第39話 おつかいの日々~その4~
気がついたときには、目の前は一面の闇におおわれていた。
かすかな光がかろうじて周囲にいる仲間たちの姿を目にとどめている。
見上げると、どうやらそこは海の中のようだった。
思わず身じろぎする。しかし思っているより身体を動かしやすい。
まるで周囲に突風が吹き荒れ、全身が風に取り巻かられている、そんな感覚に近い。
足元を見れば、それは先ほど手で触れていたはずの、なめらかな質感のヴァイアサンの巨体だった。
どうやら自分たちは重力を無視し、両足で巨大クジラに張り付いているらしい。
前方のわずかな光芒の動きから、どうやらヴァイアサンは猛烈な勢いで移動しているようだ。
おそらく人間界にいる一般的なクジラよりもスピードが速いはずだ。
「すごい魔力だな。さすがは魔界の海の帝王だけのことはある」
チチガムがつぶやくと、足元から声がひびく。
「それがまこととなるかどうかは、お前たちの働き次第だ。
さあ、急いで奴らの群れに向かうとするぞ」
そこからしばらく時間がかかった。
ヴァイアサンの圧倒的なスピードをもってしても、魔界の海はかなりの広さがあるらしい。
次第に退屈してきたコシンジュ達はやがてペタリと座り込み、くつろぎはじめた。
「ゆっくりとしている場合か! そろそろ奴らの影が見えてきたぞ!」
コシンジュは急いで立ち上がり、額に手をかざしてヴァイアサンの頭部方面に目をこらした。
「ほんとかよ!? こっちからじゃ暗くて全然見えないぞ!?」
「お前たちの目に映らないだけだ!
さあ、遠慮なく奴らの群れに突っ込むぞっ!」
続いてヴァイアサンは「伏せろっ!」と叫んだ。
言われたとおりにすると、前方から巨大な何かが押し寄せてきた。
しがみつくように全身を張り付けると、クラーケンの巨体らしきものが次から次へと上空(?)を通り抜ける。
「きゃあぁぁっ! こわいよぉっ!」
恐ろしさの余りトナシェが叫び、となりのネヴァダにしがみつく。
「あたしにしっかりつかまっててっ!」
「上の方に目を配ってくださいっ! じきにクラーケンの攻撃が始まるはずですっっ!」
ロヒインの言うとおり、真上から黒い影が押し寄せる。
コシンジュ達はそれをよく観察し、危ないと思った瞬間に素早く飛びのいた。
とたんに目の前を黒々とした触手がおおいかくす。
「クラーケンどもがわしの身体にしがみついた! 片づけろっ!」
言われなくとも、コシンジュ達は手にした武器を目の前にある太い触手に叩きつけた。
相手はそれなりに抵抗するものの、9人がかりの攻撃を受けているうちにあっけなく上方へと舞い上がっていった。
やがてそれでも必死にしがみつくクラーケンの胴体が見えた。
ロヒインがすばやく動き、自分の背丈より長い蛇腹剣を一閃見舞う。
凶悪な人相のクラーケンから力が抜け、やがてブワッと舞い上がって引きはがされた。
ロヒインは振り返る。
「さあ、この調子で残りのクラーケンも片づけていきましょう!」
言われたとおり移動しようと思ったコシンジュだが、気になって声を荒げた。
「おいクジラのオッサン!
あんたの方はちゃんとイカ連中を片づけてんだよな! サボって全部おれらに任すんじゃねぞ!」
「無論だ! 前方のほうを見るがいい!」
すると足元が突然震動した。
そして巨大クジラの頭部方面から爆発音のようなものがひびき、やがて上空をブワリと力ないクラーケンの巨体が通り過ぎていった。
「わしは鼻先から水を細かく振動させて攻撃することができる!
先ほどのような邪魔さえ入らなければ奴らなど相手にもならんわ!
もう一体のクラーケンを片づければ、さらに我らが優勢となる! さあ、はやく!」
「ちょっと待ってっ! 上に気をつけてっ!」
ロヒインの声で見上げると、そこには先ほどとは別のクラーケンが巨大な影を見せていた。
その影がゆらいだと思いきや、コシンジュ達の身体が猛烈な勢いでなめらかな床にたたきつけられる。
ヴィーシャが声を荒げる。
「いったぁぁぁっ! もうっ、なんなのよコレッ!」
「クラーケンの水を操る魔法ですっ! まずはあいつをなんとかしないとっ!」
身体をねじって上を見ると、横向きのクラーケンは全身を激しくくねらせている。
ヴァイアサンのスピードについて行けるようだ。
「わたしがいきます!
ヴァイアサン、わたしだけ付着魔法を解除してください!」
「それで奴に対処できると!? 海中に取り残されはせんか!?」
「大丈夫です! 見ててください!」
ロヒインは両手を広げ、マントを変形させる。
コシンジュの正面を向いた形になっているので下着のような黒い服しか身にまとっていない彼女の、その美しいボディーラインがあらわになる。コシンジュは赤面した。
マントをコウモリの翼に変えたロヒインは、それを大きく舞いあげ、勢い良く上方へと飛び立った。
すばやく羽根をはためかせるロヒインはすぐにクラーケンの巨体へとたどり着き、飛び交いながらリーチの長い剣で次々と斬りつけていく。
「なあイサーシュ。
思うんだけど、オレらどんどんあいつに引きはがされてないか?」
コシンジュの問いに相手は首をかしげるだけだった。
矢継ぎ早にクラーケンを片づけたため、終わるころにはコシンジュ達はクタクタになっていた。
すばやく海岸線に乗り上げたかと思いきや、コシンジュたちは勢いよく砂浜に叩きつけられた。
ロヒインだけがふわりと着地を決めることができた。
「いったぁぁぁぁっ!
ったく、もうちょっと気を使って上陸しなさいよこのアホクジラッッ!」
「巨躯ゆえ、加減が難しい。
案ずるな、もうお前たちに頼みごとをすることはなかろうよ」
尻をさすりながら立ち上がるコシンジュ達を、ヴァイアサンの巨体は悠然と見下ろす。
そのまなざしは心なしか優しい。
「礼を言うぞ。これで海の秩序は保たれた。
わしも悠々自適に泳ぎ回ることができるだろう」
「自分たちの目的のために手を貸しただけだ。
だが魔界に秩序をもたらすという行いに意義を感じている。
大海の王として、決して横暴なマネはするなよ?」
イサーシュが告げると、巨大クジラはそれを鼻で笑った。
「言われるまでもない。
わしは海の王。わしの存在なくしてこの大海は成り立たん。
お前のような小僧に言われるのはしゃくだが、肝には命じておこう」
そしてクジラの巨体が、ズリズリと横に動き始めた。
「さらばだ小僧ども。
必ずや、自分たちの大望を果たすのだぞ。
わしはいつでも海の底からお前たちを見ているぞ」
「じゃあな~! クジラのおっさ~んっ!」
大手を振るコシンジュに見送られ、巨大クジラは海の中へと消えていった。
その巨体が沈みきる前に、ヴィーシャが突然尻もちをついた。
「ていうか、つかれたぁ~~っ!
アタシたちこれからもこんな薄暗いところでヒイヒイ言わなきゃいけないわけぇ~!?」
「薄暗いところだなんて。
彼ら温厚な魔族にとっては大切なすみかなんですよ」
顔に笑みを浮かべるロヒインを見て、イサーシュは神妙な顔で腕を組んだ。
「それにしても、ドライアナにしろヴァイアサンにしろ、俺たちの魔族観がひっくり返るほどの温厚さだったな。
俺たちはどうやら、いままで魔物のごく一部の面しか見ていなかったということなのか」
「ああっ! その名前を言うなよっ!
あの女の姿が思い浮かぶようじゃねえかっ!」
ロヒインの肩から現れたマドラゴーラが頭をかかえる。
それを見てコシンジュ達は笑い声をもらした。
翌日、コシンジュ達はまた別の場所へと転送された。
今度は見渡す限り、猛烈な吹雪が押し寄せる雪原。
「ていうかさむっっ! なんだよ今度は風属性のテリトリーかっ!?」
身をちぢこまらせて叫ぶコシンジュ、マドラゴーラがロヒインのマントから出ないまま声をあげる。
「『アイスキャニオン』は魔王領の南西に位置する一大寒冷地帯ですっ!
当然飛翔魔団の本拠地もここですっ!
ですが今回討伐する魔物は風属性じゃありませんよ!?」
「あっ! あれ見てっ! あれが目的地じゃない!?」
ロヒインが突然指を差す。
そこはいくつかの巨大な岩が折り重なって作られた、天然のモニュメントだった。
「あの下は比較的吹雪が弱いよ! 急いであそこに向かおう!」
中に入ると、彼女の言うとおり吹雪は収まっていた。
「それでもやっぱり寒いっっ!」
「しっ! コシンジュあまり叫ぶな!」
イサーシュは鋭い眼光で周囲に目をこらす。手は軽く背中の剣にかけている。
「中に入ったということは、魔物のテリトリーに入ったってことでもあるんだぞ?」
「その通りっ! お前たちはこのオレさまの胃袋の中同然だっ!」
上空から声がひびいたと思いきや、前方を巨大な影がおおった。
最初はなんだかわからなかったが、それは身体から複数の触手を伸ばした巨大な1つ目のバケモノのようだった。
「オレさまの目をよく見ろっっっ!」「みんな顔を伏せてっっ!」
ロヒインは檄を飛ばすが、何人かが間に合わなかった。
かろうじて言われたとおりにしたコシンジュが、チラリと後ろを向く。
自分に見える限り、ヴィーシャやトナシェが前方の怪物に目を向けたまま固まっている。
「気をつけてっ!
奴の目には見た者の身体の動きを封じる力があるよっ!」
「ハハハッ! その通りだっ!
この『戒めの瞳ギーザー』とひとたび目を合わせてしまえば、貴様らは動くこともできずただただなすがままにされるしかない!」
「ええっ!?
それじゃお前と顔をはっきり突き合わせて戦うこともムリじゃねえかっ!
いったいどうしてくれんだよっ!」
「ハハハハハハハッ! だったら顔を見ないまま戦えばいいじゃねえかっ!
もっともそれができるんならの話だがなっ!」
「ちっきしょ~~~~~っ! つってもお前のそれって顔っていうのかよ顔ってっ!」
「ガハハハハハハハ……!」「フラッシュライトッッ!」「ぬぐはっっっ!」
突然前方に光がまたたいたかと思うと、そこから何かがバチバチと叩きつけられる音がする。
ロヒインが「みなさん顔をあげていいですよ」と呼びかける。
見ると、1つ目の怪物が触手で瞳をおおい、ジタバタともがいている。
「ぐおぉぉぉぉぉっっ! まぶしぃぃぃぃぃぃぃぃぃっっっ!
魔界なのに、なんでお前光の魔法が使えるんだぁぁぁぁぁぁぁっっっ!?」
「魔界の天空でも、魔界光が大地を照らしているだろ? その力をお借りしたんだよ。
地上のものよりいくぶん力は弱いけれど、ずっと地下で暮らしているお前相手にはそれで十分だ」
得意げに言うロヒインが杖を変形させて長い剣を現し、すぐにギーザーのふところに飛び込んだ。
勝負はもう見えていた。
「オレらって、なんでこんなところにいるんだ?
ぶっちゃけロヒイン1人で十分だったんじゃないか?」
コシンジュのひとことにイサーシュは首をひねるだけだった。
そのまた翌日、コシンジュ達の姿は暗い砂漠の中心に立つ砦の中にあった。
「ここは『常夜の砂漠』と言って、地底大海の対岸にあります。
魔界光があまり届かないため、昼間でもほとんど暗闇に包まれているんです。
さらに奥に入ると『暗黒砂漠』と呼ばれ一切の光が届かないようになり、魔王軍が足を踏み入れることは全くありません」
肩に乗るマドラゴーラにロヒインはちらりと顔を向ける。
「この砦はその暗黒砂漠の監視施設になっているらしいね。
もっとも奥の砂漠に魔物はほとんどいないらしいけど」
「警戒するに越したことはありません。
なんせ魔界は、まだまだ未知の領域が多いですから……」
「めちゃめちゃ長い時間を生きるファルシス達でも、わかんないことがあるんだな。
まったくどんだけおっかないんだよこの魔界ってところはさぁ」
ふてくされながら言うコシンジュだが、ロヒインが横に手を伸ばしたことで立ち止まった。
「そろそろ例の場所にたどり着くよ。みんな気をつけて」
言われ、コシンジュをはじめとした仲間たちは息をひそめる。
耳をすまし様子をうかがい、必死に気を張り巡らせる。
ロヒインが小さな声で呼びかけた。
「ここには『ミミック』と言って、宝箱に擬態した魔物が大勢いるよ。
それだけよこしまな侵入者が多いってことだね」
チチガムが声をひそめてつぶやく。
「宝箱になりすました魔物か。
それとわかっていれば恐れることはないが、宝箱ということはそれなりの防御力があるということだろう?
だとしたらなかなかてこずりそうな相手……」
チチガムは口を閉ざした。
奥の方からけたたましいほどの騒音が聞こえ、コシンジュ達は崩れたガレキの合間から様子をうかがった。
ロウソクの光に照らされた薄暗い廊下の中から、せわしない動きでそれが現れた。
見た目はまるっきり宝箱の姿をしているが、側面のわずかなすき間からはかぎ爪のようなものが飛び出し地面を支え、口からは大きく開かれたち並ぶノコギリのような歯やデロリと伸びた舌が飛び出している。
ミミックは口をパクパク動かしつつ、かぎ爪のような足でシャカシャカと廊下を渡り歩いていく。
「あんなに激しく動いているだなんて。
どうやら長らくエサを与えられないうちに、自ら獲物を求めてさまよっているようですね。
あれならふところに飛び込んで一閃見舞うのも簡単でしょ……あれ?」
ロヒインが振り返ると、そばにいたイサーシュの姿がない。
コシンジュは別の方向を指差した。
イサーシュは目にもとまらぬ速さで廊下へと飛び出し、ミミックの前に立った。
「危ないっ!
いくら暴走しているとはいえ噛みつかれたらひとたまりもないですよっ!」
ロヒインの言うとおり、ミミックはイサーシュの姿をとらえるや猛烈な勢いで彼に飛びかかった。
しかしイサーシュは難なくさらりとかわし、通り過ぎざまに黒い剣を宝箱に叩きつけた。
ミミックの口の部分がぱっくりと割れ、ほとんど外れかかった状態で地面に転がる。
ピクピクうごめきながらも、ミミックがふたたび起き上がる様子はなかった。
するとイサーシュが突然こちらのほうに黒い剣の先を向けた。
「ロヒインッ! お前ばっかりに手柄は渡さないからなっ!」
それを聞いたコシンジュとロヒインは深いため息をついた。
「このあたりは『猛毒湿地帯』と言って、いたるところで猛毒が吹きだしている場所です。
そこにある沼地、絶対足を踏み外さないでください。
肌に触れるだけで死にますから」
「んなこと言われても色見りゃわかるよっ!
なんだよあのわかりやすいくらいの紫色っ!
いかにも過ぎて近づく気もせんわっ!」
どなり上げつつ、コシンジュは慎重に草むらや枯れ木の山に歩を進める。
沼に足を突っ込むのは当然イヤだが、バランスをくずして思わず転倒するという可能性もなくはない。
いやでも緊張させられる。
それでも余裕がある時は周囲に目を向け、朽ち果てた林の中にうごめくキノコの姿を時折見かける。
マドラゴーラによると、あれは野生の魔物でテリトリーに入らなければ害はないとのこと。
「それにしても、目的地はまだなのか?
マドラゴーラ、お前の話を信じるとしたら目的地は洞窟の中のはずなんだが、どこを見ても入れそうな山はないぞ?」
「しょうがないじゃないですか。
ここは地属性の魔物がテリトリーにしている『大空洞』に近いんですが、そこでは強烈な磁場が働いてテレポートは使えないんです。
もっとも目的地はそこじゃないんですが、我々が向かう洞窟でも同様の磁場が働くんです。
ガマンして沼地を進んでください」
「はあ、まだ歩くのか。
しかも相手は地属性、ああやだなぁ、アンデッドだったらおっかなくてしょうがねえよ」
「コシンジュ、アンデッドなんて怖くないぞ。
おれが相手した地底魔団の副官なんて、ただの調子に乗った死に損ないの騎士だったぞ」
イサーシュは平然とつぶやくが、コシンジュはそれでも深いため息をついた。
「調子に乗ってるんならまだいいよ。
ただレイスルみたいに、深い恨みを持って魔物化したような奴がやっかいなんだよ。
イヤだよオレ身に覚えのない呪いにかけられるなんて」
「ま、落ち着いていこうぜ。
相手はなにもアンデッドと決まったわけじゃないんだ」
それを聞いてもコシンジュの表情は浮かばれるはずがなかった。
疲れたなどという段階をとっくに通り越し、ほとんど意識のない状態でさらに延々と歩き続けた結果、目的地にたどり着いてもまったく気分が晴れることがなかった。
「うわー、全然うれしくねえ。達成感ゼロ、ただひたすらの徒労感」
コシンジュは疲労のあまり、いまいましげにネヴァダの背中で眠りこけているトナシェをにらんだ。
となりにいたロヒインがすぐさまその頭をはたく。
「いってぇっ! やめろよ!
魔物化したお前が暴力振るうと威力が増すんだよ!」
「うるさい! つべこべ言わないで、さっさと洞窟の中に入る!」
コシンジュが前に向き直る。
久方ぶりに目にした気がする小さな岩山の中腹に、ぽっかりと不吉な雰囲気を放つ小さな穴が見える。
それを見てコシンジュは深いため息をついた。




