェリが「「誰がお前みたいな露出狂と!」」と声を合わせて言い、たがいににらみあった。
ヴェルも言われてにらみ合いに加わる。周囲はそれを見て首をすくめた。
「天界の軍勢は、そなたらと違いあまり種類が多くはない。
それが神々にとって大きなあせりの原因のひとつとなっている。
だからこそ彼らは人間にその役目を押し付けようとしたのだ」
ロヒインが事情聴取する相手は、前日エドキナにコテンパンにされたあの2角獣ヴァルクである。
身体じゅうに白い包帯を巻かれ、馬宿にたっぷりの藁を敷かれ身体を落ち着かせている。
「今までそなたらが相手してきたのは、まずは地上においてはハイエルフたちであるな。
そして背中に翼を持つエンジェル族。彼らを乗せた翼をもつ我らと同じ馬族『ペガサス』。
その後おそいかかってきたのはフェニックス族だ。
祭壇の塔の護衛についていたフェアリーに、我らユニコーン族をのぞくと、残りの種族はもうわずかだ」
「天界の土地も、話を聞く限りはそれほど大規模ではないようですね。
やろうと思えば、短期間でほとんどの土地を制圧できる。
これにおどろいた同胞たちも少なくないです」
簡素な机と椅子につくロヒインが告げると、ヴァルクもうなずいた。
「さよう。
だからこそ我らは、人間と魔族の連合をおおいに恐れたのだ。
いや、それがたとえどちらか片側だったとしても、天界の種族にとっては大いなる脅威なのだ。
少なくとも我らの頂点に立つ神々以外はな。
だからこそ我らは、自らの存在を地上に知らしめるわけにはいかなかったのだ。
魔界の軍勢を自ら成敗するわけにもいかなかった。
そういう意味では、おろかなフィロス神の考えも理解できなくはないが」
相手が言い終わるのを待って、ロヒインは神妙な顔でペンを持つ手をアゴにつけた。
「それにしても、よくぞあっさりとこちらの内情を暴露されましたね。
あなたほどの武将が、これほどこころよく事情聴取を受けてくれるとは思いませんでした」
「おどろくのも無理はない。
しかし我とフィロス神がつなげる主従は、そなたらが思っているよりもわずかなものだ。
フィロス神はしくじった我を、簡単に見捨てた。
それに対しそなたらは敵にもかかわらず、この我を助けてくれた。
これはその礼のようなものだ」
「天界の多くの方々が、今度の戦いに納得されていないのはわかりきっていましたから」
「さもあろう。
ところでこの我を直接救ってくれた、あの僧侶はどこに?
直接礼が言いたいのだが」
「すみません、メウノ司祭は今のところ多忙で。
でもお会いできる機会は考えています。
それどころか、しばらくお付き合いしていただくことになるかもしれませんが。
ヴァルクさんは背に人を乗せた経験は?」
「ないが、引き受けよう。
なるほど、我に彼女を乗せて移動手段になれということだな?」
「わかっていただけるなら話は早いですね。
ぜひ彼女の足となられ多くの方々を救ってください」
ヴァルクはこころよくうなずいた。
しかしすぐに、その黒い瞳がロヒインをまっすぐ見つめた。
「そういえばそなた、ロヒインとか申したな。
もしや、そなたもかつて勇者とともにいた……」
「はい。
今は魔族の一員となっていますが、わたしもメウノさんとともに勇者の旅に同行していました」
「なるほど、合点がいった。
なるほど、そなたもなかなかの才人であられる」
ロヒインは照れくさくなりながら慇懃に頭を下げた。
「それほどとは。
おほめの言葉、ありがたく頂戴します」
ここで、ヴァルクは深刻そうにうつむいた。
馬の姿をしてはいるが表情はわかりやすい。
ロヒインは問いかけた。「どうかなさいましたか?」
「……いや。勇者の同志ということであれば、伝えるべきかどうか。
たびたびそなたらに助力なされた、ヴィクトル様の現在のご様子に関してだ」
ロヒインの表情が、険しくなった。
「大丈夫です。お話しください」




