第45話 それぞれの孤独~その4~
ヴァルト城跡と付近の森をはさむわずかな広場に、数多くの敵兵がロープで縛られぎゅうぎゅう詰めで押し込められている。
捕われたのは大半がウッドエルフだ。
ハイエルフはもともと数が少なかったが、精強で手加減ができず殺されたり、天界の住人とは思えぬ卑劣な手段で数多くの人間たちを殺めてきたために、降伏しても容赦なく命を奪われた。
そのため、広場にとらわれたハイエルフの数はごく一部のみである。
おとなしくあきらめを示しているウッドエルフ軍に比べ、こちらの方はいささか態度も悪い。
ファルシスはその中でもリーダー格と見られる者の前に立った。
「お前たちハイエルフには思いのほか苦労させられた。
もちろん精強であることも確かだが、いささか手段が薄汚かったな。
闇に属す我らから見ても目に余るほどであった」
「そういうお前は、闇の住人にしては少々やり方が甘すぎだな。
おかげで数多くの人間どもを殺すことができたぞ」
ハイエルフのリーダーは、口調も表情も凶悪そのものだった。
身なりはきれいに整っているが、言動のせいですべて台無しになっている。
清廉潔白なイメージが先行していた天界の住民の正体に、人間はおろかデーモンやダークエルフでさえ、たじろぐ様子を見せている。
このリーダー格はかなりの腕前らしいが、いささか状況が悪かった。
出会いがしらに先陣を切ったムッツェリの矢を肩に受けてしまい、それでも必死に彼女を追い詰めようとするも、新たに現れたデーモンたちにあっけなく捕われてしまったのだ。
「ちっ! あんな情けない捕まり方をするくらいなら、遊び半分でこっちの世界に来るんじゃなかったぜっ!」
「遊び半分、か。我らにとってこれは未来のすう勢を分けた戦い。
そのような生ぬるい動機で任されてはたまったものではないな」
「フン!
ここで要領良く天界への船を手に入れても、雲の上はお前らにとっては未知の世界だ。
あっちであっけなく撃退されちまえばいいさ」
そう言ってリーダーはペッ、とファルシスの靴につばを吐きかけた。
多くのものがそれを見て動揺する。
スターロッドが思わず叫んだ。
「無体なっ!
貴様、天界の住人としてそのようなふるまいをして恥ずかしくないのかっ!」
「ケッ! これから死ぬってのに、んなことどうだっていいんだよっ!
やるんならさっさとしやがれっ!」
そう言って彼はおとなしく頭を地面に押し当てる。
ファルシスはうっすらと笑みを浮かべたまま、腰に差した黄金の柄を引き抜いた。
「そうさな。余はむやみな殺生を好まぬが、お前の言動は目に余る。
このような者を送り込んだ天界へのメッセージとして、お前の命を使わせてもらおう」
しかし、ファルシスはその場を動かずに剣を横に向けた。
「だが、余がわざわざ首をはねるほどではない。
別の者にやらせよう」
だまってそれを見ていたロヒインは、おそらくゾドラの黒騎士だと思っていた。
が……
「ロヒイン、前に出よ」
一瞬何を言われたかわからず、ぽかんとして思わず自分の胸に手をおいた。
「え、わたし、ですか?」
「どうした? 余の命令が聞けぬのか?」
ロヒインはいえいえと恐縮しながらも、首をひねって前に出た。
剣から指を何本か離したファルシスから、両手で大ぶりの剣を受け取る。
一見いたいけな少女に見えるロヒインの手に余るほどのものだ。
「ええと、なんで、わたし……なんですか?」
「ロヒイン。余はお前の忠誠をうたがわぬ。
だが、それより忠誠をつくす者がいるだろう」
「あ、それコシンジュのことですか。
ま、まあ忠誠、いや~忠誠ってか、まあ、どっちかっていうと、好き……みたいな……」
顔を真っ赤にして照れ笑いを浮かべると、ファルシスはうすら笑いを浮かべた。
「ロヒイン、想いを断てとは言わん。
だが奴が戦場へと戻らぬ以上、しばらくは奴のことを忘れろ。
これはそのための『禊』のようなものだ」
「みそぎ、ですか……」
ロヒインはつぶやくと、どこか深刻げな顔つきになった。
あらためて、ロヒインは今の自分の立場を思い知らされた。
コシンジュを、忘れる……
周囲を見ると、スターロッドやヴェル、そしてイサーシュとムッツェリが次々とうなずいた。
それを見て、ロヒインも力強くうなずいた。
やや急ぎ足で、ハイエルフのリーダーの真横に立つ。
こいつは数多くの人間たちを殺した。しかも決してほめられるものではない手段で。
それを思えば、同情する余地など少しもない。
ロヒインは両手に持った大帝の剣を、大きく上に振りかぶった。
思い切り息を吸い込む。
が、その時急に頭にコシンジュの顔が思い浮かんだ。
とたんにロヒインの顔に動揺の色が浮かぶ。
「おやおや、どうしたのかなお嬢ちゃん。
ひょっとして、あの2歳離れた歳下のカレシの顔でも、思い浮かんだのかな?」
下を向いたままリーダーエルフがつぶやいた言葉に、ロヒインの背筋が凍った。
「き、貴様……いま、なんと……」
「今のお嬢ちゃんの姿を見たら、カレシはどう思うかなぁ?
だってそいつ、元勇者なんでしょ?
絵にかいたようなお人よしのカレシ、俺のような奴とはいえ無抵抗の奴を殺したらどう思うかねえ?」
「やめろ、言うな、言うな……」
するとハイエルフは顔をあげ、ひきつった笑みでロヒインを見上げた。
「どうだ? やめておくかぁ?
だけどお前、魔王サマの契約者なんだろ?
そいつの言葉を無視したら、契約違反ってことになんないかなぁ~?」
「ロヒイン、早くやれっっっ!」
ファルシスは叫ぶが、ロヒインが上に振りかぶる剣はプルプルと小刻みに動き続ける。
躊躇しているうちに、足を縛られていないリーダーエルフは立ちあがった。
「どうする~? 愛しいカレシをとるぅ~? それとも魔王サマをとるぅ~?
どっちか迷うけど、魔王サマに逆らったら、いったいどうなっちゃうのかなぁ~っ!」
「まずいっ!
ロヒイン、そいつロープをほどいてるぞっっっ!」
ファルシスが叫んだとたん、ハイエルフの両手が大きく広げられた。
しっかり縛りつけていたはずのロープがバラバラに散らばる。
「もう遅いんだよっっ! 死ねぇぇぇぇぇぇぇぇっっっ!」
「……やあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!」
一瞬で粟だったロヒインは、大声で叫びながら剣を横に回すように振りかぶった。
だが相手が突き出そうとした鋭い爪には間に合いそうもない。
死を覚悟しかけた、その時……
「ぐぼあぁぁぁぁぁっっっ!」
叫びをあげ、ハイエルフの動きが止まった。
ロヒインがぼう然と見ると、みぞおちから鋭く細い刃がつき出ている。
ハイエルフは2,3回口から血を吐きだしたあと、剣を引き抜かれて地面に倒れ込んだ。
その背後から、カタナをまっすぐ突き出したイサーシュの姿が現れる。
「あ、い、イサーシュ。ゴメン、ありがと……」
ロヒインは礼を言うが、イサーシュは厳しい目を向けた。
「ロヒイン、お前が手を汚す必要はない。
そういう仕事は俺がやる。殿下への忠誠は俺が示す」
そう言ってイサーシュは細長い剣をグローブでぬぐい、ふたたび背中の鞘におさめ、反転して下がった。
ロヒインは気落ちするようにして事切れたハイエルフを見下ろすと、そばにファルシスがよった。
「わが剣を返せ」
ロヒインは無言で剣の柄を差し出す。ファルシスはそれをそっと取り上げた。
「まだ奴のことが忘れられぬか。
まあよい、お前にそこまで期待するのはまだ早かったかもしれんな」
どこか失望したような声をあげ、ファルシスは別のほうを向いた。
「各員、捕まえたエルフたちを連れて行け!
いちおうは天界の住人だ、丁重に扱え!
そしてくれぐれも油断するな! 他にも脱走を考えている者がいるかもしれんからな!」
全体が一斉に動き、座らされているエルフたちのもとに向かう。
周囲が整然と仕事をこなすなか、ロヒインは一人取り残されたかのような気分に襲われた。
ふたたび、頭の中に大切な人の横顔が浮かぶ。
すると今までどこかで押さえつけていた感情がぶり返したのか、涙が急にとめどなくあふれてきた。
「コシンジュ……コシンジュ、さみしいよぉ……」
止まらない涙を必死にグローブでぬぐっていると、横から誰かが現れた。
「ロヒインちゃん、大丈夫、大丈夫だからさ……」
見ると、近頃仲が良くなってきたヴェルの姿があった。
彼女にうなずき、ロヒインは肩をつかまれたままその場を歩きだした。
とある日の夕暮れ。
日の光が赤くなり、北の空は闇に飲み込まれようしている。
勇者の村の荒れ果てた丘の上に、いくつもの人影が現れた。
「おい、本当にやるのか? これ、完全に命令違反だぞ?」
「バカ、あれを見ろよ。間違いなく城から盗まれた黒の断頭斧だ」
現れたのは、完全に全身を黒に染め上げたゾドラの騎士たち。
1人が指差すと、彼らの目には岩に突き刺さった禍々(まがまが)しい造形の黒斧が見える。
「くっそう、こんなところにあったんだな。
天界の支配者め、コイツを勇者に使わせるつもりなんだな?」
「だけど、俺たちがやろうとしてることに意味なんてあるのか?
あの斧の重量、俺たちでも持って帰れるかわからないのに、たかが15歳のガキなんだろ?
どう考えても持てるわけがねえじゃねえか」
「そういう問題じゃねえだろ。だいたいあれはゾドラの宝なんだぞ。
本来は鎧一式とともに宝物殿に安置されるべきだ」
「それに万が一勇者が手に取ってみろ。
我が国の宝が勇者の手に渡るだなんて、たまったもんじゃねえよ」
騎士たちが丘の上に立つとムダのない動きで周囲を警戒しつつ、1人が黒い斧に手をかけようとした。
「……おおっと、そいつは俺の息子のもんだ。
お前らのようなザコ兵士には渡さんよ」
大岩の裏から、何者かが現れた。
どうやって隠れていたのかわからないくらい大柄な戦士だ。
「き、貴様っ! まさか勇者の父だなっ!?」
1人が声をあげると、周囲の仲間がいっせいに剣を引き抜いた。
チチガムもまた腰にぶら下げた剣を引き抜く。
「お前ら人里を離れた場所を移動してたみたいだが、軍を抜けだした時点で魔王たちにバレてたぞ。
魔法伝書バトでカンカンに怒ってる内容が書かれてた」
黒騎士たちのものと違いチチガムの剣は幅広で、中に模様や文字のようなものが描かれている。
それを軽々と振り回し、両手にとって構えた。
「だまれ剣士チチガム! 魔王殿下にどのような叱責を受けようが覚悟の上!
盗まれた至宝を取り返すのは我ら黒騎士の使命であるっ!」
黒騎士たちは一歩も退かない。
数はざっと10人程度。それもかなりの手だれのようだ。
一方のチチガムには弱みがあった。
彼が手にする「破邪の剣」は、名剣ではあるが素材はあくまで鉄である。
相手の硬質な黒鋼とは少々相性が悪い。
それでも腕に覚えがあるチチガムは2,3人ならうまく立ちまわれるだろうが、数が少々多すぎる。
さて、どうするか。考えあぐねていたその時。
「おやおや、たった1人相手に10人がかりでビビってんのかい?
だったらあたしが相手してやろうか」
チチガムが振り向くと、手足に黒い鎧をまとったネヴァダの姿があった。
彼女は短めの髪をかきあげて颯爽と丘の上に現れる。
「元ゾドラ軍のネヴァダっ! 貴様は前体制に嫌気がさして軍を去ったと聞く!
勇者なんぞの味方などやめて、魔王殿下と妃たられるエンウィーさまのために軍に戻れっ!」
「なに言ってんだよ。あたしはコシンジュ達の世話になってんだ。
それになんだかファルシスの奴には仕える気がしなくてね。やなこった」
黒騎士たちが「なんだとぉぉっ!」と叫ぶなか、チチガムはネヴァダに視線を向けた。
「一緒に戦ってくれるか」
ネヴァダは久方ぶりに腕にはめた黒い手甲を見せつけた。
「あんたの剣、いい代物だけどしょせん鉄製でしょ?
アタシの黒鋼が必要だと思って」
2人の戦士がいっせいに構えをとる。
ヤケになったのか、黒騎士たちは金切り声をあげていっせいに向かってきた。
チチガムとネヴァダもはじかれるようにして飛び出す。
実はこの時任のコシンジュがひそかに様子をうかがっていて、2人の戦いぶりをよく観察していた。
「うおぉ、こりゃすげえ。
親父たちずいぶんいい戦いっぷりしてるじゃんか」
コシンジュはあわてて首を振った。
見学しに来たわけではない。万が一黒い斧に手を出されたら……
音を経てないよう静かににじり寄り、黒騎士たちが父親たち相手に必死になっているスキに、黒い柄を両手で取った。
自信はあった。
今日こそ引き抜けなければ、それこそ一生かかってもムリな気がする。
「ぬうぅぅぅ……ぬうぅぅぅぅ~~~~~~~~~~~~っっっ!」
しかし、相変わらず黒い斧はみじんも動かない。
何度か引き抜いているうちに、これは黒斧の重圧に押し負けているのではなく、刃が岩の断面にビッタリと挟み込まれて動かなくなっているのではないかと気づいた。
いったいどうやってこんなこと、って神様なら可能か。
それでも必死になって引き抜こうとしていると、そのうち1人の黒騎士がこちらを向いた。
すぐにコシンジュを指差す。
「ああっ! 勇者の野郎っ!
いつの間にか断頭斧を引き抜こうとしてるぞ! させるかっっっ!」
騎士はすぐに剣を振りかぶってこちらに迫る。
コシンジュは「ぬわぁっ!」と言ってすぐに飛び退った。
コシンジュの身体はかすりもしなかったが、黒騎士のそばには例の斧がある。
「おいっ! コシンジュ何をしてる!
危ないから逃げろっっ!」
チチガムが叫んでいるうちに、騎士の兜がすぐに斧のほうを向いた。
「ああっ! やめろバカぁっっ!」
騎士は「ニヘヘヘヘ~」と下品な笑い声を立て、すぐに黒斧に手をかけた。
しかし片手で抜こうとしても、斧はびくともしない。
仕方がない様子で騎士は剣を放り投げ、両手で斧を抜きにかかった。
「ぬうぅぅぅ~~~っ! ぬうぅぅぅぅ~~~~~~~~~~っっ!」
「クソッ! ヴィクトル様から預かった斧が奪い取られる!
ネヴァダ動けるかっ!?」
チチガムは2,3人相手に奮戦するが、ネヴァダの相手はそれ以上だった。
「ダメッ、こいつら意外としぶとい!
きっと軍の精鋭部隊だねっ!」
2人がダメなので、残るはコシンジュしかいない。
深く息を吸い、両足に力を込めた。
「……うおりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」
全力でかけたコシンジュが、両足で飛び蹴りを放つ。
生身の少年と言えど、ここは元勇者である。
黒騎士はもろに胴の側面にそれを食らって大げさなくらいに倒れ込んだ。
相手が「ぐほぁっ!」と言って草むらに倒れ込んでいるうちに、コシンジュは斧の柄に両手をかけ、もう一度引き抜きにかかる。
しかしチチガムから叱責があがる。
「バカッ! そんなことやってる場合じゃないだろっ!
いいから早く逃げろっっ!」
「うるさいっ! もう少しなんだ!
もう少しで……ぬぐうぅぅぅぅぅぅぅっっっ!」
顔に血管を走らせて、コシンジュは必死に両腕を引き絞る。
岩に足までかけてグイグイ引っ張るが、その間に黒騎士が立ちあがった。
「……くっそぉぉっ!
おいこのガキぃぃっっ! そいつから離れろぉぉっ!」
「……いんやだぁぁぁぁぁぁっっ!
こいつはぁぁぁ、神さまがぁ、俺に、くれたんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」
「違うっ! それはゾドラの最高の宝だっ!
そいつは破魔の鎧とセットじゃなきゃいけねえんだよっっ!」
「うんるせぇぇぇぇぇぇぇぇっっっ!
こんのおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!」
コシンジュはそれでも必死に斧を引っ張るが、やはりビクともしない。
そうしているうちに黒騎士がイラついてきた。
「おんどれぇぇぇぇっ!
こうなったら無理やり引っぱがしてやるぅぅぅぅぅぅぅっっ!」
「だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!
ぬけろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!」
あせっているうちに黒騎士が両手を向けてこちらへと迫る。
コシンジュは渾身の勢いで叫ぶ。
「ろひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃんっっっ!
まってろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!」
一瞬コシンジュに呼ばれた気がして、ロヒインは振り返った。
当然背後には誰もいるはずがなく、ロヒインは首をひねって、「まさかね……」とつぶやいて前に向き直った。
コシンジュの身体が動いた。
あれほどかたくなに岩に張り付いていた黒斧が、あっさりの引き抜かれ大きく上に持ちあがる。
「おわっ、おわわっ! あぶねっっっ!」
柄をにぎるコシンジュが思いきり両腕をひねって、黒騎士のいる方向に斧を振り落とした。
相手があわてて引きさがる。
「ぬわっ! あぶねぇぇぇっっ!」
ズゴン、と言う音をたて、黒い刃が草むらに深くめり込んだ。
立ち止まる黒騎士、しかし自分の胴鎧に目を向けると、その表面がパックリと縦に断ち割られていた。
「ひ、ひひ、ひぃぃぃ~~~~~~~~~~~~~~~~っっっ!」
情けない声をあげ、その場に尻もちをつく。
後ろにいた仲間たちが戦いをやめ、倒れた騎士のそばにかけよった。
そしてこちらを見ると、コシンジュは不敵な笑みを浮かべた。
「く、くそっ! 断頭斧が勇者の手に渡ったっ!
もう無理だ、逃げろぉぉぉぉぉぉぉぉっっ!」
相手がちゃんと斧を扱えるのかと言う確認もせずに、騎士たちは一目散にその場を逃げ出した。
チチガムやネヴァダは後を追わず、疲れ切った足取りでコシンジュのもとに向かう。
チチガムは息子に声をかけた。
「おい、大丈夫かコシンジュ?
しかし驚いたな。まさかこんな早くに斧を引き抜くなんて」
「いつまでもそんなところに下ろしてないで、さっそく持ち上げてみなさいよ」
コシンジュがうなずいて両腕に力を込めると、プルプルとふるわせながらも斧が徐々に持ちあがっていく。
「うおぉぉぉっ! 持てる、持てるよっっ!
やった、斧が持てるだけの力がついたっっ!」
しかし気を抜いた瞬間、コシンジュの両腕がとたんに下がって、またしても地面にめり込んだ。
コシンジュはがく然とした顔つきになる。
「ハハハ、岩から引きぬけても、まだまだってことか。
コシンジュ、筋トレはまだ続けるぞ」
「えぇ~~っ!? まだムキムキになんなきゃいけねえのかよぉ~。
これ以上全身が太くなって、ロヒインの奴になんて顔合わせればいいんだよぉ~」
チチガムが笑いながら、そっと息子の手をとり上げ、斧をしっかり握った。
意外や意外、チチガムは片手で難なくそれを持ち上げた。
とたんにコシンジュが「げっ」と声をあげる。
ネヴァダが「うおぉ、純正のアダマンチウムなのに……」とつぶやく。
「なんだ、意外と重くないじゃないか。
これならむしろ父さんの武器にしたほうがいいんじゃないか?」
それを聞いたとたん、コシンジュは両手のこぶしを握り、歯を食いしばった顔になる。
「い~やっ! そいつは俺のもんだっ! 俺がそいつを使ってロヒインを助けに行くっ!
親父なんかに任せてたまるかっっ!」
コシンジュを見てネヴァダとともに笑うチチガムだったが、ふと斧をもたない手が、コシンジュの頭をなでつけた。
少しおどろくコシンジュ。
「よくやった。よく鍛えたな。
この調子で、もっと精進しろよ」
言われ、コシンジュはどこか感動したかのような顔つきになる。「親父……」
するとチチガムは息子の背中に手を回し、やんわりと前に押し出した。「さ、帰るか」
言われコシンジュはうなずく。
3人は日が沈みかけた丘の上をゆっくりと降りていった。
黒斧を失い大きなひび割れを残すだけになった大岩が、彼らを見守るように静かにたたずんでいる。
早朝、その日は大雪が降った。一夜にして村は白一色に染まる。
勇者の家の玄関が、地面の雪を押しのけるようにしてゆっくり開かれる。
「うっっっわっっ! さっむっっっっ!
なにこの尋常じゃない寒さっっ!」
冬になっても肌の色が濃いクリサが、異常な厚着で身体を震わせながら外に出る。
それでもこらえきれずに両手の手袋で腕をさすり、周囲を見回す。
ふとある視点で目が止まった。
クリサの視線の先には、黒斧を地面につけ逆さにした柄を両手にとるコシンジュの姿が。
扉を開けたクリサに気づかないのは、その目がしっかりと閉じられているからだ。
クリサはわざと震えるのをやめ、両腕をしっかり抱いて相手の様子を見た。
コシンジュの両手が、柄にしっかりとそえられる。
ギュウッとつかみかかると、それをゆっくりと上に持ち上げた。
まだ少しぎこちないが、しっかりと両手で黒い斧を持てている。
気がつけば、コシンジュの体つきはだいぶたくましくなっていた。
心なしか首の太さも相当なものになっている。
自分はすっかり見慣れてしまったが、しばらく会わなくなっている仲間が見ればかなりおどろくに違いない。
「コシンジュ、そんなにまで、ロヒインのことを……」
負けた、と完全に思ってしまった。
今のコシンジュには、自分はあまり見えていないだろう。
彼が追いかけているのは、別の女の姿だ。
コシンジュが深く息を吸うと、クルリとうしろを向き、「むんっっ!」と言う掛け声とともに振り上げた斧を落とした。
逆光になり、彼の全身が昇る朝日に包まれる。
その後ろ姿は、完全に勇者のそれだった。
自分には彼の横に立つ資格はないと思った。
クリサの脳裏に、これからの自分の身の上が浮かぶようだった。
ドアのふちに肩をかける。
しっかりと彼の雄姿を目に焼き付けながら、クリサは今後のことを真剣に考えるのだった。




