第44話 新しい季節の訪れ~その1~
「いやはや、見苦しいところを見せてすまない。
コシンジュがあんなことになって、みんなもずいぶんおどろいただろ?」
夕食の席にて、勇者一家の面々にこよいはネヴァダ親子、そしてクリサも席に座り、ささやかな宴が開かれることになった。
クリサとネヴァダの娘ブレベリがもくもくと食事にいそしむなか、ネヴァダは首を振った。
「いや、最初はびっくりしたけど、いまにしてみればああなっても全然不思議じゃないね。
でも、一体全体何がおこってるんだい?」
チチガムは気まずい顔になって、横にいるリカッチャのほうを見る。
彼女は悲しげな表情ではあるものの、こっくりとうなずいた。
「息子は今、自分をコシンジュだと思っていないらしい。
あいつは今付近の家の幼いころに他界した、同い年の子供の成長した姿だと思い込んでる。
俺にはあいつが、自分がかつて勇者だったと言う事実を認めたくないからじゃないかと思ってる」
「そう、よほど重症みたいだね」
ここでクリサが食事を止めて話に加わる。
「アタシがあいつの前に現れたら、正気に戻るんじゃないの?
あいつのトラウマの原因に、きっとアタシもかかわってくるから」
「もしそうならなかったらどうする?
お前をクリサだと理解できないと知ったら、お前の方が相当なショックを受けるだけなんじゃないのか?」
「そりゃ、そうだけど……」
クリサが口ごもると、食卓に気まずい雰囲気が流れた。
気を取り直してネヴァダは別の質問を繰り出す。
「そういや、イサーシュの奴はまだ戻らないのかい?」
「連絡は来ているが、会っていない。
きっとあいつ自身も悩んでいるようだが、いったい何をやってるんだか。
バンチアでトナシェには会ったか?」
「元気にやってるよ。
ただあいつはあいつなりに、何をしたらいいのかわからず悩んでるみたいだった。
あいつも連れて来た方がよかったかい?」
「いや、今は親元に預けておいた方がいいだろう。
彼女自身は無事だが、長旅でいろんなことがあったんだ。今はそっとしておいた方がいい」
ここでチチガムの長女ソロアが口を開く。
「他のみなさんは、どうしてるんですか?」
「ロヒインは、いまも魔王のところに身を寄せてるよ。
あいつにはとにかくやることが多い。
コシンジュのことが心配だろうが、いまはどうしようもないさ。
仕事の忙しさが、あいつのつらさを忘れさせてくれるといいけどね」
ネヴァダに続き、チチガムが続いた。
「狩人のムッツェリは、いまもイサーシュと一緒にいると聞いた。
今のところ離れるつもりはないらしいから心配はいらない。
元王女さまのヴィーシャは、こちらは完全に消息不明だ。
ただ時おりベロンにいる、昔ここの評議員だったノイベッドという人のところを時々たずねているらしい。
それ以外はなにをしているのかはさっぱりだ」
「そうなんだ。
メウノさんはずっと修道院にこもりっきりだそうです。
そこにいる僧侶のみなさんがどんどん去っていくのに。
みんな、バラバラなんだね……」
ソロアがさみしげに上を見上げると、チチガムは笑顔を向けた。
「そうでもないさ。
こうやって、ネヴァダがうちの村にやってきてくれたんだ。父さんはそれでもうれしいよ」
ソロアが「そうだね」と言って喜ぶと、チチガムはネヴァダのほうを向いた。
「ネヴァダ、この村にはどのくらい滞在するつもりなんだ?」
「その話なんだけど、しばらく世話にさせてもらっていいかい?
少なくとも、コシンジュが立ち直るまでは」
申し訳なさげな表情のネヴァダに対し、チチガムは笑顔で首を振った。
「とんでもない。うちはむしろ大歓迎だ。
裏に離れがあって、すでにきれいにしといたから好きに使ってくれ。
クリサとブレベリもそうだろ?」
クリサが「ありがとうございます」と言い、ブレベリも「うん!」とうなずいた。
「わたし、ソロアちゃんとお友達になりたい!
出来ればずっとここに住んで、わたしも魔法、教えてもらいたいな!」
「よろしくねブレベリちゃん。
でもシウロ先生はキビしい人だから、めったに魔法は教えてもらえないと思うけどね」
するとブレベリが「え~? そこをなんとか~」と言ってしがみつくと、ソロアは「いやいや~」と言ってうれしそうに断る。
同じ年ごろの2人は勝手にじゃれ始めた。
それを見てほおがゆるむネヴァダに、チチガムが話しかけた。
「そうだ、お前もうちの道場を見ていくといい。
南大陸で腕を鳴らした格闘家となれば、弟子たちにとってもいい刺激になるだろう」
「ぜひそうさせてもらうよ。
でも言っとくけど、あたしあんまり手加減はできないよ?」
「腕のいい弟子にポルトとアランって奴らがいる。
少なくとも一方的な練習台にはならないはずだ」
それから勝手に盛り上がり始めた2人を見て、リカッチャの顔にも笑顔が浮かぶ。
しかしすぐに1つだけ開けられたテーブルを見て、悲しげな目つきになる。
ここにコシンジュさえいれば、何のうれいもなくなるのに……
それを悟られたのか、クリサが話しかけてきた。
「大丈夫ですよおばさま。
きっと元に戻ります。アタシたちがついてるんですから」
「そうね、きっとそうよね……」
リカッチャはうなずくが、その日が訪れる保証は、今は何もなかった。
翌朝、勇者の家の近くにある民家の軒先で、小気味よく何かが断ち割られる音がひびき渡っている。
まだ若干朝靄が立ち込める中、1人の少年が小ぶりの斧を手に、切り株にのせた薪を縦に置いてそれに向かって思い切り斧を振り落とす。
みずぼらしい恰好をしていながら、腕に覚えがあるのか薪は中心で見事真っ二つに割れる。
ただ、遠巻きに同じ民家の住民が悲しげな表情で彼を見て、そして小さく首を振って奥へと消えた。
「もしもし? コシンジュ君かな? 今日も朝早くから元気だね~」
そんな彼の前に、これまたみずぼらしいローブを身にまとった老人が現れた。
コシンジュと呼ばれた少年は薪割りを中止すると、いまいましい目つきで相手を見た。
「何度言ったらわかんだ。
オラはコシンジュなんつう名前じゃね。オラの名は……」
彼の言葉は途中で止められた。
老人がおもむろに手をかかげ、彼の目の前で止めたからである。
その手がわずかに光を帯び始めた。
「な、なにするだ……オラはただ……」
ぼう然とする彼の目の前が、柔らかな光に包まれる。
一瞬よろめいた少年を見て、老人は手を下ろした。
意識をはっきりさせようとして、少年は首を激しく振った。
目をシバシバさせると、次第に周囲を見回し始める。
「……あれ? ここは? オレは、いったい……」
「元に戻ったようだな。
どうだね? 久しぶりに目を覚ました気分は?」
少年、いやコシンジュの目が、はっきりと相手のほうを見る。
そして大きく開かれた。
「……あんたはっっっ!」
「どうも、君を勇者に選んだ、神々の末っ子、ヴィクトルです」
朝連を終えチチガムが帰宅すると、リカッチャがものすごく気まずい表情で近づいてきた。
「あなた……」
チチガムがテーブルを見ると、そこにはこちらにまっすぐ目を向けるコシンジュの姿と、となりに見たことのある老人の姿があった。
いったい何が起こったのかわからず視線を交互させていると、コシンジュのほうが口を開いた。
「親父、オレ、元に戻ったみたいだ」
それを聞いてチチガムははっとした。
老人のほうを見て、はっきりと「あんたはっっっ!」とどなりあげた。
「私に歴史を変える力はないが、おかしくなった人間を元に戻すのは朝飯前だよ」
そう言って真顔でピースサインを出した。
チチガムは相手に詰め寄り胸倉をつかんで無理やり立たせると、渾身の力を込めて殴りつけた。
コシンジュが思わず席を立った。
「オヤジッッ! その人、いや人じゃなくて、神様っっっ!」
チチガムはコシンジュにではなく、床に倒れる老人に向かっていった。
「……このたびは息子がずいぶんお世話になりました。
おかげでずいぶん楽しい日々を過ごさせていただきましたよ」
老人はヨロヨロと立ち上がろうとする。
リカッチャが手を差し伸べたが、相手は首を振って断った。
それを見てチチガムが押し迫ろうとする。
「……なぜですっっ!? なぜ俺やイサーシュではなく、コシンジュなんですっっ!?
なんで心やさしいうちの息子が勇者じゃなければならなかったんだっっっ!」
チチガムのどなり声を聞いたリカッチャが、感極まって泣き始めた。
こらえきれなくなったのかその場から立ち去ってしまう。
その姿を見て、ヴィクトルはぼそりと声を発する。
「イサーシュならば、使命の重みに耐えきれずつぶれてしまうだろう……」
「だったら俺はどうなんだっ! 俺なら、最後までつぶされずにすんだぞっっ!?」
胸に手を当てて力説するチチガム。
しかしヴィクトルは首を振った。
「たとえばの話だが。
君なら容赦なく最悪の選択をしただろう。
たとえ南の大陸で悪名を刻むことになっても、カンチャッカにポータルを開き、ゾドラに地獄をもたらしたかもしれん」
「なぜそんなことが言えるんです?」
殺気すらこもった視線を、人の姿をした神はまっすぐに見つめた。
「君が家族を愛しているからだ。
君の家族に災いをもたらそうとする存在は、徹底的に排除するに限る。
それが親というものだ」
「今の家族はよくても、あとに続く子孫には大きな災難がおそいかかるでしょう」
「心にもないことを。
想像もつかない未来のことなど、普通の人間は考えもせんよ」
チチガムは沈黙した。
ヴィクトルは続ける。
「勇者となる者には、心の純粋さが必要だ。
何者の犠牲も許さず、守りうるものすべてを救いだそうとする。
そんな心の広さがなければ勇者という重い役目は務められんよ。
私には君がその器足り得るとは思えない。
君が息子を持つ前だったらわからんがな」
「それで、それで息子はその器足り得たとっっ!?
その結果がなんだっっっ!」
チチガムは相手に詰め寄り、胸に向かって人差し指を押し当てた。
「その結果があれだっっ!
コシンジュは選んだ道に耐えきれず、つぶされたっっっ!
あれも息子にとっては必要だったとでも言いたいのかっっっ!」
部屋の奥で、すすり泣きが聞こえる。
はっきりとリカッチャのものだとわかる声だ。
部屋に沈黙がただよい、コシンジュは力なく椅子に崩れ落ちた。
「神さま。オレを正気に戻してくれたこと、感謝します……」
チチガムとヴィクトルが、無言で彼のほうを向いた。
「オレ、正気を失ってる間、ずっとみんなに迷惑かけてたんですね。
これ以上そうならなくてすんで、ホッとしてはいます」
しかし、その目は以前死んだままだ。
「だけど、その一方ですごくガッカリしてもいるんです。
正気になったことで、オレは逃げられなくなった。あの出来事から……」
すると、コシンジュはか細い声で笑いはじめた。
「ハハハハ……
今思うと、自分でもずいぶんバカなことしたなって思いますよ。
普通の人間はあんなことはしない。
まともな人間だったら、ルキフールのジジイが示した選択肢のどっちかを選ぶ。
オレは結局、まともな人間じゃなかったんですよ。
頭がおかしい人間だったんですよ」
「コシンジュ、そんなことは……」
チチガムの話をさえぎるようにして、ヴィクトルが告げる。
「非凡、と言うことだ。
君は他の人間にはできない、特別な選択ができるということでもある」
その瞬間、コシンジュがキッと神をにらみつけた。
「そうやって自分の身を犠牲にしろとっっ!?
ファルシスの野郎が言う通り、自分の心をどす黒く塗りつぶしてまでも、この世界を救えだってっっっ!?」
コシンジュは、もう一度立ち上がった。
そして人差し指をまっすぐつき立てる。
「ふざけんなっっっ! オレは歴史に残る大恥をかいたんだぞっっっ!?
あんたが神様ってんならっ、そうなる前になんとかできなかったのかよっっ!?」
その時、扉が突然開かれ、ネヴァダとクリサが現れた。
「コシンジュが戻って来たって聞いたっっっ!
どこにいる……んだ……い……」
ネヴァダとクリサ、そしてコシンジュがお互い目を合わせ、一気に気まずい表情になる。
どうしたらいいのかわからず困り果てたコシンジュは、力なく椅子に腰を落ち着けた。
「……ああ、クリサ。元気になったんだ……よかった……」
「あ、うん。コシンジュこそ、元に戻ってよかった……」
初々しい恋人同士の再会のようでもあったが、コシンジュはゆっくりと背を向けた。
「あんまり、見ないでくれ。
オレ、正直お前にあわせる顔が、ない……」
「そんなことない!
コシンジュは何も悪いことなんてしてないよ! ただ、ただ……」
「だけどオレがしたことで、ゾドラだけじゃなく、この大陸の人々も大勢犠牲を出してしまった。
今思えば誰かが犠牲になるしかない事態だったけど、オレは、オレは……」
そしてコシンジュは思い切り顔をそらした。
「この大陸のみんなを、裏切った。
たとえどんな理由があったとしても、オレは、みんなを裏切ったんだ……」
それを聞いたクリサは顔をゆがめ、必死に首を振る。
「そうじゃない。今は理解できなくても、いつかきっと……」
「いつか!? いつかってどれくらいだよ!
そんな日がホントにくんのかよ!?
オレはこのままずっと、北の裏切り者としてずっと歴史に名前を刻まれ続け……」
「……やめてっっっ! もうやめてコシンジュッッッッ!」
クリサではなかった。
ずっと台所にいた母リカッチャが、たまりかねて飛び出してきたのだ。
彼女はすぐに息子の元におもむき、背中を向ける息子に思い切りしがみついた。
「お、お袋……」と口ごもりながらも、コシンジュはされるがままになっていた。
「もういい、言わなくていいの。
何があっても、あなたはあたしのかわいい息子。息子なのよ……」
そしてこの場に沈黙がただよう。
しばらくして、ようやく誰かが口を開いた。
「私は、コシンジュ君に重い荷を背負わせた。それは確かだ。
そのことに関しては、私には十分に悪意があったと言わざるを得ない」
母子以外の視線が、ヴィクトルに集まる。
そこで彼はなぜか首を振る。
「ただ1つ。
私はコシンジュ君に、究極とも言えるあのようなひどい選択肢を与えるようなマネをするつもりはなかった。
信じてほしい。あれは全く予想外の事態だった」
「神さまのあなたでも、見抜けないことってあるんですか……」
どこか責め立てるようなチチガムの口調にもかまわず、神はうなずく。
「わかっているだろう。
あの事態はある者によって意図的に仕組まれたものだ。
その陰謀を企てた者の名は……」
「『ヴェルゼック』……」
コシンジュが、母に抱かれたままいまいましげな口調でつぶやいた。
ネヴァダがうなずく。
「浜辺に最後に現れた、あのおかしな言動の魔物だね?
たしかマノータスをパンカレで大暴れさせて、ゾドラ軍をこっちへ攻め入れさせるきっかけを作ったのは、奴の差し金だって聞いてる」
当時のことを思い出したのだろう、「マノータス」の名前を聞いてクリサがびくりとした。
それに気遣って彼女の肩に手をおいたネヴァダの指摘に、ヴィクトルは何度もうなずいた。
「その通りだ。
奴さえいなければ、コシンジュ君はここまで苦しむことにはならなかっただろう。
ゾドラの北侵攻も、ずっとずっとあとになっていたはずだ。
その時には、コシンジュ君はもっと強くなり、もっと割りきりのいい年齢になっていたはずだ。
あの魔王ファルシス君にも勝てたかもしれん」
「奴の動きが、あなたでも読めなかったと?」
「魔界一賢いと言われる、ルキフール君でも見抜けなかったくらいだ。
人間界を隔てた天界にすむ私には、奴を知ることはさらに困難だよ」
コシンジュの後頭部が、すこしだけこちらを向いた。
「それで? オレに奴を止めろと?」
ヴィクトルは少し押し黙り、ためらうように先を続けた。
「あの男は今ファルシス君とともにいる。
ファルシス君は戦いを少しでも有利に進めるため仕方なくあの男を飼っているようだけど、あれほど狂人じみたふるまいをするような男が、今さらまともに尻尾を振り続けるわけがない。
きっと我が兄者の正体を明かすためではなく、他に何らかの目的があるはずだ。
そう私は見ている」
「それでわたしの息子に、その魔物をなんとかしろ、とでも言うんですか?」
リカッチャの口調はかなりとげとげしかった。
はたから聞いている者さえ責められているような感覚を思わせるほどだ。
「そんな頭のおかしい魔物と、うちの息子を戦わせるんですかっっ!?」
コシンジュ本人も、首を振る。
「誰が相手かなんてどうでもいい。
正直、自分たちで何とかしてください。オレはイヤだ。
もし誰かにこのことをきりだされたら、とてもじゃないけど耐えられる気がしない」
「息子もこう言ってます。
あなたがたとえどれだけ偉くても、その頼みだけは聞けません。
おとなしく天界に帰ってください」
チチガムが近寄り、静かな怒りをみなぎらせてつぶやく。
ヴィクトルは首を振った。
「誰も強制するとは言っとらんよ。
ただ、1つ話をしておきたいことがある」
「一体それはなんですか?」
チチガムが詰め寄ると、ヴィクトルはまたしても首を振った。
「ここにいるみんなにじゃない。ただ1人にだ」
そしてそっと歩き出した。
ある人物の前で止まり、その顔をまじまじと見つめる。
「リカッチャさん。あなたに話がある。
悪いが、他の人たちには聞いてほしくない」
「なんで、わたしなんですか?」
とまどう表情を見せるリカッチャに、ヴィクトルは難しい顔つきになった。
「この中で一番、説得するのが困難だからだよ」




