第40話 大陸間戦争~その4~
その頃パンデリア城では、イサーシュが1人薄暗い廊下を歩いていた。
闇の廊下は先が見えず、天井ははるか上まで続いておりこちらもよく見えない。
若き剣士は上を向いて複雑な表情になった。
「まったく、何日たってもこの廊下は慣れんな……」
百戦錬磨の剣士として数々の魔物を打ち倒してきた彼でさえ、不気味な雰囲気を放つ魔王城の様相に慣れることはできなかった。
にもかかわらず彼がたった1人で歩いているのは、ある人物から言づてがあったからだ。
イサーシュはそれを探して左右を見回す。
「まったくムッツェリのやつ用があるって言うから来てやったのに、どこにいやがるんだ?」
結局、とある一角の広場にたどり着いてしまった。
見まわしても、暗がりの中に誰かがいる気配はない。
「まったく。あいつが忘れてんのか?
自分で呼び出しておいて。まあいい……」
引き返そうとしたその時、突然前方で爆発が起こった。
「のわぁっっ!」と言って飛びのきながらも目をこらすと、広間の中央から、色とりどりの火花が舞い散る。
イサーシュはぼう然とそれをながめる。
「ギャハハハハハハッ! イサーシュのやつ、ビビってやがんのっ!」
聞き覚えのある声につられ、いくつもの笑い声が聞こえる。
7色の光に包まれて、見慣れた面々が暗がりから現れた。
イサーシュはその中で最も親密な女性に話しかける。
「ムッツェリ、これはいったいどういうつもりだ?」
問いかけると、相手はむしろ不機嫌な顔になった。
「お前、そんなことも忘れたのか?
今日がいったい何なのか、いくらなんでもわかるだろ」
眉をひそめがらも光に照らされた美しい顔立ちを見て、ハッとする。
「……俺の誕生日か!? まさか、こんな時に……」
ムッツェリの後ろからメウノの姿が現れる。
「こんなときに、でしょ?
どうせ地上に戻るには時間があるのだから、みんなで相談して。
イサーシュにバレないようにするには結構苦労したんですよ?」
火花が終わると、いつの間にか用意されていた無数のロウソクとともにケーキのようなものが用意される。
運ぶのはコシンジュ。イサーシュはぼう然とそれをながめる。
「イサーシュ、こないだはオレが独り占めしちまったから。
今日はお前で全部食べちゃっていいぜ?」
「おめでとうイサーシュ。お前ももう16歳か。
修業を始めて早7年。
めきめきと上達して、コシンジュ、いや勇者の仲間として数々の苦難を退けてきた」
そう呼びかけるチチガムに目を向けると、心なしか相手は涙ぐんでいるように見える。
「成長したな、イサーシュ。先生はうれしいぞ」
横からコシンジュが「泣くなよオヤジ」と肩をポンポン叩く。
「もちろんだ。もちろんお前も立派な勇者になったっ! うおぉ~~~~~っっ!」
それで一気に涙腺が緩んだのか、チチガムは大泣きしはじめる。
それを「やれやれ」と言いながら首をすくめるムッツェリ。
しかしイサーシュはそうもいかなかった。
ロウソクの光に照らされるコシンジュの横顔が、なんだかさみしそうに見えたからだ。
イサーシュは歩み寄り、その方に手をかける。
「落ち込むなコシンジュ。お前の勇者としての役目は終わったわけじゃない。
今だって立派にやってるじゃないか。お前は今でもちゃんとした勇者だ」
コシンジュは「そうだな」と言いながらも、少し切なげな笑みを浮かべた。
「ほらほら!
男同士で友情を確かめあってないで、ケーキの火を消せ!」
上機嫌のムッツェリに背中を押され、イサーシュはケーキの前に立つ。
白いクリームの上にはしっかり16本のロウソクが並んでいた。
「ムッツェリ、ちょっといいか?」
呼びかけたイサーシュに相手はポカンとした表情を浮かべている。
「コシンジュ。このケーキ、独り占めしていいんだよな」
「ほうだけど、なにか?」
イサーシュはムッツェリに、思惑ありげな笑みを浮かべた。
「一緒に食べるぞ。
これだけの量、おれだけじゃもたん。コシンジュじゃあるまいし」
周囲が一瞬沈黙し、すぐに騒然としだす。
ムッツェリは最初固まっていたが、やがてあわてふためいた。
「ちょっ! なに言いだすんだお前!
一緒に食べるのはイヤじゃないが、それじゃ見せつけてるみたいじゃないか!」
「見せつける?
いや、それもあるかもしれないが、俺がここまでやってこれたのはムッツェリ、お前のおかげだからだ」
相手はありえないくらい赤面しだす。
突然イサーシュの肩を激しく叩いた。
「ば、バカかお前はっっ!
イサーシュがやってこれたのを私のせいだけにするなっ!
他のみんなにも支えてもらってるのを、忘れたのか!?」
「もちろんだ。みんなにも感謝してるさ。
でも一番俺の支えになってるのは、わかるだろ?」
言いながら、イサーシュ自身が赤面しだした。
よく自分でもこんなことが言えるものだなと思う。
ふと周囲を見ると、様々な反応で自分たちを見ている仲間たちが目に映った。
照れ隠しをするようにムッツェリの肩をたたき、ローソクに顔を近づける。
「消すぞ。お前もいいか?」
「なんでだ。これはお前の誕生祝い。お前1人でやれよ」
一緒にやりたいんだ、と思ったが、やめた。
イサーシュは仕方なしに1人で、ロウソクの火を一気に吹き消した。
その瞬間周囲からパチパチと拍手が起こった。
メンバーがさわいでいる途中、盛りあがる彼らをコシンジュは遠巻きに眺める。
これまで数多くの苦難にあってきた。命の危険を感じたのも1度や2度じゃない。
だから今度も同じだ。
大きな危険をともなうが、考えてみれば今までの困難とそう大差はない。
少なくとも表面上は死を覚悟して臨まなければならないほどの、危機的状況ではない。
それでも、コシンジュは不安だった。
なんだろう、この根拠のない危機感は。
「コシンジュ、大丈夫?」
横からロヒインが現れ、自分と同じく壁にもたれる。
ロウソクの火にぼんやりと浮かんだ、その横顔が美しい。
「いよいよ、近づいてきたな。戦争が」
そういうとロヒインは不安げにうつむく。
「どうしてもこれだけは避けたかったけどね。
でも、それが運命なのかもしれない」
「なあ、ルキフールは、本当に何とかしてくれると思うか?」
「そんなことわかんないよ。
だってわたしたち、あの方のことろくに知りもしないんだから」
「そうか、そうだよな」
コシンジュは前に向き直り、ケーキを口いっぱいにほおばるムッツェリをながめる。
それをなんとかとり上げようとするトナシェ。
やたらさわぎたてるみんなも、内心は不安でいっぱいのはずだ。
だけどそれを押し隠して、あるいは振り払って、なんとか今を楽しんでいる。
自分には、それができていない。
なんだろう、ここのところずっとうまくいかないから、オレも落ち込んでいるんじゃないだろうか。
自分が思っている以上に……
「あ~、もどかしいなぁ~。
なんだかオレ、ずっと調子が狂ってるよ……」
するとロヒインが肩に手をかけてきた。
今日は肩に手をかける場面ばかり見ているような気がする。
見ると、ロヒインの顔には屈託のない笑顔が浮かんできた。
「大丈夫だって。
今度のことがうまくいけば、すべて終わらせることができるかもしれない。
そしたらコシンジュは立派に勇者の使命を果たしたことになるんだよ?」
コシンジュはうなずいた。
たとえ内心は不安でも、ロヒインにだけはそれを悟られたくはなかった。
コシンジュは再び前を向く。
今度の作戦がうまくいくかは、自分次第だ。
そう無理やり言い聞かせながら、目の前の光景を力強い目で見つめた。
ストルスホルム王が野営地に到着したのは、いよいよゾドラ軍が沿岸に到着するとみられる前日の、夜が更けてからだった。
「おおっ! 『ペルドル王』ッッ! よくぞ間に合われましたな!」
「それはよかった! さっそく戦の準備をいたそう!」
「ペルドル1世」はマグナクタ王と肩を抱き合うが、相手はゆっくりと首を振った。
「そのようにおっしゃられますな。
まずは今宵だけでも、ゆっくりと休んでくだされ」
「そうしたいのは山々なのだが、マグナクタ王よ。
こうゾドラ軍の動向が気になっては、やすやすと眠ることもできん」
「そう言われましても、大陸の北部からの遠征ですからな。
さぞ疲れたでしょう。さあ、こちらへ」
マグナクタ王にうながされ、テーブルの席についたペルドル王。
用意されたティーカップに早々と口をつけた。
ペルドル王はマグナクタ5世とは昵懇の仲である。
長年の付き合いがあり、かつては治世についてマグナクタ王が教えを請うたこともあった。
ランドン国が議会制度に移行してからも2人は互いに尊敬し合う仲である。
ただペルドル王が生やす口ひげはまだ黒々としており、マグナクタ王よりは若干若く見える。
ペルドル王がおさめるストルスホルムは今だ君主制だが、それは北大陸の3分の1というあまりに広すぎる国土ゆえに中央集権が滞っているからである。
広い国土に住む人口はまばらで、地域同士のやり取りがうまくいっていない。
そのため中央政府が強い権力を行使しなければ、円滑な秩序の維持が構築できないのである。
もっとも近年はストルスホルムでも民主化の波が押し寄せているが、大多数の国民が消極的でありうまくはいっていない。
かくいうペルドル王もマグナクタ王の姿勢には理解を示すが、自国にそれを適用するのは非常に難しいと考えている。
「さっそくだが、戦の守備はどうなっておられるのだ?」
「こちらの方はいつでも臨戦態勢です。
あとはペルドル殿の配置を待つだけとなっています。
作戦の概要はご存じですかな? もし不服があればすぐに申してもらいたい」
「いいや、我々が考えうるかぎり、いまの作戦が最善でしょう。
ただ1つ気がかりなのは……」
「勇者のこと、ですな」
マグナクタ王の真剣なまなざしに、ペルドル王は強くうなずいた。
「そなたの国から輩出された人材だ。不服はない。
しかしいったいどこで何を成そうとしているのか、皆目見当がつかぬゆえ、な」
「ええ、なにせ最後の便りがあって以降、まったく音沙汰なしですからな。
不測の事態が起こった、それだけは想像もしたくありませんが……」
「なんにせよ、彼らに期待をかけるしかあるまい。
ゾドラ軍ならまだしも、魔王軍のほうは未知数。
我々人間の力でどこまで対抗できるか、まったくもってわからぬ」
2人の名君はそろって不安を顔に浮かべた。
気を取り直してマグナクタは相手を見据える。
「とにかく、戦は明日に迫っております。
今日のところは、身体だけでも十分休めてください」
言われペルドル王はゆっくりと腰をあげた。
「そなたの言う通りにいたそう。
そちらも疲れておろう、ゆっくり休まれよ」
マグナクタ王も「恐縮です」と言って立ち上がり、おもむろに歩み寄る。
そして2人はどちらともなしに両手で固く握手を交わし、熱い視線を送る。
「健闘を祈るぞ」「貴殿のほうも、ご無事で」
国の頂点に立つ者同士、お互い唯一の親友と呼べる男たちのきずなは、他人が思う以上のものであった。
その日。
日かげに隠れた場所に腰かけ、ファルシスは夢を見ていた。
❦
出立の数日前、エンウィーはファルシスの鎧の着付けを手伝っていた。
それは彼女にとってここしばらくの日課となっている。
その細い指先が、相手の胴鎧の端にあるヒモをしっかりと結ぶ。
「それにしても陛下。よく毎日のようにこのようなものが身につけられますね。
うっとうしくてたまらないのではありませんか?」
相手に任せるファルシスはまんざらでもない笑みを浮かべた。
「これは魔界に伝わる鎧の中でももっとも簡素なものだ。
あまり不快にはならぬよう作られている」
そして顔だけを相手に向ける。
「エンウィー。お前こそわざわざ余の着付けを手伝う必要はないぞ?
お前が手伝うようになる前は自分で身につけていたのだ」
「いいえ、これもあなた様の妻としての役目だから」
ファルシスは顔を戻し、あきれた顔で「多忙だろうに……」とつぶやいた。
装備が整い終わり、エンウィーが背中のプレートをポンポンと叩いた。
「妻らしいことをやれるのも、そう多くはありませんから。
ほら、殿下できましたよ」
ファルシスは後ろを向き、エンウィーと向かい合った。
少し顔をあげた彼女の顔には満足そうな笑みが浮かんでいる。
がファルシスが神妙な顔つきになっているので、相手もつられて表情をくずした。
「エンウィー、コシンジュ達が魔界に向かったのは知ってるな」
「もちろんです。なにせお見送りしたのは、わたくしですから」
こっくりとうなずく彼女に対し、ファルシスはふと視線をそらす。
「送りだした先はいつも余が老獪だ老獪だと口走っている、あのルキフールのもとだ。
これは知っていたか?」
すると、なぜか彼女は突然笑い出した。
「ええ。ですがわたしが知っているのは、以前殿下の前でひざまずいて号泣していた姿だけです。
ですから殿下が言っているような黒々とした評価を、いまひとつ信じることができなくて。
殿下もあの方を信用なさっているのでしょう?」
ここでファルシスは、まるで相手の視線を避けるかのように身体を横に向けた。
「あの者を甘く見るな。
余はあやつの忠誠心をもはや疑うことはないが、それでも恐ろしいと思える者だ」
「それほどまでに?
ではなぜ勇者をその方のもとへ差し向けたのです?」
ファルシスはうつむき、少し自信のなさそうな声色になった。
「案ずるな。奴が勇者たちをワナにかけるとはいっておらん。
だが、奴がコシンジュに突きつける選択が、我々にとって利益になるとは限らん」
「場合によっては、我々に被害が及ぶと?」
「そうだ。そしてもしそうなった場合は……」
先を続けることができなかった。
だが愛する妻はその意味を理解したかのように、後ろから夫の身体を抱きしめた。
「わかっております。
殿下も含めて、私が国から追い出されるかもしれない、ということですね?
覚悟しております」
ファルシスは罪悪感を顔からぬぐいきれず、小さく首を振り続けた。
「……すまぬ。せっかくお前の願いがかなったというのに。
コシンジュの選択次第ではそのすべてが水の泡だ」
「大丈夫ですよ。きっとすぐに返ってこられます。
国民の大多数が、わたくしと殿下を信用なさっていますとも」
エンウィーの手が動いた。
ファルシスは抵抗せず、ゆっくりと相手と向き合った。
ただ表情を変えるのにはいささか苦労した。
顔を合わせると、エンウィーは満面の笑みを浮かべていた。
「それに、外の世界を見るには絶好の機会ですもの。
今の立場ではお忍びでも難しいですけど、追い出されたら追い出されたで、殿下とともに地の果てまでもお供いたしますわ」
それを聞いて、ファルシスの心が少しは晴れた気がした。
思わず「エンウィー」と呼びかけ、相手のあごをとって、自らの顔を近づける。
彼女も目を閉じ、されるがままにされた。
❦
その柔らかな感触を思い出しつつ、ファルシスは目を開けた。
美しい彼女の容貌が、無骨な船体にとってかわられた。
魔王は思わず残念そうに眉をゆがめた。
「なにをうたた寝しておるのだ。
ファルシス、もうすぐ対岸につくぞ」
横を見ると、妻とは別の美しい女性が立っていた。
ただしこちらはドレスではなく、身体に密着して露出も多いレザースーツだった。
顔立ちも妻に比べほんの少し幼いが、実年齢はファルシスも意欲を失うほどの高齢だった。
「そうか、もうすぐか……」
ファルシスは自らの席の具合を確かめた。
軍用船でありムダな装飾はなく、ファルシスの椅子も簡素なものになっている。
それでも司令官たる自分が座るにふさわしい場所だ。
ファルシスはまっすぐ前を見据える。
彼が乗る軍船は、引き連れている船団の中でももっとも大きなものだ。
故にファルシスの主席からもその雄姿がはっきりと見て取れる。
船首の向こうに、わずかに緑がかった半円が見える。
これは巨人レンデルの頭部。
長い間海水につかったにも関わらずいまだにその泳ぎは健在で、いまも悠然と海の中で手足を動かし続けている。
その向こうを見れば、見渡すばかりの大船団。
船に乗せうる限りの最新鋭の装備と精強なるゾドラ軍人たちを、頑丈な船体で支えている。
その数、200隻にものぼる。
これだけの大軍勢を持ってしても、北の連合を落とすことはできない。
この戦いに勝利するためには、外世界よりさらなる援軍を用意する必要がある。
しかし、ここに来てなおファルシスは乗り気ではなかった。
この戦いはゾドラ帝国兵の、内なるうっぷんを晴らすためのものでしかない。
当然、ファルシスから見れば大義などない。
ここでファルシスはようやく立ち上がった。
やがてほかの乗組員からも、歓声のようなものが聞こえる。
スターロッドの反対どなりに立つベアールがつぶやいた。
「いよいよ見えてきましたね。
人間界最大の戦いが、始まろうとしてる……」
ファルシスはうなずいた。
意義のない戦争ではあるが、心のすみでは疼くものがあることもまた否定できない事実だった。
「来い、コシンジュ。無事、この戦いを止めて見せろ。
そうすればお前は、正真正銘の勇者だ」
その言葉を聞いてスターロッドとベアールがこちらに目を向けているのには気づいていたが、ファルシスは意に介さずにまっすぐ前方を向き続けた。




