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第9話 宗教戦争

 この辺りでは珍しい連日の雨でもアムステルダムの街はいつも通りに機能し、人や物が休むことなく動いていたが、それでも平常と比べれば活気に衰えが見られ、傘を差して通りを歩くだけでも人の少なさに驚くほどだ。

 そんな中でもサスキアはこりもせずに工房を訪れ、ファン・ラインにすげなくあしらわれるということを続けていた。


「わっ! サスキアさん、今日はいらっしゃらないと思ってました」

 湿った外気を引き連れて工房のドアから入っていくと、若いカレルが驚きの声を上げた。



 カレルは15、6歳くらいのクリクリの髪の美少年で、彼に熱を上げているコルネリアの話だと、チェコのどこかにある農村の出身らしい。


 どうしてそんな若い彼がファン・ラインについて戦争に行ったり工房で働いていたりしているのか、コルネリアも気になって聞いてみたらしいが、ファン・ラインと同じ様にあまり自分のことを話したがらない性格らしく、うまく聞き出せなかったようだ。

 しかし彼はファン・ラインに対し、ある種の忠誠心のようなものを持っているらしい事は、サスキアにも普段の様子を見ていても分かった。



「カレル、あなたはいつ見ても素敵ね、どうして今日は来ないと思ったの? いつも来てるじゃない」


「隊長は今日、ハーレムに行っていて不在なんです。知っているかと思ったのですが……」

カレルは美しい顔に申し訳なさそうな表情を浮かべる。それを見てサスキアはひどく悪い事をした気分になった。


「あなたがそんな顔する必要ないわ、それにしても何故ハーレムへ?」


「知り合いの画家に会いに行くと言っていました。夕方には戻ると思いますが――」


「カレル、すまないがおつかいを頼めるか?」

 階段の上からヘラルトが顔を出す。


彼はサスキアに気付くと言った。

「おや、今日はファン・ラインはいないぞ、ハルスとか言う爺さんに会いに、ハーレムへ行ってる」


「カレルに聞いたわ、そう言えばヤンもいないのね」


 ヘラルトはそれを聞いてフンと鼻を鳴らした。

「知らないよ、あれはいつもどこかに行っている人間だ、何をしているのか分からんがね」


 そう言ってヘラルトは、カレルに簡単な指示を与えると、カレルが外に出て行くのを見送った。


「あんたはどうするんだ? ファン・ラインがいなくちゃここにいても仕方ないだろう」

 ヘラルトは決めつけるように言う。

 追い出したいというのではないが、歓迎されている訳でもないようだ。


「せっかく雨の中を来たんだから、お茶の一杯くらい出してくれてもいいんじゃない? それに少し話したいこともあるの」


 ヘラルトはその場で用件を聞こうと口を開きかけるが、サスキアが周囲を窺うような様子を見せているのに気付いたようだ。


「あんたの言う通りにする義理もないが、まあ茶の一杯くらい付き合ってもいい。上がってくれ」



 二人は連れ立って二階に上がる。外では風が強くなってきたようで、雨粒が窓を叩く音が聞こえてきた。


「さあ、話とやらを聞こうか」

 ヘラルトはぞんざいな口調で言う。


 だがテーブルについたサスキアに茶を差し出す仕草は丁寧なものだった。

「何かファン・ラインに聞かせられないような事でもあるのか?」


「ある意味ではそうかもしれないわね、また狼男事件の被害者が出た事は知ってる?」


 ヘラルトは軽くうなずき、なるほどと呟いた。

「確かにファン・ラインは嫌な顔するだろうな。その話は知ってるが、それがどうしたんだ?」


「今回殺されたのはフランスから弾圧を逃れてやってきた、アルビジョア派の商人だそうよ。今月に入って彼らに殺されたのは4人、そのすべてが教会に異端とされてきた宗派に属している人達だわ」


「それも知っているが、この街じゃ別にそういう奴らは珍しくもない、たまたまじゃないのか?」

 ヘラルトは落ち着いた声で返す。



 強力なカトリック国であるスペインから独立を果たした北ホラント八州、つまりオランダはプロテスタントの国と言われているが、宗教的には非常に寛容な国で、宗教を理由に母国から弾圧を受けてきた者達を受け入れてきた。

 中でもこのアムステルダムはその傾向が強く、他国からやってきた商人達のネットワークを活かし、経済的に繁栄を続けている街だ。


 当然、街で見かける外国人は多く、永住しているにせよ、一時的に滞在しているにせよ、通りを歩いている者を適当に捕まえれば、それが外国人や異端宗教の信者である確率は高いと言えよう。



 だがサスキアは、ヘラルトほどに落ち着いてはいられなかった。

「それだけじゃないのよ、何故だか街の人は事件を旧教徒による犯行だと確信しているの。妙な噂に踊らされているみたいなのだけれど、気の短い人達はもう徒党を組んで犯人探しを始めているわ。外からやってきた商人やこの街の住人の中で旧教徒だという人を片っ端から締め上げてね」


 それを聞いてヘラルトは、あからさまな侮蔑の表情を浮かべた。

「なるほど、自警団気取りという訳か。そういう手合いは自分達が街の治安を乱していることに気が付かないものだからな」


 サスキアは暗い顔で頷いた。

「カトリックの人達の中にはすでに地下に隠れ住んだり、彼らに対抗した組織を作り上げたりしているそうよ、これも噂話だから何とも言えないのだけれど、この反目が大きくなれば大変なことになるわ」


 ヘラルトが深い溜息をつく。

 


 外からは相変わらず雨の音が聞こえており、まるで外で何かが行われているのを覆い隠しているように感じられた。


「確かにファン・ラインの好きそうな話だな、こういう宗教絡みのネタは、あの戦争を思い出しちまう――」


 ヘラルトが窓の外に目をやる。

 二階の窓は小さく、天候のせいで曇ってしまい、まったく外の様子は分からないが、それでもヘラルトは、視線の先に何かあるかのように一点をみつめていた。



「……ねえ、何故彼はあんなに戦争のことを話したがらないのかしら? 普通、男の人ってもっと自分がどんな風に手柄を立てたか、話したがるものだと思ってたわ」


「それはどんな戦争に、どういう立場でいたかによるだろう。それにファン・ライン自身はあの戦争で、一つの手柄も立てちゃいないと思っているはずだ」


「どういうこと? 以前、東インド会社の人と食事をした時は、彼、英雄だなんて言われていたけど」


「本当か? リュッツェンの事を知っているのは、そう多くないと思っていた…… だがまあ、周りにどう言われようが、あれには何の関係もないだろうよ。あいつはリュッツェンでの事を、ただ義務を果たしただけだと考えてる」


「一体何があったの?」

 サスキアは出来る限り好奇心を抑えて聞いた。


 ファン・ライン自身は滅多に自分のことをしゃべったりしないので、彼の考えについて外からは測り難い部分が多々あるが、事によるとこの話は、彼の根幹に関わる部分にまで及ぶかもしれない。


 それにヘラルトにしても、ためらいがちな表情を見せてはいるが、むしろ話したがっているように見える。



 突然、ヘラルトは扉の方を振り向き、声を張り上げた。

「ヤン・リーフェンス! いるんだろう、あんたも話を聞きたいのか?」



 少し間があって、ゆっくりと扉が開く。そこにはいたずらっぽく恥じらいの表情を浮かべたヤンが立っていた。

「すまない、何やら面白そうな話が聞こえたものでね、それにしても、よく気付いたじゃないか」


「当然だ、俺たちは戦争の間中、ずっとそんな事をしていたんだからな。あんたもファン・ラインの昔話に興味があるのか?」


「非常に」

 ヤンはわずかに目つきを鋭くして答える。

 ヘラルトはフンと鼻を鳴らし、椅子の背にもたれかかった。


「二人共、マクデブルグの話は聞いた事があるか?」


 サスキアとヤンは顔を見合わせる。


 質問に答えたのはヤンの方だった。

「ああ、2年前にカ旧教徒の軍隊から酷い略奪を受けたところだろう。もちろん聞いた事がある。かなり有名な話だからな」


「そうだろうよ、何しろ街一つがまるごと焼けて、3万人いた住人が5千人にまで減っちまったって話だからな。生き残った住人もほとんどが女子供で…… いや、言わなくても想像がつくだろう」


 サスキアは自分の顔からサッと血の気が引いていくのを感じた。



 戦争で外敵の侵入を許した街がどんな目に遭うか、ヘラルトに教えてもらうまでもない。


 ヤンも顔色こそ変えはしなかったが、やはり察しがついたらしくきつく口を閉じている。ヘラルトはそれを見て話を続けた。


「規模は別にしても、あの当時そういう胸糞の悪い話は山程あったし、中には地図から消えちまった村もある。だがあれほどの規模の蛮行はそうそうないだろう。ましてや俺たちは、それを直接この目で見たんだ」


「君達は…… あの惨劇の現場に居合わせたのか――」


ヤンが目をみはって言う。だがヘラルトは首を振った。


「正確には遠くから見ていただけだ。俺たちには手出しできなかったし、実際に止めようと思っても無理だっただろう。だがファン・ラインは、あの惨劇を未だに引きずっているんだと思う」


「あれを見たのか……」

 ヤンは独り言のように呟いた。

「いや、私は話に聞いただけだが、それでも充分に酷い話だと思ったものだ。それを目の当たりにしては、あぁなるのも仕方がないだろう」


「そうね、確かに彼が戦争を嫌う理由は分かったわ」

 サスキアは頷き、顔を上げた。


「でも私にはよく状況が分からないのだけど―― あなた達はスウェーデン軍にいたのでしょう? あなた方の大将さんは何故、あなた達に手出しをさせなかったの? それに私にはファン・ラインが、そんな状況を目の前にして黙っていられるとは思えないわ」


 サスキアの知るファン・ラインのイメージでは、少なくとも上官の命令があるからという理由で黙って見ているような彼の姿は想像できない。

 何しろナイフ一本で追いはぎの集団に立ち向かっていくような男なのだから。


 ヘラルトはサスキアの話を聞いて目をそむけ、何やらしゃべりたくなさそうな顔で首を振る。



 黙り込むヘラルトに替わってヤンが答えた。


「スウェーデン軍はその時マクデブルグにはいなかった、ザクセン候とブランデンブルグ候がスウェーデン軍の領内通過を許可しなかったため、身動きがとれなかったんだ」


 妙に事情に詳しいヤンの顔に、ヘラルトはジロリと目を向ける。


 だがヤンはそれを無視して続けた。

「スウェーデン軍はその場にいなかった。だがヘラルト達はそこにいた。つまり、そこにはいるはずの無い人間だったということなんだろう?」


 疑問の表情を浮かべたサスキアを横目で見て、ヘラルトは仕方ないというように言った。


「ホントはここまで話すつもりはなかったんだ。ファン・ラインほどわかり易く悩んだりはしないが、俺としてもあの時の事は出来るだけ思い出したくなかった。でも中途半端に説明して誤解されるよりは、ちゃんと話した方がいいだろう。 ――言っておくがヤン、あんたの口車に乗った訳じゃないぞ、そんなしてやったような顔するんじゃない」


「そんな顔してないよ」ヤンが言う。

「ただ、非常に興味があることは否定しない。話してくれないか、ファン・ラインや君たちが、一体何者だったのかを……」


 サスキアもそれに同調してうなずく。



 本当のところ、聞く事に躊躇いが無かったわけではない。


 ヘラルトの話を聞けば、今までサスキアが持っていたファン・ラインのイメージは変容してしまい、それは二人の関係にも影響を及ぼすだろう。


 だが、そうは言っても聞かずにすませられる訳がなかった。


「良いだろう」


 ヘラルトは、サスキアが心を決めたのを確かめて言った。


「少し長くなるが話してやる。あいつには俺がしゃべったってこと、言うんじゃないぞ」


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