第28話 悩める知将~その1~
マージがその部屋に入ると、しばらく見ないうちにいっそう老けこんだラシリスの姿があった。
「久方ぶりだなマージ。
すぐに会える範囲にいたとはいえ、貴公の安全を考えると気安くたずねることはできなかった。
すまないと思っている」
マージは軍隊出身者らしいキレイな所作で頭を下げた。
「いいえ、私のほうこそ。
かくまっていただくことで将軍の御身を危うくしてしまうことに引け目を感じております。
大変申し訳ありません」
「しかし、よく考えてみれば納得いかないねぇ」
2人の元将軍がいっせいに顔を向けた。
ラシリスが席についた粗末なテーブルの反対側には、天井近くの出窓から差し込む光に照らされて少し黒ずんでいる赤い甲冑の男がいた。
男はのんきに頭の後ろで腕を組み、イスの前の脚を浮かせてブラブラしている。
「考えてみればだよ? ジイさんはこの一帯の農産物を一手に仕切ってる御身分だ。
ここらの作物は大陸中の裕福な連中の腹を一気に満たしてる。
なのにレジスタンスのリーダーがここにとどまってれば、ジイさんが懐柔されちまう可能性があるだろ?
大陸の胃袋を牛耳ってるあんたらが反乱すれば、帝国はおしまいじゃねえのか?」
「奴らはそんな心配はしておらんよ。我々は反乱をおこすことはできない」
ラシリスの反論に、赤騎士は「どうしてだい?」と問いかけた。
「中央政府はそういった事態に備え、かなりの食糧を備蓄している。
帝国に必要不可欠な富裕層の中に入らない国民たちから巻きあげる形でな。
大軍勢を編成し、ここを攻め落とすには十分な量の食料だ。
大陸全土を敵に回し、持ちこたえるほど我々は手勢を与えられてはおらん」
「なるほど、すべては想定済みってわけだ」
赤騎士が1人ごちると、マージは不機嫌な表情で話しかけた。
「自由騎士よ、面を取れ。
将軍に対し素顔を見せぬのは失礼であろう」
「それはできない相談だね」
赤騎士はいくつもの穴が開いたヘルムを指差した。
「だって俺、素顔があまりにもカッコよすぎるから」
マージはあきれてものが言えなかった。
ラシリスがそのことを承知済みとばかりに首を振る。
そのとき、部屋の中に新たに黒い騎士が入ってきた。
ラシリスに耳打ちすると、うなずいて赤騎士のほうに顔を近づけてきた。
「どうやらお迎えが来たようだ。連中はあっさりとお前の素性を明かしてくれたぞ。
デーモン族長のベアール将軍」
ベアールは腕を組んで、背もたれに身体を預けた。
「待ってました。
しばらく人間のままでいなきゃいけなかったんで、早く元の姿に戻してくださいよって伝えてください」
数分後、部屋の人数は一気に増えていた。
マージは新たに現れた者たちの様相を見て、深くため息をつく。
魔王を名乗るデーモンの男は、頭の両サイドに大きな角を生やしている。
端正な顔は青白く、長く伸びる整えられた髪も真っ白だ。
身に付けた鎧は思ったよりも簡素だが、黒字の中にも細やかな意匠がほどこされ、それなりに手をかけられていることが伝わってくる。
ダークエルフの女は顔立ちはこれ以上ないとばかりに美しいものの、少女にも見えるほど少し幼い感じを受ける。
だが体つきは非常に豊満で、それを胸元や脚部が大きく露出したスーツでおおっている。
残った部分も肌に密着するような感じで、美しいボディラインがこれでもかと思うほど強調されている。
最後の1人は真っ赤に染め上がった長髪の額に、巨大な1本角をつけているが、それは途中で折れてしまっている。
人づてに聞いた勇者と戦ったレッドドラゴンの人間体だろうか。
服装は赤と白の意匠がほどこされた分厚いローブである。
魔王とダークエルフが並び立ち、赤騎士に向かって呪文を詠唱していると、その身体が黒いオーラにつつまれた。
とたんにいままでなかった巨大な2本角と黒い羽根が現れ、男は大喜びで両手をあげる。
「よっしゃ~~~~~~っっ! 元通りだ~っ!
もう2度と戻れないんじゃないかと心配になったけど、ホッとした~っ!」
デーモンとは思えないくだけた言動に、ラシリスとマージは顔を見合わせる。
そのあいだに魔王がベアールの肩をポンポンと叩くと、立ち上がって魔王が代わりに席をついた。
赤騎士はしきりに「かっらだがかっるい! かっらだがかっるい!」とスキップしている。
それを見たダークエルフがうっとうしそうに追い払うしぐさをした。
「さて、このたびはベアールの身柄を丁重に扱ってもらい、感謝の意を表明する。
すでに話した通り、余こそ魔界にあまねく魑魅魍魎の長、魔王ファルシスである」
ファルシスはテーブルの上で両腕を組み、不敵な笑みを対面する2人に向ける。
「わらわはダークエルフの女王、スターロッドぞ。
こちらにおるウザい騎士はデーモン族長のベアールだと、説明は受けているな」
「私の名はファブニーズ。
いまはこのような姿をしているが、4つの竜族を取りまとめる、竜王としての役目を担っている」
ラシリスはほとんど引きぎみに言葉を返した。
「これはこれは、魔界でもっとも位が高いとされている3種族の長が、一堂に会するとは。
いささかおどろかされたな。
自らの軍勢を引き入ることなく、ごく少人数で地上に降臨するとは、いったいどういう風の吹きまわしなのかね?」
ファルシスはそれを聞いて鼻で笑う。
「必要ないからだ。我々は1人1人が強大な力を持っている。
人間のように大軍を集めて個人の脆弱さをおぎなう必要がないのだよ」
マージとラシリスは顔をしかめた。
あなどられているようにも思われるが、事実だろうから反論ができない。
マージは仕方なく本題を切り出す。
「魔王、貴殿はこの私を探していたと言ったな。
なぜ私でなくてはならないのだ。
協力を仰ぐには、私よりラシリス将軍のほうがよかろうに。
今では一介のレジスタンス風情である私では力になれんぞ」
「我々はこの地方の軍勢に帝国打倒の要請をするつもりはない。
帝国の中枢に巣食う奸臣たちを打倒するには、我々魔王軍だけで十分だ」
ラシリスが目を見開いた。なにか思い当ることがあるらしい。
それを気にしつつも、マージは質問を続ける。
「では私たちに何をすればいいというのだ?
貴殿たちが城を攻めているあいだの陽動か?」
「レジスタンスではない。
マージ、余は兄自身の力を借りたいと思っているのだ」
「私自身?
たしかに私は知略の方面で多少の功績はあるが、貴殿らにも優秀な参謀くらいはいるだろう」
「確かに余自身もその手腕には注目してはいるが、兄の担うべき役目はそれだけではない。
兄には帝国掌握後の、我ら魔族と人間たちの橋渡しの役目を担ってもらいたい」
マージにはだいたいの察しがついていたが、あえて「橋渡し?」と問いかけた。
「そうだ。
我らは各地で狼藉を働く輩を成敗し、少しずつ民衆の信頼を得ている。
だがしょせん我々は魔族、全面的な信用を得るには決定的な要素が足りない。
しかし肌の色の異なる少数民族の出身であり、さらには天下の名将として庶民の信頼を得ている兄が仲介役となれば、帝国民は我々を新たなる支配者として認めざるを得ないだろう」
「やはり、貴殿はこの国の新たなる支配者として君臨するつもりか」
「それが帝国民のためでもある。
異論があるとでも?」
マージが口ごもると、ファルシスはもたれかかってあごをそらした。
「兄の魂胆は見え透いている。
兄は自分たちとは別の勢力に現政権の転覆を託すつもりだったのだろう?」
ファルシスに変わってファブニーズが口を開いた。
「ラシリス、お前はしばらく席をはずせ」
威圧的な口調に顔をしかめながらも、ラシリスはおとなしく椅子から立ち上がり、静かに薄暗い部屋を退出していった。
ファブニーズは「座れ」とうながすと、マージは代わりに腰かけてファルシスと対面することになった。
歳若く見えるが、こうしてみるといかにも魔王らしい威圧感があった。そしておだやかに口を開く。
「兄がレジスタンス活動に身を投じざるを得なかったのは、出身が少数民族であるからだ。
この大陸では肌や顔立ちが異なる兄らは差別の対象となりやすい。
クリードグレンの参謀として活動していた当時も、一部の心ない連中は兄に対してかなり不満があったようだな」
スターロッドが腕を組みつつ、かわりに話を続ける。
「そして大帝が病に伏せたあと、お主は5人の権力者の策謀により失脚した。
さらには軍の露骨な差別主義者の一派によって、お主は軍の中でもかなり地味な部署に左遷させられたそうじゃな。
まったくもってひどい話もあったものじゃ」
ベアールは両手のひらを上に向けて首をすくめる。
「そんであんたはレジスタンスに身を投じた。
帝国の正規軍に比べたらひどく貧弱だけど、あんたにとって自由に動かせる軍団なんてのは、もうそういう連中しか残ってなかった」
「しかし帝国に太刀打ちするにはあまりにもろい。
反旗を翻すにはラシリスの軍勢よりももっと強大な勢力が必要だが、それがなかなか見つからなかったようだな」
ファブニーズが最後をしめると、ファルシスは身を乗り出してテーブルに人差し指を落とした。
「最初は北の大陸連合各国に密書を送ったが、これがうまくいかなかった。
南部の都市国家連合は帝国と通商貿易をおこなっている。
戦争になれば当然これらは停止することになる。彼らが了承するのは事実上不可能だろう。東のリスベン共和国も同様だ」
ファルシスは指の位置を変える。
「さらには西のキロン王国だ。ここの現君主は極端な平和主義者。
隣国のランドンでクーデターが起こり、王政から共和制に移行したことを脅威に感じてなお、魔導師が中心の騎士団を挙兵させようとはしない。
当然兄の要請も却下した」
ファルシスは指の位置をどんどん変える。
「ランドンやストルスホルムも遠征に消極的だ。
どちらも大陸中心部、遠く離れた北方と、地理的条件を理由にしている。
残るベロンはかつて絶対王政で、王族や貴族たちは自分たちの権益を守ることにしか興味がなかった。
協力は絶望的だ」
ファルシスはそこまで言い終わって、指を離して状態を戻した。
「もっとも最近になってベロンでクーデターが起こり、新体制に移行した。
しかしそれでもなお北の国家連合が団結してこの地に攻め入るのは難しいだろう。
奴らは帝国が自ら侵略しない限り、打って出ることはないだろうな」
ファブニーズが顔をしかめている。ベロンの地にいた当時を思い出したのかもしれない。
それでもマージに向かって話しかけた。
「東の大陸にも使いを送ったそうだな。
だがそこでもむげに追い返された。
3国のうち2カ国は長きにわたる戦乱を繰り広げていて、いまだに決着を見ない。
残る1国も小国ゆえ協力するつもりはないようだな」
「それでもあんたは使いを送り続けた。
帝国のわがままな連中をたたきつぶすためには、ひたすら援軍を待つしかない。
泣ける話だね」
ベアールがヘルムの穴をしきりにこする。
泣いているふりでもしているのだろうか。
「しかし、状況が変わった。きっかけは我ら魔王軍の地上への侵攻じゃな」
スターロッドにうながされ、マージはようやくうなずいた。
「私の希望は、貴殿らに立ち向かう、勇者だった。
偉大なる神々に選ばれた勇者であれば、中央部に不満を持つ国民たちの士気はあがり、世間は大いに盛り上がるだろう。
私はただ、作戦を立てて勇者たちを支えてやればいい」
「だが、お主のもくろみは外れたようじゃな。
まさか我らのほうが協力を要請するとは、さすがのお主も予測できなかったであろうの」
スターロッドの声を聞くと、マージは挑発的な目を向けた。
「確かに勇者たちの世間での評判があまり良くないことは知っている。
人格こそ高潔だが、勇者は常に貴殿らの軍勢に狙われ続ける。
伝え聞くところによると、巻き込まれて命を落とした者もいるようだな。
それに比べたら、思惑があるとはいえ帝国の民を助けてまわっている貴殿らのほうが、民衆にとっては心証がいいだろう」
しかしマージはここで誰もいない方向を向いた。
「貴殿の父はかつてこの地にて、我らの祖先を虐げてきたというのに。虫のいい話だ」
「父の愚行については、深く陳謝する。
余は同じ過ちを繰り返すつもりはない」
頭こそ下げなかったものの、ファルシスのまなざしは真剣そのものだった。
マージは首を振りつつ視線を前に戻した。
「で、私は貴殿らの傘下に入り、制圧後の帝国の参謀に加われということだったな」
「我々が以前のような圧政を行うつもりがないことは、証明できたと思う。
で、兄の返答を聞かせてもらいたい」
マージは目を伏せ、しばらく考え込んだ。
果たしてこの異形の者たちを、どこまで信用していいものか。
いや、疑ったところでどうしようもない。
魔王がこの国を支配するつもりなら、他に手はいくらでもあるのだから。
魔王がゾドラを支配する狙いは、別のところにある。
「……いいでしょう、あなた方の参謀として、この私も加わりましょう。
人間ゆえの浅薄な知恵がお役にたてれば、の話ですが」
瞬間、ベアールとスターロッドが顔を見合わせ、ハイタッチした。
スターロッドは顔に笑みを浮かべ、ベアールは口笛を吹く。
「よかろう。帝国制圧後の軍の指揮はすべて兄に一任させる。
ラシリス将軍にも協力をお願いしよう。
帝国の全盛期を支えた2将軍の力があれば、奸臣なきあとの帝国はすぐに元に戻れよう」
そこでマージはファルシスに対し、意味ありげな視線を送る。
「そのことに対して、少しお話しがあります。
ラシリス将軍のことですが……」




