第39話 おつかいの日々~その5~
中に入るとそれまではじんわりといやな蒸し暑かった空気が、急にひんやりとしたものに変わる。
これだけでもコシンジュをうんざりさせるには十分なものだった。
息をひそめるように言われていたので、一行は出来るだけ物音を立てないようゆっくりと歩を進める。
それでも何人かは金属製の装備をまとっているのでカランカランと音を立ててしまい、それが薄暗い洞穴中にひびき渡る。
「なあロヒイン、今度の相手はどんな奴なんだ?」
かなり声を小さくしたつもりなのだが、かなり反響している。
自らの杖から光を照らすロヒインはこちらに顔をしかめたが、あきらめて顔を前方の暗闇に戻した。
「磁場が働く洞窟内なんで、詳細はわからない。
でもルキフール様の話によると、この洞窟の主は以前に入れ替わりがあったらしい。
なので事前の情報は頼りにならないよ」
マドラゴーラがこちらに顔を向ける。
「でも、数少ない情報ではクモの姿をしているって話ですよ。
おれが知ってるクモっていったらおそらくは……」
「静かにっっ!」
ロヒインの声で、全員が立ち止まって動かなくなった。
耳を澄まさなくとも、前方の暗がりから何やら無数の何かがやってくる音がひびき渡っている。
マドラゴーラはすっとんきょうな叫びをあげる。
「ああまずい! ありゃおそらく『アラクニド』の集団だっ!
おびただしい数がおそいかかってきますから、1匹1匹つぶしてくだけじゃ対処できませんよっ!?」
「わかってる!
私が魔法で片づけてくから、みんなは残った奴を片づけて!」
「わたしも手伝います!」
トナシェが前に進み出て、ロヒインの横に立つとともに呪文を詠唱しだした。
「2人は魔法攻撃でいそがしいはずだよ!
もし組みつかれたらあんたが対処しな!」
肩に手をかけるネヴァダにうなずくと、コシンジュは魔法使い2人の身体の間から前方をうかがう。
ロヒインの杖の光に照らし出されわずかに見えている洞窟の向こうから、黒々とうごめく無数の何かがやってくる。
「来たっっ! 2人とも早くっ!」
「「……ファイヤーーーーーーーーーーーーーッッッ!」」
言うやいなやロヒインとトナシェの目の前から猛烈な勢いで炎が放たれる。
照らし出されたそれは洞窟の足元から天井にいたるまで、あらゆる場所に張り巡らされたおびただしい数のクモの集団だった。
「わあぁぁぁっっ! おっかねえっっっっ!」
全身がちぢみあがる思いのコシンジュだが、火炎放射にさらされたクモたちはほとんどがそれに耐えきれないようで、こちら側へと突破してくるのはめったにいない。
それでもそれなりの数が押し迫ってきて、残りの仲間たちはその対処に追われる。
黒々としたクモは単体で見るとかなりの大きさがあり、それだけで恐怖させるには十分である。
それでも仲間たちはひるまずに1匹1匹、各々の武器で順調につぶしていく。
コシンジュはネヴァダとともに、魔法攻撃に集中するロヒインやトナシェに飛びかかろうとするクモの集団に向かってそれぞれ棍棒と黒い拳を叩きつける。
この時コシンジュの棍棒には魔法付加がかかっていなかったが、相手は巨大なだけの節足動物にすぎないので倒すには事欠かなかった。
そのうちトナシェのほうから放たれる炎の力が弱まる。
「わぁっ、ダメッッ!
わたしだとロヒイン先生みたいに魔法効果が長続きしない!」
「あわてないで! もう一度呪文を唱え直すんだよ!
その間になんとかわたしが持ちこたえる!
みんなもおそってくるクモの量が増えるから気をつけて!」
言われてコシンジュ達は気を引き締めた。
思いつつ、いつまでクモの大群は続くのだろうという不安を隠せずにいた。
「ふぅ、やっと終わった~っ!」
ようやくクモの大群が去ると、コシンジュ達はそろってその場に尻をついた。
立ったままでいられるのは魔族であるロヒインくらいのものだ。
なぜかヴィーシャだけがすぐに立ち上がる。
「やだぁ~~っ! クモの死体お尻でつぶしちゃったよぉ~~っ!
なにこれベッタリ張り付いてんじゃなぁ~~いっ!」
ヴィーシャは尻にべっとりと張り付いた粘液をいまいましげに見るが、払えば手も汚れるためにどうすることもできない。
それを見たムッツェリが手を叩いて笑い転げた。
「あはははははっ! 日頃ふざけた態度ばかりとってるバチが当たったんだ!」
「……なんですってぇぇ~~~~~~~っ!?」
またしてもにらみ合いになる両者。
間に立つイサーシュが困った顔で「まあまあ」となだめにかかる。
しかし、そんな3人の動きが止まった。
突然洞窟の奥から、何者かの声がひびき始めたからだ。
「ケケケケケケケケケケ……」
洞窟内であるため音が反響し、ただでさえ怪しげな笑い声がよけいに不気味な雰囲気を醸し出す。
コシンジュ達の中でそれを聞いてふるえあがらない者を探す方が難しかった。
「やだぁ~っ! こわいよぉ~~~~っ!」
当然トナシェがネヴァダにしがみつく。
しかし母親代わりの彼女でさえ完全に顔がこわばっている。
「どうやら、奥に女性の親玉がいるようですね……」
ロヒインも不安げな顔を浮かべ、じっと奥を見据える。
誰も立ち上がろうとしないので、ロヒイン自身が前に進み出た。
イサーシュが思わず叫ぶ。
「お、おい待てよっ! また手柄を独り占めする気かっ!?
いやもう手柄なんかどうでもよくなってきたけどなっ!」
残された仲間たちは重い腰をなんとかあげ、ゆっくりと歩を進めるロヒインのあとに続いた。
一行は突然足を止めた。
彼らの目に留まったのは、息苦しさを感じさせる狭い通路から一転見渡すばかりの大空洞が広がっていた。
コシンジュ達が立っている場所は比較的平らな足場が広がっているが、奥には真っ暗な穴がぽっかりと空いている。
視線をあげればどこまで続いているかわからないほど空洞は上に続いており、わずかなすき間から日の光が照らし、洞窟内を照らしている。
「これほどの明るさなら、杖の照明はいりませんね」
明かりを消したロヒインの声にこたえる者はない。
一同をがく然とさせたのは、この巨大な空間に所狭しと張り巡らされた無数のクモの巣のせいだった。
クモの巣はどれもかなりの規模をほこるが、特に下に続く巨大穴に張り付けられたものの巨大さが著しい。
まるでこれを作り上げた者が、うっかりと下に落ちてしまわないようにするためのようだ。
「これだけの巨大な巣をつくれる者、おそらく相当やっかいな奴のはずです。
でもおかしい、どこにも姿が見当たらない」
ロヒインが上空も含め、周囲に目をこらす。
コシンジュはてっきり見上げんばかりの巨大雲を想像したのだが、これだけ見晴らしがいいのに姿を見せないのはどう考えてもおかしい。
その時、背後で不穏な気配を感じ、コシンジュは振り返った。
見ればトナシェの真上に、突如として青白い顔をした女の姿が現れたからだ。
あきらかに人間のものではない、するどい一本の爪だけが伸びた腕でやや呆然としている少女の身体を絡めとる。
とたんにトナシェがおびえる顔になった。
「……きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!」
「トナシェェェェェェェェェェェェェェェェッッッ!」
どこか既視感を覚えつつコシンジュは叫ぶ。
あっという間に上空へと舞い上がったトナシェは、巨大なクモに捕まったまま天井のクモの巣を移動していき、やがて一本の白い糸に支えられ前方の巨大な巣へと降りていく。
トナシェを捕まえていたのは上半身の一部が女性の姿をしている、巨大なクモだった。
ただ想像した超巨大グモというわけではなく、人間の女性を多少大きくした程度のものだ。
「よく来たね勇者ども。
アタシはアラクニドの女王、『アリドネ』だ。お前らの命はこのアタシがもらうよ」
女性の姿をした顔は美しいが、青白い肌と口の両側についているハサミ状の突起のせいで恐ろしい雰囲気を放っている。
振りみだした黒髪がゆらゆらと下に伸び、人間のようなふくよかな胸を隠している。
「単独でわたしたちに勝負を挑む気か?
我々の評判は聞いているだろう、はっきり言って勝ち目はないぞ?」
「あら?
なにもアタシだけであんたたちにおそいかかる、そんなことは一言も言ってないよ?」
とたんに洞窟中からシャカシャカという音が響き渡る。
コシンジュ達はがく然としつつ、ふたたびあらわれたおびただしい数のアラクニドに目を向ける。
「そんでもってわかっちゃいると思うが、アタシの手元にこいつがいるってことを忘れるな」
アリドネが口の端を吊りあげ、いつの間にか白い糸でグルグル巻きにしていたトナシェの身体を持ち上げる。
「もおやだぁ~~~~~~~~っ!
なんで人質になるのはいっつもいっつもわたしばっかなのぉ~~~~~~~っ!?
子供だからってナメられてんのぉ~~~~!?」
泣きわめくトナシェを見て、仲間たちは一様に苦虫をかみつぶした顔になった。
思わずといった調子でネヴァダが叫ぶ。
「そいつを返しなっ! 代わりにあたしが人質になる!」
「ケケケケケケ、バカなことを。
いいか、みんな動くんじゃないよ。さもなくば下の巣のすきまを広げて、こいつの身体をおっことしちまうからね。
ただしチャンスをくれてやろう」
そしてアリドネはコシンジュのほうをアゴでしゃくった。
「そこの小僧、たしかお前が勇者なんだよな。
お前だけにこの巣に入る権利をやろう」
コシンジュは「なにぃ?」と拳を軽く握った。
「要はあたしの手で直接お前の息を止めてやるってんだ。
言っとくが他の連中は絶対にこん中に入るなよ。
特にロヒイン、ファルシスの直参であるお前は絶対にゴメンだ」
「おどさなくても結構。
どのみちこれだけの手下の数では、わたしがメインになって対処せざるを得ない。
もっともコシンジュに気をとられて、死角から狙われても知らないがな」
「ケケケ、気をつけておくよ。
さあ、小僧。さっさとこっちに来な」
コシンジュが決意をみなぎらせた顔で歩み寄ろうとすると、ロヒインが後ろから腕をつかんできた。
振りかえると、その顔にはろこつに不安の色が浮かんでいる。
「気をつけて。あの女、ここ最近相手してきた魔物とは一味違うよ。
最強の魔物を相手にするつもりで挑んだ方がいい」
「わかってる。
どっちにしろ奴の振る舞いにはスキがない。気を引き締めてかかるよ」
コシンジュは前方に向き直り、ゆっくりと歩を進めた。
不敵な笑みを浮かべるクモ女と心配そうに見つめるトナシェの両方に目を向けつつ、コシンジュはついに巨大なクモの巣に足を踏み入れた。
「さあ、お前たちっ! 勇者の仲間どもの相手をしておやり!」
アリドネが一本爪の腕を振り下ろす。
するといっせいに無数のクモが動きだし、ロヒイン達に向かっておそいかかる。
「あのクモ集団、お前の子供だろ? あんなふうに捨て駒にしてかわいくないのかよ?」
けたたましい反響音の中、吐き捨てるように言うコシンジュ。
しかし相手はバカにしたかのように赤い瞳を見開いた。
「子供? バカを言うんじゃないよ。
あいつらはもともとアタシの主人だった別のアラクニドクイーンの子供だよ。
アタシとは何のかかわりもない」
コシンジュが「なんだって?」と言葉におどろきを現すと、相手はけたたましい笑い声をあげた。
「ケケケケケケケケケッ!
アタシはねえ、もともと人間なんだよ。
だけど短い寿命と老化がイヤで、魔物と契約したかったのさ。
でもせっかく契約できたと思ったらそいつはクモのバケモノで、なった姿がコレ、みにくい半分クモみたいな姿だったのさ。
あんまりムカつくもんだから最初は従うフリをしといて、実力をつけてすぐにぶっ殺してやったさ」
そしてアリドネはコシンジュの後ろにいるロヒインの方角を、いまいましげににらみつける。
「アイツがうらやましいねえ。
ちょっと契約した魔物がちがうだけで、あんなにも簡単に永遠の美が手に入れられるのかい。
対してアタシは望みの姿になるためにあと数百年は待たなきゃいけないよ」
「そりゃ御愁傷さまなこったな。
だけどお気の毒なことに、お前はここでオダブツみたいだぜ」
皮肉をこめて言ったが、相手は首をかしげて「それはどっちのことかねえ」とするどい爪でコシンジュの手元を指し示す。
「お前の棍棒、この魔界じゃ神の力が届かないみたいじゃないか。
もっとも魔法付加をかけてたところで解除させるつもりだったんだけどね」
コシンジュは手にした棍棒をおもむろに前にかかげる。
「問題ねえ。
おれはガキだけど、腕には自信がある。魔法の力がなくてもお前なんてすぐに叩きのめしてやるさ」
「やれるもんならやってみな……食らえっっ!」
アリドネが大きく口を開くと、そこからまっすぐ伸びる白い糸が吐き出された。
コシンジュはすぐにその場を転がり、糸の直撃を免れる。
ところが、起き上がるのに若干の時間がかかった。
立っているクモの巣は粘着性があるうえ、弾力がありバウンドするため当然のごとく移動しにくいのだ。
コシンジュは今いる場所が敵のテリトリーであることを自覚しつつ、めげずに前へとかけだした。
敵は連続でクモの糸を吐き出すが、コシンジュは相手の動きを事前に読み矢継ぎ早にかわしていく。
転がらずとも紙一重でかわすことができれば、クモの巣に身体を絡みとられずに相手に近づくことができる。
「おのれちょこまかとっ! だがアタシの手元にコイツがあるのを忘れるなっ!」
アリドネは片方の爪にぶら下げたトナシェを盾にする。
おびえる彼女の表情が真正面を向くが、コシンジュは素早く裏手へとまわりこむ。
アリドネは急いでトナシェの身体を側面に回すが、あらかじめそれを予期していたコシンジュはさらに裏に回り込み、トナシェの身体が届かない場所から思い切り棍棒を振りあげた。
ガツンと堅い手ごたえとともに、アリドネが「アガァッッ!」と言って大きくのけぞる。
コシンジュはためらうことなく次から次へと棍棒を叩きつけていく。
「がぁっ、クソッ! 足手まといだこんなもんっ!」
アリドネが大きく爪を振りあげると、トナシェの身体が大きく宙に放り投げられた。
「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!」「トナシェッッ!」
堅い岩に叩きつけられようとしたところを、何者かの影が横切りそれを受け止めた。
見るとロヒインがトナシェの身体を片手で抱きとめている。
「ロヒインナイスッ!」
「彼女は任せて、コシンジュはそいつに集中してっ!」
ふたたび敵に目を向けると、アリドネは素早く巣の上を移動し、ふたたびコシンジュと向き合った。
「頼りの人質がなくなって残念だな」
軽く勝利宣言したつもりが、相手は思い切り小バカにしたような顔つきになった。
「ケケケ、お前バカかい?
アタシがこんな簡単な人質作戦に打って出るとでも思ったか?」
コシンジュが思わず「なにっ!?」と叫ぶと、アリドネは両腕を広げ、胸を思い切りのけぞらせた。
「バカだねオマエはっ!
わかってるのかい!? ワナにかかったんだよっ!」
コシンジュはその意味を考えようとするが、胸を広げたアリドネの上半身が思いのほかナイスバディだったため集中できない。ていうか何考えてんだオレは。
アリドネが大きく口を開き、両側の爪を突然押し込んだ。
口の中からはなぜか、通常とは違って真っ赤に染まった糸が現れる。
口からそれをゆっくり離し、2つの爪でえんえんといじくっていると、それがまっすぐ伸びて下に向かってゆっくりたれ下がっていく。
「見せてやるよ。
アラクニドクイーンを簡単に葬り去った、アタシの真の力を……」




