第44話 新しい季節の訪れ~その2~
2人きりで話をするため、リカッチャはヴィクトルを客間に案内した。
リカッチャがそれなりに値段がはるテーブルの席に座り、ヴィクトルが窓辺に立って外の風景をながめる。
「言っておきますけど、わたしはなにを言われようが絶対に首を振りませんからね」
「だけど話だけは聞いておいた方がいいだろう。
断ったら、それこそ怒るよ」
しばし沈黙して、老いた男性の姿をした神はつぶやいた。
「わかっている。
あなたは最初から、コシンジュが勇者になることに抵抗していたね。
当然だ。息子が危険な旅に出ると聞いて、それを喜ぶ母親なんていない。
いや、それが普通だ」
そして少しだけテーブルに座る人物のほうを向いた。
「だが、誰かがやらなければならぬ。それはあなたもわかってたはずだ。
あくまでかたくなに拒み続けたのは、選ばれたのがコシンジュだったから」
リカッチャは投げやりにうなずいた。
「ええ、ええそうですよ。
わたしは、コシンジュが勇者に向いているとは思ってませんでした。
正直今でもそう思っています」
「コシンジュ君を勇者に選んだのは、前に言った通りだ。
剣の腕だけなら、あなたの夫やその弟子でも十分足りる。
だけど我々が勇者を選ぶのは、そちらではなく常に心の資質だ」
「でもそのせいで、うちの息子はつぶれました。
たとえ予期せぬ事態が原因でも、選んだのがあなたがた神であっても、絶対に許せません」
「私としても、彼をこれ以上苦しませたくはないよ」
リカッチャはすぐにヴィクトルのほうに身体を向けた。
「だったらなんであの子をまた連れて行こうとするんですっ!?
あなた方や魔王たちでは、そのヴェルゼックとかいう魔物を止められないんですかっ!?」
「我らやファルシス君たちの問題ではない。
コシンジュ君の、彼自身の問題だよ」
ここでようやく、ヴィクトルはリカッチャと向かい合った。
「あんた、本当にこれでよいのかね?」
リカッチャの目つきが険しくなった。
「……何が、言いたいんですか?」
「リカッチャさん。
あんたは親のエゴで、コシンジュ君をこの家にとどめたままにしとるんじゃないかね。
そう言っとるんだ」
「だから何が言いたいんです? あの子自身が言ってるでしょう。
この家にいたいと思うのはあの子自身の意志です」
「……あんた、本当は気付いとるんじゃないかね?
コシンジュ君は、本当はあんたに背中を押してほしいと思ってるんじゃないかね?
本人は、それに気付いてないようだが」
リカッチャは机を思い切り叩いた。
「だからいったい何が言いたいって言ってるんですっっ!?
はぐらかさないで、本当のことを言ってくださいっっっ!」
「まだわからないんですか……」
なぜかていねいな口調になったヴィクトルが、ここで動いた。
テーブルの椅子を静かに引き、ゆっくりと腰を落ち着ける。
そしてようやく口を開いた。
「『ロヒイン君』のことです。
彼は内心、ずっとロヒイン君のことを気にかけているんだよ。
そして、本当なら助けに行けたらいいのにと思ってる」
核心をつかれたリカッチャは、とうとう何も言えなくなってしまった。
「それにイサーシュ君のことも。
気付いていると思うでしょうが、彼はもともと愛国心の強い子だ。
きっと天界での戦いに加わるランドン軍を放ってはおけないはずだ」
「手紙にはそのことは一切触れてませんが、きっと迷っているんだと思います。
出来れば軍に加わってほしくないと思っているのだけれど……」
リカッチャは悲痛な表情でヴィクトルの顔をまっすぐ見つめた。
「そりゃあ、わたしだってあの子たちのことが気になりますよっ!?
あの子たちだって、わたしたちの子供のようなものだもの、無事でいてほしいですよっっ!」
そしてそのまま思い切りテーブルの上に乗り上げる。
「だけどうちの子、コシンジュには、もう関わらせたくないんですっ!
コシンジュにはこのまま、争いには関わらずにここでずっと平和に暮らしてほしいんですっっ!」
「そうやって、ずっと彼を悩ませ続けるつもりですか。
そうやって、ずっと彼をここに縛り付けるつもりですか。
それじゃ彼自身がかわいそうだ」
そして、眉をひそめて問いかけた。
「あんた、本気かね?」
リカッチャの目が、わずかに泳ぎ始めた。
力なく椅子に腰を落ち着けた。
「親のエゴ、そう言われても仕方ありません。
ですけど、それ以前に、あの子は本質的に戦いに向いていないんです。
あの子は、根の優しい……」
「知っておるよ。
幼少期は、なぜ人は争うのかと不満ばかり口にしていた。
勇者の家に生まれた使命に、ずっと疑問を投げかけてもいた」
「おわかりになってるじゃないですか。
だったらこれ以上あの子を戦いの場に引きずりだすのも、もう限界だとあなたもわかっているはずです」
ここで、ヴィクトルは神らしからぬ行動に出た。
頭頂部が薄い髪をカリカリとかき始めたのだ。
「そういうわけにはいかんのだよ。
コシンジュ君は、たしかにそうなのかもしれない。
だけど問題は、“ロヒイン君”の方だ」
リカッチャは何も言わず、ただ相手を見つめる。
それをいいことにヴィクトルも彼女を凝視した。
「彼女の方が、コシンジュ君を待ってるんだよ。
それがよくないことだとわかっていても、彼女はいつかコシンジュ君が自分を助けにきてくれると信じてる……」
ようやく話の趣旨が理解できたとわかったようでも、リカッチャは小さく首を振る。
「それは、あの子の勝手じゃないですか」
「勝手なのはあんたも同じじゃないか!
なんだね! 君は親友よりも、恋人よりも親の方がエゴを貫き通す資格があるとでも言いたいのかねっっ!?」
リカッチャは面食らった。
まさか、神ともあろう者がここまで自分の感情をあらわにするとは。
「まだわからないのかね!?
コシンジュ君は本当はロヒイン君を助けたいと思ってる!
ロヒイン君も本当はコシンジュ君に会いたいと思ってる!
2人の意思は1つだっ!
なのに、なのにあんたがずっと家にいてほしいと思ってるせいで、2人はずっとガマンしてるんだっっ!
あんたが彼らをずっと縛り続けてるんだよっっ!」
事の本質をつかれ、リカッチャはとうとう泣きそうな顔でうつむいてしまった。
それを見たヴィクトルが、我に返ったように気まずい表情をする。
「すまない、つい神らしくないことを。
だが、逆にいえばそれだけあんたは状況をよく理解していないということでもあるんだ。
わかってくれるね?」
しばし沈黙してから、リカッチャは消え入りそうな声でつぶやいた。
「……なぜ、なぜそんなことが言えるんです?
わたしはあの子の母親なんですよ?
たとえ間違っているとわかっても、この家にいてほしいと思うのは当然じゃないですか」
「いいや、あんたは間違った考えをする母親じゃない。
あなたは聡明な人だ。
これだけ言えば、あなたはいったい何をすればいいか、いいかげんわかるはずだ」
「あなたは、その、ヴェルゼックと言う魔物を倒させるために、コシンジュを利用しようとしてるだけじゃないですか」
「それもある。
だが、それだけじゃない。
いや、リカッチャさん、それは言わなくてもわかることだ。
これ以上何も言う必要はない」
そしてヴィクトルは立ち上がり、自分から扉の方に向かった。
リカッチャは動かない。
「……ちょっと待ってください」
ヴィクトルが扉を開けようとした寸前で、リカッチャはようやく口を動かした。
「その魔物、相当危険なんでしょう?
うちの息子に、それが倒せるんですか。
うちの息子が生きて帰れる保証が、出来るんですか? どうなんですか?」
テーブルに身を乗り上げて問いかけるリカッチャに、ヴィクトルは微動だにせずつぶやく。
「1つ言わせてもらって、いいですか?」
ヴィクトルは姿勢を変えないまま、リカッチャから「……はい」のひとことが出るのを静かに待った。
「私には、コシンジュ君にはそれができると信じております」
「信じるって、信じるってなんですっっ!?
あなた神様なのにそんな保証もできないんですかっ!?」
「魔物が相手なんですっ! 100%の保証はできない!
それは神である私にすらできない! それに……」
リカッチャが泣きそうな声で「それに?」と言い返した。
ヴィクトルは深いため息をついた。
「奴を倒す方法はありますが、それを手にするために、息子さんは大変な苦労をしなければなりません。
それを思うと、正直この提案をきりだすのは勇気がいります」
リカッチャの返事はない。
怒っているのか、それとも嘆いているのか、それは神であるヴィクトルにすらわからなかった。
「時間はあります。よく考えてください。
どちらを選んだとしても、私には文句を言う資格はありませんので……」
なぜか敬語のままヴィクトルは扉を開け、部屋を静かに出ていった。
感極まったリカッチャが、勢いよくテーブルに身を伏せた。
彼女の激しいむせび泣きが、客間全体に響き渡った。
コシンジュの姿は、家から離れた小川のほとりにあった。
ななめになっている草場に腰を下ろし、石ころを手にとって川の中に投げ入れる。
チャポンと勢いよく水をはじく様子を見ながら、コシンジュは難しい表情をしていた。
もう戦いたくない。
自分を知る同盟軍の兵士に顔を見られ、言葉のナイフを投げつけられるのはイヤだ。
それはまぎれもない本心だ。
なのに、なぜか心の中で引っかかるものがある。
自分は、ずっとこのままここにいてはいけないと。
それはなんでだ?
魔王たちが、傲慢な神フィロスに挑むから?
ファルシスは強い。自分たち人間よりもずっと。
フィロスに簡単に負けるとは思えない。
強い力を持った頂点同士の戦いに、自分が入り込める余地があるとは思えない。
人間たちが、魔王の戦いに巻き込まれるから?
自分が知ってるファルシスは、少なくともまともな神経の持ち主だ。
よほどのことがない限り、ファルシスが人間たちを戦いに引っ張りだす可能性はない。
あったとしてもスターロッドさまやベアールが必死で止めるだろう。
だいたい、棍棒は元の持ち主のもとに返った。
記憶の片隅では、フィロスが手にしたそれは真の正体を現し、とんでもない威力を発揮してた。
とても自分の手に負えるものじゃない。
いくら自分が戦いがうまくても、ただの人間じゃ足元も及ばない。
考えた末、頭に浮かんできた顔があった。
ロヒインだ。
彼女は今、たった1人で戦ってる。
かつての仲間は誰もおらず、ロヒインは慣れない環境で孤独に戦い続けているのだ。
それを思うと胸が苦しい。
だけど、自分はそこに行けない。
彼女の孤独をわかってなお、助けにいきたいと言う勇気がわかない。
それほどに自分の勇気は見事にへし折られた。
情けないことだとはわかってる。
だけど、あれほどのつらい戦いに身を投じること、そして自分の本心を知らない北の人間たちに、過去のことを蒸し返されることは、とても今の自分に耐えられるようなことだとは思えなかった。
つらい、つらすぎる。
なのに、いまの自分には何もできない。
今のオレは勇者だったころと違って、あまりにも無力だった。
そうだ、なぜこんなことに気付かなかったのだろう。
オレは弱いのだ。何もできないのだ。
強力な力がなければ、自分には何ひとつできないのだ。
どこにでもいる普通のガキなのだ。なぜ今さらになって気づいたのだろう。
だけど思えば、世の中のほとんどの人が、まさしくそれじゃないか。
自分では何もできず、ただひたすら災いが去っていくのを祈ることしかできない。
ただひたすら事の顛末を見守ることしかできない、かよわい人間。
普通の人間も、まさにこんな感覚だったんだろう。
だからこそ勇者になった自分に、希望を預けていたのだ。すべてをゆだねていたのだ。
今考えてみると恐ろしいことだ。
それなのに、オレは甘いことばかり言っていた。
勇者はかっこいいとか、冒険は素晴らしいとか。
アホかオレは。そんな甘いことばかり抜かしてるから、今はこうやっていじけてばかりいるクソッタレなアホガキになり果てたんだ。
勇者の使命。
今さらになってその重みがひしひしと伝わってくる。
その役目を完全に終えていると言うのに。それとは別の重みが全身にのしかかっていると言うのに。
別の重み。
自分のせいで、大勢の人間が命を落とした重み。
人間だけじゃなく、たとえ悪党であっても多くの魔物の命を奪った……
コシンジュは頭をかかえた。
頭の中には、いまも奴らの苦しげな叫びが聞こえる。
「ばかっ、何考えてんだ!
やめろやめろやめろ! ムダなことは考えるんじゃねえ……!」
目を見開き、全身にふるえが走る。
事実を真っ向から受け止めてしまえば、自分はまたしてもつぶされてしまう!
「アホかアホかアホか! 考えるな、考えるんじゃない……!」
「やはり苦しんでいるようだね。
君は、やっぱり命を粗末には扱えん子だ」
いきなりとなりから声がひびき、コシンジュは横を向いた。
「……おわあぁぁぁぁぁっっ! ていうかビックリさせんなぁぁぁぁぁぁっっっ!」
突然現れたヴィクトル神は、ニッコリと笑ってピースサインを送る。
「ったくふざけんなよ神様ぁっ!
ていうかあんたそこまでヤンチャだったのっっ!?」
「ははははは、ちょっとは元気出た?」
言われてハッとした。気がつけば頭の中の叫びは消えている。
「あ、そっか。なんとなく、ありがと……」
素直に感謝を述べるコシンジュだが、すぐにいぶかしげな目に変わる。
「で? お袋と話しつけてきたの? 一体何の話してたんだよ」
「だって。コシンジュ君、ロヒインちゃんのこと助けに行きたいんでしょ?
あとイサーシュ君も」
すました顔で言われ、コシンジュはうめいた。
たしかにアイツのことも気になる。お国自慢のひどい奴だから、なんとなく聞いていたランドン国のクーデターのことも放っておけないに違いない。
「その辺はなんとかなるよ。お母さんはきっとわかってくれる」
「……お袋は説得できても、オレは難しいですよ。
わかってても、足が動かないんですから」
コシンジュは難しい顔をして、両手をおもむろに広げた。
「それにオレ、もう棍棒持ってないんですよっ!?
神さまの武器がなけりゃ、あのヴェルゼックの野郎なんか倒せませんよっっ!」
「うんうん、わかってる。だから別の手を考えた」
おもむろに立ち上がったヴィクトルが、ひょいと片手をあげた。
「ちょっと付いてきなさい。いいものを見せてあげよう」




