第18話 白日の下へ(前編)
「スラブ人だな」
灯りの下で狼男の顔を見てヘラルトが言う。
どうやら狼の毛皮は本物らしく、近寄ると獣臭が鼻をつく。
武器らしきものはカギ爪の他に狼の歯型の模型を先端に付けた〝やっとこ〟のようなものを持っていた。
おそらく死体に狼の歯型をつけるためのものなのだろう。
だんだんに人が集まってきた。
野次馬達は凄惨な死体に目を覆いながらも、その死体を仔細に検分するファン・ラインたちに忌避と好奇、両方の感情をもって眺めているようだった。
「これを見ろ」
乱暴に死体の服を脱がせていたファン・ラインが言う。
見ると胸のところに十字架をモチーフにした紋章の刺青が入っている。
どこかで見たような気はするが、十字架モチーフなどヨーロッパではいたる所に存在するため、どれとは断定できなかった。
「何だこりゃ、教会関係者ってことか?」代わりにヘラルトが聞く。
ファン・ラインはあいまいに頷いた。
「これはリヴォニア騎士団の印だ」
「騎士団だって? 今は野戦砲とマスケット銃の時代だぞ、そんな時代錯誤的なもの、まだ存在してたのか?」
「教会が存在する限り、その手の武装組織が残っていてもおかしくはないだろう。もっともリヴォニア騎士団にしたって、ドイツ騎士団に吸収されてほとんど無くなったようなものだがな」
「だが何でこいつら、こんな所でこんなマネを?」
「宗教騎士団というのは教会に忠誠を誓い、教会のために戦う集団だ。今や騎士団も神聖ローマ帝国内に領地をもらって生き延びている封建領主の内の一つにすぎないが、教会が新教徒を敵とするなら彼らだって戦うだろう。教会にも帝国にも良い顔できる絶好の機会だ」
「それにしたって何故ここなんだ? 一体何故アムステルダムなんだろう?」
ヤンは死体を覗き込みながら、まるでそれが答えてくれるのを期待するかのように独語する。
そもそも宗教騎士団は、聖地イェルサレムへの巡礼者を保護する目的で設立された、私設の武装集団である。聖地からロードス島、マルタ島へと居を移した聖ヨハネ騎士団、通称マルタ騎士団が最も有名だろう。
その後イェルサレム王国存続の望みがなくなり、時代も変わって巡礼者の保護という任務から離れたいくつかの騎士団は、ヨーロッパの各地へ散っていった。
そしてアムステルダムの街で山賊まがいの凶行。
どう考えたってパズルのピースが一つか二つ足りない。
ファン・ラインは少し考え込む様子を見せ、チラリと死体に目を向けてから口を開いた。
「想像できないこともないが、それは彼らをプロデュースした相手に聞かない事には分からんだろう。それよりも見るべきものは見たならここに用はない、移動するぞ」
「ちょっと待ちなさい、まだ説明が済んでないわよ」
灯りを掲げていたサスキアが不満そうに言うが、ファン・ラインは気にした様子を見せずに歩き去ろうとする。
その後ろからヘラルトは肩を掴んで引き止めた。
「待てよファン・ライン、俺たちだって何も聞かずには行けないぜ。せめてどこに行くかくらい言ってくれ」
ファン・ラインは肩越しにヘラルトの顔を見返す。
その顔は全くの無表情で、ジッと見つめている間にも、そこから感情は意図を読み取ることは不可能だった。
その場にいる全員がファン・ラインを見つめる。
銃声を聞いて集まった野次馬たちまでもが、事情を知らないままにファン・ラインの反応を待っていた。
「分かったよ、歩きながら話そう、それでいいだろ?」
そう言うとファン・ラインは、たまたま居合わせた巡回中の憲兵に後始末を押し付け、先に立って移動を始める。サスキアもそれにならって付いてきた。
「それはそうと、どこへ行くんだ?」ヘラルトが聞く。
「火縄銃手組合だ。契約どおり狼男を捕まえたんだ、1600ギルダーの半金を受け取らなきゃな」
「……おい、ファン・ライン」
ヘラルトが睨みつけるとファン・ラインは苦笑しながら答えた。
「スマン、どうにも隠し事が習い性になっているみたいだ。まずは順を追って話そう」
そう言ってファン・ラインは振り向いた。
「サスキア、今回の件で俺たち工房のメンバーが関わっている事を知っているのはどれくらいいる?」
急に話を振られ、サスキアは少し戸惑う様子を見せて答えた。
「えっと――、あなた達自身はもちろん、私とコルネリアと、それにヴァニング・クック氏に火縄銃組合の人も知っているはずね。確実に知っていると言えるのはそれくらいじゃないかしら」
「充分だ。それからヤン、お前はイングランドがオランダ政府と防衛協定を結ぼうとしていることは聞いているな?」
ギョッとしてファン・ラインの顔を見る。
その事は政府中枢でも知る者の少ない事実であり、本来ならヤンでさえ知る立場にない情報であった。
「どうやら知っていたみたいだな。だがお前が思っていたよりもこの話は世間に知られている。俺はこの話をハーレムのハルス老人から聞いた」
「そんな話が何だって言うの?」サスキアが言う。
「そのハルスさんが誰か知らないけど、いきなりそんな事言われても家の前で銃撃戦を繰り広げる理由にはならないわよ」
ファン・ラインは首をすくめて目を逸す。
口を尖らせているサスキアをひとまず差し置くことにして、ヤンは前々から感じていた事を聞いた。
「イングランドか…… なるほどな。ファン・ライン、お前は今回の件で糸を引いているのがヴァニング・クック氏だと考えているのか?」
無言で頷くファン・ラインを見てサスキアは信じられないという表情を見せている。
ヘラルトはムッツリとした顔で歩きながら、不満そうな声を出した。
「そりゃ奴の事を調べろと言われた時から薄々感じてはいたけどな、そういう大事な話は先にしておくモンだぜ」
今度ばかりはヤンも驚きを隠せなかった。
「いつの間に彼の事を調べたんだ? 一体いつから……」
ファン・ライン自身は否定していたが、狼男事件には一定の関心を抱いている事は知っていた。
しかし具体的に動いていた事は、ヤンにも初耳だった。
「奴に初めて会った時から気にはなっていた。言っておくが、奴の調べに関してはただの個人的興味からで、狼男事件とは何の関係もない。少なくとも最初の内はな」
「じゃあ何で……」
「そんな事はいい。それよりさっきの話だが、もしイングランドと狼男事件が彼を介して繋がっているとしたら、防衛協定の締結を目前に控えたこの時期に事実が露見するのは非常に都合が悪い。だからおそらく狼男たち…… つまり騎士団の連中はトカゲの尻尾切りに遭ったんじゃないかな」
「じゃあ彼らが私の家に押しかけてきたのは……」
サスキアが信じられないというように言う。
「たぶん、俺たちに彼らを消させようとしたんだろうな」
ファン・ラインが言うと、全員が沈黙する。
そうこうしている内に組合の建物のすぐ近くまで来てしまった。
ファン・ラインは弾薬の装填を命じると、自らも装備の確認を行う。
集会所の窓からは明かりが漏れていて、その中に誰かしらいる事が分かる。 おそらく夜警の交代要員なのだろうが、人数までは分からないし、クックがいるかどうかも分からない。
「どうする? ひとまず建物全部、制圧しちまうか?」
ヘラルトがファン・ラインの顔を見る。
確かに彼らならそれが可能だろう。
だがファン・ラインは気が乗らないといった風に首を振った。
「その必要はないんじゃないか? この件がクック一人によるものなら、他の連中を撃つ必要はない。彼とは俺が話すから、他に人がいるならお前達で見張っていてくれ。もし動きがあるようなら各自の判断に任せる。それからサスキア、君にはヘラルトをつけるから外で待っているんだ」
二人は不満そうな目つきをファン・ラインに向けるが、何も言わずに頷いた。
中の状況がどうなるか分からない以上、サスキアを連れて行く訳にもいかないし、誰かしら護衛もつけておく必要もある。
できればヤン自身も中に入りたくなかったし、護衛も付けて欲しかったが、中で何が起こるか見届けたかったので何も言わずにおいた。
ファン・ラインはその場の人間に一通り目を向け、準備が整った事を確認すると言った。
「さあ行くぞ、この件にケリをつけるんだ」