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第2話 アムステルダムにようこそ

 野営陣地での出来事から一週間と少々。


 アムステルダムも年の暮れに近付き、寒さもより厳しくなってきてはいたが、港の近くに乱立する酒場は季節も時間も関係なしに繁盛していて、ドックで働く人々や船乗り達を温もりとビールで迎えていた。


 

 ファン・ラインも茶色く煤けた壁に囲まれた店のカウンターでビールを手にしていたが、彼らと違って連れがいるわけでもなく、一人で悄然とビールの泡が弾けるのを眺めながら、日常的に遅刻を繰り返す男を待っていた。


 客の大半は船乗りか造船所の船大工のようだったが、中には商人らしい身なりの外国人もいる。

 アムステルダムという街は宗教的にかなり寛容な都市であり、商売のためだけでなく、弾圧を逃れて祖国を離れた者達をも受け入れて成長した街だ。

 ファン・ラインはこの街に着いて早々、その事を知った。


 この中でなら同国人である自分が目立つ事はないだろうと思っていたのだが、時折地元の船大工らしい男が胡散臭そうな顔をこちらに向けてきている。


 最初は独り客が珍しいのかと思っていたが、その内に自分の手元においた荷物が問題なのだと気付いた。

 布でくるまれた腕の長さほどのソレは、どっからどう見ても銃、それも人を撃つ為の銃であり、それを持って港に現れたよそ者はどっからどう見ても傭兵くずれのよそ者だ、と言うことなのだろう。


 政府が東インド会社に他国との交戦権を与える以前から、外洋に赴く船には必ずと言っていいほど戦闘要員が乗り込んでいる。故に港町で傭兵を見かけることは、別段珍しいものではないのだが、それでも傭兵というのは粗暴で金に汚く、街の厄介者というイメージは拭えない。基本的に傭兵とは略奪者と同じなのだ。



「あんたも東インド会社に雇われに来たかい?」

 声をかけられ振り向く。見るとジョッキを片手にした見知らぬ男が柔和な笑みを投げかけていた。


「自前の銃を持ってくるなんて大層気合が入ってるじゃないか、どこから来たんだ?」


 男の顔は既にビールで赤く彩られていた。これほどの酔いならどんな答えが返ってきても、結果は同じだろう。ファン・ラインは適当に答えてさっさと追い払ってしまおうと決めた。


「東の方から来たんだ。でも東インド会社とは関係ないよ、人を待ってるんだ」


 最後の一言は『そいつが来る前にとっとと消えてくれ』という意味で言ったのだが、男は気付かないどころか逆に興味を持ったように、隣の椅子を引き寄せてドカッと座り込んだ。


「向こうじゃ旧教徒共との戦争がエライ盛り上がったらしいじゃないか、それにしてもまた何でここへ?」


 こちらの顔を覗きこむ彼の表情を見る限り、彼が人と話をしたがっていることは明白だった。それに座り込まれては容易に追い払うことはできない。


 ファン・ラインは半ば諦めて話に付き合うことにした。

「こっちで商売を始めようと思ってきたんだ。と言ってもこっちの仕事じゃないけどね」そう言って脇の銃を示す。

「あんたはどこから?」


 酔っ払いは人の話を聞くよりも自分の話をする方を好む。というより、人の話を聞いてもほとんど聞いていないようなものだ。適当に話させ、飲ませて疲れさせるに限る。


 思った通り彼は話にのってきた。

「俺はハーレムさ。でも取引の中心がこっちに向いてきたから、ここで一旗上げようとやってきたんだ」



 それから彼は半時間ほど、自分の戦歴や今までに航海した場所、生まれた土地から父親の仕事までを洗いざらいしゃべり通した。

 その内容を要約すると、男の名はヘリット・ルーデンス、41歳、毛織商人の息子で現在独身。一度ジャワ島に向かう船に船員として乗り込み、上陸先で略奪を働いて味をしめたらしい。

 それ以降、傭兵として太平洋を横断する危険な航海を続け、今では結構な資産を持っているとのことだ。


「あんたも傭兵だろ? 向こうじゃ相当いい思いをしたんじゃないか?」


 ヘリットはさも当然だというように言う。

 ファン・ラインの胸の内で嫌な感触が頭をもたげ始めた。

  

「話には聞いてるぜ、そっちの戦争じゃ、戦闘の後は草一本残らないって話じゃないか」


「そんな事はないよ、俺達は略奪はやらなかった。スウェーデン軍はちゃんと給料を払ってくれたからね」


 確かにそれは事実だった。だが給料がもらえるのは渋る主計官と散々やり合った挙句、彼の侮蔑の表情を見てからでなければならなかったということについては、言及を控えることにした。


「おいおい冗談よせよ、俺は本当の事を言ったんだぜ?」

 彼は再びこちらの顔を覗き込むようにして言う。

 先ほどよりもだいぶ酔いが回っている様子だった。

「お前さんも同類だろう? なに、隠す事はない。妙な事言う奴がいたら俺が黙らせてやるからよ」


「信じようが信じまいが勝手だけどね―― もうその話はよそう、戦争に関して俺はあまりいい思い出がないんだ」


「思い出がなんだって?」

 後ろから急に声をかけられギョッとして振り向くと、見知った顔がニヤニヤ笑いを浮かべて立っていた。


「思い出話なんて年をとったな、ファン・ライン」


「ヤン、遅かったじゃないか。遅刻癖は相変わらずか?」

 ファン・ラインは彼の皮肉を無視し、遅刻を嗜める。

 彼とは昔からの付き合いだが、待ち合わせに時間通りに来たことは一度もなかった。


「すまない、ちょっと用事があったんだ。 ――ちょっとそこを譲ってもらえないか? 俺はこの男に用があるんだ」

 毎度の言い訳を口にするとヤンはルーデンス氏の肩を叩いて言う。彼は腑に落ちないという表情でファン・ラインの顔を睨みながら、フラフラとどこかへ消えていった。


「ヘラルトや他の仲間はいないのか? 一緒に来ると手紙にはあったが」

 ヤンは隣の椅子にドカッと腰を下ろして聞く。


 ファン・ラインは身振りで一人だと言うことを示してから言った。

「みんなは準備を終えてからこっちに来る。絵の具やなんかを調達しておいて、俺とお前で先に落ち着く場所を整えておくつもりだ。たぶん一週間後くらいにはみんな揃うだろう」


「なるほど、だがそいつだけは肌身離さず、って訳か?」

 ヤンは包みを差して言う。「未だに戦争が忘れられないらしいな、ファン・ライン。そんなものまで持って、やっぱり傭兵稼業が懐かしいんじゃないのか?」


「よしてくれよ、俺はもうそういうのは御免なんだ。この銃だって元々自分の物だから持って帰ってきただけで、別に見せびらかして自慢しようなんて気はない。せいぜい護身用になればいいと思っただけだよ」


 ヤンはニヤリと訳知り顔な笑みを見せた。

「その考えは悪くないかもな、例の連続殺人事件の話を聞いたか?」

 ファン・ラインは黙って首を振る。

 ヤンは得意げな表情を顔に浮かべると、身を乗り出して話し始めた。


「この辺りでは最近、奇妙な惨殺事件が複数起きていてな、遺体には大きな引っかき傷や獣が噛み跡みたいなのがついていて、事件のあったと思われる前後には狼の遠吠えらしきものが複数の人間に聞かれていることから『狼男』による犯行ではないかとの噂がたっているんだ。被害者に共通点らしきものは見当たらないが、いずれも死亡時刻は夜中で、既に10人以上が犠牲になっているんだが、未だに犯人の目撃例はない。どうだ? 面白そうじゃないか?」


 ファン・ラインは顔をしかめた。彼の物の見方には時折、ついていけない部分がある。

 ヤンはファン・ラインの反応には気付かない様子で話を続けた。

「市民の間でもその噂はかなり広まっている。最近じゃ日が落ちてから出歩く地元の人間は滅多にいなくなった。どういうつもりでこの街に来たか知らないが、ここだってそう安全安心ってわけにはいかないぞ」


「俺をこの街に呼んだのはお前だろう」

 ファン・ラインは目立たぬよう控えめに、周りに目を向ける。どうやらこの酒場の中でも噂は聞かれるらしく、何人かが目に怯えを滲ませてこちらを見ている。


 その様子を横目に見てヤンが言った。

「海賊やスペイン海軍にも立ち向かえる船乗り達も、伝説の狼男相手にはさすがに恐怖を感じざるを得まい。この辺りじゃあまり狼男伝説は聞かれないが、ドイツやフランスでは結構多いと聞くから、信じる人も多いんだろうな」


「ドイツとフランスとじゃ、狼男の解釈はだいぶ違うぞ。 ――まあそんな事は別に気にする必要もないだろう。どうせそのうち捕まって化けの皮が剥がれるさ」


 ジョッキを開け、ヤンのビールが来たタイミングでもう一杯注文する。


 ヤンは届いたビールを一口煽ってから言った。

「たぶんお前の言う事は正しいんだろう。だけどこの街の脅威は狼男だけじゃないぜ、これだけ人の多い街だ、船乗りや傭兵同士の喧嘩も多いし治安がいいとは言えない。例えば――」


 ヤンが言いかけた瞬間、酒場の外から馬のいななきが聞こえ、直後に女性の悲鳴のような声が続く。二人は顔を見合わせた。


「――路上強盗とかな」



 ヤンの後の言葉を聞くか聞かないかの内に、ファン・ラインはドアを吹き飛ばしかねない勢いで酒場の外へ駆け出して行った。その背中を呆然としている他の酔客たちと共に見送りながら、ヤンはゆっくりと立ち上がると大仰な身振りを交えて言った。


「みんな驚かせてしまって申し訳ない、彼はそういう男なんだ。女の悲鳴が聞こえたらいの一番に駆けつけて話をややこしくする。昔っからそういう男なんだ」


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