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第30話 ターニング・ポイント~その2~

 さわぎがひと段落して、ネヴァダは店の男たちを1階に集めた。

 幸い死者は出ておらず、男たちは息も絶え絶えに横一列にヒザをついている。

 メウノが治療を施そうとしたが、他の3人に止められた。


「事情を話してもらおうか」


 イスに座り腕と足を組むネヴァダに、店主らしき男がか細い声で答えた。


「あんたの娘は、預かっていた親せきからゆずり受けた。

 なんでもバクチのためにかさんだ借金を返済するために、お前の娘を売ったらしい」


 ネヴァダは何も言わず、眉間をしかめるだけだった。

 コシンジュがひそかにロヒインに耳打ちする。


「バクチ? この国じゃ女の人が身を売るだけじゃなくて、そんなものまで解禁してんのか?」


 聞こえていたらしく、店主がこちらを向いた。


「ボウヤは北の出身か。なら覚えておくことだ。

 この国の人間は、金を稼ぐためならどんな手段もいとわない。みんなそれほどひもじい思いをしてるのさ」


 ネヴァダが「よけいな口をたたくなっっ!」と言って足をふみならす。

 男たちのみならずその場にいた全員がビクリとする。


「そんな……あたしが聞いた話と、全然違うじゃない……」


 突然声をかけられ振り返ると、入り口で出会った少女だった。

 彼女はコシンジュとネヴァダを交互に見た。


「あたしが聞いた話だと、ここにいる彼女のお母さんが背負った借金だって聞いた。

 そんな、まさかあのおじさんのほうがウソをついてたなんて……」


 ネヴァダがたちあがり、店主の胸倉を乱暴につかんだ。


「どういうことなんだいっっっ!?」

「ク、クク……。あんたの娘の(かせ)ぎを多くするためさ。

 母親を助けるためだと言えば、あの子はどんなことだってする。逃げ出すことだってないしな」

「このクソ野郎っっっ!」


 ネヴァダが乱暴に蹴り飛ばすと、店主は地面にたたきつけられ、そのまま動かなくなった。

 今度こそ死んだかもしれないが、正直コシンジュにはどうでもよかった。

 ネヴァダがそれにツバを吐きかけると、きびすを返して出て行こうとした。

 コシンジュがあわててその腕をつかみ上げる。


「どこ行くんだよ?」

「決まってるだろう。あの男をぶっ飛ばす。

 もう血縁なんて関係ないね」

「わかってるよ。オレも手伝う。だけどその前にやることがあるだろ?」


 ネヴァダは振り返った。コシンジュは横をアゴでしゃくる。


「ブレベリちゃんをどこかに移さないと。

 これ以上こんなところになんかいさせられない」


 現実に戻ったネヴァダは、ゆっくりとした足取りで自分の娘の前まで行き、ひざまずいてなんとも言えない表情になる。


 その時点で泣きそうになっていたブレベリだったが、母の顔を目の前にして、とうとう顔をくしゃくしゃにして両手でそれをおおった。


「ごめんなさい……ママ、本当にごめんなさい……」


 その瞬間、母親は娘の身体をしっかりと抱きしめた。


「あやまるんじゃないよ。

 そうすべきなのはあたし。気付かなくて、本当にゴメン」


 それをぼう然と見つめるコシンジュの横に、先ほどの少女が並び立った。

 思わず顔を見合わせたコシンジュは、相手の悲壮(ひそう)な顔を見て思わず目を泳がせた。

 つられて相手も目を伏せる。


「大変っっ! 外に衛兵がっっ!」


 突然部屋の中に別の少女がかけ込んできた。

 コシンジュのとなりの少女はすぐに向かい合って腕に手をかける。


「どれくらいの数なのっっ!?」

「結構な数、でもきっとそれなりの応援を持ってくるはず!」


 少女たちは振り返ると、見慣れたほうのコシンジュに向かって声を張り上げた。


「このさわぎのせいで衛兵がここに踏み込んでくるっ!

 急いで逃げないとっ!」


 意味を理解しかねたコシンジュは両手を広げた。


「ちょっと待てよ。お前らってどっちかっていうと被害者だろ?

 目の前のクソ野郎どもは捕まって当然だけど、お前らまで逃げなきゃいけないっておかしいだろ!?」

「あんたは知らないかもしんないけど、この国じゃ少女娼婦も犯罪者ってことになる。

 捕まったらどうなるか……」


 コシンジュはただただあ然として、「はぁ!?」と言うしかなかった。


「ごちゃごちゃ言わないっ!

 あたしたちはとりあえず仲間を集めてくるから、あんたたちは衛兵たちをなんとかしてっ!」


 少女の後ろでネヴァダが声をかける。


「あわてて外に出るのはまずい!

 この店の中にあたしたちがいると知れたら、また諜報局(ちょうほうきょく)や魔導院の連中がおそってくるよ!

 外をうかがうんなら相手にバレないようにしないと!」

「わたしがやりますっ!」


 その時には呪文を唱えているようで、ロヒインは光る杖を前に突き出して、周囲を見回す。


「表にいる数は少ない。

 でも遠くから、応援らしき人間たちが走ってきてる。長いことここにいるのはまずい」


 後ろの方を振り向くと、ロヒインはとたんに動きを止めた。


「裏口の連中は少ないっ! いまならまだ間に合うはず!」


 代表の少女がみんなを集めてきた。


「これで全員だよっ! はやくここを逃げ出さないと!」

「……た、助けてくれっっ!

 捕まったら、おれら確実に殺されちまう……!」


 店の男が少女につかみかかろうとした。

 コシンジュは近寄って容赦(ようしゃ)なくけりつけた。


「知るかっっ! お前らなんかさっさと処刑されちまえっっ!」


 メウノが少女たちを先導しているあいだに、コシンジュ達は代表の少女に案内されて裏口に集まった。

 そして一気に表に飛び出すと、目の前には黒騎士たちが待ち構えていた。


「うおりゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」


 コシンジュは飛び出すと、目の前の黒騎士に向かって思い切り棍棒を振りかぶる。

 相手はこれまた黒い盾で防御しようとするが、すさまじい閃光に押しやられ、背中から地面にたたきつけられた。


 横から別の騎士がおそいかかる。

 振り下ろした剣を華麗にかわし、棍棒を横から叩きつける。

 防御体制すら取っていない騎士は弾かれるようにして倒れた。


 振り返ると、ネヴァダは目の前の騎士に向かって拳をたたきつけていた。

 その足元にはすでに数人の騎士が倒れている。

 彼女はこちらを向き、なぜか怪訝(けげん)な表情をしている。


「成長したね。だけどさっきのほうがもっといい動きをしてたよ」


 どういうことだろう、と考えた、その時だった。


「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」


 振り返ると、2人の少女が裏口から現れた騎士に羽交い()めにされそうになっている。

 そのうちの1人は入り口で出会った例の少女だった。


 見た瞬間、コシンジュは道端に落ちていたガレキを拾い上げ、全速力でかけだしていた。


「危ないっ! 人質にとられるよっ!」


 ネヴァダの制止も聞かず、コシンジュはジャンプして、放り投げたガレキを棍棒で叩きつけた。

 光につつまれたガレキはありえないスピードで騎士の顔面をたたき、もう1人の騎士が思わず振り返った。

 その騎士がこちらに振り返るあいだに、コシンジュは一気に距離を詰めた。


「わあぁぁぁっっ! こっちに来るなっっ!」

「その子を離せぇぇぇぇぇぇぇっっっ!」


 コシンジュは飛び上がり、騎士が持っていた剣を少女に突きつける前に、斜め上から棍棒をたたきつけた。

 相手の(かぶと)がガクンと折れ、その場にヒザをついて倒れ込む。


「「わあぁぁぁぁっっ!」」


 2人の少女がコシンジュに抱きつく。

 片方の頭をそっとなでつつ、コシンジュは裏口に向かって真っすぐ棍棒を構えた。

 やがて裏口方面に、2,3人の黒騎士が集まる。

 やって来たとたんにコシンジュの姿を見てたじろいだ。


「くそっ! 勇者かっ! やっかいな奴がいやがったっ!」

「子供扱いしないでいただき、大変光栄にございます。

 で、このオレとやるのか?」


 別の応援はこない。どうやら店の男たちを取り押さえるので精いっぱいらしい。

 そのうちにネヴァダがやって来た。なぜかコシンジュに深刻そうな顔を向けたあと、騎士たちに向かって構えを取った。


「どうする?

 鉄拳のネヴァダも相手にして、あんたたちのようなザコ兵士がかなうと思う?」


 そのあいだに少女たちがうなずき合い、その場を逃げ出した。

 ロヒインとメウノが誘導する仲間たちの中に加わったようだ。

 騎士たちは退いていき、裏口の中に消えた。

 ネヴァダはそれを確認し、すぐにコシンジュのほうを向いた。


「問題はまだだよ。

 大勢のあの子たちをうまく逃がすにはどうするべきか考えなくちゃ!」


 コシンジュはうなずいて、彼女とともにみんなのあとを追った。


「それにしても、あんた、またすごい動きをしたね」

「そうなのか? オレ、あまり意識してなかったけど……」


 それを聞いたネヴァダは走りながらも考え込む表情をしている。


 ロヒイン達に追いついた時、コシンジュは思わず口に手を当てた。

 少女たちはざっと20人以上。しかも全員目立つ格好をしている。

 どう考えても逃げるのは至難の業だ。


 ネヴァダが「つかまって!」と言って自分の娘を抱えているあいだに、コシンジュは問いかけた。


「さっきの目くらましの魔法は使えるかっ!?」


 ロヒインは前を向きながら声を張り上げる。


「ダメっ! これだけの大人数だと全員入りきらない!」

「うまく逃げだす道はないかっ!?

 ネヴァダ、この街のことは詳しいんだろっ!?」

「ムリだよっ!

 きっと今ごろ連中が上に報告して上空から捜索(そうさく)しようとしてるに決まってるっ!」


 その時、前方から新たな騎士たちが現れた。

 全員が立ち止まり、右往左往する。


「クソッ! 追いつかれたかっ! このままじゃっっ!」


 コシンジュが前に進み出ようとした、その時だった。

 横方向からローブをまとった男が現れ、騎士たちの視線がそちらの方に集まる。


「なんだお前は! あっちに行けっ!」


 騎士たちが剣を突きつけた瞬間、男は走りだした。

 手から何かを取りだしたと思ったら、それはトゲトゲの鉄球が鎖でつながれた棍棒のようだった。


 男は騎士たちの懐に飛び込むと、華麗な動きで次から次へと鉄球をたたきつけられている。

 それなりの威力があるらしく、騎士たちは瞬く間に次から次へと地面にたたきつけられていく。


「『モーニングスター』。

 あんなクセのある武器を、あそこまで上手に使いこなせる奴は、あたしの知ってる中でも1人しかない……」


 ネヴァダが感心する顔を浮かべていると、戦いは終わってしまった。

 男は正面を向き、頭のフードを取った。以前にも見た、少数民族特有の肌の色と顔立ちが現れる。


「こちらに来たまえ。敵からうまく逃げるための道筋を案内する」





 魔法のたぐいは一切使っていないにもかかわらず、男のあとを追っているうちに追手は全くいなくなっていた。

 上空からの捜索(そうさく)もあるはずだが、男は巧みにみんなを誘導して、魔導師たちの目をうまくごまかしているようだ。


「あいつ、いったい何者なんだ? ネヴァダ、知ってるみたいだけど」

「軍にいる間に遠目から見てただけだよ。

 だけどあのモーニングスターの使い方はよく知ってる。

 あの男こそ、かつて大帝の3将軍としてつかえ、いまは反乱軍のリーダーになっている智将マージ、その人だよ」

「……そうか! どおりでうまくみんなをまとめ上げているわけだ!」


 男は時々振り返り、とまどう少女たちに優しい声をかけ続けている。

 その声に彼女たちは落ち着きを取り戻しているようだ。


 マージは途中で立ち止まり、こちらに振り返った。

 そこは上空まで建物におおわれ、ほとんど闇になっている袋小路だった。

 闇の中からちょいちょいと手招きする。


「ここまで隠れられれば安全だ。みんなこっちに来なさい」


 マージは全員を呼び寄せると、ときどき少女たちの頭をなでて落ち着かせる。

 ロヒインは問いかけた。


「ネヴァダさんの話を聞いたところ、あなたが智将とうたわれたマージさんですね?

 みんなをこれからどうすればいいか、お知恵をお貸しください」

「わたしの知り合いに信頼できる魔導師がいる。

 君たちのことを教えてくれたのも彼女……」

「うまく逃げおおせたようじゃの。全員助かったようでなによりじゃ」


 コシンジュ達は振り返り、あ然とした。


「スターロッドさまっ!?」


 ロヒイン達は警戒する中、コシンジュだけが「さま」付けで相手の名を呼ぶ。

 3人がいぶかしげな目線を向けた。


「なんじゃ。別に取って食おうと言うわけでもなかろうに。

 安心せい、その子らはわらわがうまくかくまってやる」


 本日のスターロッドさまもローブでいつもの格好を隠していらっしゃる。

 コシンジュは内心残念に思ったとか思わないとか。


「おい、いったいこれはどういうことなんだい?」


 ネヴァダがマージに振り返る。

 相手はうつむき、スターロッドのほうに顔を向けた。


「話をしてもよろしいですよね」


 スターロッドは腕を組み、うんうんとうなずいた。


「緊急事態じゃからの。ファルシスには悪いが、仕方あるまい。

 と、その前に移動するのが先じゃ」


 するとスターロッドは背中の車輪を取り出し、横向きに突き出すと目を閉じて呪文を唱え始めた。


「なにをしているんです?」


 ロヒインがマージに問いかけると、相手はうなずいた。


「例のゲート魔法だ。

 ここは危ない。みんなで安全な場所に移動する」


 言っているうちにスターロッドの足元から黒々としたオーラが現れた。

 少女たちがおびえていると、マージは彼女たちの頭をなでて「大丈夫だ」と呼び掛けた。


 やがてスターロッドの周囲に黒い魔法陣が現れる。

 目を開けたスターロッドはコシンジュ達に手招きする。


「みなのもの。この中に入るのじゃ。

 安心せい、こわいのは見た目だけじゃ」


 全員がオドオドしつつ円陣の中に入る。

 スターロッドは周囲を確認しつつ言った。


「トーテレポッッッ!」


 次の瞬間あたりが真っ暗になり、少女たちが短い悲鳴をあげた。

 しかし次の瞬間には、あたりは再び明るくなって少女たちの中にはまぶしさに目を伏せる者もいる。


「よかろう、これで大丈夫じゃ。みなのもの、散らばってよいぞ」


 少女たちが少しずつ歩きだし、周囲を見回した。

 そこは街の郊外らしく、目の前には大きめの屋敷がたたずんでいる。

 マージがそちらを向いた。


「わたしが隠れ家として利用している家だ。

 だいぶ傷んでいるが、中はそれなりに快適だ。

 食料も用意してある、みんな中に入りたまえ」


 少女たちが頭を下げ、みんな中へと向かっていく。

 最初に出会った少女がみんなを誘導している。

 それを見届け、マージはコシンジュ達4人を見回した。


「さて、先ほどの話の続きでしたな」


 ネヴァダは娘のブレベリをそっと下ろし、向かい合って首を縦に振る。

 娘もうなずいて仲間たちのあとを追った。

 それを見送ったネヴァダは、ふたたびマージに顔を向けた。


「なんとなく察しはついてるよ。

 あんたはあたしたちより、魔王どもと手を組むことを選んだ。

 いったい何を考えてるんだい?」

「失敬な。我らとてこの国の平和のことを考えておる。

 ファルシスを父親と一緒にするな。あやつは先代魔王のようなむごい仕打ちをすることなぞない」


 そのことに関して、ロヒインは何か言いたげだったが、なぜか難しい顔をしたまま一言も発しない。

 メウノとネヴァダの身体をちょんちょんとつつき、相手の動きに応じて首を振っている。


「魔導師、お主の考えはわかっておるぞ。

 我ら魔族が帝国を転覆(てんぷく)させると、どのような影響(えいきょう)があるかなどということはな……」


 ロヒインが非常に気まずい表情になる。

 わかりやすいしぐさをしたことを後悔しているかのようだ。


「スターロッドさま。

 あなたたちが帝国の悪い奴らを倒すのと、俺たちが奴らを倒すのと、いったい何がちがうんです?」


 コシンジュが問いかけると、スターロッドは腰に手を当てて重心を片足にあずけた。


「信用の違いじゃ。

 お主らは北の出身とはいえ、神々に選ばれし勇者じゃ。

 お主らが帝国の奸臣(かんしん)どもを打ち倒せば、人々は救国の英雄としてたたえるじゃろう」

「しかしそれは、お前たちが成し遂げたとしても同じことのはずだよ?

 なんでロヒインはそれをまずいと思うんだ?」


 ネヴァダに問われるとスターロッドは皮肉な笑みを浮かべて首を振った。


「我らは北の地とは何のゆかりもない。

 お主らが国を救えば、国民たちは北の出身であるゆえ感謝をささげねばならんが、我らが国を救い、新たな支配者に君臨した場合、次のことを期待するようになる」


 コシンジュが息をのむのを確認し、スターロッドは神妙な面持ちで告げた。


「我らなら、

 自分たちが北の大陸に復讐(ふくしゅう)しようするのを、喜んで支援してくれよう、

 とな」


 言った瞬間にコシンジュが「はぁっ!?」となった。

 ロヒインが深いため息をついて額を手でおおい、上空を見上げた。


「やはりそうなりますか。

 帝国民は魔族と言う超強力な味方を得て、やがては北の大陸へと侵攻しようと考えるわけですね?」

「ちょっと待ってくださいよスターロッドさまっ!

 あなたはいいんですかそれでっ!? もっとうまくことをおさめられないんですかっ!?」

「わかっておる。

 わらわとて人間同士が相争う世が来ることなどこころよくは思っておらん。

 だが我ら魔族とて、おごり高ぶる民衆を押さえつけることなど、できるわけではない」


 スターロッドは腕を組み、その場をゆっくりと歩き出した。


「我らは信用が足らんのだ。

 信用を得るためにあれこれ手を尽くしてはおるが、ファルシスの父めがこの地でやらかした所業をぬぐい去るには、とうてい心もとない。

 帝国民があやつを絶対的に信用するためには、数えきれないほどの功績(こうせき)が必要なのじゃ」

「その功績を得るために、魔王は北の大地を攻める必要があるってことなのかい?」


 ネヴァダの声にちらりと振り向いて、すぐに顔を戻して首を振った。


「そうは言っておらん。ただ絶対的な信用を得るには時間が足りん。

 ゾドラ征服後すぐに大陸侵攻に乗り出すとは思えんが、いかなる手を尽くしたとしても国民感情を押さえつけるには間に合いそうもない」


 スターロッドがコシンジュ達のあいだを通り過ぎると、クルリとこちらを振り向いた。


「帝国の奸臣(かんしん)どもを打ち倒すのは、本当はお主らがやるべきことだと思う」


 そしてコシンジュの顔をまじまじと見つめた。


「だが、お主の実力では、圧倒的な軍勢をほこる帝国兵にはかなうまい。

 ファルシスを目の前にして、おじけづくようではな。お主はまだそれだけの実力を備えてはおらん」


 あわれみすらこめた視線を向けられ、コシンジュは力なくうつむいた。


「悪いことは言わん。

 お主ら北の民にとっては非常に不都合じゃが、ここは我らに任せてたもれ。

 お主らが城に向かえば、間違いなく命を落とすであろうからの」

「こうするのはどうでしょう。

 我々とあなた方が手を組み、一緒に奸臣たちを打ち倒すと言うのは?」


 メウノの提案にもスターロッドは首を振る。


「ダメじゃな。

 敵対していた2つの勢力が手を組み、一緒になって奸臣どもを打ち倒せば、あらぬうたがいをかけられる。

 なにより我らとお主らの力が合わされば圧倒的に向こうのほうが不利じゃ。

 この地の民はこう考えるじゃろう。

『神々は敵対していたはずの魔王と手を組み、北を攻めるべしと考えていた帝国を(ほろ)ぼそうとしている』、とな」


 メウノは両手で口をふさぎ、「そんな……」とつぶやいた。

 コシンジュはそれでもあきらめきれず、しきりに首を振る。


「なんとか、なんとか大陸同士の戦争を回避できないのか?

 スターロッドさま、何か方法はないんですか!?」

「わからぬ。

 わらわも数千年の時を生きておるが、いまの状況を打開するよき(すべ)を思いつかん」


 スターロッドはその場をクルリと反転すると、コシンジュ達に背を向けるように歩きだした。


「わらわと同年代のルキフールと言う男が、城の警備を手薄にするために大軍勢を送ろうとしておる。

 奴の了承(りょうしょう)を得た以上、今さら我らの計画は変えられん」


 スターロッドは呪文を唱える。

 コシンジュは前に進み出て、彼女に呼び止めた。


「お願いですっ! なんとかしてくださいっ!

 スターロッドさまっ!? スターロッドさまっっ!」


 ダークエルフはコシンジュを無視して、出現した魔法陣とともに闇の中へと消えさっていった。

 コシンジュは突然振り返ると、マージの前に進み出てローブにしがみつく。


「マージさんっ! あんたこの事実を知ってたのかっ!?

 知ってたならなんで止めないっ!? あんたならもっとうまい手が見つかったはずだっ!」


 マージはコシンジュを離し、両腕を押さえて少しかがみ、顔を近づけた。


「悪いが、できない相談だ。

 よく考えてみなさい。

 これ以上この国に、ブレベリちゃんのような子を増やしていいと思うのかね?」


 そう言われ、コシンジュは目線を下げて気まずい顔をする。


「私は少しでも早く、この国で苦しんでいる人たちを助けたいだけなのだ。

 そのためならどんな相手でも組む。よほど道を踏み外したような連中でない限りはな」


 コシンジュは帽子を脱ぎ、近くにあった段差までとぼとぼと歩き、腰を落ち着けた。

 両ひじをヒザに押し付けた格好で前のめりになりうつむく。


「いや、まだ希望はある」


 とたんにコシンジュの顔があげられた。

 見ると、発言したのはネヴァダだった。


「確かにあいつが知ってるコシンジュの力じゃ、5人の権力者を打ち倒すことはできない。

 だけどコシンジュがもっと強くなれるのなら、話は別だよ」

「無理だな。魔王軍の出撃は明後日(あさって)だ。

 それまでの彼の実力を強化するなど、とうていできるはずがない」


 いぶかしむマージに向かい、ネヴァダは両手を広げた。


「いや、この子は本当の実力を隠し持ってる。

 コシンジュは本当はもっともっと強い奴なんだ」

「どういうことなんです?」


 ロヒインの声に彼女は振り向いた。


「あんたも見たろ。

 娼館のクソ野郎どもが階段を上がった時の、コシンジュの動きを。

 あれはいくら頭に血がのぼっていても、そんじょそこらの奴に出来る動きなんかじゃない。

 よほど素質のある奴じゃない限り、あたしでさえがく然とするほどの腕前は発揮できない」

「武術の達人であるネヴァダさんが、おどろくほどの動き?」


 おどろいたロヒインが、彼女に続いてこちらの方を見た。

 コシンジュもまた信じられないと言う表情しかできなかった。


「一回だけじゃない。

 あんたたちがブレベリたちを誘導しているあいだに、コシンジュは逃げ遅れて捕まりそうになった子たちを助けだした。

 その時の動きもすごかったんだ。2度も確認したんだから間違いない」

「ふむ、なるほど。

 どうやら彼の動きには、通常時には制約がかかっているらしい」


 ロヒインが「どういうことなんです?」と問いかけると、マージはうなずいた。


「人間は本来、争いを避ける動物だ。

 どうしても逃げられない場合、あるいは戦わざるを得ない場合を除き、人間は戦いの際どうしても躊躇(ちゅうちょ)というものが生まれる。

 死に対する恐怖、相手を傷つけ、命を奪わなければならないかもしれないという不安。そういったものは無意識に誰もが感じていることだ。

 しかしまれに、そういったものをあまり感じないか、あるいはまったく感じない者が存在する。

 そういった人間は、心得さえあれば最小限の判断力と動きで、効率的に敵を倒すことができるようになる」


 マージは腕を組みながら、ネヴァダのほうを向いた。


「ここにいるネヴァダ君は、それができる数少ない人間だ。

 つまり達人と言う人間は、相手を倒すということに対する躊躇が少なく、効率的に敵を排除できることを優先的に考えることができる、そういった才能を持っている人種ということだ」


 メウノが「コシンジュさんの場合は?」と問いかけた。


「コシンジュ君の場合、条件次第で制約が解除される。

 最初の場合はネヴァダ君の娘が娼婦になっていたという事実に怒り、我を忘れて悪党どもに矛先を向けた。

 2度目はそんな彼女たちが帝国兵に捕まり、それを助け出すことしか頭になかった。

 2つともコシンジュ君の普段考えている理性を忘れさせるほどの、強い感情が頭の中で駆け巡っていたわけだ」


 そしてマージはコシンジュのほうを向いた。


「コシンジュ君。君は、本当は戦うことが怖いんだろう?」


 コシンジュは、一瞬泣きそうになり、伏せがちに大きくうなずいた。


「コシンジュは、本当は心優しい人間なんです。

 戦う相手を傷つける、ましてや相手の命を奪うことが、本当は大嫌いな人間なんです。

 それがたとえ人間でも、魔物であっても」


 ロヒインの言葉に続き、コシンジュ自身も口を開いた。


「最初は、魔物たちがなにを考えているかなんて思ってもみませんでした。

 相手をみんな悪党だと決めつけて、容赦なくこの棍棒でぶったたいてました。

 旅を続けるうちに戦うコツをだんだん覚えていったけど、ある敵に気づかされた。

 自分たちだって、痛みや苦しみを感じる立派な生き物なんだって。

 それを聞かされて、一時は戦いたくないとさえ思った」

伝承(でんしょう)によれば、勇者は実力よりも人格面を考慮(こうりょ)して選ばれると聞いていたが、どうやらその通りだったようだ」


 マージがアゴに手を触れて感心していると、ネヴァダは彼に向き直った。


「だけど、今度の魔王は相当の実力者です。

 こうなれば、人格のみを考慮している場合じゃないはずでしょう」


 ネヴァダの態度は上官を相手にするようなものに変わっていた。

 きっと彼の仁徳がそうさせるのだろう。


「その上彼はまだ子供だ。

 体格が十分でない以上、隠されていた実力を発揮したとしても魔王に打ち勝つのは無理だ」

「ならどうすればっっ!」


 食い下がるロヒインにマージは片手をあげて制した。


「だが、帝国の奸臣たちには勝てる。

 彼がネヴァダほどの身のこなしで、神々の棍棒をふるうことができればな。

 一流の達人が強大な力をふるいさえすれば、圧倒的な城の軍勢でさえ容易にかなうはずがあるまい」

「本当に……本当にそれで大丈夫なんでしょうか……」


 ロヒインの声色はふるえている。マージはうつむいてかぶりを振った。


「信じるほかあるまい。

 2つの大陸の争いを阻止するためには、君たちが先に城を制圧するほかに方法はないのだ」


 そしてコシンジュに向かって少しずつ歩みを進める。


「問題は、彼を目覚めさせる方法だ。

 私は数々の兵法(ひょうほう)に通じているが、人の心をうまく変える方法など、見たことも聞いたこともない」


 そしてコシンジュの前で座り込んだ。

 うつむく彼の顔をのぞき込むような形になる。


「時間は少ないが、考えてみよう。

 人心掌握(しょうあく)術を応用すれば、なんとかなるかもしれん」

「その前に、あたしの方からひとこと言わせてもらっていいかい?」


 コシンジュは前に進み出ると、腕を組んでコシンジュを見下ろした。


「ブレベリがあんなことになったのは、あの店の連中やあたしの親戚のせいだけじゃない。

 大帝が健在だったときはご法度になってたカジノや娼館を解禁し、ああいう店をのさばらせるのを見て見ぬふりをしてるからだよ。

 本当に悪いのはいまも城の中で贅沢三昧(ぜいたくざんまい)してる、権力者連中のせいだよ。

 それを思うと本当に腹の底が煮えくりかえるし、正直殺してやりたいと思う。

 あんたはどう? それでも命を奪うほどの悪い連中じゃないと言う気?」


 コシンジュは相手の顔を見て首を振った。


「いいや、わかってるつもりだ。

 この国をここまでダメにした連中を、絶対に許しちゃいけない。

 なんとかしなきゃいけないのはわかってる。

 だけどそれと俺が遠慮なく命を奪えるか奪えないかは、また別の話だ」


 ネヴァダは腕を組んでため息をついた。


「あんな連中、人じゃないよ。姿はごく普通でも、中身は魔物だよ。

 本当の魔族でもスターロッドみたいな奴がいるのなら、その逆もしかり、だろ?」

「わかってるって。問題は、俺が遠慮なく殺せるかってことだろ?

 相手を単なる生きる価値もないゴミだって、腹の底から思えるかってことだろ?」


 そこまで言って、コシンジュはうつむいて首を振った。


「それとこれとは別の問題だ。

 正直、生き物が命を失う瞬間を見るっていうのは、なんとなく歯切れが悪い。

 特に自分のせいでそうなったってわかっている時は」

「あんた、本当は虫も殺せない人間なんだね……」


 そういってネヴァダはその場を立ち去って行った。

 入れ替わりにマージのほうが人差し指を向ける。


「君は素質がある割には、心根が優しすぎる人間だと言うことだ。

 少し時間をくれ。なんとかちょうどいいところで折り合いがつけられるよう、検討してみよう」

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