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I have a legendaly weapon~アイハブ・ア・レジェンダリィ・ウェポン~  作者: 駿名 陀九摩
第7章 勇者、魔界のジャングルを進む
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第42話 帰郷~その5~

 すべてが終わったあと、ヴェルゼックはファルシスのほうを向き、ひらりと両手を広げた。


「これでお分かりになりましたでしょう?

 天界の支配者どもは人間の尊敬を集める資格のない、単なる独裁者にすぎません。

 我々が決して手出しをしてはならぬ、神聖なる存在なわけがないのでございます」


 周囲が憎悪(ぞうお)に近い目を向けるも、闇の貴族はそれをまったく意に介さない。

 それを見たファルシスは動揺のまなざしで接しつつも、口調は穏やかに問いかける。


「ヴェルゼック、1つたずねよう」「なんなりと」

「……貴様には、ここまでの事態におちいること、すべてお見通しだったとでも言うのか?」

「殿下っ! 耳をかたむけてはなりませんっ!

 こやつの言うことは、押し並べて世迷い事でございますっ!

 その戯言(ざれごと)にだまされることなきよう!」


 老魔族があせった表情で呼びかけるが、ファルシスは片手をあげた。


「だまれ。

 お前はその世迷い事ばかり口にすると申す相手に、してやられてしまったではないか」


 言われ、ルキフールは「うぅ……」と口ごもったままになってしまった。

 そのさなか、突然ヴェルゼックがその場にひざまずいた。

 ファルシスが横目で彼を見る。


「数々のご無礼、そして横暴な振る舞い、大変申し訳ございません。

 わたくしが考えるような神々どもの正体を暴くためには、このような手段をとるよりほかはありませんでした。

 それでももし、わたくしの行いにご納得いかないのであれば……」


 そしておのれのうなじに片手をつき立て、こう言った。


「今すぐ、この首をおはねください」


 周囲が、冷静にその様子を観察する。

 するとファルシスは己の胸に手を当て、そこから何かを引き抜いた。

 見る見るうちにファルシスの全身をおおっていた無数のトゲがちぢみあがり、やがて獣の肉体から、人に似た姿へと戻っていく。


 やがて常時の姿に戻ったファルシスは、その手に前大帝クリードグレンより授かった黄金の柄を持つ剣を手にしていた。

 ファルシスがその剣をおもむろに上にあげると、少しだけヴェルゼックが眉をひそめた。

 が、ファルシスは剣を腰にさげた(さや)の中へと収めた。


「殿下、なにをやってるんです?

 はやくそいつの首をはねてしまってください」


 声をあげる者がいた。

 ベアールが前に進み出て、訴えかけるように両手をおもむろに広げた。


「殿下!? わかってるんですか!

 こいつのせいで、こいつのせいでこんなことにまでなっちまったんですよ!?

 神々を怒らせちまった以上、この世界が無事で済むとは思えないっっ!」


 必死にヴェルゼックを指差すが、主人は静かに首を振った。


「我々は地上のすべてを手中に収めようとした。

 どう転んでも奴らとの戦いは避けられん」

「だからってなにもあそこまでムチャクチャなことをする必要はなかったじゃないでしょうがっ!

 それもこれも、全部コイツのせいだっっ!」


 するとベアールが勝手に自分の剣を引き抜き、ヴェルゼックに向かって大きく上に振りかぶった。


「お前がまともな考えの持ち主なわけがないっ!

 まともな神経なら、相手をあそこまで怒らせるようなマネなんかしないっっっ!」

「もうやめよベアールッッ!」


 腕をつかまれ、振り返った赤騎士はスターロッドが小さく首を振っているのを見る。


「なんでだっ!? なんで止めるっっ!?

 バアさんだってここまでの事態におちいったことをよく思ってねえんだろっっ!?」

「当然じゃ……当然じゃが、もう遅いっ!」


 うつむく彼女が顔をあげ、悲痛な顔を浮かべると、ベアールがあげた両手から力が抜けた。


「わらわとてくやしい。じゃが、すでに手遅れじゃ。

 いずれ大きな災いが、地上に降り注ぐであろう。

 それを食い止めるには、もはや時間をかけている余裕などない。

 一刻も早く対策を講じねば!」


 ベアールは思い切り剣を振り下ろすが、それは空を切った。

 ベアールがおぼつかない足取りで後ろへと引きさがる。


「ちきしょうっっ! ちきしょぉぉぉぉぉぉっっっっ!」


 それを見たヴェルゼックがほくそ笑み、ゆっくりと立ち上がろうとした、その時だった。


「……ヴェルゼック……おまえが、ヴェルゼック……」


 黒い貴族がチラリと横を見ると、すぐに皮肉な笑みをもらした。

 その目に、本当ならいないはずの人物の姿が飛び込んだからだ。


「おやおやこれはこれは、勇者君。

 あんだけ殿下に(こわ)されて、まだ怒りに打ちふるえる気力が残っていたのかい?」


 周囲が見れば、ボロボロにやつれているコシンジュの姿が飛び込んだ。

 それを見て何人かが低いうめき声をもらす。

 その奥に目を移すと、どうやら彼を取り逃がしたらしい仲間たちがあわててかけつけてくる。


「どうやら相当根に持ってるらしいな。

 だが俺は俺の信念に従ってやってきたまでのこと。

 なに1つ間違ったことはしちゃいないぜ?」

「……ふうぅぅぅぅぅぅざけんなあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!」


 コシンジュがありったけの声を振り絞り、すさまじい形相でかけ込んでくる。

 魔族たちがおどろくほどの全速力でやってくるも、ヴェルゼックはあっさりと相手の頭をひっつかみ、その動きを止めた。


「くそぉぉぉっっ!

 お前のせいで、どれだけの命が失われたと思ってんだぁぁぁぁっっ!」


 コシンジュは必死に相手の腕を殴りつけるが、当然のごとくヴェルゼックは涼しい顔をしたままだ。


「それにクリサはっっ! お前のせいでクリサはっっっ!」

「クリサ? ああ、お前が一時期付き合っていた女か。

 情けないな、お前にはロヒインという立派な恋人がいながら、昔の女をいまだに引きずってんのか」

「うるせぇぇぇぇぇっっ!

 彼女を元に戻せぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっ!」


 するとヴェルゼックは突然頭から手を離す。

 一瞬自由になるコシンジュだったが、次の瞬間には胸倉を思いきりつかまれていた。

 そして目の前まで引き寄せる。

 それをいいことに殴りかかろうとするコシンジュだったが、急に固まった。


 ヴェルゼックが、狂気をはらんでコシンジュをにらみつけたからだ。


「じゃあ自分はなんなんだ!?

 自分はここで、いったい何をしたというのだっ!?

 言っとくが俺はなにも指図しちゃいないぞっ!

 選んだのはお前自身の意思じゃないかっ!」


 コシンジュの目が泳いだが、次の瞬間我を忘れたかのように、「このおぉぉぉっっ!」と叫んで爪を突き立てた手で相手の顔をつかんだ。

 ヴェルゼックは最初抵抗しなかったが、突然別のことを叫びあげた。


「ギンガメッシュッ! ブンババッ! ガルグールッ!」


 最初何を叫んだかわかっていない様子のコシンジュだったが、やがてその表情におびえの色が浮かんだ。


「レイスルッ! プリガンッ! ヒポカンポスッ! ワーキューレズッ! ブラッドラキュラーッ! スキーラッ! グールルッ! サーベロスッ! ネッサスッ! そしてマノータスッッッ!」


 「ワーキューレズ」の声がかかったところで、コシンジュの身体がふるえだした。

 ヴェルゼックが激しく胸倉をゆさぶり、ふるえるコシンジュに訴えかける。


「名前をあげただけでも相当なものだっ!

 それに数多くの小魔族の命をあげたらきりがないぞっ!

 それだけじゃない! お前にかかわったことで、仲間たちも数多くの魔物の命を奪った!

 お前が勇者になったことで、数多くの命が奪われたのだぞっ!?」

「オレは……オレは、ただ……」

「神の命令だからっ!? 奴らが人間を暴力で支配しようとしてるからっ!?

 魔物の数が減ることで魔界に秩序がもたらされるからっ!?

 ハンッ! 全部言い訳だっ!

 全部全部言い訳だっっっ!」


 そしてヴェルゼックはコシンジュの耳元に向かってささやいた。


「耳をすませ。目を閉じろ。

 さあ、聞こえてこないか? 見えないのか?

 奴らがお前を、呼んでるぞ……」


 やがて、コシンジュの顔に絶望感がみなぎった。

 どうやら、思い出してしまったらしい。


 今まで、自分がやってきたすべてのことを。

 自分の手によって命を落とした、数々の魔物たちの姿を。

 その断末魔の叫びを。


 コシンジュは帽子をなくした髪を、両手でくしゃくしゃにかきむしった。


「……あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっっっっっっっ!」


 その叫びは、彼らがいる浜辺全体に(ひび)き渡った。

 そのあまりに悲痛な叫びに、聞いた者はすべて胸を押しつぶされそうになった。


 やがてコシンジュの身体から、力が抜ける。

 ヴェルゼックがぱっと手を離すと、彼の両ヒザが砂を舞いあげて崩れ落ち、コシンジュはがっくりとうなだれた。


「……ヴェルゼェェェェェェェェェェェェェェェェェェェクッッッッッッ!」


 突然何者かがかけ込んできた。

 ヴェルゼックがそちらに向き直ると、両手を素早く合わせて繰り出された赤い剣を受け止める。

 その眼前に、必死の形相でにらみつけるロヒインの姿が飛び込んだ。


「コシンジュをっっ! コシンジュを返せぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっ!」


 対するヴェルゼックは、目を見開いてゆがんだ笑みをこぼした。


「クククク、そういう君は、元のロヒインのままだと言えるのかねっっ!?

 内なる狂気に君自身も(つい)やされたからこそ、人であることも生まれついた性さえも捨て去ることができたんじゃないかねっっ!?」

「なにぃぃぃぃぃっっ!?」

「……自分だけがまともな神経をしてると思うなよっっ!?

 魔物に魂を売った人間に、俺のことをとやかくいう権利があるのかなっっっ!?」


 ロヒインの顔に、動揺(どうよう)の色が浮かぶ。

 それでもうめき声のようなものあげて必死に剣を前に押し出そうとする彼女を、ヴェルゼックは渾身の力ではねのけ、砂浜に押し倒した。

 崩れ落ちた彼女の身体を、一瞥(いちべつ)するヴェルゼック。

 その目がコシンジュに引き戻された。


「ククククク、いい具合に仕上がったな。

 さすが、純真であればあるだけ、壊れ具合も尋常(じんじょう)じゃない、というものだ」


 その顔に、歪ゆがんだ笑みが見て取れる。

 あきらかに状況を楽しんでいるとしか思えない。

 ロヒインは顔に怒気をみなぎらせすぐに立ち上がろうとするが、その肩に手が()せられた。

 顔を向けると、またしてもスターロッドの姿が。


「お主もムキになるなっ!

 お主が必死に奴と戦ったところで、コシンジュは元には戻らぬぞっ!

 第一お主が奴とやり合えば、そこにいるコシンジュが巻き込まれるっ!」


 言われ、ロヒインはキッと相手をにらみつけた。

 しかしそれを見て、スターロッドは悲しげな表情になった。


「お主をこちら側に引き込んだのは、間違いだったかもしれん。

 すまぬ……」


 ロヒインの身体から、ようやく力が抜けた。

 しかしスターロッドはすぐに表情を変えた。


「しかし、いまはお主の力が必要なのだ。

 ここはコシンジュを仲間たちに任せ、お主はわらわたちについて来い。

 たのむ……!」


 真摯(しんし)な呼びかけに、ロヒインは困り果てた表情になった。

 そしておもむろにコシンジュのほうへと顔を向ける。


 そこから見える彼の横顔に、力はなかった。

 がっくりとうなだれる人形のような表情に、目は完全に光を失ってうつろなままだ。


 やがてヴェルゼックがひょうひょうとした態度で引き下がると、彼がいたためにちゅうちょしていた仲間たちが現れ、コシンジュを取り囲んだ。

 メウノが彼の身体を抱きかかえたまま言う。


「彼は私たちに任せて。

 あなたはとりあえず、この世界を救って」


 他のみんなの視線はコシンジュとロヒインを行ったり来たりしている。

 チチガムを見れば、正気を失ったままの息子から、目を離せないでいる。


「……そんな。

 わたし、わたし耐えられない……

 コシンジュがいない、世界なんて……」

「なにを言っておる?

 あり得たはずではないか。今さらグダグダと御託(ごたく)を抜かすなっ!」


 途中で声を荒げたスターロッドが、むりやり彼女の身体を立たせた。

 ロヒインはそのままズリズリと引きずられていく。


「コシンジュ……コシンジュ……」


 ロヒインが連れだされた先には、ファルシスがすでに剣で別の場所に通じるゲートを開いていた。

 その中へ、彼の配下たちが次々と中に入り込んでいく。


 やがてその場にいる魔族は、ベアール、ファブニーズ、そしてルキフールを残したわずか数名となっていた。

 一番離れた場所から、ヴェルゼックがゆっくりと歩み寄る。


 そこで、彼はいっせいに視線を向けられた。


 ファルシス以外の全員に、憎悪のまなざしを浴びる。


 対するヴェルゼックは平然としたまま両手を広げる。


「……おやおや。今さら何ですか?

 言っておきますが、俺は戦力として使えますよ?

 それとも、多少不利になった状態でも天界の連中とやりあえると思ってるんで?」


 ベアールが進み出ようとしたが、それをファルシスがおさえた。


「やめろ。今は少しでも、戦える力がほしい」「でもしかし……!」


 ファルシスははっきりと首を振り、強い口調で告げた。


「言うなっ! 余の命令だ!

 今は奴に手を出すなっっ! それでもというならすべてが終わったあとにしろっっ!」


 言われ、ベアールはがっくりとうなだれ、力ない足取りでゲートへと向かった。


「ちきしょう、こんなの、こんなの絶対に間違ってる……」


 ベアールがゲートへと消えたあと、ファブニーズは苦虫をかみつぶした顔で「フンッッ!」と鼻を鳴らし、そのあとを追った。

 ルキフールがそれに続きかけて、ふとクルリとうしろを向いた。


「この私が目を光らせておる限り、お前の好きにはさせん。

 今度こそだまされはせんぞ!」


 相手の表情をうかがう間もなく、ルキフールもまた姿を消した。


「我々も行くぞ。

 今はどうしようもない。我々には我々の、やるべきことがあるのだ」


 スターロッドに言われ、ロヒインは名残惜()しげにコシンジュのほうを見つめる。

 すると、スターロッドがつかんでいる肩に、強い力が入った。


「もうやめよロヒイン。

 いくらその肩に重荷を背負っているからと言って、それに完全に押しつぶされてしまっているのは、奴が弱いからじゃ。

 戦士として生きる道を選んだからには、それに耐えねばならぬ。

 結局、あやつにはその資格はなかった、それだけのこと!」


 それでもコシンジュを見るロヒインを、スターロッドは無理やりさえぎる。

 打ちひしがれた表情のロヒインが、やがてクルリとうしろを向き、ゆっくりとゲートの中へと消えていく。

 それを見送ったあと、スターロッドはコシンジュを向いた。


「あのような、あのような男に、ロヒインが()れたとはな……!」


 心なしか、スターロッドの目に光のつぶが浮かんでいた。

 それを振り切るかのように、スターロッドは急いだ様子でゲートの中に飛び込む。


 残されたのは、ゲートの主であるファルシスと、ヴェルゼックのみだ。

 黒い魔族は主に会釈し、続いてコシンジュ一行に向かってていねいにお辞儀(じぎ)したあと、ゆったりとした足取りでゲートの中に消えた。


 最後にファルシスはゲートの前に立つと、クルリと人間たちのほうを向いた。

 彼の表情には、それでも確信に満ちた力強さがみなぎっていた。


「コシンジュッッ! 余はまだあきらめてはおらんっっ!

 いつか必ず立ち上がり、必ず余のもとに現れて来いっっ!

 今度は神の命によらず、己自身の意思でなっっ!」


 そして最後に「待っているぞっっっ!」と告げると、ゲートの中に入り込んだ。

 やがて一瞬でゲートが消えた。





 丘の上からその様子を一望していた君主たちは伝令から仔細(しさい)を聞き、どれも複雑な表情になった。

 やがてマグナクタ王がふたたび騎乗した馬を動かし、その場から立ち去ろうとした。


「どこへ参られるのだ、マグナクタ王」


 問いかけるペルドル王も、問われた本人も振り返らない。


「我々が積み重ねた、すべてが終わる。

 ここからは人の力が到底及ばない、光と闇の闘争が始まる。

 皆さまも覚悟を決めたほうがよろしいですぞ」


 誰もその場を動かず、1人マグナクタ王はその場から姿を消した。

 残された者たちはただぼう然と砂浜を見下ろしている。


「終わった。何もかも、すべて終わった、か……」


 ただ1人、ペルドル王だけが、か細い声でつぶやいた。





 戦いが終わったあと、勇者一行は戦乱の後片付けをする兵士たちをしり目に、大海岸をあとにした。

 ネヴァダとはその場で別れた。

 軍の指揮のために来ていたマージからの誘いで引きあげつつあるゾドラ海軍に一緒に乗り込み、いったん国に帰るということだった。

 来たるべき時には必ず再会すると約束し、ネヴァダは愛する娘の待つ故郷へと帰って行った。


 トナシェとも、一刻も立たないうちに別れを告げることになった。

 戦場には彼女の実父であるバンチア総督のフェルナンがいたからだ。

 しかし再会を喜んでいる余裕はなかった。

 親子はがっちりと抱き合ったあと、同じ馬に乗って軍とともに去った。

 親子2人の後ろ姿は、見る者のさみしさをこみ上げさせた。

 ただ1人コシンジュだけが、目も向けずにぼう然自失としていた。


 残った6人で、北部にある山に向かうことになった。

 今度は登山道ではなく、安全なう回路を渡る。

 途中で馬車を借り、それにコシンジュを乗せてゆったりとした足取りで山道を進む。


 翌日、ヴィーシャの姿が消えた。

「もうコシンジュの姿は見ていられない」という書き置きを残して。

 残った仲間たちは誰もが深いため息をついた。


 山脈を抜けると、ムッツェリは故郷に帰らずまだついていくと仲間に告げた。

 今度はどこまでもみんなについていくのだという。


 しかしベロンを抜け、大森林を抜けると、イサーシュが意外な言葉をもらした。


「俺はミンスターに向かう。ムッツェリ、お前も来い」


 最初彼女はとまどっているようだったが、やがてうなずき、馬車を降りた。

 街には立ち寄らず、白い外壁が一望できる田園で別れを告げた。


 メウノとは、最後の道筋で別れた。

 出来れば最後まで一緒にいてほしいとのチチガムの誘いを断り、彼女はたった1人で修道院へと戻っていった。


 仲間は1人1人、コシンジュのもとを離れていった。

 ただ1人残されたのは、父親であるチチガムのみ。

 彼が悲しげな表情で息子を見ると、そのうつろな瞳には何も映っていないようだった。





 雨が降りしきる中、コシンジュは故郷の村へと戻った。

 馬車から降ろされても、なつかしい光景に目を向けることはなかった。


 やがて我が家へと戻ると、玄関扉の先に母親と妹や弟の姿があった。

 誰もが悲痛な表情で、変わり果てたコシンジュの様子を見つめる。


 ずぶぬれの母親の前に立った時、その顔が少しだけ上を向き、ぼう然と相手を見た。


「かあ……さん……」


 そして倒れ込む。

 その身体をがっちりと受け止め、母親は泣きくずれた。


「コシンジュッッ、コシンジュぅぅぅぅぅぅ……!」

「風邪を、ひくぞ……はやく中に入ろう……」


 力ないチチガムに背中を押され、彼の家族たちは重い足取りで家の中に入った。


 扉が閉められると、雨が大地をたたきつける音だけが、ひたすら鳴り響くだけだった。

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