第19話 白日の下へ(後編)
火縄銃手組合とは要するに士官クラブのようなものであり、戦争で腕を振るった将校たちの寄合所みたいなものだと言えよう。
元が将校という事は必然的に、構成員のほとんどが貴族やどこかの地方領主など、社会の一定以上の地位にある人間という事になる。
ファン・ラインが建物の重い扉を開けて中に入った時、そこではタイツを履いた男達が杯を片手に談笑している最中だった。
そこかしこから漂ってくる酒気は、彼らが街の治安を任されているという責務とは似つかわしいものではない。サスキアが見たら渋い顔をするところだろう。
だが酔ってはいても夜警をしているという自覚はあるようで、手元の銃に手をかけ、扉を開けた不意の闖入者に対して不審の目を向けてきた。
「ヴァニング・クック氏はどこです?」
ファン・ラインが言うと、手に酒瓶をぶら下げた男が部屋の奥の扉を指差す。
警戒の色は消えていないものの、銃を向けてこないという事は、彼らが敵でないという事を示しているのではないだろうか。
こちらとしても、酔いの回った彼らなど脅威に値するものではない。
外のヤンに合図して彼らに中に入るよう合図すると、彼らは滑り込むようにして建物の中に入り込んできた。
「おいおい、こんな時間に一体何なんだ君たちは――」
一際目立つ、黄色っぽい服を着た男が慌てて寄って来る。
あんな服を着て夜警に出ていくつもりなのだろうかと考えながら、ファン・ラインは努めて落ち着いた態度で誰何した。
「あなたは?」
「私はここの自警団の副隊長をしているウィレム・ファン・ラウテンブルフという者だ。君達は確か、隊長が契約した工房の――」
「ファン・ラインです。契約どおり狼男を仕留めてきたのでクック隊長に報告にあがりました」
酒気に浸った彼らの脳みそに、驚きが輪のように広がるのが見えるようだった。
それを見るのに多少の満足感はあったが表情には出さず、ヤンにここで待つよう指示すると、ラウテンブルフと名乗った男の横を通り過ぎ、奥の扉を叩いた。
「入りたまえ」
まるで芝居のような、申し分のないタイミングで返事が聞こえる。
相手はどうやら深夜の来訪者を予期していたようだ。
警戒が表情に出ないよう、努めて平静を保って重そうなドアを開く。
部屋に入り、辺りに目を走らせた。
以前、契約の際に来てはいたが、個人の執務室といった体のその部屋に変わった様子はない。
落ち着き払った態度の部屋の主さえそのままで、他には誰もいなかった。
「夜分遅くに失礼します」
ファン・ラインは安全を確認すると、素っ気ない調子で言う。
傍から聞いている者からすれば、本当に失礼だと思っているとはまず考えないだろう。
だがクックは気にした様子もなく、いつもの柔和な笑みを崩さなかった。
「やあ、よく来たね。話は聞こえていたが狼男をやっつけたそうじゃないか。さすが英雄の名に恥じない、立派な功績だ」
いつも通りの気味の悪いほど愛想の良さが、今日は一段と気味悪く思える。
ファン・ラインはきまりが悪くなって目を逸らした。
「君達は契約を果たした。約束どおり、1600ギルダーの残りの半金を払おうじゃないか。それとも支払いに関してはヘラルト君を通した方が良いかね?」
ファン・ラインは黙って首を振る。
実のところ本人を前にして、何といって切り出していいのか分からないでいたのだ。
不思議そうな表情を見せるクックの顔を見ていると、何故だか相手を騙しているような気がして罪悪感を覚える。
自分が〝知っている〟ということを相手に示さない限り、罪悪感は消えないだろう。
ファン・ラインはやっとの思いで言葉を搾り出した。
「クック隊長、いや、フランス・ヴァニング・クック、あなたはこの件に関して責任をとらなければならない」
クックはほんの一瞬、ハッとした表情を強張らせた。
注意して見ていなければまず気付かないほど一瞬のことだった。だがさすがに競争相手の多い毛織物商売で身を立てている彼のこと、すぐに平静を持ち直して、何のことか分からないという顔を作った。
「どういう事だね? ファン・ライン君」
こちらが〝知っている〟という事を相手が〝知った〟以上、もはや騙しているという罪悪感はない。
代わりに相手のしらばっくれる様子がいらだたしく思えてきた。
「お分かりのはずですよ。あなたは狼男、いや騎士団を使って殺人事件を起こさせ、旧教徒と新教徒の間に軋轢を生み出した。双方を刺激することで、この街の治安を乱そうとしたんだ」
「何故わたしがそんな事をしなければならない? わたしはこの街の自警団の隊長なんだぞ、わざわざ自分の管轄で揉め事を引き起こす必要があるかね?」
そう言って椅子に背を預けて足を組む。「そもそも彼ら狼男の狙いは新教徒を殺すことだろう? 新教徒の私がどうしてそんな真似をしようというのだ」
ファン・ラインはだんだんと面倒な気分になってきた。
交渉事の苦手なファン・ラインにとって、相手の自白を引き出して自主させるというのは、あまりにも荷が重い。
ずっと握ったままの銃に目をやる。
最初の内はこれを使って、さっさとカタをつけてしまおうと考えていたのだが、よくよく考えてみなくとも、それはあまり利口な方法ではない事はすぐに分かる。
今度はこっちが殺人事件の犯人として、自警団や憲兵と争う羽目に陥ってしまっては元も子もない。
自分一人ならそれでも逃げ切れる自信はあったが、仲間達も巻き込んでしまう上に、今ではサスキアまでくっついている。
銃を突きつけて口を割らせても同じ事だ。後になって自白を強要されたと言われてしまえば、言い抜けできない。
今更のように自分の置かれた立場にうんざりしながらファン・ラインは溜息をついた。
「クック隊長、あなたは毛織物の貿易にも一枚噛んでいますね? そしてその主な取引相手はイングランドだ」
ファン・ラインの言葉にクックは呆然と頷く。
そのことは秘密でもなんでもない、周知の事実であり、否定する必要もない事だ。
ファン・ラインは続けた。
「もちろんその事自体は別に珍しくもない。イングランドは今、毛織物の輸出が一番盛んな国です。だけどスパイ活動までしているとなると、話は全く違ってくる」
ヴァニング・クックは何の反応も示さず、ただ無表情にこちらを見つめるだけであった。
即座に否定しないのは、それが事実だと認めた証左だろう。とファン・ラインは勝手に決め付けて話を続けた。
「今回の事件は表向き、新教徒に対する旧教徒の攻撃という事になっている。だけど実際は両教徒の対立を利用し、この街の治安を乱すことが目的だったんじゃないですか?」
「さっきも言ったように、私がそんな事をする理由がどこにある?」
クックが口を開き、重たい声が漏れる。「いくらイングランドとの取引があるからといって、それで私がスパイと言うことにはならないだろう。それにそんな事をしたところで、私やイングランドに何の得がある?」
「あるでしょうね。アムステルダムは宗教的自由を保つことで、貿易港としての発展を遂げてきた街です。お陰で今やこの街はバルト海への玄関口としての機能を認められてきました。
――ですがそんな街で宗教対立が起これば、その地位も危うくなる。そしてその次に台頭してくる港は限られてくる。ロンドンなんかはその筆頭に位置するとは思いませんか?」
修辞的な問いかけで締め括ると、なんだか自分が詐欺師になったような気がしてくる。
芝居がかった調子で言いながらファン・ラインは部屋の中を歩き回った。
壁際のチェストには銀色のゴブレットが仰々しく飾ってある。
意味もなくその中を覗きこんでいるとクックが言った。
「イングランド王家がそれを望んでいるとしてだ、騎士団がどうして彼らのために、わざわざオランダまで来て事件を起こそうとするんだね? ドイツ騎士団は言うまでもなく旧教徒に属する集団だが、此度の戦争でイングランドは新教徒の側で戦っていたんだよ。そんな国に彼らが協力するとは考えられないね」
「騎士団とは言いましたが、ドイツ騎士団とは一言も言っていませんよ」
「他にどの騎士団があるというのだね? 」
クックは落ち着いた声で言う。
確かに今どき騎士団と言えば、マルタ島に本拠を置く聖ヨハネ騎士団、通称マルタ騎士団くらいしか存在しない訳だが、銃と大砲の時代にあって彼らの影はますます薄くなるばかりで、その零落のほどはドイツ騎士団とは比べものにならない。
地理的に言ってもこのオランダで人の口に上るのは、まずドイツ騎士団の方で間違いないだろう。
実際のところはドイツ騎士団に吸収されたリヴォニア騎士団の人間だったのだろうが、その辺りを議論していても意味が無い。
ファン・ラインが見ると、クックはいつの間にか椅子を体ごと机に引き寄せ、机の上で手を組んでいた。
リラックスした態度とも言えるし、そう見せかけるための姿勢とも取れる。
或いは別の思惑からそうしているのかもしれない。
ファン・ラインは主導権を取り戻そうと、話を元に戻した。
「もちろん彼らが新教徒のために戦うはずがない、そこであなたの出番だ。
おそらくあなたはイングランドから、アムステルダムの治安を乱すよう指示を受けた。そこであなたは騎士団の連中に旧教徒のフリをするかして近付き、ここアムステルダムでの作戦を提案した。この街は大陸最大規模の武器輸出元になっているから、ここで新教徒を脅かせば大陸中の新教徒軍に対して効果が出るとでも考えたんでしょうね。
もちろんそう上手くいくはずもなかった訳ですが、あなたにとっては望みどおり新教と旧教の対立を作り出すことができた」
「そう都合よくいったとしてだ、そもそもどうやって騎士団なんかと接触するというのだね?」
扉の後ろで微かに人の気配を感じる。誰かが聞き耳をたてているか、鍵穴から覗きこんでいるのだろう。
そんな事をする人物に、ファン・ラインは心当たりがあった。
「あなたなら可能でしょう。戦争中にパッペンハイムの指揮の下、旧教徒軍として戦った経験のあるあなたなら」
パッペンハイムの名前を出したのは大きかったようだ。
彼の顔に一瞬、『何故?』と問いたげな表情が浮かぶ。
すぐに表情は元に戻ってしまったが、完全に疑問を拭い去ることはできない程のショックは与えたらしい。
「何故そんな事を知っているか、それは私もあの戦争にいたからですよ、ヴァニング・クック。
――私もあの悲惨な運命に見舞われた街、マクデブルグにいたのです。そしてあの街が陥落したあの日、あの馬小屋で、あなたが赤子を連れた母親を母子共々殺すところを目撃した」
明らかに何か思い当たることがあったらしい。
彼が何も言えない様子なので、ファン・ラインは続けた。
「私には狼男なんてどうでも良かったんだ。私は戦争の事を忘れたくてこの街に来た、それなのにあなたはこの平和な街に戦争を持ち込もうとしている。
あなたを見ると、どうしても戦争の一番嫌な部分を思い出してしまうんだ」