第35話 ふたたびの、激突~その4~
――ひと筋の血の向こう側に、口から血を流して倒れているクリサの姿があった。
まるで死んでいるかのような生気のない表情。
とたんに、自分の口がパクパクと動き出した。
勝手に何かをしゃべっているとわかっているが、それがなにを意味するかも分からなくなっていた。
とにかく頭が真っ白だった。
本当は何かをしなければならないのだが、あまりになにもわからなすぎてまったく身体が動かない。
そうしているうちに、クリサのもとにメウノの姿が現れる。
同時にマノータスがいたあたりから「いでぇぇっっ!」という叫びが聞こえる。
ぼう然と見返すと、顔面に矢を受けた牛頭が顔を手でおおう。
そのあいだにスターロッドが床に落ちて、フラつきながらもなんとか逃げだしている。
「コシンジュッッ!」
ネヴァダの叫びが聞こえて振り返ると、彼女が黒い手甲で棍棒を拾い上げ、こちらに投げつけてくる。
コシンジュはほぼ無意識でそれを受け止めた。
ネヴァダのそばにいたマノータスが千鳥足で近寄っていくが、ネヴァダに「くそったれっっっ!」と足の裏で蹴りあげられ、その場にひざまずいた。
コシンジュはのろのろと立ち上がると、おびえた目でクリサのほうを見た。
そばにいたムッツェリが必死の形相で叫ぶ。
「こっちは任せろっっ! お前はともかくそこにいる死に損ないをっっっ!」
コシンジュは言われるがまま、おぼつかない足取りで顔にささった矢を引き抜いているマノータスに近寄った。
音もなく忍び寄った形なので、後ろから近寄られても相手が気付いている様子はない。
その巨体が近づくにつれ、コシンジュの全身に怒りがみなぎって来た。
たかぶる感情に身を任せ棍棒をにぎる手に力を込める。
……こいつだけは許さない。
絶対に、こいつだけは許すもんか!
ようやく振り返ったマノータスに向かって、上から棍棒を一閃。
ゴロリと寝ころんだ巨人に対し、コシンジュは片手から両手持ちに切り替え、上から棍棒を思いきりたたきつけた。
相手が片手を振り上げようとしたところをたちまちに弾き飛ばし、コシンジュはさらなる追撃を加える。
もう1打、もう1打。
コシンジュは何度も、憎んでも憎みきれない牛頭に向かって棍棒をたたきつける。
相手がまったく動かなくなっても、コシンジュはひたすら棍棒で相手を殴りつけ続けた。
「……ぬああああああああああああああああああああああああああっっっっっ!」
気がつくと、誰かが腕を押さえて動きを止めていることに気づいた。
「もうやめよ。こやつはもう死んでおる」
振り返ると、スターロッドが白い指でコシンジュの腕をつかんでいた。
コシンジュは両腕の力を抜くと、彼女の首筋から肩にかけてのびるヤケドのあとを見てとり、顔をそむけた。
「気にするな。わらわは魔族ぞ、こんな傷などすぐに治る。
それより……」
コシンジュは顔をあげると、すぐに視線を変えた。
仲間たちが集まるなか、イサーシュがこちらに振り返り、かなしげに眉をゆがめている。
コシンジュはすぐにそちらに向かった。
イサーシュの身体を押しのけ、目の前までたどり着く。
顔を両手でおおうトナシェのすすり泣きを耳にしながら、両手をかざして必死に治療を続けるメウノと、その真下で動かなくなっているクリサに目を向けた。
コシンジュは言葉を発しようとするが、つかえて何も口にできない。
クリサの身体をかかえているネヴァダが口を開いた。
「どうなんだい、彼女は……」
「生きてます。何とか一命は取り留めました……」
その割にはメウノの表情には元気がない。
どう考えても無事だとは言えない様子だ。
「おい、どうしたんだよ。いったい何が起こってるってんだよ……」
コシンジュがややヒステリックな声をかける。
メウノは手をかざしながらも、泣きはらした目を向けた。
「意識が、戻らないんです。
よほど強いダメージを負ったのか、傷は回復に向かってるのにまったく意識が戻らないんです……」
「そんな、ただ単に気絶しているだけじゃ……?」
ヴィーシャの問いかけに、メウノはひたすら首を振る。
「単なる気絶と、昏睡状態ではまったく様子が違います。
私にはわかるんです」
ヴィーシャが「ふざけないでよっっ!」と飛びかかろうとしたが、ムッツェリに取り押さえられる。
コシンジュは思わず後ずさりしていくと、その背中を誰かが受け止めた。
振り返ると、赤い甲冑を着たベアールだった。
そばにはスターロッドの姿があり、うつむいて首をゆっくり振っている。
「すまない……わらわのせいじゃ、わらわのせいで……」
イサーシュが振り返って飛びかかろうとしたが、その痛々しい姿を見てすぐに動きを止めた。
なにをしていいのか迷った様子で、次第に顔をゆっくり手でおおいはじめた。
つられてコシンジュも帽子をゆっくりはぎ取り、両手で髪をくしゃくしゃにかきまわす。
ゆっくりとヒザを地面に落とすと、色のない石畳に向かって、ありのままの感情をぶつけた。
「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっ!」
死者数十名。負傷者多数。
一年中火山灰が降り積もり、それまで戦乱に巻き込まれることがなかったゾドラ帝国最大の街パンカレは、この日過去最大の死傷者を出した。
この出来事は若き勇者と昵懇の少女が犠牲になったことも含め、
「パンカレの惨劇」として、後世にまで長く語り継がれることになる。
ゾドラ城最上階、『大帝の塔』の一室にて。
ファルシスをはじめとした帝国の最高幹部が集結していた。
「犠牲者の数は決して少なくない。これは我々にとって大きな痛手だ。
特に殿下をはじめとする魔族幹部の信用は地に落ちたと言っていいだろう。
まさしく話にあったヴェルゼックとかいう魔物に、見事にしてやられたということです」
マージが顔をあげると、スターロッドの表情に生気がない。
自分のせいでクリサが犠牲になったことを重く受けとめているのだろう。
顔立ちが整っているだけに、まるでうつむいた人形のようにも見える。
「あのルキフールが、あそこまでとりみだすのを見たのは2度目だ。
よほど自らの失態を重く受け止めているのだろう。
スターロッド、お前だけが自分を責めているわけではないのだ」
ファルシスに言われ、スターロッドは眉間に細い指を当てながら何度もうなずく。
「……わらわもらしくない油断をした。
お主たちより長く生きているというのに、鼻で笑えるわ」
自嘲ぎみに言う彼女を、ベアールが肩をたたいてはげまそうとする。
しかし今だ包帯でおおわれているため低くうめいてそこを抑える。
ベアールが思わず「わっ! ごめん……」とあやまると、スターロッドはうらめしげに彼を見上げた。
当日は城の警備だったファブニーズが、うつむいて首を振る。
「それにしても、私がロヒインを城に連れていかず、かけつけておれば。
いや、無力でしたな。私も奴と同じ炎属性。戦力にはなりますまい」
「反省はこれくらいにしておきましょう。
それより、今後の展望について話しておかねば。
殿下、あの時あなた様は事態の収束のために、新しい事業をおこすべきではないかとおっしゃっていたようですが……」
マージが見つめると、魔王は大きくうなずいた。
「ああそうだ。
そこで1つ、マージに提案したい。
なにか良き策はないか。我らは土地勘がないゆえ、なにをしたらいいのか思いつかないのだが」
ここでマージは「お言葉ですが……」といったん言葉を切った。
全員が注目するのを待って、ふたたび口を開く。
「私の一存で、それを決めるべきではないと思われます。
もちろん皆さまも含めて、です」
ファブニーズが腕を組みつつ、アゴをさすっておもむろに上を見上げた。
「一度すべての幹部を結集して会議を開くべき、ということか。
それもそうだな。我ら限られた者たちだけで結論を下せば、下の者たちがどのような反感を抱くかわかったものではない」
「いや、ダメだ。それは許さん。
いまそれを催せば、幹部たちの中から『あの意見』が飛び出しかねん」
ファルシスの発言に、ベアールがおもむろに「あの意見?」とこぼした。
言いだした当人は最初口ごもっていたが、重々しく言葉をつむいだ。
「『北への侵攻』だ。
我らに不満を持つ輩はこの機に乗じ、北の大陸に今すぐ兵を差し向けよと申し立てるはずだ」
ふせていたスターロッドが思わず顔から手を離し、あわてるように首を振った。
「そんなバカな。いまこの国は先の戦乱で多くの兵を失っておる。
軍が立ち直らないうちに北に攻め込めば、より多くの犠牲者が出よう。
いくらなんでも今すぐ兵を出すなどという提案などしないはずじゃ」
「それこそが奴らの狙いなのだ。
お前も耳にしているだろう、臣下の者たちの声を」
スターロッドではなくベアールが口を開く。
「確かに、騎士たちの俺らに対する期待は高い。
でもだからってあいつらが今すぐ乗り気になるかどうかは疑問ですよ?」
「しかし、彼らはこう思うだろう。
もしや我らの力さえ借りられれば、北の軍勢を打ち破られるかもしれんと。
命令さえ下せば、彼らは傷ついた身体にムチを打って立ち上がることだろう」
そしてファルシスは人差し指を突き立てた。
「もう一度言う。そこからが不満分子どもの狙いだ。
もし我らが北の侵攻に失敗してみろ。
それ見たことかと奴らは我らをなじり、戦うことなく我々を政権から追い出すことが可能となる。
いままで隅に追いやられ続けてきた者たちが、一気に権力をにぎる好機となるわけだ」
ファブニーズが腕を組んでため息をもらす。
「おろかな。そのような者たちにまともな国家運営が出来るとは思えん。
どうせ腐敗してまた庶民どもを苦しめるに決まっている」
「その時はまた我らが立ち上がればよい。
しかし、どちらにしろ北の人間たちが犠牲になるのは避けられん。
マージ、お前の提案は受け入れがたい」
「陛下、いまいちど申し上げます。
これ以上内輪だけで今後の方針を議論していれば、我々の信用は地に堕ちます。
パンカレでの悲劇が起こってしまっては、引き延ばしはもう無理かと……」
言われてファルシスは腕を組み、考え込んだ。
臣下たちがかたずをのんでそれを見守る。
若き魔王は目を閉じ、そしてぱっと決意したような顔を浮かべた。
「とりあえず、会議は催すとしよう。
あとはあの者たちの理性にかけるしかあるまい」
それを聞いて、ベアールとスターロッドが深いため息をついた。
スターロッドに至ってはいまいましげにマージを見つめる。
「なんという提案をしてくれたのじゃ、お主は。
ルキフールならともかく、仁徳あるお主の口からそのようなことをのたまわれては、わらわは信用することができんぞ」
「私はただ、効率の面から提案をしただけです。
どのみち戦乱は避けられないのなら、より被害を最小限に抑えるべきか、と」
それを聞いたベアールが複数の穴が開いたヘルムを上にあげた。
「いやだなぁ、俺は。
今すぐの北への侵攻には大義がない。
まずは国を立て直し、より強い力をつけてから、北の連中へ従うべきどうかをあおぐべきだ」
「それはどうかな。
聞いた話では、北の人間たちは真実を知らん。話したところで信じる者などいはしないだろう。
奴らの目からは、傲慢なゾドラ人が魔族と手を組んでまで北に攻め入って来た、としか映らんかもしれんぞ」
含み笑いを浮かべたままファブニーズはつぶやく。
マージは自分で言いだしておきながら暗澹たる面持ちになった。
「せめて、ランドンの進んだ技術を導入し、国を富ませる時間さえあれば。
この国の兵士たちも北の者たちに掌を加えてくれるのでしょうが」
「クソッッ! ヴェルゼックの野郎っ!
何てことをしてくれたんだっ!
こんなことしたって、自分が追われる身とあっちゃ何ひとつできやしないクセにっ!」
吐き捨てるベアールに、スターロッドは顔をゆがめて告げる。
「乗り切れると思いあがっておるのじゃろう、あやつは。
奴が追手の幻魔愚連衆の力をあなどってくれればよいのじゃが……」
言いながらも、スターロッドの顔はどこか浮かなかった。
それを見つめるファルシスにも、不安な気持ちを抑えきれなかった。
「とにかく、もし北への侵攻が決定しても、我らは精いっぱいの努力で被害を最小限に抑えるとしよう。
支配を受ける者たちが、我らに対して必要以上の不満を抱かれてはたまらぬからな」
言いながら、ファルシスの頭の中にはひとつの考えが浮かんでいた。
ヴェルゼックは、すべてを見越してこれらの姦計をしかけたに違いない。
あの者は享楽的な言動を続けるなかで、着実に我々をよからぬ方向へと導く知恵を、たしかに持っているのだ。
奴はいずれ、ふたたび我々の前に姿を現すに違いない。
その考えを振り払い、ファルシスはいかにしてこれからの事態に備えるか、思索しなければならなかった。
ふと、ある考えがよぎった。
コシンジュのことだ。
意識不明におちいった件の者を考えると、こちらの方も何らかの手を打っておかなければならない。
自分たちの失敗で、勇者は苦しむことになったのだから。




