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第33話 夜明けの帝国~その1~

 灰色の山道の中、一等の馬が勢いよくかけぬけていく。


 馬上に乗るのは智将マージ。

 大帝の3将軍の1人であった彼は、長らく足を踏み入れることのなかったかつての居城へと向かっている。


 魔王軍の侵攻にあわせ、ゾドラ城内部に侵入者が現れた。

 その知らせはすぐに彼の耳にも届いた。

 これ自体は予想済みだったが、中に入ったのは期待していた勇者たちではなく、魔王とその臣下であった。


 勇者たちには、街を出たところですぐに顔を合わせた。

 4人とも馬上で暗い顔をしていた。

 特に勇者コシンジュの絶望ぶりは深く、うつむいたまま一言も話さなかった。


 察しはついていたが、魔導師ロヒインによると道中にて魔王一行と遭遇(そうぐう)、こちら側の説得に応じなかった。

 やむなくコシンジュが応戦したところ、見事なまでの完敗。

 勇者としての本領を発揮したものの、あまりの戦力差にあえなくヒザを屈したとのこと。


「魔王はあまりに強すぎました。

 コシンジュがもう少し大人だったとしても、どこまで応戦できたかどうか」

「なぜだ? なぜそこまでして、彼らは自分たちで帝国を乗っ取ろうとする?」


 マージが思わず顔をしかめると、メウノが少しおどろいていたようだった。


「本人たちからは聞いてなかったんですか?

 ひょっとしたら事情を知っていたかもしれないとも思っていましたが」


 首を振ると、メウノは魔王たちの狙いを話しだした。

 彼の故郷は魔物たちであふれ返り、それを調整するために戦争が必要なのだという。


「それにしても疑問(ぎもん)ですね。

 魔物の数を減らしたいというだけなら、魔界の中で内戦を起こさせればいいのです。

 こちらに攻め入れれば、人間側の死傷者数もバカにならないでしょうに」

「いや、これは非常に高度に練られた作戦だ。

 人口問題を魔界だけで解決しようとすれば、スターロッド達のような善良な魔族も犠牲(ぎせい)になる。

 聞いたところによるとこちらに攻め入ってくる魔族のほぼすべてが強硬(きょうこう)派、つまり我々人間を見下し奴隷や食料としか見ていない者たちだ。

 それを人間界に攻め入れさせれば、内側の被害が極力少なくなる。

 また魔界に通じているカンチャッカポータルには、帝国軍が築いた堅牢(けんろう)要塞(ようさい)がある。

 攻略は非常に難しく、大軍勢を用いても容易に落とせるものではない。

 当然要塞にいる軍人たちの犠牲も少なくはないが、魔物たちが要塞を突破する事態だけは避けられるはずだ。

 要塞の一部は第1回で崩壊しているが、魔王側は何らかの対策を用いて、今回も突破を食い止めるだろう」


 一連の説明を聞いても、勇者たちが納得する様子はない。

 ロヒインが口を開いた。


「それでも、戦争という方法を用いて人口問題を解決するのは異常です。

 魔物と言う存在が自然死しにくいものだからとは理解できますが、そのような強引な手段でしか数を減らすことができない生物など、あってはならないことです」

「それが魔界と言う恐ろしい場所なのだと、私は思っている。

 奴らが地上にあふれ出るのを、我々は阻止しなければならない。

 だからこそ勇者と言う存在を利用したのだろう」

「利用した、だなんて……」

「君たちの存在によって、状況が変わってしまったのだ。

 魔王はそれを自ら解決する方法を思いついたのだ。

 そしてこれからの展開次第では、私は彼に協力しなければならん」

「異常な世界に住んでいる王ですよ?

 果たしてどこまで信用できるでしょうか?」

「もし彼が道を踏み外そうとするのなら、いかなる手段を使ってでも止めるまでだ。

 幸いダークエルフとデーモンの長は人間に対し非常に好意的だからな」


 コシンジュがため息をついていた。

 スターロッドによると、彼は自分にほれこんでいると聞いている。

 勇者が心酔するような魔族なら、心配はいらないだろう。

 そう思いつつ、マージは馬の向きを変えた。


「では、私は城に急ぐ。

 可能性は低いが、魔王側がやられることになるやもしれん。様子を見なければ」

「大丈夫なのですか?」


 ネヴァダが問いかけると、智将は穏やかな笑みを向けた。


「中は大惨事(だいさんじ)になっているはずだ。

 新たな侵入者に気を配る余裕もないだろう。

 それにあそこには、不測の事態に備えどうしても助けなければならない人物がいるのだ」

「わかりました。どうかお気をつけて」


 ネヴァダが頭を下げるのに従って、マージは馬を走らせた。

 コシンジュはとうとうこちらの方を見上げることはなかった。


……そんなことを思い返しつつ、手綱(たずな)を懸命に馬の首に当て、マージは壮麗なる城の開かれた扉へと入りこんだ。





 ゾドラ城の上層階。

 ファルシスの姿は城前面のバルコニーの上にあった。

 このあたりはかつての魔王城の玉座の間に続く回廊に似ている。


 もっともこの城は魔界の居城に似せて作られてはいるものの、かなり構造がちがっている。

 魔界の王城は増築に増築を重ね、かなり複雑な構造になっているが、こちらの方は最初から同じ規模を想定して設計されており、バリケードさえなければかなり歩きやすい構造になっている。

 入口からのショートカットも存在しているようだ。


 魔王城と同じプロセスで2つの曲がり角を曲がり、正面の扉に立った。

 巨大な鉄扉は閉じられているが、魔王にとってはこれを開くことなど苦でもなんでもない。


 中に入るとそこは玉座の間ではなく、見上げんばかりの大広間になっていた。

 部屋には無数の黒騎士が待ち構えており、剣、斧、槍、メイスなどの様々な武器をこちらに向ける。

 そのどれもが様々な種類のオーラに包まれている。

 高等な魔法武器を持たされた、位の高い軍人たちのようだ。


「「「「ぬあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」」」」


 彼らはいっせいに奇声を発してこちらに向かってくる。

 ファルシスは容赦なく手にした剣を相手に見舞う。

 ここまでくれば敵も決死の覚悟でのぞむ者ばかりで、相手の命に気を配る必要はなかった。


 ふと、もしかしたら彼らの中に保身のためではなく、大帝への忠誠のために立ち向かってくる者が混じっていたかもしれない。

 だがそれを見分ける方法もないし、そもそも死力を尽くして立ち向かう相手に情けをかけられるほど、彼らが身につける黒鋼の防御力は甘く見れたものではなかった。


 たぐいまれなる技量で、ファルシスはただの物理剣を黒鋼さえ切り裂くほどの必殺剣に変える。

 いつの間にやら床一面には黒い鎧が横たわるばかりになっていた。


 度重なる連戦で、さすがのファルシスも疲れている。

 ましてやたった1人で無数の敵を相手にしているのだ。

 いくら魔王といえど疲れるなと言う方が無理である。


 それでも魔王は進む。

 ファルシスは先にある扉が開かれていた回廊を進んだ。

 中に入ったとたん、その足がふと止まる。


 目の前の長い回廊には、無数の黒い鎧が並んでいた。

 どれも微動(びどう)だにしていないつもりのようだが、ファルシスの優れた視力はその中の一部に人間が入っていることを見抜いている。

 休憩(きゅうけい)もかね、ファルシスはゆっくりと歩を進める。


「おりゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」


 ファルシスは突如襲いかかった敵の攻撃をかわし、己の剣をなぎいた。

 が、相手の鎧をたたきつけただけで割ることができない。

 見ると、相手の鎧は他のものと比べ光沢が増している。


「なるほど、アダマンタイトの含有量(がんゆうりょう)が増したか。

 騎士の位がさらにあがったようだな」


 つぶやきとともにファルシスは黒騎士の攻撃を2,3度かわす。

 位があがるにつれ相手の攻撃は鋭くなるが、勇者をも打ち倒したファルシスの前では今一歩及ばない。


 そのあいだに巨大化させた剣が真横になぎ払われる。

 当たった騎士はさすがにかなわず、不自然な格好で叩きつけられ、無言の(しかばね)をさらした。


 回廊を進むたびに騎士におそわれるが、無数のトゲが並ぶ魔剣の前ではまったく歯が立たない。

 たとえあせって数人がかりで挑んでも同様だ。

 トゲの先が欠けることさえない。


 長い回廊を歩き続け、床には無数の騎士たちが倒れるばかりになっていた。

 ようやく際奥にたどり着くと、巨大な鉄扉が勝手に観音開きになった。


「……ようこそ、壮大なるゾドラ城の中枢(ちゅうすう)、『3将軍の塔』へ。

 よくぞここまで参られた、いや、魔王の名を冠する貴殿にはさほどの苦労でもなかったか」


 ファルシスは奥の広間にいた人物に目をこらす。

 そしてふとほおが(ゆる)んだ。


「ほう、なつかしい。父の全装備か」


 以前目にした時のように、大将軍プラードはファルシスの父の形見である光沢のある黒い鎧をまとっていた。

 それに加え、頭には獣を思わせる禍々(まがまが)しい造形の(かぶと)、左腕には(たこ)の形をした盾、右腕には刃の部分が手元まで伸びる斧を手にしている。

 どれも最上級の光沢を放つ、純粋なアダマンタイト製だ。

 ファルシスはさらに斧の方に目を向ける。


「『黒の断頭斧(だんとうふ)』。

 ベアールの父の首をはね、先代の勇者を死に至らしめたその斧まで手にするか。

 そこまで使いこなすまでには相当苦労しただろう」


 さすがに重すぎるのか、プラードはゆっくりと斧を上にあげる。

 持ち手がコンパクトなため大きな刃がよけいに目立つ。


「貴殿の父君や大帝陛下に追いつくため、血がにじむほどの努力を重ねたよ。

 おかげでかつて偉大な2人が手にしたすべてを、この身体に背負うことができた。

 これはわが生涯の中で最もほこりとするところだ」


「大帝はともかく、わが父は偉大とは言えないな。

 魔族である父にとってそれをまとうことは苦でもなんでもない。

 むしろその装備に頼り過ぎ、己の生粋(きっすい)の力を生かしきることができなかった。

 だからこそ勇者に負けたのだ」

「ほう、まるで自身は勇者を退(しりぞ)けられると言わんばかりだな」

推測(すいそく)ではない。

 余はその目的をすでに達成した」


 若干の間をおいて、禍々(まがまが)しい兜の中から「なんとっっ!」と言う声がひびいた。

 しばらく黙り、重々しく口を開いた。


「おそらく勇者一行も我らの命を狙っていると察していたが、それをすでに退けていたとは。

 しかし、並みの苦労ではなかっただろう」

「確かに厄介な相手ではあったな。

 しかし、かつての魔王を大きく上回るわが力の前では、敵にはならなかったぞ」


 ククク、と笑うファルシスに、相手もつられて笑う。


「ククククク、しかし軽率な。

 勇者を相手にしたことに加え、城内の無数の兵士たちを相手としたのだ。

 彼らに対しわずかな伴だけで戦うのはずいぶん骨が折れたと見える。

 臣下の者たちもわが同胞(どうほう)たちに引きとめられておるようではないか」

「心配などしていない。

 あの者たちは魔族の中でも最強の猛者(もさ)

 いかにそちらが策をめぐらしたところで、人間ごときに打ち倒される(やから)ではない」

「さて、彼らも貴殿も、果たして持ちこたえられるものかな?

 であえっっっっ!」


 左右にある扉が開かれ、そこから重厚な金属音がひびき渡る。

 現れた4つの影はどれも大柄で、並みの人間なら身につけられないはずの重厚な(よろい)を身にまとっていた。

 手にする装備、大剣、(ほこ)大斧(たいふ)鉄槌(てっつい)はどれも常人の身には重そうだ。

 もう一方の手に持つ盾も巨大な四角形をしている。


「私が一手に担っている『黒鋼(くろはがね)騎士団』は、階級があがっていくにつれ鎧に含まれるアダマンタイトの含有量(がんゆうりょう)が上がる。

 最初に出会った騎士たちはせいぜい2割から3割。これだけでも多くの志願者たちがはねのけられる。

 先頭の大広間では4割5割。真後ろの回廊に至っては6割7割が普通になる。

 陛下の身辺を守る近衛兵(このえへい)である彼らは、通常ならば一個師団を率いてもおかしくないほどの立場だ」


 プラードの説明のあいだに、4つの騎士が彼の周りを囲んできれいに並ぶ。

 偉丈夫(いじょうふ)であるはずのプラードよりも身体が大きい。


「そしてここに並び立つ最精鋭。

 彼らは陛下の身辺を直接守るために選び抜かれた最終防衛兵だ。

 どれもアダマンチウムの含有量は9割となっている」

「余の目から見てもなかなか恐ろしい連中だ。

 さすがは大陸中からかき集めただけはある」

「陛下が健在であった頃はなしくずしであった徴兵制(ちょうへいせい)を、私が完璧に立て直した。

 戦士としての才能は自らの意思とは関係がないからな。

 おかげでわが軍には無数の優秀な人材がそろった」


 プラードは仮面からのぞくまなこを、騎士たちに向ける。


「もっとも大帝の威光ゆえ逆らうものは皆無に近かったがな。

 ましてや戦乱冷めやらぬご時世。

 しかしこうしてかき集めた優秀な者たちを、貴殿ら魔王軍は次々と(ほふ)っていったな」


 ファルシスは血でぬれた剣先をプラードに突きつけた。


「それもこよいで終わる。

 我らがやむなく築きあげていった(しかばね)の頂点に、お前の(むくろ)が置かれるのだ。覚悟せよ」


 すると5人の騎士が一斉に構えを取った。


「やってみるがよいっっ!

 その疲弊(ひへい)した腕で、この黒き鎧を貫けるのならばなっっ!」


 ファルシスは剣をかかえるようにして構え、刀身から黒いオーラを吹きださせた。


 敵はゆっくりとこちらにやってくる。

 動きは重鈍(じゅうどん)だが、よく統率されておりスキがない。

 攻防において巧みな連携を取ることが容易に想定できた。


 ファルシスの前方に、今日何度目かの巨大なトゲの数々が現れる。

 ある程度距離が迫って来たところでそれを軽々とふるい、斜めから巨大騎士に叩きつけた。


 相手は防御を取るものの、押し切られてバランスをくずす。

 しかしファルシスの魔剣もまた、いくつかのトゲの先端が砕け破片が飛び散り、黒い煙となって消えた。


 押し迫る騎士の集団。

 ファルシスは剣をふるい応戦するものの、そのあいだに別の方面から騎士が迫り、巨大な武器をたたきつけてくる。

 ファルシスはあえて防御を取らず、マントをはためかせ華麗に敵の攻撃をかわす。

 敵はマントを斬りつけることはできても本人の身体に傷を負わせることができない。


 槍の攻撃を軽々とかわしながら、逆に魔剣をたたきつけ、ファルシスはあたりを確かめた。

 たくみな連携攻撃はそれなりに苛烈(かれつ)ではあるものの、肝心要(かなめ)の大将はその中に混じってはいない。

 巨人たちの後ろにちらほらと黒い影が見えているが、いったいどのようなタイミングで入り込んでくるつもりだろうか。


 ファルシスは気付いた。

 敵の連携攻撃のさなかに魔剣をたたきつけているので、無数のトゲがどんどん欠けていく。

 いちおう修復はしているものの、敵を牽制(けんせい)するために反撃せざるを得ない状況の中で、それが間にあっていない。


 やがて魔剣がただの巨大な棒へと変わろうとしている時に、ようやく等身大の黒騎士の姿が現れた。

 まわりの巨大騎士たちは相次ぐファルシスの反撃に苦痛を感じはじめたのか、猛攻が(ゆる)やかになる。だがここまでやれば彼らは十分な役目を果たしたといえよう。


 ファルシスは不安を覚えながらも、仕方なく余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)といった様子でたたずむプラードの鎧に魔剣をたたきつけた。

 魔剣は途中からあっけなく2つに折れ、折れた先がむなしく回転しながら床にたたきつけられ、黒い霧となって消える。


「純粋なるアダマンタイトの前では、我が強大なる魔力もおよばぬ、か」

「ましてや長き戦いで消耗(しょうもう)しているのだ。

 これぞわが作戦、我が知略よ。

 もはや貴殿は魔界をさまよう矮小な小物と大差ない。魔王などもはや恐れるに足らず!」


 そう言って、プラードは禍々(まがまが)しい造形をした斧をかかげた。


「今度はわが武威(ぶい)を見せつけよう。

 父の形見で貴殿は首をはねられるのだ」


 黒騎士は最高級の鎧の重さをものともせず、それなりの勢いで斧を振り払った。

 武器の修復が間にあわない魔王はそれを軽々とかわすものの、相手はすぐに間合いを詰め、次から次へと猛烈な勢いで黒き刃をふるう。

 防御はきかないため、ファルシスは相手の連撃を次から次へとかわしていく。


「見事な動きだっ!

 しかし逆に言えば単に逃げ回っているにすぎない!

 魔王の名を冠するものとしてはいささか無様なものだなっ!」


 ファルシスは己の剣が徐々に修復されていることを確認していたが、同時に周囲にいた大鎧たちも調子を取り戻していたことに気付いてもいた。

 周囲を取り囲まれ、逃げ場を失えばさすがに危ない。


 ファルシスは前を向いたまま一気に後ろへ()けた。

 父の形見から十分な距離を取ると、小ぶりな魔剣を前にかかげた。


「ムダなあがきを。

 貴殿はこの私を殺しに来たのだろう?

 それを達成するためには、いやでも貴殿はこの私のふところに入りこまねばならんのだ」

「無論。貴様らを確実に打ち倒すために、戦法を変えようと思っただけだ」


 すると、おどろくべきことにファルシスは魔剣を黒いオーラに包み、どの規模をどんどん小さくしてしまった。

 折られたとはいえそれなりの大きさをほこっていたはずの魔剣が、見る見るうちに単なる黒いオーラの魔法剣になり変わる。


愚弄(ぐろう)する気か。

 剣の魔力を最小限に抑えて、我らの鎧のわずかなすき間に付き入れようというのか?

 それが容易にできるほど、我らの身のこなしは甘くはないっっ!」


 プラードの口調はとげとげしい。あなどられて(いか)っているようだ。

 ファルシスは口の端を吊りあげた。


「無論、おまえたちの卓越(たくえつ)した武芸を甘く見てはおらん。

 それでも我が剣技はお前たちのそれをも凌駕(りょうが)する。ただそれだけのこと」

「ぬえぇぇぇぇいっっ! 抜かせっ!

 お前たち、黒鋼騎士団最高位の武勇を奴に見せつけろっっ!」


 4つの巨大騎士が押し迫って来た。

 ファルシスはそっと息を吸い込むと、全身に力を込めてその場を動いた。


 プラードの目が、その動きに追い付いていない。

 身軽になったファルシスは俊足(しゅんそく)の限りを尽くし、いつの間にか巨大騎士の後ろに張り付き、足の裏にある鎧のわずかなすき間を払った。

 中にはまた黒鋼製のチェーンで造られたつなぎが設けられているが、ファルシスほどの技量があれば造作もないことである。


 相手が「ぐひぃっ!」という悲鳴をあげ、ヒザを屈したところで魔王は剣を両手に逆に持ち、首の後ろに突き入れた。

 力を失った大鎧がゆっくりと床に倒れていく。


 別の方面から、仲間が鉄槌をまっすぐ振り下ろした。

 ファルシスはバックスウェーでそれをかわすと、飛び上がって柄を持つ手に足をかける。

 そこから相手を見下ろす格好になった。

 そのまま肩の高さで逆手に持った剣を相手の兜のすきまに突き入れる。


 致命傷にはならなかったので、相手は装備を落として片手で顔を抑え、もう一方の手を必死にこちらに振り払う。

 ファルシスは向けられた手のひらに剣を一閃見舞った。

 相手は2つの傷を必死にかばい、すぐさまその場を逃げ出した。


 別の方面から3人の騎士が迫る。

 ファルシスは最初に追いついた鉾の騎士に目を向けた。

 鋭い突きをさらりとかわすと、いったん剣を床に突き刺して、鉾の長い柄をわきに抱え思い切り引っ張り上げた。


 人を超える強靭(きょうじん)な体力のせいで、強く握っていた長柄(ながえ)はあっさりともぎ取られた。

 両手に鉾をにぎったファルシスはクルリと回転させると、矛先(ほこさき)を相手ののど元に向かって真っすぐ突き入れた。

 同じ黒鋼で造られた鋭い刃は相手ののどをやすやすと貫く。


 プラードが黒い斧をふるう。

 ファルシスは横に回転してかわすが、相手の足もとに己の剣がある。

 単なる魔法剣になり下がったそれをプラードはけり上げようとした。


 ファルシスは飛びかかり、片足になった大将軍にタックルをかました。

 重すぎる鎧ゆえにプラードは簡単にバランスをくずし、ドォン、と言う音をたてて床にたたきつけられた。

 そのあいだにファルシスは床の剣を引き抜く。


 大斧を持った騎士が、横から大きくそれを払う。

 完全にかわすのは不可能と判断し、黒いオーラを放った剣を縦に構え、自ら後ろに倒れた。

 黒い刃に叩きつけられた剣に押しのけられる形で、ファルシスの背中が冷たい床にぶつかる。


 ファルシスはその勢いのまま反転し、飛び上がって体勢を立て直した。

 大斧を振り切った騎士が体勢を立て直す前に、ファルシスは相手に詰め寄る。

 ふところに飛びこまれたことに気づいた騎士は自ら装備を落とし、剣を振り払ったファルシスに飛びかかった。

 押し倒されたファルシスの身体に、純粋に近い黒鋼の圧倒的な重みがのしかかる。

 両手を胸に押しつけようとする黒騎士を相手に、ファルシスの顔が思わずゆがむ。


「フウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッッッッ!」


 ファルシスはゆっくりと両腕を上にかかげ、相手の腕の内側に手をかけた。

 それを渾身(こんしん)の力を込めて横にずらすと、やがて勢いよく両手がどけられた。

 その勢いで相手の兜が一気に眼前に迫り、ファルシスはそれを両手で挟んでねじ曲げた。


 力を失った兜をひょいと首をひねってかわす。

 すると今度は身体全体に鎧の重みがのしかかり、ファルシスは小さくうめいた。


 なんとかしてこの鎧をどかさなければならない。

 片手でわきを持ち、もう一方の手でのど元をつかむと、必死に相手の身体を持ち上げようとした。


「ぬうぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!」


 体力自慢の魔界の王でさえ、圧倒的な重量の鎧をどかすには骨が折れた。

 ようやく相手の身体が斜め横になると、ファルシスは一気にその身体を押し上げ、自分の真横に押し倒した。

 激しく呼吸しながらゆっくり体を起こし、そばにあった物理剣を手に取る。


 今のはプラードにとってチャンスだったにもかかわらず、なぜ襲ってこなかったのか。

 疑問をいだきながら振り返ると、その意味を理解した。


 プラードの体勢が、明らかにおかしい。

 少し前のめりになった身体が、激しく呼吸するように上下している。

 重厚な純アダマンタイトの鎧にもかかわらずこの動きをするのは奇妙だ。


「フゥーっ! フゥーッ! フゥーッ!」


 激しく息を吹きだすプラード。ファルシスはその意味を理解した。


「おのれ自身をバーサーカーにしたか。

 わかっているのか? それを行えばもはや後には引けんぞ」


 プラードはかなりの重量があるはずの黒い斧を軽々とこちらに向けた。


「うるせぇぇぇぇぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!

 こうなったのもぜんぶてめぇのせぇだぁぁぁぁぁっっ!

 ぜんぶぜんぶてめぇのせぇだぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!」


 完全に口調のおかしくなっているプラードが、黒斧を振り払い、今度は盾をこちらに向ける。

 ファルシスは今のうちに剣から勢いよく黒いオーラを吹きださせた。


「しねあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!」


 猛烈な勢いでやってくるプラード。

 ファルシスは片手剣のオーラを巨大化させ、現れた魔剣を相手に叩きつける。

 大量の破片が一気に飛び散り、平然とするプラードがすばやく斧を振り払い、ファルシスはそれをかわす。


 こうなれば、もはや純粋な力と力の勝負に打って出るしかない。

 ファルシスも、そしてプラードも甚大な威力を持つ2つの武器を必死に相手に向かって振りかぶる。


 ファルシスの魔剣が、猛烈な勢いで破損していく。

 懸命に剣先に魔力を送り込むものの、あきらかに間に合っていない。

 プラードの黒い斧の先がファルシスの身体をかすめる。

 バーサーカーの攻撃は非常に威力が高い。

 少しでも当たれば重症になる危険があるため、慎重にかわさざるを得ない。


 そのためか攻撃がゆるんでしまったようだ。

 相手がふるった斧がとうとう魔剣の根元に叩きつけられた。

 一瞬でオーラに包まれた元の剣が途中から折られている。

 ファルシスはとうとう瞠目(どうもく)してしまった。


「しゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっ!」


 勝利を確信したプラードが奇声をあげ、斜め上から大きく斧を振りあげた。

 ファルシスは覚悟を決める。


 が、一方である確信があった。

 それを裏付けるように、プラードの手からなぜか黒い斧がスポッと抜ける。

 同時にその身体がガクッとおかしな方向にねじ曲げられた。

 ファルシスが足元を見ると、ヒザから下がおかしな方向にねじ曲がっている。


 直後に黒騎士はファルシスの斜め前方に倒れ込んだ。

 とたんに禍々(まがまが)しいデザインの兜が頭からすっぽりと抜け、目を血走らせ頭部のあちこちに血管を浮き上がらせた、スキンヘッドのいかつい男の人相が現れる。

 その表情はどこかがく然としている。


「……ヒギャアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッッッ!」


 プラードが一瞬で顔をしかめ、甲高い悲鳴をあげジタバタともがく。

 そのたびに身体のあちこちからグキグキとおかしな音がひびき、その挙動はますますおかしくなっていく。


「だから言っただろう。

 その力を使えばあとには引けんと。もはやお前の身体は元に戻ることはない」


 プラードの調子が次第におとなしくなっているのは、バーサーカーの力が収まっていくからではない。

 体中の骨が折れて、単に身動きが取れなくなっているだけなのだ。


 それでもビクビクと痙攣(けいれん)し続けるプラードをしり目に、ファルシスは床に突き刺さっていた黒い斧に手をかけた。

 力ある魔族ゆえこれを手にするには苦労しなかった。


 黒い斧を手にしたファルシスが、もがくプラードの横に仁王立ちする。

 斧を持つ腕がゆっくりと持ち上げられた。

 それを見た大将軍が、ファルシスを見て必死に首を振る。


闘志(とうし)よりも死の恐怖が勝るか。

 お前は戦士としての生き方に身を捧げたのだろう?

 今さら命を惜しむか。見ていて笑いすらこみ上げてくるわ」


 言った通りにファルシスは低い笑い声をもらすと、気合いを入れるべく目をかっと見開いた。


「ワアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ……!」


 プラードの必死の叫びは振り下ろされた黒い刃によって断ち切られた。





 ファルシスは床にめり込んだ黒の断頭斧をそのままにし、後方に振り返った。


「それとも長年安寧(あんねい)に身を置き過ぎ、戦士としての矜持(きょうじ)を忘れたか。

 余も気をつけねばならんかもしれんな」


 見上げれば、広間の奥に幅を広めにとられた長い階段が続いている。

 まるで昇る者に緊張感を与えんばかりの勇壮な道筋を、魔王は全く動じることなく昇り始めた。

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