第23話 地上への降臨~その2~
ファルシスは、続いて自らの居室にベアールとスターロッドを呼び出した。
ファルシスとスターロッドは丸いテーブルに腰かけるが、ベアールは壁にもたれかかっている。
重々しい赤い甲冑を身にまとったベアールが、複数の穴が開いたヘルムをこちらに向けた。
「おれたちを殿下の部屋まで呼び出して、いったい何の話ですかい?」
「勇者を襲えという話なら、先日はっきりと断らせてもらったぞ」
露出の激しいスターロッドは、テーブルのイスに腰かけているために胸の深い谷間しか見えない。
テーブルの上に置いた指先は細くなめらかだ。
そんな異様ないでたちにファルシスは目もくれず、あさっての方向を向いて腕を組む。
「勇者一行は無視する。
実は全く別の計画を立てている。お前たち以外にはファブニーズに話をつけてある。
余とともに地上まで上がってもらおう」
スターロッドが神妙な顔をした。
ベアールもこちらに向けるヘルムを動かそうとしない。
「なにをしでかすつもりじゃ。ファルシス」
配下であることを意に介さない口調のダークエルフに、ファルシスはちらりと視線を向ける。
「『ゾドラ帝国を動かす』。
奴らを滅ぼすのではなく、味方につけることができれば自然と勇者と戦う必要もなくなるだろう」
「どういうことです?」
ベアールは理解しかねると言った口調で問いかける。
「帝国は北の大陸を敵視している。
なんでも我々魔族が地上侵攻する前に起こった戦争に原因があるらしい。
今は経済が停滞しているが、もし戦力に余裕があればすぐにでも北大陸に向けて侵略を行うべき。
帝国にはそういう世論が根強い」
「なぜそのようなことに?」
ベアールが問いかけると、スターロッドが口をはさんだ。
「それならわらわがよく存じておる。
話が長くなるからあとにするぞ」
そしてスターロッドがテーブルにヒジを押し付けると、胸の谷間が強調された。
「しかし、今まで散々痛めつけてきた敵が、今さら我々に寝返ると思うのか?
タンサの時代も含め、奴らの恨みは根強いはずじゃぞ」
「帝国民の北大陸への恨みはそれ以上だ。余にはまったく理解しかねる感情だがな。
うまく利用すれば我々に対する悪感情をそらせる」
「具体的になにをするんです?」
ベアールが片手をあげて問いかけた。
ファルシスはうなずく。
「帝国経済の停滞要因は、中央政権の腐敗にある。
大帝は存命だが最後の戦で深手を負い、思うように動けなくなっている。
ゆえに臣下の者たちを押さえつけることができず、勝手気ままなふるまいに指をくわえて黙っているしかないようだ」
「さすればその臣下の者たちを打ち倒し、腐敗を一掃すれば国民は我々になびくと?」
スターロッドの発言に、ファルシスは不敵な笑みを浮かべる。
「その通りだ。
我らが敵ではなく、味方として帝国を支配することができれば、帝国民の目は一気に北の大陸に向くだろう」
「時間がかかるでしょうね。
腐った帝国の役人を1人ずつつぶしていくのは」
納得がいかないとばかりのベアールに、若き魔王は首を振った。
「そうでもない。帝国民のほとんどは大帝に忠誠を使い、国の富に無駄に手をつけてはいない。
富を浪費しているのは国の中枢にかしずく一部の奸臣だけだ」
「なるほど、それなら話が早い。
勇者たちが城にたどり着く前にカタがつくでしょう」
「待て。ただ乗り込むだけでは帝国民の歓心は買えん。
多少計画を立ててある。まずは余の指示に従え。
下調べはすぐにルキフールがしてある」
「なるほど、それがあやつの真の計画だったのじゃな。
何もかも配下に任せきりと思いきや、水面下でそのような調べを進めていたとは……」
すると、言いだしたスターロッドはまじまじとファルシスの顔を見やる。
「……これほど長い時間がかかったのは、お主が自ら起つことを待っていたのだな?」
「悪いなスターロッド、決断に時間がかかった。
だが実を言うと、いまだにしり込みしている部分もあるのだ」
「わかってますって殿下」
するとベアールが壁から背を離し、こちらに向かって両手をあげた。
「『母上さま』のことでしょう?
先代魔王殿下が亡くなられて以来、あの方は弱ったままだ。
誰かが守って差し上げないと、あの方に万が一のことがあってはなりませんからね」
するとファルシスは腕を組みつつアゴに手を触れた。
「そのことだ。
母はこの余にとって最大の弱点だ。
わが配下の中には、数は少ないものの余の座を奪わんと考えている者がおる。
母の身が捕われる可能性を考えると、自ら現世に赴くことは考えられん」
「安心しろファルシス。
我が命において、ダークエルフの者たちにお主の母の身を守るよう言いつけてやろう」
「おれたちデーモン族もついてますぜ?
それとも殿下、おれらの仲間におふくろさまの身を守らせることは不安なんで?」
ファルシスの返事がないので、2人はさらに続ける。
「ファルシス。まさかお主、わが眷族を信用してないと思っておらんだろうな?
我ら高貴なるダークエルフとデーモンは、決してお主を裏切らん」
「おれたちの種族の結束は固いですぜ。
長であるおれと『バアサン』がいなくとも、奴らはきちんとこの魔界を守り通してくれるはずです」
それを聞いたファルシスはイスから立ち上がり、闇しか見えない窓辺に立った。
そしてうつむいたまま口を開く。
「……余はよき臣下に恵まれたものだな」
声がふるえている。予想以上の深い忠誠に、若き魔王は深い感銘を味わっているようだ。
それを見たベアールとスターロッドは顔を見合わせ、小さく笑った。
するとここで突然扉がこんこんと叩かれる音がひびいた。
ファルシスは鼻をすすり、平静を装って「入れ」と声をあげる。
扉が開かれる。
そこから下に向かってカーブを描く二本角を頭につけた鎧騎士が入り、部屋に入ってヒザをついた。
「申し上げます!
深海魔団長、スキーラ様お討ち死にっっ!」
ベアールとスターロッドはおどろいた様子だったが、振り返ったファルシスは冷静そのものだった。
「どうやら時間がないようだ。急いで準備を進めるぞ」
コシンジュたち一行は木材とマストで簡単なタンカを2つつくり、それにメウノとリアスを乗せて街道を歩いていた。
イサーシュはすでに回復しており、コシンジュとともにメウノのタンカの前を持っている。
となりのコシンジュがおもむろに指をさす。
「しかしすごいところだな。左側のガケを見ろよ。
むき出しの岩だらけで草がほとんど生えてない。こんな光景見たことあるか?」
顔のはれが収まったイサーシュもうなずき、かたむいた日差しを手でさえぎる。
「暑いな。しかも蒸し暑いというより、たんに日差しに肌を焼かれそうな感じだ。
こんな気候は北の大陸ではありえないな」
後ろを持つヴァスコが笑いまじりに告げる。
「南の大陸にようこそ。
どうだ? これが砂漠地帯ってやつだ。北大陸とは全く違う感じだろ」
「この気候、のどが渇いてくるな。
北ではなんともなしに飲み続けてきた水のありがたさが身にしみてわかるようだ」
「イサーシュ。ここじゃ水は海の上よりもさらに貴重なんだ。
思いあまって水をガブ飲みするようじゃ、まわりの連中に白い目で見られるぜ」
「ということだコシンジュ。
ここじゃまともに水浴びすることもできないぞ。今のうちに覚悟を決めておけ」
「うおぉっ! なんてこった!
このままじゃオレの身体がアカに汚されていくっ!」
コシンジュは多少背が低いのでワキに抱えるようにしてタンカを持っていたのだが、片手を離して頭を抱える。
となりに立つロヒインがあきれた顔を向ける。
「大げさな。
コシンジュ、これは潔癖症を克服するチャンスだと思わなくっちゃ」
ここでヴァスコが首を振ってため息まじりに告げる。
「しかしなんだってよりによって潔癖症なんだぁ!?
見かけによらず神経が細い野郎だなぁ」
「ああそれのことなんだがな……」
イサーシュが何かを告げようとすると、コシンジュがあわてだした。
「待てっ! そのことについては言うんじゃないっ!」
「コシンジュは昔ミンスターの城に上がった時、派手に暴れて身体じゅうを汚したことがあった。
そして着の身着のままベッドで眠りにつくと、シーツが見るも無残なことになっていたそうだ。
それで城のメイドにこってり絞られ、以来トラウマになっているそうだ」
「ハハハッ! なんでぇ、わけありだったってのかい!
別に生まれつきってわけでもなかったんだなっ!」
「ああ、今でもあの頃の光景が思い浮かぶ。
あのメイドさんの鬼のような形相は思いだしたくもない……」
頭を抱えるコシンジュにロヒインは気の毒半分、あきれ半分にながめていた。
「よし、ここまでくれば街はもうすぐだ。
よく見てろ、すっごい光景がみられるぞ」
ヴァスコが前方を指差す。
曲がり角を進むと、はるか向こうに街のようなものが見えた。
遠目からだが、ずいぶん変わった形の建物が見える。建物が立方体だったり、あるいは逆に円柱の形をしていたりする。ところどころにある尖塔も北の大陸では見たことがないものばかりだ。
「へえ、この大陸の建造物は北とは全く違うんですね。
環境が変われば文化もまったく異なる、勉強になります」
ロヒインが言うと、ヴァスコはなぜか首を振った。
「違う違う、オレが言ってんのはそのさらに左方向だ。
お前ら目をかっぽじってよく見とけ」
コシンジュ達が目をこらしていると、街の建物は少なくなっていった。
それとともに目の前の岩場も開けていき、かわりに見えてきたものとは……
一見大規模な砂浜のようにも見えるが、それにしてもあまりに広すぎる。
やがて左の岩場がなくなってきたとたん、それがただの砂丘ではないということに気づいた。
「なんてこった……砂地が、地平線までずっと続いている」
イサーシュが言うとおり、そこは見渡す限りの、果てしない砂丘だった。
はるか向こうはなだらかな傾斜になっていて奥がよく見えないが、それでもその圧倒的なスケールはコシンジュ達に深い衝撃を与えるには十分だった。
「これが……砂漠……」
コシンジュがぼう然としてつぶやくと、ヴァスコの口調は厳しいものになった。
「お前ら、ここを抜けるつもりか?
だとしたら用心に用心を重ねたほうがいい。この砂漠はずっとずっと先まで続いてる。
水の補給もまったくできやしねえ、先を急ぐつもりなら、まずはゴルドバの街で案内人と荷物の準備をすませてからだ」
コシンジュ、ロヒイン、そしてイサーシュの3人は顔を見合わせた。
どれも大きな不安を抱いている表情だった。
ここから先はいままで以上に過酷な旅になる。その場にいる誰もがそれを悟っていた。
ゴルドバの街に着くころには日が暮れかかっており、今夜は宿をとることになった。
街を行く人々はみな頭まですっぽり姿をおおい隠し、軽装であるこちらを興味しんしんにながめている。
街の雰囲気も明らかに異なっており、かいだことのない匂いがそこらじゅうでたちこめている。
大人数の団体客ということで宿探しには苦労したが、ヴァスコのさい配のおかげで複数の宿をとることになり、安心して床につくことができた。
ロヒインはメウノやトナシェと同じ部屋に泊まることになったので、コシンジュは気兼ねなく最後になるかもしれない水浴びをすることができた。
燃やせる木材がないので冷えた水しかなかったが、それでも十分なくらい部屋は暖かかった。
ただし夜が更けるに従って部屋が冷えていく。
コシンジュ達はあわててベッドにもぐると、不安と疲れがたまっていたせいかすぐに眠りにつくことができた。
ファルシスは立ちならぶ尖塔、その間を結んでいる渡り廊下の中を進んでいた。
手すりはあるものの、それでも心もとないほど高い位置であり、周囲の尖塔とはかなり距離がある。
その前方に、これまた巨大な尖塔がそびえる。
これでもファルシスが玉座を構える尖塔に比べれば小ぶりな方である。
長い廊下を渡り切り、魔王は中に足を踏み入れた。
小さな階段を登り終えると、そこはほとんど暗闇だった。
窓から差し込むうっすらとした明かりと、中央に置かれた天蓋つきのベッドの照明だけが部屋を照らしている。
そのベッドのに座りこむようにして、その人物はいた。
ファルシスと同じくこめかみに巨大な角を生やしてはいるものの、血色は良く表情もおだやかだ。はたから見ればとても魔族とは思われないだろう。
年齢は少し高めに見えるが、端正な顔立ちの魔王の母にふさわしい美しさを保っていた。
「お久しぶりねファルシス、公務のほうはいかがかしら」
「一週間ごぶさたしました、母上。
本来はもっと早く足を運びたかったのですが、いろいろといそがしく、申し訳ありません」
ファルシスは母親の前でひざまずき、その両手を手に取った。
そして互いにおだやかな笑みを浮かべる。
「無理もないわ。あなたは重要な立場にいるのだもの。
けれどいかに魔界を一手に担う役目だからと言って、それにとらわれ過ぎてはいけませんよ」
「重臣たちが支えてくれています。私には過ぎた者たちです」
ファルシスの母はゆっくりと首を振った。
「あなたの仁徳があってこそよ。
彼らを信用し、決して疑うことがあってはなりませんよ」
ファルシスはうなずき、少し間をおいて告げた。
「朗報があります。地上の人間と無益な争いを避けられるかもしれません。
その方法が見つかりました」
すると母は手を離し、口元に近づけて満面の笑みを浮かべた。
「よかった。
これ以上双方の血が流されることがなくなるのね。これ以上喜ばしいことはないわ」
実際は流れる血が少なくなるだけだ。
しかしそのことを口にはしない。
「ええ。ですが、問題があります」
そこでファルシスは神妙な顔つきになり、口ごもった。
すると母親はその頬にそっと手をかける。
「話はルキフールより聞いているわ。あなた自身が地上におもむくのでしょ?
あなたの強さは十分知っているけれど、どうか身体に気をつけて」
「私のことはどうかお気になさらず。
ですが、それよりも母上のことが心配でなりません。忠臣たちが守っていただけるとのことですが、それでも……」
ファルシスが最愛の人に目を向けると、相手はそっとささやきかけた。
「大丈夫よ。
ルキフールが、あなたに代わってわたしのことを守ってくれるわ」
「ルキフールが?
あの者、さほど母上のことを気にかけてはおらぬようですが……」
「そう見せていないだけのことよ。
あれほどの者だもの、表面を装うことは苦にもならないはずだわ」
ファルシスは目線を下げて眉を寄せた。
正直、あの老獪な魔物を心のそこから信用できないでいた。
かつては亡き父と覇権を争い、今現在でも魔界随一の英知をほこる希代の策略家が、無防備になった母を見て何も思わないはずがない。
若き魔王はそう考えていた。
「あなたがそのような顔をするのは仕方がないわ。彼は切れ者ですもの。
ですけど、これだけはわかってちょうだい。
彼は彼なりに、あなたのことを心のそこから慕っているのよ?」
最愛の者からの言葉にもかかわらず、ファルシスはつい「本当でしょうか?」とつぶやいてしまった。
それを気にするふうでもなく、母は人差し指を立てた。
「わたしはあなたより長い時を生きているのですよ。
それくらいのこと、ちゃんとわかります」
ファルシスは恐縮して頭を下げた。
その時、母親は口を押さえ苦しげな表情で咳をしはじめた。
息子はあわててその腕を取る。
「もうお休みください、いま支度をしますから」
母親の動きに合わせ、ファルシスはかけ布団を広げて彼女をベッドに横たわせる。
魔族としてはあまり健康とは言えない母親は、ファルシスを生んだあとの肥立ちが悪く以来ずっと病弱なままだった。
だからこそ常日ごろ目をかけていなければ安心して公務を行うこともできない。
それでも最近はずっと雑多な業務に押されておろそかになっていたが。
ファルシスはそばのテーブルにあったイスを持ってきて座り、身を横たえる母親の手をそっと握った。
「わたしのことなら心配しないで。
あなたはあなたの役目を果たしなさい。
そしてあまり心配はしていないけれど、どうか無理はしないで」
「行ってまいります母上。
母上こそ、どうかお体を大事に」
ファルシスがうなずくと、母はそっと目を閉じた。
それを確認し立ち上がった魔王は、ゆっくりとした足取りで部屋をあとにした。
空中回廊を渡るファルシスの笑みに、先ほどとはまるで違う、不敵な笑みになっていた。
「これで心残りはない。
見ていろ勇者どもめっ! ここからは、我らが思うがままに仕切る時が来たのだっ!」
そして高らかに笑うと、背中のマントを大きく広げ、空に舞わせた。




