第39話 おつかいの日々~その3~
一方魔界にあるファルシスのかつての居城では。
これまた圧倒的な存在感を放つ老魔族に、コシンジュ達が圧倒されていた。
そんな中、ロヒインだけがものおじしない様子でルキルールの前に進み出て、ひざまずく。
「ファルシス殿下直属の契約魔族、ロヒインにございます。
ルキフール閣下、こたびのご拝謁、光栄に存じます。
そしてご挨拶が遅れたこと申し訳ございません」
「ふむ。
本来ならば転生してすぐにまみえるべきものを今になって謁見せしは不敬に当たるが、状況が状況であるゆえに大目に見ることとしよう」
「恐縮にございます」
ロヒインが慇懃に頭を下げるのを見て、ルキフールは口の端を吊りあげた。
「フフフ、それにしてもだ。
かつて勇者の同志として数多くの我が配下を屠ってきたお前が、殿下と契約をかわし我ら魔族の軍門に下るとは、よもや夢にも思わなんだ」
「は。
もっともわたくしはファルシス殿下直属ゆえ、閣下のすべてのご命令にしたがうことには抵抗がございますが」
ロヒインにあえなく宣言され、ルキフールは後方を向いた。
「わかっておる。
私はなにもお前に理不尽な命を下すことは考えてはおらぬ。
殿下の意に背く気はないのでな」
そして老魔族は顔だけ振り返り、チラリとロヒインの後方に目を向けた。
「しかしいささか気分は悪い。
なんせお前は、ここにわたしのもっとも忌み嫌う人種を引き連れてきたのだからな」
なめるような視線を向けられたコシンジュは、思わず「うっ」と声をあげた。
それを聞くやいなやルキフールは視線を外した。
「スターロッドめのやることなすこと、いちいち気に障る。
勇者の同志を魔族に転生させることもさることながら、地上の問題を解決させるために私の助力を仰ごうとは」
「ということは、やはり」
ロヒインの声にルキフールはうなずく。
「うむ、話は聞いておる。
お前たち、なにがなんでも北と南の戦争を止めようというのだろう?」
「止めて……くれるのか……?」
コシンジュの声は、思いのほか消え入りそうなものだった。
ルキフールの目がチラリとこちらを向いた。
「信用できんようだな。無理もない。
私の評判を聞いておろう。魑魅魍魎あふれるこの魔界において、もっとも老獪なる知恵者であるということはな」
「痛感しております。
あなた様のお知恵には散々手を焼かされましたから」
ロヒインが告げる、しかし相手はなぜか顔をそむけた。
「クククク、ハハハハハ……」
ルキフールの肩がふるえだす。
次の瞬間、老魔族の笑いが広間中にひびき渡った。
「アーハッハッハッハッハッハッハッハッッッ!」
彼の顔がクルリとこちらを向いた瞬間、その見開かれた目にコシンジュ達は思わず身体をピクリとさせた。
「痛感っっ!? 痛感だとっっ!?
笑わせるなっ! こちらはどれだけ本領を押さえていたか、知りもしないクセによくもそんなたわけた口を抜かせるわっっ!」
「今までは、本気ではなかったと?」
不安げなロヒインの声に老魔族は向き直り、声高に叫んだ。
「当り前であろうっ!
お前たちのような若輩者とすら呼べぬようなこわっぱどもに、長年にわたり積み重ねられた我が英知を越えられぬはずがあるまい!」
そしてしわがれた人差し指の先からのびる、するどい爪をコシンジュに向けた。
「勇者よっ! 我が計略にかかれば、お前なんぞ赤子の手をひねるようなもの!
ファルシス殿下の栄達のため、今まで手心を加えてやったこと、感謝するがいいっっ!」
「すべては、ファルシスの奴にゾドラを征服するために、わざとオレらにあそこまでやらせたっていうのかよ……」
コシンジュががく然とした顔でつぶやくと、ルキフールの笑みがますます陰湿なものになった。
「お前たちには感謝の意を表さねばな。
地上の武力制圧を狙う強硬派の者どもをお前たちが片づけてくれねば、我が計略はここまでうまくは行かなかっただろう」
「我々は、お前の手の上でまんまと踊らされていた、ということか」
チチガムのつぶやきに、ふとルキフールの顔色がくもった。
手にした杖でコン、と大理石の床をつつく。
「どうやらこれも知らぬことらしい。
なにも私1人の考えで、すべてが進められていたと思うな」
コシンジュは首をかしげた。
「ファルシスのことか?」とつぶやくが、ルキフールが陰湿な笑みを浮かべるのを見て思わず後ずさった。
「まあ良い。
それは後々話すこととして、今後の守備について話そうではないか」
「我々の願いを聞き届けてくださるということでしょうか」
あおぐように呼びかけるロヒインにろう魔族は手のひらを向ける。
「あわてるな新参者よ。
こう見えて私は殿下に対しては絶対の忠誠を誓っておる。
あの方が望まれるのなら、たとえ我が本分に逆らうご命令であっても、背くことはない」
「となれば、本作戦に対し何かお考えがあると察せられますが」
「ふむ、考えはめぐらせておる。しかしだ……」
ロヒインは思わず「しかし?」とオウム返しした。
ひざまずく彼女を、ルキフールはなめるような目つきで見つめる。
「お前が殿下の直参とはいえ、全面的に協力するのは気が引ける。
そこでだ。私は殿下からゾドラ軍が目的地に着く日付はまだ先と聞いておる。
その間にお前たちには仕事を頼みたい」
「ただで言うことは聞けねえってか。いかにもあんたらしいな」
コシンジュは顔をしかめる。
ルキフールはほくそ笑んだ。
「少しは私の態度に慣れてきたようだな。
さすがは殿下と対峙した勇者だけのことはある」
そして老魔族はしわがれた手をあげ、細い人差し指を立てた。
「知っての通り、わが軍は多くの人材を失い、混迷を極めておる。
我が意に従う魔族たちは軍の安定を望んでいるようだ。
しかし中には命に背き、自身の領域で好き勝手に暴れ回っておるものも数多くいる」
そして両手で杖をとり、床をこづいた。
「いくらかは我ら自身の手でそやつらを粛清できるが、すべてというわけにはいかぬ。
故にお前たちにも助力を頼みたい」
「オレたちに反乱分子の始末を頼むっていうのかよ。気が引けるぜ」
「ククク、どのみち他になすこともないのであろう?
それにドライアナのことを考えてみろ、お前たちに好意を示す魔族の存在がある以上、無視もできまい」
図星をつかれた。
打ち解けた数少ない魔族であるあのアルラウネクイーンのことを思うと、混乱する魔界のことを無視することもできなかった。
「日付はまだたっぷりとある。その間に存分に働いてもらうぞ」
ほくそ笑む老魔族。
ここで思わぬところから声がかかった。
「あのう、よろしいでしょうか」
ロヒインの肩からひょっこりと小さな魔物が現れた。
マドラゴーラが彼女の肩の上に立つと、ペコリと頭を下げ、「お久しぶりでございます」とつぶやく。
コシンジュ達はおどろいた。
その姿を見るやいなや、ルキフールがあり得ないほどに目をかがやかせたからだ。
「おお! マドラゴーラ、お前も帰っていたのかっ!」
「……ルキフール様、ふたたび会いまみえることができまして、グスッ、大変うれしゅうございますぅ……」
泣いている。
マドラゴーラはこの怪しげな魔物に対し、深い愛着があるようだ。
「あれ? マドラ、お前こいつと知り合い?」
「し、知り合いも何もっ、
俺はこの方に直接仕えてたんですよっっ!」
「え、えぇ~っ!?」
半ば絶句するコシンジュ。
ルキフールは破顔しながらもこちらに目を向けた。
「クク、群れから逃れ当てもなくさまよっていた奴を、この私が拾い上げて暗殺者として育て上げたのだ。
正体を知られれば使えぬが、名を知られていない間は大層役に立ったぞ」
「あ、そう言えばマドラゴーラってもともと暗殺者だったけ。
長い間一緒に旅してたから忘れてた。
思い出したらなんだか急に怖くなってきたような……」
引きぎみのコシンジュをよそに、マドラゴーラは両側の葉を真上に伸ばして何度も頭を下げる。
「あの時拾っていただいたご恩、決して忘れてはおりません!
今はゆえあって勇者のお伴をさせていただいていますが、もしご用命とあればなんなりとお申し付けください!」
いつになく慇懃なしゃべり方になるマドラゴーラに、ルキフールは少し小バカにしたような顔を向ける。
「よい、お前はすでにロヒインの使い魔となったも同然。
その立ち位置がよく似合っておるではないか。
これからは彼女を主人と仰ぎ、彼女に魔族の掟をあれこれ教えてやれ」
「はは~~~~っ!」
「……思うんだけどさ。あれじゃ使い魔っていうより、ペットだよな?」
コシンジュのひとことにだれも反応しなかった。
「あのさ~。
こんな物騒な世界に、かれこれ10日間以上いるんだけどさ~。
アタシたち、いったいいつになったら元の世界に戻れるわけ~?」
ヴィーシャがふてくされつつ、金色のポニーテールをいじくる。
「ゾドラ船団が北の大陸の海岸に上陸するまで、とのことですが。
果たしてあの老魔族の言葉を信用してしまっていいんでしょうか?」
久方ぶりに口を開いたトナシェ。
慣れない環境のためか、ずっと不安げな表情のままだ。
となりにいるネヴァダにずっと張り付き離れようとしない。あらためて彼女がまだ子供であることを自覚させられる。
魔界に連れてきたのは間違いだったのではないだろうか?
「あのルキフールってやつの言う通りにしてりゃ、なにか良い策を思いついてくれる?
あたしにはそんな保証なんでどこにもありゃしないと思うけどね」
同じ年ごろの娘がいるネヴァダにしてみれば、トナシェの面倒など朝飯前のようだ。
言いつつしがみつくトナシェをしっかりと支えている。
「おいマドラゴーラ。お前の主人、本当に信用できるのか?」
魔界に来てからずっと、イサーシュのそばを離れないムッツェリが腕を組みつついぶかむ視線を向ける。
ロヒインの肩に立つチューリップ姿の魔物はすぐに振り返った。
「みなさん。
不安に思う気持ちはわかりますが、ルキフール様はみなさんが思っているほど冷たいお方ではありません。
あの方はきびしい考え方の持ち主ではありますけど、決して残忍なふるまいをする方ではないんです。
そしてファルシス殿下に対する忠誠心も厚い。
決して殿下のお気持ちを踏みにじる真似だけはしない、俺はそう信じています」
「そう言うお前こそ、危ない気がするんだがな。
なんだかんだ言って前の主人の肩を持つために、わたしたちをだましている疑いさえあるぞ?」
ムッツェリに思い切りにらみつけられ、身じろぎするマドラゴーラ。
横にいるロヒインの顔もそちらを向いた。
「忘れるなよ。
前のご主人サマの言った通り、今はこのわたしがお前の主なんだ。
わたしを裏切ったら、ただじゃおかないからな」
「ひ、ひぃっ!」
イサーシュはそんなことなどどうでもいいと言わんばかりに、周囲の光景に目をやる。
コシンジュ一行はパンデリア城に一泊した翌日、テレポートによりとある場所に連れていかれた。
目の前にあるのはほんのりと弱い光に照らされた、限りなく黒に近い海。
押し寄せる波はそれなりにはげしいものがあり、時おり水しぶきが当たって少し肌寒い。
「魔界にも海があるとはな。いやそれはただの偏見か。
もっとも陰鬱な雰囲気は俺の想像の通りだが」
「イサーシュさんがそうおっしゃるのも無理はありません。
魔王領の北西にあるここ、『地底大海』は魔界に存在する唯一の海。
ここには数多くの水属性の魔物が生息しており、かつての深海魔団の一大拠点となっていました」
「しかしマドラゴーラ、これから暴走した海底魔族を退治しに行くのはいいが、俺らは人間だぞ?
海の中じゃ当然魔物とは戦えない」
「イサーシュの言うとおりだ。
呼吸は魔法で何とかなるにしても、水中じゃ思うように動けない。
海のど真ん中に放り出されたら、敵にタコ殴りにされちまうだけだぞ?」
不安そうなコシンジュに、ロヒインが海の向こうを指差した。
「大丈夫、当然そんなことだろうと思って、ルキフール様が強力な助っ人を用意してくれたみたいだよ?
ていうより、『今回の依頼人』ってところだね」
「依頼人?」とつぶやきつつ、コシンジュ達はロヒインが指し示す先に目をやった。
しかしすぐに全員の顔色がくもる。
「お、おいロヒイン。なんだか海の向こう、
ものすごい波がこちらに押し寄せてきてる気がするんだけど?」
「大丈夫大丈夫」
「大丈夫じゃねえってっっ!
あれ津波かっ!? 津波だろっっ!?
その依頼人ってやつがやってくる前にオレら全員あれに飲み込まれちまうぞっ!?」
コシンジュの叫びに賛同するように、ヴィーシャもヒステリックな声をあげた。
「冗談じゃないわよっ!
こんなところで津波に巻き込まれて昇天なんて結末、アタシは絶対イヤだからねっ!」
「おい逃げんなヴィーシャッ!
いやダメだっ! 逃げたところで間に合わないっ!」
「キャア~~~~~~~~~~~ッッ!」
半ばパニックになったトナシェが必死にネヴァダにしがみつく。
しかしその頃には、ほとんどが海の異変に気付いていた。
猛烈な勢いで押し寄せていたはずの巨大津波が、突然2つにぱっくりと切り裂かれた。
そしてあけっぴろげにされた波の間から、別の何かが恐るべき速さでやってくる。
気付いた時には、目の前をおおいつくすような巨大な影が現れ、それが壁にぶち当たるほどの勢いで急停止する。
そこからすさまじい勢いの波しぶきが飛んだ。
当然、コシンジュ一行全員が水浸しになる。
「……しょっぱい!」
ヴィーシャは不満げにグチをこぼすが、目の前の巨大物体を見上げてすぐに小さな悲鳴を上げる。
そこにあったのは、首をかなり上まであげなければならないほど超巨大な、黒い生物の悠然とした姿だった。
その姿はクジラにも似ているが、全体が少々いかつい造形になっている。
かなり上の方にある巨大な瞳が、ギロリとコシンジュ達を見下ろした。
「ようこそ小僧ども。
ここは魔界の大海、わしはこの海底大海で最も多いなる力を持つ、
『海原の王ヴァイアサン』。
こたびはよくぞ我が請願に答えてくれた」
叫んでいるわけでもないのに、巨大生物の声はかなり音量があった。
「で、でけぇぇっっ! デカすぎるぞっっ!
俺が見たことのあるクジラより、ずっとでけぇっ!」
「あんたクジラ見たことあんの?」
ヴィーシャの問いにコシンジュはこっくりとうなずいた。
ロヒインはヴァイアサンの圧倒的な巨体をなめまわす。
「これだけの体躯、内に秘めた魔力もさぞすさまじいものなのでしょう。
ですが聞くところによると、ヴァイアサンさまは実質的なこの海の支配者ではないと聞いておりますが?」
すると上空のクジラの瞳が心なしか細められた。
「ククク、わしは1人が好きなのでな。海底の権力争いに興味はない。
だがわしがこの海を泳ぎまわるだけで、海の魔物たちはたいていがなびく」
「しかし、こうして我々をここに呼び出すということは、何かお困りのようですね?」
「その通りだ。今は壊滅しておる深海魔団。
わしと奴らはこの海を二分し、長きにわたってにらみ合ってきた。
もっともクラーケンの女王が存命している間は、わしも奴らをさほど意識せずに泳ぐことができた」
「クラーケンの女王、亡き海底魔団総帥、スキーラのことですね?」
「あ、あいつってクラーケンだったんだ。
どおりでなんか似通ったところがあるなと思ってた……」
コシンジュは無数の触手を生やした巨大な女の顔を思い出し、思わず背筋をふるわせた。
「しかし女王が亡くなってから、統率を失ったクラーケン達が好き勝手に暴れるようになった。
海の秩序のためわしはそんな奴らを片っ端から片付けるようになったのだが、いかんせん単独では片づけにくい」
「クジラだもんねー。体型的にちょっとムリ?」
おどけるヴィーシャをなぜかヴァイアサンがにらみつけた。
当然彼女はビクリとする。
「そういうわけだ。ぜひお前たちに手を貸してもらいたい。
スキーラを打ち倒したお前たちなら造作もないだろう」
「あ、はい。でもなんかやだなー。
あのクラーケンかぁ。単体でもおっかなかったのに、どうせあれでしょ?
今度は群れでやってくるんでしょ?」
「今さら逃げは許さん。さあ、我が身体につかまれ」
ヴァイアサンが告げると、水浸しになった砂浜に横たえた巨体をズリズリと動かしていく。
スケール感のある動きにコシンジュ達は目がくらむような思いがした。
やがてヴァイアサンの雄姿を斜め横から見上げる形になる。
イサーシュがそれを指差した。
「身体に捕まれば、ただの人間に過ぎない俺たちでも大丈夫なのか?」
「問題ない。お前たちには2つの魔法をかける。
水中でも呼吸ができるものと、我が身体に張り付き自由に移動できるものをな。
さあ、早くしろ」
コシンジュ達は委縮しながらも、言われたとおりヴァイアサンの少し埋まった黒い巨体に張り付いた。
コシンジュが少しおどろく。
「うおっ、すべすべしてる」
「さあ、では行くぞっ!」
ヴァイアサンの声にビビらされたと思いきや、突然目の前が暗転した。




