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第21話 大海の大魔獣~その4~

 移り変わって、ここは天界。4つの神々が集う真っ白な宮殿は、今日は少々様相がちがう。


 縦に波打つ白い柱のあいだあら光がこぼれ、室内を照らすなか、頭頂部が薄いヴィクトルは広間の中に足を踏み入れた。


「どうしたんだ急に?

 私だけあとから呼び出すなんて、めずらしいことこの上ない」


 広間の最奥、いつもは全員がそろっているはずの4つの金の玉座が、左端が1つ空いている。

 もちろんヴィクトルのものだ。


 そのとなりの席に座る最高神、頭がはげあがったフィロスが、いつもしかめている顔の眉間をさらに深くして問いかける。


「とぼけるなヴィクトル。

 身に覚えがあるはずだ。今さらとぼけた顔でごまかそうとしても無駄なことだぞ」


 となりに座る白い長髪のクイブスも、いつもの真剣な表情をさらに固くして腕を組む。


「お前が最近していることに対し、我々の目をごまかせるなど思ってもいないだろう」


 右端にいる短めの白髪アミスが、悩むような顔つきで片手を軽く上げる。


「2人が言いたいのはこのことだ。

 どうやらヴィクトル、お主は我々に内密で地上に足を運んでいるようだな。

 しかも1回のみならず何度もだ」

「どういうことなのだ。

 我々は天界の長となる際にこう決めたはず。

 我らと対をなす魔界の軍勢が地上に侵攻した場合のみ、それも選ばれし者に我らの力を分け与える以外は、人間たちへの(いや)し以外一切の干渉(かんしょう)をしないと」


 クイブスのきびしい口調に、ヴィクトルは平然と両手をあげる。


「これも必要なことだと判断してね。急ぐ必要があったから相談しないで行った」


 フィロスが大理石のひじ掛けを拳でドン、と叩いた。


「勇者のみならずその同胞(どうほう)まで助けることがかっ!?

 わかっているのか!? これは明らかに我々の取り決めの範疇(はんちゅう)を超えているぞっ!」

「フィロスは怒り心頭だぞ?

 確認を取ったが、同胞に何らかの助言だけを与えて、しかし特別な指図はしなかったそうだな。

 正直、我々に何らかのメリットがあるとは思えないのだがな」


 アミスがいい、クイブスが続く。


「いったい何を考えておる?

 勇者に必要な戦力はそろっているはずだ。剣士、魔導師、そして僧侶。

 戦力の増強の必要性は認めるが、元盗賊(とうぞく)や狩人の存在が魔物どもにとってどこまで戦力になるかわからんが?」

「それのみならず、勇者の父親まで出立するよう仕向けたようだな。

 もう彼らは南の大陸まで手が届く範囲(はんい)にまで近寄っておる。

 なのに遅まきながら増援(ぞうえん)とは、お前の行動に意味はあるのか?」


 フィロスが最後にこう()めくくる。会話の内容が少々おかしい。

 同じころコシンジュとトナシェが海上を漂流しているというのに、それに関する心配は一切していない。

 まるで彼らが助かることを確信しているようだ。


 一連の問いかけに少し黙っていたヴィクトルだったが、やがて少し真面目な表情になった。


「兄者たち。これはたしかに私の一存ではあるが、深く考えた末のことだ」


 そしてヴィクトルは柱の合間から差し込む光に目を向ける。


「正直、今のコシンジュ君では、魔王に打ち勝つことはできない。

 たとえあれだけの魔物を倒し、勇者として立派に成長していたとしてもだ」


 そこでクイブスが、少しため息をついて両手をひじ掛けに付いた。


「わしは、正直あの者に最後まで()ける意味はないと思っている。

 たとえ命を落とし棍棒を奪われたとしても、我々はあれをすぐに回収することができる。

 これは魔王軍が気付いていない重要なことの1つだが」

「そうしたうえで、そばにいるあの剣士なり、あるいはあの子の父親なりに棍棒を継承させればいいだろう。

 あの者らのほうが、我らの力をより有効に使いこなすことができる」


 あとに続くアミスがこう切り出すと、ヴィクトルは首を振った。


「ダメだ。勇者はあくまであの子でなければ。

 あの子こそ我らと、地上における人間たちの絶対的な希望だ」


 そのまっすぐな視線に、クイブスは心底感心したようだ。


「そこまで買うか。

 あのあまりに性根がまっすぐな子供のことを……」

「あの子を最後まで生き残らせるのなら、彼を深く理解する者たちの力が欠かせない、か。

 なるほど、お前の行動にも一理ある」

「話を終わらせるな。

 ヴィクトルの不審(ふしん)な行動はまだある」


 アミスの発言を制したフィロスが、ヴィクトルに向かって真っすぐ指をさした。


「ならばこの問題はどうだ?

 お主、魔王軍侵攻の前に、

 “魔界にも”足を踏み入れておったであろう」


 となりに座る2つの神が、いっせいに「なんだとっ!?」と立ち上がりそうになった。

 彼らはこのことまでは知らなかったようだ。


「は、初耳だ。ヴィクトル、どうやって魔界に足を踏み入れた?」

魑魅魍魎(ちみもうりょう)がすくう世界に入るなど、前代未聞。生きて帰れるはずがない。

 それも信じがたい話だが、なぜだ? お主はそこで何をしなければならなかった?」


 クイブスとアミスに矢継ぎばやにうながされるヴィクトルだったが、おどろいたことに彼はとぼけたような笑みを浮かべた。


「さ~て、何をしたんでしょう?」

「ふざけるなっ!」


 とうとうフィロスは立ち上がってしまい、責め立てるように人差し指を向けた。


「貴様はいったい何を考えておるっ!?

 ここまでの数々の狼藉(ろうぜき)、もはや見捨ててはおけんぞっ!」

「悪いがフィロス、こればかりは何も言えない。

 たとえ大きな口が裂けて、でもだ」


 そう言って人差し指を口に入れて大きく横にずらす。

 あからさまな態度にフィロスはその場を歩きだし、ヴィクトルのそばを通り抜けた。


「我々のほうで調べを進めるっ!

 場合によってはただではおかんぞっっ!」


 1人抜けた広間のなかで、アミスはなだめるような口調になった。


「大丈夫なのかヴィクトル。

 あそこまで怒るとは、本気のようだぞ?」

「なぜあそこまで勝手なことを?

 しかもフィロスのみならず、我々にまで黙って」


 クイブスの問いかけに、神妙になったヴィクトルはうなずいた。

「わかっているだろう。天界とて決して平穏ではない。

 フィロスの最近の態度も問題だが、奴の下には、

『あいつら』がついている……」


 それを聞いて、対面する2つの神が頭を抱えた。

 天界の頂点に立つ彼らでさえ、押さえきることができない者たち。

 それはいったい何者たちだというのか。





 翌日になっても、また翌日になっても救助は来ない。

 仕方なく2人と1匹はイカの上でじっと我慢する。

 退屈になっていたコシンジュは、なんとか話題がないかと頭をめぐらす。


「そうだ、なんで忘れてたんだろう。

 そう言えばトナシェってなんでいつの間にロヒインと仲良くなったんだ?」


 暑さのあまりローブをいちいち身につけなくなっていたトナシェは、ますます日に焼けた顔をコシンジュに向ける。


「魔導師さまですか?

 あ、ひょっとしてバンチアの街であった時のこと言ってます?」

「あれでロヒインの正体がわかっただろ? あの時の拒絶の仕方、尋常(じんじょう)じゃなかった。

 なのにいつの間にか息が合ってただろ」

「ああ、あのことならすぐに反省しました。

 酒場の時はあまりにびっくりして、変なこといろいろ口走っちゃいましたけど、冷静になってみると勇者さまの言ってた通りでした」


 コシンジュがうなずくと、トナシェは少し悲しそうな顔を浮かべる。


「で、その日の夜、見ちゃったんです。

 魔導師さまが、夜中にまた変身してる姿を。

 ロビーにあった鏡に映る姿を見ながら、とても悲しそうな顔をしていました」


 コシンジュは思いだした。

 あのあと自分たちの部屋に帰り、姿見に裸体をさらしながらすぐに泣きくずれていた時のことを。


「その時思ったんです。ああ、この人もそのことでひどく(なや)んでるんだな。

 そう思ったら、修道院に入って反省しろなんていった自分が、すごく恥ずかしくなって」


 そして皮肉まじりの笑みを浮かべる。

 コシンジュはなぐさめるように首を振った。


「で、後日あやまりに行ったんです。

 魔導師さまは気にしなくていいよっていってくれたあと、こんなことを言ったんです」


 そしてトナシェはまっすぐコシンジュの目を見つめた。


「『私自身も、この性分のことで悩んでる。

 正直、気持ちが悪いとすら思う。自分は女のつもりなのに、身体がちがうのは違和感があるってのを通り越して、頭がおかしくなりそうにもなる』って……」


 コシンジュは悲しみを顔に出さずにはいられなかった。

 まさかあいつが、そこまで思いつめているだなんて。


「『でも、悩んでばかりもいられない。

 以前自分の先生にそれを打ち明けたところ、お前の身体にはそれなりの意味があるって言ってくれたって。

 もしそうでなかったとしても、意味なんて自分で作ってしまえばいい。

 そう生まれついてしまった者には、そうなってしまった者にしかわからない世の中の見方があるはずだから』、そうも言ってました」


 最後にトナシェはにっこりと笑った。

 コシンジュも苦笑いを浮かべた。


「そうか、あいつはあいつなりに、答えを見つけてたんだな」


 そう言ってコシンジュは海の向こうを見つめた。

 それがなぐさめになっているかはわからないが、ロヒインはそうやって一生懸命生きているんだろう。

 ふたたび会ったら見方をもっと変えてやらなきゃいけない。


 もしもう一度会えるなら、の話だが。心のすみが少し暗くなる。


「ねえ勇者さま、もしよろしかったらですけど、コシンジュさんって呼ばせてもらっていいですか?」


 コシンジュはちらり、と目線を向けて、ニッコリとしてうなずいた。


「待ってました!

 どっちかっていうと、そっちの方がうれしいっす!」


 トナシェは「わぁっ!」と言って胸の位置で両手を合わせる。


「仲間たちも名前で呼んだ方がいいと思うぞ。

 あいつらもそっちの方が喜ぶから」


 そう言って微笑みを浮かべてふたたび前方に目をやった。

 しかし、目線の先に何か違和感があった。

 コシンジュの顔はすぐに真剣なものになる。トナシェがその顔をのぞき込む。


「勇者さ……コシンジュさん?」


 呼ばれてすぐに前方を指差した。

 彼女も同じ方向に目を向けると、その口がぽかんと開かれて軽く手で押さえられた。


「……うそっ! あれって……!」


 コシンジュはよく目をこらす。間違いない。


「陸地だっ! 陸地があったぞっっ!」


 2人は顔を合わせ、喜びに笑みを浮かべると、両手を大きく広げて抱き合った。


「「……やったーーーーーーーーーーっっっ!」」


 しかしすぐに肌が密着する感触に気づく。

 お互い裸同然の格好をしていたので、2人はすぐに身体を離して赤面して前に向き直った。横ではマドラゴーラがニヤニヤし続けている。





 やがて生イカダが浜辺に上陸すると、衣服を身にまとったコシンジュとトナシェはすぐに砂の上に足を踏み入れた。

 陸地に近づくごとに残念なことに大陸ではなく、孤島だということを思い知らされ2人は幻滅(げんめつ)したが、久々の陸地ということで感動を覚えつつその場を歩きだした。


「よし、まずは食えるものがあるかどうかだ。

 もうイカばかりの食事はゴメンだからな」


 するとトナシェが目の前の一風変わった樹の上を指差した。


「あれ、ヤシの木ですよ?

 実がなってないかどうか見てみましょう」


 斜めに伸びる木の幹の上に、シダのような葉がいくつか伸びている。

 その根元に、大きくて黄色い実がなっていることに気づいた。


「おっしゃぁっ! じゃあさっそく取りに行くぜ!」


 コシンジュはブーツを脱ぐと、すぐに木の幹に手足をかけて登り始めた。

 はじめて登る木だが何とかやれないことはない。


 そして実のところまでたどり着くと、根元をつかんでぐいと引っぱった。

 ポロっと落ちた身はそのまま砂の上に叩きつけられる。

 飛び降りたコシンジュはトナシェのもとへ大きな実を持っていく。


「真っ二つに割ってください。

 中に果汁が入ってるので出来るだけこぼさないように」


 コシンジュはトナシェを連れて近くの岩場に持っていくと、身を思い切りぶつけ言われたとおり真っ二つにする。

 多少汁がこぼれたのであわてて水平にし、片方をトナシェに分け与える。


 そして2人とも中の汁を飲み干すと、いっせいに声を合わせた。


「「お~いし(ち)~い」」


 トナシェはそのあと中の身を取り出し、手づかみでパクパク食べ始めた。

 コシンジュもそれにならう。こちらの方は汁と違ってひかえめな甘さだが、なかなかおいしい。


 久しぶりのイカ以外の食事に満足すると、2人はそろって砂の上に寝そべった。


「はぁ。生きてて良かったぁ」

「安心するのはまだ早いですよ。

 今のうちに、木の実はとれるだけとっといとかないと」


 マドラゴーラが幹に両側の葉を当てている。コシンジュは手を振った。


「やめとこうぜ。腐ったらどうしようもない」


 しかし、それで現実を思い出す。

 当面はこの島にあるものでしのげるが、その先はどうなるかわかったものではない。


 コシンジュは海の先の彼方を見つめた。

 この小さな島で、どれくらいしのげるか。本当の勝負はここからだった。

 あせってはいけない。となりにいる小さな笑顔を守れるのは、今は自分しかいないのだから。

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