第22話 三つ巴の大混戦~その1~
島に漂着して2日がたった。
が、コシンジュは早くもここで過ごすのにうんざりしていた。
はじめは海にもぐったりしてはしゃいでいたのだが、思ったよりヤシの実が少ないことに気付いてふたたび巨大イカで食いつなぐ生活に戻らなければならないことに落胆する。
小さなトナシェはとうとうしぶった顔をくずせなくなっていた。
「魚でも取れればいいんですけどね」
「イカの本体も変なニオイがしはじめてる。
足のほうは潮に漬けておくからいいとして、釣りざおでもなけりゃ魚取るのは難しいだろうな」
ヴァスコに作り方を習っておけばと思ったが、その前に材料はどうすればいいのだろう。
ここにあるのはヤシの実ばかりで、糸は作れても竿は難しいだろう。
それに釣りエサは? 針は? まったくわからない。
そんなことをウジウジ考えていると、トナシェが海岸のほうを指差した。
「あれ? なんだろう」
コシンジュは立ち上がると、波間に現れた奇妙なものに目をこらす。
クラゲの死体か? と思ったが、何だか様子がちがう。
「トナシェ、ローブでも着とけ。
なんかおかしい」
彼女が顔に不安を浮かべながらも立ち上がるのを確認し、自分も装備をつけ直す。
今着ている服はズボンだけだったので革の装備まで身につけるのに少々時間を食ってしまった。
「コシンジュさんっっ!」
ローブをまとったトナシェが棍棒を投げてくると、コシンジュは軽々とキャッチする。
そして構えを取り海岸を見据えると、それが何なのかだんだんわりかけてきた。
……いや、わからない。
明らかに水とは違うのだが、ドロドロとした粘液状の物質と言うこと以外、なんなのかまったくわからないのだ。
「おい、マドラゴーラ。
あれ、一体何なのか知ってるか?」
腰にぶら下げたかたい袋から赤い花びらを出すマドラゴーラは、頭についている黒い瞳を丸くする。
「……俺の知識が正しければ、あれは『スライム』って奴です」
「スライム?
魔物なのか? あんなの、正直あり得ないんだけど」
言っているあいだにも粘液は徐々に砂浜に押し寄せてくる。
かなり大規模のもののようだ。
「見た目は粘液にしか見えませんが、ほんのごく微小な生物がより固まってできた立派な魔物です。
1体1体の力はとても弱いですが、ああやって無数に集まることで近づく者に容赦なく襲いかかることができるんです」
「魔法は使えるのか?」
コシンジュの問いかけにマドラゴーラはブンブンと首を振る。
「いいえ、しょせん単細胞の寄り集まりなんで知性は全くないです。
でも魔法暗示をかけることによって、特定のターゲットをおそわせることは可能です。
奴らはどんどんこっちの方にすり寄ってる」
巨大粘液は見る見るうちに浜辺全体に押し寄せてきた。
これだけの量の魔物を一気に倒せるか、コシンジュは不安になってきた。
「コシンジュさん、どいてくださいっ!」
トナシェが前に立つと、腕輪をつけた両手を砂に押し付け、一気に叫んだ。
「……『サンドストーム』っっっ!」
するととたんにトナシェの前方にすさまじい砂ぼこりが舞い散り、あっという間に目の前が黄色に染まった。
マドラゴーラは喜びを声に出した。
「なるほど!
奴等は水属性、しかも粘液状だから大量の砂にまかれたらひとたまりもないぞ!」
「ここは砂浜ですからね。
出現場所が岩場だったらかなりてこずったと思いますけど、ここが小島だということが災いしましたね」
しかしコシンジュは腕を組み、考え込んだ。
たしかにマドラゴーラの言うとおりかもしれない。
しかしそのリスクを敵方は織り込み済みだと思うのだ。
「トナシェ、トナシェ。ちょっと中止しろ」
小さな少女は「え?」と言って振り返り、目の前の嵐を止める。
コシンジュは前方に視界をこらす。
そして思い切り顔をしかめた。
スライムの大群は表面を黄色一色に染めながらも、ひび割れた場所から強引に進みでる。
「ダメだっ! 奴らには慎重さのかけらもないっ!
単細胞だからどんな目にあっても無理やりこっちに向かってくるつもりだっ!」
ましてや浜辺をおおいつくすだけの規模があるなら。
ちょっとやそっとの攻撃ではまったく効果はないのだ。
「そ、そんな……!」
トナシェががく然として前方を見つめる。
すぐ目の前までスライムが迫っているというのに。
「下がってろトナシェっっ!」
そんな彼女のフードを引っ張り強引に前に進み出たコシンジュは、すぐさま棍棒を真横に振り払う。
激しい光につつまれた粘液は思い切り飛び散り、湯気をたてながら粘液の海に消えていく。
効果はあるが、これも焼け石に水にすぎない。
コシンジュは少しだけ振り返りながら声を張り上げる。
「トナシェッ!
魔法攻撃を続けるんだ。まわりはオレに任しとけ!」
相手は「はいっ!」と言って再び呪文を詠唱する。
そのあいだにコシンジュはまわりこもうとする粘液に向かって次から次へと払い続けていく。
やがてスライムの海がグツグツとデタラメにうごめき始めた。
真下にある砂が思い切り押し上げられ、スライムの侵攻を食い止めようとしているようだが。
コシンジュは首を振った。
ダメだ、これではこっちに向かってくる勢いを止めることはできても、まわりにあふれ返った大量の粘液をすべて片づけることはできない。そうする前にトナシェの魔力がつきてしまう。
スライムはとうとう2人の後ろにある木々の下まで押し寄せてきた。
このままでは完全に取り囲まれてしまう。
「トナシェ、仕方ない。破壊神を呼び出そう」
「えっ!?
でも、それじゃヤシの実が……それにイカの身体だって」
「ほかにコイツを倒す方法はない!
いいから呼び出せって!」
トナシェは「わかりました」とつぶやいて、砂から両手を離してそのまま胸の位置で組んだ。
「長き眠りにつきし破壊の神よ。
我が声にこたえ、その呪われし力を存分にふるえ……」
言っているあいだにスライムの振動が止まり、こちらに向かってくる勢いが増した。
コシンジュは必死にまわりを払いながら、とうとう完全に取り囲まれてしまった事実を知る。
しかし、上空に強い風が吹いているのを感じた。
少しだけ見上げると、まわりから吹き上げる風が天空に集まって空気のゆがみを作り出している。
やがて強い緑色の光を放って、そこから明らかに普通の大きさではない人の形が現れた。
それをじっくり確認している余裕もなく、コシンジュはスライム払いに集中する。
「『旋風の姫君ヴァレイア』。
今度はあなたですか……」
トナシェの紹介にコシンジュはちらちらと上空をうかがう。
空中に静止する人型は女性の姿をしており、露出度が高く手足やウェストがむき出しになっている。
簡易な鎧のようなものを身にまとった彼女は肌が緑色に染まっており、頭には口以外がすっぽりとドラゴンの頭蓋骨のようなものにおおわれている。
そして手には、長いチェーンがついた振り子のようなものを手にしている。
緑色の女性は口を開いた。
「下がれ。我が足元へ来い」
「コシンジュさん、はやくっっ!」
トナシェに袖を引っ張られ、コシンジュはヴァレイアの足元に立った。
すると上空の女性は振り子のチェーンを下に少しおろすと、それを思いきり振り始めた。
やがて周囲に激しい風が吹き始めた。
コシンジュとトナシェは身を寄せ合うが、不思議なことに彼らがいる場所だけは風が巻き起こらない。
やがて周囲をおおいつくしていたスライムの大群が、ブツブツと飛び散りながら上空へと舞い上がる。
砂の嵐を巻き起こしていたときとはまったく別次元の勢いだ。
やがて目の前全体が大小の黒々とした水玉模様におおわれていく。
ビュンビュン風を切る音が鳴りひびくなか、コシンジュはトナシェに問いかけた。
「破壊神にしちゃずいぶんと親切だなっ!」
「破壊神には主に地水火風4つの属性があって、それぞれ2つの神がついています!
さらにその2つは『表の破壊神』、『裏の破壊神』と呼ばれています。
彼女は風属性の裏破壊神、このあいだ呼びだしたフェリスと対の存在になっています!
裏の破壊神は基本的には比較的おだやかで、神経を逆なでしてむやみに怒らせたりしなければこちらに害はありません!
そのぶん破壊力は表の破壊神よりは劣りますが!」
「まったく劣ってないぞっ!
コイツだって随分な威力だっ!」
コシンジュが言いきったところで、ヴァレイアは上空で振り回す振り子の勢いを弱めた。
同時に風の次第に止んでいく。ヴァレイアは振りまわすチェーンをしたからどんどん引っ張り上げると、風は完全にやんでいた。
コシンジュとトナシェが立ち上がった時、まわりにいたスライムは小さな粒ばかりになっており、砂にまかれてこちらに向かってくる勢いを完全に失っていた。
ついでに巨大イカまるごととヤシの木をいくらか持っていかれたのは痛かったが。
空中に浮遊するヴァレイアは、そのままコシンジュ達の視線に入る場所に空中スライドしていき、こちらに振り向く。
あらためて見るとずいぶん派手な格好をしている。緑色の体表をしていなければかなり興奮してしまいそうだ。
「勇者たちよ。
我が姉君、フェリルが世話になったようだな」
「え、あれって姉貴なの?
なんだか妹のほうがずいぶん大人びて……」
コシンジュははっとした。
もしかしたら、彼女はフェリルにしでかしたふるまいを根に持っているのでは……
コシンジュはあわててその場にひざまずいた。
「ご、ごごごっ、ごめんなさいっ!
オレたち、お姉さまにずいぶんな粗相を……!」
一瞬覚悟を決めるコシンジュだったが、ドラゴンのガイコツからのぞく赤い口元はにやりと笑う。
「気にするな。ああでもしないと姉君は動くことはできんのだ。
そのようなことで頭に血がのぼる我ではない」
そしてドクロからのぞく黄色く光る目であたりを見回すと、ふたたびこちらに目を向けてこっくりとうなずいた。
「仕事は終わったようだ。我は再び眠りにつくことだろう。
勇者ども、いずれまた会おう!」
ヴァレイアは少しだけチェーンを伸ばすと、激しく振って勢いよく上空へと飛んでいった。
トナシェが「ありがとー!」と言って笑顔で手を振った。
一方のコシンジュは下を向いてほっと胸をなでおろした。
「よかった、今回はおとなしい奴で。
また巻き添えになりそうかと思ってヒヤヒヤした」
するとマドラゴーラが飛び出してコシンジュをしかりつけてきた。
「そんなこと言ってる場合ですか!
スライムにまかれて窒息死するのは免れたけど、食料が消えてこれからいったいどうやって飢えをしのぐつもりなんですかっ!」
トナシェがそれを聞いて「うぇっ」とつぶやいた。
より過酷な現実に心底げんなりしている顔だ。
「まったくイヤですよっ!?
俺は林の中の土に腰をおろしてれば栄養補給できるけど、2人が死んだ後もずっとこの島で1人きりなんて、耐えられませんからねっ!」
コシンジュは目を片手でおおいながら、もう一方の手をマドラゴーラに向かって払った。
こちらはこちらで悲惨な死が待ち受けているのかもしれないのだ。
革命により王族が失脚したあとも、彼らが築いたシノンジャンボール城はけばけばしい様相を漂わせている。
ただ塗装は新しい城主のノイベッドの指示により落ち着いた黒に統一されている。
ノイベッドは玉座ではなく執務席から立ち上がり、2人の客人を招き入れた。
「これはこれは。チチガム氏にヴィーシャさま。
チチガム氏にお会いするのは久方ぶりですね」
「守備はどうだノイベッド。
人間関係にうとい君にベロンをおさめるのはずいぶん難しそうだが」
ノイベッドはメガネを直しつつ不敵な笑みを浮かべる。
「その辺に関してはお気遣いなく。
我が補佐としてついた錬金術師ビーコンと言う者がいるのですが、これがずいぶん助けになってくれましてね。
ここの貴族たちや魔導師連中との折衝をになってくれてます。
私の欠点とは別に少々そそっかしいところがあるのが玉にキズですが、2人で力を合わせて何とかやってますよ」
「ビーコンか、聞いたことがある。
以前はキロンの大魔導院にいたそうだな。そこにいたロヒインの奴もずいぶん買っていたようだ」
「彼のほうもロヒインにずいぶん目をかけていたそうですね。
もし彼に会うことがあれば、『お互い大役を任されることになりうれしい』と伝えてくれと頼まれましてね」
「よろしく伝えておきますよ」
チチガムはニッコリと答える。
ヴィーシャは興味がないようにあさっての方向を見上げる。
それを見たノイベッドがヴィーシャにも促すように告げた。
「実はおりいって話があるのですが、あなた方2人の旅に、もう1人助っ人を同行させたい」
「助っ人? いったいどんな奴?」
「まあ見てのお楽しみです」
そう言いつつノイベッドは2人が入ってきたのとは別のドアに向かい、「入ってくれ」と告げた。
扉が開かれると、現れた人物にチチガムは少し目を丸くした。
扉の先にいたのはムッツェリである。
彼女が常に身にまとう緑の服に革鎧といういでたちは、豪華な装飾に彩られた城の中では少し違和感がある。
「君は、たしか手紙にあったムッツェリという狩人なのか?」
「そうか、お前があのバカがつくお人よしで食い意地張ってて女好きで、ついでになぜか潔癖症とかいうナゾのヘンタイ小僧の父親か。
まさかお前も同じクセを持っていないだろうな」
ノイベッドとヴィーシャが吹きだした。
一方のチチガムはあからさまに不機嫌な顔をした。
「初対面で息子の悪口を言われたのは初めてだ……」
「あ、あんた、知ってる。たしか南のオランジ村で狩人やってるやつでしょ。
あんたの毒舌ぶりは聞いてたけど、まさかここまでとはね」
笑いながらヴィーシャが指差すと、ムッツェリは無表情で彼女に顔を向けた。
「そう言うお前は、王女という立派な地位にいながら地下のドブネズミどもと組んで諸国を荒らしてまわったという、とんでもないじゃじゃ馬娘だそうだな。
どうだ? ゆゆしき地位を失って地べたを這いずるハメになった気分は」
とたんにヴィーシャの顔色がくもりだす。
早くも見えない火花が飛び散ってチチガムはイヤな予感がした。
あわてて両手を前にあげる。
「お、お前たち、初対面早々険悪なムードを出さない……」
しかしヴィーシャは聞いていないとばかりにムッツェリの前に進み出る。
「あ~ら、あんたたしか狩人だったわね。
見てよ。これ、ノイベッドからもらった最新式の銃。
こいつの威力に比べたらあんたの矢なんてかすり傷程度しかつけられないわよ」
ヴィーシャは背中の銃を指差しながら威圧的に肩をゆする。
一方のムッツェリも一歩前に進み出て相手とにらみあいになる。
「そんなものに頼らなくても、わたしは魔物の骨で作った矢でいつでも敵と戦える。
お前が持っている最新式の銃なんて、いつ弾切れになってもおかしくないだろうが。
大丈夫か? あせってぶっ放し過ぎてあとは足手まとい、なんてことにならなきゃいいのだが」
「あんた、今年でもう23なんだってね。
若く見えるけど、実はトシのいったおばさん、ってことかしら?」
「お前はまだ19なんだとな。
ハタチにもなっていないガキが年上に向かってえらそうな口を聞くな」
2人はとうとう額までズリズリとこすりあっている。
ともに世に見まごう美人だというのに、怒りの形相のせいで台無しになってしまっている。
「早くも険悪なムードだな」
平然と告げるノイベッドに対しチチガムはおろおろするばかりだった。
これから先、いったいどういうことになるのやら。




