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第26話 着々と進行中~その3~

 4人だけになった勇者一行は、重い足取りで今だ砂漠の中を歩き続けている。


 全員とも疲労困憊(ひろうこんぱい)で、食料や飲み水も残り少なくなり、いまだに上空からは強い日差しが照りつけてくる。

 しかし、コシンジュ達を苦しめているもっとも大きな要因は、スターロッドに聞かされた話による精神的なショックだった。

 特にコシンジュにとっては、まるで今まで信じてきた価値観をひっくり返されたかのような話だったのだろう。

 じっとうつむいたまま、仲間たちの足取りだけを頼りにひたすらついて行っているだけのようである。


 比較的元気のあるネヴァダは、コシンジュの真横についてはげましの言葉をかける。


「元気を出しなコシンジュ。

 あのダークエルフのババアが言ってたことなんて、もう1000年以上も前の話なんだろ?

 いい加減時効だって」

「す、スターロッドさまは、ババアなんかじゃないって……」


 しかもコシンジュにとっては失恋でもある。

 別の要因で落ち込んでいてもこのような口が叩けるらしい。

 ネヴァダは内心呆れつつ、黒い髪をかきあげて話を続ける。


「それにしてもねぇ。

 幸せを求めすぎて、文明を発展させまくった結果、人があふれ返りすぎて戦争の原因になったなんてね。

 あたしたちは、いったい何のために今日この日を努力してるってんのか……」


 それを聞いていた後ろのロヒインが、顔をぼう然とあげて遠い目をする。


「幸せを求めることが、悪いことだとは思いません。

 ましてや自分1人ではなく、みんなの幸せを考えたうえでなら。

 だけど、何事も程度、というものがあると思いますけど」

「欲を張り過ぎちゃいけないってことかい?

 技術とモラルのバランスが崩れちまうぐらい、人は物に頼り過ぎちゃいけないってこと?」

「わかりません。

 ですがわかっていることは、世の中には文明の進歩と人の心の変化というものが、時として追いつかないことがあるんです」


 ネヴァダが「どういうこと?」と問いかけると、ロヒインはうなずいた。


「魔法1つとってもそうです。

 我々は科学とは違い、大自然の力をお借りして様々な(ことわり)のもとに禁断の力を行使します。

 ですがそれ自体が、果たして倫理的に正しいのか、という意見も根強いんです。

 特に魔導師と魔物の因果関係についてはたびたび論争になります」


 最後尾のメウノが、少し歩を早めてロヒインに追いついた。


「ミンスター城で言ってましたね。

 魔導師の中には、究極の力を求めるあまり魔界と契約(けいやく)をかわす者もいるとか。

 まあ実際、私たちはそういった連中とも戦ったことがあるのですが……」


 北の大陸で戦ってきたアンデッドたちが、その代表だろう。

 たしかにその恩恵は大きかったようである。

 なにせブラッドラキュラーに関しては、地属性の最高峰にまで上り詰めたのだから。

 しかしコシンジュの頭に思い浮かんだのは、みにくいコウモリの頭である。


「スターロッドが最後に言ってたのも、そういうことだったのかい?」


 ネヴァダは振り返り、うたぐりぶかげな視線を向ける。

 ロヒインは首を振った。


「魔物になれば、たしかに圧倒的な魔力と、長い寿命を得ることができるかもしれません。

 ですがそれは何より人の身を捨てること。

 魔導に生きる者にとっては、それはこれまで積み重ねられてきた努力の成果を放棄(ほうき)することであり、なにより人間を敵に回すことになるいやしい行為、だったと思ったのですが……」

「前半はともかく、後半に関してはそれがゆらいできた、そう言いたいんだね?」


 ネヴァダに続いてコシンジュが口を開く。


「オレは、スターロッドさま……さんが悪い奴のようには見えない。

 あの人、って人じゃないけど、彼女は本気で魔族と人間の関係をなんとかしようとしてると思う」

「コシンジュの指摘(してき)は正しいと思う。

 問題の根本は魔族の人間に対する根強い差別意識にあるのだから、それを取りはらってしまえば2つの世界に争いはなくなる」

「で、あんたは人間であることを貫くための動機を失いかけていると……」

「なりません!」


 ロヒインはネヴァダにはっきりと言った。


「わたしは……魔物になることにまったく魅力を感じません。

 さっき言った通り長い寿命を持つことで得るものはなにもありませんし、今まで魔導師として生きてきた人生をなかったことにはしたくありません」


 コシンジュが「ロヒイン……」と言ったきり押し黙る。

 その表情には相手を気づかうような様子が見られる。


「大丈夫だよコシンジュ、わたしは、甘い誘惑には乗らない。

 わたしは魔導師ロヒイン。今までも、そしてこれからも」


 ロヒインはほほえみを浮かべ、コシンジュの顔をまっすぐに見つめる。

 しかしそれをはたから見ていたネヴァダの顔は浮かなかった。


 そんなことはスターロッドだって承知済みのはず。

 そうと知っていながら、なぜ奴はそんな話をきりだしたのだろう。

 それに、奴の最後の言葉が気にかかる。


 魔物になることの恩恵。

 さて、力と命の上に、魔物になることにはいったい何のメリットがあるのだろう。





 夜になると、ふたたびコシンジュ達に砂嵐がおそってきた。

 頭と手足をしまい込んだ巨大獣タウレットの風が当たらない側面に陣取り、毛布に身体をうずめるようにして一夜を明かす。


 ロヒインはずっと考え込んでいた。

 自分が魔族と契約をかわすことなんて、今まで考えたこともなかった。

 裏切り者であるし、そうなった瞬間に自分はこの世界と永遠に切り離される。

 見ず知らずの連中とともに、いつ終わるともしれない人生を歩まなければならないのだ。


 だが、こう考えてみたらどうだろう。

 スターロッドの言葉を信じれば、魔族は人間と敵対することをやめるかもしれない。

 ひょっとしたら共存の道さえ切り開けるかもしれない。

 だとしたら、自分が人間世界と別れを告げる必要さえなくなるのだ。


 そしてなにより、あの女がつぶやいた言葉。


 スターロッドは前から知っている。自分からも話してしまった。

 人間のままでいては、絶対にかなうことのない願い。


……ダメだ!

 甘い言葉に誘われて、人の道を踏み外したとしても、得られるものは微々たるものでしかない。

 そしてそのあとに待ち受けるのは、ただただ後悔が残るのみだ!


 ロヒインは自分をくるむ毛布を、一層ギュッと握りしめた。

 まるでスターロッドの幻聴をさえぎるかのように。





「それでは私は自室に戻ります。

 今夜もお招きいただき、大変恐縮(きょうしゅく)にございました」


 ファルシスは頭を下げ、エンウィーの部屋から退出しようとした。

 しかしすぐに彼女から「ファルシス」と呼びかけられた。振り返れば皇女はイスに腰かけたまま、まっすぐ別の方向を見つめ続ける。


「わかっているだろうファルシス。

 わたしがかごの中の鳥であり続けるのは、女であるからだ」


 ファルシスは黙ってそれを聞いている。

 心なしかエンウィーの表情に怒りのようなものが宿った。


「わたしが女でいる限り、周囲の力にひたすら振り回されるだけなのだ。

 だからこそ、奴らはこのわたしを生かしたままにしておいた。

 しょせんかよわいわたしの身では、自分たちに対して何もできないだろうと」

「そうだとは限りません。

 わたしが知っている限り、旧ベロン王国の姫君だった方は現在自分の力で身を立てておられますし、なによりこちらの皇后様が他の権力者たちをけん制できているのは、ご自身のお力によるものでしょう?」

「彼女たちと一緒にするな。あれは例外なのだ。

 古来より大国家の姫君というものは、己の身を守ることができるよう教育されてはこなかったのだ。

 かく言うわたしも、そういう(すべ)とはまったく別のものを教え込まれてきた。

 社交、教養、品位。

 すべて政略結婚のために教えられてきたものだ。政治をつかさどる者たちの、道具とされるべき存在としての教育だ」

「大帝閣下のご意向ですか?」


 ファルシスの問いかけに、エンウィーは小首をかしげる。


「そのつもりはなかったかもしれぬ。

 しかし、父上はわたしを立派に育てようとするつもりはなかったようだ。

 箱入り娘として、(ちょう)よ花よと育てられてきただけなのだ。

 いずれ家族が瓦解(がかい)するという運命も知らずに」


 ファルシスはただ、そのさみしげな顔を見つめるだけだった。

 やがて胸に手を当て、ぺこりと頭を下げた。


「残念ながら、今はおかけする言葉がございません。

 いずれお(なぐさ)めできる話ができましたらいいのですが。とにかく今日は、これにて」

「期待しないで待っておるぞ」


 エンウィーは少しだけ目を向けて、立ち去っていく後ろ姿を見つめた。





 人の姿に化けた魔王は、小さなロウソクしかともっていない薄暗い廊下を歩き続けていた。

 その表情は思考に深く沈んでいる。


 ファルシスにとって、エンウィーは少し自分に近い存在であるように感じられた。

 自分もまた、あてになるかどうかわからない家臣たちに囲まれ、深い孤独を感じていた。


 もっともそれは気のせいであり、臣下たちは真の意味で忠誠(ちゅうせい)(ちか)っている。

 最近になってようやくそのことに気づかされたのだが。


 なぜそんな事実にも気付かなかったのだろう。自分ほどのものが。

 いや、気付かないふりをしていたのだ。

 意にそわない強硬派を取り持つという、重大すぎる責務を一身に背負おうとして、誰かの心にすがろうとする勇気を持てなかったのだ。

 彼らの真心を、見て見ぬふりをしていただけだった。

 思えばおろかな考えであった。


 だが、エンウィーの場合は違う。

 彼女の場合、本当に頼れるものがそばにいないのだ。

 彼女の侍従は忠誠を誓っているようだが、その者の力だけで数多くの敵に立ち向かうことはできない。


 己の野望のためにもぐりこんだファルシスであるが、彼女の身をなんとかしてやりたいとも思った。

 あの者を、ずっと心の(おり)に閉じ込めていてはならない。


 同時に、こうした考えは魔族の王にはふさわしくない、と苦笑した。

 自分にとって魔王というものは、徹底(てってい)した合理主義者で、とことん冷徹(れいてつ)でなくてはならない。

 父はそれとも違っていたが、ファルシスには目指すべき魔王像というものが、かつてあった。


 しかし、今はそんなものに頼らなくていいのだ。

 思い描いた理想像に沿わなくても、自分は立派な君主である。

 臣下たちがそれを教えてくれた。

 あの女にも、心の支えが必要だ。

 ちょうど見ず知らずの土地へ渡るために、それまでの立場をかなぐり捨ててついてきてくれた部下たちのように。


 そんなことを考えていると、ファルシスの鋭い(かん)が何かをとらえた。

 立ち止まり、顔を動かさずに周囲に気を配る。


「おやお~や、気づかれましたか。

 そう、アタクシでございますよ。宮廷道化師のアンカーでございま~す」


 出てきたのは1人だけではなかった。

 言葉を発したカラフルな衣装を身にまとう道化師に続き、それとは対照的に黒いローブに身を包んだ顔の見えない集団が、ファルシスをぐるりと取り囲む。


「ずっと私を監視していましたね。

 そう、私がこの城に入ったころから」

「あなたの素性は調べ済みで~す。

 ストルスホルムの王侯貴族に、ファルシスという名前はどこにも見当たりませ~ん。

 なぜまったく偽名を使わずに潜入したのですかぁ~?

 そうすればもう少し時間を稼げたのにぃ~」


 仮面の下の赤い唇が歪んだ笑みを浮かべるのを見て、ファルシスも不敵な笑みを浮かべる。


「あなた方こそ、なぜ今まで私を放置してきたのです。

 私ほどの怪しい素性のものなど、捕まえて拷問(ごういん)にかけてしまえばよいのに」

「バカ言うんじゃあ~りませ~んよ~。

 あなたがただ者じゃないことは観察済みで~す。

 アタクシたちから見ても、あなたとっても強いで~す」


 するとアンカー以外の全員が、(そで)の中からみじかいブレードのようなものを取りだした。


「ほう、ではとびきりの暗殺集団を呼び出して、これほどの数で私を殺そうというわけか。

 そしてこっそり死体を始末して、あとは一件落着、というところですね」


 するとアンカーは赤い唇の前に人差し指を突き立てた。


「大声を立てちゃあいけませんよぉ~?

 その瞬間、ここにいる全員があなたの身体をブスリ、ですからねぇ」


 その言葉にあわせ、黒い暗殺者たちがファルシスのほうへと詰め寄ってくる。


「私も甘く見られたものですね。

 まあ見る限り、これだけの手だれを集められれば私も対処に苦労しそうですが」

「おとなしく殺された方が身のためですよぉ~。

 あなただってぇ、苦しんで死にたくなんかないでしょぉ~?」


 それを聞いて、ファルシスはうつむいた。

 相手はあきらめと悟ったようだが、実際は違う。


「クククク、アハハハハハハハハハハハハッッッ!」

「ちょっ! 大笑いするのはやめなさいよっ!

 夜遅い時間なんだからさわぎを起こされるとお互い面倒でしょっ!?」


 アンカーはすべきことも忘れ、周囲に目をこらす。

 ファルシスはその様子を不敵な笑みを浮かべながめた。


「確かに、今のままではな。

 ここまで泳がされたことを見る限り、お前は余の正体を見かねているのだろう?」


 アンカーが「え、なに? 余?」と言ったところで動きが止まった。

 それなりの技量をもつアンカーが、ファルシスの雰囲気が変わったことに気がついたようだ。


「知りたいなら教えてやろう。

 余が、いったい何者かであるかということをっ!」


 ファルシスが短い呪文を発すると、その周囲が暗黒のオーラにつつまれた。

 黒いローブたちがあわてて身を伏せようとしたが、強烈な波動に全員が吹き飛ばされた。


 バク転を繰り返して難を逃れたアンカーが、前方に目をこらし、そして仰天する。


 そこにいたのは、ファルシスの顔をしてはいるが、先ほどまでとは全くの別人、

 いや、人ではなかった。


 顔は青白く染まり、長髪は輝くような白になっている。

 両側のこめかみにはカーブを描く巨大な角が生え、まとっていた衣服は簡素ながらも意匠が凝らされた(よろい)となっていた。


「ま、魔族……だとぉぉぉぉぉっっっっ!」


 アンカーはつくろったキャラも忘れ、アゴをガクガクとさせて目を見開く。


「しかもただの魔族ではない。

 余はそれらの頂点に君臨する王、魔王ファルシスであるぞ」


 それを聞いたアンカーは、とうとう尻を床についた。


「なっ、ば、バカなっっ!

 ま、魔王、本人、だとっっ!?」


 ちょうどその時、放たれたオーラで吹き飛ばされていた暗殺者の1人が、立ちあがって後ろから静かに迫ろうとしていた。

 ファルシスは一瞬で剣を引き抜くと、真後ろに向かって素早く振り切った。

 あわてて防御しようとした暗殺者が、構えたブレードごと断ち切られ、ゆっくりと倒れた。


 それを見たアンカーが「ほ、本物だ……」とつぶやく。

 振り返ったファルシスがゆっくりと近づくと、アンカーは情けない声でわめいた。


「た、助けてくれぇぇっ……!」


 ファルシスは大股開きで腰を抜かすアンカーの前まで行くと、ゆっくりとした所作でさやに剣を戻した。


「ここでお前を殺すのは簡単だが、それでは我が目的は達成できん。

 お前たちにチャンスをやろう。余はいずれ、知らせを与えて再びこの城へ攻め入る。

 その時まで、お前たちは入念に準備するがいい。

 そうしたうえでお前たちを打ち倒すことで、我らが意志は帝国民全体に伝わろう」


 アンカーは手を前にやりながら「ひぃぃぃっっ!」と叫んだ。

 その時、ファルシスの背後で怒号が響きわたる。


「あそこだっ!

 アンカーさまがおそわれているぞ、みなのもの、であえーっ!」


 ファルシスは少しだけ後ろを向くと、身体全体に力を込めるようなポーズを取った。

 すると全身から黒々としたオーラが立ちのぼり、それが背中に集まって、

 燃え盛るようなゆらめきを放つ黒い(つばさ)のようなものが現れた。

 魔王は不敵な笑みを浮かべた。


「フッ、余はひとまず退散するとしよう。

 次会うときは、その命ないものと思え」


 ファルシスは翼をはためかせると、一瞬で飛び上がり、広いとは言えない廊下をあっという間に抜け出してしまった。


「大丈夫ですかっっ!?」


 かけつけた衛兵たちがその腕を取ろうするのを振り払い、アンカーは自分から立ち上がった。

 冷静になった道化師は、鼻から上をおおう奇妙な仮面に手を触れて赤い(くちびる)をゆがめる。


「なんとかしなければ……なんとしてでも奴の息の根を止めなければ……!」





「なにっっ!? 城内に魔物がっっ!?」


 知らせを受けたエンウィーはおどろきに黒い瞳を見開いた。

 ひざまずく従者はより頭を下げる。


「場内中のものが手分けをして探しております。

 姫さまはくれぐれもこの部屋をお出にならないよう!」


 従者は立ち上がると、すぐに退出して扉を閉め、鍵をかけた。


「魔物が、この城の中に……」


 不可能だとは思えなかった。

 魔界より召喚(しょうかん)される異形たちは神出鬼没、ましてやここはかつて魔王軍にとって本拠地であった場所だ。

 直接魔界に通じているポータルが、ここにあったとしても不思議ではない。

 それらしき場所は宮廷魔導師スローラスが封じているはずだが、隠してあるポータルがどこかにあったのかもしれない。


「城内の心当たりをうかがってみたところで、見つかるものではありませんよ。

 私は城の外からここにやってきたのですから」


 振り返ると、エンウィーはまるでこの世のものとは思えないようなものを見たという目になった。

 たしかにこの世のものではないのだが、彼女のおどろきはそれ以上のものであった。


 オーラのような翼をはためかせた人影が、バルコニーに降り立った。

 その姿は、先ほどまで人の姿をしていたはずのファルシス。

 しかし今は明らかに魔物の姿へと変わり果てている。


 エンウィーは思わず「魔物めっっ!」と叫んで、近くにあった皿を投げつけた。

 しかし相手はいとも簡単にそれをつかんだ。


「これはこれは、見間違えてはなりませんよ姫君。

 私です、あなたさまを妻にめとろうと考えている、ファルシスです」

「あの覇気(はき)、魔族ゆえのものだったのだなっっ!

 この城の内情を探るためにもぐりこんだ間者(かんじゃ)かっっっ!」


 憎悪に近いまなざしで吐き捨てるエンウィーに、ファルシスはゆっくりかぶりを振る。


「それもまた目的ではありますが、もっと大きな目的があります。

 エンウィー皇女、いずれわたくしの妻となる者が、どのような方であるかぜひ一度この目で確かめてみたかったのです」

「たわむれを申せっっ!

 人よりはるかに長命であるはずのお前が、このわたしを妻にめとりたいだとっっ!?

 しょせんペット同然に扱うつもりであろうがっっっ!」

「いいえ? 私は本気ですよ?

 言っておきますが、私はまだ誰もめとってはおりません。

 しかるべきはあなた様をわが王妃としてお(むか)えいたします」


 エンウィーは信じられないと言わんばかりの表情で「なっ!」と口ごもる。

 ちょうどその時、扉のあたりで金属音がひびく。


「姫さまっっ!

 今すぐ扉をお開けしますっ! もうしばらくご辛抱をっっっ!」

「コンガルドデスタムンドッッッッ!」


 ファルシスがそこに向かって手をかざすと、扉全体が黒いオーラにおおわれてしまった。

 とたんに扉がバンバンと叩かれる。

「姫さまっっ!? 姫さまっっっ!」


 叫ぶ従者の声をしり目に、ファルシスは余裕のある表情でエンウィーに近寄る。

 おびえるというより、理解ができないと言った顔で姫君は立ちつくす。


「なぜだ? わたしは人間にすぎぬ。

 すぐに死んでしまう身だぞ? 魔族となるための契約をするのならば話は別だが」


 するとファルシスはやんわりとしたしぐさで、姫の美しい顔に触れる。

 最初はビクリとしたが、予想外のぬくもりにすぐに無抵抗になった。


「あなたがお望みとあらば、そういたしましょう。

 ですがその前になさねばならぬことがあります」


 そしてあごに手を触れ、ゆっくりと持ち上げる。

 エンウィーは受け入れがたい目をあらぬ方向に向ける。


「そ、それはいったい、なんなのだ?」

「あなたさまとの間にお子を。

 生まれる御子(みこ)には、半魔として人と魔をつなぐ()け橋になってもらいたいと思っております」


 エンウィーが顔を真っ赤にして、「なっ!」と言って手を振り払った。

 2,3歩下がってクルリと後ろを向く。

 少しだけ振り返った顔は沸騰(ふっとう)するかのようだ。


「わたしとの間に子をつくるだとっっ!?

 き、貴様っ、面と向かって大胆なことをっ!」

「意外とうぶな方なのですね。

 ですが、よけい気に入りました。ますますあなたを我が妻としたい」

「な、なぜわたしなのだっ! わ、わたしは、お前のような……」

「わたしには不釣り合いだとおっしゃるのですか?

 心配には及びません。あなた様は、お父上の良き面を受け継いでいらっしゃる。

 あなたほどの高貴な方は魔界にもめったにおりません」


 エンウィーが「そうではないっ!」と言いつつ振り返った。


「だいたいお前は何者なのだっっ!

 帝国の覇者(はしゃ)の娘をめとろうというのであれば、貴様もそれなりの地位にあるのだろうっっ! 

 己の身分を言えっっ!」


 するとファルシスはやんわりとした笑みを、不敵な笑みへと変えた。


「フッ、知りたくば教えてやる。

 余は魔界にあまねく魑魅魍魎(ちみもうりょう)を統べる王、すなわち魔王ぞ。

 どうだ、これでもお前は不安だというか?」


 エンウィーは何度目かのおどろきを顔に出した。

 同時にファルシスの立ち振る舞いに、見覚えのある威厳(いげん)がただよいはじめる。


「ま、魔王だったのか。

 どおりで、父上と同じ覇気を備えているはずだ……」


 しかし、エンウィーはいったん姿勢を正して、目を閉じてうつむく。


「いや、父上とは比較すまい。

 たった1つの大陸をおさめるのがせいいっぱいのいち君主と、広大な魔界を一手におさめる絶対的な支配者とでは、格の差がある。

 お前にとっては小者であろう」

「そのようなことはない」


 そう言ってファルシスはエンウィーのそばまで寄った。

 エンウィーが顔をあげると、相手はそれなりに背が高いことがわかる。


「余は父の地位を受け継いだに過ぎぬ。

 もっとも父は力を持っているだけで、あまり賢いとは言えなかったが。

 しかし大帝クリードグレンは、優れた覇気と才覚に恵まれた者だ。

 父が魔界の統一に1000年以上もの時間をかけなければならなかったのに対し、お前の父はわずか数十年で広大な領地を手中に収めた。

 その偉業(いぎょう)に対し、余でさえそれなりの敬意を払っておる」


 エンウィーは思わず琴線に触れられたかのような表情になる。

 この男、本気だ。


(ほこ)りに思え。

 この魔王でさえ舌を巻くほどの、偉大(いだい)な男の血を引いていることを。

 余が伴侶として、これ以上恵まれた者などおるまい」


 そう言ってファルシスが数歩下がると、扉のオーラが一瞬にして弾けとんだ。

 同時にファルシスはマントをはためかせ、背中からふたたびオーラの翼を表した。


「いずれ再び迎えに来ようっ!

 余が必ず、お前の手に帝国の栄光を取り戻させるっっっ!」


 扉が乱暴に開かれたとたん、ファルシスは翼をはためかせてまたたく間にバルコニーの奥へと消えた。

 エンウィーは現れた従者たちとともにそこに向かった。


 闇夜の中でさえ、その黒影はよく目立った。

 それをぼう然と見上げるエンウィーに、お付きの従者が声をかける。


「大丈夫ですか、姫さま。お怪我(ケガ)はございませんか?」

「大事ない。

 奴は、魔王はこのわたしと話がしたかっただけのようだ……」


 従者はじっと姫を見つめ続ける。

 エンウィー自身が、現れた異形の者に心を奪われていることを看破(かんぱ)するかのように。





 この日を迎えると、コシンジュは本来たき火に使うための木の棒を、身を支えるための杖として使うほど重い足取りとなる。

 ロヒインもまた高級品だという理由で身体の支えにすることを拒んでいる魔法用の杖を、間違った用法で使っている。


 タウレットの巨大な影に隠れるようにして歩く2人だが、それでも日が高くなると隠れることができず、ときどき(うら)めしそうに白い太陽をにらみつける。

 いまだになんとか持ちこたえているメウノですら、同じく手を目の上でかざして同じようにしている。


 限界は刻一刻と近づいている。

 食料や水分がほんの少しだけ余っていると言っても、3人の体力のほうがもはや尽きようとしている。

 これ以上旅が続くようであれば、コシンジュとロヒインの2人は倒れてしまうに違いない。


 そのためメウノを含めた3人はうつむいて、白に近い色の砂を必死ににらみつけている。

 だから前方のわずかな変化に気がつかなかった。


 先頭を歩くネヴァダが、なぜか急に足を止めた。

 後ろを歩くコシンジュが、ぼう然と顔を上にあげた。


「どうしたんだよネヴァダ。

 はやく進まないといつまでたってもたどり着けない、そういったのはお前だろ?」


 振り返ったネヴァダは、なぜか笑みを浮かべている。


「それをしつこく言い続けたかいがあった。

 前を見てごらん?」



 コシンジュがはっとした顔になると、杖を落として疲れを忘れたかのように歩を早めた。


「コシンジュ? コシンジュどうしたのっ!?」


 コシンジュはネヴァダの横に立つ。

 あとからロヒインとメウノが追いつき、4人が並び立つ状態になる。


「そんな……信じられない……!」


 ロヒインが口を手で押さえるのも無理はない。

 彼らの目の前には、まるでこの世のものとは思えない光景が広がっていた。


 小高い山のそばに、砂漠にあるとは思えない、濃い緑と青の斑点(はんてん)が横方向に広がっている。

 コシンジュ達にとっては、久々に見る植物と水の姿であった。


 コシンジュが思わずヒザをつき、両手のこぶしを強く握り、大きくかかげた。


「……よっしゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」


 その瞬間、ロヒインも自分の口を押さえた。

 同時に目からは大粒の涙を流し、小さい嗚咽(おえつ)をこぼし始めた。

 メウノがその肩をがっちりとつかみ、激しくゆさぶる。

 彼女自身もまた鼻をすすってほおから流れる涙をぬぐう。


 ネヴァダは顔に満面の笑みを浮かべ、コシンジュの肩をポンポンと叩いた。

 その瞬間にコシンジュもまた一筋の涙を流した。


 日数9日間。

 総延長距離数百キロにも渡る果てしない砂丘の旅が、今こうして終わった。

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