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第13話 マクデブルグの惨劇

 1631年5月20日、ついにその時が来た。


 城壁の上で白旗が翻り、扉が開かれる。


 その瞬間がどのようにして為されたのか、ファン・ラインは知らない。

 珍しく血相を変えて駆け込んできたウィレムの報告によりマクデブルグ陥落を知ったファン・ラインは、慌てて寝床から飛び上がり全員を連れて見張り場所に駆けつけた。


 その時にはもう、最初の火の手が上がっていた。


「どんな様子だ?」

 ファン・ラインはジッと街に目を凝らしているカレルに聞く。


「もう既に兵士達が街の中になだれ込んでます。奴ら手当たり次第ですよ」


「こんなに早くか?」


 ファン・ラインは信じられないというように、自前の航海用の望遠鏡を取り出して覗き込んだ。

 まさに手当たり次第だった。



  金になる?  奪え。

  男?  殺せ。

  女?  後で俺にも―― 子供だろうが知ったことか――。



 望遠鏡を使う利点は、ただその場にいないでいられるという事だけだった。

 被害者でも加害者でもなかった。それだけだった。


「隊長、どうしますか?」

 呆けるようにして望遠鏡を覗いたまま、無言で突っ立っていたファン・ラインをカレルが心配して聞く。


 ハッと我に返ったファン・ラインは少しの間考えて言った。

「カレル、お前は本隊に状況を報せろ、なるべく早くだ。ウィレムとフェルナンはここで監視を継続、ヘラルト、ハーラン、ついて来い」


 そう言うとファン・ラインは、来た時よりも慎重に身を隠しながら、素早く移動する。

 後ろからカレルが何か問いたそうな顔でこちらを見ていたが、ファン・ラインは答えなかった。


 しばらくの間黙って移動しているとヘラルトが、今向かっているのが拠点のある集落であることに気付いて言った。。

「装備を取りに行く気か? 別に今ある装備でも俺達ならやれない事はないぞ」


 現在、手元にはマスケット銃2丁がある。

 もう1丁は丘で見張りをしているフェルナンが持っており、さらに部隊員は全員、騎兵用のサーベルを持っている。

 予備の弾薬や食糧、馬は拠点に置いて来たが、ゲリラ戦を仕掛けるくらいなら手持ちの装備で事足りるだろう。


 だがファン・ラインは口を閉ざしたまま、速歩の調子で歩き続けた。

 やがて拠点に辿り着くとファン・ラインは早速荷物を小分けにして取りまとめ始める。


 それが撤退の準備をしているのだと気付くと、ヘラルトはファン・ラインに咎めるような視線を向けた。

「おい、ファン・ライン、一体何のつもりで俺達をここに連れてきたんだ?」

 ヘラルトはイライラした調子で言う。


「増援部隊を迎えるなら拠点を移す必要はないだろう。それよりも敵の見張りを排除して、連中の進軍路を開けといた方がいいんじゃないか?」


「増援は来ない」


 ファン・ラインは顔を背けたまま言った。

「俺たちもここを離れる。ヘラルトはブランデンブルグ、ハーランはザクセンだ。お前達は両大公のいる街で、ここで何が起きたかを話せ。噂を流して世論を動かすんだ」


 ハーランが当惑の表情でヘラルトを見る。


 だが視線の先に立つ男は憤怒の形相でファン・ラインを睨みつけており、周りが見えていなかった。


「冗談じゃないぞ! お前だってあそこで何が起きているか分かっているだろう。あれを放置して俺たちは早々にオサラバするってのか? ふざけるな!」


「ふざけてなどいない。いいか、これは考えようによっては好機なんだ」


「何だと! もう一遍いってみろ!」

 ヘラルトの怒りは心頭に達している。


 ハーランの表情からも当惑の色が消え、咎めるような目つきをファン・ラインに向けている。


 だがファン・ラインはまだ、平静な表情を崩してはいなかった。

「分からないのか? 本隊は今、諸侯の支援を受けられず動けないでいる。だがここで起きた事が知られてみろ、世論は新教徒側に傾くし、新教徒の両大公も同じ目に遭うまいとスウェーデン軍に頼るようになる。

 あいつらは勝手に自分達を悪者に仕立て上げたんだ。これを利用しない手はない」


「だからって―― 見過ごせって言うのか……」ヘラルトは震える声で言った。


「そうだ。どのみち本隊が来なければ奴らと戦ったところで、いたずらに兵を失うだけだ。俺たちがここで出来ることは何もない」


 ファン・ラインは荷造りの手を休めることなく、平然と言ってのける。


 その様子がヘラルトの怒りを煽った。

「俺たちだけだって夜襲でも暗殺でもやりようがあるだろう。何なら俺一人でやったっていい。将校連中を4、5人片付ければ奴らだってビビるだろう。何もせずにここから離れるなんて真っ平だ。俺は行ってくるぜ」


 ヘラルトはくるりと扉の方を向く。


 扉の取っ手に手をかけた瞬間、ヘラルトの肩にはサーベルの刃が光り、ファン・ラインの声が冷たく響いた。


「命令に背くことは許さん。ましてやあの街に戻ることは絶対に認められない」


 足は止まったが、ヘラルトの右手はまだ取っ手を握ったままだった。


 ファン・ラインはその背中に、僅かに語調を強めて語りかけた。

「俺たちが襲撃を仕掛けたところで敵を刺激するだけだ。俺たちが闇に紛れて暗殺をしても、犯人探しの矛先が向くのは俺たちじゃない。あの街の住民たちなんだ。これ以上彼らを追い詰めたところで、何の益がある?」


 時が止まったかのように沈黙が続く。


 やがてスッと音もなくサーベルの刃が引かれ、それに応ずるようにヘラルトの手が取っ手から離れた。

「俺たちがあそこで出来ることは―― 本当に何もないのか?」


 カチャリと音をたてて、サーベルが鞘に収まる。

 静かに無限とも思えるような時が経ち、ファン・ラインはゆっくりと言った。


「あったら教えてくれ」






 ――相変わらず外では雨が窓を打ち続けている。

 工房の二階では3人の男女が身じろぎもせずにテーブルを囲んでいた。


「それから―― どうなったの?」サスキアは沈黙を破ってヘラルトに聞いた。


「後は世間で知られているとおり、旧教徒軍のマクデブルグでの蛮行が世に知れ渡ったことでスウェーデン軍は各地の新教徒の支援を受けられるようになった。そして支援を受けたスウェーデン軍は旧教徒軍と何度か衝突し、レヒ川でティリー伯を、リュッツェンではパッペンハイムを打ち倒した。

 結局はファン・ラインの言った通り、マクデブルグでの事が転機になり、最終的にはカトリックの軍勢を退けたわけだ」


「君達がマクデブルグでの事を宣伝したのが有利に働いたんだな」

 ヤンが静かに言う。


「さあな、放っておいても噂は広まっただろうし、実際に効果があったかなかったかなんて、このやり方じゃあ分からないからな。だがファン・ラインはそのまま奴らから目を離さずその場に留まり、敵がマクデブルグを離れた時点で俺たちは合流してカトリック軍の動きを監視し続けた。

 その情報を下にレヒ川の戦いを勝ち抜き、ティリーは死んだ。リュッツェンではスウェーデン軍本隊と合流してヴァレンシュタイン率いるカトリックの軍勢と戦った。そしてやつ自身の手で、敵の騎兵隊長をやっていたパッペンハイムを討ったんだ」


「間接的にマクデブルグの仇を討ったって事になるのかしら?」


 ヘラルトは力なく首を振った。

「ファン・ラインはそうは思っちゃいない。奴はあの戦いが終わった後『やらなきゃいけない事はやった』と言っていた。要するに奴にとっては他の任務と同様、『義務』としてやったって事なんだろうな」


「何に対する『義務』だろう?」ヤンが聞く。


 ヘラルトは「さあな」というように肩をすくめてみせた。


「ともかくファン・ラインはもう、戦争はたくさんだって思ってる。それにまつわる話もな。別に新教徒とか旧教徒とか、俺たちには何の関係もないが、戦争の匂いを嗅ぐとあの男、過剰に反応しちまいそうだからな。できるだけ関わらせない方がいいかもしれない」


 ヘラルトは話は終わったというように椅子から腰を上げる。


 後を追うようにヤンが立ち上がった。

「さて、俺はちょっと出てくるよ」



「こんな雨の中を一体どこへ行くのかしら?」

 無言で部屋を出ていくヤンの背中を見送りながらサスキアは言う。


「どうせ秘密の用事だろうよ、いつものな」

 ヘラルトは皮肉な口調で言いながらテーブルの上を片付ける。


 二人が階下に降りるとちょうどカレルがおつかいを終えて帰ってきたところだった。


「カレル、ご苦労だったな」ヘラルトが声をかける。


 カレルは不思議そうに首を傾げていた。

「みなさん、一体何を話していたんですか?」


「何って…… ちょっと昔の話をしていただけだ、何でそんなことを聞くんだ?」


 カレルはどうにも解せないという表情で言った。

 「いや、今ヤンさんが出て行きましたけど、何だかえらく機嫌が良さそうだったもので―― 昔の話って、そんなに面白い話をしていたんですか?」






「――いや、なかなか興味深い話を聞かせてもらったよ」

 ハルス老人はテーブルの上で手を組んで言った。


 しばらく前からビールの杯に手も触れずにいたのだから、本当にファン・ラインの話に聞き入っていたのだろう。


 老人は満足そうに椅子の背に体を預けた。

「フム…… あのマクデブルグではそんな事が…… しかし気になるのだが、街が占領された時点で君たちが住民を扇動し、占領者に対抗することは出来なかったのかね?」


「試してみても良かったかもしれません」


 ファン・ラインは口を湿らすためだけに、気の抜けた不味いビールをなめた。


「ですが抵抗運動というのは、占領者の兵力に対してより広い土地を必要とするのです。安全な隠れ家が存在しなければ、長期に渡って抵抗を続ける事は出来ません。いくら大きな街と言っても閉鎖された都市空間で3万の兵から身を隠し続けるのは困難でしょう。

 それに民衆の扇動というのは、民衆の間でそれなりに士気が高まっていないと成功しにくいものです。半年もの間、包囲された町で暮らしてきた住民に反抗を強いるのは難しいでしょうね。

まあ、どのみちほとんどの住民が犠牲になったのですから、破れかぶれでもやらないよりマシだったかもしれませんが……」


「そうか―― いや、すまない。少し聞いてみたかっただけなのだ。君があの場でした判断を責めるつもりは毛頭ないのだよ」


 老人がそう言いながらビールをグイと呷るのを、ファン・ラインは黙って見つめる。



 しばらく沈黙が続く。



「……私は――」ファン・ラインは視線を落とすと言った。

「私は街が見渡せる丘の上で、望遠鏡越しにあの街の惨状を見ていました。 ――そして赤子を抱いた母親が、四人の兵士に引きずられるようにして馬小屋に連れて行かれるのを見たのです」


 ハルス老人はその後の展開がどうなるか想像がついたかのように、目つきを険しくして反応したが、何も言わずにただファン・ラインの目を見つめていた。


 ファン・ラインは続けて口を開いた。

「一行が馬小屋に入って間もなく、兵士の一人が剣に血をつけて出てきました。それからもう少し経ってから、今度は二人が出てきました。4人目が出てきたのは半刻ほど経った後の事です。そいつも剣に血をつけていましたが、私にはそれが馬の血だったとは思えません。 ――馬は全て徴発されるか食糧になるかしていましたからね。そしてそいつは出てきてすぐ、他の者に命じて小屋に火をつけさせました。おそらくそいつが指揮官だったのでしょう。 ――結局、母親と赤子が出てくることはありませんでした」


 酒場の中は相変わらずにぎやかで、外で雨が降り始めたにも関わらず、かえって人が増えてきたように見える。

 二人にはその喧騒が、どこか遠い場所から聞こえてくるように思えた。


「私があの場でした事、しなかった事については、何を責められても仕方ないんです。私の行動如何で、一人でも救える者がいたかもしれない――。 

 それでも私は部隊員を死地に送り込むのが嫌だったから、あの場では何もしなかった。でもそれは、兵士として下すべき判断ではない、死ぬために戦うよう、部下に命令するのも指揮官の役目です。私はそれに反した決断を下した。いや、決断を下してすらいないとも言えるでしょう」


「そう自分を責めるべきじゃない。君は為すことを為した、そうだろう?」


 ハルスの言葉にファン・ラインは、フッと笑みを漏らした。


「別に慰めを求めてるわけじゃないですよ。ただあの場で起こった事を、私見を交えて言っているだけです。お忘れですか? 私は情報の対価として、私の知る情報を提供しているのですよ」


 それでも人に話を聞いてもらった事で、気持ちの整理がついたように思えた事は否定できない。

 ファン・ラインの中で、やるべき事が明確に形になってきていた。


「さあ、今度は私が情報を求める番ですよ」


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