第35話 ふたたびの、激突~その3~
チチガムがファルシス達から離れてしばらくしてからのことだった。
マージはうつむき、眉間を指で挟んだ。
「危うく、お2人を危険にさらすところでした。
兵士をもう少し残しておけば、私ももう少しお役に立てたと思うのですが」
「言ってくれるなマージ。
あのような異形を目にするのは初めてだったのだろう? おびえ上がるのも無理はない」
ファルシスはいまだにふるえているエンウィーを抱きかかえながら言うが、その顔に余裕がなくなってくる。
「危うくスキをつかれるところであった。
マノータスめ、決して逃すことは許さん」
ファルシスにつられ、マージも牛頭の巨人が消えていった方向を見つめた。
「それにしても、少なくとも敵はある程度の目的を達成できました。
奴の言うとおり、今回の襲撃が我々の展望にどれほどの影響を与えるか……」
「まったくだ。我々の帝国支配はまだ始まったばかり。
完璧な信用を得ないままに強硬派魔族の襲撃を受けてしまっては、結局は民たちに大きな不安要素を与えてしまったようなものだ」
顔を伏せていたエンウィーがファルシスを見上げ、「どうなるのでしょう?」と問いかけた。
ファルシスは目を向けずにそっと黒髪をなでつけた。
「何か大きな事業を起こさねばなるまい。
地道な成果ではなく、短期間で目に見えるほどの効果をあげる実績をあげなければ、あるいは我らはこの地に住めなくなるやもしれぬ」
エンウィーの表情が硬くなった。
結婚したばかりだというのに、下手をすれば離れ離れになるかもしれない。
その不安を察してか、ファルシスがようやく目を合わせてきた。
「心配するな。そうなったとしてもお前は必ず連れていく。
お前は国を離れるのがこわいのか?」
エンウィーはもう一度夫の身体にしがみついた。ただし、今度は相手をいとおしむように。
「いいえ、そのようなことはありません。
あなた様がそばにいて下されば、それで十分です」
おだやかな笑みで瞳を閉じる新妻。
ファルシスもまたほほえみを浮かべ、レースに包まれた黒髪をなでる。
その時、前方から何者かが現れた。
エンウィー以外の視線がそちらの方に向く。
マージにいたっては棍棒を構え、「新手の敵かっ!?」と叫ぶが、そばにいたエルゴルが抑える。
「魔王軍宰相、いえ魔界王、ルキフール様にございます」
思いなおし、人間側の宰相は姿勢を正して頭を下げた。
小柄な体躯をした老人姿の魔物は、しかしどこか足元がおぼつかない。
マージが相手の顔をうかがうと、緑がかった表情には深刻な色がうかがえる。
ファルシスがいぶかしんで問いかける。
「どういうことだルキフール。お前がこちらの世界に現れるとは珍しい。
この事態に何か身に覚えでもあるのか?」
おどろいたことに、ルキフールはその場に両ヒザをついた。
拳をにぎってそれも地につけると、低いうなり声を発した。
「う……うぅ……うううっっっ」
「どうした、ルキフール。いったい何があったのだ?」
ファルシスがあきらめず問いかけ続けると、マージが神妙な顔つきで答えた。
「殿下、もしや、敵方にしてやられたのでは?」
それを聞くやいなやファルシスは立ち上がる。
それを目にしたルキフールが、がく然とした表情になり、そして思い切り身を伏せた。
「……ううぅぅぅぅぅぅぅっっ!
もうしわけっ、もうしわけございませぇぇぇぇぇぇぇ! ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~~~~っっっ!」
慟哭するルキフール。
マージが思わずうしろを振り向くと、ファルシスは顔に悲壮感をただよわせていた。
そしてもう一度矮小な魔物に目を向ける。
彼がこのような感情を見せるのは珍しいことなのだろう。
一方、仲間たちの帰りが遅いことを心配したクリサは、こっそりと街の中に出ていた。
パレードがあるため人っ気がないのは当然なのだが、いかんせん遠くで起きている騒ぎに違和感がある。
街の中心へと近づいてみると、案の定受け入れがたい光景が広がっていた。
道端で倒れている生き物は、とてもこの世のものとは思えなかった。
全身が焼け焦げたかのような犬。
両手両足から鋭い爪を伸ばし、振りみだした長髪の全裸の人型。
遠くには同じ人型でも常人の2,3倍はあるだろう赤黒い皮膚を持った巨人までいる。
「これが……魔物……」
どういうわけなのか、パレードの最中に突然魔物が現れ、人々を襲っていたらしい。
クリサのまわりには犠牲者はいないようだが、さすがに死傷者ゼロということはありえないだろう。
「……ギャヒィィィィッッ!」
突然頭上で奇声があがった。
おどろいて振り返ると、クリサの足元に人型の魔物が激突。
おっかなびっくり後ろに飛び跳ねると、その背中に一筋の矢が突き刺さっているのが見えた。
自然と矢が飛んできたであろう方向に目を向けると、見覚えのある姿があった。
「お前は、クリサッ! なんでこんなところにいるっ!?」
つがえる矢のなくなった弓を下ろし、ムッツェリが肩をいからせて近寄って来た。
「いくらなんでも戻ってくるのが遅いと思って。
まさかこんなことになってるなんて……」
ムッツェリは目の前にたどり着くなり、乱暴にクリサの方をつかんだ。
「今すぐ戻れっ! 敵は残り少ないがまだどこかにいるんだっ!
お前が対処できるような相手じゃないっ!」
「ご、ごめん、でもあたし1人で逃げるのも……」「あぶないっっ!」
すると乱暴に払いのけられた。
よろめきながらも振り返ると、ムッツェリは腰に差したククリナイフを引き抜いて目の前の炎の玉を斬りはらった。
そしてかけぬけてくる赤い光を放つ犬に向かって構えをとり、飛びかかるタイミングを見計らって斬りつけた。
攻撃が当たるなり犬の首はおかしな方向にねじ曲がり、石畳に叩きつけられる。
「仕方がない。決してわたしのそばを離れるなよ? わかったな!」
振り返って鋭い視線を向けるムッツェリに、クリサはのどを鳴らしながらうなずいた。
2つの巨大剣を器用に振り回すマノータス。
時おり払ってくる炎の武器を、コシンジュはよけたり伏せたり飛び跳ねながらかわしていく。
「オラオラッ! 避けていてばっかりで自慢の棍棒は使わない気かっ!?
ナメるのもいいかげんにしろやっ!」
コシンジュは斜めから振り下ろしてきた剣に目を向ける。
「だったらお言葉に甘えてやるよっ!」
そのまま手にした棍棒を上に向かって振り上げる。
鋭い光を放って弾かれた巨剣は、しかしマノータスの怪力のせいかさほど大きくははねのけられなかった。
マノータスは反対の剣でコシンジュを狙うが、棍棒の力により余裕があるためすぐにそれをもはね返す。
本当は叩きつけ攻撃を狙いたかった。
そうすれば石畳に剣がぶつかった瞬間に上から棍棒で叩きつけられるので、相手の武器をめり込ませることが可能なのだが。
相手もそれを警戒しているためかなかなかやってこない。
マノータスは次々と剣を振りまわしながら余裕で問いかけてくる。
「ハハハハッッ!
すばしっこい動きをしているくせに、オレ様の連続攻撃に対抗しているだけで精いっぱいかっ!?」
「チッ!
動きはノロくてもそんなバカでかい武器2つをホイホイ払われちゃこっちも対処できないだろうがっ!」
マノータスはこちらに近寄ってくる様子もない。
距離を詰めれば懐に飛び込まれるリスクを理解しているようだ。
コシンジュは顔をしかめた。こいつ、思ってた以上にかしこい。
しかし、こうして相手と剣戟を繰り返しながらも考えている余裕があるということは、自分もいくぶんか成長しているということだ。
相手がこちらを出しぬく考えを思いつく前に、自分から先手を打たなければいけない。
コシンジュは相手の攻撃を受け止めず、バク転してかわした。
そしてそのまま後ろ向きに器用に走り出した。
「なんだてめっっ! バカにしてんのかぁぁぁっっ!」
そう言ってこちらに走り込んできたマノータス。狙い通りの動きだ。
コシンジュはUターンし、向かってくる巨体に自ら近寄っていく。
マノータスが巨大剣をまっすぐ突き出すと、横に飛び跳ねたコシンジュは再びかけ込んで剣の根元に向かって思い切り棍棒を上からたたきつけた。
剣を持つ拳が思い切り下がり、マノータスが思わず「グウゥゥッッ!」とうめいた。
「……こしゃくなぁぁぁぁぁぁぁっっ!」
押し下げられた剣の向こうから、もう1つの剣が向かってきた。
コシンジュはそれを軽々とかわし、これまた軽快な動きで棍棒を刀身に叩きつけた。
炎の剣を持つ腕が不自然な形でマノータスの巨体に押し付けられる。
コシンジュは素早くかけ込むと、上から刀身に向かって棍棒をたたきつけた。
マノータスのヒザが折れまがると、コシンジュは今度は両手で棍棒をにぎり、追撃をかます。
「ぬごあっっ!」
剣をたたきつけられる衝撃に負け、マノータスが地面に倒れた。
コシンジュの追撃は止まず、炎の剣に向かってもう一度棍棒をたたきつけた。
光とともに、巨大な剣はとうとう2つに割れてしまった。
「ぬわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」
動転したマノータスは剣を捨てて横に転がった。
体勢を立て直そうとしたところを、コシンジュは走り寄ってジャンプし、ひざまずくマノータスに向かって棍棒を払った。
「ぐはあぁぁぁぁっっ!」
押し倒され腰を抜かす格好となったマノータス、コシンジュはさらに追撃する。
炎の巨人は巨大な手でコシンジュを振り払おうとするが、それもまた光の打撃を食らい払いのけられた。
がら空きになった胴体に向かって棍棒を一閃。
「ぐおほっっっ!」とたんにマノータスの炎の鎧が吹きとぶように消えてなくなった。
「なかなかいい動きしてたけど、詰めが甘かったな」
コシンジュは棍棒の先を、巨大な牛の頭に向けた。
マノータスは一瞬それに目を向けたあと、こちらをにらみつけて炎のブレスを放った。
しかしそれもコシンジュが口に押し当てることで別の方向に放射されてしまう。
息を止めたマノータスは、コシンジュが武器であごを押し上げると、低いうめき声をあげた。
「……ぬぅぅぅぅ、
てめえのようなクソガキに、このマノータス様がいいように扱われるなんて……」
「ちょっと前までのオレだったら、もっといい勝負になってただろうな。
だけどオレは強くなった。
ナリは小さくとも、いまのオレに神様の武器を持たせたら、魔王以外に勝てる奴なんていねえんだよ」
「クソッッ! このオレ様が人間ごときにっっっ!」
「……人間ごとき、か。
そうやって甘く見ることこそが、貴様の敗因よ」
コシンジュが横に目を向けると、同じく黒い円環を突きつけて見下すスターロッドの姿があった。
「スターロッドさま、こいつはオレの相手なんです。
とどめはオレにやらせてください」
言うが、幼くも見える美しい容貌は静かに横に振られた。
「この者の所業、たしかに許しがたい。
しかしその命を絶つのはお主の役目ではない。裏切り者の処刑は同類に任せておけ。
わざわざお主がその汚れ仕事を引き受けることはない」
とたんにマノータスが振り返った。
「裏切り者ぉっ!? お前たちが裏切ったんだっっ!
オレたち主流の魔族を裏切って、お前らはこんな下等生物と手を結んだんだぁぁぁっっ!」
「忘れるな。
わらわはもともと穏健派に属するものぞ。
もともと中立派だったファブニーズとルキフールは、状況を鑑みて我らについたにすぎぬ。
そしてファルシスにいたっては、己の本心に従ったまでのことじゃ。裏切ったわけでは決してないぞ」
マノータスは万事休すという状況も忘れ、炎がちらつく拳を思い切り石畳に叩きつけた。
「ふざけるなっっ!
お前たちの先祖は人間だから同情するのもわかるっっ!
だがオレたちはどうなるんだっっ!
ずっと人間どもに従ってせせこましく生きていかなきゃいけねえのかっ!
それとも魔界に帰ってお前らをにらみつけながら肩身の狭い思いをこれからずっとしなきゃいけねえのかっ!?
ずっとずっと死ぬまでってかっっっ!?」
「そうすればよかろう。
お主ら強硬派が血の気の多い連中だとは理解しおるが、もはや負けは確定したのじゃ。
魔界のぬるま湯の中でずっとおとなしくしておるがよい」
マノータスは顔を伏せた。
コシンジュはどことなく違和感のようなものがあった。
「……ふざけんじゃねえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっっっ!」
マノータスはいきなりスターロッドに飛びかかった。
美しいダークエルフは余裕たっぷりに円環を突き出された手に向かって払った。
大きくはじけ飛ぶ巨大な手のひら。
「愚か者めっ!
このダークエルフの女王を甘く見るでないっ!」
片腕が払いのけられた不自然な体制になっていたマノータスだったが、苦痛を感じるどころかむしろ怒りをみなぎらせ、もう片方の手を突き出した。
「……てめえこそ、
このオレをナメんじゃねぇぇぇぇぇぇぇぇっっっ!」
「そんな! 苦痛を感じておらぬ……
ぐはっっっ!」
驚がくに目を見開いていたのがまずかった。
抵抗する間もなくスターロッドの細い首に巨人の指が挟み込まれた。
「……スターロッドさまぁっっっ!?」
おどろくコシンジュにマノータスは腕を振り払ってけん制する。
宙ぶらりになりながらも、なんとか抵抗しようとするスターロッド。
そのしなやかな両足をひょいとかわすと、マノータスは立ち上がり残った腕を横に突き出し、必死にもがくスターロッドをかかげた。
コシンジュは目をむいた。
「動くな小僧っっ!
もし一歩でも近づいたら、愛しのスターロッドちゃんの首がへし折られるぜっっ!」
マノータスの狂気にゆがんだ顔が、ゆっくりとつかみ取った獲物に向けられた。
「……なんてこったっっ! オレの手の中に、ダークエルフの女王様がいるぜっっ!
まさかこんなことになるなんて思いも知らなかったなっ!
いまなら、煮たり焼くなりオレ様のやりたい放題っっっ!」
闇の女王は美しい顔を台無しになるほどゆがめる。
すらりと伸びた両足を必死にジタバタさせ、両腕は太い指に必死にしがみつく。
が、単なる力勝負ではマノータスのほうが上のようで、まったくうまくいかない。
「クソッッ! このわらわとしたことがっ!
コシンジュ、すまぬっっっ!」
「てめえはだまってろやぁぁぁぁっっっ!」
マノータスが相手の首を締め付けると、そこから蒸気がわいてスターロッドが目を大きく開いて苦痛に美しい顔をゆがめた。
「ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」
「スターロッドさまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!」
コシンジュはヒステリックな叫びをあげる。
初恋の相手のあまりにむごい仕打ちを見て、思わず足が動きそうになった。
とたんに牛頭がこちらをにらみつけてくる。
「動くなっつっただろうがこのクソガキがぁぁっっ!
本当に殺しちまうぞぉぉぉぁぁぁっっっ!」
しかしその表情はすぐにおとなしくなり、次第に口の端を吊りあげた。
「と言っても、せっかくの人質を殺しちまうのはもったいねえな。
コゾウ、この最高のベッピンさんを苦しめられたくなかったら、おとなしく神の武器をこっちによこしな」
「だ、ダメじゃコシンジュ。
そんなことしてはいけない、そんなことをしたら……」
「うるせぇダマってろっつってんだろうがぁぁぁぁぁっっっ!」
「があぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」
スターロッドの顔の下からまたしても蒸気が上がる。
コシンジュは見ていられなくなり、首を振りながら棍棒を石畳に向かって転がした。
「そうだぁぁぁぁっっ! ボウヤは取ってもオリコウさんだねぇぇっっ!
おっとそこらへんの奴らも動くなよぉぉうっ!
こっそり忍び寄ろうとしてもムダだからなぁぁぁぁぁっっっ!」
マノータスは後ろに振り返り、スターロッドの身体をゆさぶりながら告げる。
自分たちの相手を倒してこちらに向かってこようとしていた仲間たちは、それで足を止めてしまう。
「そしてなにより! そこの暗がりから狙ってるお前っ!
オレたち魔族は夜目が効くってことを忘れんなよっ!?」
マノータスが真横の建物を指差す。
見ると、建物のかげからこっそり弓矢を構えていたムッツェリが顔をしかめながら武器を放り投げた。
そばには心配してかけ付けてきたであろうクリサの姿があった。
コシンジュはまわりを見回して告げる。
「みんな近づくなよっ!
下手なことをするとスターロッドさまがあぶないっ!」
それを聞いたマノータスが、目の前に落ちていた棍棒に目を向ける。
「クククク、数多くの仲間の血を吸ってきた伝説の武器か。
こいつは破壊しておかないとな……」
コシンジュもまたそれに目を向ける。
しかしあまり動揺していなかった。
これは神々の武器だ。もしかしたら何らかの力が働き、自分を助けてくれるかもしれない。
マノータスが目の前に近寄り、片足を大きく上げた。
コシンジュは出来るだけ平静を装い、注視する。
踏め、踏んでしまえ。
そしたら何かが起こり、お前の足のほうがヤバくなるはずだ……
「……おおっとぉ! そうはいかないぜぇっっ!」
マノータスは突然足を戻して、足をすって棍棒を蹴りあげた。
とたんに閃光がちらついてマノータスが少し飛び上がった。
「ああっっ! いててっっ!
やっぱりそう来たかっ! あやしいと思ってたんだぜっ!
よくもまあこれをとり上げておきゃ全部終わるだなんて考える奴がいたもんだっ!」
それを見てコシンジュは目元を手でおおい、思いきり「クソッッッ!」と吐き捨てた。
「グハハハハハハハッッッ! 残念だったなぁっっ!
これでもお前の最後の打算もなしだぜっっ!」
コシンジュの前に、およそ自分の三倍はあろうかという巨体が迫ってくる。
まずい、このまま蹴りあげられたら間違いなく自分は死ぬ。
太い足の先にある爪はそれなりに尖っており、あれがのどもとにでも当たれば確実にヤバいだろう。
コシンジュは逃げようと思うが、思うように足が動かない。
必死に両足に動けと命令するが、足のほうはムダだと悟りきっているかのようだ。
もし自分が死んだら、どうなるか。そんなこと全く考えることができなかった。
ただただ、自分の無力さを呪うばかりだった。
誰かが叫ぶ声がするが、それがなにを意味するのかすらもまったく理解できずにいた。
目の前に現れたふと足がけり上げようとする動作をしたとたん、なぜか身体が横方向に押し出された。
思い切り地面に押し倒された瞬間に、近くで「ぐふぅぅっっ!」という叫び声が聞こえた。
コシンジュは意味がわからず、気がつけば離れた場所にある棍棒が目に入った。
あれを取り戻せば、マノータスをすぐに片づけられるかもしれない。
「クソッッ! 肝心なところで邪魔をしやがってっ!
なんなんだあのガキはいったいっ!?」
胃の中がひっくりかえるような感覚がした。
とたんに全身に悪寒が走る。
重い全身を必死になって裏返すと、そこには信じられない光景が広がっていた。
――ひと筋の血の向こう側に、口から血を流して倒れているクリサの姿があった。




