第32話 崩壊する権勢~その3~
圧倒的な規模を持つ城の上階を進むと、光が差し込む列柱の回廊に出た。
ファルシス、ベアール、スターロッドの3人は次から次へとおそいかかる黒騎士たちへの対応に追われる。
「だからお前らムチャすんなって!
戦ったところでどうせ俺らには勝てないんだからよっ!」
毒つくベアールにスターロッドが呼びかける。
「消耗を狙っておるんじゃろう!
大半の者は命を取られる心配をしておらんゆえ、容赦なく立ちむかうことが可能のようじゃ!」
「2人とも油断するなっ!
こいつらの中にも権力者たちの手先が混じっている、動きを良く見て対応を分けろっ!」
ファルシスの言うとおり、騎士たちの中には決死の覚悟で臨んでいる者たちがいる。
権力者たちが倒れることで多大な損害を受ける悪党たちだ。
こういった連中には一切容赦する必要がなく、ファルシス達は全力を持って彼らを打ち倒すことができた。
もっとも、そういった者とそうでない者が入り混じって向かってくるため、ファルシス達は気を使わなければならない。
もし命を惜しむ者を下手に斬り捨てれば今後の評価にかかわる。
それが延々と続くためファルシス達は神経をとがらせていた。
そんな中、ベアールの優れた洞察力が、ふと奥の柱のかげに向けられた。
異様な気配を感じたベアールはあわてて前方の騎士をかばう。
赤い兜の端に何か小さい何かが叩きつけられた。
ベアールはすぐさま落下するそれをとり上げた。
見ると、それは木のようなものを削って造られた細長い針だった。鋭い先端が少し黒ずんでいる。
「おいっ! みんな気をつけろっ!
吹き矢だっ! 柱のかげから暗殺者たちが狙ってるぞっ!」
すると近くで「ぐおぉぉぉっ!」という叫びが聞こえた。
運悪く首のすきまに吹き矢を受けてしまった騎士が、もがき苦しみながら地面に倒れ込む。
ベアールはあわてて騎士たちに向かって大手を振る。
「お前ら逃げろよっ!
命が惜しかったら俺らにかまってるヒマないだろっ!」
その叫びで騎士たちの大多数が逃げ出す。
一部はまだ残っているが、こちらは敵の息のかかった連中なのだろう。
柱のかげからは複数の影がいきかう。
残りの騎士に立ち向かっているスキを狙い、吹き矢を放ってくるつもりだ。
「殿下っ! バアさんっ!
2人とも軽装だろっ! マジで吹き矢に気をつけろよっ!?」
ファルシスは無言で飛び交う吹き矢をかわすが、スターロッドはそうではない。
「こんなものでわらわが倒せると思うたかっ!
身が軽い分、よけいかわしやすいわ!
人知れず放つならまだしも、ベアールめに看破されてしまってはのうっ!」
ベアールは吹き矢を無視し、黒騎士とつばぜり合いを繰り広げる。
「ムダ口叩くなよバアサン!
あんたのきれいな肌に傷がつくのは正直見てらんないんだからよっ!」
「わらわの美貌を心配するのか!?
それともわらわに気があるのかえ!?」
スターロッドは円環を騎士に叩きつけながら、華麗な動きで吹き矢をひょいひょいとかわす。
「んなわけないでしょっ!
だいたい俺にはカワイイカワイイ嫁さんがいるんだからよっ!」
「ああ、あの全身が赤い、足に毛が生えた逆関節の化け……」
「化け物じゃないっ! うちの嫁は化け物じゃないっ!
俺から見たらうちの嫁さんは最高っ!」
ベアールは相手を押し切って首のすきまに剣を滑り込ませる。
「なんじゃ、お主あの嫁をかばうのか!?
どうせあの物騒な外見におどされてしょうがなく結婚したばかりじゃと思うておったが!?」
スターロッドは身を伏せた体勢から華麗に回転ジャンプする。
まっすぐ伸ばされた両脚が美しい。
「んなわけないっ! デーモン族は個体差があるから美的感覚がちがうのっ!
みんな身体がツルツルのダークエルフと一緒にしないでっ!」
ファルシスが正面から敵をたたき切ると、言い合う2人に振り返った。
「夫婦漫才を繰り広げている余裕があるなら大丈夫だなっ!
遊んでいないでさっさと進むぞっ!」
ファルシスは先に進み、ベアールとスターロッドはそのあとを追った。
曲がり角の先には広い空間があった。
進んでいくと、中央に噴水がある大きな庭園があった。
部屋の隅には色とりどりの花が咲き乱れる生け垣がある。
「来たぞ。ここは城内に設けられている庭園の1つだ。
おそらくは東の大庭園だろう」
ファルシスの声にベアールは園内を見回す。
「あら、この地方は空から降る灰のせいで植物が育たないって聞いたけど?」
スターロッドが空から差し込む光を見上げる。
「おお、天井はガラス張りになっておるぞ。
見事なアーチ状の作りのおかげで庭園が灰におおわれることがないようじゃ」
ファルシスが生垣の前に立ちつぶやく。
「もっとも日射量の少なさから大きな植物は育てられないようだがな。
それでも場内に住まう者たちのいやしにはなるだろう」
「……その通りで~す。
だからみなさ~ん、出来ればこの部屋を血で汚さないでくださ~い」
部屋の隅から、カラフルな衣装を身にまとった道化師が現れる。
鼻から上をおおう白い仮面がこちらを向いた。ファルシスが返事を返す。
「現れたか宮廷道化師アンカー。
どうだ? 時間をおいて少しは落ち着いたか」
「落ち着くどころかぁ、こちらとしては万全の準備を整えてみなさんをお待ちしてました~」
そう言ってアンカーはおどけた調子で両手を広げヒザを曲げる。
「お、ウワサに聞いたお調子者キャラのご登場か。
殿下、コイツ、俺の獲物ってことでいいですか?」
言いながらベアールは剣の切っ先を道化師に向ける。
ファルシスは赤い兜に目を向けた。
「覆面同士の対決か。
いいだろう、好きなようにやれ」
そう言って、ファルシスはさっさと部屋を立ち去ろうとしてしまう。
「あっ! ちょっと殿下、俺を置いていく気ですかっ!?」
あわてて手を振り仰ぐベアールに、ファルシスはちらりと顔を向けた。
「我らは先を急ぐ。
お前がこいつとやりたいというのなら、見学など無用だ」
「待ってくださいよ~。
俺の活躍を殿下に見てもらいたいし、俺も殿下の活躍を見たいですよ~」
「ベアールの言い分はともかく、こやつを1人置き去りにするのは考えものじゃぞ?
この道化師の侍従はまだ数が残っておる。こやつ1人ですべて相手させるつもりか?」
親指でベアールをさすスターロッドに、ファルシスは首を振った。
「我々が残るほうがやっかいだ。
この目で見たアンカー子飼いの暗殺者の動きは俊敏、対応に追われる我らのスキを狙って吹き矢を放たれれば、軽装の我らがどこまでついていけるか疑問だ」
「なるほど、たしかに俺1人なら鎧に守られてあまり気を使わなくて済む。
さっすが~。でもやっぱり置き去りはひどいですよ~」
「聞く耳はもたん。
スターロッド、さっさと行くぞ。我らには別の敵が待っている」
「ぬかるなよベアール。
数の暴力で押し切られるお主の腕ではなかろう」
さっさと部屋を去ってしまった2人を目で追い、アンカーと2人きりになってしまったベアール。
少しため息をついた。
同時に、今までどこに隠れていたのか、庭園のあちこちからローブをまとった人影が現れる。
いつの間にやらベアールは無数の敵に囲まれる形になった。
「はぁ、こんだけの相手を敵にするのか。
まあとはいっても、デーモン族最強の戦士が相手なら、これくらいがちょうどいいのかもね」
3つのダガーを取りだしたアンカーはそれを器用にジャグリングする。
同時にフードの男たちも次々と袖の中から鋭い刃を飛びださせた。
「もっとも我々としてはぁ、うまい具合に状況が転がったと思っていますけどね~。
どうですぅ? ちょっとはビビりましたかぁ!?」
「ははっ、言ってくれるね。正直、それちょっとあるかもよ」
言いつつ、なぜかベアールは細い剣をなぜか鞘の中に収めた。
アンカーは一度動きを止めたあと、少々イラついた口調で言葉を吐きかけた。
「ちょっと~、もうあきらめたんですかぁ?
降参しても今さら聞く耳持ちませんよぉ~?」
「ごめんごめん、別に戦いをやめる気じゃないんだって。
ネタバレはひかえるけど、お前らにちょっといいものを見せてやろうと思って」
そう言って、ベアールは剣をおさめたまま構えを取った。
「『居合抜き』っていうんだ。
いつでもかかってこいよ。冥土の土産におもしろいものを見せるから」
「おもしろい!
みなさん、念のため気を引き締めてかかりなさいっ!」
とたんにすさまじい勢いでローブたちが押し迫って来た。
相手を目前にしているにもかかわらず、ベアールはまだ剣を抜かない。
アンカーは思わず「おまえバカかっ!」と叫んだ。
暗殺者たちのブレードが相手に突き刺さろうとした、まさにその時。
彼らの前面をいくつもの閃光がひらめき、次の瞬間には全員が力を失って倒れてしまう。
血吹雪とともに、剣を払いきった赤い騎士の姿が現れる。
「ほら、面白いだろ?」
アンカーたちをはじめ、暗殺者たちは身動きができなかった。
ベアールは血のりがついた剣を振り払い、姿勢を正す。
「剣を引き抜く瞬間ってのはもっとも勢いがある。
これを利用して、そのまま攻撃に使っちゃおうっていう戦法さ。
これは東の大陸に伝わる剣術のひとつでさ、俺、そこで結構修行したんだよね。
この剣も向こうでもらっちゃった」
そう言って剣先を上に向けても、誰も動くことができない。
と思いきや、アンカーが少しずつ手をパチパチ叩いた。
「……素晴らしい、ブラボー!
身のこなしの速さに特化したワタクシの目から見ても、あなたの動きをうまくとらえられませんでした。
まさに神速。思わず見ほれてしまいましたよ」
「こいつらこそ、人間とは思えない早さだったぜ。
正直、俺以外だったらやられちまってたかもしんねえな」
そう言って、ベアールは剣の先をアンカーに向ける。
「そんな奴らを育てたあんたも、いい動きをするんだろう?」
アンカーは腕を組み、うつむいてククク、と笑いだす。
「いえいえ、しょせん人間にすぎないワタクシなど、あなたの足元に及びませんよ。
やはり魔物と言う者は、戦うことに特化した究極の化け物、というわけですね」
アンカーの口調におどけた調子はなくなっていたが、ベアール別のことが気になっていた。
「やめてくれよ。俺が人を超える存在なのは認めるけど、『化け物』呼ばわりされるのは正直心外だぜ。
こっちは好きで化け物をやってるわけじゃない」
「そうですか?
ですが、その兜の下には、我々人間とは違う、まったく別の形相が隠されているのでしょう?
この仮面をかぶる、ワタクシと同じく、ね」
そう言ってアンカーは鼻がつき出た仮面を指差す。
その瞬間、ベアールが一瞬動きを止めた。
「……え? なにそれ。
あんた、美しい顔を隠すために仮面かぶってんじゃないの?」
つられて相手も動きを止めた。
しばらく黙ると、アンカーは静かに「あ?」とつぶやいた。
一瞬の発声の中に、信じられないほど冷徹な響きがある。
「あ、いや、あんた口元は隠してないからさ。
そこを見ると結構なイケメンだから、てっきり俺と同じく超絶イケメンを隠すために仮面をしてる者だとばっかり……」
相手からの返事がない。
ベアールはデーモンの族長とは思えないほど取りみだす。
「え、えっと、違う!?
お、俺なにげにまずいこと言っちゃったっ!?」
「……ずいぶんふざけた野郎だな」
ベアールは固まった。
そこには最初に会った時に見せた道化らしい姿はない。
「あ、あれ? どうしちゃったの?
あんた、おれと同じくお調子者キャラじゃないわけ?
怒ってるんならなんとか言ってくれよ~」
困って肩の力を落とすベアール。
アンカーはゆっくり首を振った。
「貴様は無知か。あれが『俺』の生粋の性格なわけがないだろう。
古来より道化師と言う者は、聡明な本性を隠し、かわりに偽りの心の仮面をかぶるものなのだ。
貴様のような本然的なバカモノとはわけがちがう」
アンカーは周囲を見回し、足を大きく上げてドンっ、と思い切り床をふみならした。
この道化師によって徹底的に訓練された暗殺者たちは、それだけで主人の意図をくみ取った。
深いフードにおおわれまったくうかがうことができなかった彼らの顔が、次々と日の光を浴びる。
「……お、あ……え?」
ベアールはその光景を口に現すことができなかった。
白日にさらされた者たちの容貌は、どれもこれもお世辞にも美しいものだとは言えなかった。
ついでにアンカーが、仮面に手をかけ、ゆっくりとはがす。
それをぼう然と見つめるベアールが、思わず仮面の下部分を手でおおう。
「おい、おいおい……ウソだろ……?」
「どうだ? これでもまだ貴様はこの顔が美しいと思うのか?
顔の上部分は焼けただれ、鼻はそげ、そして片目はまぶたをなくして完全に失明している。
これこそ俺が常日ごろから仮面をかぶる理由だ」
「わかった……俺が悪かった。悪かったから……」
アンカーは仮面を手にしたまま腕を組んだ。
「諜報活動で最も重要なのは、活動中に身元が割れてはいけないということだ。
それには行動する者の顔が平凡であればあるほどいい。
端麗すぎず、かといって相手にわかってしまうような特徴があってもいけない」
アンカーは両手を広げて周囲を見回した。
つられてベアールの兜も暗殺者たちに向けられる。
「目が離れている者。
輪郭が大きすぎる者。
鼻が大きすぎる者。
そう言ったひと目見ただけでわかってしまうような者は、間者としては使えない。
せいぜい闇に乗じて汚れた仕事をさせるか、あるいは捨て駒として利用するしかない。
そう、俺の周りにいるこいつらのようにな」
「……わかった! わかったからっ!
頼むからみんな顔を隠してくれっっ! あまりにかわいそうでこれ以上見てられないっ!」
「そうか?
お前の感情に揺さぶりをかけられるなら、この顔を見せつけたまま戦ってもいいが?」
そう言いつつも、アンカーは仮面をかぶり、暗殺者たちもフードに手をかけた。
それを見てベアールはいったん深呼吸をする。
「……その顔のケガは、いったいいつから?」
「俺がこの国の諜報のすべてをしきることができたのは、生まれた家がはるか昔からこの大陸にて、闇にひそみ様々な裏仕事を担ってきた一族だったからだ。
俺は物心ついたころから様々な闇のノウハウを叩き込まれ、天性の素質があったためかいずれは一族の筆頭としての将来を見込まれていた」
そしてアンカーは白い仮面を指差す。
「かつて俺はそれなりに整っていた顔をしていた。
これもまた闇の従事者としては大いに期待を寄せられる要素だった。
俺は日陰者として生涯をまっとうする宿命を背負いながらも、それを当然のこととして受け止めていた。運命の歯車が狂うまではな」
「運命の……歯車……」
「そう、俺は初任務の際、よりによって顔面に炎を浴び、深手を負った。
そして先ほどお前が見たような悲惨な状態となったのだ。
それは俺の運命をも徹底的に変えた。
一族はすぐさま俺を見捨てた。一族の頂点に立つどころか、組織の最底辺に甘んじることを余儀なくされたのだ。
人の中に混じることのできない諜報家など使い物にもならないからな」
ベアールは、ただ相手の話に聞き入っているだけだ。
「残された道はただ1つ、闇に乗じて相手の寝首をかく、暗殺者としての生き方だけだった。
俺は身に付けた殺しの技だけを頼りに、次から次へと数多くの命を奪った。
相手が悪党であれ、たんに敵対しているだけの善良なものであれ、容赦なく、な」
アンカーはおもむろに両手を広げた。
「この手をどれくらいの血で染め上げただろう。
いつの間にか最強の暗殺者と化していた俺の腕が、大帝クリードグレンの目に止まった。
俺はいつの間にかこの格好を身につけ、昼は道化師として城の者たちを笑わせ、夜は闇に閉ざされた塔の中で数々の裏仕事に手を染める諜報院の長となっていた……」
アンカーは白い仮面を上にあげる。
「しかしそれも長くは続かなかった。
大帝が傷を負い、日々弱り切っていくのを見て、長年押し隠してきた感情が身をもたげ始めてきた。
己の身に降りかかって来た、抗えない運命に対する、身を焦がすほどの強い憎しみがな……」
そしてベアールのほうを向き、拳をにぎってプルプルとふるわせてやる。
「そして俺は誓ったっっ!
かつてとは違い、今の俺には力があるっっっ!
闇の狩人として極限にまで高めてきた技術と、大帝より任された特権を使いっ!
この国のすべてを牛耳ってやるとなっっっ!」
ベアールはようやく、弱々しく口を開いた。
「だけど、すべては手に入れられなかったみたいだな。
他の連中に邪魔されて……」
いったん落ち着いたアンカーは、姿勢をまっすぐにしてふたたび腕を組んだ。
「なにを言っている?
俺はこの国のすべての情報をにぎる。
俺の情報なしでは、他の4人の安楽は成り立たないのだ。
言わば俺が、奴らの制裁与奪をにぎっているようなものだ。
ひとたび俺が決断すれば、楽ではないが奴らの息の根を止めることもできる」
ベアールはうつむき、力なく片手を兜の前にかかげ首を振った。
「なんでだ?
なんであんた、それほどの力がありながら、大勢の人々を苦しめるんだ。
あんたの力があればこの国に平和をもたらすことだってできるのに」
するとアンカーは突然3本のダガーを取り出し、ふたたび器用なジャグリングを始めた。
「バカな。平和? 大勢の人々?
そんなこと知ったこっちゃない。
俺にとって重要なのは、いかにしてこの国の愚民どもの心を縛り、俺の存在を意識せずには生きていけないようにするか、ということだ。
今や俺はこの国の誰よりも恐れられている。
愚民どもはこの俺の影におびえながら、俺に逆らうことをよしとせず、みじめに毎日を生きている」
そしてアンカーはダガーを高く放り投げ、すばやく回転した。
「その名声はさらに高まろうっっ!
我らの手で、デーモンの長を打ち倒すことによってなっっ!」
いつの間にかその手には、先ほどとは比べ物にならないほど大きな刃を持ったダガーが握られている。
アンカーは両手に握るうちの片方を前にかかげ構えた。
ベアールは何も言わず、真っすぐ剣を構えた。
同時に周囲にいた暗殺者が、瞬く間に赤い騎士へと押し迫る。
彼らの動きは巧みだったが、ベアールはそれを上回る華麗な剣さばきで、次から次へと暗殺者を斬り捨てていく。
途中、遠く離れた場所にいる暗殺者が吹き矢を取り出し、こちらに筒先を向けた。
飛びかかって来た暗殺者に剣を払いつつ、ベアールは体の向きを変えて鎧の表面で吹き矢をはじく。
「バカ者っ!
狙うのなら奴の背中の羽根を狙えっ! あれなら我らの毒が通用するっ!」
そう言いながらアンカーがいつの間にやら目の前に現れた。
他の暗殺者とはまるで違う動きで、両手のダガーを交互に振り払う。
ベアールは矢継ぎ早の攻撃を剣でさばくが、身体は思わず後退している。
「さすがだぜっ! お前の動き、期待してた通りだっっ!」
「喜ぶなっっ! 恐れられるために、我が暗殺術は存在するっ!」
アンカーが執拗に攻撃してくる際にも、吹き矢は飛んでくる。
それらがまっすぐベアールの羽根を狙う。
「ちきしょうっ!」とヒステリックに叫びながらも、なんとかそれらの攻撃もかわす。
それを見たアンカーが回し蹴りをしながら毒ついた。
「くっ! やはりデーモンを倒すのは一筋縄ではいかんかっ!
重厚な鎧をまといながらも巧みな動きをしやるっ!
見ていて癪に触るわっ!」
「体力だけで言ってくれるなっ!
俺は魔法が苦手だっ! だからこっちのほうで頑張るしかなかったんだよっ!」
2つの凄腕戦士が激しい剣戟を繰り広げるなか、ふと後ろからフードが音もなく忍び寄って来た。
そでから飛び出すブレードをまっすぐ突き出そうとすると、ベアールは振り向きざまに剣を払い、相手の動きを止める。
しかし油断はできない。
がら空きになった翼を守るため、息をつくヒマもなくベアールは正面を向いた。
その時だった。
アンカーの白い仮面の下からのぞく赤い唇から、なにかが吹きかけられた。
吹き矢はものの見事にベアールの兜の小さな穴に吸い込まれ、とたんにベアールは「ぐわっ!」と言って片手で前面を負った。
そのスキを狙って、ベアールの背中の羽根にも一筋の吹き矢が突き刺さった。
それを見たアンカーが思わず「よしっ!」と発した。
ベアールはなんとか剣を振り払うも、アンカーは後退して完全に距離を取ってしまった。
赤騎士はすぐに押し迫ろうとしたが、足がフラついて転びそうになり、何とか体勢を立て直す。
「クソ……この毒、かなり強めじゃねえかっ!」
「確実に息の根を止めるための毒だ。
魔物を即死させることはかなわんかもしれんが、そのかわりジワジワとお前を苦しめるだろう」
ベアールは苦しさのあまり、とうとう片手をヒザにつけた。
前のめりになる赤い騎士を見て、勝利を確信した暗殺者たちは彼を冷静に見つめる。
アンカーが口の端を吊りあげる。
「卑劣だと思うか? だが我々も命をかけているのだ。
強大な魔物を相手に、正々堂々と戦うことはできん」
その時、ベアールが顔をあげ、兜に複数開いた穴を見せつけた。
「……俺、やっぱりお前のこと、嫌いになれない。
俺には、なんとなくお前の気持ちがわかる気がする」
「なにを言っている? おまえは醜くはないんだろう?
整った容姿に恵まれた奴に俺の心は理解できない」
「確かにその方面じゃな。
だけど、俺には俺で、魔物としての出生、てヤツがあるぜ」
相手はだまって聞いている。
だからベアールはいったん頭を下げ、続けた。
「今までずっと誤解されてたことなんだけど、魔物ってのは悪い奴らばかりじゃないんだ。
数は少ないかもしれないけど、俺の態度見てもわかると思うけど」
息が苦しくなってきた。呼吸をいったん整える。
「だけど、魔界っていう薄暗い場所に住んでるせいかな。
あと殿下のオヤジがいろいろやらかしてきたせいもあるか。
こっちのみんなは俺たちの姿を見ただけで、ちぢみあがる。
何かよくないことをされるんじゃないかって思われる。
正直、その視線が耐えられない」
「……それだけではない。
おまえたちは強大な力を持っている。
強大な力を持っているだけで、人はその存在を恐れるものだ。排除したがるものだ。
このような行為を積み重ねたくらいで、人は魔を受け入れることはできん。
おまえたちが人々に受け入れられることはない」
「そんなことは、やってみなきゃわからねえだろ?」
呼吸が苦しくなりながらも、ベアールは身体を持ち上げた。
「だから俺、これに賭けてるんだ。
あんたたちに勝ったら、こっちのみんなの誤解が解けるかもしれない。
殿下の思い描く、魔物と人間が共存できる世界を作り上げられるかもしれない。
そう思ったら、俺もどうしても負けることができないんだよ」
ベアールは持ち上げた剣をクルリと回し、逆さにした剣先をまっすぐ床に突き刺した。
それはまるで柔らかい物をつらぬくかのように深々と床の中に入り込んだ。
「俺はお前のことが嫌いになれない。
お前のいままでやって来たことは、決して許されることじゃないけどな。
だから俺、お前とは正々堂々と戦いたかった。
まっすぐ正面から向き合って、ちゃんとした方法で勝ちたかった」
対するアンカーはかかげるダガーをまっすぐ突きつける。
「その弱々しい状態で、まだ戦えるというか。
隠し玉でも持っているのか?」
ベアールはうなずき、両腕を前に交差させた。
「だけどもう限界みたいだ。
悪いけど、俺も卑劣な手段、てやつを使わせてもらうぜ」
そのとたん、その全身がまばゆい光を放った。暗殺者たちは思わず顔を伏せる。
少しだけ光が消えうせると、ベアールの身体を包んでいた鎧がはじけ、どこかへと消えさっていった。
光が消えたあとには、裸の上半身に規則正しい青白く光るスジが走っている、ベアールの真の姿が現れた。
頭には大きな角、背中には黒い翼を生やしただけでごく普通の人間風の肉体をしていた。
短く刈り込んだ白髪の下に、言っていた通りの端正な顔立ちが見えた。
その瞳もまた青白い光を放っている。
「俺、魔法は苦手っていっただろ?
だけどひとつだけ使える魔法があるんだ。
生まれつき身に付けた、呪文を使う必要がない天性的な魔法がな」
ベアールは真面目な顔つきで、すばやく両手を広げた。
とたんにすさまじいオーラがあたりを包み、アンカーたちは顔を伏せる。
そして顔をあげると、誰もがおどろいて周囲を見回した。
部屋全体が、無数の魔法陣に取り囲まれている。
ところどころに円形の魔法陣があり、そのまわりに様々な紋様がちりばめられている。
アンカーは思わず吐き捨てた。
「くそっ! なんと不気味なっっ!」
「だろ? 俺だってこいつを使うのは大っキライだ」
そう言ってベアールは剣を素早く引き抜き、アンカーたちに向かってかけだした。
しかしすぐに足を止め、なぜか目の前の円陣に向かって剣を払った。
円陣は瞬く間にガラスが割れるように砕け散った。
アンカーがあ然としているあいだに、ベアールは別の円陣に向かってかけだしていく。
道化師は一瞬で悟った。
気がつくと目の前に魔法陣があり、それにダガーを突き立てるが、陣は壊れない。
「チッ、奴にしか壊せないのか……
奴に魔法陣を斬らせるなっ!
すべての魔法陣を破壊した時、奴の真の能力が発動するっっ!」
暗殺者たちがすぐにベアールのもとに向かう。
その時には2つ目の円陣が破壊されるが、別の方向に向かったところでフード姿に邪魔をされる。
ベアールは彼らを即座に斬り捨てるが、その挙動がどことなくおかしい。
先ほどの剣の冴えが明らかにおとろえている。
アンカーは迷わず指をさした。
「見ろっ! 奴はまだ弱っているままだっ!
今がチャンスだっ! 迷わず首をはねろっ!」
暗殺者たちの攻撃が激しくなる。
ベアールはなんとか向かってくる敵を退けながら、必死の思いで円陣を斬りはらっていく。
実は変身時に多少体力が回復しているのだが、それは副次的な効果にすぎない。
やはり術を完成させなければ、魔法は真の効果を発揮できないのだ。
暗殺者の猛攻は凄まじかったが、ベアールは精神力だけで何とか反撃する。
しかしいつの間にか後ろに回り込まれていて背中を斬りつけられた。
翼の一部が切り裂かれ、血が飛び散る。
「ああクソッッ!
これだから背中の羽根なんていらねえんだよっ!」
そう言ってベアールは振り返りざまに斬りかかる。
相手は防御しながらも押し返されて肩に剣を受けた。
「ええいっ! なにをしているっ!
まわりの者も見ていないで吹き矢を放てっ!
上半身裸になった奴はいい標的だっ!」
アンカーの言うとおり、たくましい筋肉を現したベアールの上半身に容赦なく吹き矢が飛びかかる。
ベアールはそれを巧みにかわすが、近くの敵に対応し、円陣を斬りはらっているうちに身体に、翼に吹き矢を受けた。
「ぐうぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっっっっ!」
それでもベアールは必死に攻撃を続ける。
そのかいあってか円陣はもう残り少なくなってきた。
「あきらめが悪いぞっ! この青白い化け物めっっ!」
アンカーが直接おそいかかって来た。
ベアールは戦いをあきらめ、必死に逃げ惑いながら円陣を斬り続けた。
時おり羽根を使って空を飛び、数は少ない者の上空の円環にも斬りつける。
そのあいだに背中からアンカーに斬り裂かれる。
背中の羽根はボロボロになり、血をポタポタと流していた。
ベアールは苦しげに顔をあげた。
残るは上空のたった1つ。
だが背中の羽根はボロボロ。しかも全身には大量の毒がまわっている。
もはやまともに動くことさえできない。
ベアールは振り返った。
そこには口の端を吊りあげるアンカーの姿があった。
「仕上げだ。
もはや貴様は空を飛べん。このまま一気にしとめてやる」
ベアールは決断し、上空に向かって剣を投げ飛ばした。
「させるかっっ!」
アンカーが自身のダガーも放り投げた。
ものの見事命中し、2つのきらめきはぶつかってあえなく地上に落下していく。
そのあいだにアンカーはベアールのふところに迫り、逆手に持ったダガーをベアールの身体に突きつける。
切っ先が深々と突き刺さり、ベアールの動きが完全に止まる。
「ハハハハハハッッッ!
勝ったぞっ! 長年人々に恐れられた、デーモンの首領に勝ったっっ!」
絶命寸前のベアールの顔が、ゆっくりと後ろにのけぞった。
ところが、彼の目はまだ完全には死んでいなかった。
その口から、なにかが吐き出された。
常人の息ではない。弱っているとはいえ、普通の人間よりはるかに優れた体力を持つデーモンが吹きかけた息なのだ。
その事実に気づいたアンカーが、振り返って上空を見上げる。
小さな吹き矢が上空の魔法陣に突き刺さり、その模様を粉々に打ち砕いた。
アンカーは思わず「しまったっっ!」と叫んだ。
そしてあわててベアールを足蹴にし、巨大なダガーを引き抜く。
とたんにあたりをおおっていたすべての魔法陣さえも、バラバラにくずれた。
次の瞬間、あおむけに倒れたベアールの全身が光を放った。
まぶしさに顔をそむけていたアンカーたち暗殺者に、突如異変が起こった。
「ぐおっっ! ぐおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!」
暗殺者の1人がのど元に手をやり、あらぬ方向に手を伸ばし、そのまま地面に倒れる。
別の暗殺者たちもそれぞれもがき苦しみながら、次から次へと地面に倒れ込んでいった。
かくいうアンカー自身も、激しい苦しみにおそわれ、両ヒザを床についた。
おもむろに前方を見ると、倒れていたベアールがゆっくりと体を起こした。
背中に着いたボロボロの羽根が、またたく間に修復されていく。
ベアールがぼそっと口を開いた。
「ゴメン、本当にゴメンな……」
次の瞬間、アンカーの全身から、大量の血が吹きあがった。
斬りつけた傷がすべてこちらに跳ね返ったのだと悟った。
こちらに向かってきたベアールがつぶやき始める。
「暗黒魔法、『受傷反射』。
発動条件は厳しいけど、一度発動してしまえばこうやって絶大な威力を発揮する。
魔法陣の中にいた奴は、すべてこの攻撃の対象になるんだ。
そして魔法が発動したら最後、誰も逃げることができない」
そしてアンカーは床に倒れ込んだ。完全に虫の息になっている。
「だから使いたくなかったんだ。こんなズルすぎる魔法」
アンカーの血まみれの手が、おもむろにまっすぐ伸ばされる。
「これが、これが究極の大魔法……
おそるべし……暗黒の魔族の、真の力……」
そしてアンカーは低く笑いはじめた。
「やはり無理だ……
こんな恐ろしい力を秘めた存在を、人間が受け入れられるはずがない……
やはり魔族は、闇の中でしか生きられんのだ……」
白い仮面が、プルプルと上に持ち上げられる。
「そう、この俺の、ようにな……
永遠に、闇の中で、しか……」
そう言ったきり、アンカーは倒れてまったく動かなくなった。
同時にベアールの身体が光につつまれ、元の赤い騎士へと戻った。
「言っただろ。俺はこれに賭けてるんだって。
この力は絶対に使わない。
ただ1つ、殿下が思い描く未来をつくりだすため以外には、な」
そう言ってベアールはただひたすら、絶命した哀れな道化師の姿を見下ろし続けた。




