第33話 夜明けの帝国~その2~
ゾドラ城に巣食っていた巨悪たちはすべて粛清された。
しかしこの城の中には、己こそが最も罪深い存在だと自覚している者がいた。
もし自分が不覚をとり、病に伏せることがなければ、今日の帝国の腐敗はなかったやもしれぬ。
かの者はそう考えていた。
裁かれるべきだ。そうも考えていた。
魔王軍がこの地にやって来たとき、まさに自分はそれを受ける時が来たのだと期待していた。
しかし、皮肉なことに己に裁きを下す存在は、自分が思っていたものとまったく別の存在だった。
裁きを下すのは、輝かしい光の象徴ではなく、それとは正反対のほの暗き闇の頂。
もっともそれは単なる偏見にすぎず、それは全くの暗闇から抜け出して、己にまとわりつく黒き泥水を必死にぬぐい去ろうとしているのだが。
さて、この事態をいったいどうするべきか。
相手は強大であり、己はもはや剣をまともにふるうことさえできない。果たして抵抗などできるものか。
それでも、自分はかの者に問いかけねばならない。
息をひそめて待ち構えていると、その者はついに己が座る最上階の広間に続く扉を開いた。
扉を両開きにすると、その広間はあまり光がとられていなかった。
天井から差し込む光芒だけが床を照らし、それもまた曇天であるためあまりに心もとない。
夜目に慣れた魔族は視線をこらし、奥に鎮座する鎧姿の人影をとらえた。
「……よくぞ参られた。
ようこそわが居城、わがすみか、『大帝の塔』へ。
数々の試練を超え、ここまでやって来たことに敬意を表し、また我が国で暴利をむさぼっていた不届き者を成敗してくれたことに、深く感謝する」
玉座のそばには鎧を着た年老いた老人と、ごく普通の召し使いの衣装をまとった侍女がついていた。
2人はこちらに気づき、老人は前に進み出て剣を向け、侍女は手に持つ器をそばにある台において、玉座の後ろに隠れた。
「不届き者っ! こちらにおわすのは天下の大帝陛下であるっ!
身命にせねば一刀のもとに切り捨てるぞっ!」
玉座に座る者が、片手をあげて老人を制す。
「やめよ、お主が戦って勝てるはずもなし。
それに彼は客人ぞ。下手な手出しは無用」
老人は振り返って訴えるような声をあげる。
「しかし陛下、この者は我が国を乗っ取りに来たのです!
もし奴がこの玉座につけば、陛下のお立場は……!」
「報いが来たのだ。
わがはいはプラード達に対し、あまりに無力であった。
彼らを止められなかった報いは受けねばならぬ。一切の抵抗は無用である」
老人はそれでも戸惑っている様子だった。
玉座は思わず「下がれっっ!」とどなりつけた。
しかし直後にせき込み、口に手を近づけ前のめりになる。
侍女が思わず肩に手をかけるなか、老人はうつむいて少ない段差を登った。
ファルシスは進み出て、なにも手にしていない両手を広げた。
「言っておこう、わが剣は敵に折られている。
その敵が持っていた斧を手にしてもよかったが、もはや戦いは終わったのだ。
そのようなものは余には必要ない」
せき込むのを終えると、玉座の者は顔をあげた。
ほのかな光に照らされたその願望はひどくやつれている。
頭にかぶる王冠と、口元にびっしりと生えた白いヒゲだけがその威厳を現していた。
「そうか、プラードは散ったか。
わがはいの衰弱により暴走したものの、かつてはラシリスやマージと同じく、わがはいのために身命を賭してくれた良き臣下であった」
大帝クリードグレンは赤い背もたれにもたれると、深くため息をついた。
「あの者だけではない。
スローラス、グラトーニ、アンカー、そしてララスト。
これらの者はみなわがはいに忠誠を誓い、非常に尽くしてくれた。
わがはいがこのようにならねば、貴公に命奪われることもなかったであろう。
まことに惜しい者たちであった」
「ほう、言ってくれるではないか。
兄を裏切り、兄が作り上げたこの国を乱すに乱したその者たちに、そのような言葉をかけるとはな」
ファルシスが不敵に笑うと、大帝は逆手に握る剣に力を込めた。
「確かに許しがたいものだ。
しかし、あやつらにしてみれば当然のことをしたまでのこと。
ここは大国家とはいえ、人々を養うことができる食料に乏しい。
人の波を押しのけてでも、己の糊口をしのがねば。
そういった心の飢餓が、この国には蔓延しておる。
それが貧しきものであれ、富めるものであれ、ここに住まうありとあらゆる者の心の中に巣食っておる」
「しかし、それを兄はなんとかしようとしていたのであろう?」
大帝はゆっくりとうなずいた。
「無論。わがはいはたまたま才気に恵まれた。
それによって人々をまとめ上げ、この大陸を1つの国家とした。
そして大陸中のあらゆる富や材を管理し、それを公平に分け与えることによってこの国の飢餓を一掃しようとした」
しかし大帝の顔色がくもり、ゆっくりと横にふられる。
「しかしそれはあまりにもろい大望であった。
この国の権威は、わが身ひとつによって成り立っていた。
そのただ1つの権威が倒れれば、国を支えていた土台はたちまちのうちに崩れる。
臣民の中にはまだこの死にぞこないを慕うものが多いが、中枢を担う者たちはそうではなかったようだ。
彼らはこの国の欠陥を見抜き、そして己の抑えていた我欲を目覚めさせ、自らの思うがままに突き進んだ」
「しかしその腐敗も今日で終わる。
この国のもろさの原因は、中心となる柱があまりにもろすぎたからだ。
たとえ偉大なる覇気を備えていようが、単なる人間の身では心細すぎる」
「なるほど、それで貴公はこの玉座を狙うか。
たしかにもっともらしい言い分ではある。
最強の力を携え、限りなく朽ちることのない究極至高の君主よ」
しかし、大帝はふるえる両腕で剣を持ち上げ、それをクルリと順手に持ち替えた。
こちらをまっすぐとられる瞳の中に、ファルシスは何かを感じ取った。
弱り切ってなお、この男の目にはここまで力が宿るのか。
魔王は思わず心の底がふるい立つような思いにかられた。
「しかし惜しむらくは、貴公が神々の誉れ高き勇者ではなく、かつて圧倒的な軍勢を持ってこの地を蹂躙した、悪しき王の息子であるということよ。
魔族の王よ。わがはいは深き疑念を持って貴公に問いかける。
問いの答え次第では、このきしむ老骨に鞭打って、この太刀をあびせねばなるまい」
そしてプルプルと剣先をファルシスに向けた。
「貴公は魔族の王、その絶大な力の前では、わがはいが長年辛苦をもって平らげたこの大陸でさえ、手に余るだろう。
果たしてこの国だけで満足できようものか」
「兄はこの大陸だけで手一杯、そう言わんばかりのようだな」
神妙な顔つきの、大帝の顔がわずかにゆるんだ。
「ふふ。わがはいはただ、苦難にあえぐ大陸の人々を救わんとしたのみ。
彼らの心に巣食う、北に対する憎しみまで煽ろうとは思わなんだ。
わがはいが壮健であれば、北に攻め入ろうと考える者たちを出来る限り静めようとしたであろう。
北の地の技術を取り入れ、国を豊かにすれば民たちの心も癒える、そう信じてな」
ファルシスは深くうなずいた。
「なるほど、兄は余が想像した以上に聡明であるようだ。
ただ己の野心のおもむくままに他の地を攻め滅ぼす、亡き父のような存在ではない」
そしてファルシスは両手両足を広げる。
見る者にとっては思わず息をのむ威厳ある姿だ。
「そして兄は、余が想像していた以上の人物だ。
正直、こうして相対する前は心のすみで兄を軽視していた。
しかしこうして接見し、会話をかわしてみれば、兄がいかに数多くの人々の尊崇を集めていたか、その理由に得心がいった」
そしてファルシスは大帝に向かって片手を振り仰いだ。
「病に伏してなお、兄は絶大である。
並みいる魔族を一手に担う余からしても、その雄姿、心の底より感服する。
大帝クリードグレンは史上もっとも偉大なる君主として、後世に長らく語り継がれるであろう。
この魔王ファルシスが保証する」
それを聞き、大帝の方がふるえだした。
目をこらすと、彼は低い声で笑い出しているようだ。
「……ふふふふふ、すべての魔を従える王の口から、そのようなことを耳にするとはな。
一国の主として、まさかそれがほめ言葉として受け止められるとは、なんとも滑稽なことよ」
「史上もっとも偉大なる君主よ。質問に答えよう。
まこと勝手ながら、余はそれをも超える存在となるつもりだ。
この地のみならず、地上におけるあらゆる国を平らげ、それを1つの国家としてまとめよう。
余は2つの世界にまたがる絶対的な君主として君臨する」
相手がこちらをまっすぐ見つめるのに任せ、ファルシスは拳を前に掲げた。
「確かに余の心のうちに野心はある。
しかしそれは未来永劫絶対的な平和のもとに収めるため。
余はこの身にあふれる強大なる力を持って、魔族と人間、あるいはそれらが互いに争うことのない、安心して暮らしていくことのできる千年国家を築き上げていくことを、兄の前で誓おう」
それを聞いた大帝は、目を丸くするばかりだ。
しかし次の瞬間、その顔色がくもった。
「なんたる壮大なる夢。
しかし、それを天上の神々が黙ってはおるまい」
「余に父のような邪心はない。
それでも手を下そうとするのならば、いたしかたあるまい。
天をも制し、3つの世界をすべてこの手に牛耳るまで」
返事がない。
そう思いきや、大帝は突然額に手を当てて笑いはじめた。
その笑いが次第に大きくなる。
「……ククク、ハハハ、アハハハハハハハハハハハッッッ!
見事っ! あっぱれだっっ!
そのような大層なる野望、一介の人間にすぎぬわがはいには思いもつかぬこと!」
そう言ったあと、クリードグレンは少しせき込んだ。2人の従者が心配げにそれを見つめる。
しかし大帝はそれにかまわず、こちらに向けて剣の柄を突きつけた。
「よかろうっっ! この玉座、貴公にくれてやるっ!
さあ、この大帝の剣を手に取り、我が首をはねるがよいっ!」
ファルシスは進み出た。
従者たちがおびえるなか、段差を登って剣を手に取るが、それを左右にやって品定めしたあと、空になっていた鞘の中に収めた。
「我が首はいらぬと申すか。
それともこの首にそれほどの価値はないと?」
「そうではない。
余にとっては不要の命でも、それをまだ必要としている者がいる」
大帝はため息をつき、「エンウィーか……」とつぶやいた。
「あれは良き娘だ。
かくなる上は大帝、兄にかの者をわが妻に迎えたるを、許していただきたい」
向かい合う3人が目を大きくした。
大帝にいたっては少し首をかしげている。
「確かにあの者は余にとっては自慢だが、魔の王たる貴公には少々もの足らぬであろう」
「そうでもない。あの者は兄の血を良く引き継いでいる。
魔王たる余を前にしても、少しも動じることはせぬ。余はあれをよく気に入った。
それに、余は兄の娘に重要な役目を担わせたいと思っている」
「重要な役目……とは?」
いぶかしげな目を向ける大帝に、ファルシスは不敵な笑みを浮かべた。
「人と魔、2つの血を引き、
そして大帝と魔王の2つの座を受け継ぐ世継ぎをもうけたいと思っている」
「ふはっっ! ふはははははははははははっっ!
それは大それたことをっ! 3界を統べるだけでなく、思考の異なる2つの種族の心をも、永遠につなげようという気かっ!
それはおもしろいっっ! ぐはっ! ぐははははははっっ! ぼへっ! ぼはぁっっ!」
激しくせき込む大帝。
従者たちがその身を抑えるのに合わせ、ファルシスも気を使って足を後ろに進めた。
階段を登り終えたところで、ようやく息を整えた大帝がこちらに片手を向けた。
「待たれよ。
お主は先ほど余を生かすと言ってくれたが、やはりこれほどのことをされておめおめと生きながらえることはできん。
我が娘をここに呼べ。余自ら、かの者を説得して見せよう」
若き魔王が顔を向けると、大帝は力ないながらも不敵な笑みを浮かべた。
「案ずるな。
貴公と我が娘の思いを引き裂くことがないよう、出来る限りの努力をしよう」
ファルシスはうなずくと、くるりと反転して入って来た扉を戻っていった。
階段を登り終えると、ひそかに心配していた3人の姿があった。
こちらに気づいて振り返った3人のうち、ベアールが大きく手を振ってくる。
「殿下~、無事で何よりで~す!」
安堵のため息をつきつつ、ファルシスはあきれた声を発する。
「ベアール。元気そうではないか。
あの道化師がそれほど弱い存在だとは思えないが?」
「それぇ、こっちの2人にも言われましたけど、俺には『あの力』があること知ってるでしょ?
どれだけ苦労したと思ってるんですか」
そのあと「正直あの力を使う時はしんどいんすよ」とつぶやく。
そんな彼をしり目に、ファルシスは他の2人に目を向ける。
「傷ついているな。
前に予告していたとはいえ、やはり一筋縄でいく相手ではなかったか」
ファブニーズとスターロッドは首を振った。
先に紅白のローブのうち赤の比率が高くなった竜王が口を開く。
「なにをおっしゃいます。このようなもの、単なるかすり傷です。
何ならいまから城の周りを飛び交ってごらんに見せましょうか?」
「同じじゃ。まあわらわの相手は決して弱くはなかったがの。
わらわのほうが一枚上手だった、それだけのことじゃ」
ファルシスはそう告げるスターロッドの美しい身体につけられた傷を、なめまわすように見る。
「そう言われても、見ていて痛々しいと思わない方が無理だな」
スターロッドは視線を外して少し顔を赤らめた。
「そういうお主はどうなのじゃ。
お前が使っていた剣、そこに折れておるぞ。
傷は負っていないようじゃが、実際はどうだったのじゃ?」
ダークエルフが黒い鎧をアゴでしゃくると、ファルシスもそれを見下ろした。
「フン、腕は確かだったようだが、しょせん魔王の敵ではない。
あっけなく首をはねられたわ」
ベアールとファブニーズはうなずいたが、スターロッドも同じようにしながらも意味深な視線を向けた。
実際はきわどかったことを悟られているのかもしれない。
「魔王っ! 無事だったのかっっ!」
聞き覚えのある声に振り向くと、エンウィーが駆け足で広間に入って来た。
黒い鎧を目にするやいなや近づいてきて、「この裏切り者めっっっ!」と言って蹴り飛ばそうとする。
魔王は素早く近づいて両腕を抑えた。
エンウィーがきっとにらみつけてきた。
「なにをするっ!
お前はこやつらがなにをしてきたのか知っているだろうっ!」
「父君はこの者たちを責めてはいなかったぞ。
死んだところでおぞましき魔界の裁きが待っているだろうが、もの言わぬ躯にまで責めを負わすことはあるまい」
「……父上を手にかけてはいないだろうな?」
疑わしげな視線にファルシスはそっとほほ笑んだ。
「父君がお前に話があるとのことだ。行ってみるがいい」
エンウィーはファルシスの腕を乱暴に振りほどき、奥の階段へと向かった。
コンコンとハイヒールの音を耳にしつつ、ファルシスは振り返る。
「さて、下に降りるとしよう。
残された騎士たちの反応を見て、これからを判断せねばならん」




