第25話 砂漠の姫君~その1~
チチガム達は無事マンプス山脈を抜け、バンチア領内に入った。
山脈ではヴィーシャがしょっちゅう根をあげていたが、彼女がもともと登山経験があったことと、チチガムがずば抜けた体力で乗り切ったこともあり、ほぼトラブルなく踏破することができた。
ところがたどり着いたバンチアでトラブルがあった。
帝国内の魔王軍侵攻により一般旅行者の渡航禁止が発布されたのである。
観光目的はおろか、商業的な渡航ですら総督の許可なしには南の大陸に向かうことができない。
もちろんチチガムはバンチア総督フェルナンにかけあった。
「信じてください。
神様のお告げがあって、勇者の父である自分はどうしても行く必要があるんです」
「わかっている。理由としてはもっともだ。
だが私はそれで納得できても、大型船の持ち主である商人たちを納得させることは難しい。
同じ理由を口にして南に渡ろうとする連中が出てこないとも限らんからな。そういう口先だけの説得で彼らは納得せんよ」
「ベロンの新国主であるノイベッドに紹介状を書いてもらえばよかったな。
もっともこんなところで足止めを食らうとは予想外でしたが」
それを聞いてフェルナンも白い口ヒゲに手を伸ばし考え込む。
「ふむ、今勇者のもとには私もよく見知った者がついておる。
私にとっても人ごとではない。援軍は大歓迎だから、なんとかしてやりたいものだが……」
ここで、フェルナンは突然口ヒゲをいじるのをやめた。
妙案が浮かんだにしては、あまり浮かない表情だが。
「ふむ、手がないわけではない。
ただ少々リスクがともなうが」
「どうせ命がけです。ぜひ教えてください」
チチガムがせがむような視線を向けると、フェルナンはしぶしぶうなずいた。
とある海岸線の、荒々しい造形をした磯の奥。
タコつぼのように入り組んだ入り江のなかへと、チチガム、ヴィーシャ、ムッツェリの3人が入り込む。
紹介された船が、この先にあるという。
不安定な足場にごきげんななめなヴィーシャがうたぐりぶかげに口走る。
「ここが例のガンコオヤジのすみか?
こんなへんぴなところに船なんてどこにも……」
言葉が止まった。
帆がたたまれたマストが見えたかと思うと、一般的な船舶よりはいくぶん小ぶりな、しかしかろうじて大海は渡れそうな中型船が停泊している。
「まさかこのようなところに船が泊まっているとはな。
この先にいるのはいったいどれほどの人物なんだ?」
ムッツェリが少しとげとげしい口調で船をまじまじと観察する。
もっともこれだけの船をたった1人で管理するのは難しいらしく、船体には藻やフジツボがびっしり張り付いていて、見た目にもあまりよろしくない。
チチガムは船の向こう側に人影がいることに気づいた。
こちらには気付いていないらしく、酒らしきビンをグイッと飲み干しながら、奥にあるあばら家の中に入っていく。
「ちょうど家の中に入ったようだ。
あとは居留守を決め込まれなきゃいいがな」
ほんのわずかな浜辺に降り立った3人はあばら家の前に立ち、チチガムがくたびれたドアをどんどんと叩いた。中なら不機嫌そうに「誰だよ」という声がする。
「バンチア総督フェルナンの紹介で来ました。
ランドン王国剣士、チチガムというものです」
「チチガム? 聞いたことある名だな。
遠慮するな、入れ」
まんざらでもないという表情で後ろの2人にふりむき、うなずき合って中に入る。
相手は自分の名を知らないほど世間知らずというわけでもないらしい。
小屋の中は様々なものが乱雑に散らばっていて、さながらゴミ屋敷のようでもある。
奥にある机の向こうに、白ひげをみっちりたくわえた初老の男性がだらしなく座っている。
「なるほど、腕利きの戦士さまというわけか。
どおりでオレの方にお鉢が回ってくるわけだ」
男性は机に前のめりになると、腕をついてビンの酒をガブッ、と飲んだ。後ろではヴィーシャとムッツェリが顔をしかめて別のほうを向いている。
無理もない。チチガムもここに入った瞬間から鼻をつくにおいが気になって仕方がない。
「それにしても女連れか。
近頃じゃ女が武器を取って戦うのもめずらしくなくなったが、うらやましいもんだな」
言ってるわりにはあまりうらやましくなさそうに指差す。
ヴィーシャは何か言いたげだったが、状況をわきまえているようでおとなしく口をつぐむ。
「話は見えているようだが、我々を南の大陸に連れて行ってもらいたい。
もちろん礼ははずむ」
「一体何の用で南の大陸に渡るんだ?
お前さんらのような物騒な格好をした連中が、まさか遊びに行くわけがあるまい。
王国から何か密命でも帯びてるのか?」
チチガムはうなずいて正直に話すことにした。
「南の大陸に渡った勇者一行の援軍だ。
魔王軍の本格的な侵攻が始まる前に、少しでも彼らの手助けをしたい」
男は再び背もたれにのしかかった。
「ほう、じゃあヴァスコの奴が勇者の一行を船に乗せてったのに合わせて、オレも海に出てけってのか。
まったくどういう因縁なんだ」
そして顔を思いきりしかめてそっぽを向く。
ムッツェリが「因縁?」と問いかけると、相手は正直に話し始めた。
「ヴァスコの野郎、今はまっとうな船長のつもりでいるが、昔はこのオレと一緒にこのあたりを荒らしまわった海賊だ。
それがえらそうに、今じゃそんなデカい仕事まで引き受けやがって。
おれなんかこんなところでひっそり遠洋漁業なんかやってんのによ」
「へぇ、元海賊。なんか親近感あるわね」
それを聞いてヴィーシャが笑みを浮かべる。男はそちらの方を向いた。
「そういうお前は元盗賊か?
にしちゃ身なりが立派だな。まあいいや」
すると男はさっと手を出した。
「で、いくら出せる? こっちは人の金をぶんどって生きてきた人間だ。
ちっとやそっとの額じゃ納得しねえぞ」
それを聞いたムッツェリが少しいまいましげな口調で告げた。
「なるほど、金次第というわけか。
悪いがいまの手持ちは十分じゃないぞ。無事南の大陸まで送り届けたら……」
ここでヴィーシャが片手をひょいと上げる。
男の前まで進み出ると、ふところから何かを取りだした。
小さな袋かと思ったら、それをおもむろに開いて中身をぶちまけた。
現れたのは、赤、青、緑などといった色鮮やかなかがやきを放つ宝石の数々。
しかもそれなりの大きさをほこるので、相当な額は下らないであろう。
これにはさすがの元海賊も信じられないという顔つきになる。
「ほう、さすが元盗賊だけあって羽振りがいいじゃねえか。
一体どれだけの時間を使って集めたんだ?」
「たまたまよ。
あたしも勇者の連中について行ってた時期があって、出てきた魔物が体中にこれをつけてたの。
それをちょうだいさせてもらったってわけ」
「なんでそのようなものをいまだに身につけているんだ?
盗賊の性分と言ってしまえばそれまでだが、足を洗ったいまでは重荷にしかならないだろうに」
助けでもらったことを棚に上げ、ムッツェリは腕を組みつつ問いかける。
ヴィーシャは振り返ると、皮肉まじりの笑みを浮かべた。
「確かに職業病ってのもあるけど、あたし一応女の子だからね。
こういうの持ってると安心すんのよ」
堂々と言い切るヴィーシャにムッツェリはあきれて首をすくめた。
宝石を手に取り、つぶさに観察していた漁師が、はじめてニヤリとする。
「これはなかなかのもんじゃねえか。
その魔物、今はいったいどこにいるんだ?」
「教えてあげてもいいけど、ベロンの連中が目ざとく見つけてるかも知れないわね。
まだ残ってるといいけど」
すねに傷がある者同士のドス黒い会話に耐えかねて、チチガムが会話に割り入った。
「で、商談成立か?
言っておくが我々は先を急ぐ、返事はできるだけ早くしてくれ」
すると漁師は思い切り不敵な笑みを浮かべ、チチガムのほうを向いた。
「『タブツ』だ。オレの名はタブツ。
オレの腕にかけて、お前らを無事南の大陸まで送り届けてやる。
遠慮なくこき使ってやるから覚悟しておけよ」
そしてなぜかヴィーシャに向かって片手を差し出した。
ヴィーシャは両手をあげて断ると、かわりに進み出たチチガムが片手を広げる。
タブツはしぶしぶその手をにぎった。
見渡す限りの広大な砂地。
しばらくぼう然とながめていたが、ネヴァダに怒られてようやく案内所に入る。
中にはいくつかの集団がたむろしていた。
「ほら、あんたたちもこれつけて。
砂漠にはこいつが必要だよ」
ネヴァダが布のようなものを手渡してくる。
受け取ると、それは布地の荒いマフラーのようだった。
「砂から身を守るためのスカーフだよ。
あんたたちはもともと重装備だけど、それでも首から砂が入ってくることがある。
だけどこいつがあれば入らない。砂嵐の際には……」
ロヒインが「砂嵐?」と問いかけた。
ネヴァダはああ、とうなずいた。
「砂漠では強風にあおられて砂が舞い散る時があるんだよ。
そういうときはコイツを頭全体に巻いて顔を守る。あとでそっちの巻き方も教えるから、とりあえず巻いてごらん」
言われたとおりにコシンジュ、ロヒイン、メウノがスカーフを首に巻いていると、コシンジュの目がある一点に止まった。
所内にはいくつかのテーブルが置かれているが、そのなかの1つに後ろ向きに座っている人物がいる。
まとめ上げた髪は真っ白になっていて、最初は老人かと思ったがそれにしては背筋がしっかり伸びている。
そして耳が長くとがっている。この特徴には少し見覚えがあった。
「なんでこんなところにエルフ族が?
たいていは森にいるのに。しかもたった1人ってのが妙だ」
ようやく同じほうを向いた仲間たちをよそに、コシンジュは思わずテーブルに向かった。
相手を正面に捕えたところで、コシンジュはおかしな行動に出た。
信じられない物を見た、と言わんばかりの表情をその人物に向けたまま、手だけを動かして反対側の椅子を動かし、そのまま腰掛けてしまった。
「……コシンジュ?」
ロヒインが浮かない顔で近寄ると、その理由を一瞬で理解した。そしてろこつにいやそうな顔をする。
テーブルに座っていたのは、この世に見まごうかと思えるほどの、とても美しい女性だった。
顔立ちは少し幼いかもしれないが、ロヒインはここまで美しい顔を見たことがない。
「どうも。旅のお方?
ウッドエルフがこんなところにまで足を運ぶなんて、正直ただ事とは思えませんが?」
ロヒインは平静を装うが、いらだちを隠し切れていない。
そのままコシンジュのとなりに座る。
「お主らこそ、その若さで砂漠を歩くなどと、無謀きわまりないと見えるが、いかがか?」
声まで透き通るかのようだ。
ロヒインは正直嫉妬した。
「なるほど、こちらこそ失礼しました。
あまり大きな声では言えませんが、あなたは魔王軍がこちらの大陸へと侵攻しようとしていることはご存じで?」
「よく存じておる。そうか、お主らが偉大なる神々に選ばれし勇者の一行か。
ちょうどわらわも、お主らを探しておったところじゃ」
古めかしい言葉づかいを聞いて、ロヒインは眉を寄せた。
「ウッドエルフの使者の方ですか。
人間に対し基本的には不干渉を貫くあなた方が、なぜこのような場所まで赴くのですか?」
ウッドエルフはメウノとネヴァダが後ろからやってきたことを確認して、ロヒインに顔を近づけ、小さい声でつぶやいた。
「気をつけよ。
魔王軍は通常の侵攻作戦に加え、この地にて新たな計画を立てようとしている。
それをお主たちに警告しにきた」
「新たな計画?
たしかに我々は数多くの敵勢を倒してきましたが、それだけで作戦の修正を迫られるほど敵は急しているとは思えませんが」
「そうではないらしい。
たしかに敵の戦力は圧倒的だが、それを取りまとめる幹部たちをお主らは次々と葬ってきたのじゃ。ゆえに軍内は混乱をきたしておる。
特に竜王をはじめとする大幹部たちが返り討ちにあって以降は、一部の勢力が増長して非常に不安定な状況に置かれておるそうじゃ」
それにしても、コシンジュはさっきから黙って相手の顔を見つめ続けたままだ。
相手が見たこともない美人だからわかるが、ロヒインにはそれがうっとうしくてたまらない。
「そこでじゃ。
ここはわらわ、ウッドエルフの中でも才に秀でる、この『スターロッド』がお主たちに力を貸してやろうと思うてな」
「スターロッドさんというんですか。それは心強いですね。
ところで専門はやはり魔法ですか?」
するとエルフの女性は椅子の横に立てかけていた妙な物体を取りだした。
車輪のような造形をした黒い物体は、神聖さよりも不気味さを際立たせている。
「これがわらわの触媒じゃ、見た目はアレだが強力じゃぞ」
そう言って不敵な笑みを浮かべたところで、突然コシンジュがテーブルの上に乗り上げた。
「……結婚してくださいっっっ!」
いきなり何を言うのかと思えば、かなりムチャクチャな要求だ。
しかし当の本人は顔を真っ赤にしていたって真剣である。
「コシンジュ、初対面の人に向かってそりゃないでしょそれは」
ロヒインががく然と失望の入り混じった表情でコシンジュを横目で見た。
そばに立って話をうかがっていたメウノとネヴァダもドン引きしている。
「オレ、あんたみたいなきれいな人にあったの初めてだっ!
いきなりだと思うけど、結婚を前提に付き合って欲しい!」
それを見て、スターロッドはドン引きするどころか、クスクスと笑っている。
「おもしろい奴じゃ。
話には聞いておったがお主、相当に女好きのようじゃの」
「笑ってる場合じゃないでしょう。あなたウッドエルフでしょ?
人間よりはるかに寿命の長い生き物が、あっという間に年老いて死んでしまう人間に興味を持ってどうするんです?」
あきれた口調で告げるロヒインに、スターロッドはにべもなく告げる。
「よいではないか。
それならそれでわらわには戯れ、ためしに付き合ってみるのもよいのかもしれんの」
まさかの反応に「なっ……!」と言ってロヒインは二の句が告げられなかった。
「ほ、本当ですかっ!?
ふつつか者ですがぜひよろしくお願いしますっ!」
いきり立ったコシンジュが相手の白い手を両手で取ると、スターロッドのほうもこころよくうなずいた。
それを引きぎみに見ていたネヴァダが、ついで別の方向に目を向ける。
「ロヒイン? あんた何してんの?」
見ると、ロヒインは先ほどから呪文のようなものを唱えていた。
それを見たメウノが両目を片手でおおった。
「ああ、とうとう人前でやりますか。
別にいいんですけど、トラブルは自分で解決してくださいね」
なにが起こったのかとメウノに目を向けたネヴァダだったが、次の瞬間ボンッ! という音がひびいて一瞬飛び上がった。
ネヴァダがロヒインの方向に目を向けると、そこには煙に包まれ、同じ服装をしていながらまったく別の人物が座っていた。
見た目はスターロッドに勝るとも劣らない美少女であるが。
ネヴァダは現実を受け入れられず、思わず問いかけた。
「あんた……だれ?」
ロヒインは周辺にいた人々が怪しげな視線を向け始めていたことにも意に介せず、となりのコシンジュにがっちりと抱きついた。
「ダメッッ!
コシンジュはわたしのもの、絶対にあんたなんかに渡したりしないんだからっっ!」
抱きつかれたコシンジュはうっとうしそうに離そうとするが、ロヒインはがっちり組みついて離れない。
ちょうど頭のあたりに女ロヒインの胸の部分が押し付けられていても、コシンジュは全く動じていないくらいなのだから恐ろしい。
ネヴァダは何が起こっているのかさっぱりわからずあ然としている。
「フフフフフフ……」
スターロッドが笑いだしたので、メウノはあきれぎみの目をそちらに向ける。
「なにがおかしいんですか?」
「いや、どうも先ほどからおかしいとは思っておったが。
こやつ、もしや衆道であるな?」
ネヴァダが「衆道?」とおうむ返しすると、メウノが「同性愛者のことです」と耳打ちした。
「あ、そうなの……って、ええっっ!?」
ネヴァダは少々びっくりしたようだ。
スターロッドは少しうっとうしそうに顔をそむけた。
「衆道でわるかったですね衆道で。
はっきりきっぱりそうですがそれが何か?」
ロヒインが不機嫌ぎみに答えると、スターロッドはうつむいて首を振る。
「いいや、生まれついての性分ならば文句をつけたところで仕方あるまい。
しかし、そちらの相手はそうでもないらしいの」
ふたたびまじまじと見つめ続けるコシンジュに目を向けたあと、ロヒインに顔を戻した。
「その恋、実らんぞ」
ロヒインは低くうめいた。
ようやく話が終わったと判断して、ネヴァダは問いかける。
「味方が増えるのはうれしいけど、あんた、砂漠は初めてかい?
正直これ以上レクチャーする相手が増えるのは面倒なんだけど」
「案ずるでない。砂漠ははるか昔に歩いた経験がある。お主からの指南は不要じゃ」
そう言って不敵な笑みを向ける。
顔を正面からとらえることになったネヴァダは、アゴに手を触れてまじまじと見つめる。
「確かに美人だ。嫉妬を覚えるくらいすごい美人だ」
それを聞いて、お世辞にも美人とは言えないメウノが、さすがに不機嫌な表情になった。




