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第12話 暗雲、マクデブルグを覆う

 小高い丘の上、茂みに身を隠して眼下に広がる光景を眺めながらファン・ラインは不安にかられていた。


 「いつまで持つと思う?」

 となりでモゾモゾと体を動かしながらヘラルトが言う。


 視線はファン・ラインと同じく眼下の光景に向けられ、その先にはハンザ同盟都市マクデブルグがある。

 そしてその街は今、3万を越える旧教徒の軍勢に包囲されていた。


「どっちがだ?」

 ファン・ラインもヘラルト同様、視線を動かさずに聞き返した。


「どっちもさ、いくら富裕都市と言っても軍隊に包囲された状況でいつまでも耐えられるはずがない。包囲する側にしても同じ事だ。こっからでも兵士達が腹を空かせてるのが見えるぜ」


 ヘラルトの言葉にファン・ラインは眉をひそめて頷いた。彼らが監視を始めてから既に4ヶ月、包囲開始から半年が経過している。



 都市の食糧備蓄量などたかが知れている上に、近年では人口増加も相まってヨーロッパ全域では食糧不足が続いている状況で軍隊に供給路を断たれてしまっては、3万からなる住民をそう長くは養えない。

 カトリック軍にしても食糧不足は慢性的な問題であり、そもそも食糧を求めてここに来た訳であるから、内と外の違いはあっても状況にそう変わりはなかった。



「あーぁ、あんなに殺気立っちゃって…… これくらいで兵の手綱を握っていられないようじゃ、あの指揮官、ヴァレンシュタインほどには有能じゃなさそうだな」

 ヘラルトは旧教徒軍の中でも名将と名高い傭兵隊長の名を引き合いに出し言った。


「あそこにいるのは何と言ったっけな…… あのなんとか伯爵――」


「ティリー伯ヨハン・セルクラエス」

 ファン・ラインは百科事典を読み上げるような固い声で答える。


「それとゴトフリート・ハインリヒ・グラーフ・フォン・パッペンハイム。ティリーは名将として知られている男ではあるが、用兵の術でヴァレンシュタインに及ぶほどじゃないだろう。

 パッペンハイムにしても、気質的に猪武者だということ以外は特筆すべきところのない男だ。

 それにどっちにしろ配下の兵はほとんどが金で雇った傭兵だ。そうそう思い通りにはいかないんだろうな」


「傭兵か……」

 ヘラルトは自分の立場を忘れたように、嫌な事を聞いたような顔をして呟く。


 それを見てファン・ラインは言った。


「あれが訓練を受けた正規兵だったとしても同じ事だ、略奪は免れられんだろう。無法は傭兵の専売特許じゃない」


 ヘラルトはフゥと溜息をついた。

「どっちにしろ負けたら同じか――」


後を続けるかと思ったが、ヘラルトはそれきり何も言わずに街の方を眺めていた。



しばらく沈黙が続き、ファン・ラインは口を開いた。


「さっきの話だが、おそらく梅雨に入るまでには状況が変わるだろう。どっちにしても伝染病が流行りだしたらえらいことだ」


 背後に気配を感じ、二人は同時に振り返る。

 後ろの茂みからフェルナンが音も無く現れた。


「チッ、気付かれたか。まったく二人には敵わないな」

 フェルナンはいたずらっぽい笑みを浮かべて言う。


 ヘラルトは呆れたように言い返した。

「冗談じゃない、無駄に肝を冷えさせやがって、もう少しでナイフを突き刺してやるところだったぞ」


 実際、ヘラルトの右手は腰のナイフにかかっていて、いつでも抜ける状態のままだった。

 抜かなかったのは相手を確認してからでも間に合うと考えてのことだろう。


 ファン・ラインの方はそれほど自信があった訳ではなく、既に抜き身のナイフを手にしていた。


「ご苦労だったな、本隊の方はどうだった?」

 ファン・ラインは少し気恥ずかしい気持ちでナイフを納めながら言った。


「ダメだ、一応状況を伝えはしたが、将軍たちはどうにも煮え切らない態度で埒が明かない。すぐには救援を出してくれそうにないだろうな」


 ファン・ラインは唇を噛んで考え込む。



 この街の状況はグスタフ・アドルフに伝えてあるので、おそらく彼にもこの街を救う心積もりはあるはずだった。

 現に、今までに何度もこうした街や村を旧教徒軍から守ってきており、その上マクデブルグは軍事上の重要な拠点でもある。彼だっていつまでもこの状況を放置して置く事はないだろう。


 しかし実際のところ、救援に向かうにはいくつかの障害がある。


 スウェーデン軍が大陸に足を踏み入れて以来、プロテスタント軍は徐々に息を吹き返してきたが、それでもまだ、地元の新教徒領主の援助を受けられるほどの信頼を勝ち得てはいなかった。


 おそらくスウェーデン軍本隊は、そういった類の連中に足止めを食らわされているのだろう。


 新教徒領主と言っても、相手は旧教徒である神聖ローマ皇帝の臣下である。

 しかしファン・ラインもグスタフ・アドルフも、そういった連中の反発がこれほどのものだとは思っていなかったのだ。



「いざとなったら…… 俺たちだけでも?」

 フェルナンは覚悟を決めた表情でファン・ラインを見た。


「バカを言うな、相手は3万だ。止められるはずがない」

 ファン・ラインは街を取り囲む軍勢をチラと横目に見て、しばらく考え込む様子を見せると言った。


「だが準備だけはしておこう。フェルナン、拠点に戻ったらウィレムとカレルをこっちに寄越してくれ、お前はそのまま休め」


 フェルナンは頷き、来た時と同じ様に音も無くその場を離れる。


 彼らはここから二十分ほどの場所に拠点を設けており、敵を見張る時以外はそこで待機していることになっている。

 そこは人のいなくなった小さな集落で、何年か前にあった戦闘に巻き込まれて人が住めなくなり廃墟となった、死んだ村の一つだった。


「二人が来たら交替する、少し休んでおいてくれ」


「まだ交替の時間には早くないか? 俺は大丈夫だぞ」


 ファン・ラインは首を振って答えた。

「日が落ちたら俺とお前の二人で敵陣に忍び込む、それまで二人に任せて体を休めるんだ」





「たった二人で乗り込んだのかい?」


 ハルス老人は信じ難いという表情で言った。

「君の部下は他にもいただろうに、何故二人だけで?」


「別に馬に乗って旗を掲げ、剣を振り回して乗り込んだ訳ではないですよ」

 ファン・ラインは苦笑いして言った。


「ただこっそり忍び込んで敵陣の状況を探るだけです。装備や錬度は大体において把握していましたが、士気や食糧事情については適宜変わっていきますし、もしかしたら敵も応援要請をしていて、その噂がたっているかもしれない。要するに敵に紛れて話を聞くだけでもいいんです」


 ハルス老人は納得したように頷いた。


 彼自身、従軍経験はないとファン・ラインは見ていたが、それでもそういった情報の重要性は理解しているようだった。


「それに敵兵はほとんどがドイツ人です。俺たちはみんなドイツ語を話せますが、ドイツ人として通るようなドイツ語を話せるのは俺とヘラルトだけだったのです」


 実際にはドイツ人のハーランがいたわけだが、彼は既に敵陣に紛れ込み、情報収集の真っ最中であった。

 彼の手引き無しには二人の潜入も無理な相談であったかもしれないが、かと言っていちいちそこまでハルス老人に説明する義理はない。


 ハルス老人は杯を持ったまま考え込むと、ややあって老人は口を開いた。


「しかし本当にそれだけだったのか? たとえ二人だけでも、君なら敵の糧食に火を点けて逃げおおせるくらいのことは出来そうだが……」


「ええ、私の相方もそう言いましたよ。だけどその時は、敵をそこまで追い詰めると後が怖いと思って止めさせたのです。人は追い詰められると何をしでかすか分かりませんからね。でも結局は、火を点けようが点けまいが同じ事でしたが……」



 陥落後にマクデブルグの街に起こった事を見れば、あの時何かしていれば良かった、と思わないでもない。


 敵の勢いを削いでおけば、その後の状況も変わったかもしれない。

 しかしそれはファン・ラインにとって、考えたくない事であった。


 ハルス老人はファン・ラインの浮かない顔を見て慰めるように口を開いた。


「私は君を責めているのではないよ。君がその時そう判断したのはおそらく正しかったのだろう。正しい判断がいつでも良い結果として現れるとは限らないという事なのだろうね」


 ファン・ラインは力なく頷いた。



 その後の事態の推移を見れば、その言葉に間違いはないと言えるだろう。


 逆に正しくないと思われるような判断が、結果的には良かったとされることもあるのだから。


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