第21話 大海の大魔獣~その3~
「『氷結の女帝フェリル』、現れたのはお前か!」
トナシェの声にこたえるように、両手を組む少女はゆっくりと目を開いた。
すると、なぜか不機嫌そうに眉を細めている。
「みなさんっ!
持ってる武器で防御しておいた方がいいですっ!」
そう言うとトナシェは床の下に隠れてしまった。
もう一度チョウチョ少女を見ると、クラーケンのほうを見ておびえる表情になっている。
「き、ききき……」
明らかに叫びをあげようとしている。
コシンジュはあわてつつ棍棒を前に構え、船員を後ろにひかえさせた。
「……きゃああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」
声いっぱいの叫びとともに、ギュウッと目をつむったフェリルは思いきり羽をばたつかせる。
するとそこから強烈な冷気が現れ、コシンジュ達の眼前に飛びかかった。
「ぐうぅぅぅっっっ!」
場合によっては棍棒のわきをすり抜ける魔法攻撃だが、今回は幸い放射的な攻撃だったのでバリアを張ったかのように円形に広がり、コシンジュ達の身は大丈夫だった。
それでも、相当な寒さがあり濡れた身体にはかなりこたえる。
「うぅぅ、寒い……」
後ろの船員まで両腕を抱えてブルブルふるえだす。
コシンジュの口からも文句が飛び出す。
「くそっ! 今回は出てきて早々に大魔法かよっ!
毎回毎回手間かけさせやがるっ!」
言いきったところでようやく吹雪がやんだ。
棍棒を下ろすと、船の上は白一色になっており、そこらじゅうに霜のようなものが浮かび上がっている。
船の後ろに目を向けると、巨大なクラーケンも白一色に染まっているが、ほんの少しだけ動けるようだ。
「あ、あれ? また勝手なことしちゃいました?
なんだか、ごめんなさい」
反対を見上げるとチョウチョ少女はていねいにもペコリとあやまる。
性格は悪くないようだが……
「お前が破壊神扱いされたのはそのおっちょこちょいさだな。
出てきていきなりの魔法攻撃はやめろよな」
「え、あ、あう……」
しどろもどろになっているフェリルを見て、床下から出てきたトナシェが彼女の前まで出てくる。
「ありがとうフェリル。
だけど仕事は終わってないよ。まだあの化け物は生きてる。ちゃんととどめを刺さないと」
「そ、そんな。わ、わたし、すぐに帰りたいですぅ」
少し冷たい口調のトナシェに、フェリルは明らかにおどおどしている。
コシンジュは首を振りつつトナシェに呼び掛けた。
「やめたれよ。
もう敵の動きは封じられた。このまま棍棒でガツンと……」
すると、うしろのほうでバキバキと音のようなものがひびいている。
見ると氷漬けになったはずのクラーケンが、身体を大きく動かしてメキメキと氷をこわそうとしている。
「不十分だったんです!
もっと攻撃を続けないと完全には倒せませんよっ!?」
トナシェの叫びに、明らかにフェリルの調子がおかしい。
「そんなっ! い、いやです!
あんなの、こわいっ!」
「フェリルッッッッ!」
トナシェがまっすぐ雪の女王をにらみつける。
明らかに普段とは違う。
「やれっ!
奴をやらなければお前は結晶の中には帰れないぞっ!」
「ううぅ、だってぇぇぇ……」
おびえるフェリルをしり目に、トナシェは片手をあげてコシンジュ達に後ろへ振る。
「か、隠れろってことらしい。もっとデカイ攻撃が来るぞ。
おれらは床下に逃げよう」
船員の呼びかけに、コシンジュは振り向いて首を振る。
「それじゃトナシェはどうなる?
彼女が目の前にいたらその身が危ないぞ」
「あ、だったら大丈夫です。
私が前にいて魔法攻撃を防げばいいですから」
メウノがダガーを取り出しながら言うので、コシンジュはうなずいた。
「よし、わかった。頼む」
そしてコシンジュは周りに向かって大声を張り上げた。
「みんなっっっ! デカイ攻撃が来るぞっっっ!
いまのうちに船の下に逃げるんだっっっ!」
「おいっ! 早くしやがれっっ!
さっさとしないとあの化け物が目覚めるぞっっっ!」
船の上にいる人々が急いで集まっているあいだにも、トナシェの挑発が続いている。
「あんまり挑発しすぎんなよ。
氷の重みで船が沈むのはイヤだからな」
コシンジュは通り過ぎながらひかえめな声でうながすが、聞こえていないようだ。
「おらぁっっ! ビビってんじゃねえぞっっ!
こわいのか、こわいのかぁっ! ええっっっ!?」
「ひ、ひ、ひぃぃ……」
明らかにあおり過ぎだ。
きっと終わった頃には相当なことになっているだろう。
トナシェとその前に立つメウノを残し、コシンジュは皆を床下に下ろしたあと、最後に扉を閉めた。
「いやあぁぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っっっ!」
船の下に隠れていても、窓から吹きこんでくる冷気はそれなりのものがあった。
上の2人は大丈夫だろうか。
しばらく待っていて、船の小刻みなゆれはやんだ。
窓の冷気がなくなったのを確認して、コシンジュは上の扉を開こうとするが、開かない。
「どいてコシンジュ」
そう言ってロヒインが扉に杖を当てると、みじかい呪文を発して扉が思い切り開かれた。
これくらいならどうってことはないらしい。
完全にあがりきると、そこはまるで別世界のようだった。
霜は完全に氷になり、ツルツルと光を反射している。
空は次第に雲間から太陽の光が差し込んでいる。
白いチョウチョはその光に照らされていた。
「う、うぅ、終わりました……
それじゃ、失礼しまぁす。うう、ひどいよぉう……」
両手で涙をふいていたフェリルは、クルクルと旋回しながら小さくなっていき、やがて小さなきらめきだけを残すだけとなった。なんだか本当に気の毒である。
後ろの方に目を向ける。黒々と鈍い光を放っていた巨大イカは、いまでは完全に凍りついて青白い影までつくっている。
氷の彫像と化したクラーケンに生きている気配はなかった。
コシンジュのそばでヴァスコがつぶやく。
「おうおう、一面銀世界じゃねえか。
まったく破壊神って奴らはやることなすことムチャクチャだな」
「まったくの無遠慮ですからね。
だからこそ短時間しか戦えないということでもありますが」
そう言うロヒインが船上の2人に目を向ける。
一部だけ床の木の板が残っている場所に、メウノとトナシェは抱き合ってお互いの身体をさすっている。
「トナシェ、これからはもう少し召喚をひかえたらどうだ。
呼び出す本人が危ない目にあい続けてどうする」
イサーシュが声をかけると、トナシェはふるえながらもコクコクとうなずく。
「だ、大丈夫です。
わたし、彼らの扱いには慣れてますから」
半ば強引にメウノの手を振りきると、トナシェは真っ白なクラーケンの彫刻に向かって歩みを進める。
「船の一部がだいぶ破壊されてしまいましたね。
でも、船のまわりが氷の島になってくれたおかげでしばらくは大丈夫でしょう。
修理している時間はいくらでもあるはずです」
「おーい、助けてくれ~~~~~っ!」
船の下からだ。
コシンジュはあわてて手すりのほうに向かうと、下には氷漬けになった海面の上に乗った船員の姿が見える。
先ほど触手に捕まえられていたのと同じ人物だ。コシンジュはハッとする。
「ゴメンッ! 忘れてたっ!
どうやら助かったみたいだなっ!」
そしてヴァスコに振り返り、「船長、ロープを!」と叫んだ。
相手は「あいわかった!」と叫んでさっそく道具を取りに行くが、向かったのは階下だ。。
船の上にあるものはすべて氷漬けになっていて使えない。
そのあいだに、コシンジュはクラーケンを見上げるトナシェのそばに寄った。
「おい、風邪ひくぞ。
お前は早く下に戻ったほうがいい」
トナシェは振り返ると、まだ少しふるえながらもニッコリほほ笑んだ。
「勇者さまこそ、ずぶぬれですよ?
寒くないんですか?」
言われて、コシンジュは思いだしたかのようにふるえが走った。
雲は晴れがかっているが、それでも体を温めるにはほど遠い。
ふと、目の前のクラーケンに目がとまった。
先ほどの船員を捕まえた触手は、おそらく氷漬けにはなっていない。それでもあれだけの攻撃を食らって無事でいられるとは思えないが……
その時、目の前の氷がパリン問われた。
そこから片方だけ、真っ赤にぬれた巨大な瞳がコシンジュ達を見つめた。
コシンジュはすぐにとなりに目を向けたが、時すでに遅くぬるりと動く触手の先がトナシェの身体をからめ取っていた。
「勇者さまぁっっ!」
捕まったとたんに手を伸ばすトナシェ。
コシンジュはとっさにその手をにぎり、あろうことか一緒に上空に持ち上げられる。
「うおぁ~~~~~~~~っっ!
なんじゃこりゃぁぁ~~~~~~っっ!」
仲間たちの叫びが聞こえたときには、もうだいぶ上の方まで上がっていた。上にいるトナシェの顔が苦痛にゆがむ。
「勇者、さま。腕が……」
コシンジュはいったん棍棒をしまい、もう一方の手でトナシェのローブにしがみついた。
すると彼女に巻きついていた触手がほどけ、2人は空中に放り投げられる。
「きゃああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!」
叫びをあげるトナシェを抱きかかえ、コシンジュは必死に受け身を取って氷の上に叩きつけられる。
「ぐうぅぅっっ!」幸い高度は低かったのでそれほど痛みを受けずにすんだ。
しかし立ち上がろうとすると、衝撃でヒビが入った氷は徐々に水の中に沈んでいく。
あわててコシンジュはトナシェを立ち上がらせ、崩壊する氷の大地を小走りで走り抜ける。
その時、前方で大きな動きがあった。
クラーケンの巨大な胴体が船体から離れ、少しずつこちらに向かって倒れたのだ。
どうやらあれが最期の力だったらしい。
やがてバキャァン、という音を立ててクラーケンの胴体が横倒しになった。
とたんにその後方にあった氷の床に大きなヒビが入る。
「トナシェっ! あれの上に乗るぞっ!」
相手がうなずくのを確認して、コシンジュはトナシェの手をにぎりながら崩壊する氷の上をかけだした。
頭頂部の三角から乗りあがり、足を滑らせそうになりながらも真横になったクラーケンの胴体にたどり着く。
「コシンジュッ! コシンジュッッッ!」
ロヒインの声だ。
見ると、クラーケンと船のあいだにはだいぶ距離ができている。
「こっちは大丈夫だっ!
ヴァスコ、すぐに小舟を用意してくれるかっ!?」
「ダメだっ! どいつもこいつも氷漬けになってやがる!
ガチガチに固まっててビクともしねえっ!
救助にはしばらくかかる、ガマンしてくれ!」
「こいつがイカダの代わりをしてくれる! しばらくは大丈夫だ!」
そしてコシンジュはトナシェのほうを向いた。
彼女は船を見つめたまま不安な表情をしている。
「大丈夫だ。きっとすぐに助けてくれる」
その小さな肩に手をかけると、トナシェはせいいっぱいの笑顔を向けてくれた。
しかし、時間がたつごとに船と生イカダとの距離は離れていく。トナシェが不安な言葉を口にした。
「どうして!?
船長さんたちが作業しているあいだにも、向こうとの距離がどんどん開いてく!」
「きっとこっちと向こうの重量に差があるんだ。
こっちか、あるいは向こうが独特の海流か風に流されて勝手に動いているに違いない」
コシンジュが頭を抱えつつ見回していると、生イカダの表面に張り付いていた氷は日差しを浴びてどんどん溶けていく。
コシンジュは袋の中をつつき、マドラゴーラを呼び出した。
黒い瞳がついた花びらが「どうしたんです?」と声をかけてくると、コシンジュは返事をせずに自分の肩に指をさした。
2つにまとまった根を器用に動かして肩に飛び乗るのを見て、コシンジュはヒザをついて足元に散らばっていた氷をかき集め、袋に詰めた。
「なにしてるんです?」
トナシェが問いかけるような視線を向けると、コシンジュはあきらめて首を振った。
「時間がかなりかかるかもしれない。
今のうちに水分を集められるだけ集めとこう」
マドラゴーラの袋はもともと水筒を改造して作ったものだ。
もともと別の水筒を持参していたので、まさかこんな使い道をするだなんて思いもよらなかったが。
しかし、向こう側から救出の船はいっこうにやってこなかった。
どうやら向こうで相当なトラブルがあったらしい。
この生イカダがまだ生きている時に小舟が壊されてしまったのかもしれない。
あっという間に日暮れを迎えてしまった。
このイカダの氷がかなり溶けてしまっても、いまだに沈まないのが唯一の救いである。
「おなかすいた……」
トナシェがおなかを押さえると、グゥグゥ鳴っている。
コシンジュはそれを見てイカダの端まで行き、クラーケンの顔があった地点まで腰をおろして、作業を始めた。
「なにしてるんです?」
「ああ、ちょっと待って。
う、うぅん。これ、意外とやっかいだな……」
かなりてこずったすえ、コシンジュはようやくそれを引き抜いた。
トナシェのほうまで両手で抱えていくと、ドロドロと粘液をしたたらせたクラーケンの赤い瞳である。
「これ……ですか?」
トナシェは抵抗感を顔に表す。無理もない。
「う~ん、オレも正直気が引けるんだけど、仕方ない」
コシンジュは意を決して、赤い瞳にすすりついた。
粘液が口いっぱいに広がり、ちょっとした塩味が味覚を刺激する。
「うん、意外といけるぞ。ほら、トナシェも」
トナシェも最初は抵抗していたが、やがて自ら赤い瞳を抱えてズズズ、とすすりだした。
2人して両手で抱え、大きな瞳をすすり続けた。
強い日差しで目が覚めた。どうやらとうとう夜が明けてしまったらしい。
飛び起きるように身体を起こすと、あたりに必死に目をこらす。
ない。船の姿がどこにもない!
とうとう船はコシンジュ達の姿を完全に見失ってしまったようだ。
魔法でこちらの位置を探れればいいが、小船が破損していたとしたらどうしようもない。
トナシェはいまだ生イカダの上で寝そべっている。
イカの肌は完全に乾いていて、カゼを引く心配はなさそうだ。
コシンジュはそれをながめつついまだ中身が入っている水筒に口をつけた。
「コシンジュさん、大丈夫なんでしょうか」
マドラゴーラだ。
昨日の赤い瞳から流れた粘液の上に座り、栄養を補給している。
「きっとみんなが船を修理してくれてるはずだ」
気がかりなのは、西の方に大きな雲があることだ。それがこっちにやってこなければいいが。
日がかたむき切らないうちに、空は荒れ模様となった。
降りしきる雨のなか、コシンジュとトナシェは抱き合って身を寄せる。
そばにはマドラゴーラも寄りそう。
「勇者さまっ! こわいっ!」
「大丈夫だっ! しっかりつかまってろっ!」
雨はトナシェが魔法でドームをつくることで何とかしのげるが、荒波にもまれてクラーケンの死体が大きくゆれるのはどうしようもない。
海面に浮かんでいる範囲が広いのが唯一の救いだろう。
コシンジュは自前のナイフをイカの肌に突き刺し、なんとか固定するが、しかしそれでも不安はぬぐえなかった。
雨があがったのは夜中になってからだった。
2人は心身ともに消耗し、くたびれ果てるように眠りについた。
起き上がると、トナシェの調子がおかしい。
目が覚めないままうなされているようだ。額に手を当てると、かなり温度が高い。
「くそっ! とうとう熱が出ちまった!」
昨夜の雨は魔法ドームで防いだものの、ドームの下から流れる水は防ぎきれなかったし、魔法も一時的に解けたのでそのあいだにも2人は雨に打たれた。
服が乾ききらないうちにそのまま一夜を明かしたのがまずかったようだ。
「どうするんですコシンジュさん!」
マドラゴーラの悲鳴に、コシンジュは急いでトナシェのローブを脱がせた。
「なにするんですかっ! 気でも狂ったんですかっ!?」
「ぬれた服が原因だ!
日差しが強いから乾かせば何とかなる!」
完全に脱がせると、ローブを少し離れた場所に広げた。
トナシェは白い下着姿になっている。さすがにそれも脱がすのはまずいので、コシンジュは背中を向けて腰を下ろした。
自分も肌寒くなっているのに気付き、上半身にまとった革の鎧と服を脱いで、ズボンだけになった。
そしてこれからどうすればいいか考え、頭を抱える。
マドラゴーラにはただただ見つめていることしかできなかった。
船は完全にこちらの位置を見失ったようだ。
居場所がわかっていたとしても距離が離れすぎていて、小舟では助けられないかもしれない。
「勇者さま、大丈夫ですか?」
後ろから声をかけられ、コシンジュはウトウトと居眠りしていたことに気づく。
振り返ると同時に「きゃっ!」という悲鳴が聞こえ、すぐに顔を戻した。
「ご、ごめん、あと勝手に脱がせて悪かった……」
途中で声が消え入りそうになる。トナシェは後ろから声をかけた。
「わたしを助けるためですよね。大丈夫ですよ」
そして彼女は身を起こし、コシンジュのそばでもう一度腰を下ろす。
2歳も下の少女だが、ふわっと甘い香りがただよう。
年上が好みのコシンジュだが、妙に意識してしまう。
「助けが来るの、むずかしくなっちゃいましたよね」
「それより、体調は大丈夫なのか?」
「それなら大丈夫です。
治療魔法を自分にかけましたから」
「治療魔法? そんなのがあんのか」
コシンジュは振り返りそうになり、あわてて顔を戻した。
後ろのトナシェがクスクスと笑う。
「一般的ではないですけどね。
僧侶さまの治療術は即時に効果を発揮するのに対して、こちらは呪文を唱えなければいけませんから。
でも治療術が自分にはかけられないのとは違って、治療魔法は自分にも掛けられます。
僧侶さまの中には治療魔法だけを覚えている人も多いとか。きっとメウノさまもそうだと思いますよ」
「ふーん、そうなのか……」
コシンジュはアゴに手を触れつつ、はるか水平線に目をこらした。
「船のことなんだけど、あれだけの嵐でだいぶ流されちゃったから、すぐに助けに来るのは難しそうだな」
「このイカダ、どこに行くんでしょうね」
「う~ん、同じ海流には乗ってるはずだから、いずれは陸地にたどり着くとは思うけど」
「問題なのは、まず食料ですね。
このイカ、腐らないといいですけど」
コシンジュは「それなら」と言って、立ち上がると思い切り海の中に飛び込んだ。
「勇者さまっっ!」
ぼう然と立ち尽くすトナシェだったが、やがてコシンジュは片手で何かを持って、ずぶぬれの状態でいかだの上に身体を持ち上げた。
片手には長く伸びる何かを持っている。
「ほら、海水に浸かった触手は腐らない。
先っちょのほうなら全然いけるだろう」
触手をぐいぐい引っ張っていくと、トナシェのそばで下ろした。細い先端は白くなっている。
コシンジュは腰を落とすと、ナイフを取り出してその先端を斬り落とそうとする。
弾力があって苦労していたが、やがてトナシェに向かって小さくなったそれを差し出した。
「ほら、どんな味がするかわからないけど、とりあえず食べてみろ」
両手に持って、それをほうばる。
グニグニと反発してかみにくかったが、なんとか飲み込むのに成功した。
「う~ん、目玉と違ってあんまりおいしくない」
「だけど腹の足しになる。これでしばらく持つだろう」
「食い物のほうはね。ですけど、水のほうはどうなんです?」
マドラゴーラが空になった自分の袋を見つめてつぶやく。
トナシェはそこで指を鳴らした。
「それなら大丈夫です」
そう言ってトナシェはおもむろに袋をとり上げてイカダの端まで行き、ちょこんと座って海水をくみ上げた。
「トナシェ、いくら世間知らずだからってまさか海水を飲もうっていうわけじゃないだろうな」
まさか塩分濃度の高い海水が身体に良くないことくらい知ってるとは思うが。
そう思っていると、トナシェは袋を抱えたままブツブツと呪文を唱えた。
コシンジュは思いだした。ロヒインが確か魔法で海水を真水に変える呪文があると言っていたことを。
「おお。なんだ知ってたのか」
やがて袋から思い切り何かが飛び出した。
白いトゲトゲのかたまりだ。
「もし遭難した時にってことで、魔導師さまが真っ先に教えてくれたんですよ。
まさか使うことになるなんて思いませんでしたけど」
そう言ってトナシェは水筒をかたむけ、身体に水をこぼしながら飲み干す。
小麦色の肌や白い下着にしたたる水を見て、コシンジュはあわてて目をそむけた。




