第30話 ターニング・ポイント~その3~
マージがその場を立ち去ると、あたりは暗くなりはじめていた。
屋敷の中からは明かりも灯り始めていたので、コシンジュ達は中に入ることにした。
「緊急事態なので、今日は着るものを用意していない。
肌寒いだろうが今夜はその衣装のまま過ごしてくれ」
そういってマージは肌掛けのようなものを用意する。
これも間に合わせであるためか、一部はほこりをかぶって色がくすんでいる者もあるが、少女たちはありがたくそれを受け取っている。
大きめのサイズなので数人で共用して使うことになるだろう。
若干気の毒な視線を向けつつ、コシンジュはマージに問いかけた。
「彼女たち、これからどうなるんです?」
「ブレベリちゃんは母親がいるが、問題はほかの子たちだ。
彼女たちの中には身寄りのない子や、親が勝手な都合で自ら売りはらった子も多い。
そういう子は私が責任を持ってあずかるほかはあるまい。里親を探してもいいし、私のもとで召し使いとして使ってあげてもいい。
修道院を建て、大陸じゅうの不幸な子供たちを集めてもいいだろう」
コシンジュが深刻そうな顔を向けると、マージはほがらかに笑った。
「そんな顔しないでくれたまえ。
大丈夫だ、城の権力者たちが倒れれば、私もずいぶんやりやすくなる。
君たちが勝つにしろ、ファルシス殿らが先手を取るにしろ、私は帝国の新たな摂政として国の再建の陣頭指揮を任されることになるだろう」
「マージさんは、それで大丈夫なんですか?」
そういうと、相手はこちらの頭をポンポンと叩いた。
「いい子だ。君はとてもいい目をしている。
そういう心配をしてくれるのは君のような人間だけだ。そういった言葉をかけてもられるだけで、私は十分だ」
マージの笑顔には屈託がない。
最初は特徴的な顔立ちにおじけづいていたが、こうしてみるとごく普通の温厚そうな中年男性だ。
大帝のもとで智将として活躍していたという事実でさえうたがわしくなる。
コシンジュはふと周りに視線を送ってから、もう一度マージを見た。
「マージさんにはご家族とかいないんですか?」
言うと、相手はかなしげな表情になり、周りに目を向けた。
「妻子はいた。
子供はメトラの知り合いに預けているが、妻は権力者たちのクーデターの際に……」
コシンジュはうつむき、小さく「すみません」とつぶやいた。
マージは首を振った。
「いいんだ。ただこれだけは覚えてもらいたいな。
この私とて、あの権力者たちにうらみがないわけではないのだ。
連中は多くの命を奪い、いまも数多くの人々を苦しめている。決して野放しにしておくことはできない連中だ」
コシンジュはマージとともに、つい先ほどまでの出来事を忘れてさわぎまくっている少女たちを見つめた。
マージがちらりとこちらに視線を向ける。
「君の潜在能力を引き出す方法はわからない。
だが時間がない。ひょっとしたら手荒な手段を使うかもしれないが、覚悟してくれたまえ」
「大丈夫です。
これ以上あの子たちのような人間を出さないために、どんなことでもする覚悟はできています」
それきり2人は押し黙った。
少し離れたところでは少女たちの世話をするロヒインがこちらを見つめたが、無視した。
翌朝、コシンジュはいつものように棍棒を素振りする。
あらゆる方向に棍棒を振り払い、敵の姿を想像して華麗に立ちまわる。
自分の動きがよくなったとは思えない。
たしかに自分の村を出発した時よりは格段に腕が上がったが、自分が達人であるネヴァダをおどろかすほどのいい動きができたとは、いまだに信じられない。
だが、その原因はわかってる。
自分はおびえているのだ。相手が生きている生物であるということに。
旅の途中で戦ってきた魔物ですら、感情を持った立派な生き物なのだ。
正直、躊躇は最初からあったはずだ。
一番初めのオークたちでさえ、心の奥底では本当にいいんだろうかという気がしていたはずだ。
相手が魔物であるという事実を言い訳にして、その感情を押しつぶしていただけだ。
さらにはこれから戦う相手は、自分と同じれっきとした人間であるということだ。
もちろん、ブレベリたちを苦しめる原因を作った帝国の悪党たちは許せない。
そんな奴ら、彼女たちと同じ苦しみを味わえと思うし、死んでしまえばいいとすら思う。
問題は、その報いを与えなければならない人間が、なにを隠そう自分自身だと言うことである。
正直別の人間が代行してくれるなら、変わってやってもいいと思っている。
コシンジュは不意に、自分の棍棒に目を向けた。
動きを止め、片手にしっかり握ってその感触を確かめる。
いや、誰かに任せることはできない。自分が、自分こそがやるべきなのだ。
自分こそ、神に選ばれた勇者。世界の平和を守る使命を任されている。
相手が魔物であろうと、人間であろうと、平和を脅かす連中を絶対に許してはいけない。
コシンジュは、誰もいない場所に鋭い目を向けた。
問題は、あの時の感情の高ぶりを、どうやって引き出すかということだ。
悪い奴らは許せない。苦しんでる人々を助けたい。そう一身に思うようになるためには、いったいどうすればいいか。
しばらく休憩することにすると、多少汗をかいていることに気づいた。
段差に座り、汗をぬぐっていると誰かが声をかけた。
「お疲れさま。コシンジュっていったっけ? よくあんな動きできるよね」
見ると、昨日娼館で最初に出会った少女だった。
彼女は両手を後ろで組みながら、千鳥足でこちらに近づいてくる。
表情はあまり警戒していないようだが。
「ええと。お前名前なんて言うの?」
「『クリサ』っていうの。
昨日はゴメンね。初対面なのにあんなメチャクチャなこと言っちゃって」
コシンジュはあわてて片手を振った。
「いやいやオレのほうこそ!
いくらショックを受けてたっつっても、あんなこと言われちゃ誰でも怒るって!」
そのあいだにクリサはコシンジュの横にちょこんと座った。
少し離れた場所に彼女はいるが、こちらに恐縮ぎみな笑顔を向けた。
「もうちょっと近くに寄っていい?」
コシンジュが「もちろん」と言うと、彼女の姿がすぐ目の前に移動する。
ふわっと甘いにおいがただよう。コシンジュはあらためて、目の前の少女が自分と同年代だと言うことを自覚させられた。
思わず悲しげな目になってしまうと、クリサははぐらかすように笑った。
「ちょ、ちょっとやめてよっ!
そんな暗い顔されると、こっちまで変な気持ちになっちゃうよ!」
コシンジュは感情を抑えきれず、うつむいて首を振った。
「オレ、そんな世界があるだなんて知らなかった。
いまだって昨日の出来事が事実だって信じたくない」
「コシンジュの住んでる国って、平和なんだね。
いったいどういうところなの?」
相手が話を切り替えたい意図が見え見えだったので、コシンジュはうなずいて遠くを見つめた。
「とてもいいところだよ。
冬は雪であたり一面が真っ白になるけど、それ以外の季節はとっても過ごしやすいよ」
「雪? あたし見たことないんだけど、とっても白い灰みたいなものなんだって?」
コシンジュは上空のくすんだ灰色をながめながら言った。
「うん、とっても白い。
それどころか、太陽の光を反射して、とてもきらきら光ってるんだ。
うん、とってもきらきらしてる」
それを聞いたクリサは感激のあまり両手をパンッ、と叩いた。
「すごいっ! それ、あたしも見てみたい!」
「一度来てみなよ。
とってもいいところだから、むしろ住みたくなっちゃうかもよ」
コシンジュの言葉に、なぜかクリサは浮かない顔になった。
「どうだろ?
あたし、この街から一生出られないんじゃないかな?」
そう言って、彼女はぼう然と上空を見上げる。
「この街はね。一年のほとんどがこんな色の空してるんだ。
青空はたまに見れるけど、今度は容赦のない日差しがあたしたちを照りつける。
そうじゃない日はいまみたいにわりあい涼しいけど、今度はあたしたちの心をどんよりさせる」
彼女はそばにある石垣に指を触れると、しなやかな動きでつつっ、となぞった。
指を離して裏返すと、くすんだ丸い灰が付いている。
「年中灰が降ってくるおかげで、この街は草木が生えない。野生の生き物も見たことがない。
あたし、生まれも育ちもここだから、草木っていうのを一度も見たことがないんだ」
そしてクリサはコシンジュのほうを向いて「あんたのところは?」。
いきなり振られたコシンジュは少しあわて、その勢いのままにしゃべりだした。
「そ、そりゃもうっ! あちらこちらにわんさかとっ!
動物だってあちらこちらにいっぱいっ!」
「へぇ、うらやましいね……」
「クリサだっけ。なんでこの街から出られないなんて言うんだ?」
彼女は石垣の後ろの方に両手を押し当て、片足をあげてブラブラさせた。
歳相応にほっそりしながらも着ている派手な衣装のせいで色っぽく見え、コシンジュは少しだけ興奮する。
「あたしの親、借金苦なんだよね。
昔はまっとうな商売してたんだけどさ。うちの親友達の借金を肩代わりするわ、悪い奴にダマされたりしてさ、いつの間にか店がかたむいて、たたんだあとはまともに食うことすらままならなかったんだよね。
でも取り立て屋はしょっちゅう来るから、このあたしが稼ぐことになったわけ」
「親はがんばってないのかよ!?」
コシンジュの声はとげとげしいものになっていた。
クリサは目をつぶって首を振る。
「散々仕事探したけど、うちの親はダメ。
この国じゃ、まともな大人より子供のほうが稼げることが多いんだよ。
みんな身体を張ったムチャな仕事ばかりだけど、同情もしてくれるしお金もきっちり払ってくれる」
コシンジュは「そんな……」と言いつつ、両ひじを足に押し付けた。
「オレの国じゃ、そんなことは絶対に許されない。
将来立派な仕事につくためには、子供のころからしっかり勉強しなくちゃいけないんだ。
オレは勉強苦手だけど、一人前の戦士になるために一生懸命がんばって来たつもりだ……」
「へぇ、コシンジュって強いなって思ってたけど、やっぱりそういうことなんだ」
ところが、コシンジュはクリサの話を聞いておらず、怒った顔で彼女にふりむいた。
「だいたいっ、あり得ねえだろっ!
お前みたいな、オレと同い年の人間に、あんな……あんなっっっっ!」
コシンジュは相手がおびえる顔になっていることに気づき、あわてて顔をそむけた。
「ゴメン、思いだして気が動転しちまった……」
クリサが「気にしないで」と言って、コシンジュと同じ姿勢になってうつむいた。
「本当だよね。
いい大人が、あたしみたいな子供を相手に、コーフンするなんてさ」
彼女は急に寒気を感じたのか、クリサはむき出しの両腕をかかえてちぢこまった。
「よく考えたら気持ち悪い話だよ。
普段からあまり考えないようにしてたけど、思いだすと吐き気がする。
最初のころはいい感じの若い兄ちゃんやおっさんだったから平気だったけど、時間がたつごとに、どんどん客がひどくなってく。
小汚い身なりのオヤジとか、汗臭いデブとか、なにを考えてるかわからない怖い奴とか、インキでネクラな男とか……」
見ると、クリサははた目から見てもわかるぐらいに身体をブルブルさせていた。
「いろんな奴を相手にしていった。
いろんな男があたしの部屋を出ていくにつれて、あたしの中で何かが壊れていくんだ。
小さかったころのいい思い出とか、良識とか。
このままどんどん仕事を続けて行ったら、それこそあたしは真っ黒になっちゃうんじゃないかって……」
ふるえるクリサの肩を、コシンジュは手をかけようとしたが、彼女は「やめてっっっ!」と叫んだ。
「触らないでよっ! あたしは汚れてるんだよっ!?
あんたが想像してるより、あたしは汚いんだっ!
あんたみたいなきれいな人間が触っていいもんじゃないんだよっ!」
コシンジュは首を振り、彼女の身体を強引に抱きしめた。
クリサは激しく抵抗する。
「やめてっっ! やめてよっっっ! そうやって優しく触らないでっっっっ!」
「大丈夫、大丈夫だから……」
コシンジュはそう言って、鍛えられた体で懸命に彼女にしがみつく。
それでも抵抗を続けていたクリサだったが、やがてどんどんおとなしくなり、ブルブルふるえるだけになった。
「優しくしないでよ……。
あたしには、そんな価値なんてないんだから……」
「お前のせいじゃない。絶対に、お前のせいなんかじゃない……」
クリサはうつむき、嗚咽をもらし始めた。
コシンジュもたまらず目から涙を流す。
しばらくおとなしくしていると、彼女の身体のふるえが止まった。
それに安心したコシンジュは、そっと両手を離した。
少女は顔をあげ、泣きはらした目を指でぬぐった。
「あたし、普通の恋愛がしたかった。
普通の男の子を好きになって、普通にあんなことやそんなことをしてみたかった」
「クリサ、今の仕事はやめろよ。そしたら彼氏ができるって」
相手はひたすら首を振る。
「気休めなんか言わないでよ。
借金だってまだ残ってるし、だいたいあたしみたいな、いろんな男に触られてきた女を好きになる奴なんかいないって」
「オレは、わりかし平気だぞ。
むしろいろんなことを教えてもらいたいくらい」
クリサは突然コシンジュのほうを向いた。
「あたしを口説いてるわけ?
言っとくけど、あたしそんなに気安く落ちる女じゃないよ?」
問いかける表情が、ふとゆるんだ。
「冗談。コシンジュ、好きな人っているの?」
コシンジュは困った顔をして、頭を帽子ごとかき始めた。
「ゴメン、さっきはあんなこと言ったけど、実はいるんだ。好きな人が」
クリサは呆れた顔でため息をついた。
「なーんだ。
コシンジュけっこういい男だから、きっとモテるんだろうなとは思ってたけど」
コシンジュは気恥ずかしくなってあわてて手を振った。
「そんなんじゃねえって。
ただ、おれとそいつにはいろいろ事情があるから、どうしたらいいんだろうって悩んでる」
「どうしてよ」
「事情は話せない。いろいろ複雑なんだ。
だけど、オレにとってもあいつにとっても、お互いが大切だってことだけはわかってる」
「ふーん、うらやましいなぁ。そんなふうに思いあえる関係って」
ふてくされたクリサは両足を前に出してブラブラさせる。
「けど、おれとそいつってきっと長続きしないから、もしフラれたら考えてやってもいいぜ?」
コシンジュがニッカリして親指を立てると、クリサは「調子に乗るな!」と頭をはたいた。
しかし次の瞬間には、なぜかはっとした顔つきになる。
「あっ、そうだっ!
勇者ってさ、いろんなところを旅してきたんでしょ!? その話をちょっとしてよっ!」
「ええ~? オレはいいんだけど、めちゃめちゃ長い話になるぞ?
あんまし時間がないと思うんだけど……」
「いいからいいからっ!
空いた時間でいいから、冒険の話聞かせてよ!」
コシンジュは屋敷のほうを見ながら、仕方ないという調子で話し始めた。
「ん、じゃわかった。
まずオレの故郷は、ランドンにある通称勇者の村と言って、オレの家は以前魔王と戦った前の勇者の子孫に当たるんだ」
「えっ!? 子孫なのっ!? あんなに強いのにっ!?」
「子孫が強くて何が悪いんだよ。
まあ強いっていっても、本当に腕がたつ子孫は俺と親父くらいかな。
勇者の家ってのは代々魔王対策の剣術を習うんだけど、身につかないまま歳を取ってそのまま死んでしまったご先祖さまも多い。特にオレの知ってる人だと……」




