プロローグ【後編】
恐らく今日、俺は死ぬのだろう。
奴に殺されるのだ。
この1ヶ月、奴のために護身術を習うなどせず妹と過ごしていた。
起きては妹に癒してもらい、妹の宿題を手伝ってあげた。
親からの小遣いを貯金していた俺はほぼ全てを妹に貢いだ。
どうせ死ぬしな。
それなら、幸せな思い出と共に死にたい。
中学生になった妹を思って、一緒に風呂に入ることはなくなったが、昨日だけは特攻した。
妹も恥ずかしがりながら一緒に入ってくれた。
「もう、悔いは、ない」
昨日は他にも、ノーパソのHDDをフォーマットして新しく買ったのと交換した。
古い方は親の仇のようにこれでもかと粉砕した。
新しく綺麗になったノーパソを妹にあげると、かなり嬉しかったのか抱きついてもらえた。
あと、スマホは初期化して水没させた。
これで残るはアレな本だけだ。
そして、8月31日は資源ごみの日だった。
運命的なものを感じたね。
8月31日深夜1時。
資源ごみを出し、近所の公園に来た。
着ているのは、何度も奴に刺し貫かれている中学のジャージだ。
上も下も青くて、かなりダサい。
それでもかなり愛着があり、草臥れた感じがとても着やすかった。
「夏だからか地球温暖化の所為か、そんな寒くないんだな」
ぽつんと言った一言は公園の暗闇に吸い込まれていった。
自分が死んだら、妹は悲しんでくれるだろうか。
今時の女の子は演技が上手いらしい。
あの笑顔も怒った声も流した涙も全部嘘なのかもしれないと思うと、無性に泣きたくなった。
「彩月の高校入試とか大学入試を手伝いたかった。成人式の晴れ姿を見たかった。一緒に酒を飲みたかった。結婚相手をぶん殴ってやりたかった。ウェディングドレスを見たかった……あぁ、まだ死にたくないなぁ」
嫌われててもいいから妹のそばにいたかった。
だが、無情にもあの気配が近づいてくるのを感じた。
何度も夢に見た奴が近づいてくる。
今すぐ発狂しそうなぐらい頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。
とうとう奴が姿を現した。
いつも通り全身真っ黒で手には鈍く光るナイフ。
闇に中に立つ奴は、我こそが死だと言うかのような存在を出していた。
所詮、夢は夢だったのだ。
『死神』。奴にこそ、ふさわしい呼び名だ。
手足が震えているのに気づいた。
もしかしたら、これも夢なのではないか、そんな甘い考えは己の身体が否定しいるのが分かる。
これこそが現実。これこそが死。
そんなものは一生知りたくなかった。
「よよう、どどどうしたたんだ?こんななよる、おおそくに?」
とりあえず、精一杯威圧する声を出してみたが、ダメだ。
怖すぎる。死ぬのが怖すぎる。
奴は何も応えず一歩一歩着実に死を運んでくる。
俺は足が竦んで一歩も動けない。
あと3歩もない所で奴が初めて声帯を震わせた。
「白坂颯、貴様は何故ここにいる。何故そこまで恐怖する」
訊いているようで訊いていない。
自分自身に問いかけているようだった。
「それが貴様の力というわけか」
(…力?奴は俺の予知夢を知っているのか?)
俺の身体は奴の声を聞いてから震えがより一層増した。
声も、もうまともに出せない。
奴が喋ったことで夢と現実の違いがより際立だった。
もう残すは死を待つだけだ。
奴はブツブツ言った後、再度、数歩前に出た。
奴が振り上げる腕がとてもゆっくりに見える。
月が雲に隠れ、辺りに暗闇が落ち始める。
走馬燈のように過去を思い出すかと思ったら、頭に浮かんだのは、妹の泣いた顔だった。
「くそったれぇぇええ!!!」
奴が振り下ろし始めるのと同時に、俺は奴に掴みかかった。
それでも、奴の手許が狂うことはなかった。
首筋に突き刺さった鉄の塊は嫌でも死を感じさせた。
だが、俺も奴の黒い帽子を弾き飛ばすのに成功する。
雲が月から退き始め、奴に月明かりが降り注ぐ。
「彩月、あい、して…る…」
月明かりに映し出されたのは、妹の顔だった。
8月31日午前6時。
近所の住人が遺体を発見。
残された黒い帽子は遺族の証言から被害者の所持品ではないことが判明。
犯人が残していった物と思われる。
残した理由は不明。
通り魔的犯行ではないかと位置付けられた。
被害者:白坂颯 享年16