第6話 謀者たちの宴(後編)
「いまやヴェネチアは交易のメインストリームから外れつつあり、地中海は昔のような歴史や経済の表舞台ではなくなっています。
そして次に来るのが何かということですが…… その候補を一つに絞るのは難しいでしょう。
大西洋への出発点になるナント、カディス。バルト海の玄関口、ストックホルム、アルハンゲリスク。宗教的に寛容で、様々な人種が集まる国際都市ロンドン、ハンブルグ―― そしてここアムステルダムも、その候補の一つでしょうな」
ヤンは堂々とした口調で東インド会社の役員相手にビジネスの話をしている。
交易ビジネスの最先端を行く連中相手にこれだけ堂々と自分の考えを述べ、しかもそれが受け入れられているのを見て、ファン・ラインは素直に感心していた。
「なるほど、リーフェンス君は大層このビジネスに長じているようだが、君はここに来る前、一体何をしていたのだね?」
昼食会の主催者格らしい、やたらとひげの濃い男が質問する。
この男の名前も聞いていたはずだが、ファン・ラインは思い出せなかった。
「アムステルダムに来る前は海軍にいました。と言っても実際に戦闘に参加したことはなくて、物資の調達と連絡が主な任務でしたが」
それはファン・ラインにとっても初耳だった。
オランダ国軍に所属している事は知っていたが、どこか南部の方でベルギーに居座るスペイン軍と戦っていたと思っていたので、海軍にいたと聞かされて少なからず驚いた。
ファン・ラインとヤンのいた士官学校では、主に陸戦についての指揮や運用について学んでいたのだが、海上戦闘に関することはほとんど何もしていなかったからだ。
――それにしても何故、黙っていたのだろうか?
ファン・ラインは虚ろな目を周囲に向けて考え込んだ。
そもそも彼の言葉をまるまる信用することはできない。
戦闘に加わったことがないなどと言っていたが、強盗に銃を向けた時の構え方や普段の言動などから、それなりに戦場を経験していることは推測できる。
海軍にいたというのはおそらく本当のことだろうが、結局のところ彼が何を考えて言っているのか、ファン・ラインには全く分からなかった。
「君の軍歴はどうなのだね、ファン・ライン君」
再び急に話しかけられてギョッとしたが、驚いた理由はそれだけではなかった。
この昼食会の席では、自分の軍隊経験について話した覚えはなかった。
軍人らしい風貌と装いを身にまとった貴族的な雰囲気をもった男が、訳知り顔な笑みを浮かべてこちらを見ている。おそらくどこか地方の小領主なのだろう。
彼はファン・ラインの驚きを見て言った。
「私も元傭兵なのだ。この街ではあまり知られていないようだが、傭兵の間では君の名前は有名だよ、リュッツェンの英雄くん」
「……」
「君の輝かしい戦績を是非とも聞かせて頂きたいな」
ファン・ラインは貴族的な男の柔和な笑みに押され、窮地に陥っていた。
人前であろうとなかろうと戦争の話など絶対にしたくなかったし、彼らとておびただしい死体の山や焼け落ちた家の話、その中で見つかるかつての生活の跡や、人であったはずの何かの話など聞きたがるとは思えない。そもそも自分には、輝かしい戦績など一つたりともないのだ。
「残念ながら戦争についてあまり話せる事はないですね。私はスウェーデン軍に傭兵として雇われていましたが、部隊運用の仕事ばっかりで、リュッツェン以外の戦闘には参加していないのですよ」
必ずしも事実とは言えないが、これでしゃべりたくないという意思は伝わるはずだ。
それが失礼と取られたとしても、こっちの知った事ではない。
戦績とは即ちどこで誰を、あるいはどれだけ殺したかという事に等しい。
国を後ろ盾に戦う国家軍人や、名誉のために戦う騎士、宗教の名の下に戦う宗教騎士団など、大義を持って戦う者達と違い、傭兵にはあまり気持ちの良い話題ではない。
もっとも、そういった雰囲気は部隊によって大きく違うため、傭兵の中には自分の功績を滔々としゃべくる者もいる。
だがかの男がそう望んだところで、自分がそれに付き合う理由にはならないだろう。
たとえ英雄と呼ばれたとしてもだ。
「スウェーデンで思い出したのですが、1月に狼男で殺された男はスウェーデンとの取引で財産を築いた男だったそうですね」
ヤンが場にそぐわない声量で、話を違う方向へ持っていく。ファン・ラインは素早くヤンに目配せした。
――貸し一つだ。
「確かにそう言われてはいるが、実情は簡単ではないな」
事情に通じていそうな赤ら顔の男が言う。
既にワインが回って舌が滑らかになっているようだ。
「スウェーデン産の鉄鋼の輸入は今、トリップ家によってほぼ独占されている。彼らはそれをここオランダで武器に加工してヨーロッパ中に売りさばいているが、彼はその販売網の一部分を担う、つまりは『死の商人』の一人だったのだ」
出来立てのスープも一気に冷めるような一語を赤ら顔の男は平然と吐く。
女性陣の表情が凍りつく中、男は尚も続けた。
「それに死んだ彼については色々噂がある。彼はどこかの国に雇われてるとか、どこかの王族のために兵器を調達していたとかね」
「そのために彼は殺されたのでしょうか?」ヤンはその場の雰囲気に合った、落ち着いた声色で聞く。
だがファン・ラインには彼がその答えを、見た目以上に欲しているように思えてならなかった。
「つまり、彼らに敵対する人物による暗殺とか」
「それならもっと影響力を持った人物を狙うのでは?」
小領主風の男が言った。
「そう言えばドイツの民話では、狼男は悪辣な為政者から民衆を守る存在だそうだ。今までの被害者がどうなのか知らないが、彼らは教会の敵を標的にしているのかもしれないな」
つまりは新教徒がそうだと言いたいのだろうか。
教会から異端とされ、迫害されているのは新教徒だけではないが、この時代、この戦争ではつまるところ、そういうことなのだろう。
と言っても、この国は元々新教徒の国として独立を果たした国だし、この街は異端審問や迫害を逃れて母国を離れてきた者を受け入れ、大きくなった街だ。
彼の言うことが正しいとしたら、この街全体が狼男の標的となり得る。
昼食会がお開きになった後も、そのことはファン・ラインの頭を悩ませ続けていた。
「何よ、そんなに難しい顔しちゃって、まさか仕事がもらえなかったから落ち込んでるんじゃないでしょうね」
アイレンブルフ家の馬車に揺られて帰る途中、サスキアはロクに口もきかないファン・ラインに言う。
それを聞いてヤンは笑い出した。
「ファン・ラインがそんな事で悩むはずがない。おおかた事件のことでも考えてるんだ、そうだろう?」
――あるいはお前の過去についてだ――。
とは言わなかったが、どちらにしても此度の昼食会は、いくつかの疑念を抱かせるものだった。
ヤンの言うとおり、狼男事件も疑念の一つであったが、そもそもそれはファン・ラインが頭を悩ませるべき問題ではない。
それならいっそサスキアの言うように、自分の仕事について考えるべきだろう。
だが戦争の嫌な記憶を思い出させられたせいで、思考がどうしても絵の方に向かない。
たまらずファン・ラインは言った。
「あの貴族っぽい格好をした男は何者なんだ?」
「フランス・バニング・クック、この近くに小さな領地を持ってる男で、この街の自警団の団長をしている男だ」
ヤンは素早く答える。その早さは、あまりにも早過ぎて違和感を覚えるほどだった。
本人もそれに気付いたようで、一瞬顔をしかめた後に取り繕うように付け加えた。
「どうやらお前に並々ならぬ興味を持っているようじゃないか、やはり気になるか?」
「別にそんな事はない。ただ、顔をどこかで見たことがある気がしただけだ」
「彼は自分で元傭兵だと言っていたわ、戦争中にどこかで会った事があるんじゃないかしら?」
ファン・ラインは黙して考え込み、つられてヤンも沈黙する。
しばらくしてサスキアは耐えられないというように言った。
「私の馬車であまり辛気臭い顔しないで頂戴。今日はこれから工房で納品祝いをするんでしょう? あなた達二人がそんな顔してちゃ、みんな楽しめないわよ」
ファン・ラインはびっくりした表情でサスキアの顔を見つめた。
「まさか、参加するつもりじゃないだろうな?」
「もちろん参加するわよ、だって誘われたんですもの」
サスキアは当然のような顔をして言う。
ファン・ラインは横でニヤニヤしているヤンをにらみつけた。
「あら、別に誘ったのはヤンの独断って訳じゃないのよ、むしろ誘ってくれなかったのはあなただけと言ってもいいわ」
深く溜め息をつくファン・ラインの肩に手をかけ、相変わらず顔にニヤニヤ笑いを浮かべながらヤンは言った。
「仕方ないさ、指揮官とは孤独なものだよ。隊長殿」