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第28話 悩める知将~その3~

 ファルシスがポータルを抜けると、そこは久方ぶりに見た自身の謁見(えっけん)広間だった。


 こうしてみるといかに広い空間だったかがよくわかる。

 以前はこれほどの大伽藍(だいがらん)は自分には不釣り合いだと思っていたが、いまはそれほどでもない。


「ここを訪れるのも最後となろう。

 いずれは父が築いた人間界の城こそ、わが居城となる。

 そう思わんか? ルキフール」


 ファルシスが顔を動かすと、小さな背を向けていたルキフールはゆっくりと振り返った。

 しわがれた顔には笑みを浮かべている。


「首尾は上々のようですな殿下。

 あのマージとかいう者、殿下の心証をよくわきまえておるようで」


 ファルシスはさっそうと歩みつつ、かつて頻繁(ひんぱん)に腰かけていた玉座へと向かった。


「こちらの方はどうなっている?」

「対して魔界は混乱におちいっております。

 ヴェルゼックとマノータスめの増長を、私とレンデルで押さえつけるのが精いっぱいの状況で」


 マントをひるがしたファルシスは、その勢いで自分の玉座に収まった。


「いずれはあの2名をなんとかせねばな。で、いかにする?」

「残念ですが、あの者らを粛清(しゅくせい)することはかないません」


 ファルシスは「なんだと?」と言い、暗がりに収まった顔からのぞく赤い瞳をルキフールへと向ける。


「魔界はいま数多くの兵卒をおさめる、幹部の存在が不足しております。

 もともと少なかったうえに多くが勇者どもの手によってやられてしまったゆえ」

「猫の手をも借りたいという気か?

 マノータスはともかく、狂ったヴェルゼックにそれが務まるはずがなかろう」


 ところがルキフールはゆっくりと首を振った。


「それが、どういうわけかヴェルゼックめは予想外のリーダーシップを発揮し、混乱した属性魔物らを取りまとめておる様子にて」

「あのヴェルゼックが!?

 奴がこれまで指導力を隠していたという気か?」

「そう考える他にございません。

 奴はこれまで、あの気性の荒いマノータスをつき従えていることを考えてもわかる通り、いざという時は魔物どもをまとめる力を有しているようでございます」


 ファルシスはあさっての方向を向いて暗がりの中に手を入れた。

 アゴに触れているのだろう。


「フン、いまのうちにおだてておいて、いざという時は捨て駒として利用するつもりなのだろう。

 奴も奴だが、だまされる連中も情けないにほどがある」

「ヴェルゼックめのさせたいようにさせておきましょう。

 そもそもこの戦争は、あふれ返った魔物どもの命を戦場で散らせてやるために起こしたものなのですからね」


 クククと笑うルキフールに、ファルシスの赤い瞳はいぶかしむものになった。


「だが、その後はどうなる? ヴェルゼックの増長はこれからも続く。

 それを残ったお前やレンデルだけで、うまく(おさ)えることはできるのか?」

「なに、私はこれでも数多くの戦乱で腕を鳴らした策士(さくし)、ヴェルゼックのような乱痴気らんちき者など、簡単に出し抜くことが出来ますわ」

「自信があるようだな」


 ファルシスは身体を少し動かし、ルキフールと向かい合う形になった。


「そんな魔界きっての策士が、なぜ余のような若輩者(じゃくはいもの)につき従う。

 その知略に飛んだ才を発揮すれば、お前がこの玉座についたとしてもおかしくないのだぞ?

 以前から疑問には思っていたが、スターロッド達の本心を聞いたいまとなってはだまってはいられなくなった」

「おたわむれを。

 殿下は能力、武芸のみならず、知略においても最高位の魔族でござます。

 ご謙遜(けんそん)めされるな」


 笑って頭を下げるルキフールに、ファルシスは真剣な目を向けた。


「たわむれではない。どうしてかと聞いておる。

 建前はなしだ。本心を言え」

「……なぜそのような?」


 ルキフールの目も真剣なものになった。

 それを見たファルシスの目が細められ、ひじ掛けに付いた手をそっとなでつける。


「この座に座るのも、もう今宵(こよい)かぎりゆえな。

 お前ともめったに会うことはあるまい。

 最後となるやもしれぬのに、本音で話し合わぬのもいかほどなものか」


 ルキフールは抵抗をあきらめたかのように、顔を伏せた。

 そしてゆっくり首を振る。


「いえ、贅沢(ぜいたく)なことは申しません。

 私もいまだ魔力がみなぎるとはいえ、もう高齢にございます。

 今さら殿下になり変わって天下を治めようと望むなど、今さら考えてはおりません。

 ですが……」


 しかし次の瞬間ルキフールは顔をあげた。

 その顔には不敵な笑みを浮かべている。


「死を迎える前に一度、殿下がお座りになるその玉座に座りとうございます。

 いえいえ、魔王などと名乗るつもりはありません。

 魔界をおさめる新たなる称号、『魔界王』を名乗らせていただければ、これ以上文句は申しませんとも」


 クククク、と笑うルキフール。

 ファルシスはようやく相手の本音を聞きだしたような気がした。


「なるほど、いいだろう。

 この闇に閉ざされたこの世界が好きなら、くれてやる。好きにするがいい」

「そう言われては困ります。

 魔界は地上やいまわしき天界よりもはるかに広大。それをおさめるには相応の力がなくてはなりません。

 殿下や、この私のようにね……」


 不敵に笑うルキフールに、ファルシスはため息をついた。

 この老いたゴブリンの宰相(さいしょう)の頭の中には、やはり黒々とした野心でいっぱいだったか。


「ですが、それだけではありません……」


 意外な一言に、ファルシスの赤い瞳が思わず向いた。

 ルキフールは押し黙っている。言う気があるかどうか迷っているようだ。


「よい。今生(こんじょう)の別れだと思って、申してみよ」


 ルキフールはためらったあと、あきらめて深く息をついた。


「はじめて私とお会いした時のことは、覚えてらっしゃいますかな?」


 相手の態度の変化におどろきながらも、ファルシスは瞳を閉じて当時を回想する。


「ああ、覚えている。

 お前とスターロッド、ベアールの父の軍を破ったわが父はお前たちを処刑することなく、臣下として迎えることで虚栄心(きょえいしん)を満たそうとした。

 不服を抱くお前たちを場内で出迎えたのが、なにを隠そうこの余であったな」

「ええ、そして殿下を初めてこの目にして、その立ち振る舞いには(おどろ)かされました。

 当時の殿下は年端もいかぬ少年であったにもかかわらず、先代にはなかった覇気(はき)を備えておられた」


 ファルシスは「気恥ずかしいことを言うな」と言って、ヒジをついて拳にこめかみを乗せた。


「そして我らの心に、1つの想いが宿りました。

 我らは魔王タンサに仕えるのではない。この、いずれは新たな魔王の名をいただくことになるこの少年に仕えるのだ。

 その想いはいずれ確固たる決心へと変わりました」

「スターロッドやベアールがそういう思いを抱えていたことにはうすうす気づいていた。

 しかしまさかお前まで同じことを言うとはな」

「フフフ、我らがまだ争いを繰り広げていたころ、私の軍勢は先代の小手先の戦術にやられておりました」

「智将と知られるフキフールが、いま思えばあのような子供だましに引っかかっていたとは意外であるな。

 我らを知恵なきものとあなどっていたのが功を(そう)したか」

「タンサの軍には知恵者はなし、当時の私はそう考えていました。

 ですが実際は違った。あの策を考えたのは、あなたでしたね」

「クク、頑迷な父に入れ知恵をさずけるのは苦労したぞ。

 息子に出し抜かれたと思われぬよう、それとなく遠回りに言ってやらねばならなかったゆえな。

 そのことばかりに気を取られ肝心の戦術がおざなりになっていたが、よくもまあ引っかかってくれたものだ」

「そのことも照らし合わせつつ、私は考えました。

 この男、いずれはとてつもなく大きくなるぞ、とね。

 長い間ずっとそれを楽しみにしていましたよ」


 ところが、ここでルキフールの笑みが溶け、浮かない表情になった。


「ですが、殿下が新たなる魔王の座に就き、時間がたつにつれその目はどんどん(くも)られていった……」

「父が無謀(むぼう)とも言える地上への遠征(えんせい)で、多くの手勢が失われた。

 その上当時の余はまだ若かった。

 不平不満を抱く魔族たちをおさめる自信など、当時の余にはなかった」

「やがてあなたは忠誠(ちゅうせい)(ちか)う者たちとさえ、距離を置き始めましたね。

 私もいろいろ策をめぐらせましたが、殿下の心の闇が晴れることはなかった」

「そうか、まったく気付かなかったぞ。

 それほど余は永く孤独(こどく)のふちにいたのだな」

「残された方法は、たった1つしかありませんでした。

 殿下を絶望のふちへとさらに追い込み、極限状態の中でうまく説得する。

 それ以外にこのルキフールにはよい策が浮かびませんでした」

「そうか、お前が勇者に対して本気を出さなかったのは、そういった理由があったのか」


 ルキフールは前へと進み出ていきなり両ヒザをついた。


「お許しくだされっっ!

 このような方法で殿下を追いこみ、その心中をさんざん苦しめたこと、心からおわび申し上げるっっ!」


 平伏するルキフールに、思わずファルシスは立ち上がった。

 薄明かりにさらされたその顔には若干狼狽(ろうばい)の色がただよっている。

 ルキフールはふるえる声で続ける。


「もっと私に心があれば、人間にも似た真心があればもっと良き知恵が浮かんだかもしれません!

 ですが……殿下は、殿下は戻ってきて下された!

 あの頃の覇気に富んだ、元の殿下に戻ってきて下されたぁぁっっっ!」

「もうよい、もうよいのだルキフールッ!」

「いいえ、いまはそれ以上っ!

 いまの殿下は私以上の知略に富み、圧倒的な武芸と魔力に秀で、もはや先代魔王タンサなど足元にも及びませぬっ!

 そして殿下は圧倒的な覇気を備え、敵対していたはずの勢力を見事屈服なされようとしているっっっ!」


 ルキフールの目から大粒の涙がこぼれた。

 それをおおいい隠すかのように、小さな大魔族は頭を冷たい床に押し付けた。


「よくぞっっっ!

 よくぞここまで大きくなりなされたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっ!」


 ファルシスの出した手は空中を泳ぎ、やがて力なく下に下げられる。

 魔王はただ必死に嗚咽(おえつ)()らすルキフールの姿をながめているしかなかった。





 ファルシスがいつまでもそこに立っていると、ルキフールはようやく顔をあげ、涙でくしゃくしゃになったのをそででぬぐった。


「私らしくない醜態(しゅうたい)をさらしました。お許しくだされ」

「いや、いいのだ。

 お前の本心に触れ、余も得心がいった、気にするな」


 ルキフールは必死に鼻をすすりつつ、立ち上がって上目づかいにファルシスを見る。


「さて、これくらいにしておきましょう。

 今日は用があってここに参ったのでしょう?」


 ふたたび席に着いたファルシスは、赤い瞳をまっすぐルキフールに向けた。


「無論だ。

 で、これからの首尾はいかようにするつもりだ?」


 落ち着いたルキフールはぺこりと頭を下げた。


「では申し上げます。

 我ら魔王軍はタイミングを見計らい、ふたたびカンチャッカポータルから大軍勢を送りたいと思います。

 それとともに殿下は城へと侵入し、手薄になった軍勢を一気に叩きつぶしていただきたい」

「タイミングとはいかなるものだ?」

「勇者一行がパンカレの街にたどり着いた翌日。

 奴らが城へと上がり込む前に、我々は急いでゾドラを陥落(かんらく)させねばなりますまい」

「わかった。

 で、軍勢の総大将は誰が務める? お前か、それともレンデルか?」


 ここでルキフールはこちらの顔をまじまじと見つめた。


「ここはあえて、ヴェルゼックの奴めを大将に立てたいと存じまする」

「奴を総大将に?

 あんな狂乱者を送り込めば、帝国軍は悲惨(ひさん)な目に会ってしまうぞ?」

「いいえ、そこをうまく利用するつもりなのです。

 カンチャッカにある要塞はいまだ整備中、今度の侵攻で確実に陥落(かんらく)します。

 我らの軍勢は完全にそこを通過することになりますでしょう」

「それではヴェルゼックにおだてられた連中が各地に散らばってしまうではないか。

 帝国民によけいな被害が及ぶのは許さんぞ」


 ここでルキフールは突然両手をパンッ、と叩いた。


「そこでゲートを閉じるのです!

 帰り道を失った軍勢はたちまち混乱、あわてた奴らはヴェルゼックの言うことも聞かず、軍は統率を失うでしょう」

「なるほど、それは帝国民に向けた我らの良きメッセージとなる。

『我らはヴェルゼックら強硬(きょうこう)派と、一切のたもとを分かつ』。

 人間どもはそれをよく理解するだろう」


 ここでファルシスは押し黙った。なにか懸念(けねん)があるようだ。


「だがそれを知ったヴェルゼックは黙っていまい。

 あの者、何かよからぬことを考えねばよいが」

「結構でございます。

 奴とそのシンパである炎の軍勢には、残った我らが総力を決して監視を行いましょう。

 もし手荒なまねをするようでありましたら、このルキフールが自らの力を持って成敗いたします」


 ファルシスはようやく納得してうなずいた。


「お前の力があればやすやすと抑えられよう。こちらの方は任せたぞ」


 相手の「かしこまりました」の声に応じ、ファルシスは立ち上がった。

 ルキフールのそばに行こうとすると、相手は少し頭を下げた。


「思えば勇者どもには感謝せねばなりますまい。

 私が手を抜いたとはいえ、我らが軍勢の前に散るようなことがあれば、殿下の目を覚まさせることはできなかったのですからな」

「もうよいのだルキフール。

 奴らへの礼はきっちりと返す。心配するな」


 ファルシスは振り返り、さんざん慣れ親しんだ玉座をじっと見つめた。


「少なくともあの椅子に座ることは2度とあるまい。

 あれは完全にお前のものだ」


 少し頭を下げると、ルキフールはファルシスの横を通り過ぎて、玉座の前に立った。

 その心中はいかばかりのものか。

 そう思いながらファルシスは剣を引き抜き、ゲートを開けるために呪文を唱える。


「さらばです我が殿下。

 また会うときは、ゾドラの地を手中に収めていることをお祈りしていますよ」

「ゾドラだけでなく、地上のすべてを睥睨(へいげい)する。

 その時こそ我らがまみえる時だ」


 黒々としたゲートを開き、ファルシスは振り返った。

 彼が去るまでは玉座に座るつもりはないらしい。


「さらばだ、親愛なる我が友よ」


 そういってファルシスはゲートの中に入った。

 ルキフールは片手をあげ、消えゆくファルシスを静かに見送った。

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