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第46話 軍内割拠~その1~

 上空に開けられた穴からのぞく光や、洞内のあらゆる場所におかれたランプに照らされ、うっすらと浮かび上がる木造の戦艦(せんかん)

 それを前にして、その男は立ちすくんでいた。

 彼は組んでいない手でメガネを上に押しやる。


「たとえ禁断の技術と言われても、見れば見るほど魅了されてやまない。

 これが原形を限りなくとどめる、古代魔法科学文明の遺産、か……」


 声を出すときはわずかだったが、息を吐いた時にそこから白い煙のようなものがもれるのが顕著(けんちょ)になった。

 洞内は寒く、手袋をしていてもかじかむ。

 それでも男は両手をさすったりはしなかった。


 男のそばに、頭に角を生やした若き青年が近寄る。

 こちらの方は手袋をしておらず、まったく平気なようだった。


「どうだノイベッド、船の調子は」


 かつて隣国(りんごく)ベロンにて国主にまでのし上がった男は、いまは魔王ファルシスのもとで技術指導者として辣腕(らつわん)をふるっている。

 ノイベッドは慇懃(いんぎん)に頭を下げた。


「殿下が危惧(きぐ)されていた船の防衛装置ですが、さほど大掛かりなものではありませんでした。

 ロヒインの手を借りていずれは解除完了です」

「そうか。ではやはりこの船は何らかの目的を持って、意図的にここに収められていたのだな?」

「ロヒインの話では、やはり天界にはこの船を活用する目的があったとみているようです。

 その目的がなんであるかは、残念ながらわたしたちにはわかりませんが」


 そしてノイベッドはうつむき、もう一度メガネを直した。


「ビーコンがここにいれば……いえ、なんでもありません」


 ファルシスが彼にわずかに同情の目を向けたとき、向こう側からかけよってくるものがあった。

 ロヒインである。


「ノイベッドさん、防衛装置解除、完了しました。

 あら、殿下もいらしてたんですか」

「ロヒイン、お前もビーコンと旧知の仲だったな。

 いったいどういう男だったのだ?」


 なつかしい名前を聞かされ、ロヒインはなんともいえぬ表情で遠い目をした。


「ビーコン様、ですか。

 いいえ、遠い昔に別れたきり、です。

 ですけど確かにすごい先輩(せんぱい)でした。

 わたしにとって、あこがれの存在ですね。先輩、いまどうしてるかな……」

「そしてお前の、初恋の相手でもあるな」


 いやらしい笑みを浮かべるファルシスに言われ、ロヒインは顔を真っ赤にした。


「ノイベッドさんっ! 口をすべらないでくださいよっ!」


 ロヒインに肩をゆさぶられ、「あ、ああ」とたじろぐノイベッド。

 どうやらここでの力関係は彼女が上のようだ。


「それともう1つ!

 あなたの雇った技術者や錬金(れんきん)術師の人が、わたしの着てるマントから下がのぞくとき、手を止めて完全に見入ってるんですよ!

 そりゃわたしはこっぱずかしい格好してるから無理ないですけど、もうちょっと気合を入れて作業するように言ってくださいっ!

 やっぱりちょっと恥ずかしいしっ!」


 そう言って彼女はノイベッドを離し、ふくれっ面で「失礼しますっ!」と頭を下げてその場を立ち去った。

 カラカラと笑うファルシスに対し、ノイベッドは恐縮ぎみに外れかけたメガネを直した。





 現場を離れ少し暗がりに立ったロヒインは、ふと何もない暗闇を見上げた。

 そこにしばらく会っていないビーコンの、なつかしい面影(おもかげ)を思い浮かべる。


 ノイベッドからは話を聞いている。

 技術の発展がもたらす未来が、古代魔法科学文明崩壊(ほうかい)の再来につながるかもしれないと知り、ファルシスへの帰順を示したノイベッド。

 それを技術者の精神ではないと弾劾(だんがい)し、仲たがいすることになったビーコン。

 すべてが終わればビーコンと再会することになると期待していたロヒインだったが、かなわぬ夢となった。


 本当に、いったいどこでなにをしているのだろうか。

 コシンジュほどではないにしても、彼もまたその動向が気になっている人物ではあった。

 誰もかもが、変化を求められている。今はそういう時代になっている。

 かくいう自分だって例外じゃない。

 ロヒインがまだビーコンと同じキロンの大魔術院にいた頃は、まさか自分が将来魔族の一員になるなど思いもよらなかったのだ。

 やがてロヒインがうつむくと、誰かが声をかけてきた。


「おや、それほどまでにコシンジュのことが気にかかるか。

 なんなら一度会いにいったらどうじゃ?」


 いつもならそれはおてんば娘のヴェルなのだが、そうではなく祖母にあたるスターロッドだった。

 祖母とは言ってもその外見は若々しく、美しい容貌(ようぼう)に恥じぬ見事なボディーラインを惜しげもなくさらしている。


 息が白いと言うのに、スターロッドは寒さを感じていないようだ。

 魔族は人間とは違って身体がすこぶる丈夫で、熱さや寒さにも強い。

 彼女らにそういった感覚を起こさせたいのなら、それこそヤケドや凍傷(とうしょう)を負わせなければならない。

 自分もその輪に入って改めて実感した。


「いいえ、それもそうですが、今は昔(あこが)れだった錬金術師のことを思い浮かべていました。

 彼がノイベッドさんの考えに理解を示していたら、今ごろはこの船はもっと早く起動していたでしょう」


 わざとらしいほど残念さを声に現すと、スターロッドは片方の眉を吊り上げ腕を組んだ。

 それによってふくよかな胸の谷間が強調される。


「フン、それに関しては大丈夫じゃろう。

 天界の者どもも今は軍の鍛錬でいそがしいのだから、我々もそうあわてることはあるまい」


 ロヒインも魔族になったことで胸が大きくなったのだが、それでも彼女にはかなわない。

 そのことをちょっとだけうらやましく思う。

 これだけの胸があれば、コシンジュももっと……


 そう思う時、ロヒインは首を振る。

 いいではないか。コシンジュは今の自分でも十分喜んでくれていた。ロヒイン自身が大きく戸惑(とまど)ってしまうほどに。

 むしろ今の身体は半ば禁忌(きんき)を犯して手に入れたものなので、後ろめたく思うこともある。

 まわりが祝福し、敬愛するファルシスがその先に望むものがあったとしても。


 ふいに、目の前の相手がコシンジュの初恋の相手だと言うことを思い出した。

 かつての自分が(あわ)い想いを抱いていた人物は遠く離れてしまったが、彼女のほうは手を伸ばそうとすれば届く位置にいる。


「どうしたのじゃ、なぜにらんでおる?

 何かわらわが気に(さわ)るようなことを言ったか?」

「あ、いいえ、そのようなことは……」


 するとスターロッドは意地わるげな笑みを浮かべ、そっとあごに手を触れだした。


「ほう、わかったぞ。嫉妬(しっと)じゃな。

 さては魔族になってなおわらわの豊満な肉体にかなわず、ひそかにうらやんでおったのじゃろう」

「え、いいえ……はい! その通りですっっ!

 ですからそうやって自ら胸をもんだりとかしないでくださいっっっ!」

「よいではないか。同じ女どうしじゃぞ?

 遠慮するな、ほれ、ほれ」

「ああもうっ! たとえ同じ女でもそういうあられもないことをやられるとコーフンしちゃうんですよ! 

 その気がなくても両刀に目覚めちゃうからやめてくださいっっ!」


 スターロッドはようやく胸から両手を離した。

 ロヒインは思わずあさってのほうを向く。


「はあ、死ぬかと思った。

 カンベンしてよ、もしコシンジュに今の会話聞かれてたら、『それじゃ3人で付き合うか』とか言われちゃいそうだよ。

 でもなぜか悪い気がしないんだけど、やっぱり体型を比べられたらいやだしなー」

「そんなこともないぞ? ロヒイン、お主の身体もなかなかのものではないか。

 見ていて思わずほれぼれしてしまうぞ。

 お主こそよければ、触ってもよいのじゃぞ?」

「だからそうやってこっぱずかしいこと言わないでくださいっ!

 そしてひそかに百合(ゆり)の世界に誘わないでくださいっ!

 あんたそっちの気があるんですかっ!?」

「わらわ、両刀じゃぞ?」「んなっっっ!」


 思わぬ告白に、ドン引きしてしまうロヒイン。しかしなぜか説得力がある。

 スターロッドのほうは、「なんて、冗談じゃ」とはまったく言わないので、やはり本当なのではないだろうか。


「ふん、どうせ魔族になったことで得られたまがいものみたいな身体なので、ほめられてもあんまりうれしくないですよ~だ! べっ!」


 そう言ってアッカンベーをするのだが、なぜ相手の話を否定せずに、このような言い方をする?

 まさか本気にしている? まさかねー。


 しょうもない会話を終えいったん落ち着くと、ロヒインは話を切り替えた。


「そういえばスターロッド様、気にならないんですか。

 うわっ、様づけしたら昔のコシンジュの態度思い出しちゃったよ……」

「コシンジュのわらわに対する気持ちのことか?」

「ちーがーいーまーすーよっ! ちゃんと人の話を聞いてからにしてください!

 そうじゃなくって、スターロッド様は、個人的にこの戦いをどう思ってらっしゃるんですか?」


 するとスターロッドはたたずまいを直した。

 本気の話を振られたと察したらしい。


「うむ。決して避けては通れない戦いじゃ。

 負ければ人間たちに大きな災いが降り注ぐ。

 それのみならず、我ら魔族も決して無害では済まされんじゃろう。

 人ごとではなく、決して負けられぬ戦いじゃ」

「ですが、やはり気になられるのでは?

 お心優しいスターロッド様からすれば、やはり人間や同胞(どうほう)の方々に被害が及ぶのは目に余るのではございませんか?」


 ふざけた態度に時々イラッとさせられるが、普通に相手を尊敬しているロヒインであった。

 問われた相手は、ふたたび腕を組んで考え込むように目をそらす。


「確かにな。今度の(いくさ)は総力戦じゃ。

 すでに人間たちの被害が出たのは心苦しいが、天界の軍勢ともあれば我ら穏健派魔族も全力を出さざるをえんだろう。

 当然、無事では済むまい」

「なんとか、すべてを穏便に済ませるわけにはいかないのでしょうか。

 いや、ムリなのは承知の上でおたずねしています。

 スターロッドさまも、同じお気持ちなのではないかと思いまして……」


 すると、なぜかスターロッドは後ろを向いた。

 それにより布の面積が薄いために白い肌があらわな丸い尻が目に飛び込む。

 あれ? おかしいな、なぜ同じ女なのに見ていてコーフンする?


「ククククク、フフフフフフフ……」


 しかし、ロヒインの雑念は相手の妙な笑い声にさえぎられた。


「スターロッド、さま?」

「ククククク、ロヒイン、お前がそう考えるのはよくわかる。

 よくわかる、じゃがわらわはひそかに、この戦に対して妙に興奮(こうふん)しているところもあるのじゃ……」


 振り返った相手を見て、ロヒインは思わず(こお)りついた。

 彼女に対してこのような感情を抱くのは初めてだ。

 スターロッドの笑みは、なぜか異様なほど残忍なものになっていた。


「お主は元人間じゃ。

 だがそれを差し置いても、わらわは数ある魔族の中でも最古参に当たる。

 だからなかなか共感も得られまい」


 そして彼女は正面を向くと組んでいた両腕を離し、おもむろに前に(かか)げた。


「わらわには昔から大いに不満があった。

 なぜ我ら魔界の生物が邪悪とされ、天界の者どもが神聖とされなければならぬのだ。

 わらわと同胞を見れば、それが根拠なきものとわかるではないか」


 手を下ろし、スターロッドは腰に手を当ててあさってのほうを見る。


「しかもなんじゃ、神の長兄は哀れなほど愚鈍で(ぐどん)、その従僕(じゅうぼく)は卑劣と来た。

 それを見て、わらわの確信は深まった」


 ロヒインは消え入りそうな声で、「スターロッド様……」とつぶやく。

 相手はクルリと背を向けた。


「まざまざと思い知らされたっっ!

 わらわの心の奥底には、天界の者どもに対する、深い憎悪があるのだとなっっ!

 何が神聖じゃっっ! なにが人間の支配者じゃっ!

 あのようなくだらぬ(やから)に、人間たちの尊崇(そんすう)を集める資格などないっっ!」


 怒りに満ちた彼女の視線は、ロヒインがいわれなき責めを受けていると錯覚(さっかく)するような、相当深いものだった。


「スターロッド様。

 お言葉ではありますが、ご自分でおっしゃったではないですか。

 魔界に善良なものがいるのなら、天界にも悪党はいる。

 今のおっしゃられ方だと、まるで天界そのものを責めているかのような言い方ではないですか」


 少し我に返ったようで、年若く見える老魔族は息を整えて言う。


「確かにお主の言う通りじゃ。

 じゃが悪に染まっていない者どもは、そのような(やから)をなぜ放置しておる。

 特に神々。フィロス以外の3兄弟は、なぜ長兄のやりたい放題にさせる?

 3者が力を合わせれば、止められるじゃろうに……」

「きっと理由があるのだと思います。

 なにか、弱みのようなものを握られているとか……」


 そしてロヒインは気付いた。


「……だとしたら、このまま天界に攻め込むのはまずいのではありませんか!?

 他の神々が逆らえないものが、我々に害を及ぼす可能性もあります!」


 スターロッドはうなずくが、同時にあごに手を触れて考え込んだ顔つきにもなる。


「あるやもしれんな。だが、我々はどちらにしろ天界には上らねばならぬ。

 お主もわかっておろう、この戦いは決して避けられぬとな」

「わかっております。ぶしつけなことを言って、すみませんでした」


 ていねいにあやまると、スターロッドはロヒインのそばに近寄り、そっと肩に手をかけた。


「だがお主の忠告、ファルシスに伝えておこう。

 よくそのことに気づいたな」


 ロヒインが「ありがとうございます」と言うと、スターロッドはうなずいて後ろに向かって歩き始めた。


「それと、わらわが胸の内を明かしたことは、だまっていろ。

 お主の口が(かた)いことなど、わかってはいるがな」


 ロヒインは振り返り、去っていくスターロッドの姿を見送った。

 美しい彼女の後ろ姿に気をとめている余裕などなかった。

 気になるのは、やはりその本音である。


 気付いたことがあった。

 スターロッドには、過去に格下の(みにく)い魔物に手ごめにされたことがある。

 そのことは天界には何のかかわりもないだろうが、過酷な魔界で生きてきたことが、彼女の心に深い闇をもたらしてきたに違いない。

 だとしても、あまりに深い憎悪(ぞうお)だ。

 つらい過去を乗り越えても、なおもぬぐい去ることのできない天界への深い(うら)み。

 やはり尋常(じんじょう)ではない。


 なぜかいやな予感がした。

 スターロッドのみならず、それがいま自分の置かれている環境すべてにおける、不吉な予兆を感じさせているような気がしてならなかったのだ。

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