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第28話 悩める知将~その2~

 ファルシス一行がマージをともなってラシリスの屋敷を出ると、その家の主人が大軍勢を引き連れて門前を取り囲んだ。


「おい! いったいどういうことだっ!

 ジイさん、これはいったいどういう風の吹きまわしなんだっ!?」


 ベアールが問いかけると、軍勢の中心に発つラシリスが声を張り上げた。


「悪いが貴殿らの協力を頼むつもりはないっ!

 我らは貴殿ら魔族を一切信用してはおらん! 今すぐ地上を立ち去り、本来の役目に戻って我ら帝国軍と対峙(たいじ)せよっ!」


 ファルシスが前方に進み、それなりの大声で言い返す。


「ラシリス、聡明(そうめい)(けい)ならわかっているはずだ。

 正々堂々と戦ったところで、帝国軍は圧倒的な勢力を持つ我ら魔王軍に打ち勝つことはできん!

 おとなしく我らの提案を受け入れたほうが得策だっ!」

「信用できんと言ったであろう!

 それに、万が一提案を受け入れたところで、私自身にとっては大いに都合が悪いのだっ!」

「お主自身!? いったいどういうことなのじゃ!」


 スターロッドの問いかけにラシリスはうなずいた。


「魔王が城に攻め込み、帝国の上層部たちを打ち果たせば、それは事実上の帝国制圧となる!

 それは我らが絶対的存在と仰ぐ大帝クリードグレン陛下(へいか)にとっては非常に不名誉(ふめいよ)なことである!

 そうなれば陛下は恥を忍んでどのような行動に出るかわからぬ! 下手をすれば自らお命を絶ちかねん!」

「まるで別の勢力なら、そのような事態にはおちいらんと言わんばかりじゃな!」

「その通りだ!

 神々に選ばれた勇者一行であれば、ただたんに帝国に巣食う奸臣どもを打ち倒したと見なされよう!

 陛下のご名誉はかろうじて保たれる!」

殊勝(しゅしょう)なっ!

 かよわき勇者どもではそれが実現するかどうかもあやしいぞっ!

 それに帝国はすでに実質的な機能を果たしてはおらん! 少なくとも大帝の目指した理想の世とはかけ離れておるっ!

 そのような現実離れした考えのもとに、大勢の州兵を巻き込むとは言語道断っ! 恥を知れっ!」


 スターロッドの口調はとげとげしいものになっている。

 ファルシスはそれを目で制すると、彼女は大人しく引き下がった。

 代わりに魔王自身が語りかける。


「スターロッドの言うとおりだ!

 兄自身の主張のもとに、大勢を巻き込むのはやめろ!」

「よかろう! みなの者、この争いはわが一存において行われる大義なきものぞっ!

 魔王たちが言っていることこそ正しいと考えるのであれば、今すぐ武器を置いて去れっ!

 逃げる者をとがめることは、このラシリスの名においてせぬと(ちか)う!」


 となりの将兵が大声を張り上げる。


「いいえ! わたくしは将軍のおっしゃることこそ大義と心得ます!

 魔王どもの言っていることなど、たわごとにすぎません!

 わたしは将軍の命に従います!」

「大帝陛下のご名誉を守るため、私も命をかけて魔王どもと戦います!」


 2人の将兵に続いて、他の兵士たちも「そうだそうだ!」と続いた。


「「「「「偉大なる大帝陛下の御為(おんため)に!

 我ら帝国軍に勝利をっっっ!」」」」」


 結局、その場を立ち去る兵士は現れなかった。

 それを見たベアールが深いため息をつく。


「まったく、うらやましい限りです。

 魔界の連中にもこれだけの忠誠(ちゅうせい)心があれば、帝国軍相手に苦労することもないだろうに」


 スターロッドが前髪をかきあげる後に続く。


「ファルシスには我々がついておろう。

 ザコの代わりに役目を果たせればそれで済むこと」

「しかし、殺すには惜しい連中ですね。

 あれだけの忠誠心のかたまりが味方に付けば、我が軍勢に勝るとも劣らない主力となることでしょう」


 ファブニーズが最後を締めると、ファルシスは不敵に笑った。


「お前たち、奴らを殺さずに制することはできるか?」

「出来ないことはないが、それには本気を出さねばならんぞ?

 誰がどこを攻略するかにもよるであろう」

「俺のは物理剣だから、あの黒い(よろい)を断ち切ることはできませんよ。

 もっとも持ってる武器はそうではないから簡単ですけどね」

「前衛はタワーシールドを装備してますね。

 あれも黒鋼(くろはがね)仕様ですが、この竜王としての力があればなんとかできるでしょう」


 言われてファルシスは腰に収めた剣を引き抜いた。


「お前たちが先に行け。

 ある程度叩いたところで、残った連中を余が片づける」

「お、いよいよ殿下の本気が見られますね。

 久しぶりのあの剣、見るのを楽しみにしてますよ」


 ベアールがつぶやくと、スターロッド、ファブニーズとともにいっせいに前に進み出た。


「来るか魔物どもっ!

 遠慮(えんりょ)するなっ! 射撃部隊、前へっ!」


 3つの魔物の前に、兵士たちが数多くの大砲、そして銃を向ける。

 その瞬間にベアール達はいっせいにかけだした。


 そのあまりのすばやさに、兵士たちは瞠目(どうもく)する。

 弾丸を放つ前にベアールがすばやく剣を抜くと、彼らが持っていた銃に向かって斬りつけた。

 それなりの堅さをほこっているはずの銃器はいとも簡単に断ち割られた。


 兵士たちは「くそっ!」と言いながら腰の剣を引き抜いた。

 その瞬間にベアールは素早い動きで剣を振りまわし、とりだした剣をも真っ二つに切断した。

 兵士たちの1人がすっとんきょうな声をあげる。


「何て速さだっ! 重々しい甲冑をつけているというのにっ!」


 そのあいだに黒騎士たちが剣と盾を構えてこちらに向かってくる。

 ベアールは恐ろしい速さで彼らの懐に飛び込み、華麗な動きで敵の剣を断ち割っていく。


 あっという間に周囲は丸腰の状態になった。

 あ然としている彼らの前で、ベアールは自分の二の腕をこんこんと叩いた。


「魔族っていうのはな、あんたら人間よりもずっと体力が上なんだ。

 こんな重々しい鎧を着てても、俺たちにとっちゃ普通の服を着てるのとおんなじ。よく覚えておきな」


 一方別の場所では、スターロッドは銃を向ける兵士たちを前にして、普通の人間ではありえないほど高く跳躍(ちょうやく)した。

 兵士の肩に片足を落とすと、それを踏み台にして別の兵士のほうに移動する。

 複数の肩を飛び越えてスターロッドはあっという間に軍勢の真後ろに降り立った。

 振り返ったスターロッドの前に、黒い騎士たちの群れが現れる。


「やれやれ、魔法を使う(ヒマ)は与えぬつもりじゃの。

 仕方ない、こいつを使うとするか」


 スターロッドは背中に収めている車輪の取っ手を取り、前にかかげた。

 そして息を吹きかけると、とたんに車輪は黒いオーラを放った。


「光栄に思うがよい。

 この『黒煙(こくえん円環えんかん)』の威力を味わえることをな」


 スターロッドはあろうことか、その円環を投げつけてしまった。

 黒騎士たちの持っている盾にぶち当たると、しかし彼らは衝撃(しょうげき)に耐えきれず後ろに押し倒される。

 後ろにいた騎士たちもともに倒れかかるなか、なぜか円環はひとりでに戻ってスターロッドの手におさめられた。


「これが我が本領よ。

 お主ら、この力を前にして命は失うことはないものの、2度と歯向かうことはできないと思い知れ」


 スターロッドは再び車輪を投げて、盾を構える騎士たちを押し倒す。

 それを何度も繰り返しているうち、倒れ込んだ騎士たちに変わって銃を持った兵士たちが前に進み出て一斉に構えた。


 美しきダークエルフは華麗なしぐさで、なぜか横方向に車輪を投げた。

 しかし円環は大きくカーブを描いて、一直線に兵士たちの真横を通り抜けた。

 持っていた銃ははね飛ばされ、石畳の上でゆっくりと回転している。


 それでも2,3人がなんとかはね飛ばされずにすんだが、一気に駆け抜けたスターロッドが詰め寄り、ふたたび円環を手に取った。


「地に伏せよっ!」


 スターロッドが直接円環を振りまわすと、彼らのもっていた銃は直接弾かれ、空中を舞った。

 終わった頃には周囲に武器を手にした者は誰もいなかった。

 みな尻をついて呆然と美しいダークエルフを見上げる。


「フッ、それでこそダークエルフの女王たる、わらわに対する態度というものよ」


 さらに別の場所では、兵士たちの銃口が火を放つ前に、ファブニーズは背中から大きな翼を広げ、上空へと舞い上がる。

 そしてはばたきながら兵士たちの真上を通過し、一気に後方へと舞い降りた。

 兵士たちはあわてて前後を入れ替わり、再び銃を持った兵士たちが彼の前に立ちはだかる。


「やれやれ、なかなか統制のとれた動きだな。

 スキをつこうとするのは得策ではないか」


 ファブニーズは両腕を交差させ、全身から炎を吹き上げた。

 炎はまたたく間にありえないほど大きく広がっていく。

 あまりの暑さに兵士たちが身を伏せているあいだに、炎は全身を真っ赤に染め上げた巨大ドラゴンへと姿を変えた。

 何人かが情けない悲鳴(ひめい)をあげ、地面に尻をついた。

 ファブニーズは彼らの心に直接語りかける。


「この角を折られてなお、人は竜を恐れるか。

 時代が進んでも変わらないものよ」


 そうしているあいだに、兵士たちの前に巨大な盾を構えた黒騎士たちが現れ、のろのろとした動きで前方をおおい隠した。

 彼らの盾も黒鋼使用だが、ファブニーズは遠慮なく口から激しい炎を吹き上げた。


 それは最初大した威力を発揮していなかったが、延々と吐き続けた結果、何人かが根をあげて後方に倒れ込んだ。

 ファブニーズは後ろにいる一般兵たちに影響が出ないよう、細かく調整しながら炎を吐きかける。


 やがてすべての兵士が倒れ、暑さに身を(もだ)え始めた。


「魔の力を(おさ)える黒鋼なれど、竜王の放つ灼熱(しゃくねつ)の前では、まったくの無力よ」





 3つの魔物の戦いぶりを見たラシリス直属の騎士が声を張り上げる。

「くそっ! なんて強大な力だっ! しかも兵士たちの命をいっさい奪うこともなく!

 奴ら魔力だけでなく技量においても一流ですっ!」


 ラシリスは前方に目を向けたまま叫んだ。


「問題ないっ! 我らの狙いはただ1つ、敵の大将だけよっ!」


 するとラシリスは片手を大きく上にあげた。


「弓兵っ! 構えっっっ!」


 すると、ラシリスの邸宅の屋根の上から、おびただしい数の将兵が現れる。

 全員が手に弓矢やクロスボウを手にしている。

 それらはすべて、ファルシスの頭上に向けられていた。


「どうだ魔王ファルシス!

 これだけの矢を向けられて、すべてしのぎきれるほど腕は確かではあるまいっ!」


 周囲の兵士たちをすべて退けた部下3名が、一斉にそちらの方向を向いた。

 しかし当の本人は涼しい顔で眉を吊り上げただけだった。


「魔王たる余に、このような前時代の武器を?

 それこそ最新鋭の重火器で狙えばよいではないか」

「黙れっ!

 おとなしく武器を捨てねば、いっせいに頭上の兵士たちが矢を射ぬくぞっ!」


 ファルシスはあごをしゃくり、「やってみろ」と告げた。

 激昂(げっこう)したラシリスは一気に腕を振りおろした。


「はなてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっっ!」


 兵士たちが手にした武器から、いっせいに大小の矢が放たれる。

 ここでようやく振り返ったファルシスが、上空に向かってすばやく剣を振り上げた。


 そこからの光景は通常の人間の目ではとらえることは困難だった。

 常人では到底ありえない素早い動きで剣を振りまわしていくと、断ち切られた矢の数々がファルシスの足元へ次々と転がっていく。

 上空の兵士たちが射撃を完全に終えると、ファルシスは全くの無傷で、石畳には大量の矢が落ちているばかりだった。


「な、なんてことだ……」


 絶句する腹心の横で、ラシリスは大きく目を見開いた。


「これが……魔王……」

「よっしゃぁっ! 殿下っ!

 このまま一気にたたみかけましょうやっ!」


 ベアールの声に振り返ったファルシスは、そのままラシリスのほうに顔を向けた。

 そのひややかな視線が、まっすぐこちらを見つめている。


「砲兵っ! 射撃用意っっ!」


 そばにいた砲台の兵士たちが、いっせいに火をつける。

 そしてファルシスに向かって狙いを定めた。


「ほう、ようやく本気で来るつもりになったか。

 かわすのは簡単だが、それではお前の屋敷に影響が出よう。

 よかろう、余も出し惜しみせず、本来の力を発揮してやろうではないか」


 すると、全身に力を込めたファルシスの右腕から、すさまじい勢いのオーラが吹きだし始めた。

 それらがすべて大きく広げた剣に向かって集約される。


 ちょうどその時、いくつもの大砲がいっせいに火を噴いた。

 目にもとまらぬ速さで黒い砲弾がファルシスめがけて飛び、彼の身体の目の前で激しく爆発した。


 ベアールが思わず「殿下っ!」と叫んだ。

 あたりが静かになり、ファルシスがいた場所を煙が包み込んだ。

 やがて煙が晴れていく。

 それとともに現れた光景に、ラシリス達人間はいっせいに目を向いた。


 ファルシスが無傷だっただけではない。

 その手に、先ほどまではなかった超巨大な剣が握られていたからだ。


 それはあまりに奇妙な形をしていた。

 刀身にはおびただしいほどの巨大なトゲがついており、それがありえないほど伸びきっている。

 それが地面に着いたとたんにそれに沿うようにしてゆるやかなカーブを描いているのだ。

 剣先はかなり離れた場所にある。


「どうだ、余の甚大な魔力によってつくられた究極の魔剣の造形は?

 余はこれを『巨獣の尾(ベヘモス・テイル)』と呼んでいる」


 ファルシスが剣を振りあげると、まるでムチのように大きくしなり、大砲の先端をたたきつけた。

 とたんに筒先が下に押し下げられ石畳の中にめり込む。

 そばにいた兵士たちが衝撃で飛び上がり、無様な格好で地に叩きつけられる。


 ファルシスがベヘモス・テイルを持ち上げると、今度は別の大砲に叩きつけた。

 同じようにいとも簡単に先端がひしゃげる。


「くそっ! なんて威力だっ!

 こんなバカみたいな武器を出されちゃ、ひとたまりもないっっっ!」


 ラシリスの側近は身をかばいつつヒステリックな叫びをあげる。

 しかし上官はあきらめなかった。


「まだだっ!

 いまのうちに残ったほうで急いで奴の本体をたたくのだっ!」


 言われるまでもなくまだ火を吹いていなかった砲台が、大あわてで新たな弾頭を発射した。

 別の砲台を破壊していたファルシスの身体はガラ空きだったが、砲弾の接近に気づくやいなやすばやい動きでなめらかな刀身を引き寄せ、前方をおおう。

 ぶち当たった砲弾が爆発する。

 かなりの威力があったにもかかわらず、剣とそれを支えるファルシスの身体は微動だにしない。


「無傷っ!? 無傷だとっ!?

 そんな、最新鋭の火器の威力をもってしてさえ、奴の防御を打ち崩すことはできないのかっっ!?」「あ、あきらめてはならんっ!

 こうなれば我ら黒騎士の全精力をもってしても、奴に体当たりを試みるのみっっっ!」


 そういって剣と盾を構えたラシリスと側近達の前に、スターロッドの姿が現れ、黒煙の円環を前に(かか)げた。


「やめておけ。

 大筒の威力をもってしても打ち倒すことのできぬ相手に、剣と盾でかなうわけがなかろう」

「ぬかせぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっ!」


 ラシリスはそれでも剣をふるい、美しいダークエルフに容赦(ようしゃ)なく叩きつけようとした。

 しかし渾身(こんしん)の一撃は相手が軽く持ち上げただけの円環(えんかん)にいとも簡単に受け止められた。

 ラシリスの剣は激しい熱気を放っているが、それをもってしてもその黒いオーラを打ち破ることができない。


「ほう、魔法剣か。しかしあいにくこちらも魔法武器ぞ。

 我らの卓越(たくえつ)した武の前では、その(やいば)が肌に届くことはない」


 それでもラシリスは必死に剣を押し切ろうとするが、いくら魔物とは言え女性であるスターロッドを相手に、まったくと言っていいほど歯が立たない。

 それを見ていた側近たちが、次から次へと両手の装備を落とした。

 中にはヒザをついて、すすり泣く者さえ現れた。

 そばにいた副官が、ラシリスの肩に手をかけた。


「もうやめましょう。将軍、これ以上抵抗しても無駄です。

 しょせん我らの力では、彼らに打ち勝つことはできない」


 ラシリスの両肩から力が抜けると、スターロッドが剣を払い、距離を取った。

 そのあいだにベアールが近寄ってくる。


「ジイさん、あんたが俺らを信用できない気持ちはよくわかる。

 いままで俺らの仲間は散々なことをやってきたからな。

 だけどそれも今日でおしまいだ。受け入れがたいかもしれないけど、なんとか助けあっていこうや」


 しかしラシリスはうつむいたまま、ベアールの方向に見向きもしない。

 じれったくなった赤い騎士は懇願こんがんするように叫ぶ。

「頼むよジイさんっ!

 いままでやってきたことは本当にあやまるからっ!」

「ムダだ。奴のかたくなな心を、言葉や態度だけで打ち(くず)すことはできん。

 我々が信頼を得るのに必要なのは、行動のみだ」


 2人の後ろからファルシスが現れる。

 スターロッドが武器を背中にしまい、両腕を組むと胸の谷間が強調される形になる。


「まったく、頑迷(がんめい)な奴じゃな!

 同じ年寄りとはいえここまでかたくなだと見ていてあきれるわ!」

「いや、それはちがうな」


 ファルシスがベアールとスターロッドを押しのけ、前に進み出ると、ラシリスの後方にいる側近たちに「下がれ」と告げた。

 最初はたじろいでいただけだったが、ファルシスの真剣なまなざしに、彼らはゆっくりとしりぞいていった。

 それを確認して魔王はあらためて老将に話しかける。


「違うだろう。

 兄が本当に余に不安を抱く理由、それは別のところにあるのだろう?

 でなくば単なる忠誠心だけでここまで抵抗するはずがあるまい。

 ましてやマージと並ぶ聡明(そうめい)さで有名な兄ならばなおさらだ」


 ラシリスは目を見開いたあと、顔をあげてファルシスと向かい合った。

 射すくめられた視線に耐えきれず、ラシリスは片手で顔をおおい、消え入りそうな声でつぶやいた。


「では、1つ問うとしよう。

 貴殿はゾドラのみならず、北の連合や、東の諸国をも平らげるつもりか?」

「余は魔王だ。大陸1つだけでは手に余る。

 いずれ地上のすべての大地をわが手中に収めることとなろう。

 それはたんにわが野心を満たすだけでなく、地上に終わりなき平穏をもたらすことにもなる。

 悪いことだとは思えんが?」


 ラシリスは手を下げると、顔を合わせないままぼそりとつぶやいた。


「では、北の大陸で芽吹(めぶ)いた新しい文化の数々はどうなる?

 文明の新たなる発展は、貴殿の影響でどのように転がるというのだ?」


「ほう、兄は帝国民でありながら、北の民主主義とかいうものに興味があるのか」

「……帝国では同じ制度を導入することはできまい。

 あれは人心が荒廃(こうはい)しない豊かな土地でなくては成立しないからな。

 だが、私はひそかに期待をかけていた。

 新しい文化が古い風習を駆逐(くちく)し、やがてここにも伝わって帝国をも豊かにすると、私は期待していた。

 いずれにしてもこの目でそれを見ることはかなわんがな」


 ファルシスは「そうか」とつぶやき、ラシリスのほうへと顔を近づけ、まわりに聞こえないほど小さい声でささやいた。


「ならば答えよう。余のもとに世界が統一されることになれば、

 間違いなく文明の発展は停滞(ていたい)する。

 文明の発展は現状への不満より生まれるからな。余が目指す恒久(こうきゅう)的な平和の前に、人々は社会の改善への意欲を失うであろう……」


 顔を離したファルシスに向かって、ラシリスは信じられないと言わんばかりの顔つきになった。

 いや、予想していた答えを告げられてもなお、それを受け入れるのを(こば)んでいるかのようだ。


「だが、それは必要なことなのかもしれんぞ?

 発達しすぎた文明はかえって災いのもとともなる。

 兄は北の大陸で伝えられている伝承(でんしょう)を知っているであろう」


 それを聞いたラシリスが、力なく笑いはじめた。


「くく、ははははははは。

 そうか、人類の安寧(あんねい)は自らの力ではなく、絶対的な支配者の存在によってもたらされるべき、か。

 たしかに、たしかにそうあるべきかもしれぬ」


 やがて笑いが止まると、ラシリスは悲壮(ひそう)感に満ちた目をファルシスに向けた。


「今の話をマージにも伝えておけ。そしてこれも伝えよ。

 魔の王に(つか)えること、相応の覚悟を持ってはげめ、とな」


 すると、ラシリスはふところから短刀を取り出し、己ののどに突き刺そうとした。

 しかしそれをファルシスが刀身をにぎることで押さえる。

 相手は抵抗するが、ファルシスは手の中から血を流しながらも強引に取り上げ、あらぬ方向へと投げつけた。


「なぜだっ! 貴殿はこの私に恥をすすぐ機会をもうばうというのかっ!

 せめて武人としての最期をとげさせよっっ!」

「恥をかかせようとしたのはお前の方だっ! 余の前で死人を出すのは許さんっっ!

 己の命を差し出して将兵たちの憎悪をあおるなっっ!」


 どなりつけられたラシリスは顔がくしゃくしゃになり、その場にひざまずいてすすり泣きし始めた。


 後方から「将軍っ!」という声が聞こえ、振り返るとマージが大あわてでこちらにかけだしてくる。

 道を(ゆず)ったファルシスを通り抜け、マージはヒザをついて泣きくずれるラシリスの両肩に手をかけた。


「ラシリス、いまの言葉は兄自身が告げてやれ。

 余は兄をもわが臣下にと思ったが、そこまで考えているのならばもはや無理じいはせぬ。

 ひそやかに余生を過ごすがよい」


 ファルシスはその場を立ち去ろうとすると、マージがその背中に向かって声をかけた。


「将軍がなにを懸念(けねん)されているのか、私にはなんとなくわかります。

 我々の願う理想の世は、あなたの考える国づくりとは相容(あいい)れぬかもしれません」


 ファルシスは振り返った。

 マージの大きな黒い瞳が、まっすぐこちらに向けられている。


「ですが、もはや一刻の猶予(ゆうよ)もありません。

 こうしているあいだにも、民は中央の暴虐(ぼうぎゃく)によって今も苦しんでいるのです。

 これ以上の悲劇を起こさないためにも、私は喜んであなたの……殿下の直参(じきさん)に加わりたいと思います。

 そのこと、くれぐれもご理解ください」


 その言葉でラシリスの嗚咽(おえつ)が一層大きくなった。

 ファルシスは再び背中を向け、屋敷に向かってゆっくりと歩を進めた。

 スターロッドとベアールがそのあとをついていく。


「なんだか、あのジイさんの考えていることもわかるような気が……」


 ベアールがつぶやくと、スターロッドがファルシスの真横へと進み出た。


「ファルシス、本当にこれでよかったのか?

 ひょっとしたらもっと平和に事が収まる手段があるのやもしれぬぞ?」


 ファルシスの目は目前にあるラシリスの大邸宅から動くことはなかった。


「策を講じたのはルキフールだ。

 だが余はそれに異論を持つことはない。これからの作戦に変更はない」

「で、このあとはどうするんです?

 俺らは、殿下はいったい何をすればいいんで」


 ファルシスは問いかけるベアールにではなく、離れた場所にいる巨大ドラゴンに目を向けた。

 ファブニーズは元の姿に戻ったままなのでその場を動けずにいる。


「ベアール、スターロッド。

 お前たちは引き続きファブニーズとともに大陸各地をまわれ。

 城を攻める前に、少しでも民どもの信用を得たい」

「ファルシス、お主はどうするのじゃ?」


 スターロッドがどこかあどけない大きな瞳を向けると、ファルシスは口の端を持ち上げた。


「余はいったん魔界に戻ることにする。

 ここからはルキフールの協力も仰がねばならんし、問いただしたいこともあるからな」


 ファルシスは元に戻していた剣を、目の前にかかげた。

 後ろの2名が数歩下がると、ファルシスは呪文を唱えつつ剣先で円を描いた。

 とたんに前方に黒いオーラが現れ、黒々とした巨大な円へと変わっていく。


「なっ! 魔界のゲートだとっっ!?

 こんなところにポータルがあるはずがないのにっ!」


 マージの叫びだった。

 以前魔王軍に支配されていたこの大陸では、かつて魔族たちの出入口であった地はすべて監視の対象となっている。

 ましてやその場所にラシリスの邸宅のような、重要な機関が建つことはない。

 スターロッドが振り返り、腰に手を当てて不敵な笑みを浮かべる。


「おろかもの。お主らの目の前にいるのは魔王ぞ。

 こやつの持つ強大な力の前では、次元の制約など意味をなさん。

 いついかなる時でも、ファルシスは好きなように魔界と地上を行き来することができる。

 これもよく覚えておくことじゃ」


 ファルシスが少しだけ目を向けると、人間たちは誰もかれも愕然(がくぜん)としている。

 それに気を良くした魔王は、悠然(ゆうぜん)と暗黒の空間へと入りこんでいった。

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